道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 美里・広木古墳群  ◆◆◆◆◆◆

下の写真は美里町広木の集落内を通る鎌倉街道上道ルートのひとつと伝えられている道です。この道は現在の国道256号線を駒衣と広木の境付近から分岐して、途中で「曝井の遺跡」などがある那珂川に沿った道が南から接しています。この道は北西方向に進んだ後、再び国道と合流しています。美里町と児玉町の境界付近は古い時代の遺跡や古墳群などがあり、このあたりは古い時代から人々が移り住んでいたことをうかがわせてくれます。

美里町広木の旧街道ミカ神社入り口

美里町広木には「曝井の遺跡」など万葉遺跡や広木大町古墳群、延喜式内社のミカ神社など古代に関連した遺跡が多いところです。広木の集落内を通る鎌倉街道上道ルートが北西の外れで現在の国道と合流する付近には広木上宿遺跡があり、金属製小形宝塔及び小形持蓮華が出土していて、それらは高さ4センチ前後のものですが、金・銀・銅・鉄・金銅と材質の異なるものがセットで出土していて極めて精巧に作られているものです。

旧道からのミカ神社参道

ミカ神社は醍醐天皇の延喜式神明帳に登録されている古い社で、櫛御気野命と櫛ミカ玉命の二神が祀られています。江戸時代の享保8年(1723)に正一位を受けられたと伝えられ、現在の社殿は宝暦13年(1763)に再建されたことが棟札に記されているそうです。「みか」とは酒を造るときの大きな甕のことで、神社には御神宝であったと思われる土師器のミカが四個保存されているといいます。春と秋に行われる例祭に酒造りにちなんだ神事が行われるそうです。

※ミカ神社の漢字は上の文字ですがパソコンの漢字コード表にはこの字が残念ながらありません。上の文字は画像で作成しています。

ミカ神社

二子塚古墳

広木のミカ神社の北東に大きな池があります。「摩訶の池」と呼ばれ昔は今よりも何倍も大きかったといいます。現在この池は灌漑用に利用されています。曝井の遺跡の近くの常福寺の開山、空興上人はこの地が水利が悪く農民が困っているのをみて、摩訶般若の秘法を修して面積四町余歩の池を築かせたといい、その池が「摩訶の池」だと伝えられています。池の西側に下の写真の前方後円墳があります。二子塚古墳と呼ばれ、広木・大町古墳群の中の一つです。

摩訶池近くの二子塚古墳

広木・大町古墳群

小山川の南、広木地区から沼上地区にかけて分布する古墳群が広木・大町古墳群です。昭和の3回にわたる発掘調査で98基の古墳を確認し、その内の84基を精査したところ墳形は、前方後円墳、円墳、方墳で、少なくとも100基以上で構成された群集墳であるとしています。埋葬施設は横穴式石室で、小山川で採集されたと思われる片岩系の河原石を使用しているそうです。出土品として、埴輪、直刀、馬具、勾玉・金環などの装身具、高坏・平瓶などの須恵器があるそうです。築造年代は出土品から6世紀中頃から7世紀代と推定されています。なお国道の西側児玉町の秋山塚原には秋山古墳群があります。

広木・大町古墳群

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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