(かがやくみどり つちとみず 21せいきのみぬまたんぼ)






番外 今も息づく竜神伝説

 見沼田んぼに住む男が旅姿の美女を馬に乗せてあげた。目的地に着くと女はお礼にと桐の小箱をさしだし、決して開けてはいけない」と言い残して見沼代用水のかなたに消えた。
 男が仕える家は栄えた。が、主がどうしても箱の中を見たくなり、ある日、箱を開けてしまう。中には小判ほどの大きさのウロコが一片あつた。
 とたんにこの家には不幸が続き、見沼は風雨に見舞われるようになった。「女は見沼の竜神の化身だったのか」。そう気づいた村人が竜神を祀る不幸も去り、見沼はまた豊作が続いた。
 見沼には竜神伝説が今も息づく。大宮市の氷川神杜や浦和市の氷川女体神社など出雲神社の神々が宿る風土と農業(稲作)が関係しているとされる。
 浦和市の市史編さんに長くかかわった青木義脩総務部参事は「農業にも竜にも、水がなくてはならない。水源を安定させるため、人々は竜を祀って信仰の対象にした。水は現代人には想像できないほど切実な問題だった」と話す。
 竜神は見沼干拓を嘆き、田畑を荒らす。それほ人間が支配できない存在として登場する。

安易な開発 時超え戒め

 江戸時代。干拓を進めていた男のもとに美女が現れ、「私は見沼に住む竜神。干拓されると往む所がない。中止してほしい」と泣いた。なおも干拓を進めると男は病にかかり、見沼は風雨に見舞われた。竜神のために未開拓地を残してやる病は消えた。
 人の営みと共に歩んできた見沼ならではの伝説だ。
 竜神がハスの茎の切り口で目を突いて片目になったため、見沼でほハスを作らなくなったという伝説もある。県地域政策課(当時)がかつてまとめた伝説集では竜(=河川)の目を突いたり、胴体を切ってくぎづけにしたりする話は、治水や干拓を意昧するのではないかと指摘された。
 公有地化事業でも伝説に配慮し、実際に土地利用が変更された例がある。
 浦和市新宿の公有地は水が多く、畑には適さなかった。県土地政策課内ではハス池にする案も出たが、「ハスと竜の伝説もあることだし」とアイリス園に変更した。同課で見沼担当になった職員は視察の際、守り神とされる氷川女体神社に必ず立ち寄るという。
 「見沼に手を出すと、やけどする」。住民は冗談まじりによく口にする。この言葉には安易な開発を戒める意昧も込められているようだ。豊かな緑、土と水、人とともに、伝説もまた生き続けている。
(この連載は児林もとみが担当しました)

朝日新聞埼玉版(2001年(平成13年)4月13日 金曜日)から転載

 




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