「青森遺跡探訪」掲示板旧石器捏造事件ログ6

このログは、青森遺跡探訪の閉鎖にともない青森遺跡探訪案内人の了解を得て転載したものです。転載にあたり体裁を一部変更しています(01.4.16 早傘)

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[364] 「石器は偽物」か? 投稿者:トラ 投稿日:2000/12/09(Sat) 15:23:17 [pc2.ishikari-lib-unet.ocn.ne.jp]  この書き込みは、難波紘二氏の提出した「石器は偽造」と題する論のうち、資料の分析に重大な錯誤があることを指摘するものである。また、これは「捏造疑惑」自体を否定するものではない。あくまでも「石器は藤村氏によって製作された」という結論を導くためにおこなわれた難波氏の「分析」に対する批判である。
 まず、氏は(注1)、『縄文の生活誌』の本格的は分析に入る前に、『新聞写真は、両面加工された石器であり、従ってこれは「縄文石器」ではありえない』と述べている。
 「縄文石器」でないというためには、その資料が縄文時代に製作されたことがありえないという根拠を示さなければならない。たしかに、時代の判定の根拠となる定型的な石器は存在する。旧石器時代でいえば、石刃、ナイフ型石器、細石刃核などである。こうした石器が出土した場合は、「この石器は縄文時代のものではない」といえる。しかし、片面に原石面を残し、片面のみに調整を加えた石器は、少なくとも筆者の接することの多い、北海道・東北の縄文遺跡では決して珍しいものではない。一般のイメージとは異なるかもしれないが、縄文時代の石器は、石鏃、つまみ付きナイフなど定型的なものばかりでなく、不定形の剥片をそのまま使い、側辺(縁)に若干の調整を加えただけの石器も数多い。実際の遺跡の調査に際して、担当者がこうした石器の分類に苦慮することも珍しくない。
 「片面加工」とは別に、縄文石器でないという根拠が明示されないかぎり、この部分は筆者のつよい先入観によるものといわざるを得ない。
 次に、本論である難波氏による「画像解析」の検討にうつる。
 氏の分析をを要約すると、@石核AとスクレイパーBの離断面を見ると、大きく2面に分けられる。ひとつはスクレイパーBとの離断面、もうひとつは剥片Cとの離断面である。また、剥片CとスクレイパーBの間にも離断面があるので、接合状態の自然面からみると、3本の亀裂が見て取れる。A自然面から撮った写真には、長径7mmの円形もしくは類円形のクレーター状のくぼみがあり、3本の亀裂は、このくぼみから発生しているので、くぼみは、3点を分離する原因となった打撃の痕跡である。
 このことからA,B,Cは、1回の打撃によって分離した。また、その痕跡は写真に見える直径7mmのくぼみである。
 この分析は、妥当だろうか。
 筆者は、これまでに公開され、難波氏と共有できる資料のうち、河北新報に掲載された「模式図」に注目した。(河北新報1997年12月14日「接合した二つの石器の模式図」)この図は、「模式図」とはいえ剥離と剥離する原因となった力の方向を示す。”リング””フィッシャー”が描かれており、通常の調査報告書に掲載される石器実測図に準ずるもので、十分、分析に絶えると判断した。以下の分析は、もっぱら「模式図」によるもので、それに『縄文の生活誌』の写真を補助的に用いた。
 「模式図」をみると、剥離の際の力の伝わり方を示す”リング”が、図の左下から同心円状に広がっており、それは剥片Cまで連続している。このことから@石核AとスクレイパーBの離断面(剥離面)をつくる原因となった力は、図の左下から加えられた。A石核AとスクレイパーBおよび剥片Cの離断面は、ひとつであり、3点は同時に分離したわけではない。という事ができる。
 打撃点のあったとみられる図の左下は、写真の左上にあたる。難波氏のいう「円形のくぼみ」なるものの位置は明言されていないが、「3本の割れ目」が、このくぼみから発生しているということから判断すると、写真の右上付近と考えられる。それは、「模式図」から判断される打撃点とはまったく別の位置である。
 これまで「模式図」をもとに分析を進めてきたが、氏が分析に用いた「写真ではどうであろうか。「写真1」の石核Aの離断面を見ると、右上から左下に下向きの弧状の段があることがわかる。これは、左上から力が伝わり、この部分でなんらかの原因で、少し向きが変わったという痕跡であり、それは、「模式図」のリングとも一致する。
 以上、難波氏の「分析」は重大な錯誤と先入観に基づいたもので、何ら信憑性のないものといえよう。さらに、それを根拠にした「石器製作」に関わる推論の当否についてはいうまでもない。
 なお、この一文は、氏の「捏造疑惑」自体を否定するものではなく、あくまでも「石器の製造疑惑」に対する疑問の表明である。
 最後に、資料となった写真のネット上での公開の労をとってくださった「大学生」氏に感謝を申し上げる。

参考文献 岡村道雄 2000 『縄文の生活誌』 日本の歴史01 講談社 熊野正也、堀越正行 1998 『考古学を知る事典』 東京堂出版 注1:氏の分析は、@『縄文の生活誌』47頁の「石器の接合」と題された写真A「新聞写真のコピーをスキャナーで読み込んだもの」の2点の資料をもとにおこなったとされている。(このほか、難波氏が入手可能だったものとしては、大学生氏がネット上で公開したカラー写真(『発掘された日本列島1999』に掲載されたものである)と河北新報1997年12月14日付け記事に掲載された「接合した二つの石器の模式図」がある。)

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トラ > 訂正:分析に絶える→分析に耐えるよかった、これで床屋に行ける。 (2000/12/09(Sat) 15:27:43)[pc2.ishikari-lib-unet.ocn.ne.jp]

早傘 > 難波さんの「知識のレベルが違いすぎて相手にならない」“論証”を否定することと、一般的な「偽作疑惑」とは別の話といえます。僕はあんな見事な接合資料が縄文遺跡の表面採集で得られるとはちょっと思えない。どんな人物が割ったのかが焦点だと思っています。以前この点に関わって「石器製作に習熟していない人物が叩き割った」との印象を語ったところ"大学生"さんから「剥片剥離技法によるもの」との説明を受けました。まあ、剥片剥離なのは間違いないのだけど、関心があるのは、それが石器製作の習熟を必要とする剥離か否かという点。僕にはそうは思えないのですが、どうなんでしょうか? (2000/12/09(Sat) 23:29:53)[b142074.ppp.asahi-net.or.jp]

トラ > 石器製作技法から現代人がつくったのか縄文人がつくったのかを判定するのは難しい。問題の「前期旧石器」だって原人に不可能だ、いや可能だって水掛け論を繰り返しているくらいです。ある程度考古学的知識がある「悪意」をもった人物であればどんなものでも作りうる。「石器製作に習熟していないもの」を装うことも可能でしょう。「石器製造」については、このような書き込みをしましたが、早傘さんと同じ観点から「クロ」の心証を深めています。職業柄考古遺物のコレクターにコレクションを見せてもらうことがありますが、あのような接合資料を見たことはありません。もし、あのような資料を、盗掘を含めた個人の採集活動で、手にすることができたなら、それも「神の手」でしょう。 (2000/12/10(Sun) 07:03:16)[cs51244.ppp.infoweb.ne.jp]

makoto-s > 普通に考えて、最近割ったものの割れ口と縄文時代以前に割れた割れ口とでは風化の度合いが違っていて詳細に観察すれば判別がつくような気がするのですがいかがでしょう。 (2000/12/10(Sun) 18:00:07)[ppp11-175.din.or.jp]

ash > いずれにしろ石器自体を観察して判断すべき事柄ですね。 (2000/12/11(Mon) 01:08:28)[tkscc-01p11.ppp.odn.ad.jp]

難波紘二 > トラさんと「大学生」さんへの反論は、2点重要なものが用意してあるのですが、「ルイセンコ事件余話」への反論をまってアップします。 (2000/12/11(Mon) 12:51:21)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > 期待してます。 (2000/12/11(Mon) 13:13:39)[]


[365] 【一連のネット上の議論は考古学の今後にどう役立つのか】 投稿者:元企業技術者y 投稿日:2000/12/09(Sat) 20:14:20 [sk-aj128.ppp.ttcn.ne.jp]
本当は難波先生の[357]へ関連したものですが、返信操作不慣れで、表題だけが送られてしまいましたので、改めて送ります。すみません。
【一連のネット上の議論は考古学の今後にどう役立つのか】
 レベルの高い議論が続いていますが、難波先生が[357]で“前略……「捏造問題」はもう終わりました……後略”と発言されたこの辺で、ねつ造報道及びそれに引き続く一連のネット上の議論が各自にとってどんなプラスをもたらしたか、考古学の今後にどう役立つのか考えて見るのもよいのではないでしょうか。
 私が特に知りたいのは考古学関係の方の見解です。日本の考古学にどんなプラスになったのか、無益だったのか、空しかったのか、今後に生かせるものは何か、等です。
 これまでの状態を私なりに比喩的に表現すると次のようなことになります。学問分野をスポーツに例えれば、考古学は圧倒的人気を誇るプロ野球で、関心を持つファンの数、マスコミの取り上げ、何れもナンバー1でしょう。その人気のプロ野球で本塁打記録が更新されるのを眺めていたファンが、ある選手が正規のボールにルール違反の飛ぶボールを混ぜていたのを知り、ファンが興奮しグランドに飛び降りてきた。責任感の強い、混入に無関係の選手が事情を、説明しようとしたが、ファンの数があまり多いので、収拾がつかず、グランドがファンに占拠されてしまった。そして、ファンが選手と入り乱れ、というか選手そっちのけで、日本の野球はここが悪い、野球選手はかくあるべし、と論じている、そんな状態に関係者は感じたのではないかと思います。選手、つまり考古学関係の方にとっては不愉快に感じた場合もあったかと思いますが、ファンの一生懸命さは感じられたのではないかと思います。
 観客の一人としての私は当初から見ていなかったせいもあり、これまで展開されてきたネット上の議論を鳥瞰図的に見た場合、今後の考古学にどう役立つのかよくわからないところがあります。関係者の方の総括的な見解、または簡単な感想でも結構ですから、聞かせていただければ、と存じます。

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早傘 > 僕の印象では、南河内考古学研究所の掲示板がプロの練習場、ここが河川敷のグランド、2チャンネルが町中の空き地という印象です。いずれにしても、現時点の日本の考古学界ではネット上での議論の影響力は皆無に近いと思っています。ただし、インターネットの影響力という点に関して言えば、今回の「発覚」には重要な役割を果たしたと思います。毎日新聞の12/5朝刊によると、「北海道報道部が情報を得て専従チームを発足させたのは今年8月でした」とのことであり、やはり予想通り、インターネット上で7月に公開された(おそらく3月に執筆したのに掲載を引き受ける専門雑誌が無かった)角張論文が、毎日新聞を動かしたようです。これは日本考古学におけるメディアの意味を考える上で大変重要な事柄と考えています (2000/12/10(Sun) 09:34:43)[b142120.ppp.asahi-net.or.jp]

makuya > 初めて書き込みさせていただきます。今回の事件に対する一連の論争の成果は考古学が世間からどう思われているか、専門家(考古学に従事している人たち)がどう考えているかが、はっきり示されたことではないでしょうか。確かに今回の事件は本来起きてはいけない種類の事件ですが、事件に関わる論争の成果は貴重な財産だと思います。 (2000/12/10(Sun) 11:26:25)[]

トラ > 「それを言っちゃあおしまいよ」というのが、トラならぬ寅さんのセリフでしたが、正直、いまのわたしの気持ちでもあります。早傘さんのご指摘にもありましたが、わたしの周辺をみてもこうしたネット上の議論を知っているものは、驚くほど(元企業技術者yさんがです)少ないのです。ですからキーリィ氏が何を言い(ネット上で)ブリード氏がどう反論しているのか。難波先生が少し辛口ではあるが、問題点を鋭く突いた提言をしているのかなど、残念ながらほとんど知られていません。考古学業界の人間は、いまだに「紙メディア」の人々なのです。([324]で日本考古学協会の委員会見解が、ホームページに載らず、文書で会員に届けられたことをご想起ください)この書き込みをする時点で、すでにmakoto-sさんの[366]の書き込みがありましたが、やはり紙メディアの形で残すべきだと思います。 (2000/12/10(Sun) 19:09:10)[cs51333.ppp.infoweb.ne.jp]

北條芳隆 > 日本の考古学界にたいする「短期的な波及効果の如何」という点でみれば、私も早傘さんの意見とほとんど等しい心証を抱いています。ただしはっきりいえることは、日本の考古学を将来的に担うことになったかもしれない有能な若い世代の何人かを失望させ、失ったこと、深刻な喪失点は、これに尽きるのではないでしょうか。もとより学界の権威筋は何も失わなかったし、失うものがあるとすれば、他分野の研究者の中の一部の方からの信頼でしょうが、それとて、全体からみればごく一部にとどまるものと思われます。要は「言いたいやつには勝手に言わせておけ、痛くもかゆくもないさ」で済まされる気配は濃厚だとみるべきです。もちろん、私のような「跳ね返り分子」や、事件にかんして積極的に発言した考古学研究者のうちの何人かは、以前にも増して学界内部で疎外される可能性が増したとみるべきかもしれませんが。しかし私が知る限り、そんなことは先刻承知の面々が名を連ねておりましたから、これとて事件の有無が問題ではないはずです。 (2000/12/10(Sun) 23:44:06)[tokushima-097.seikyou.ne.jp]

北條芳隆 >  「最古・最大の発見」の見出しのついた新聞報道は、何事もなかったかのように繰り返されています。このことが短期的な意味での波及効果のほどを如実に物語っています。もちろん、注目すべきは今後5年間の動向であり、10年間の動向でしょうが。 (2000/12/10(Sun) 23:45:23)[tokushima-097.seikyou.ne.jp]

早傘 > 野球への例えついでで言うと、難波さんは元近鉄のブライアント(古すぎる?)でしょうか。難波さん抜きにこの掲示板のここまでの盛り上がりは無かったでしょう。 (2000/12/10(Sun) 23:56:50)[b142121.ppp.asahi-net.or.jp]

早傘 > 角張さんが論文を執筆したのは7月であることを、関係者から教えていただきました。ここに訂正し、お詫び申しあげます。 (2000/12/11(Mon) 01:48:14)[d238055.ppp.asahi-net.or.jp]

岡安 > Yさんの問いかけにたいする答えに近いものを、南河内の喫茶室に書き込みました。いえいえ、ここが河川敷だなんて思ってませんよ。そうではなくて、主に考古学研究者に対する呼びかけの性格をもっていたからです。 (2000/12/11(Mon) 21:45:00)[firewall.ctktv.ne.jp]

難波紘二 > 岡安さん、当初はともかく途中から貴方はまともに答えていると思います。ただ金沢医大の平口哲夫は別だが。 (2000/12/11(Mon) 23:03:17)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トンビ > 皮肉でなく、河川広場では際立つはずのプロの実力が見たいです。実力って、地磁気エクスカーションがなんちゃら・・・っていうような細かい知識のことじゃないですよ。事実、真実への嗅覚とか、論理的思考力のこととかです。 (2000/12/12(Tue) 13:25:00)[canal.wslab.ntt.co.jp]

元企業技術者y > いろいろのご意見、有難うございました。グランドの声が野球を運営するコミッショナー周辺や新聞に届きにくいのが現状のようで、残念です。岡安先生の南河内考古学研究所の喫茶室での論説とそれに引き続く先生方の論説、拝読しました。真摯に取り組んでいる姿勢に敬意を持ちます。もし、私の単純な問いかけというかお願いがきっかけで、責任感の強い先生方に余計な負担をかけてしまったとすれば、申訳なく思います。素人ファンに応答して下さった責任感の強い先生方に、「どうぞ一休みして下さい」と申し上げたい気持ちです。 (2000/12/13(Wed) 07:25:37)[tn-av210.ppp.ttcn.ne.jp]

トンビ > 夢のような話かもしれないけど、私は「伽藍とバザール」という論文に描かれているような、先鋭的プログラマーのコミュニティのようなものが、考古学で成立したらいいなあと思います。http://cruel.org/freeware/cathedral.htmlから邦訳論文が読めますので(続編も)ご興味のあるかたは目を通してください。「仲間内での評判」を報酬としてボランティア的に知的貢献が行われる世界が構築されることを祈ってます。 (2000/12/14(Thu) 12:05:45)[canal.wslab.ntt.co.jp]

トンビ > ネット上での一連の議論がどう行われたか、考古学サイドからの正確な総括を期待したいです。南河内考古学研究所の喫茶室に、岡安さんが、藤村氏の発掘成果はインチキだという噂があることを投稿されたこと、ネットで公開された角張氏の論文、これらに対し、考古学者はどの程度、理性的に対応したのか。これを事実によって整理するのが第一歩ではないでしょうか。 (2000/12/14(Thu) 13:06:53)[canal.wslab.ntt.co.jp]

ソフィー > やれやれ、BBSでのコミュニケーションも難しいものですね>「ただ金沢医大の平口哲夫は別だが」 (2000/12/14(Thu) 13:55:27)[]

トンビ > 考古学者にとって、知的貢献より、虚栄心の方がどうしても大事だっていう人たちなら、私の空想は現実とはならないでしょうね。角張論文に、不遜だというケチをつけながら満足な自己批判をしないような学者ばかりなら、私の夢は夢のままです。そもそも、私がこの掲示板の議論に首を突っ込んだのは、難波氏の意見に対して、あまりにも見苦しい批判を行う集団がいたからです。私がかつてあこがれた考古学の世界を冒涜する行為に、それは映りました。言葉尻だけ捉えて、本論に入らせないことによって、批判を封じようという、きわめて潔くない態度が充満しており、結果的には悪罵を吐くことになりました。今回の事件に関しては、捏造自体よりも、この掲示板における、薄汚い議論を見たことのほうが私にはショックでした。 (2000/12/14(Thu) 15:34:23)[canal.wslab.ntt.co.jp]


[368] ネット議論の問題点 投稿者:makoto-s 投稿日:2000/12/10(Sun) 17:57:42 [ppp11-175.din.or.jp] 
ネット上の議論の問題点として内容は別にして「限定された期間しか読むことが出来ないことが多い」ということがあると思います。
 特に掲示板の場合、件数や容量が限定されるため、古いものから順に消えてしまいます。
 管理人さんがまめにlogを保存し、公開してくれればよいですが....これは管理人さんの善意に頼るしかないのが現状です。
 いかに身のある議論・提言がされてもあとに残らないのはその意義が半減してしまいます。
 ここの掲示板でも難波氏等の指摘等は、紙面等で残した方がよいように思います。

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案内人 > 11月5日以降の掲示板のログにつきましては、ある方のご協力によりまして一部保存したあります。整理がつき次第、公開したいと考えております。紙面等で残した方が良いとのご指摘には、残念ながらその手段を持ち合わせていません。 (2000/12/10(Sun) 20:13:13)[c1-215.actv.ne.jp]

makoto-s > 「紙面で....」というのは難波さん個人に対する要望であり、案内人さんへのものではありません。これだけ詳細に調べられいるモノを広く研究者に公開するためには現状ではネットよりも紙面の方が有効だと思いましたので。 (2000/12/10(Sun) 22:37:03)[ppp11-083.din.or.jp]

makoto-s > また、上記の発言はあくまで「ネット上の議論」に対する一般論として書いたモノです。 (2000/12/10(Sun) 22:37:43)[ppp11-083.din.or.jp]

難波紘二 > 立花隆が週刊文春12/14号の「私の読書日記」で書いていることは、私の主張とほぼ同じで、やがて彼は文芸春秋に捏造事件に関する論評を載せると思います。この「掲示板」は一般市民やジャーナリストが沢山読んでいますから、考古学が文字通り「考古学的学問」であっても、ちっ (2000/12/11(Mon) 12:43:43)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > とも心配はいらない。事態は変わると思います。私自身は、まだ本を書く段階にありません。発言はかなり体系的に行ってきたつもりなので、ダウンロードし、印刷して、まとめてお読み下されば幸いです。 (2000/12/11(Mon) 12:45:42)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

makoto-s > 本とまではいかなくとも学会誌(考古学以外でも)に「脂肪酸分析への疑義」等については掲載していただけると考古学にとってはとても有益になるのでお願いしたいところです。 (2000/12/11(Mon) 23:04:57)[ppp11-012.din.or.jp]

難波紘二 > 平口哲夫に推薦人を依頼したら、断られましたよ。誰も推薦する考古学者がいないのでは? (2000/12/11(Mon) 23:10:29)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

makoto-s > 「推薦」がなくとも投稿出来る雑誌はないのでしょうかねぇ (2000/12/12(Tue) 00:56:12)[ppp11-141.din.or.jp]

案内人 > 手元にある「考古学研究」の投稿案内には、推薦人が必要であるとの記載は見つかりませんが。 (2000/12/12(Tue) 06:47:23)[c1-215.actv.ne.jp]

難波紘二 > その代わり「会員」であることが条件になっているでしょう? (2000/12/12(Tue) 10:47:34)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

bambi > 広島大学にも考古学教室はありますから、顔見知りの同僚の方に相談されたらいかがですか?日本考古学協会のHP、http://www.avenue.co.jp/~kouko/ に、広大の考古学関係の講座一覧が載っていましたが、大学院まであり充実しているのでは? (2000/12/12(Tue) 11:01:05)[cse8-26.nishinomiya.mbn.or.jp]

トンビ > 難波さんが考古学の教官と顔見知りになれるほど広島大学は小さくないんじゃないかなと思います。私は、それよりも、ネットで問題点を共有した二名が連名で論文を出したりされるようになるほうが、ネットの活用のされかたとして、夢があっていいなあと感じますけど。 (2000/12/12(Tue) 11:41:08)[canal.wslab.ntt.co.jp]

bambi > 難波先生は、学部は違いますが、今回の事件ですでに文学部考古学教室を何度か訪れていらっしゃいます。 (2000/12/12(Tue) 13:13:11)[cse8-18.nishinomiya.mbn.or.jp]

難波紘二 > 行ってますよ。歓迎はされていませんが。雑誌のコピーなどだけは断れない。 (2000/12/12(Tue) 13:33:18)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

通りすがり > 「考古学研究会」への入会には、審査などありません。会費3200円さえ払えば、専門家でなくても誰でも会員になれます。年に4回会誌が送られます。お節介ながら。 (2000/12/12(Tue) 17:33:07)[p26-dn05nara.nara.ocn.ne.jp]

bambi > 広島大の少なくとも情報に敏感な考古学教室の院生やゼミ生は、当ネットでの難波先生のご発言は気が付いていても不思議じゃないと思うのですが… 何も言ってこないのですか? (2000/12/12(Tue) 17:46:42)[cse7-30.nishinomiya.mbn.or.jp]

難波紘二 > 何も言ってきませんね。無邪気に文学部中庭にある古墳の実測演習をやっています。 (2000/12/12(Tue) 19:18:50)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

bambi > 平和ですね。東広島のキャンパスは新しいし、当然、インターネットなんかは配備されて、学生は各自E-MAILアドレスを持っていて、自由にインターネットにアクセスできる環境かと思っていましたが、まだまだなんですね…先生が直接教えている学生たちは、どうなんですか? (2000/12/13(Wed) 10:22:55)[cse9-12.nishinomiya.mbn.or.jp]

難波紘二 > 広大は教職員学生全員がメールアドレスをもっており、図書館に1000台あるPCではインターネット使い放題です。私の学生はレポートはメール提出です。要するに考古学が遅れているだけです。 (2000/12/13(Wed) 12:26:37)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

ソフィー > 「平口哲夫に推薦人を依頼したら、断られましたよ」とのことですが、そうは言っていないはずです。喫茶室での発言をご確認ください。 (2000/12/14(Thu) 13:41:47)[]

難波紘二 > じゃ、推薦人になってくれるんですか?ソフィーの平口さん。 (2000/12/14(Thu) 16:29:56)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

ソフィー > 正直言って、不必要に人の感情を害するような発言をする人を紹介する気にはなれませんが、評論内容が学術的にしっかりしているだけでなく、大学人としての品格を備えたものであるならば、何かの雑誌の編集者に相談してみてもよろしいですよ。編集者が採用するかどうかは保証のかぎりではありませんが。これはあくまでも脂肪酸分析に関する評論についての話です。 (2000/12/14(Thu) 22:06:40)[]

岡安 光彦 > 難波先生、雑誌への投稿の他に、研究発表という方法もあります。日本考古学協会総会の「研究発表」なら、来年5月20日です。会場で考古学者の直接的反応を試してみてはいかがでしょうか。よろしければ、私が連名発表者となります(ちょっと怖いですが)発表の申し込み締め切りは1月12日、ただし発表者が多い場合は先着順です。発表は30分。発表要旨は4ページ(1ページ、24文字×36行×2段、2月16日締め切り)です。また日本考古学協会の論文誌『日本考古学』に投稿するのはどうですか。ただし、短いと「研究ノート」扱いになるかもしれません。締め切りは4月30日です。いずれにしても、どうせなら、日本考古学の総本山で、日本考古学に挑戦してみたらいかがでしょう。以上、躊躇の末に書き込みます。 (2000/12/14(Thu) 22:50:59)[firewall.ctktv.ne.jp]

岡安 光彦 > 会場は、東京の駒沢大学です。 (2000/12/14(Thu) 22:56:41)[rt.ctktv.ne.jp]

難波紘二 > 岡保さん、ありがとう。検討してみます。 (2000/12/15(Fri) 00:07:54)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

うささぎ > 岡保→岡安!! 「腐れ縁」じゃ言葉が悪いか、「切っても切れぬ縁」になっているのですから変換ソフトへの短縮登録をお勧めします。 (2000/12/18(Mon) 02:34:59)[global-user.toshima.ne.jp]


[369] ルイセンコ事件余話 投稿者:難波紘二 投稿日:2000/12/10(Sun) 22:47:30 [konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]
ルイセンコ事件の余波
政治的な話をするとひんしゅくを買うかも知れませんが、歴史を正確に把握しておくことことに若い人たちにとって大切なので、しばらくお目こぼし願いたい。戦後の日本には、昭和26(1956)年に「労働者の国」ハンガリーで労働者の暴動が起き、「反ソ連」の労働者政府が樹立されるというとんでもない事件が起こるまで、日本には共産党以外の反体制派が実質的に存在しなかった。
先日述べた「ルイセンコ論争」は1947年から始まっていて、それは共産党の指導下にあった「民主主義科学者協会(民科)」に参加している研究者とそれ以外の学者との論争として進行した。この論争が終わったとき、生物学者のなかで学者生命を維持できた「ルイセンコ派」は自己批判をまじめにした矢杉龍一だけだった、ということは前回に書きました。
実は、この論争に生物学者ではないが、「ルイセンコ派」として非常に積極的にかかわり、むしろ民科全体を指導していて、論争が惨敗に終わったあとは、民科から脱退し、巧みに生き延びた人物がいます。
それが井尻正二という「第四紀学」を専門とする地質学者です。日本地質学会の大ボスです。武谷三男が物理学会における共産党のスポークスマンなら、井尻は地学会のそれに相当する役割を果たしていました。
今日、「国民の歴史」、「国民の道徳」といえば、共産党を1988年に脱党した東大の藤岡信勝らがやっている国民運動だと、誰でも知っていますが、昭和20年代の後半には、共産党が「国民の科学」運動をやっていたのです。だから藤岡は、そのまねをしているにすぎない。
井尻は「地学団体研究会」(地団研)という大学の研究者、教師、岩石愛好家からなる集団を組織し、科学運動を展開します。共産党の組織作りは、いうまでもなくトップ・ダウンで、民科は1946年1月に本部が組織されます。地団研は、1977年2月に組織されたといいますから、科学運動の老舗です。地団研は民科のなかで一大勢力となり、大きな発言権をもったのです。それで地学者の彼がルイセンコ論争に発言力を確保できたのです。
ところが論争は惨めな失敗に終わり、生物学者たちは「共産主義思想」にそっぽを向いてしまい、民科の他の分野の人たちからも、批判がおき、孤立してしまいます。特に1950年代後半ににソ連核実験が「原水爆禁止」運動の対象となると、ソ連よりの科学者はまったく大衆的基盤をうしないます。ハンガリー事件の影響も無視できません。
日本にはじめて共産党以外の理論的な反体制派が誕生したのは、この事件をきっかけとしてで、それが後に「新左翼」となります。
それはともかく、地団研はこういう状況をみてとると、1957年に民科から脱退し、独自路線を歩みます。すでに有名無実と化していた民科は、これで消滅します。実はその前の1956年に彼は「第四紀学会」を創設していて、自分の生きる場はちゃんと用意していました。
さて脱退した井尻がそれから力を注いだのは、独自の「科学運動」でした。この総括は、1966年発行の、地団研(編)「科学運動」(築地書館)に詳しく書かれています。
野尻湖でナウマン象を発掘し、旧石器遺跡を求めたのは、彼の指導下の学生たちです。彼らは青春をそれにかけガリ版刷りの「野尻湖新聞」を発行したといいます。もちろん岩宿遺跡の相沢忠洋氏とも連携があります。「学問のない民間人が、旧石器を発見し、保守的な大学人からなる学会は、それを認めようとしなかった」という話は、事実ではありますが、一種の反体制の「神話」となった理由は、井尻指導下の地団研がそれにからんだからです。
当時の共産党の影響下にあった科学者団体がすべてそうであったように、地団研でも学者の良否は、「思想の良否」で判断された。分野が違っても「思想的によい学者」の意見は傾聴に値するとされた。だから、「科学運動」末尾の参考文献には、物理の武谷三男の「原子力」(武谷は日本での原子力発電の主唱者)、石母田正の「歴史と民族の発見」などというおよそ地学とは無縁の本が沢山引用してある。
当時の築地書館は、地団研関係者の専属出版社のようなおもむきがあり、沢山の本を出していますが、「科学者運動」の広告には、芹沢長介「石器時代の日本」というのも見えています。だから明治大学を杉原荘介と対立して東北大に去った芹沢が、井尻のお眼鏡にかなう人物であったことは間違いないでしょう。
さて、1970年代に、芹沢は仙台で「石器文化研究会」を組織します。岡村道雄が指導的役割を果たしたという説もあるが、芹沢が承認したことは間違いない。
この会の組織論を見ると、「学者と学生と民間人の同居」という組織形態が、むかし井尻正一がとった方法とそっくりなんですね。
これは「教育」には、有効でも「研究」には無効です。やればやるほど学問の水準は劣化する。NGOの認可を県から受けて、研究所もでき、「科学者運動」としては、それなりに成功したと思いますが、学者にとって何よりも重要な「学問の質」が無惨なほど低下していた。
私は、「ルイセンコ論争」の敗北を認めようとせず、自己批判もしなかった井尻正一の亡霊が、今度の事件のもう一つの背景としてあると思います。
参考文献: 地学団体研究会(編)、小林英夫(責任編集):科学運動.
築地書館、1966

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ソフィー > 《1970年代に、芹沢は仙台で「石器文化研究会」を組織》したという事実はありません。石器文化談話会の設立に指導的な役割をした人たちの一人が岡村氏であることは事実です。《芹沢が承認したことは間違いない》という言い方は、歪曲表現ですね。 (2000/12/14(Thu) 13:32:56)[]

難波紘二 > ソフィーこと金沢医大の平口哲夫氏は東北大学考古学教室の出身で、岡村道雄の3級先輩でしたね。もう少し事実関係を詳しく語られたら。 (2000/12/14(Thu) 16:25:54)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

ソフィー > お好きですね。そうゆうことを並べ立てるのが。難波さんは、どこのご出身ですか。それはともかく、このような場で何をどの程度発言するかは、私の判断にまかせてください。 (2000/12/14(Thu) 22:16:40)[]

難波紘二 > 私は科学大学言論責任学部の出身です。 (2000/12/15(Fri) 00:46:15)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]


[370] 雑誌の論調 投稿者:難波紘二 投稿日:2000/12/11(Mon) 20:39:07 [konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]
雑誌の論調 事件も一段落したので、そろそろ事件に対する論評が出始めましたね。
以下はその一部の要旨です。ご参考までにアップします。
「文芸春秋」1月号、林寛人(ジャーナリスト):
1959年の「三ケ日原人」騒ぎのときは「原人の骨」が石灰岩採石場から発見された。あの時も石器は出てきたが、石器だけで「原人存在の証拠」などとは誰も言わなかった。
「三ケ日原人」の場合は、化石の年代測定で、後に今から2万年以後のものと確定し、それも人骨でなく獣骨だと疑う学者が多いが、東大人類学の鈴木尚、地学の高井冬二教授らは、「10万年前の地層から発見されたから」10万年前の人類だといい、その後も口をつぐんでいる。
旧石器は考古学教室でもつくることができる。だから「発掘による再調査」など無駄なことで藤村が旧石器そのものを捏造したかどうかを調べるべきである。掘っても人骨はでないので、「原人がいた」ことは永遠に証明されない。
同じく鈴木尚教授が発見した「牛川人」(腕の骨のみ)は、その後ヒトではなく、たぶんナウマン象の腓骨だというのが、考古学者や人類学者の常識になっているが、彼らは「高校の教科書がどうなっているかなど何の問題にもしていない。ヒトの骨とされていたものが、獣骨だったという重要な事実さえ黙ったままだ。」
旧石器の発見などいまや何の意味もない。今後しっかりした人骨の発見がなければ、ニュースとして騒いではいけない。まず最初に文化庁が藤森氏の発掘確認のために補助金を出すなどという、無駄遣いをやめさせるべきだ。
「週刊文春」12/14日号、立花隆:
石器発見の名人といわれた藤村新一の石器捏造事件のショックは大きい。書店に行って石器と石器時代考古学に関する本を30冊ばかりまとめて買ってきた。読めば読むほど、この事件のもたらす深刻さがわかる。書き直しを迫られているのは、教科書だけではない。これらの本の多くが多かれ少なかれ書き直しを迫られているといってよい。
なかでも問題なのは、岡村道雄「縄文の生活誌」だろう。講談社がカネタイコで売り出したばかりの「日本の歴史」の2冊目で、まだ書店の店頭に平積みされているところにこの事件にぶつかった。
何が問題かというと、この本の第1章が、全面的に藤村のデッチ上げ石器発見に依拠し、藤村の「業績のすごさ」を賛美する内容になっているからだ。今となっては、噴飯ものとしかいいようがない内容である。講談社はこの本を、事件についての著者の見解文と編集部の見解文をはさむことで、まだ販売をつづけているが、見解文には誠意も説得性もない。誤りだらけになってしまったこの本の内容についての反省、訂正がまるでない。
著者の岡村氏は藤村の先輩で、文化庁の担当官という立場から藤村を支援しつづけ、藤村をここまで増長させた張本人の一人なのに、その点の反省も感じられない。講談社は、こんな本は一刻も早く回収して、著者に書き直しを求めるべきだろう。
「世界」1月号、小田静夫:
なぜ不確かな遺跡、遺物の存在が、論争もせずに学界や一般市民、教科書にまでその存在を定着させてしまったのか。まずマスコミの「最古」、「最古」と発見時のみの「過剰報道」が批判されたが、今回のマスコミ界からのスクープがなければ、ヒトの進化過程に反し、世界でもっとも優れた知能を有するアジア最古の「原人」が、日本列島に生活していたという夢物語が、「教科書」で語られていたのである。
では、「前期旧石器」が、市民権を得た背景は何であったろうか。その一つに1995年から文化庁主導で行われている「新発見考古速報展」を挙げることができよう。この展示会はその年に発見され話題になった出土品を、東京国立博物館を出発地に全国の公共博物館などで巡回展示するものである。さらに、展示品は毎年、有名グラフ誌、図録本で紹介され普及していった。日本の埋蔵文化財保護行政の最高機関が実施した考古展の出品資料が、一般の信頼性を高め、さらに権威づけたことは否めない事実。
残念ながら、「正論」、「現代」、「諸君」などの総合月刊誌は、まだ東広島市には入荷していません。
しかし岩波の「世界」が小田さんに執筆させるのだから、後は押してしるべしの論調になるでしょう。岩波だけは、藤村をかばうと思っていましたがね。彼らも飯を食わなければいけないからね。
それにしても見る人は、「A級戦犯」は誰かとちゃんと見抜いていますね。「掲示板」の河川敷での草野球的な考古学ファンとは大違いだ。

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うささぎ > 「草野球的な考古学ファン」と十把ひとからげにされてしまったようですが、この掲示板への投稿者の多くも「今回の事件に関して最大の責任を負うべき人」が誰であるかは気付いていると思いますよ。そうお思いになりませんか?>案内人さま。 (2000/12/11(Mon) 21:17:24)[global-user.toshima.ne.jp]

早傘 > 難波さん。「現代」の11月号にどんな記事が載ったか、「現代」の出版社がどこか、その辺をお考えいただければ、最新号の記事の方向性も推察可能と思いますよ。 (2000/12/11(Mon) 22:28:42)[b142214.ppp.asahi-net.or.jp]

案内人 > 本人も重々、承知しているはずでしょうが、それが具体的な行動に表れないところに不思議さを感じています。まさか、私は関係ないとはいかないと思うのですが。 (2000/12/11(Mon) 22:40:37)[c1-215.actv.ne.jp]

難波紘二 > 早傘さん、「現代」が講談社から出ているのを忘れていましたよ。韜晦しないで読んでいるのならアップしたら。 (2000/12/11(Mon) 23:06:09)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

早傘 > 失礼いたしました。11月号の「私には50万年前の地家が見える」の取材記という体裁で、読者に、藤村氏の自白通り、出来心で2件だけ捏造したとの印象を与える内容です。 (2000/12/11(Mon) 23:16:22)[b142214.ppp.asahi-net.or.jp]

早傘 > 地家 => 地形 (2000/12/11(Mon) 23:17:25)[b142214.ppp.asahi-net.or.jp]

難波紘二 > 中央公論1月号の芹沢長介の論文を読みました。疑惑は自分も感じていたし、99年の10月にはホテルで佐川に不審点を指摘した。 (2000/12/12(Tue) 13:37:05)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 岡村道雄は旧石器時代研究史の歪曲者であり、ねつ造者だという主旨で書かれており、関係者は至急一読すべきでしょうね。 (2000/12/12(Tue) 13:38:52)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 「諸君」(文芸春秋)、「論座」(朝日新聞)、「正論」(産経)には関連記事なし。「現代」は未着です。 (2000/12/12(Tue) 13:44:08)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > 中央公論は、昨夜の猛吹雪をついて書店で購入しました。以下、前半はわたし流の要旨、後半は感想です。/中国人研究者が上高森の埋納石器に「鉄分」が付着しているから「表採石器」ではないかという書簡をよせた。そうしたこともあり自分も疑問に思っていた。旧石器研究史を眺めると自分の「前期旧石器」は十分検討されていない。仙台まで見に来る人がいなくて残念だ。石器の研究が不十分だったというが、日本の石器実測図は世界一で、緻密な観察を積み重ねている。「遺跡の捏造」だけでなく「研究史」の捏造も問題だ。岡村道雄は前期・中期旧石器の発見は散座乱木だというが、別の遺跡で藤村氏が発見したのが最初だ。/「水に落ちた犬は叩け」というが、いち早く岡村叩きの陣営に参加し、しかも「研究史の捏造」という微妙にポイントをずらしたところが心憎い。/前半をすなおに読むなら、いくつかのサインがあったにもかかわらず、「確実な出土状況」という前提を越えられなかった、というところか。/また、「世界一の実測図」を支える精緻な観察も捏造を見抜けなかったという点で、むしろ悲しいものがある。 (2000/12/12(Tue) 18:13:44)[]

トラ > 意図的かどうかわからないか、これまたポイントをずらしている。 (2000/12/12(Tue) 18:20:19)[]

早傘 > [363] で「正論」に関連記事有りとしたのは勘違い。「諸君」の方でした(だって著者が...)/関連記事というのが“歴史」と「科学」の相克”(西尾幹二)です(リード文が「考古学万能主義にノーと言い続ける私に、旧石器発掘事件と結び付けての横槍とは片腹痛い」)。内容は、「国民の歴史」に目を通した方なら想像できるとおりのものです/光っているのが岡村道雄『縄文の生活誌』中の復元物語への次のような批判。/ 「これが余りにも思慮を欠いた、科学に名を借りた現代人のつくりばなし、神話の贋造になることになぜ気がつかないのだろう」 /それはそのとおりなんだけど、西尾さんが書ける立場かな。これを読んだ佐々木藤雄さんが卒倒する様が目に浮かびます。 (2000/12/12(Tue) 21:18:24)[b142065.ppp.asahi-net.or.jp]

うささぎ > 例のキーリィ報告の注釈5の末尾、竹岡俊樹氏が論文発表ののち<宮城の考古学グループの人たちから出土石器を見せてもらえなくなった、という記述に続いて次のようなくだりがあります。【この文脈においてもまた注目に値するのは、このグループの連中も酒の席では「芹沢の(発見・発掘した)前期旧石器遺跡は早水台を除いてどれ一つ認められない」と言い放っていたにもかかわらず、誰もそおうした批判を論文として公表しようとはしなかったことである。1990年に文化庁に移るまでは岡村もその一人だったが、この年に彼は日本の旧石器時代に関する著書を刊行し、その中で「芹沢の<チャート式石器文化(?)>説がなぜダメであるかについての議論を延々と繰り広げている。】 ちなみにその岡村氏の著書は『日本旧石器時代史』(考古学選書33、雄山閣)です。トラさんは『中央公論』における芹沢氏の態度を「いち早く岡村叩きの陣営に参加し・・・」と論評されていましたが、このキーリィ教授の記述を考慮に入れると、芹沢氏と岡村氏の角逐は、少なくとも10年にわたって続いてきた可能性が高いように思われてなりません。そして座散乱木や馬場壇の発掘の陣頭指揮をとっていたのが岡村氏であるのを考えると?事件発覚後すぐに案内人さんが、「2遺跡以外は大丈夫と信じたい」という能天気で無責任な発言をした関係者との対比において「芹沢先生の偉いところは・・・」と評された「藤村氏の関連した全遺跡を再検証すべきだ」という発言も、別の角度からの解釈も成り立つように思えてきました。裏話に属する事柄なので表沙汰にしにくいだろうなとは推察しますが、この種の話が雑誌の記事や掲示板に全然出てきていないのもちょっと不思議ですね。 (2000/12/13(Wed) 00:23:48)[global-user.toshima.ne.jp]

難波紘二 > 「うささぎ」さんの意見に同感です。芹沢とキーリィが対立していたのは事実ですが、岡村と芹沢も対立していたのです。 (2000/12/13(Wed) 08:30:55)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

案内人 > 芹沢先生と岡村さんは、親密な師弟関係にあるとばっかり思っていました。うささぎさんのように考えると、今回の芹沢先生の痛烈な発言も納得がいきます。 (2000/12/13(Wed) 08:40:28)[c1-215.actv.ne.jp]

難波紘二 > 芹沢は岡村を「裏切り者」と考えているはずです。 (2000/12/13(Wed) 11:18:19)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > なるほど、考え違いをしていました。芹沢先生には失礼な言い方になりました。 (2000/12/13(Wed) 12:10:00)[] うささぎ> 補足ですが、キーリィ氏が芹沢氏の一連の発掘成果を、次の引用(注釈2)が示す通り全面否定しているのと対照的に、おそらく教科書問題が視野に入っていないためかとも思うのですが、岡村氏に対しての批判は注釈にも見られず、むしろ前に紹介した岡村著『日本旧石器時代史』が(芹沢氏の研究に対する批判を共有する学説として)参考文献に挙げられています。 【1960年代および70年代、芹沢長介教授の一連の発見をめぐって日本の前・中期旧石器時代に関する論争が起こった。大半を占める北関東(東京の北)の遺跡と西日本の北九州にある早水台遺跡である。私に言える限りにおいて、芹沢の一連の発見物を承認した者は日本の考古学界の主流には誰一人いない。(中略) 今日でもなお議論の的になっているのは早水台出土の石器だけであり、これらに関しては人間の手になる人工遺物と認める考古学者たちもいれば、自然に形成された偽石器にすぎないと論じる学者たちもおり、自分は後者に属している。】 (2000/12/13(Wed) 17:56:40)[global-user.toshima.ne.jp]

早傘 > 埋没してしまったので正確な書名ではありませんが、明大公開講座の記録集「発見と考古学」?を読むと、岡村さんはかなりストレートな表現をしていますよ。「僕は石コロで修士論文を書いた唯一の人間」という調子 (2000/12/13(Wed) 23:33:30)[d238021.ppp.asahi-net.or.jp]

早傘 > その岡村さんの講座でも触れられているのが、大正時代に縄文土器の層位編年の基礎を確立した松本彦七郎/松本は、昭和に入る頃から石器モドキを集め始め、仙台周辺が人類発祥の地という風なことを言い始めたと伝えられる/松本は東北大を追われた後、科博に入り、紀要に「石器」の論文を数編執筆したという(未見)/因縁話めくが、松本が88年の生涯を閉じた1975年、石器文化談話会が宮城県に誕生した (2000/12/14(Thu) 00:03:01)[d238085.ppp.asahi-net.or.jp]

朝田寛 > 岡村氏と芹沢氏の対立点がどこにあるのか,どなたかご説明願えないでしょうか。岡村氏は山田上ノ台,座散乱木以降の発見について,旧石器時代の証拠とする立場であるはず。この点についての対立なのでしょうか。それともそれとは別のことなのでしょうか。 (2000/12/14(Thu) 05:46:36)[kwgc035n033.ppp.infoweb.ne.jp]

早傘> 芹沢研究室が1960〜70年代に調査した、北関東の星野、岩宿D地点などの「珪岩製旧石器」を前期旧石器とするか(芹沢)、石ころとするか(岡村)の違いです (2000/12/14(Thu) 07:13:38)[d238022.ppp.asahi-net.or.jp]

早傘 > チャート=珪岩 (2000/12/14(Thu) 07:15:53)[d238022.ppp.asahi-net.or.jp]

朝田寛 > 早傘様ありがとうございます。そうすると1986年の論文でキーリィ氏が批判し98年に竹岡氏が批判したものと,「the members of the group」が批判していたものとは対象が異なるということですね。  山田上ノ台,座散乱木を始めとする一連の発掘を主導し擁護して来たグループと芹沢氏との間には距離があったということと中央公論の記事を考え併せると,岡村氏,鎌田氏,梶原氏等と芹沢氏とでは,座散乱木等の遺跡に対するスタンスが異なるのではないかと考えられます。   そうするとキーリィ論文の注5も少し考え直さなければなりません。  注5の第1段は,座散乱木等の発掘について,芹沢氏が主導的な立場にあるかのような印象をあたえるものですが,キーリィ氏が芹沢氏に無視されるようになったのは,86年の論文とは無関係に,キーリィ氏に嫌われる理由があったのではないでしょうか。 (2000/12/14(Thu) 18:43:10)[kwgc035n016.ppp.infoweb.ne.jp]

名は明かせない > 芹沢氏にうとまれて岡村氏が東北大を去ったというのは、比較的よく知られた話。なぜ疎まれたかについては風評が多く不明。 (2000/12/15(Fri) 09:35:28)[firewall.ctktv.ne.jp]

ソフィー > 東北大文学部の助手というのは、疎まれなくても、3年程度でやめていったん外に出ることになっています。運がよければ講師以上で戻ってこれますけど。 (2000/12/15(Fri) 18:59:50)[]

うささぎ > 基本的事実としては、別に東北大に限らずソフィーさんのおっしゃる通りだと思います。私の前任者は5年も助手をやっていて「後がつかえた」ため、後任の私は生来の気の弱さもあって、いろいろ言われないうちにと思い、2年で母校を去りました。 (2000/12/16(Sat) 02:38:31)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > 本題からはだうぶ外れますが、国立大学でも理科系学部の場合はおそらく全く事情が違うはずです。考古学(とくに弥生以前?)のように自然科学的分析・測定と密接な関係にある学問が文学部に置かれていて、学部間の履修の敷居があるためにキーリィ教授が指摘していた通り、考古専攻学生が人類学や地質学などを勉強しにくい体制になっていること自体にもしかしたら問題があるのかも知れないと思い始めています。しかし歴史考古学はどう考えても歴史学の一部もしくはその最近隣学問ですから、考古学全体を理学部や総合系学部に移してしまうのにも無理がありそうです。部外者の感想で申し訳ないのですが、考古学の位置付けって本当に難しいですね。 (2000/12/16(Sat) 11:08:18)[global-user.toshima.ne.jp]

岡安光彦 > そうした問題とは別に、「不和」があったという話を、明治大学以来のの (2000/12/18(Mon) 01:17:25)[rt.ctktv.ne.jp]

岡安光彦 > 弟子から聞いています。まあ、このさいだから、へんなきれいごとはやめときましょう。 (2000/12/18(Mon) 01:19:31)[rt.ctktv.ne.jp]

ash > 芹沢氏と岡村氏との間に確執があろうとなかろうと、芹沢氏が岡村氏同様、藤村氏をバックアップしてきた事実は隠しようがありません。(例えば、 http://www.saitama-np.co.jp/main/tokusyu/ogasaka/hakken.htm や『日本考古学を見直す』など) (2000/12/18(Mon) 02:09:34)[tkscc-01p12.ppp.odn.ad.jp]

うささぎ > 芹沢先生の信奉者の方々にはショックかも知れませんがashさんが挙げられた記念講演集『日本考古学を見直す』(学生社2000年4月)に採録の芹沢「岩宿から上高森」はこう締めくくられています。「藤村さんが日本国中を歩いたら、旧石器の遺跡は今の何十倍にも増えるのではないかと思います(笑い)」 芹沢さんが笑いながら話したのか、すでに懐疑を抱いていた人を含む聴衆に笑いの渦が起こったのかははっきりしません。ただ芹沢氏は上高森出土の石器について「形や加工法もほとんど縄文時代中期の石斧とちがわず、60万年前のものとは当初は信じられなかった」という主旨のことを述べておられますから、「鑑定眼」自体が衰えていたとは考えにくいと受け止めています。 (2000/12/18(Mon) 03:58:32)[global-user.toshima.ne.jp]


[371] 裸踊りの真相? 投稿者:岡安 光彦 投稿日:2000/12/12(Tue) 00:19:50 [rt.ctktv.ne.jp]
少し元気になったので、たわいも無い話を一つ。先日、東北の友人としばらくぶりに親しく話をして、例の裸踊りの話になったら、友人が言っていました。
それが、ひょうたん穴の話なら、某氏が「あんなところから旧石器が出たら裸踊りをして見せる」、といっていたところ、本当に出てしまったので、その段になっただけとのこと。ちなみに某氏は、裸踊りの「名人」という話でした。
真偽のほどは定かでありません。

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うささぎ > 話題をそらすレスは反則でしょうが、面識すらないにもかかわらず、一連のネットでの議論を拝受していて、各種の掲示板に登場する考古学者の中で、アリストテレスの理想的人間の2分類に従えば、北條芳隆先生が「思索的人生」、岡安さんが「行動的人生」と対照的でありながら、お二人を「学会の良心」の擬人像のように見なして心強く思ってきただけに、言いたい放題の野次馬の口撃のダメージから少しでも回復されたことを我がことのように喜んでいます。過大の負担を背負い込まぬ範囲内で結構ですから、今後も考古学ファンたちと学会関係者のと仲介者(通訳?)という割の悪い役を引き受けていただけたら、これほど嬉しいことはありません。 (2000/12/12(Tue) 01:01:06)[global-user.toshima.ne.jp]

bambi > これから、考古学者をめざす女性の為にお聞きしますが、裸踊りって、考古学者の宴会につきものなのですか? (2000/12/12(Tue) 09:34:27)[cse4-30.nishinomiya.mbn.or.jp]

トラ > ん〜少なくともわたしは、やったことも見たこともないですがね。この業界は野蛮なインテリが多いから…都立大学の某Y先生のように持ち芸になっている方もいるようです。 (2000/12/12(Tue) 12:38:22)[]

岡安 光彦 > つくづく「思索的人生」を送りたい。 (2000/12/12(Tue) 22:42:27)[firewall.ctktv.ne.jp]

北條芳隆 > 本当に知りたいと思う部分が確認できない現時点では、身の回りの「実感」にもとづく書き込みしかできないがために「思索的」な書き込みになってしまっただけのような気がします。そして、私とてやはり「業界人」の一人でしかなかった、と、本当のところは自己嫌悪を覚えています。 (2000/12/12(Tue) 23:51:57)[tokushima-092.seikyou.ne.jp]

うささぎ > 北條先生が「最後まで思索の世界を踏み出さずにルターを落胆させたエラスムス」の轍を踏まず、いよいよ具体的な行動に移られるのかと、感動しつつ読ませていただいた「喫茶室」の投稿をなぜご自分ですぐ削除されてしまったのか、どうしても理解できずにおります。言い過ぎがあったとのご反省の結果なのでしょうが画期的な「決意表明」として期待しただけに残念でもあります。部外者だけでなく、とくに考古学界内部の方々に是非読んでいただきたかった。 (2000/12/13(Wed) 00:50:58)[global-user.toshima.ne.jp]

bambi > 難波先生が訳して下さった[296]キーリィ氏の批判に、Keally氏が、藤村氏以外の人も裸踊りをしているビデオを持っていると書いてあります。どうしてそんなビデオをKeally氏が持っているのかも、ちょっと不思議ですが… 氏も宴会に参加されていたのかな? (2000/12/14(Thu) 01:30:54)[cse6-6.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > 北條先生に、少しでも現実社会に来ていただく為に… 先日の[345]]日本の考古学(2)で、難波先生は、東アジア考古学会の演題の抄訳を見て、(日本の考古学は)ほぼ半世紀送れていると同情されていましたが、英語による参考文献で北條先生と平口先生のお名前を見つけました。と、言うことは先生は東アジア考古学会の会員でいらっしゃるのですか? 難波先生のご意見に対してのコメントはありませんか?丁度、先生のご専門がkeyhole shaped tombs なんですね… (2000/12/14(Thu) 03:29:45)[cse4-41.nishinomiya.mbn.or.jp]

うささぎ > 北條先生、お気を悪くされたのでしたら謝罪します。本当のことを言えば、私はエラスムスは「哲学者」というより「非常なインテリでアジテーショ能力にも長けた元祖<ジャーナリスト>と捉えています。穏やかな言葉で扇動だけしておいて自分は高みの見物に終始したわけですからルターから絶交されたのも当然だとは思いつつ、大学の先生の大半と同様、自分を分析しても、レベルはまるで違うとはいえエラスムスの末裔であることは疑問の余地がありません。そうしたこと全部を考慮した上で、やはり私は人間的なユーモアに満ちたエラスムスの方が真面目一徹のルターより好きです。ちなみにアリストテレスのvita contemplativaとvita activaについて再解釈を施したのもエラスムスでした。 (2000/12/15(Fri) 00:34:29)[global-user.toshima.ne.jp]

北條芳隆 > 恐縮です。今週の土・日が当方の主催する学会なものですから、その準備に追われ、書き込む時間的・精神的余裕がないのです。福島県立博物館の研究会や、今月の日本考古学協会委員会の動向をみて、また書き込みたいと思います。 (2000/12/15(Fri) 00:44:05)[tokushima-128.seikyou.ne.jp]

うささぎ > 「徳島に行って元気になろう」という岡安さんの提案に共鳴する者ですが、「徳島におられる先生」が元気を回復されることも心から願っております。 (2000/12/15(Fri) 01:02:32)[global-user.toshima.ne.jp]


[372] お知らせ 投稿者:はじめ 投稿日:2000/12/12(Tue) 08:10:11 [in00.net.pref.aomori.jp]
わたしのホームページの掲示板に下記のお知らせがありました。多くの人の目に触れるよう、こちらに書き込みさせていただきます。
「来る12・23ー24日の両日、会津若松市城東町1ー25福島県立博物館で、第14回「東北日本の旧石器文化を語る会」が開催されます。いうまでもないことですが、今回は例のゴッドハンド捏造事件の後始末で、「前中期旧石器」の検証が「遺跡」「石器」の2方面から行われ、パネル討論が開かれる予定です。
詳細は県立博物館の藤原妃敏(0242ー28ー6000)にお問い合わせ下さい。多数の来会をお待ちしています。」

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大学生 > 「東北日本の旧石器文化を語る会」の詳しい情報は、八ヶ岳舊石器通信http://www.avis.ne.jp/~tsutsumi/ と みやぎ文化財発掘出土情報http://www.miyagi-ann.org/index.htm にあります。 (2000/12/12(Tue) 16:43:15)[sendai-ppp-210-253-121-81.interq.or.jp]

大学生 > すみません。 ×八ヶ岳舊石器通信―>○八ヶ岳旧石器通信 の誤りです。^_^; (2000/12/12(Tue) 16:44:37)[sendai-ppp-210-253-121-81.interq.or.jp]

bambi > 河北新報社の記事http://jyoho.kahoku.co.jp/news/2000/12/20001202j%5F02.htm 鎌田氏「われわれの研究成果を一方的に全否定する意見もあるが、対等に討論できる機会はうれしい」とコメントあり。 (2000/12/12(Tue) 18:11:42)[cse7-30.nishinomiya.mbn.or.jp]


[373] トラ退治 投稿者:難波紘二 投稿日:2000/12/12(Tue) 18:50:15 [konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]
「ルイセンコ事件余話」への反響はまったくないようですね。
井尻正一が共産党のなかの反主流派になり、民科とも訣別せざるをえなかった事情など過ぎ去った昔の政治的事情など、インターネットを使う若い人達には、どうでもよいことなのでしょう。
しかし今回の事件は、「ルイセンコ事件」と同じような構造であり、それは学問のあり方の問題だけでなく、どうやら考古学・化石学・地質学のある種の人脈とからんでいるのではないか、という指摘が外から行われた、という事実だけは記憶の片隅に留めておいて下さい。
さて「トラ退治」の反論に移ります。

1. 初めに「トラ」の難波論文批判は、以下の2点にある。
 1.難波論文が、前提として確認した2点のうちの、第2項「(河北新報の石器)新聞写真は、片面加工された石器であり、従ってこれは「縄文石器」ではありえないこと」という言明に対する異議申し立て。これが崩れると、私の立論全体が崩れると、「トラ」は考えているようである。
 2.私が「縄文の生活誌」における三点接合の写真(以下講談社写真という)の解析に基づき、「三点は一つの打撃点により同時分離したもの」と主張したことに対する異議申し立て。
これについては「大学生」も「石核Aから、スクレイパー(B)と小剥片(C)が一体となった破片が分離され、後にBからCが分離した」と主張している。
すなわち二人とも「三点同時分離ではなく、2回にわたり分離した」と主張している。この論点は、直接的には石器が偽造かどうかという議論とはかかわりなく、難波論文が原石を割った打撃点と指摘した「大きさ7mm、深さ1mm」のクレーター状の窪みが、正しいかどうか、という議論と関係している。
これが打撃点であり、石が割れたとすると、この窪みを形成した材質が問題となり、それが原人に入手可能であったかどうか、という疑問が成立し、間接的に「石器ねつ造」疑惑の重要な証拠になる可能性がある、というにすぎない。
以上の「トラ」反論の要約が、間違っていないとして、以下に考察を進める。

2. 批判への反論 反論1:時代概念と文化概念
もともと「縄文」とか「弥生」というのは、文化概念である。ところが日本の考古学は「土器編年法」に熱中するあまり、それを時代概念にまで拡張してしまった。時代概念とはいうまでもなく絶対時間の概念である。スケールを西暦にとろうが、BPにとろうが、ともかく地球上のある絶対的な時間軸に占める位置をあらわす概念である。
いうまでもないが、文化の持続期間と絶対時間との間には、直接的な対応はない。特に地球的規模や日本列島全体というような地理的広がりがある場合には、そうである。
例えばニューギニアの奥地にはたったこの前まで、新石器を作製している民族があった。しかしそれは新石器文化が現代にも残っていたということであって、現代を新石器時代とはいわない。「縄文石器」とは縄文文化にもとづく石器という意味であり、それは明らかに「新石器」という意味で使われている。縄文時代に旧石器文化が持続していて、そこで旧石器文化にもとづく石器の製作が行われていても、ちっともおかしくない。
もともと文化には、生物種に基づく文化と個体差に基づく文化とがあり、後者のみが人間社会では種内伝達可能である。原人には原人固有の文化があり、それは旧人には伝達不可能なものである。つまり原人文化と旧人文化の間、旧人文化と新人文化の間には、「共感不可能」な深淵が横たわっているのだ。そのことはヨーロッパの旧石器に詳しい竹岡氏が、説明しているし、世界の考古学者の常識である。
片面加工の石器が出現し、それが縄文文化の代表ではありえないような粗雑なつくりである以上、(石器が確率論的に出現する以上)それは「非縄文文化」に属すると解釈するのが当然なのである。
仮に「トラ」のいうように「縄文文化に属する」と解釈すれば、それは縄文人がつくったということであり、そのような石器が二つの遺跡で10万年前の地層から出土し、三点が接合するなどということが、まったく説明できなくなる。「トラ」の理屈は、「木を見て森を見ない」ものである。
反論2:原石の割れ方と打撃点
これに関しては、「大学生」がその後彼のHPにアップした「文化庁編・発掘された日本列島99」(以下、文化庁写真と略称)に掲載されたカラー写真(三点接合石器の、分離および接合写真計二枚)と河北新報97/12掲載のスクレイパーBの裏面写真および剥離小片Cの写真(以下河北写真という)ならびにスケッチを、さらに画像解析して、講談社写真と比較検討した。
講談社写真と河北写真は、137Kと小さく、画質はわるく、解析には限界があるが、難波論文とおなじようにPhotoDeluxe
300dpiで読み込み、カラーおよび白黒の原寸大写真を印刷した。またカラー写真はソフトフォーカスであるため、一旦白黒画像に変換し、ついで明度はそのままでコントラストのみを60%増強し、講談社写真と同じような諧調に仕上げ、両者の比較をおこなった。最終の画像サイズは20MBである。
さらにスクレイパーと小剥片の裏面を示す唯一の写真である河北写真を原寸大に拡大し、はさみで切り抜いて、裏返し、講談社写真および文化庁写真との接合状況を調べた。
以下その結果を述べる。
切り抜いたスクレイパーは手の小さい私の掌にすっぽり収まり、非常に小さいものである。(私の手は、家内のそれよりも小さい)また私が加圧点と指摘した部分が、掌の一番奥に来るように出来ている。その場合「トラ」と「大学生」が「加圧点」と指摘している部分が石器の尖った先になり、ものを掘ったり、突いたりするには便利である。従ってこれが正しい握り方であろう。
文化庁写真と講談社写真は同一写真ではない。これは照明光線による影の生じ具合および三点分離写真における小剥片の傾き具合に違いが見られること(これは安定の悪い小片と思われる)などから断定できる。
ついで問題の「打撃点」を両者の間で比較したところ、次のような重要な所見が認められた。
文化庁写真では問題の箇所が潰れたようになっていて、講談社写真にあるはっきりした傷が表面に認められない。これが原本からのスキャナー読み込みや、画像圧縮にともなう人工産物なのか、それとも元の写真に加工がしてあるのか、あるいは石器自体が何らかの変化を保存中に受けたものかは、現時点では断定できない。元の解像度のよい写真で比較したり、あるいは石器自体の直接観察が必要である。
拡大した画像で観察される石器断面は、自然表面に比べ、不自然な光沢をもっており、明らかに風化の度合いが表面とは異なっている。これは実体顕微鏡で観察すればすぐに決着がつく問題である。恐らく倍率20倍で十分であろう。仮に「使用痕」があっても、それが現在のものか、10万年前のものかは、簡単に判明する。(実体顕微鏡はものの表面を観察する顕微鏡で、200倍くらいまで拡大できます。値段は100万円以下です)
「トラ」と「大学生」は、「リングがスクレイパーBと小剥片Cとの間で連続している」ので、これらは一度に分離したものと主張しているが、上記のように小剥片Cは非常に安定性が悪く、その前面をほぼ現しているのは、講談社写真のみであり、「トラ」が解析したスケッチでは画像の80%はスクレイパーBとの接合面を現している。従って「リングが連続している」というのは、間違った画像解釈である。
以上により、「トラ」と「大学生」から提出された二つの論点は、いずれも難波論文の読み違いであるか、画像解釈の誤りであることが証明された。よって反論を終わる。

3. さらなる疑惑
難波論文以後、「大学生」によって三点接合石器の発見状況の一部が、明らかにされた。
それによると
97/10:袖原スクレイパー発見(第4次調査中、発見者=地元調査員、藤村との関係不明)
97/11: 中島山小剥片発見(藤村が断面採取)
98/11:中島山石核発見(出土、出土位置=断面から1.5mの距離、発見者=藤村)
となっていて、藤村関与の疑惑はさらに濃厚である。
藤村はこの頃まだ会社勤めをしていたから、恐らく自由になる時間は11月しかなかったのであろう。それにしても全部同じ季節の発見とはきわめて不自然である。これは東北の農閑期と関係しているのであろうか?
藤村が捏造した疑惑はいっそう強まりこそすれ、ぜんぜん軽減されていないというべきであろう。また尾花沢市が12月7日、「袖原」の年表からの削除を決めたのも、この遺跡が「真っ黒」という認識をもっているからであろう。
「大学生」は「遺跡間石器接合の事例は、後期旧石器では日本でもいくつかある」と難波論文に対する書き込みに述べているが、自分たちに不利な情報を、意図的に隠蔽するという気はないと思うので、ぜひその情報を詳しく、このネット上に明らかにして欲しい。 本来、このような論争は「匿名」ではなく実名で行われるのがフェアであると思うが、「トラ」が完全に退治されて、本人のメンツ丸つぶれという事態が生じても気の毒なので、あえて覆面の人物の相手を行った。

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難波紘二 > 反論1の第三パラグラフ中の「縄文時代」を「縄文文化が主体である時代」に訂正します。 (2000/12/12(Tue) 18:57:26)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 東アジア考古学会のHP http://www.EastAsianArchaeology.org/special/pekingmanandfire.htm に「北京原人は火を使ったか?」という論文が載っています。サイエンス 283:299,1999に火の使用を否定した結果が発表されたことに中国系の学者が反論している。 (2000/12/12(Tue) 20:09:02)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 1930年に周口店洞窟第10層で「灰」が発見されたから、「火の使用」説が唱えられた。しかし「灰」の残りサンプルを分析したら有機物の炭化物がなく、火ではなく自然着色と判明した。だから「火の使用」は証明されていない。 (2000/12/12(Tue) 20:12:26)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > それなのに「北京原人が火を使用した可能性は否定できない」と、この中国系学者は主張している。考古学者は、科学の論理が通用しない別の世界の住人であるらしい。 (2000/12/12(Tue) 20:14:22)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トンビ > 毎日の記事http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/iseki/200012/07-01.htmlを読むと、いかに非論理的な人たちが学問をやっていたのか、あらためてビックリします。極めつけは (2000/12/13(Wed) 10:34:17)[canal.wslab.ntt.co.jp]

トンビ > この期に及んで、「層位は型式に優先する」と言っている梶原氏と、「古い地層から(石器が)出る以上、そういう技術があったのだろうと推定している」といっている柳田俊雄氏。捏造が問題になっていることが分かってない!!! (2000/12/13(Wed) 10:37:19)[canal.wslab.ntt.co.jp]

うささぎ > お二方がわが国の考古学者全体を一括して糾弾しているかのようにも受け取れる発言をされていることに異議を申し立てたく存じます。どこにも優秀な人、人格者もいれば無能な人や倫理性・自己批判能力に欠ける人もいる。どの学界でも事情はそれほど違わないのではないでしょうか。もっとも「問題のある人に限って権力ある地位に就いている」といったことが万一あるとすれば事態は本当に深刻ですが・・・。 (2000/12/13(Wed) 23:56:17)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > 誤解がないよう補足しますがトンビさんが呆れておられるK氏、Y氏の認識の甘さには自分も唖然としており、その点については同感です。 (2000/12/14(Thu) 00:14:53)[global-user.toshima.ne.jp]

トンビ > 全体を糾弾した覚えはないです。人が言ってもいないことに対して異議を申し立てないで欲しいですね。梶原氏、柳田氏の言っているレベルは、プロ野球だったら戦力外通告を受けるようなレベルだと思いますよ。彼らがプロとして認められつづけるならば、別に権力ある地位に就いたりしなくても、それだけで十分事態は深刻だと考えますけどね。私は、一億総懺悔を批判したように、全部がだめだったという総括にも反対です。だめな人はだめであり、だめでない人もいた。というだめだった人に対して最も厳しい意見を持っています。 (2000/12/14(Thu) 00:54:57)[canal.wslab.ntt.co.jp]

うささぎ > トンビさん、失礼しました。謝ります。論調は厳しいが、貴方のおっしゃることに賛成です。 (2000/12/14(Thu) 09:32:33)[global-user.toshima.ne.jp]

トンビ > おわかりいただけて幸いです。偽石器を見抜く目より、もっと大事なのが、偽学者を見抜く目だ、というのが私の総括になるのかなあ。 (2000/12/14(Thu) 10:25:24)[canal.wslab.ntt.co.jp]

うささぎ > mata (2000/12/14(Thu) 10:32:26)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > また叱られてしまうのを承知で言いますが、私自身の体験に照らしても、1時間のインタビューが僅か2分になってしまうのがテレビ、4〜5行になってしまうのが新聞・雑誌ですから、ある人物のコメントが載っていても、それがどういう文脈の中でどういうニュアンスで語られたかまでは伝わらないのがしばしばでして、結局は記者やディレクターが「もともと言わせたかったこと」だけが強調されるのが通例です。今回の件でますます臆病になった私は昨日NHKに電話してインタビューの約束をキャンセルしました(もちろん考古学でなく自分の専門分野についてのものですが)。そのあたりの事情を多少なりとも斟酌していただきたくて前のレスを書いたのが真相です。 (2000/12/14(Thu) 10:39:20)[global-user.toshima.ne.jp]

難波紘二 > 「うささぎ」さん、私の発言はおっしゃるように「考古学者を一括して糾弾」しているように受け取られかねない語調であることは承知しています。だからそのように受け取られないように、「心ある」考古学者の奮起と反批判を期待したいのです。 (2000/12/14(Thu) 12:28:23)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トンビ > うささぎさんの発言のご趣旨は、大変に良くわかりましたし、私も肝に銘じたいくらいです。 (2000/12/14(Thu) 16:51:47)[canal.wslab.ntt.co.jp]

うささぎ > 上の私の発言は本音ですが、報道関係者の皆さんに対する配慮をいささか欠いていました。takさん、NAOさん、bambiさん(漠然とした予想ですが)、ご機嫌を損ねられたならばごめんなさい。 (2000/12/17(Sun) 17:39:09)[global-user.toshima.ne.jp]

bambi > どのような根拠で、うささぎさんが、私をマスコミ関係者と誤解なさったかは、不明ですが、私は報道機関とは全く無縁の一般人です。私が報道関係者としたら、ここまで度々、ネットで発言するのはおかしいとお思いになりませんか? (2000/12/18(Mon) 04:45:53)[cse8-6.nishinomiya.mbn.or.jp]

難波紘二 > NAOは報道関係者です。報道関係者は一般に質問して、聴くという態度が普通の取材態度であり、自説の主張を通すことはしません。 (2000/12/18(Mon) 11:13:58)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

うささぎ > bambiさん、本当に失礼しました。以前に「東アジア考古学協会」についてもっと紹介してもらえないかと頼まれた際につれない返事をしたのもbambiさんをジャーナリストと誤解していたためでもあります。重ね重ねお詫びします。20年以上前ですがある「事件」に関連してうっかり取材に応じて意見を言ったら、一方的内容の週刊誌記事に実名で載りそうになり、「ある若手研究者」に変えてもらうのに四苦八苦したことがあり、それ以来「マスコミ恐怖症」にとりつかれています。 (2000/12/18(Mon) 14:27:44)[global-user.toshima.ne.jp]


[374] ほんの場つなぎですが 投稿者:トラ 投稿日:2000/12/12(Tue) 21:34:00 [cs51437.ppp.infoweb.ne.jp]
 難波先生、匿名の人物の相手をしていただいて、感謝しています。(皮肉じゃありませんよ)感謝の気持ちを表すため、現在反論を用意中です。
 しかし、それをアップするまでのほんの場つなぎに、以下の書き込みを用意しました。
 この掲示板で名前を出すのは、やや気がひけるのですが、文科系の有名な捏造事件として「東日流外三郡誌」事件があります。「神の手」事件後、何か参考になるかと思い、この「東日流外三郡誌」が偽書であることを完膚なきまでに証明した『東日流外三郡誌「偽書」の証明』を読み返してみました。
 この事件にかかわった元昭和薬科大学の原田実氏は、この本に納められた『偽書「竹内文献」との共通性』で、怪しい資料を前にした際にすべき手続きとして、三つのポイントをあげています。
 要約しますと(a)確実な史料と疑わしい史料とが矛盾なく関連付けられるか。(b)史料の発見者の筆跡と史料の筆跡との比較(C)発見の経緯などに過去の偽造事件との類似点はないか。 これを今回の事件にあてはめると(a)日本および周辺地域の確実な資料との比較(b)藤村氏が所有しているであろう考古遺物のコレクションのチェック(c)過去の捏造事件との比較、ということになるでしょうか。
 今後、おこなわれるであろう検証作業では、(a)については確実に行われるでしょうが、(b)はどうでしょうか。(c)も見落とされる可能性がありましたが、幸いなことに、すでに難波先生によっておこなわれています。
 もうひとつ原田氏の指摘で興味深いのは、「ビリティスの詩」事件です。「ビリティスの詩」事件とは、19世紀の中葉、ドイツの考古学者ハイムが、前6世紀のフェニキアの地下墳墓で、碑文に残された詩篇を発見し、閨秀詩人ビリティスの歌として発表したことに始まります。たちまちドイツ語からフランス語に重訳され、西欧の学会や文壇に大きな波紋を広げました。さらに古代ギリシャの詩人ピロデウムスの詩にビリティスの詩からの盗用が発見され、高名な古典学者のなかには、ビリティスに関する記述のある文献を見たことがあるというものまで現れました。
 しかし、後になってこれは、「仏訳者」ルイスのまったくの「捏造」であることがわかりました。フェニキアの墳墓も考古学者も発掘もすべて彼の「捏造」でした。当時の考古学者も古典学者もみなだまされたわけですが、その原因を原田氏は、こう指摘します。「この時期、世界各地で考古学的発見が相次ぎ、文献学者までが考古学熱に浮かされていたような数丁があげられる。」「しかし、もう一つの重要な要因は、偽作者ルイスがまったく悪びれることなく、学会や文壇に対して自己主張を続けていたということにある。」
 わたしはもうひとつ、これは考古学者だけでなく、一般に「専門家」がいかに「前提」に弱いか。逆にいうと「前提」にとらわれると「専門家」は、それが「捏造」であっても、あらゆる知識を総動員して「解釈」し、「価値」を見出そうとする、ということだと思います。それは能力ある研究者であればあっるほど、見事にやってのける。
 ほんの場つなぎに、少し難波先生を気取ってみました。
参考文献 安本美典編 1994 『東日流外三郡誌「偽書」の証明』 

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トラ > 訂正:数丁→風潮 (2000/12/12(Tue) 21:35:48)[cs51437.ppp.infoweb.ne.jp]
NAO > ピエール・ルイスの「ビリティスの歌」は今も残る名作ですよ。そういうストーリーがあるとしても…… (2000/12/13(Wed) 00:47:48)[]

うささぎ> ルイスの委嘱でドビュッシーが作曲した「ビリティスの歌」(パントマイムと詩の朗読のための音楽、全12曲、1900-01年)は彼の最高傑作の一つではないかと思っています。考古学からは少し離れるかもしれませんが、いにしえの伝承文学の偽書としてはマクファーソンやチャタートンなど18世紀後半以降、類例がいろいろありますね。 (2000/12/13(Wed) 00:58:21)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > 本題に戻れば、私は難波先生と同じく藤村氏発見の自称「旧石器遺跡」は座散乱木以後まず全部ダメだろうとの心証を抱いていますが、トラさんの挙げられた(b)は、何故これまで議題に挙がってこなかったのかが不思議なくらい重要な指摘だと思います。憶測でものを言うと強烈な反発を買いそうですが、私はもし伝えられているように「最近の藤村氏がものすごいプレッシャーに苦しんでいた」というのが事実なら、それは、ここまで過熱するとは予想せず、いかにも古そうに思われる石器から順に埋めていった結果、最近では誰が見ても縄文のものに見えるようなものしか持ち合わせが無くなってきて、これでは早晩発覚してしまうのではないか、という恐怖感が原因だったのではないかという気がしてなりません。文学部の教師とはいえ考古学と同様心理学にもまるで詳しくない素人の憶測にしか過ぎませんので、捏造者の犯罪心理について ―失礼ながら考古学よりはこちらの方に造詣が深そうな― 難波先生のご意見を受け賜る事ができれば幸甚です。 (2000/12/13(Wed) 01:20:15)[global-user.toshima.ne.jp]

難波紘二 > 「良心の呵責」という問題ですね。藤村がそれで悩んでいたのなら、全てを語るはずだし、逃げ隠れしないはずだと思います。すでに彼の一生は終わっている。 (2000/12/13(Wed) 08:22:31)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

うささぎ > いや「良心の呵責」ではなく発覚するのは時間の問題だという予感に基づく、しかし「それがいつか?」は予期できないという、譬えは悪いが逃亡者や死刑囚の怯えに近い恐怖感ではないか、と言いたかったのですが・・・。 (2000/12/13(Wed) 10:11:18)[global-user.toshima.ne.jp]

難波紘二 > そうですね。それは本人に聞いてみないとわからない。彼が精神病院に隠れていることはまず間違いないと思います。誰がその手配をしたかがわからない。 (2000/12/13(Wed) 11:14:40)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 病床数100以上の私立の精神病院は、宮城県には10位しかない。そのうち院長が東北大学出身のものは5つですね。ここが一番隠れやすいでしょう。 (2000/12/14(Thu) 17:20:46)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 藤村の出身地は宮城の県北だそうです。つまり北上川より北。これらの条件を満足する精神病院はたった二つしかありません。 (2000/12/14(Thu) 19:20:22)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

bambi > 私が、[361]で藤村氏の所在確認の質問をしたのには、2つの意味合いがありました。その1つは、これだけのプレッシャーの中で、万が一、自殺なんて追い込まれたら、家族のためにも、又、真相究明の為にも、不幸だと思ったからです。もし、藤村氏が病院に入院されているのなら、軽はずみな行動も起こされずに精神的に安定したら、いずれ、真実を語ってくれるのではないかと、いう希望がもてます。決して、難波先生のように、入院先を特定する事を希望していたわけではありません。先生の推理が当たっているかどうかは別にして、先生のご発言によって、該当の病院に電話などでのいやがらせが、殺到しないかとの心配をしてしまいます。 (2000/12/15(Fri) 11:05:19)[cse5-2.nishinomiya.mbn.or.jp]

トラ > 灘波先生。「ネット後進国人」として教えて頂きたいんですが、先生は議論する相手(わたしのような匿名の人物は論外でしょうが)や話題に登場する人物についてお調べになり、それをネット上で公言されますが、それは「ネット上での議論」というかコミュニケーションに必要だとお考えですか。別に非難する意図ではありません。[357]の「提案」に関連する質問だとご理解ください。 (2000/12/15(Fri) 11:18:08)[]

難波紘二 > 匿名の人物は基本的に「卑劣」と見なすのが私の信条です。調査はほかにも必ずします。特にこれは「他流試合」ですから、甘えは許されません。私が必要と認めたら、調査情報は私の責任で公開します。 (2000/12/15(Fri) 15:26:34)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > それに私の名前は「灘波」ではありません。灘は酒どころ、「なんば」は南の盛り場です。 (2000/12/15(Fri) 15:37:22)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > bambiさんへ、「地下に潜行」した人は昔にもいたのですよ。何も藤村が初めてじゃない。これは一種の逃亡なのです。自殺するはずがない。貴方みたいに甘い人がいるから、藤村が助かっているのです。その協力者もね。 (2000/12/15(Fri) 15:45:33)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > たいへん失礼しました。申し訳ありません。 (2000/12/15(Fri) 15:46:59)[]

トラ > わたしの質問の主旨は、匿名の相手や「実名」かどうかそのままでは確認できないネット上では、そのような調査が必要であり、当然のことだ、とお考えなのですか。ということなんです。「後進国」人にはそのへんがよくわからないので、一種異様に感じていた時期もあったものですから。 (2000/12/15(Fri) 16:05:35)[]

トラ > 議論する場合、相手が何者であるかという情報が重要で、そうした情報が欠けていると、ときに致命傷となることがある、ということはわたしにも推測できます。通常のコミュニケーションでも同様だということでしょうか。 (2000/12/15(Fri) 16:12:00)[]

難波紘二 > トラさんは、顔をあわせて行うコミュニケーションでは、そういうことはありません。反応を(表情や語調の)見れば、嘘かホントかはわかりますから。それと自分の立場をわきまえて大抵の人は論理を組み立てて話します。ネットは特殊だと思いますよ。 (2000/12/15(Fri) 16:43:33)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > 特殊なコミュニケーションには「特殊」な方法が必要だということですね。 (2000/12/15(Fri) 17:09:37)[]

難波紘二 > 私の情報は全部公開してある。だから相手が対等な態度にでないなら、こっちで対等にするだけです。 (2000/12/15(Fri) 17:22:58)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

bambi > 藤村氏は、絶対に自殺するはずがないという、難波先生の精神医学的所見からおっしゃっているのでしょうが、人間、発作的にどうにかなってしまうことがあるのではないかと経験的に思います。こんなのと同列に扱うのはおかしいと言われるかもしれませんが、長銀とかそごうのトップから2番目の人がボロボロ自殺をしていくのを見ていると、もし藤村氏が発作的にどうにかなってしまうと、やはり自業自得と思うより、そこまでしなくても…と思うと思います。甘いと言われようが、私は、今回の件で、藤村氏は十分に罰せられていると思いますので、これ以上、精神的に追い込むのは、かわいそうと思っています。無駄な再調査コストを省く為に、出来れば、真実を語って欲しいけれど、他は大丈夫と言われても、そのまま信じられない。他も偽造しましたと言って初めて相手を信じられると言う、あらかじめ自分の中で答えを持ってしまっています。へんな感じです。(これは以前、どなたかも言っていらっしゃいましたね。かぶってすみません。) (2000/12/16(Sat) 07:24:35)[cse8-2.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > さとうさんが設定した新しい掲示板を見るたびに、カウンターが恐ろしい勢いであがって行っています。当然、このサイトは、新しい掲示板以上に、多くの無言の傍聴人がいると考えられます。難波先生は、インターネットの威力を過小評価されているようですが、もし、不心得者が先生の推理を真に受けて、その2つの病院にいやがらせ電話をかけ続けたらどうされます?そんな事は、なってから考えたらいい…でしょうか?そんな事は、私のせいではない。悪いとしたら、いつまでも逃げ回っている藤村氏とその援助者だとおっしゃるのでしょうか? (2000/12/16(Sat) 07:29:27)[cse8-2.nishinomiya.mbn.or.jp]

難波紘二 > いや、むしろ私はインターネットを過大評価しています。自殺防止はプロの医者が絡んでいれば大丈夫です。勝手にホテルで死ぬ奴と一緒にするな。 (2000/12/16(Sat) 12:51:12)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

bambi > 難波先生は、(2000/12/15(Fri) 15:45:33)の書込みにおいて、「これは一種の逃亡なのです。(藤村氏は=私注)自殺するはずがない。」と、書かれています。私は、難波先生のお考えでは、「インターネットはたいした影響力が無いので、藤村氏の入院先に対する自分の推理を公表しても、差し支えないだろう。万一、自分の意見で、病院に迷惑がかかって、結果として、藤村氏が退院させられても、藤村氏の性格では自殺もしないだろう。」との、お考えで、先生の入院先に対する推理を、述べられたのかと思っていましたが、(2000/12/16(Sat) 12:51:12)の書込みから、「インターネットの影響力は大きいので、自分の推理をネットに流して、結果的に、病院に迷惑がかかり、それで藤村氏が医者の庇護からはずれて、自殺しても自分としてはかまわない。」と、思っていらっしゃるように、理解しました。 (2000/12/17(Sun) 13:59:25)[cse7-13.nishinomiya.mbn.or.jp]

MT > 他の所では多少ものを言ってきましたが、この場では初めて投稿いたします。十年越しのうつ病持ちとして、毎年襲ってくる自殺願望と個人的に戦っている者として投稿いたします。難波さま始め皆さま方、どうか安易に「自殺」と言わないでください。ここでの皆さまの議論は、ただ、唯一の証言者である藤村氏の身柄確保、精神の安定を取り戻し、できるだけ早く、真実を語ってほしいということにつきていたのではございませんか。犯罪者は死ね、という雰囲気に横流れしては行きませんでしょうか。(柄谷行人の『倫理21』にその話題がありましたね)もちろん、藤村氏には取っていただくべき責任があります。しかし、それは「この世で」ということです。藤村氏がめざした栄誉も(空虚ではあれ)、科学者である皆様方のめざす真実も、共に究極「精神の平安」に至る道筋なのではございませんか。どうぞご一考ください。どうか、冷静を欠いた投稿ですので削除いただいても結構です。また、必要があり、意味があると思って使う「匿名」ですので、卑劣と感じる方は回答ご無用に願います。 (2000/12/17(Sun) 21:15:20)[hmmt1ds89.szo.mesh.ad.jp]

難波紘二 > bambiさんのように「藤村氏は十分に罰せられている」とは、私は思いません。東北の考古学関係者は、どうですか? (2000/12/17(Sun) 21:30:37)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 本物の鬱病がこんな書き込みをするか。ニセ患者め。 (2000/12/17(Sun) 21:38:32)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

MT > 難波さま。ご回答有難うございます。一貫した対応に敬服いたします。病理学がご専門と拝見いたしました。生きているものの「痛み」に関する想像力に乏しいかと存じます。単なる悪罵か、難波さま独特の文体による考察の書き込みか判断がつきかねます。ここで伺いますが、私がニセ患者だとして、上記の投稿もニセだと判断されますか。 (2000/12/17(Sun) 22:03:31)[hmmt1ds89.szo.mesh.ad.jp]

MT > 先ほどの投稿から約1時間、本を読んだり、他のページを見て頭を冷やしておりました。難波さま、閲覧されている皆さま、見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません。「他の所」での投稿とは「考古学通信」での12月6日23時16分と15日3時35分の二つのことです。専門分野はそこの記述のとおりです(自己申告によれば)。匿名でいる理由については、どのような相手に何を言っているかでご判断いただくしかございません。また、虚偽のうつ病とのご指摘については、次のように自己申告します。・・・平成元年ころ発症、2年春、森田療法で有名になりました大原健士郎氏の診察を受け、約1年通院と投薬(トフラニール、のちにドグマチール)の治療を受けました。その後は自己流の作業療法によってかなりコントロールできている、気分の落ち込む1月ころに佐藤製薬のパンセダン錠を数回服用する程度で回避できていると思っています。とは言え、医師の守秘義務もありますから、これの検証はむずかしいでしょうね。ほとんど、書いてみました、というだけになりましたことを重ねておわびいたします。こんなことにこだわっていただくのが私の真意ではございませんでした。「傍観者」にもどります。 (2000/12/17(Sun) 23:31:20)[hmmt2ds13.szo.mesh.ad.jp]

難波紘二 > だからあんたのは反応性の「鬱状態」で、鬱病じゃないの。 (2000/12/17(Sun) 23:46:13)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

MT > 難波さま、ご指摘有難うございます。一般的に「うつ病持ち」という言い方があると思い込み、確かめずに書きました。「反応性のうつ状態になることがあり」と訂正すればよろしいでしょうか。「だから黙れ」という話の運びが今ひとつ、わかりにくいですが。 (2000/12/18(Mon) 00:26:29)[hmmt1ds07.szo.mesh.ad.jp]

bambi > MTさんの罹病については、自主申告をどう判断するかについての医学的知識は持ち合わせておりません。ご指摘のように、「自●」と、不穏当な言葉をこのスレッドで最初に口にしたのは私です。子供達も見ている掲示板において、配慮が足らなかったと反省しています。以後は、この掲示板においては出来るだけ、そのような言葉を使わないように、努力しようと思っておりますが、今の、会話の流れではどうしても、そちらのほうに、話が向いてしまうかもしれません。いずれにせよ、一連の書込みはMTさんの精神状態にとって、マイナスになりこそすれ、決してプラスにはならないのではないでしょうか?「傍観者」に戻られて、いつ襲ってくるかわからない発作に不安がられているより、もう、この掲示板を見ないと言う選択のほうが、よほどご自身の精神安定に寄与するのではないかと思っております。このねつ造事件の、推移は、以後の新聞報道から、おおよそつかめると思いますので、あえて精神のバランスを失いかねないこの掲示板の購読は、出来るだけ速やかにお控えになられる事をおすすめいたします。 (2000/12/18(Mon) 07:15:53)[cse4-15.nishinomiya.mbn.or.jp]

MT > bambiさま、ご助言有難うございます。掲示板の閲覧を控えるように、とのご指導でありますが、折角の皆さま方の議論を見ず、考古学(科学)がどういう方向にむかうのか分からずにいる方がマイナスなのではと思いました。(これは自分の専門=民俗学からの関心です)また「いつ襲ってくるかわからない発作に不安が」ってはおりません。ほぼ定期的に「気分の落ち込み」は到来しますが、それはもう慣れ親しんだもので、自己観察の対象です。民俗学も考古学も、人間の作った制度ですから寿命が尽き、滅亡したとてそれだけのことと思っています。ただ、そうした変動に伴って罪無き人々が蒙る苦しみは耐えがたい。これは、あらゆる変動(革命)に当てはまる「痛み」なのではと思います。ただそれへの関心だけでこの掲示板始めいくつかを閲覧させていただいております。最後に、案内人さま、私の投稿が議論を拡散させましたことをおわびいたします。また、議論の場を維持されたご努力に感謝いたします。閲覧・投稿されている皆さま方には、移転先でも大いに議論して、ちょうどよいくらいの未来につながっていく種をはぐくまれますことを願ってやみません。 (2000/12/19(Tue) 01:11:46)[hmmt1ds06.szo.mesh.ad.jp]

bambi > もうすでに、今朝のニュースでご存知でしょうが、藤村氏が事件後初の共同通信の取材に応じたようです。河北新報のhttp://www.kahoku.co.jp/NEWS/2000/12/20001219J_01.htm とhttp://www.kahoku.co.jp/NEWS/2000/12/20001219J_02.htm 。事件後、「宮城県内の寺院や知人宅に身を寄せていた。」そうです。難波先生の推理が当たらず、病院にも迷惑がかからなくて良かったです。願わくは、逗留先のお寺や知人宅を特定しようなんてしないで下さいね。 (2000/12/19(Tue) 11:11:48)[cse6-24.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > MT様の、ご事情がよくわかりました。悲しいかな職業病とも思える、自身の探究心を優先されるお気持ちを了解いたしました。新しい掲示板も、どうぞ、精神的にご負担にならない程度にご覧になって、又、ご参加いただけたら嬉しいです。 (2000/12/20(Wed) 09:48:26)[cse7-37.nishinomiya.mbn.or.jp]


[375] トラは退治されているか 投稿者:トラ 投稿日:2000/12/13(Wed) 07:45:18 [cs51128.ppp.infoweb.ne.jp] 
難波先生の反論に対し、以下のとおり再反論いたします。
1.「時代概念と文化概念」
「時代概念と文化概念」については、「世界の考古学者」の常識も含め、ありがたく拝聴させていただきました。
 ところで、わたしの問題提起をおぼえてらっしゃいますか。石器が不定形であるということが、「縄文でない」ということの根拠になるのかどうかということでしたね。
 「縄文石器」については、どうも前回のわたしの説明が悪くてよくおわかりいただけなかったようですが、縄文の石器(文化)とは、定形的な石器(石鏃やつまみ付きナイフなど)と難波先生いうところの「非縄文的な」不定形の石器が複合したものなのだ、ということなんです。わたしが言いたかったのは。
 縄文時代でも旧石器時代でもいいんですが、原石を打ち欠いて石器を作りますよね。定形的な石器もつくりますが、その過程で、不定形の破片ができます。縄文人は、不定形の破片をただ捨てるのではなく、簡単な剥離を加えて石器として使いました。こうした石器は、もとの素材の形がまちまちですから、できた石器の形もまちまちです。当然ですね。
 おなじ絶対的な時間に生きる同じヒトが、定形的な石器もつくり、不定形の石器もつくり、そして同じように使っていたのです。だから、そのふたつを合せて一つの文化だということなんですよ。
 先生は、同じ時代に同じ文化によってつくられた石器のなかから、旧い(と思われる)要素をもつ石器を抜き出して、これは縄文ではない、という。
 でも、定形的な石器が新しくて、不定形の石器が旧い時代のものだというのは、無知蒙昧な旧石器人は、不定形の石器をつくり、賢い縄文人は、定形的な石器をつくるという前提があるからじゃないでしょうか。それは進化論的な先入観です。以前わたしが指摘した「つよい先入観」とはこのことなんです。
 それから、『仮に「トラ」が言うように』以下の部分は、どういう意味でしょうか。
 だいぶやり取りが長くなってきたのでお忘れのようですが、そもそも、わたしが主張したのは、『この石器は、原人にはつくれなかったかもしれないが、ホモ・サピエンスには製作可能であるから、同じホモ・サピエンスである縄文人と藤村氏のつくったものかは区別できない。したがって「藤村石器偽造疑惑」の決め手にはならない』というものです。
 なんども繰り返していることですが、わたしは「捏造」がなかったとは言っていないし、難波先生の「中島山・袖原3捏造疑惑」を否定もしていません。
 お忘れのようですが、[346]のレスでもこれとまったく同じ問いかけに「なぜ旧石器の地層から縄文時代の石器が出るかといえば、それは藤村と言う名の現代人が埋めたからでしょう。」とお答えしていますよ。
 そもそも難波先生は「捏造」を証明しようとしていると理解していますが、10万年前の地層から10万年前の石器が出たら当たり前で、捏造じゃありませんよ。ご自分で何を言っているのかわかってらしゃるんでしょうか。 2.原石の割れ方と打撃点
 先生は、まず、写真を実物大の大きさに調整してから切りぬいて、持ち方を確かめてらっしゃる。これはけっこうです。
 それから、写真が不鮮明で、実物にあたって確認する必要があるとおっしゃる。「写真で判断できる」と主張されたのは、先生ですが、これも同意してかまいません。わたしは、福島県博には行けませんが、この掲示板をごらんのどなたかが、実際に石器を見て確認していただければけっこうです。剥離面が新しくて縄文時代以前に割ったものとは思えないという所見がでるなら仕方ないでしょう。それは、前回のわたしの主張とは別問題です。
 わたしは考古学の人間ですから、実物にあたって図などから得た情報が違うとわかれば、いくらでも受け入れます。
 それから、この「模式図」は、スクレイパーBと剥片Cがきちんとくっついているものを、少し離して「このとおり別々のものです」と示しているものです。難波先生は、おそらく剥片Cを90度回転させてスクレイパーBとの離断面を見せているとお考えだろうと推察いたしますが、それはあいかわらず「重大な錯誤」です。
 最後に匿名の人物の失礼な物言い、無礼の段、平にご容赦くださいませ。

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難波紘二 > トラさん、大体意見は主な点で一致したので、これ以上の議論は終わりにしましょう。後は他の人が判断するでしょう。それよりも12/20以後の対策を考えましょう。 (2000/12/13(Wed) 08:15:10)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

案内人 > 難波先生へ、ご存じのとおり、12月20日以後は掲示板の書き込みは不可能になりますが、対策を検討中です。先生のご配慮に感謝いたします。 (2000/12/13(Wed) 08:35:08)[c1-215.actv.ne.jp]

トラ > 議論につきあっていただいて、ありがとうございました。 (2000/12/13(Wed) 08:41:09)[]

難波紘二 > いま話題のジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」(青土社)は、人類の歴史をその発祥から五大陸での文化の発展(今日に至る)までを総合的に論じた本で、ピュリッツアー賞(1998)受賞作です。日本の考古学者はぜひこの本を読むべきだと思います。 (2000/12/13(Wed) 14:06:01)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 人類史における自分たちの仕事の意味を、少しは考えてもらいたい。なおこの本(下巻P188)では、人類史における日本の貢献として「世界最古の土器」だけが挙げられています。 (2000/12/13(Wed) 14:09:18)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 今の日本考古学は「偏狭なナショナリズム」の温床であり、人類史にとっては有害だと思います。 (2000/12/13(Wed) 14:10:21)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 案内人さん、何とかこの「掲示板」を他の場所に移して12/20以後も会話の場を確保してほしいですね。 (2000/12/14(Thu) 12:34:29)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 病理学と考古学は歴史的にも縁があり、ネアンデルタール人化石を最初に評価した(間違っていたが)のは、ウィルヒョウですし、シュリーマンの発掘を援助したのもドイツ医学会の大重鎮だったウィルヒョウです。日本ではアショッフの弟子だった清野謙次がいます。 (2000/12/14(Thu) 12:41:16)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

岡安光彦 > 現役では、福島県会津若松市で病院を経営しておられる穴沢和光氏が、慶応の医学部を出た医学博士にして、古墳時代の環頭大刀についてたくさんの論文を書いている、ハイブリッドな研究者です。英文による日本考古学の紹介もしています。ただ、最近は病院経営のほうが大変で、考古学どころではないようです。遊びに来いと言われていますが、なかなか行けません。 (2000/12/14(Thu) 15:17:24)[ns.pasco.co.jp]

難波紘二 > 昭和15年に創設された穴沢病院ですね。病床数133では経営が苦しいと思いますよ。 (2000/12/14(Thu) 17:31:28)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

> 難波先生<お忙しい身とは思いますが、この件に関するホームページをご自分で開かれたらいかがでしょうか?掲示板だけだってアッという間に開けると思います。そうでないと一部の学者や論争好きのためだけの掲示板(私は知能の低い一般人)になってしまいます。それと、もうひとつ。個人病院の情報を、こういう目的のためにwebに流して良いものなんでしょうか?国立大学の医学博士を名乗って上や下のような情報を流すのは社会的な常識から言えば、とても理解できないです。 (2000/12/14(Thu) 21:25:10)[]

難波紘二 > そんなもの図書館の「全国病院年鑑」に全部公開されています。厚生省が発表しているのです。 (2000/12/14(Thu) 21:36:51)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > ひょっとして貴方が藤村をかくまっていたりして、 (2000/12/14(Thu) 21:45:47)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

岡安 光彦 > 訂正します。穴沢さんは、医者ではあるが、病理学者ではありません。なお、日本の医療機関の大方は経営が苦しく、当の穴沢さんも、二月に死んだ父も、お前は医者にならなくてよかったかもしれないと、いいました。 (2000/12/14(Thu) 22:12:16)[rt.ctktv.ne.jp]

トラ > でもねーネットの掲示板って「(一部の)学者や論争好き」と「知能の低い一般人」が一緒になってる「河川敷」がいちばん面白いんじゃないの。やっぱり難波先生みたいな波風たてるタイプがいないとけねえんじゃないかとおもうがね、オイラは。 (2000/12/14(Thu) 23:19:56)[cs51618.ppp.infoweb.ne.jp]

トラ > アレだぜ。ここの最初のレスだって、言いかたぁキツイけど、「人類史という視点をもって考古学をやれ」とか「西尾なんちゃらなんかの「偏狭なナショナリズム」に利用されかかってるってコトを判ってんのか」ってコトだろ。それはそれで至極もっともなこと言ってんだぜ。 (2000/12/14(Thu) 23:26:40)[cs51618.ppp.infoweb.ne.jp]

bambi > なんか、上2つの書込みは、いつものトラさんと雰囲気が違う…  (2000/12/15(Fri) 18:13:02)[cse4-4.nishinomiya.mbn.or.jp]

> トラさん<あなた何様のつもりですか?なぜこのような人をバカにしたような言葉遣いを持って、ふざけたレスを書き込むんですか?非常に不快です!どういう意図があるにせよ、最近の発言者のを見れば全く金太郎飴じゃないですか?社会常識から逸脱したコミュニケーションのあり方は、「論争」意味はありません。私は法に触れない社会的な犯罪だと考えます。難波さんもトラさんも「公務員」ですよね。社会であたりまえに言われている倫理規定はないんですか?←良識のある人は、社会一般の常識的な判断で書き込み(私の無念さ)を受け止めてください。私は他の人と同様に、考古学の掲示板は見ないようにします。 (2000/12/15(Fri) 20:36:10)[]

うささぎ > 投稿の時間帯から判断してトラさんが深酒して大トラさんに変身したときのものかな、と思ってたのですが。いづれにしても私もいつものトラさんの口調の方がずっと好きです。弱い「ウサギ」の一族ですからどっちみち怖くて遠くから眺めているのが精一杯ですけれどね。 (2000/12/15(Fri) 21:21:57)[global-user.toshima.ne.jp]

岡安光彦 > 匝さん、怒らないで。トラさんも、何だか変だった。皆んな、それぞれまじめにネットに自分を出して、ヒリヒリしてるんだよね。私もです。この間、完全に奇怪しくなっちゃったし。一回、深呼吸しませんか。まあ、お前が深呼吸しろって言われるくらい、私自信ずたずたたったんですが。お互い、もう少しクールになろうよ。 (2000/12/15(Fri) 21:31:56)[rt.ctktv.ne.jp]

トラ > 匝さん、わたしの軽率な言葉で傷つけてしまったようです。申し訳ないことをしました。よろしかったら「もう見ない」といわず匝さんの「無念さ」をお話願えませんか。事件以来考古学関係者は、さまざまな点で「無念さ」感じています。いまはそれぞれの胸のなかにある「無念さ」を言葉にして見つめ直す時だと思いますので。あらためて申し訳ありませんでした。bambiさん、岡安さんご助言ありがとうございました。(忘年会2連発で返事がおそくなりました) (2000/12/17(Sun) 09:12:56)[cs51221.ppp.infoweb.ne.jp]

bambi > 直接、会っての会話と違い、インターネット上の会話の特性として、発言者が特定でません。普通は、ハンドル名とISPっていうのですか、どこから発信したかと言う事で、おおよそ判断します。ただし、それとても、コンピューターに詳しい不心得者がいたら、簡単に発信地とかもごまかして当人になりすますことは出来るのではないかと思います。あとは、普段と話し方が違うとか、そういう微妙な差異で見分けることになります。今回のトラさんの発言口調が、普段とかなり違っていたので、一応、以前から書込みをされているトラさんか、確認したかったのです。今回は、トラさんが、うささぎさんのおっしゃるごとく、少々、お酒が過ぎて、ちょっとしたいたずら心から、普段と違う口調で別人格風に書いてみただけと、理解しました。見事に、ひっかかってしまいました。 (2000/12/17(Sun) 13:48:50)[cse7-13.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > ネットに参加していて、つくづく思うのは、ひとつの発言に対しての、感じ方は十人十様だということです。自分の思っていることを相手に、出来るだけ正確に伝えようとする努力も大切ですし、又、相手の思いを正確に理解しようとする努力も大切だと思います。特に、相手と自分の意見が大幅に違うと思える場合は、そこで、会話を中止するのでなく、是非、相手にさらに質問をして、自分が相手の意見を正確に理解しているかを確認することが、大切だと思います。又、周囲の人が、どのように理解しているのかも参考になると思います。そう言った努力をした上で、相手と意見を交換すべきと思います。 (2000/12/17(Sun) 16:53:09)[cse6-12.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > 匝さん、匝廣さんとおっしゃるのでしょうか?そうさんとお呼びするのでしょうか?失礼ですが、中国の方でしょうか?私は、出来ましたら、是非、このBBSに帰って来て、会話を続けていただきたく思います。 (2000/12/17(Sun) 16:53:51)[cse6-12.nishinomiya.mbn.or.jp]

匝廣[すなひろ] > 皆様の気持ちは伝わりました。ぴりぴりとした応酬の中で、専門家の先生には敬意を払い素人はバカにされているのかと誤解しました。昔、調査費の原因者負担をめぐって行政とやりあったことがあるもので、その時の感情がこみあげてきてしまいました。社交辞令は必要ないにしても、最低限の世間的な礼儀をわきまえて議論を進められることを切に願ってやみません。また、議論は議論として、ここ本来の姿に戻って欲しい。 (2000/12/17(Sun) 18:15:36)[]

トラ > 掲示板に戻ってきていただけたことを感謝いたします。また、あらためて非礼をお詫びさせていただきます。匝さんは以前調査費の原因者負担のことで、行政とやりとりがあったとのこと。発掘調査費の原因者負担制度については、実際に負担する側として、文化財の価値はある程度理解できるもののいざ、実際に調査費の負担となるとやはり難しい点がいろいろ出てくる、ということは理解しております。今後とも埋蔵文化財の保護についてご理解いただけるようお願いするとともに、こうした掲示板などでご提言いただければ幸いです。 (2000/12/17(Sun) 21:39:04)[cs51213.ppp.infoweb.ne.jp]

岡安光彦 > ああよかった。 (2000/12/17(Sun) 23:54:13)[firewall.ctktv.ne.jp]

bambi > 匝廣[すなひろ]さん、お答えいただきましてありがとうございました。又、私の勉強不足でお名前が読めなくて、中国の方なんて失礼なことを申し上げました。色々書きたいことはあるのですが、ご存知のように、この掲示板の閉鎖にともない、捏造事件の話題に関してはさとうけいすけさんのところの新しい掲示板に移ります。どうぞ、新しい掲示板にいらして、皆さんとの会話に参加してください。お待ちしています。新しい掲示板には、さとうさんのHP http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5368/ より、入れます。 (2000/12/20(Wed) 09:45:17)[cse7-37.nishinomiya.mbn.or.jp]


[376] ツタンカーメンのDNA分析 投稿者:bambi 投稿日:2000/12/14(Thu) 08:33:54 [cse7-2.nishinomiya.mbn.or.jp]
今回の藤村氏のねつ造事件の外国での報道事情を調べていたら英国放送BBCでは、11月5日付けで http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_1008000/1008051.stm と、報道されていました。内容は、そんな難波先生のようにさらっと訳せないのですみません。写真を見てもらったわかるように、多分、毎日新聞からの掲載。職業的プレッシャーに負けた、アマチュア考古学研究者が起こした事件という論調。
で、ついでに、カイロ発11/11付けの以下の記事をみつけました。 http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/middle_east/newsid_1018000/1018276.stm エジプトと、日本の考古学チームが、1969年にX線検査を受けて以来、ルクソールに安置されているツタンカーメン王の3300年前のミイラのDNA検査を12月に行うとエジプト考古学最高会議会長が発表。同じく、カイロ博物館に安置されているツタンカーメン王の祖父と考えられているアメンホテプ3世のミイラもDNA検査をして、両者の血縁関係を調べることにより、ツタンカーメン王の謎を解き明かそうという試み。日本の学者チームの名前が出ていなかったのですが、この上高森ねつ造事件が発覚した、比較的直後に、早稲田大学の吉村作治教授が、今回の事件に関して「こんな事件があったら、日本の考古学者が海外で信用されなくなる。」とかコメントされていたのを、朝日新聞で読んで、どうしてここで吉村先生?と、思った記憶がありますので、吉村先生がこのツタンカーメン王のDNA検査プロジェクトを進めていらして、このカイロでの発表の時に、藤村事件の感想を述べられたのかな?と、思いました。>早稲田の在京学生さん、情報ありませんか?
私の中では今回の上高森事件が気になって、ツタンカーメンのニュースを見逃していました。 それで、昨日たまたま、CNNを見ていたら、12/12 カイロ発AP電として http://www.cnn.com/2000/WORLD/meast/12/12/egypt.tut.ap/index.html DNA検査が無期限に延期されたとの事。エジプト側の責任者ははっきりと理由を言わなかったらしいですがDNA検査を行う日本の専門家チームが、治安状態についてOKしなかった? 確かに、DNA検査によって、ミイラが傷つくかもしれないしエジプトの歴史が大きく塗り替えられる可能性があるのですから、エジプトの考古学者間で大論争になっているらしい。 The tests were to have been conducted by a team from Japan's Waseda University and Cairo's Ein Shams University. 検査は早稲田大学とカイロのアイン・シャムズ大学によって行われる予定だった。>やった〜、吉村先生だ!
すみません、いい加減な英訳で。後は、よろしく。

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難波紘二 > DNA鑑定は世界の考古学ではどんどん使われています。ボルシェビキに惨殺されたロシア・ロマノフ王家の家族の遺体確認や歌手イブ・モンタンの庶子の確定、古代のアレキサンダー王家の墳墓の確定などに利用されています。 (2000/12/14(Thu) 12:24:03)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > 日本では宝来聡氏、尾本恵市氏らが日本人の起源に関する研究を進めています。 (2000/12/14(Thu) 21:22:58)[cs51329.ppp.infoweb.ne.jp]

名は明かせない > エジプト学の権威筋にあたる英国考古学者に聴いたところでは、吉村氏達は日本円で1000万円ほどをエジプト考古局に支払い、DNA採取の許可を得たとのこと。ところが採取にはマスコミの人間が大がかりに入った為、考古局が非常に怒った模様。以上は、英国人たちからの情報なので、確かな情報ではない。なお、英国考古学者は、札びらにものを言わせマスコミと癒着した一連の動きに、激しい嫌悪を抱いている。これは確かだ。 (2000/12/14(Thu) 22:01:35)[rt.ctktv.ne.jp]

難波紘二 > やれやれ、吉村も一緒か。 (2000/12/14(Thu) 23:56:56)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

さとうけいすけ > 捏造問題の海外報道のリンク、充実させました。http://usa3.viewstat.nedstatbasic.net/cgi-bin/viewstat?name=fujimura-fakeです。仕事が遅くて申し訳ないです。 (2000/12/15(Fri) 00:06:08)[dhcp092.bun.kyoto-u.ac.jp]

さとうけいすけ > あ、アドレス間違えました。http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/christ/sato.subfolder/fake-eng.htmです。(うぅ、削除キーの設定してなかったから、削除できない・・・) (2000/12/15(Fri) 00:07:44)[dhcp092.bun.kyoto-u.ac.jp]

bambi > トラさん、今年の後半以降だったと思いますが、北日本のどこかの県、茨城か群馬くらいで、縄文人のお墓から出た5−6体の骨をDNA鑑定して、血族鑑定をして、縄文人は、母系社会だったというのがわかったという新聞記事をネットで見た気がします。あやふやな記憶でご免なさい。 (2000/12/15(Fri) 11:11:53)[cse5-2.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > わたしは、http://www.cnn.com/2000/WORLD/meast/12/12/egypt.tut.ap/index.html において、DNA検査が中止されたのは、'the Japanese experts assigned to the work had not been granted the required security clearance.'の'the required security clearance'の意味がわからず、「DNA検査を行う日本の専門家チームが、治安状態についてOKしなかった?」と、とりあえず、?マークをつけて、訳してしまいました。DNA検査を外国の学者が行うことは、エジプト内でも大問題で、97年11月のルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿前の銃撃ような、イスラム過激派グループによるテロが心配で、それに対するエジプト当局の安全対策を日本の専門家が了解しなかったから、検査が中止になったと思っていました。<名は明かせない>さんのお話では、エジプト考古学局が、国内を刺激しないように、そっと検査を行おうと思ったのに、マスコミがぞろぞろついて来て、そっと出来なくなって、怒って中止させて、その理由として、とりあえず日本人専門家の技術面を理由にしたのですか…英語ってむずかしいですね。 (2000/12/15(Fri) 15:44:56)[cse4-33.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > 私は、テレビで見る吉村教授しか知りませんが、発掘資金捻出の為に、バラェティ番組に出演されたり、コマーシャルに出られたり、ご苦労されていると見ています。吉村先生が、1000万円もの大金を協力金としてエジプト考古局に支払える程、お金持ちとは思いませんので、当然、どこかのTV局とのタイアップ企画と思います。ただ、それが、考古局が思ってた以上の、取材をしようとしたので、トラブルになったのでは…マスコミと言っても、お遊びじゃなくて、純粋に学術的研究を報道してくれるなら、エジプト考古学にとっても決して悪いことじゃないと思うのですが。私は、イギリスの考古学者も、スポンサーさえ付けば、同じ事をやっていたのではないかと思うのですが、彼らの考え方は違うのかな…考古局との話し合いがすんだら、いずれ、吉村先生がやはり検査をされるのではないか…と思っています。 (2000/12/15(Fri) 17:45:33)[cse4-42.nishinomiya.mbn.or.jp]

岡安光彦 > エジプト考古学に関しては情報があります。 (2000/12/15(Fri) 21:57:11)[rt.ctktv.ne.jp]

岡安光彦 > 河岸を変えて議論しましょう。 (2000/12/15(Fri) 21:58:35)[firewall.ctktv.ne.jp]

bambi > 議論なんてとんでもない。事情がわからないので、興味本位ですが、教えていただければうれしいです。でも、ハンドル名でよろしいんでしょうか?折角の格調高い雰囲気を壊すようで、敷居が高いのです。 (2000/12/16(Sat) 07:17:28)[cse8-2.nishinomiya.mbn.or.jp]


[377] 歴史の自由度 投稿者:難波紘二 投稿日:2000/12/14(Thu) 14:34:50 [konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]
歴史の自由度 地球上の出来事はすべて連動している。それが「世界」というものである。
さて3万年以上前の日本列島における人類の生活がどのようなものであったか、ということはその当時の他の地域がどうであったかという情報と密接にからんでいる。科学とは疑いのない事実をまず確定することから始まる。
歴史叙述とは、疑いのない事実をまず確定し、ついでその事実の重み付けを行い、それに基づいて過去に生じた出来事を時系列に従って、総体として記述することである。
地球上のある歴史的時間帯における出来事に関する事実は、任意の4次元空間においてまず事実を確定することから始まる。それは丁度、碁盤の升目に最初の黒い石をおく作業に似ている。
疑いのない事実、という石がおかれた瞬間から、その世界の自由度は急速に減少しはじめる。数個の石がおかれた後には、残りの空間に描くことの出来る「仮説」は限られたものになってくる。従って碁というゲームの終盤では、もはや戦略的戦いはできず、数個の陣をあらそう局地戦しかありえないのである。
3万年以上前の日本を研究するに突いても同様で、約20万年前に現生人類がアフリカで誕生したこと、9万年前に彼らはアフリカを出て、ユーラシア大陸に拡散をはじめたこと、このため文化的に遅れたネアンデルタール人は、急速に絶滅したこと、それ以前の猿人、原人は(アフリカ以外では)すべて進化の袋小路にはまりこみ絶滅したこと、これらはすでに大筋で確認された事実である。
従って、日本に原人がいたかどうかは、仮にいたとしても、人類進化にはほとんど何の意味ももたない問題である。それは朝鮮半島に原人がいたかどうか、シベリアに原人がいたどうか、等という問題と同じことである。
「日本人」の起源にかかわることで、決定的に重要な事件は、紀元前4000年頃、台湾に起こっている。それは中国南部の農耕民が船を発明し、ここに移住をはじめたことである。
これによりオーストロネシア語を話す民族が台湾に移動し、後のフィリピン、マレーシア、インドネシア、ニューギニアさらに南太平洋への移住基盤が作られた。
この民族はブタを飼育し、入れ墨を行い、装飾土器を製作し、カヌーを作った。入れ墨(tatoo)、禁止(taboo)、カヌー(canoe)というように「ヌー」で終わる語尾をもつ単語は、オーストロネシア語起源である。
このような新しい文化をもつ民族は、台湾から北上して、日本列島にも到達したに違いなく、それが縄文文化とどう関係しているかが、大きな問題である。
「世界最古の土器」が本当かどうかは、このようなグローバルな動きのなかで検証されるべきで、日本における歴史の自由度は、急速に狭まっているのである。
日本の考古学者はいいかげんに夢物語を語ることをやめてほしい。

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難波紘二 > 台湾の重要性を指摘したのはJared M. Diamond(カリフォルニア大学医学部生理学教室)で、Nature 403(2/17/00号):709-710,2000に"Taiwan's gift to the world"という解説を書いています。この人が「銃・病原菌・鉄」の著者です。 (2000/12/14(Thu) 15:59:43)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > A.S.Romer:The Vertebrate Body(1959)の邦訳(ローマー:川島誠一郎訳「脊椎動物の歴史」、どうぶつ社、1981)がひょこり書棚から出てきました。川島は広大理学部動物学の教授でした。 (2000/12/14(Thu) 20:26:33)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > この本では「ピルトダウン人事件」をドーソンが仕組んだように書いてあります。訳者の解説では、New Scientist May 4, 1972のK.A.Kermackの論文を引用して、ドーソンとウッドワードの二人が疑われるが、犯人はそれ以外の誰かだろう、と書いてあります。以上、蛇足でした。 (2000/12/14(Thu) 20:30:39)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > 蛇足の蛇足ですが、F.スペンサー『ピルトダウン』の訳者山口敏氏は『考古学研究』45‐4.1999に、「ピルトダウン事件の行方」という一文を寄せ、J.Weiner,G.Drawhorn,H.Gee,E.Hall,J.Walshらの主張をコンパクトにまとめておられます。 (2000/12/14(Thu) 21:12:39)[cs51329.ppp.infoweb.ne.jp]

トラ > 蛇足の蛇足ですが、F.スペンサー『ピルトダウン』の訳者山口敏氏は『考古学研究』45‐4(180).1999に、「ピルトダウン事件の行方」という一文を寄せ、スペンサーのほかJ.Wainer,G.Drawhorn,H.Gee,J.Walshらの主張をコンパクトにまとめておられます。ちなみWeinerは「ドーソンが最有力だが専門知識をもつ真犯人ないし共犯者の疑いがある」Drawhornは「ドーソン・ウッドワード共謀説」Walshは「ドーソン単独犯説」スペンサーは「キース黒幕・ドーソン実行犯説」です。 (2000/12/14(Thu) 22:43:14)[cs51618.ppp.infoweb.ne.jp]

トラ > すみません。同じ内容のものを2回も。削除してください (2000/12/14(Thu) 22:46:46)[cs51618.ppp.infoweb.ne.jp]

案内人 > レスは削除キーを知っている方でないと削除できません。 (2000/12/14(Thu) 23:25:44)[c1-215.actv.ne.jp]

トラ > あのー、削除キーを設定してなかったんですけど…スイマセン。 (2000/12/14(Thu) 23:32:11)[cs51618.ppp.infoweb.ne.jp]

大学生 > 「日本人」の起源と言う視点からみた上のお話、非常に興味深いと思いました。紀元前4000年前の台湾移住の話は知りませんでしたが、日本語の関連文献はあるでしょうか。 (2000/12/15(Fri) 06:52:52)[sendai-ppp-210-253-120-226.interq.or.jp]

大学生 > 人類学のことはよく分からないのですが、たとえば、日本列島は過去に何度か大陸と陸続きになった時期がありましたが、そういう時期に日本列島に移り住んだネアンデルタール人が縄文時代まで生き残り、現生人類と混血して現在の日本人になった、なんていう想像は無茶なのでしょうか。 (2000/12/15(Fri) 07:15:17)[sendai-ppp-210-253-120-226.interq.or.jp]

難波紘二 > ネアンデルタールと縄文人が混血したとすれば、現代の日本人にヨーロッパ人などにない遺伝子多形性がなければいけないが、それは見つかっていない。形質的にも日本人だけの特徴はない。だから「無茶」というより「荒唐無稽」と言った方がよい。 (2000/12/15(Fri) 15:22:28)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 「台湾の贈り物」の内容が、「銃・病原菌・鉄」の第17章「太平洋に広がっていった人々」です。 (2000/12/15(Fri) 15:28:35)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 台湾という重要な拠点を見落として、「倭族」が南中国から日本に来たと主張しているのが、鳥越憲三郎「古代中国と倭族」(中公新書、2000)です。日本の学者の不勉強ぶりがわかるでしょう。 (2000/12/15(Fri) 15:33:13)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > DNAkarano (2000/12/15(Fri) 15:39:35)[] トラ > 文献が手元になくて、記憶だけなんですがDNAからの分析で、縄文人は東南アジアの集団と近縁にある。また、縄文人に新モンゴロイドの特徴が乏しいことから孤立した集団であった可能性が高いと指摘されているはず…です。 (2000/12/15(Fri) 15:43:30)[]

トラ > 東南アジアの集団と近いのは旧石器時代とされる港川人でしたかね。 (2000/12/15(Fri) 15:45:19)[]

難波紘二 「港川人」が旧石器時代人だという証明はありません。日本には証明された旧石器時代人の人骨はありません。「台湾」の意味づけは、考古学的資料と言語年代学のデータとの照合でわかってきたことで、ここ2,3年のことです。だからNatureに載るのですよ。 (2000/12/15(Fri) 16:00:11)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 前にヒトと類人猿のアイノコができるか、という問を発しましたが、これは無理でした。ヒトにもっとも近いチンパンとの間でも、染色体が違う。チンパンの第12,13染色体が癒合して、ヒトの第2染色体が形成された。(染色体が同じでないと、細胞分裂ができない)だからこれは無 (2000/12/15(Fri) 17:38:42)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > これは無理ですね。ネアンデルタールと現代人の混血が可能か?という問題にも、まもなく遺伝学が結論を出すでしょう。これが否定されれば(その可能性は高い)、「日本原人」の無意味さが誰の目にもはっきりするでしょう。 (2000/12/15(Fri) 17:40:57)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 資料として、少し古いのですが、清水信義・中込弥男「ヒト染色体」(共立出版、1998)を挙げておきます。 (2000/12/15(Fri) 17:43:26)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

岡安光彦 > 大学生さんへ。どうかあまり気を悪くしないでいただきたいのですが、旧石器関係の研究をする場合、一定程度以上の人類学の勉強はどうしても必要になるのではないでしょうか。とくに前期旧石器に関わろうとするなら必須だと思うのですが。何しろ、進化の問題に深く関わってくるわけですから。論争になって、手・指の話とか、脳の話とかされたらひとたまりもないじゃありませんか。まあ、あれもこれも勉強しなくちゃならなくて大変ですが。 (2000/12/15(Fri) 19:00:46)[rt.ctktv.ne.jp]

大学生 > 岡安さま。全くそのとおりだと思います。 (2000/12/15(Fri) 19:35:10)[]

岡安光彦 > えらそうなこといってごめん。 (2000/12/15(Fri) 21:33:16)[rt.ctktv.ne.jp]

NAO > 岡安様、私もそう思います。私は、考古学の方をあまり知りませんが……。 (2000/12/16(Sat) 13:28:28)[c219180.ppp.asahi-net.or.jp]

うささぎ > [370]のレスの最後にある私の発言もご参考にしていただければ幸いです。 (2000/12/16(Sat) 14:42:54)[global-user.toshima.ne.jp]

ash > 紀元前4000年頃といったら、縄文時代前期の初めあたりですね。縄文時代の開始がおよそ1万2000年前(紀元前1万年ごろ)と考えられていますので、基本的に関係ないですね。 (2000/12/18(Mon) 01:54:10)[tkscc-01p12.ppp.odn.ad.jp]

難波紘二 > それがどれほど確実な証拠に支えられているか、が問題なのです。 (2000/12/18(Mon) 11:09:30)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 日本での最初の社会階層化の証拠は4500年前に認められ、それは台湾からの拡散が始まってから、1500年後のことです。 (2000/12/18(Mon) 16:15:54)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > いうまでもなく台湾の人々はリーダーに統率され船団を組んだのであり、「原始共産社会」だったのではありません。 (2000/12/18(Mon) 16:17:18)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 長江下流域では7000年前に新石器文化が開始されており、稲の栽培が始まっていた。この集団が台湾に渡り、さらに発展した。黄河流域の青銅器文化は、それに1000年遅れて始まったのです。これでも日本と関係ないといえるのか? (2000/12/18(Mon) 17:04:05)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]


[380] 「捏造問題関連論争」専用掲示板の設置について 投稿者:案内人 投稿日:2000/12/14(Thu) 23:57:44 [c1-215.actv.ne.jp] 
 上記にありますように、この掲示板は12月20日をもって書き込みが不可能になります。
 多くの方々より、掲示板継続のメールがあり、色々と検討しましたところ、さとうけいすけ様より掲示板提供のお申し出がありましたので、甘えさせていただくことになりました。
 以後は、旧石器捏造問題についての投稿は、右側の家のマーク、あるいはトップページの「捏造問題関連論争」よりお入り下さい。これまでの掲示板も別立てで継続したいと思っていますが、こちらは11月5日以前の状態に戻したいと願っています。
 色々とご不便をおかけしますが、よろしくご協力の程、お願い申し上げます。

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難波紘二 > 案内人さん、佐藤さん、それにたぶん櫻井さん、どうもありがとう。 (2000/12/15(Fri) 15:19:45)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

さとうけいすけ > いえいえ、これぐらいのことしかできませんが、お役に立てればということで。 (2000/12/15(Fri) 15:21:41)[dhcp092.bun.kyoto-u.ac.jp]

難波紘二 > 新しい掲示板で、すでに三つの話題が立ち上がっていますね。私もあと一本、この1ヶ月半の論争を総括する文章をここにアップしたら、そちらに移ります。あるいはもう永久に退場するかも知れない。 (2000/12/15(Fri) 20:54:04)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

岡安光彦 > 許さない。 (2000/12/15(Fri) 22:27:29)[rt.ctktv.ne.jp]

難波紘二 > 雑誌「サピオ」12/20号に「銃・病原菌・鉄」の著者J.ダイアモンドのインタビュウーが載っています。私が知っているL.Diamondという病理医の兄だと思う。 (2000/12/16(Sat) 14:01:54)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

一言だけ > 櫻井某はただの野次馬です、何もしていません。>難波さま (2000/12/16(Sat) 15:53:05)[rimath5.rimath.saitama-u.ac.jp]

岡安光彦
櫻井某を尊敬します。 (2000/12/18(Mon) 01:12:05)[rt.ctktv.ne.jp]

案内人 > 20日には書き込みが出来なくなりますが、まだ書き込みが継続中のものもあります。捏造事件関連のものは、既に新しい掲示板に移行したので問題はないのですが、それ以外のものはログの移行が通常は出来ませんので、一部、可能なら手作業でログを移行することも考えています。新しい掲示板の目途は既につけてありますので、なんとかスムーズに移行したいと考えたています。 (2000/12/18(Mon) 17:23:40)[c3-069.actv.ne.jp]

bambi > 書込みの最終期限はいつでしょうか?19日の夜の12時でしょうか?それとも漠然とした20日中? (2000/12/18(Mon) 18:14:43)[cse7-17.nishinomiya.mbn.or.jp]

案内人 > 私にも詳しいことは、わからないのです。申し訳ありません。 (2000/12/18(Mon) 19:00:47)[c3-069.actv.ne.jp]

案内人 > 今現在は書き込みが出来るようですね。 (2000/12/20(Wed) 06:41:08)[c3-069.actv.ne.jp]

bambi > 最後に、この捏造事件の直後には、沢山の方が、本名やハンドル名で書き込みをされていましたが、何時の間にか、発言者が限られてきました。さとうさんの新しい掲示板のカウンターを見る限りは相変わらず、多くの方が、この問題に関心を示されているのがわかります。どうか、皆様ももう一度、新しい掲示板での書き込みをお願いいたします。本名や以前のハンドル名でなくても、勿論構いません。気分一新、新しいハンドル名ででも、どうぞお越しください。捏造問題の検証はようやく始まったばかりです。長い眼で見守って行きましょう。こんなことを書く私は、別に考古学関係者でもなんでもありません。ただ、歴史が好きな一般人です。事件の経緯を見ていくにしても少人数で見ていくよりも、沢山で見ていくほうが、論点を見逃すことが少ないだろうし、何より得るところが多いと思うからです。皆様の参加をお待ちしています。さとうさんの「捏造問題関連論争」掲示板は http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5368/ からお越しください。 (2000/12/20(Wed) 15:49:10)[cse9-24.nishinomiya.mbn.or.jp]


[383] 論争の総括 投稿者:難波紘二 投稿日:2000/12/18(Mon) 12:49:23 [konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp] 
論争の中間まとめ
「旧石器遺跡捏造」問題にからんで、12/15の「毎日」は東北考古学会が藤村の除名と鎌田、梶原の退会を決めたことを報道しているが、それは当然のことでさらに佐川も自らを処断すべきであろう。もちろん岡村道雄、芹沢長介など東北考古学関係者や文化庁の佐原真や人類学の尾本恵一など、あまりにも軽率な学者たちもそれぞれに自己の責任を明白にすべきである。
学術会議の歴史関係の部会は、「外部調査委員会」の必要性を考古学会に勧告しているが、筑波大学の患者取り違え事故より、もっと国民精神に大きな影響を与えるこの事件の解明に、万人が信頼することのできる外部調査委員会をもうけ、とことんまで真相を解明するのは当然のことである。
佐川を委員にいれた考古学会の調査委員会など誰も信用しないだろう。
国民の大学進学率は、いまや50%を超えており、国民は馬鹿ではない。考古学の連中と異なり、国民のなかにはインターネットを使いこなし、外国と自由に交信し、考古学者の知らない情報を入手し、それらを駆使して自分の考えをまとめ、職場や学校や、そしてネットを通じて見知らぬ市民に情報を発信することの出来る市民の数は、日々に増えているのだ。
東欧の社会主義政権を倒し、ソ連を崩壊させ、中国を市場経済に引きずり込み、北朝鮮に韓国との対話路線をとらせたものは、一言で言えば、情報の自由化の力である。情報統制でかろうじて成立している独裁国家は、みじめに崩壊するのだ。情報の出し惜しみをし、アカウンタビリティのない日本考古学が、いつまでも国民を騙しきれなくなるという臨界点は、刻々と近づいていると言うべきだろう。
日本考古学自体が、時代遅れの学問として、全体として葬り去られ、文学部から切り離されて人類学や地球物理学、応用遺伝学と一緒になるのか、それとも原子力物理の世界におこったように、学問としての魅力が失われ、優秀な学生がこなくなり、「近親相姦」の世界の中で、ますます衰退して、自らが「骨董」になるのか、運命の岐路にさしかかっていると言うべきだろう。
この一ヶ月半の論争が明らかにしたものは、ほとんどの日本の考古学者のどうしょうもない、だらしなさであり、日本の考古学会の化石的体質である。恐らく救いは、ごく少数の良心的考古学者と若い学生たちの一部、それに好奇心に富んだアマチュアにある。職業的利害とほとんど関係のないこれらの人達こそ、学問の真の活性化のための基盤である。また若い人達の間に「責任ある市民」として、自発的にログのバックアップや掲示板の新設など、事態の自主的解決のための行動が生まれたのも、将来に希望を抱かせる。
アメリカ人は三人よれば組織をつくるといわれる。日本人は組織とは、お上か共産党がつくるものと思ってきたが、問題解決のための自己組織化こそ、21世紀市民の必要条件のひとつである。
論争の後半において重要な役割を果たした「うささぎ」、「トラ」は私同様アマチュアであり、「大学生」は考古学の学生である。11月後半のキーリィ論文の紹介が議論の流れを変えたことは疑いがないが、私や「うささぎ」が主張してきたことは、初めから変わっていない。
その主張をもう一度想起されて、願わくは論議を次の段階に、より建設的な方向に、新しい「掲示板」で、行いたいと思う。
私の主張とは、以下のものである。
1) 東北グループによって行われた過去およそ20年間の「旧石器」関係の発掘は、すべて捏造の疑惑がある。
2) 事件は藤森一人の責任ではなく、さまざまな背景と要因があり、それらの解明が非常に重要である。
3) このような事件が起こったとき、その分野の学問は壊滅的な打撃を受け、回復には何十年もかかる。場合によっては分野が消滅することもある。
4) 以上のことを、考古学の指導者は肝に銘じて行動すべきである。
これを私の「総括」として、この「掲示板」への長文のアップを終わる。書き込み禁止まであと2日あるので、反論の時間は十分にあると思う。12/20以後の論争は、新しい掲示板で行う。
最後に「管理人」さんにお礼申し上げる。また父を亡くされたことにも、同情する。父性の喪失は、男性にとって大きな打撃であり、心の空白を埋めるには時間がかかる。幸い、佐藤さんの好意で掲示板は継続されるので、今後は貴方が問題にしている「縄文」にも論点は移るだろう。「1万年以上前の土器」の問題にも。心の休養をもたれるよう希望する。

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難波紘二 > 2)は「藤森」でなく「藤村」でした。訂正します。 (2000/12/18(Mon) 12:54:29)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > とりあえず「考古学の連中」という不必要に挑発的な言い方は訂正してください。以前もいいましたが、「挑発」は「反省」を生みません」 (2000/12/18(Mon) 12:58:46)[]

難波紘二 > では「連中」を「人達」に変更します。 (2000/12/18(Mon) 13:05:43)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

トラ > ありがとうございます。 (2000/12/18(Mon) 14:21:26)[]

うささぎ > 私の最初の投稿は「難波氏に共感する者だけに残念です」という題名で、難波先生の角張論文の誤読を惜しむ内容のものでしたが、その投稿で正直に申した通り、先生の舌鋒が鋭すぎてレッドカードが出されたり、読むのも不愉快な罵倒合戦が延々と続くことを危惧していました。その後も「いい子」ぶった発言を続けましたが、私は単なる野次馬でして、「考古学の連中/人達」を一括した難波先生の批判に共鳴した事実はございません。泥沼化を防ぐこともできなかった。今後は微力ながら建設的提案の方に進路変換しようと思っていますが、知識の欠如ゆえ限界はミエミエです。私のような素人の発言を真摯に受け止めてくださった考古学関係の皆様に心からお礼を申し上げます。 (2000/12/18(Mon) 14:45:49)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > それに、お言葉を返すようですみませんが、私はここの議論の後半においてもたいした役割は演じていませんよ。私が難波先生に匹敵するような頻度の投稿をし、あとから読んで自分でも辟易しているのは、最近開設された岡安さんの「考古学情報広場」の掲示板です。 (2000/12/18(Mon) 15:31:50)[global-user.toshima.ne.jp]

難波紘二 > うさぎがピョンピョン跳ねた跡を検索すれば、全体としてネットの論調をリードしていたことがわかるのですよ。トラも同様。 (2000/12/18(Mon) 16:01:13)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

案内人 > 難波先生、心暖まるお言葉、有り難うございます。佐藤さんには、一時的なものとはせず、捏造関連の投稿が続く限り継続していただこうと思っています。私の最後の仕事として、青森遺跡探訪の掲示板で交わされたあつい議論のログだけは、きっちりと全部公開したいと考えています。 (2000/12/18(Mon) 16:55:19)[c3-069.actv.ne.jp]

うささぎ > 案内人さま。最後のお仕事って・・・まさか・・・。 (2000/12/18(Mon) 17:27:07)[global-user.toshima.ne.jp]

案内人 > うささぎさんへ、今回の皆様方のあつい議論に関する私の最後の仕事という意味で、青森遺跡探訪は気力の続く限り続けたいと思っていいます。今後もご声援の程、よろしくお願いいたします。 (2000/12/18(Mon) 17:36:32)[c3-069.actv.ne.jp]

難波紘二 > 共同通信の配信によれば、藤村は県北部の寺に匿われているようですね。鎌田が隠したのか。犯人隠匿罪だ。 (2000/12/19(Tue) 11:00:49)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

bambi > 難波先生は、共同通信の直接配信を受けていらっしゃるのでしょうか?[374]に書きましたが、共同通信の情報を2次配信する形の河北新報の本日の記事、http://www.kahoku.co.jp/NEWS/2000/12/20001219J_01.htm とhttp://www.kahoku.co.jp/NEWS/2000/12/20001219J_02.htm において、事件後、氏は「宮城県内の寺院や知人宅に身を寄せていた。」という事だけ書かれていて、今、現在の氏の居場所については、書かれていませんでした。 (2000/12/19(Tue) 12:12:20)[cse8-39.nishinomiya.mbn.or.jp]

難波紘二 > 新聞記者とコンタクトがあるとも考えられるでしょう。 (2000/12/19(Tue) 12:52:42)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 今日の「天声人語」がやっと講談社批判に踏み切りましたね。「立花隆の週刊文春の批判を読んで、丸谷才一が毎日に評論を書き、講談社本の推薦文を書いたことを謝罪し、本の回収・絶版を要求した」ということを紹介する形で、講談社の倫理を批判している。 (2000/12/19(Tue) 12:55:59)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > 信念のないマスコミの代表みたいなコラムです。右見て、左見て、おずおずと発言している。朝日なんか、大嫌い。 (2000/12/19(Tue) 12:57:14)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

難波紘二 > キーリィ教授が、12/14付で日本考古学批判の第二論文を発表されました。目下翻訳中なので、5時前にここにアップします。 (2000/12/19(Tue) 14:45:25)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

bambi > 難波先生の、藤村氏が「宮城県北部の寺に匿われている説」は、実は、共同通信の配信でなくて、共同通信かあるいは他社の新聞記者からの直接情報と理解しました。そうすると、一昨日までの藤村入院説は、先生の推測。本日からの入寺説は、マスコミからのリークですか… (2000/12/19(Tue) 15:06:27)[cse4-45.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > 難波先生、いつも、いつもありがとうございます。翻訳のご協力には、このBBS参加者全員が感謝しているのは、間違いないと思います。 (2000/12/19(Tue) 15:07:47)[cse4-45.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > ところで、Keally氏の論文、どこに発表されていたのでしょう?東アジア考古学協会http://www.eastasianarchaeology.org/home.htm で、見ても見つからないのですが… (2000/12/19(Tue) 15:47:03)[cse4-45.nishinomiya.mbn.or.jp]

bambi > 失礼しました。http://133.12.178.15/Keally/hoax-index.html の http://133.12.178.15/Keally/hoax-how.html ですね。 (2000/12/19(Tue) 16:24:57)[cse4-45.nishinomiya.mbn.or.jp]

難波紘二 > bambiさん、今日は一日自宅でお仕事お疲れさまでした。 (2000/12/19(Tue) 23:55:25)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]


[384] 掲示板提供に感謝します! 投稿者:案内人 投稿日:2000/12/18(Mon) 17:32:46 [c3-069.actv.ne.jp] 
 3年以上の長きにわたって、無料で便利な掲示板を提供していただきましたyooさんに感謝いたします。
 ツリー構造の掲示板ではなく、1行レスのつけられる掲示板であったために、親記事を中心に全体を一目で見渡せる掲示板であったことが、今回の事件に関する投稿者に大きな利便性を与えたことは間違いありません。また、それがログの公開にもつながったのだと思います。ツリー構造の掲示板だと、一つ一つログを開いて保存しなければならず、大変な労力を要するというか、そんな気にならなかったと思っています。
 改めて、貴重な掲示板スペースを提供していただいたyooさんに感謝します。

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bambi > この掲示板の参加者一同も、案内人さんと同じ気持ちで感謝しています。yooさん、ありがとうございました。 (2000/12/20(Wed) 15:55:26)[cse9-24.nishinomiya.mbn.or.jp]


[385] キーリィの第二論文 投稿者:難波紘二 投稿日:2000/12/19(Tue) 17:01:41 [konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]
キーリィ教授の第二論文の全訳を掲載します。私と違い、まわりくどい表現をしておられるので、訳は難しかった。誤訳の疑いのある場合は、指摘して下さい。
前期旧石器時代2遺跡の捏造が、日本考古学に与えた損害
チャールズ・K・キーリィ(2000.12.19)
私は、最近の捏造スキャンダルと前期および中期旧石器時代論争について、両側にいる考古学者の多数と話した。出土品を本物と見なしてきた人達は、依然としてそれらの大部分は本物だと感じており、究極的には本物だと鑑定されるだろうとみなしているという印象をうけた。これらの仕事を批判してきた人達は、いまや全部が偽物だということを百パーセント確信したようである。どちらも他方が、仮に部分的にせよ、正しいかもしれないという可能性を考えたくもないようだし、自分たちの主張が支持されるには、なにか非常によい確固とした科学的証拠を提出する必要があるのだ、ということを理解していないようだ。両者とも現状では自分たちの主張を支える、そのような証拠をほとんどもっていないのだ。
状況証拠(注1)、それが実際のところ現時点でえられるすべてなのだが、によれば藤村と宮城県の考古学者グループ(注2)が発見した初期および中期旧石器遺物は九割方疑わしい。しかし、もしこれらの出土品の一部または全部が最終的に本物だと証明されると仮定した場合、つぎのような疑問が必然的に生まれてくる。なぜ2000年度の野外調査シーズンにおけるたった2カ所の遺跡捏造が、他の31箇所の初期および中期旧石器時代遺跡すべてに黒い疑惑の雲を生み出すことになったのか、という疑問である。確証された二遺跡での捏造が、他のすべての初期および中期旧石器時代研究にこれほどひどい影響を与えたからこそ、日本考古学が全体としてそんなにも悪く見られるようになったのである。
初期および中期旧石器遺物はそれ自体として日本に貴重なものである。それらは北京原人や北中国における初期ランチャン女性(Lantien Woman)と同時代における日本列島の古代人の証拠である。この重要な遺物は、他の考古学者による確証を必要とするし、宮城県の考古学者たちは、政府(国および自治体の)の財政的援助と批判に対して彼らが答えるための研究をするようにという政府の圧力を必要とするのだ(注3)。そうする代わりに、政府、文化庁(注4)、文部省(注5)、日本考古学協会(注6)、それに日本の主導的考古学者たち(注7)は、援助も提供せず、確証を求めもしてこなかった。彼らはいとも簡単に出土物を受け入れ、博物館で展示し(注8)、学校の教科書に取り入れるのを承認したのだ。それは不注意を通り越して、愚かというに近い。
しかし初期旧石器遺跡からきちんと並べられた石器、両面加工尖頭器、柄穴をもつ石器とならんで貯蔵穴が出始めたときに(注9)、政府、考古学諸団体、考古学指導者たちは、アクションをおこす必要があったのだ。これらの出土物は、日本のホモ・エレクタスには、世界のどの地域のホモ・エレクタスにも知られていない、認知および作業能力があったということを示唆していた。これらの所見は、人類の進化についての理解を一変するものなのだ。しかしこれら高度に貴重な遺物の出土後、数年をへても、指導的考古学者たち、考古学諸団体、政府機関は、確証もないまま、そして確証の請求もしないで、これらのすべてをただそのまま受け入れつづけていたのだ。このような潜在的にきわめて重要な出土品を、日本のような先進国の学会や政府機関が、何もしないで、疑いもせず受容するとは、信じがたい行動である。それはまさに彼らの能力に対して疑問を抱かせるものである。
捏造に関して、真っ先に責められたのは藤村自身だった。というのも彼はつかまったからであり、単独犯行だと主張しているからである。メディアも自分たちが「発見」や「最古」を強調したりしたことについて反省をした。藤村と一緒に仕事をし、彼が遺跡に石器を埋めているのに気づかなかった宮城考古学者に対しても批判がある。しかし、本当に批判されるべきなのは、私見によれば、研究を支援しなかったし、出土品を認める前に、確認を要求しなかった、あるいは数人の考古学者たち(注3)の批判に耳を傾けることをしなかった、指導的な考古学者たちとその研究機関なのだ。責めを一人の人間や一群の考古学者たちに負わせることでは、このスキャンダルがなぜ起こったのかを説明することはできないし、遺物が本物か偽物かを検証することにもつながらないし、将来同じようなスキャンダルが再発するのを防ぐシステムの採用にも至らない。もし批判が、14年前に無視されるのではなく、聞き入れられていたら、我々はいまや確証された前期および中期旧石器遺物をもっていたはずであり、2遺跡の捏造問題は、この2遺跡以外にはまったく広がらなかったはずなのだ。
たとえ遺物の多くが最終的に本物だと証明されたとしても、日本考古学の世界は、この科学的無能力の暴露によってとてつもない損傷をうけたのだ。これらの遺物が、20年の長きにわたる33遺跡の関与するでっちあげだと判明したなら、日本考古学は自らが、進歩した、教育ある世界の、考古学の一員であることを証明するのに、長く、息の切れる闘いを続けなくなくてはならないことになるだろう。例えば縄文時代の研究と直接のかかわりがない人々にとって、日本考古学者の手になる縄文時代研究の質を、どうやって判断したらよいのだろうか?この完全に非学問的で、無責任な初期および中期旧石器時代に関する研究は、おそらく日本考古学の他のすべての分野も同様の質の仕事なのだと、示唆することになるだろう。考古学者以外の世界は、日本の考古学者が研究対象について第一級の知識をもち、それが間違いないことを他の方法で証明しない限り、日本考古学から出てくるものは、一切信用しないということになるだろう(なるかもしれない?あるいは、なるべきだ?)
私の願いは、日本の考古学者が、今回のスキャンダルが、考古学者の信用にもたらした(あるいはもたらしううる)被害の大きさを直視し、将来におけるすべての考古学的研究の高い質を保証するために、必要な措置をとり、過去すべての考古学的研究の確証を提供する作業をはじめてほしい、ということである。実際のところ、日本考古学の多くは、質が高いものであったし、これもまた多くの指導者たちや研究機関が初期および中期旧石器時代研究について、あまりにも不注意であったために、信用をうしなってしまいかねないというのは、不運なことなのである。
注1:梶原洋(考古学者、東北福祉大学)   鎌田俊昭(大学卒考古学者、僧侶)   藤村新一(アマチュア考古学者)。他の考古学者はそれほど知名度がない。
1990年までは、岡村道雄(現在、文化庁の考古学者)が一緒であった。彼らは全員「石器文化談話会」(現、「東北旧石器文化研究所」)のメンバーである。
注2:主な批判や批判の根拠は以下の通り:
1)後期旧石器時代遺跡には、モグラや木の根などの自然要因による石器の上下方向への移動が必ず認められるのに、前期遺跡にはそれがない。
2)年代測定値のプラスマイナスの幅が極端に広く、地層が著しく撹乱されている可能性がある。
3)後期旧石器時代に関しては、石器製作にともない、接合する石片がかならず見つかるが、(前期および中期にかんしては)石器製作を示唆する接合石片がきわめて少ない。にもかかわらず山脈の両側にまたがり30キロ離れた遺跡から、接合する石器が見つかっている。
4)きちんと配列した石器が貯蔵穴に並べられていることなどの証拠は、日本の人類に認知能力や作業技術があったことを示しており、それは人類がそのような能力を獲得したと一般に考えられているよりも、数十万年も早い。
5)藤村というたった一人の人物が、大部分の遺跡と石器を発見しており、彼の「神の手」は、例え技能と幸運という異常な組み合わせがあったとしても、「想定可能」の領域を逸脱している。
6) 数十万年にわたって文化的進化が全然ない。
7)前期旧石器は数十万年後の縄文石器と同じような外見をしている。
8)一年ごとに発掘される遺跡の年代が10万年ずつ古くなる。
注3:小田静夫とキーリィによる1986年の批判論文
注4:岡村道雄(文化庁の考古学者)は最近著書を出版したが、そこでは上高森や他の遺跡の信憑性については何の問題もないように扱われている。(岡村道雄「縄文の生活誌」、日本の歴史第一巻、講談社、東京、2000)
注5:文部省は、上高森の「埋納遺構」を教科書に採用するのを承認した。しかし同じ文部省が第二次世界大戦中の「南京虐殺」や日本軍の「慰安婦」については、確かな証拠がないとして採用を拒否している。
注6:上高森と他の前期および中期旧石器時代遺跡については、日本考古学協会の年次総会において発表が行われ、その信憑性に関して、どのような質問も提起されなかった。またその年次報告である「日本考古学年報」ではこれらの遺跡に触れているが、やはりその信憑性に関しては、疑いの示唆さえも行われていない。上高森埋納遺構については、日本考古学年報 No.48: 472-476, 1995に詳しく報告されている。
注7:日本の多くの指導的な考古学者は、出土物について、何年にもわたり、新聞、テレビや他のインタビューや出版物を通して、好意的な発言を繰り返してきた。私は、私の批判ができるだけ個人攻撃と受け取られないようにするため、ここでは個人名はあげない。
注8:千葉県佐倉市にある国立歴史民族科学博物館は、上高森遺跡の展示をおこなった。
注9:特に注目すべき出土物には以下のものがある。
1) 石器が整然と配列された貯蔵穴。上高森遺跡第12層、年代測定により57万年から60万年とされている。(Fujimura et al. 1995, 1999a, 1999c )
2) 小さな両面加工された柳の葉状の石器。中島山遺跡の第10層、推定年代10万年前、から出土(Fujimura et al. 1999c)小さな両面加工尖頭器は上高森第19層、推定年代60万年前、および第37層、63万年以上前、からも出土している(Fujimura et al. 1999c)。
3) 柄に取り付けて使用したと考えられるヘラ状の石器が、袖原3遺跡の第23層文化層6から出土している。推定年代は30万年以前である。(Fujimura et al. 1999e)
4) 約10万年前と推定される宮城県中島山遺跡の石器と山越えに30キロ離れた山形県袖原3遺跡の石器が、接合した。(Fujimura et al. 1999b, 1999d) これはとりわけ興味深い。というのは、中島山石器は1997年に表面採取されていて、1998年の発掘に先行しているからである。
5) 前期および中期旧石器遺跡における最初の明瞭な石器製作の証拠は、1998年の第4次発掘の際に、約60万年前の地層19で見つかった。

これらの主要発見に関する引用は以下のものからである。
1) 藤村新一、鎌田俊昭、横山洋平、梶原洋(1995):上高森遺跡第3次調査について.第9回東北日本の旧石器文化を語る会の抄録. Pp2-8, 青森、1995.2.16-17
2) 藤村新一、鎌田俊昭、横山洋平、梶原洋(1999a):上高森第4次調査の成果. 第12会東北日本の旧石器文化を語る会の抄録. Pp67-71, 長岡、1999.1.9-10
3) 藤村新一、鎌田俊昭、梶原洋、横山洋平、相沢まさのぶ(1999b):中島山遺跡の第1次調査成果. 第12回東北日本の旧石器文化を語る会の抄録. Pp72-78, 長岡、1999.1.9-10
4) 藤村新一、鎌田俊昭、横山洋平、梶原洋(1999c):宮城県築館町上高森遺跡第5次発掘調査の成果. 第13回東北日本の旧石器文化を語る会. Pp78-82, 盛岡、1999.12.18-19
5) 藤村新一、鎌田俊昭、梶原洋、横山洋平(1999d):宮城県色麻町中島山遺跡第2次調査の成果とその意義. 第13回東北日本の旧石器文化を語る会の抄録. Pp89-91,盛岡、1999.12.18-19
6) 藤村新一、鎌田俊昭、梶原洋、横山洋平(1999e):山形県尾花沢市袖原3遺跡第5次調査の成果. 第13回東北日本の旧石器文化を語る会の抄録. Pp18-19,盛岡、1999.12.18-19          
(以上  翻訳:難波紘二)

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トラ > あのー注1)以下注がひとつずつズレませんか?原文でもそうなっているんだけど…(自信がない) (2000/12/19(Tue) 20:02:25)[]

トラ > あのー注1と注2が入れ替わったらどうでしょう…(あいかわらず自信がない) (2000/12/19(Tue) 20:20:13)[]

難波紘二 > トラさんの指摘の通りですね。本文の注1と2を入れ替えて下さい。それで対応が完全になります。これは著者のミスです。 (2000/12/19(Tue) 20:35:14)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

うささぎ > 余計な口出しでうけど、この投稿新設の「捏造問題掲示板」に再投稿された方がよいのでは? 質疑応答、意見交換がここではもはや不可能ですので。 (2000/12/19(Tue) 21:24:18)[global-user.toshima.ne.jp]

難波紘二 > わかりました。指摘された箇所を変更して、明日にでも投稿し直します。 (2000/12/19(Tue) 21:51:15)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

うささぎ > キーリィ先生、教科書問題などもちゃんと視野にいれてらっしゃるのですね。失礼な推測をしてしまったことを後悔しています。日本語もかなり堪能なのでしょう。最初のキーリィ報告の紋切り型日本社会批判には反発を覚えた私も、今回の主張はいちいち納得できるものです。それだけに「衝撃」は受けませんでした。 (2000/12/19(Tue) 22:57:14)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > 初期旧石器(時代)という表現を前期旧石器(時代)に統一しないと、前に何度も指摘したのに、とソフィー先生が嘆かれるんじゃないでしょうか。 (2000/12/19(Tue) 23:00:03)[global-user.toshima.ne.jp]

難波紘二 > 英語だとどっちもearlyなのですよ。本当はどっちだってよい。考古学はもちっとましなことにこだわれ。 (2000/12/19(Tue) 23:49:15)[konanba.ias.hiroshima-u.ac.jp]

うささぎ > 案内人さま、本当にお疲れさまでした。今回の報告が示唆しているとおりキーリィ先生が日本語を読むのもお得意なのであれば、「三内丸山の三大キャッチフレーズを暴く」や佐々木藤雄さんの論文とご著書(『私が掘った東京の考古遺跡』の場合三丸関係の部分に付箋を挟むかマーカーで傍線を引いた方がよいかも)をキーリィ先生に送られてはいかがでしょうか。マスコミは無関心を装っていると嘆いておいででしたが、キーリィさんが同じような態度を示されるとは思えません。ご存知の通りキーリィ研究室HPの自己紹介によれば、先生の専門領域は「旧石器および縄文」ですし。 (2000/12/20(Wed) 12:47:02)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > 挨拶も、手紙(メール)の主旨も短く簡潔な日本語で充分なのではないでしょうか。万一日本語が通じないということであれば、その段階で誰かが仲介の労をとればすむ事です。 (2000/12/20(Wed) 12:52:13)[global-user.toshima.ne.jp]

うささぎ > ちなみにキーリィ先生は現在のところ三内丸山の誇大宣伝に疑惑はいだいておられないかもしれませんが、少なくとも次の記述(同教授のHPより)が示すとおり、これを根拠とする「新しい縄文観」には否定的な立場をとっておられます。【縄文(時代)の集落は円錐型の藁屋根の[竪穴式]住居が円形または馬蹄形に並び、中央には広場があるものだ、としばしば主張されている。こうした集落においては5〜10棟もしくはそれ以上の住居が同時に使用されていたと考えられている。たしかにそうした集落はいくつかの地域において、そしてある時期において存在したが、それらは典型的な縄文(時代)の集落の遺跡を代表するものではない。「典型的な遺跡」には数棟の住居しかなく、その配置にも明白なパターンがないものなのだ。住居が一つしかない集落(居住地? settlement)もある。最近有名な青森の三内丸山遺跡はユニーク(=唯一無二)であって、これを日本の縄文文化全体に一般化することはできない。】 (2000/12/20(Wed) 13:20:38)[global-user.toshima.ne.jp]


[386] もう一度確認を 投稿者:さとうけいすけ 投稿日:2000/12/19(Tue) 22:41:57 [dhcp092.bun.kyoto-u.ac.jp] bambi様ほか皆様のお勧めで、最後に確認までに。
ここでの捏造問題を巡る論争は、「捏造問題関連論争」http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5368/ に移転いたします。案内人さまのこれまでのご配慮に深く謝意を表する次第です。
また、上記のサイトは、論争が終息するまで公開しつづける次第です。ご了承ください。
では、この「青森遺跡探訪」の掲示板がリニューアルしてからも、素晴らしい掲示板になることを、心より祈念する次第です。

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案内人 > さとうさんのご配慮に感謝いたします。あなたに重荷を背負わせてしまったようで、申し訳なく思っています。「捏造問題関連論争」の掲示板が実りあるようにお祈りしてあります。 (2000/12/19(Tue) 23:00:58)[c3-069.actv.ne.jp]

ash > 案内人さま、ご苦労様でした。
(2000/12/19(Tue) 23:16:41)[tkscc-01p60.ppp.odn.ad.jp]

ash > 短い間でしたが、大変お世話になりました。(間違えて途中でENTERキーを押してしまいました) (2000/12/19(Tue) 23:19:03)[tkscc-01p60.ppp.odn.ad.jp]

案内人 > ash さん、ありがとうございます。 (2000/12/20(Wed) 06:43:03)[c3-069.actv.ne.jp]

案内人 > 皆様へ、今日以後、別な掲示板に移行しますが、時々、のぞきに来てください。ぱったり、皆さんにいなくなられると、寂しくなります。 (2000/12/20(Wed) 06:45:48)[c3-069.actv.ne.jp]

bambi > まだ、書き込めますね。案内人さんには、この1ヶ月半、大変なご苦労をおかけしました。ご身内のご不幸に際しての、一時の休止宣言の後も、わずか数日(5日だったでしょうか)後には再開宣言して下さいました。案内人さんの義務感、使命感にただ、感謝の思いで一杯です。何の得にもならないのに、ひたすら管理人の立場を守り、損な役回りを引き受けで下さった相馬さんのボランティア精神に心から、お礼を申し上げます。今回の捏造事件発覚直後は、インターネットの多くのBBS上で話題にはなりましたが、いつしか大部分のBBSでは、会話もはずまなく忘れられて行く中で、いまだに、ホットな論争が繰り広げられている、数少ない掲示板の中で一番にあげられるべき掲示板は、ここだと思います。どうして、この掲示板に人気が集まったかを考えますに、以前から、ホームページ上で青森の遺跡を地道に紹介されて、一般人が参加しやすい雰囲気の掲示板をあらかじめ作られていた事が第一の要因ではないかと思います。それは、今までの、案内人さんのご努力、お人柄のせいかと思います。又、反面、この事件が起こってからは、掲示板が、捏造問題で半ば乗っ取り状態になってしまって、以前からの、話題が書き込まれなくなってしまったのは、申し訳なく思っています。今回のこの掲示板閉鎖にあたって、従来の青森の遺跡の話題中心の掲示板も場所を変えて、再開されるとの事ですので、少し、安心しました。たいした発言は出来ませんが、新しい掲示板にも、又、参加させていただきます。どうもありがとうございました。又、捏造問題に関しては、さとうさんが新しく掲示板を開いてくださいましたので、今までの、管理人さんの立場をはずれて、どうぞ、ご参加ください。案内人さんの自由な発言を期待しております。 (2000/12/20(Wed) 09:39:18)[cse7-37.nishinomiya.mbn.or.jp]

案内人 > bambiさんへ、暖かいお言葉、本当に有り難うございます。涙が出そうになります。身近ではあまり理解者がいなく、孤立しそうになりますが、全国の皆様方にそれなりに評価していただいていると思うと、それだけでこのホームページを続けていく勇気が湧いてきます。これからも青森遺跡探訪をよろしくご支援下さい。 (2000/12/20(Wed) 18:03:36)[c3-069.actv.ne.jp]


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