沢木耕太郎著作のページ No.2



11.シネマと書店とスタジアム

12.激しく倒れよ

13.一号線を北上せよ

14.無名

15.冠(コロナ)(文庫化改題:廃墟の光、新潮文庫:オリンピア1996 冠<廃墟の光>)

16.杯(カップ)

17.1960

18.

19.「愛」という言葉を口にできなかった二人のために

20.旅する力−深夜特急ノート−


【著者歴】、テロルの決算、深夜特急・第一便黄金宮殿、同・第ニ便ペルシャの風、同・第三便飛光よ飛光よ、象が空を、檀、オリンピア、贅沢だけど貧乏、血の味、イルカと墜落

 → 沢木耕太郎著作のページ No.1


ポーカー・フェース、キャパの十字架、旅の窓、流星ひとつ、銀河を渡る、旅のつばくろ

 → 沢木耕太郎著作のページ No.3


あなたがいる場所、月の少年、ホーキのララ、波の音が消えるまで、春に散る

 → 沢木耕太郎小説作品のページ

   


     

11.

●「シネマと書店とスタジアム」● ★☆
 99 Columns about Cinema, Books and Games

  
シネマと書店とスタジアム画像

2002年11月
新潮社刊

(1500円+税)

2005年07月
新潮文庫化


2002/12/19


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新聞に掲載した映画評と書評、スポーツ観戦記を集めたというエッセイ集。
沢木ファンとして楽しみにしていた一冊ですが、新聞という字数に制限のあるメディア向けに書いたものだけに、如何せんどれも短い。短いなりの印象の強さもあるのですが、食べ足りないという思いも残ります。

映画、本、スポーツ観戦という中では、やはりスポーツ観戦に沢木さんならでは鋭い視点、切り込みがあり、何といっても魅力。とくにモハメド・アリを語った篇は秀逸です。
その一方、映画・本を語るエッセイについては、ちょっと隔たりを感じます。沢木さんの場合、本についても小説・ノンフィクションを問わず、その中に人生ドラマを見出そうという姿勢がはっきりあります。時によっては成る程と感じさせられますが、常にとなると窮屈さもあり。エンターテイメント作品まで真剣に論じられてしまってもなァ、と思うのです。
本書中では、「冬のサーカス」と名づけられた、第18回長野冬季オリンピックの観戦記が圧巻。
原田、船木というジャンプ陣、清水、堀井というスピード・スケート。ミシェル・クワンらのフィギュア・スケート。
いずれも、TVで観たときに勝るとも劣らない臨場感に充ちていて、読み応えがあります。

Cinema銀の森へ/Booksいつだって本はある/Games冬のサーカス/Booksいつだって本はある/Gamesピッチのざわめき/Cinema銀の森へ

          

12.

●「激しく倒れよ−沢木耕太郎ノンフィクション1−」● ★★★

  
激しkす倒れよ画像
 
2002年09月
文芸春秋刊
(1905円+税)



2003/08/28

ノンフィクション全9巻の第1巻。本巻は、スポーツ選手を中心にした一冊です。
図書館にリクエストしてから入手するまで1年近くかかったものですから、もういいやと関心はかなり薄らいでいたのですが、実際に読み始めるとすっかり没頭。やはり沢木さんの本は相当な読み応えがあります。

本巻に収録されているのは、ノンフィクション12篇+回想1篇。そのどの篇をとっても、1篇だけで十分1冊の本に匹敵するだけの中身があります。そんな作品を1冊で味わえるのですから、これはもう何という贅沢か、と思わざるを得ません。
そして、沢木作品は、何故これだけの読み応えがあるのか、と考えてみない訳にはいきません。
一流選手の最盛期を語るのであれば、それ程の強い印象をもたらすノンフィクションにはならないでしょう。沢木さんの作品はそれらとどこが違うのか。
最盛期を過ぎ、明らかに下り坂に入った彼らを追う。栄光を失った彼らの姿にこそ、彼らの送った人生の価値、人間の真価が現れるから、とでも言うようです。
口でそう言うのは簡単ですが、そんな彼らを追いかけることは生半可な興味ではできないでしょうし、低落した相手に取材するのには勇気も要ることでしょう。だからこそ、本書は読み甲斐がある、そう思います。

まずゴルフでは、尾崎将司。野球では、長嶋と同じ有望新人として巨人に入団しながら及ばなかった難波三塁手、毎日オリオンズ・ミサイル打線の一人だった榎本喜八。マラソンでは、東京オリンビックで銅メダルを取った後自殺した円谷幸吉。同様に過大な期待を負わされた瀬古利彦は、何故惨敗したのか、何故自殺することなかったのか。
また、ボクシングでは、輪島功一、チャンピオンのまま交通事故死した大場政夫。そしてヘビー級王座を争ったジョー・フレージャー、モハメッド・アリの盛りを過ぎた姿。
読み応えを考えるなら、本書は極めてお得な一冊です。

儀式/イシノヒカル、おまえは走った!/三人の三塁手/さらば宝石/長距離ランナーの遺書/ドランカー<酔いどれ>/ジム/コホーネス<肝っ玉>/王であれ、道化であれ/ガリヴァー漂流/普通の一日/砂漠の十字架/暗い廊下(ナイン・メモリーズ1)

  

13.

●「一号線を北上せよ」● ★★

   
一号線を北上せよ画像
  
2003年02月
講談社刊
(1500円+税)

2006年05月
講談社文庫化
(ヴェトナム
街道編)



2003/09/20



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紀行文4篇+αというエッセイ集。
題名にある「一号線」とは、ヴェトナムのホーチミンとハノイを結ぶ幹線道路とのこと。ヒッチコック映画「北北西に進路を取れ」に似た、是が非でも北上したいという衝動が沢木さんを駆り立てたそうです。
したがって、本書の中心にあるのはヴェトナム紀行と言って良いでしょう。「メコンの光」「ヴェトナム縦断」の2篇。ホーチミンから途中のフエまで、一号線をバスで旅する一切は深夜特急の番外編を読むような楽しさ。沢木さんの旅は、いつも一人旅の魅力を甦らせてくれます。
「鬼火」は、ご本人曰く、沢木さん初の紀行文。檀一雄が晩年暮らしたポルトガルのサンタクルスを訪ねる旅です。
また、「記憶の樽」は「深夜特急」の最後を飾るスペインのマラガを再訪する旅。
「象が飛んだ」は、28歳のホリーフィールドに今や42歳のジョージ・フォアマンが挑む、ヘビー級ボクシングのタイトルマッチ。激しく倒れよでアリ、フォアマン、フレイジャーというチャンピオン争奪の流れを読んだ後だけに、感慨深いものがあります。
いずれも、これまでの沢木さんの著書と何らか繋がっているエッセイばかり。その割に、沢木作品としては比較的気軽に楽しめる一冊であるところが魅力です。

なお、ヴェトナム紀行は「サイゴンから来た妻と娘」等の著者・近藤紘一さんとの関わりが発端となっていますが、田口ランディ「忘れないよ!ヴェトナムといい、ヴェトナムは如何にも良さそうなところです。是非行ってみたいと、心誘われます。

一号線はどこにある?/メコンの光/キャパのパリ、あるいは長い一日/象が飛んだ(アトランティック・シティからの手紙)/鬼火/ヴェトナム縦断/落下と逸脱(アルプスだより)/記憶の樽

   

14.

●「無 名」● ★★

   
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2003年09月
幻冬舎刊
(1500円+税)

2006年08月
幻冬舎文庫化


2003/12/13


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89歳になる父親の最期を看取った日々を語る一冊。

いずれ私も、自分の親、そして自分自身において迎える究極の日々です。ですから、決して他人事ではなく、私自身も沢木さんの立場に身を置きながら読み進んだ一冊です。
「無名」とは、ごく普通の人であった沢木さんの父親のこと。無名な人であっても、その最期の日々となれば、家族にとっては無二の時間となります。そこに凝縮された家族の思い、その姿に静かな感動を覚えます。
そんな日々を沢木さんは淡々と語っていきますが、その中で改めて父親がどういう人であったかを見据えていこうとする。そこに沢木さんならではのものを感じます。

祖父は戦前の逓信省を取引先とする通信機器会社の経営者。したがって、父は幼少時代を裕福な家の次男として過ごしますが、会社が疑獄事件に巻き込まれてすべてを失い、戦後の父は不似合いな工場勤めをしたといいます。
運命を自分の力で切り開こうとする人柄ではなく、坦々と運命を受け入れた人。そして、読書家だった。晩年に父が詠んだ俳句から、沢木さんはその心の内に近づこうとします。
無名な人とはいえ、その人生にはそれなりの重みがあることを、つくづく感じざるを得ません。
いみじくも、沢木さんの育った家庭の様子を知ることができる一冊でもあります。

   

15.

●「冠(コロナ) OLYMPIC GAMES」● ★★
 (文庫化改題:廃墟の光  2021年新潮文庫:オリンピア1996 冠<廃墟の光>)

   
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2004年01月
朝日新聞社刊
(1600円+税)

2008年06月
朝日文庫

2021年06月
新潮文庫



20
04/04/12



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雑誌「ナンバー」に、「廃墟の光」というタイトルで連載された1996年アトランタ・オリンピック取材記の単行本化。
日韓ワールドカップ・サッカーの「杯」と対になる一冊です。

冒頭、沢木さんはオリンピック発祥の地、ギリシャのオリンピアを訪ね、また近代オリンピック生みの親となったクーベルタンを偲びます。オリンピックの取材に先立ち、原点に遡って考えようとするあたり、如何にも沢木さんらしい。
そうした沢木さんの意識を反映するように、本書はお祭り的なオリンピック観戦記とは一線を画す著書になっています。
かつて古代オリンピックが滅んだように、近代オリンピックも滅ぶことがないとはいえない。むしろ、その予兆は既にあるのかもしれない。そんな批判的な視点を基にしているため、8年前のことはいえ本書は未だに色褪せていない。
お祭りを単純に祝う立場だけでみれば、記録への挑戦、感動のドラマという極めて美化されたものになってしまいますが、私自身それに違和感を覚えるようになったのは、何時のことからか。
プロ化、メダル獲得という擬似戦争、国際政治の反映、商業化、等々。私が一番熱心に観たミュンヘン・オリンピック以降、徐々に違和感は広がる一方だったように思います。

もうひとつ本書に惹かれる点は、華やかな面、勝者のみに視点が当てられるという一辺倒な取材記でないこと。勝者になり得なかった選手たちの後ろ姿、合い間に洩らす本音こそ、まさに人間ドラマとして興味尽きないものがあります。
代表例として、無残に終わった女子バレーボールチームと対照的に、米国チーム相手に健闘した女子バスケットボールチームの輝きが印象に残ります。また、男子100メートルで銅メダルに終わったボルトン選手の嘆きも忘れ難い。
今年の夏は、アテネ・オリンピック。本書を読んだことで、今までとは違う見方ができるかもしれません。

冬のオリンピア/ささやかな助走/始めようぜ!/普通の国のジャンヌ/ストーン・マウンテンまで/華と爆弾/スターのいる風景/カーニバル、カーニバル/祭りは終わった

   

16.

●「杯(カップ) WORLD CUP」● ★★★

   
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2004年01月
朝日新聞社刊
(1600円+税)

2006年05月
新潮文庫化



20
04/04/25



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2002年、日韓共催となったワールドカップ・サッカーの取材記です。本書の元になっているのは、雑誌「アエラ」に連載された沢木さんの「コリア・ジャパン漂流記」
この「漂流記」という題名、よくぞ付けたものだと思います。本書はサッカー観戦記であると同時に、韓国各地と日本を絶えず移動する旅行記ともなったのですから。

沢木さん冒頭に曰く、「ワールドカップには、自国の代表チームを応援する楽しみと最高のものに触れる楽しみ」があるが、「もうひとつ、思いもかけないものに遭遇する楽しみ」があると。
それは結果的に、思いがけず本書から得られた感動に通じる言葉でした。
当初史上初の2国(日韓)共催が決まった時、不合理さを感じたのは私だけではなかった筈。しかし、終わってみれば、それは何と素晴らしいアイデアだったことか。
沢木さんはワールドカップを観戦するに当たり、韓国の側に立って観ようと、ソウルにアパートを構えます。そして、その決断は見事な正解でした。韓国の様々な表情を知ることに繋がったのですから。
本書には、いろいろな見所が詰まっています。サッカーという競技のもの熱狂性、そのサッカーにかける韓国の熱意、韓国と日本の熱意の差、また勝負における各国チームの表情等々。
それ以上に私を感動させて止まなかったのは、このワールドカップを機に、韓国と日本が草の根レベルで交流できたという事実。沢木さんは移動中、何度も韓国の人の親切に助けられるし、日本では韓国チームを応援しようというムードが盛り上がる、という出来事もあり、初めてお互いを知る部分が多かった筈。
国民性の違いはあるものの、隣国として似通ったところも多分にある日韓両国が普通に交流できる転換期となったのが、このワールドカップではなかったか。
スポーツ観戦、紀行、生身の触れ合い等、沢木さんならでは読み応えあるノンフィクション。そんな本書を、読み逃さずに済んだことは、幸運でした。お薦めしたい一冊。

緑の海へ/得ることと失うことと/曙光/トラベラーズ・ハイ/巨艦の沈没/冷たい雨の中で/赤い歓喜/杯<カップ>の行方/春のソウル

             

17.

●「1960−沢木耕太郎ノンフィクション7−」● ★★

  
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2004年06月
文芸春秋刊
(1905円+税)



2004/07/25

「危機の宰相」は、1977年の「文藝春秋」に一挙掲載されて以来、未刊行になっていた長編。元々は、「テロルの決算」および「未完の六月」と併せて“1960年三部作”の構想だったそうです。
当時の首相・池田勇人の唱えた“所得倍増”という言葉に惹かれたのが執筆の動機だった由。
何故“危機”と冠されているのかというと、安保抗争の責めを負って辞任した岸首相の後をうけて就任したかららしい。

本書の中心的内容は、“所得倍増”という強烈なキャッチフレーズが誕生した経緯と、それを唱えた池田勇人という人物を追及したもの。必然的に経済論、経済数値が度々登場し、何故沢木さんがこの作品を書いたのか、不思議な気がします。
もっとも、沢木さん自身は、経済を書くというのではなく、スポーツを描くのと同じような気持ちで書いた由。その理由は、所得倍増という言葉が池田首相一人によって考え出されたものではなく、同じ大蔵省人脈の田村敏雄下村治というブレーンがいてこそ発現された言葉であること、その時代にその3人の運命的出会いがあったこと、に着目した故だったようです。

現在からすると、1960年もその発言ももはや歴史の中の出来事になっていると言うべきでしょう。当時には、敗戦という苦難を土台にしての希望、熱意があったと感じます。それが今では政治も官僚も何故あれ程の体たらくを示しているのかというと、高度成長時の既得権に固執している所為だと思い至ります。
それなりに考えさせられ、勉強にもなった一冊。

危機の宰相/テロルの決算/未完の六月(ナイン・メモリーズ)

 

18.

●「 凍 」● ★★★

  
凍画像
 
2005年09月
新潮社刊
(1600円+税)

2008年11月
新潮文庫化



2005/10/21



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ヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7,952m)北壁に挑んだクライマー、山野井夫妻を描くノンフィクション。
ただし、本書についてフィクション、ノンフィクションの別を云々することは何の意味もない。そんな小さな問題をはるかに超えて、ただただ、圧倒されるばかりの物語なのです。

登山に全く知識がなかった所為か、高峰へのクライミングというと登山隊を組んで幾つものベースキャンプを設置して段階的に登っていくものとばかり思っていたのですが、それとは全く違った登山方法があるというのを本書で初めて知りました。
“アルパイン・スタイル”というもので、スピードを重視し、ベースキャンプから一気に頂上を目指し、短期間で戻ってくる。そのためには、背負えるだけの少ない荷物だけで勝負するというやり方。山野井泰史は、元々ソロ・クライマーとして名を馳せていたとのことです。
それにしても、本書でまず魅せられるのは沢木さんの文章。一切のムダがなく、まるで鋼のような硬質な文章。いったいどこからこうした文章が生まれるのだろう。沢木さんの著書を読む以外になかなかこうした文章には出会えません。
こんな文章に触れられることだけでも、嬉しい(※文章だけで嬉しく感じられるのは、あと幸田文さんくらいなものか)。

前半では山野井泰史さん、9歳年上の奥さんである妙子さん各々の、これまでのクライマーとしてのきっかけ、経歴が語られています。実力あるソロ・クライマー、稀に見る強さをもった女性クライマーとして評価の高い2人の日常生活は、山に登ることに集中して極端なまでに質素なもの。ただし、この辺りでは単にふ〜んという思いで読んだ部分。
この2人の凄さ、強さを思い知るのは、実際に2人が登り始めてからのことです。自分を過信せず根拠もなく楽観せず、冷静に事態と自分の力を分析して判断を重ねていく。そしてそれを実行する精神力・体力、もう圧倒されるばかりです。
技術は泰史さんの方が上なのかもしれませんが、妙子さんの強さはそれをはるかに超えて凄い!と思わざる得ません。
クライミングの過酷さにも圧倒されますが、もうひとつ感嘆するのはその後の人々との関わり、2人の再起の様子。
凍傷で手足の指を失っても悔いなど感じさせず清々とそれを乗り越えてしまう、特に妙子さんが凄い! 真のクライマーとはこうしたものかと思うのです。

本書に隙のなさを感じるのは、沢木さんが“闘い”という視点から2人を見ているからだと思います。まさに沢木ノンフィクションの真骨頂でしょう。闘いであるが故に緊張感、闘志、判断力・決断力、実行力がすべて発揮され、かつ試される。読み手はその姿に感動を覚えるのです。
なお、何故こんなにまでして山に登るのか?という疑問は、本書を読んでいて一瞬たりとも思い浮かぶことはありませんでした。

ギャチュンカン/谷の奥へ/彼らの山/壁/ダブルアックス/雪煙/クライムダウン<下降>/朝の光/橋を渡る/喪失と獲得/ギャチュンカン、ふたたび/後記

 

19.

●「という言葉を口にできなかった二人のために」● ★★

  
「愛」という言葉を口にできなかった二人のために画像
 
2007年04月
幻冬舎刊
(1500円+税)

2010年04月
幻冬舎文庫化


2007/04/30


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本書は「世界は「使われなかった人生」であふれてる」に続く2冊目となる映画エッセイとのこと。31編を収録しています。

本書に書かれている映画の中で私が観たことのある、あるいは知っていた作品は僅かです。雑誌に映画評を連載しているということですから、沢木さんの観た作品が多いのは当然のことでしょうが、それにしても、と思う。
一部にバイオレンス風な作品もありますけれど、殆どの作品は人間ドラマを描いたもの。
沢木さんはこれらの映画の中で、人間の様々な人生、様々な思いを見てとっているようです。さしづめ、私が小説の中でそれらを読もうとしているように。
あとがきで沢木さんは次のようなことを言っています。
「最近本が読めなくなった。なるほどね、という以上の感想が生まれることがあまりない」と。その一方で映画に関して、「どこかしらに驚きを与えてくれる部分を持っている。そして、依然として深く心を動かされることがあるのだ」と。
あとがきで読むまでもなく、本書を冒頭から読み進むに連れ、沢木さんのそんな思いを自然と感じます。

なお、本書で取上げられた映画の内私が観たことのある作品は僅かに次のものだけ。
ローマの休日」「父と暮せば」「フィールド・オブ・ドリームス」「きみに読む物語」「プリティ・ウーマン」「海を飛ぶ夢

  

20.

●「旅する力−深夜特急ノート−」● ★★★

  
旅する力画像
 
2008年11月
新潮社刊
(1600円+税)

2011年05月
新潮文庫化



2008/12/19



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深夜特急の前後、裏側を書いた、ファン必読の最終巻。

副題に「深夜特急ノート」とあるものの、最初は旅に関するエッセイ集と軽く考えていました。
ところが、これは本当にあの「深夜特急」に関する、それも「深夜特急」では書かれなかった部分を余すところなく書いた、貴重な追加版ではありませんか!
沢木さんのライターとしての道のりを知ることができる貴重な一冊、「深夜特急」では明らかにされていない前後事情を初めて知ることのできる貴重な一冊、という魅力があるのは勿論なのですが、それよりも、何を置いても、再び「深夜特急」の一冊を読むことができたという事実が、何よりも嬉しい。

まず冒頭は、沢木さんが初めて経験した“旅”、そして高校生の頃に経験した本格的な旅のこと。
そして、沢木さんがライターとして成り立ち得た道のり、その過程で受けた温情のこと、そのおかげがあって身につけた文章スタイル、ライターとしてのジャンル。
何故旅に出たのか、何故アジアからヨーロッパを目指したのか、いかにしてその旅は本になったのか、殆ど昼の旅なのに何故「深夜特急」という題がついたのか、「第三便」が刊行されるまで何故六年という長い時間が空いたのか、等々。
「深夜特急」に感激しつつも何となくすっきりしていなかった疑問がやっと解消した気分。
本書を読了した今は、16年という時間をかけて、やっと「深夜特急」の全てを読み終えた、という気がします。

あのような旅ができたのは、そして、そうした旅をする力があったのは、若い時だからこそと改めて思います。
あれこれ構わず、いいから行っちまおう、と思い切るだけの決断力。沢木さんのような旅には及ばないまでも、私にもそうした旅がありました。思えばやはり26歳の時だったか。

再読したい本の一番手は何かと問われたら、それは勿論「深夜特急」に他なりません。

旅を作る/旅という病/旅の始まり/旅を生きる/旅の行方/旅の記憶/旅する力

       

沢木耕太郎著作のページ No.1   沢木耕太郎著作のページ No.3

沢木耕太郎小説作品のページ

   


 

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