千種有功 ちぐさありこと 寛政九〜嘉永七(1797-1854) 号:千千廼舎(ちぢのや)・鶯蛙園(おうけいえん)など

寛政九年十一月九日生。但し『公卿補任』によれば寛政八年の生れ。村上源氏、久我氏流。父は正三位千種有条(ありえだ)
文政十年(1827)、左近権中将に任ぜられ、天保三年(1832)、正三位に叙せらる。嘉永七年八月二十八日、薨。五十八歳。
飛鳥井家や有栖川宮家に堂上風の和歌を学ぶが、一方で香川景樹ら地下(じげ)の歌人にも親しみ、公家歌人でありながら守旧的な歌風を脱したと評される。賀茂季鷹黒沢翁満などとも親交があった。家集に『千々廼舎集』(校注国歌大系十九に所収)と『千々廼屋集拾遺』があり、他に『和漢草(わかくさ)』『日枝百首』などの著がある。書画にもすぐれた。因みに子の有文は公武合体を主張、皇女和宮の降嫁に供奉し、維新後は宮内大丞に任ぜられている。

以下には『千々廼屋集』より十四首を抜萃した。

  3首  2首  3首  3首  2首  1首 計14首

初春見鶴

千代(ちよ)よばふ(たづ)()高し初春の松の色なる大空にして

【通釈】繰り返し千代を唱える鶴の声が高く響く。初春の松の色である鮮やかな緑の大空にあって。

【語釈】◇千代よばふ 繰り返し千年の長寿を呼び招く。「よばふ」は「よぶ」の継続態。「庭のおもに和歌のうらわをまな鶴のまなぶみぎはと千代よばふなり」(堯孝)など、古くから鶴の鳴き声を「千代よばふ」と言いなす慣わしがあった。長寿の鳥とされたためであろう。

【補記】長寿を招く鶴の鳴き声、その背景に松の色の空を置き、初春を寿ぐ。「めでたさ」という題の本意を評価の軸とする時、高く買われるべき歌であろう。

帰雁似字

年をふるそのいしぶみのきえぎえに見えてぞ帰る天つ雁がね

【通釈】長い歳月を経たあの石碑の文字のように、今にも消えそうに見えて、故郷の空へ帰って行く雁よ。

【補記】雁の隊列を文字に喩えるのは古くからの慣わし。例えば宗祇には「これやその別れとかいふ文字ならん空に友なき春の雁がね」という歌がある。掲出歌では摩滅した石碑の文字に喩え、大空の果てに今しも消え入ろうとする雁の姿を印象的に描いている。

【参考歌】津守国基「後拾遺集」
薄墨にかく玉づさと見ゆるかな霞める空にかへる雁がね

久かたの天つ空吹く風の上にことしも咲ける山桜かな

【通釈】空を吹く風よりも上に、今年も咲いている山桜であるよ。

【語釈】◇久かたの 「天(あま)」の枕詞。

【補記】高峰の山桜の壮観を謳い上げる。「風の上に」は「風の上にありかさだめぬ塵の身はゆくへも知らずなりぬべらなり」(古今集、読人不知)のように、塵や花が風に乗って散り漂うさまを言う場合に使われることが多い語であったが、掲出歌では花を散らすべき風よりも上に、ということで、その花の咲く場所の高さを言っている。

【参考歌】香川景樹「桂園一枝」
大堰河かへらぬ水に影見えてことしも咲ける山桜かな

稍々笋成竹

(たかんな)のすずしきふしぞ添はりけるあしたの露に宵の月かげ

【通釈】竹の子が伸びて、涼しい節が加わった。朝には露を帯び、宵には月の光を浴びて――。

【語釈】◇笋 竹の子。◇すずしきふし 「ふし」には「箇所」「点」といった意味もある。

【補記】笋(竹の子)を詠んだ珍しい和歌。春に生え出た笋が、夏には立派な竹に成長している。節が増えることに寄せて「涼しき節」も添わると言い、竹のもつ涼感を巧みに生かしている。

雨夜に撫子を思ふ

そぼぬれて手飼の猫は帰りけりあはれ雨夜の撫子の花

【通釈】しょぼしょぼと濡れて、家で飼っている猫は帰って来た。ああ、こんな雨の夜の撫子の花よ。

【語釈】◇手飼(てがひ) 手ずから飼い慣らしていること。自宅で飼っていること。

【補記】「手飼の猫」と「撫子の花」の照応。保護してくれる家のある猫に対し、雨にうたれる野の花を思い遣っている。今なら「付き過ぎ」と批判されそうだが、当時としては新鮮な発想である。

秋風の吹きそむるより大空をあふぎて待ちし雁は来にけり

【通釈】秋風が吹き始めてから、大空を仰いで待っていた雁は、今とうとうやって来たのだ。

【補記】「大空をあふぎて待ちし」に歌柄の大きさが出、おおらかな風格が出た。使い古された題材が、大胆率直な歌いぶりで生き返った感がある。

川月

暮れゆけば月と花とになりにけり萩のかげゆく野ぢの玉川

【通釈】日が暮れてゆくと、見えるのはただ月と花になったのだった。萩の咲く蔭を流れてゆく、野路の玉川よ。

【語釈】◇野ぢの玉川 近江国の歌枕。栗太郡老上村(今の滋賀県草津市野路町あたり)を流れていた小川。萩の名所。六玉川の一つ。

【補記】古来の歌枕を用いて風雅の世界を歌い上げている。

【参考歌】源俊頼「千載集」
明日もこむ野ぢの玉川萩こえて色なる浪に月やどりけり

秋野夕

暮るる野に残るもさびし秋萩の花のあととふさを鹿の声

【通釈】暮れる野に残っているのも寂しげである。秋萩の花が散ったあとを訪(とぶら)って啼く、牡鹿の声よ。

【補記】萩と鹿の取り合わせは古来からの慣わしで、花が散ったあとに訪れた鹿の寂しさを詠むのも万葉集以来の趣向である。掲出歌は夕暮の野の点景として鹿を詠み、情感豊かな一首となった。

【参考歌】寂蓮「新古今集」
散りにけりあはれ恨みのたれなれば花の跡とふ春の山風

初冬

きのふけふ冬めづらしき山里の木の葉の雨に雨やどりせり

【通釈】昨日今日と、心惹かれる冬の山里の木の葉の雨が降り続け、私は山荘に雨宿りしている。

【語釈】◇冬めづらしき山里の 「めづらしき冬の山里の」の語順を入れ替えたもの。「めづらし」は、見慣れないものに対して新鮮に感じる心。◇木の葉の雨 盛んに落ちる木の葉を雨に喩えている。◇雨やどり 木の葉の雨では木蔭で雨宿りするわけにもゆかない。山里の庵や別荘などに宿っていることをこのように言ったのである。

【補記】盛んな落葉を愛で、初冬の山荘で過ごす数日。

水仙花

ふりかくす雪うちはらひ仙人(やまびと)の名もかぐはしき花を見るかな

【通釈】降り積もって隠している雪を払い、仙人という名もかぐわしい花を見ることよ。

【語釈】◇仙人の名 水仙の名は「水に住む仙人(仙女)」の意と言われる。◇かぐはしき 名の美しさを讃える心と、花の香を讃える心とを籠めている。

【補記】「水仙」は漢語であるため、その名を和歌に用いることは嫌われた。釈教歌のような特別な場合を除き、和歌は「やまとごころ」のあらわれと見なされたためである。その名と香りの美しさを讃え、季節感も出して、水仙の特性をよく捉えた一首。

【参考歌】藤原長能「拾遺集」
東路の野路の雪まを分けてきてあはれ都の花を見るかな

冬山家

たよりあらば都へと思ふ落椎(おちしひ)のみのはらはらと雨も降り来ぬ

【通釈】便りがあったなら、都へ発とうと思う。椎の実がはらはらと落ち、我が身も不安で、その上ぱらぱらと雨も降って来た。

【語釈】◇みのはらはらと 「み」は「実」「身」の掛詞。「はらはら」は物の落ちる擬音であると共に、話者の心境をあらわす。

【補記】題は「冬の山家」。冬季、山の庵に籠っている人の立場で詠む。「落椎」すなわち団栗に落魄した我が身を、「はらはら」と降る雨に涙をほのめかすなど、暗示性に富む一首。

【参考歌】平兼盛「拾遺集」
たよりあらばいかで都へ告げやらむ今日白河の関は越えぬと

(二首)

あぢさゐの四ひらの花の宵ごとに我を待たせてうつろひにけり

【通釈】紫陽花の四弁の花が時と共に色を変えてゆくように、毎夜毎夜、私を待たせた挙句、あの人は心変わりしてしまった。

【語釈】◇四ひら 四弁。同音の「宵」を導くはたらきもしている。

【補記】その花を「四ひら」と言うことから「宵」を引き出し、その色の変わりやすさを恋人の心変わりに結びつけた。紫陽花に寄せて恋の心の詠んだ例は古歌にも幾つか見られるが(【参考歌】)、いずれも「よひら」と「宵」を掛けただけであった。

【参考歌】作者未詳「古今和歌六帖」
茜さす昼はこちたしあぢさゐの花のよひらに逢ひ見てしがな

 

うれしきに憂きに心のくだかれて恋こそ人の老いとなりけれ

【通釈】嬉しいにつけ、辛いにつけ、心が砕かれて、恋というものこそが人を老いさせるものであった。

【語釈】◇心のくだかれて あれこれと細かく心が使われて。「くだく」には「力を弱める」といった意もある。

【補記】「おほかたは月をも愛でじこれぞこのつもれば人の老いとなるもの」と詠んだ古歌は諧謔をこめてのことであるが、掲出歌は恋こそが人の心を老いさせると言って真実味が籠っていよう。

【本歌】在原業平「古今集」
大方は月をもめでじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの

山烏あけぬとつぐる一声に世はさまざまの音ぞ聞こゆる

【通釈】夜が明けたと山の烏が告げる一声に始まって、世の中には様々の音が聞こえ始める。

【補記】京の町であろうか。人々が活動を始める賑やかな一日の始まりの時を活写した。時代の鼓動も聞こえるような歌である。


公開日:平成20年09月29日
最終更新日:平成20年09月29日

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