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旅の話あれこれ 5
チャリング・クロス街84番地 -本を愛する人のための本-
H. ハンフ編著 / 江藤 淳訳
講談社 1980年 1000円
"84. Charing Cross Road" by Helene Hanff  c1970.

本屋さんの店頭で、ふと探偵小説の中の「隠れ家」の住所みたいなタイトルに心ひかれて、
手に取ったのが、この本との「出会い」であった。「フランク・ドエルさん、あなたは、何を
なさっていらっしゃるのですか? 何もしていないのではないのですか? ただ座り込んで
いるだけなのでしょう?」

「・・・・・・ご希望の書籍、1冊もお送りできずじまいで、なんとも心苦しく思っております。・・」
アメリカ人の作家の卵(?)である一人の女性、ヘレーン・ハンフが、イギリスの古書専門店、
マークス社に注文を出したことから、店員、フランク・ドエルとの間に手紙のやりとりが
始まる。手に入った本についての喜び、苦情、代金の清算などが、率直に気のきいた
文章で語られ、それに対して、誠意にあふれていて、生真面目で、律儀な返事が返ってくる。
この対比も又、おもしろい。手紙には、いろいろな本が登場してくる。その本の一つ一つに
ついては、恥ずかしい事にほとんど正確な知識はないのだけれど、愛書家の彼女によって
語られるそうした本の名前を脚注に頼りながら追っていくだけでも楽しい。

「・・・・・・私は、見返しに献じが書かれていたり、余白に書き込みがあるの大好き。だれか
ほかの人が、はぐったページをめくったり、ずっと昔に亡くなった人に注意を促されてその
くだりをよんだりしていると・・・・・」という1節などは、思わず一人、心の中で、乾杯!である。
手紙の中の一語ずつが、本との手ざわりの関わり方とか、本をいとおしむ心の弾み、を
そのまま伝えてくれる。誰も目を通していない本は嫌い、と古い本にだけ執着する彼女の
心情はある意味で、極端かもしれない。でもそこには、「書物は、ただの消耗品ではないョ」
という主張がこめられているような気がする。この本は、改めて、ごく当たり前のことを
しっかりと示してくれる。*

*彼らのほのぼのとした交友は、周囲の人々をも仲間に
入れて、少しづつ広がりをみせる。戦争の困難な
時期をはさんで、送られるものが、卵や砂糖や肉に
なったりもする。最後の頁が、近づくにつれ、本は
終わっても彼らの交流は続いているに違いない、という
願望のような思いにとらわれている自分に気づく。
それが、突然、終わりを告げられるのは、ドエル氏の死に
よってである。そして、すでに20年の歳月が流れていた
ことにも気づかされるのである。

扉のたった一枚の写真と彼らの暖かいやりとりによって、
私の中に確かなイメージを形づりつつあった
チャリング・クロス街84番地のマークス社も今はない。

「・・・・・・あけすけに申し上げて、時にあなた様に
やきもちをやくこともありました・・・」このドエル夫人の
最後の手紙の中にある1節だけがほのかな現実感を
残してくれる。(文 管理人)
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