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旅の話あれこれ 2
ドイツでお医者さんにかかる

もともと病気には、臆病な主人である。
ネルドリンゲンでのことだ。喉が痛くなってきたと言う。
そうなると、どうしてもお医者さんにかからなくては、
気がすまないらしく、前日の散策で、ちゃっかり目に留めていた
個人のドクターにかかるという。

でも、熱があったわけではない。
もともと日本でもこういとがありがちな主人なので、
私と娘は、冷たくも、時間がもったいないとばかりに、彼を残して、
バスでディンケンスビュールに出かけた。

その間に、主人は、「病気の症状のドイツ語」という項目
があるガイドブックを持って、そのドクターを訪れていた。

その結果、案の定なのだけれど、
「大したことでない。」との診断で、処方されたのは、ペニシリン
不満顔の主人が言う。「今時お前、ペニシリンだよ。」

抗生物質を日常的に大量に処方しているのは、日本だけらしい。
その土壌にどっぷりとつかって典型なタイプの主人は、
そう言っても聞くものではない。主人にとっては、いざという時には
なんと言ってもやっぱり抗生物質なのだ。

「でも、こじれたりしてなかったから、良かったんじゃない?」と私。
その目の前で、主人は、「まあな。」言いながら、持参の抗生物質を
飲んだ。
そうだった。こんな場合に、主人が持って行っていないはずはないのだった。
旅先で頼りの手持ちの抗生剤が無くなるのが、不安だった、というのが
本当のところだったらしい。

その時の診療費は、
3日分位のペニシリンと、診察料で41.96DM(3、500円)だった。
ケルン駅で、家族が、別れ別れになる」


そのいきさつは、こうだ。グーテンブルク博物館に行くために
マインツに向かう予定だった。
すでにホームに入っていた汽車に主人が、乗り、こう言った。
「席を取っておくから、2人で、サンドイッチでも買ってくれば。」
娘と、私は、早速、朝食の確保のため階下にあるパン屋さんに行った。

何しろ、時間は、たっぷりだ。あーだ、こうだと、ゆっくり
吟味して、パンと、飲み物の缶を買った。そして、袋を抱えながら、
ペチャクチャと、階段を上って、ホームに戻ると、、、、

汽車がいなかったのだ。もちろん乗っていた主人も。
??? !!!
何が起こったんだろう。どうして、汽車は、出発してしまったんだろう。
まだ、時間は、あるのに。発車までには、7、8分はあるハズだった。
しばし、娘と顔を見合わせていた。こんな時、娘が、
焦って騒ぐタイプではなくて、しみじみ良かったと、思う。

「時刻表を見なおしてみよう。」娘が言う。
心は、アタフタしつつも、冷静さに努めた。そして、分かったこと。
私達が、乗る予定だった汽車の到着ホームが、
変更になっており、そのホームに、もっと、早く発車する別の列車が、
入っていたのだ。
主人が、乗り込んだのは、別の汽車だった。
綺麗な列車だったので、そこにいい席を確保して、多分、大喜びで、
ビデオの準備なんかをしている主人を乗せたまま、
汽車は、出発してしまったのだ。

後で、主人に聞くと、その時の主人のあわてぶりも
相当だったらしく、他の乗客の人に笑われたそうだ。



私達は、時刻表の掲示板で、発車してしまった列車の
行く先を確認した。マインツの方へ行く汽車だ。その点は、よし。
主人は、状況が理解できてはいないものの、
目的地に向かっている。

ホテルに電話をかけておくことにした。
もし、主人が、マインツに着いて、ホテルに電話した時
状況を伝えて、私達が、後を追うことを、伝えてもらうつもりだった。
ところが、電話がすぐにみつからない。おまけに、ホテルでは、
英語がわかるご主人も奥さんも留守。時間も無駄になって大失敗。

結局、そのために、2列車ほどを、乗り過ごして、
後を追いかけることになった。
汽車の中で、四苦八苦して、マインツの駅でのアナウンスを頼む。
やっと、マインツ着。無事再会。

ただ、主人は、ホームで私達を探していて、駅舎には、いなかったため、
放送も聞いていなかったそうだ。その汽車で来なかったら、
次の汽車で戻ろうと思っていたそうだ。
からくも一件落着となったものの、危ないところだった。
ヘタに動かない方がよかったの巻となる。



この騒動のため、この日の予定は、大いに狂ってしまった。
「グーテンブルク博物館」は、パスすることに。
更に、タクシーで、ライン川の船着場に行ったけれど、
コブレンツに向かうこの日の最終便も出てしまっていたのだ。

あわただしく、明日、もう1回出直すかを相談。
結局、朝からの数時間を無駄にしないためにクルーズはしてしまおうという
ことにする。

最終の始発の船がある次の駅まで、タクシーで、追いかける
ことにしたのだ。
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