リズムとは間の取り方である

音楽のリズムはどういうタイミングで音を出すかで決まる。あるタイミングで音を出すということは、その瞬間までは音を出さないわけだ。つまり、音を出さずにいる時間の長さによってリズムが決まるのである。我々の行動のリズムも同じことである。行動するタイミングによって行動のリズムが作られるが、タイミングということに関しては、行動そのものより行動せずにいる時間の方が問題なのである。そして、我々は行動のリズムによってを感じる。心は行動のタイミングによって表現されるのだ。大事なのは間の取り方である。

だからこそ、何もしないぼおっとすることに価値があり、退屈を楽しむということもできるのだ。しかし、何もしない状態だけがずっと続くとしたら、それは間ではない。間は行動と行動によって区切られた時間なのだから、間というものが存在するためには行動が必要なのである。ドーナツの穴が存在するために「小麦粉を練って揚げた部分」が必要なのと同じである。心は間によって表現されるのだが、間を直接表現することはできないから、行動のリズムによって間接的に表現されるのだ。

心は自分の中にある「五感によって認識できない部分」のことだから、他人の心だけではなく自分の心も明確に認識することはできない。だから、自分の心というものも自分の行動のリズムによって間接的に知るしかない。自分のリズムで行動しなければ、自分の心は分からないだろう。しかし、自分のリズムで行動するのは簡単なことではない。

自由な心が自由なリズムによって表現されるとしたら、そのためには行動と非行動(?)を自由に切替える能力がいる。2つの状態を自由に切替えるためには、一方がオンの時にもう一方をオフにしていたのでは間に合わないから、常に両方オンにしておけばいい。つまり、行動と非行動を同時にやるわけである。「行動」に「何もしない」を足しても「行動」のままだから、それは可能だ。それができたら、意識だけをリラックスとクールの2つの状態に交互に切替える。すると、自由なリズムが生まれるはずである。