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三井の、なんのたしにもならないお話 その三十四

(2013.05オリジナル作成/2020.04追加)



 
 
私のカメラ遍歴(その七) 番外店じまい編


 
 
 
 わがカメラ遍歴というか、むなしい欲望とむなしい成果というか、それを書き記してからもう7年も過ぎてしまいました。

 そんだけ歳月が過ぎれば、なんのためのカメラ買いだったのか、使えているのか、否もう使い物にならないガラクタなのか、否応なく現実に裁かれてしまいます。しかも、おのれが歳を取り、動きも悪い、出かける機会もなくなった上、完全年金生活者となり、身辺整理をせねばなりません。「買う」力がないだけじゃなく、「要らない」「使わない」ものを整理処分し、ちっとはゼニに代え、少なくともスペースを節約せねばならないのが、わが現実です。「断捨離」などという言葉は嫌いですが、持ってるだけのものは捨てるべきなのは、理屈として納得せざるを得ません。

 

 
 すでに書き加え、記してきたように、現に処分したものもあります。
 
 六六版フィルムカメラ・マミヤNew6MF売りました。いいカメラだと思うのですが、もう持ち出す機会もなく、何年も動かしていないので、買い取り値を見て手放した次第です。レンズ三本とともに(正確には一本突っ返されたのですが、まあ売った店が引き取らないという、いい心臓ですね)。

 
 これは寂しい選択ですが、そうじゃなくって、もう動かない、使い物にならないものもいくつも出てきています。時間の経過は冷酷です。

 そこがとりわけ、マシンとしてのデジカメのちゃちさです。もちろんフィルムカメラでもメカがダメになった(主にメカというより電子系)ものもありますが、エレキの塊であるデジカメは、そこがいかれればだだのゴミ、せいぜい博物館陳列品になってしまいます。
 もともと私の所有ではないので、キャノンIXY30ニコンP6000のように返納申し上げたの、あるいはまた、オリンパスE300富士X-S1のようにひとにやってしまったのを除き、私の手元にまだありながら、アウトになってしまったのを個々にあげましょう。

 

 キャノンA530

 もう動きません。ウンともスンとも言いません。完全アウトです。コンデンサの劣化、撮影可能状態を維持できないどころではなくなりました。
 
 

 フジF810

 これも、起動はしても画面表示されず、多くの輝線が揺れるのみ、そして写りません。おしまい。ただ、F810は二台あるので、もう一台はちゃんと起動し、撮影できるのですが、今さら持ち出す機会があるかどうか。最大の問題はxDカードというメモリです。下にもあるように、CFも今どき厄介者である以上に、xDはどうにも扱いに困ります。必然的に出番はなくなります。16年も前の製品、630万画素ですからね。動作はのんびりしてますからね。電池の持ちもかなりプアですし。
 
 

 ニコンFE10

 フィルムカメラです。でもダメです。実は、まったく趣味的に、ニコンのロープライスフィルム一眼レフを揃えていました。中古なら○カみたいに安くなっていましたからね。それがフルマニュアル機のFM10とオート電子シャッターのFE10だったのですが、殆ど実際の出番はないうちに、FE10はどうも調子がおかしくなり、最近取り出してみると、まったく動きません。電子シャッターですから、電気系がいかれるとまるっきり動かなくなるわけです。もちろん電池を入れ替えても同じこと。
 片割れ、フルマニュアルのFM10は変わらず元気で、内蔵露出計も作動します。加えて、「虎の子」FM3Aがあります。これは手に取るだけでも、しっかりしたメカの印象です。オートフォーカス一眼レフF100も、危なっかしいですが健在です。ですから、FE10は使われることのないままゴミとなりました。
 
 
 

 
 アウトではない、動く、写るんだけど、あまりにパフォーマンスがプアで、これで撮る気がしなくなったのは、以下です。フィルム撮影の「個性」だの「表現力」だの、原点性だのと肩肘張ってみるのならともかく、デジタル画像でありながら、スマホのカメラ機能に太刀打ちできなくちゃ、今どき使う意味がありません。須磨輔で、「よく撮れちゃう」、あの人工的な画像処理の技に遠く及ばないのでは、情けなくなるのみです。時代に取り残されたとせねばならないでしょう。
 
 
 パナソニックL1K

 これは非常にがっかりですね。ライカのDigilux 3同等品で、バリオエルマリートレンズ込みで10万円以上も出したのですが、13年前には感激する写りであったものの、いまになると、寝ぼけたような画像です。これは、時代にテクノロジーが取り残されたというより、撮像素子などの劣化なのかも知れません。まあ、もともと750万画素なんですから。当時は最先端だったライブビューなどの機能も、もう当たり前に過ぎて、独特のメカや機能、操作もいまは煩わしいだけになってしまいました。

 故障はないものの、それこそこれで撮ろうという気持ちが萎えてしまいます。図体はかなり大きいのに。「付属の」パナライカレンズだけ、他のフォーサーズ機に使用しましょう。
 

 
 パナソニックLC1

 右に同じです。今どきのデジカメに比べたら、あまりに貧相な性能・画像になってしまいました。定番の故障は修理されたものの、パナLF1に全然負ける画像では、ひたすら大きい、重いだけです。バリオズミクロンレンズを誇るには、撮像素子はじめカメラ本体が弱体に過ぎました。「コンパクト」ではないコンデジとして、デジカメの技術の進歩の流れを立証する、「標本化石」とでも呼ぶべきでしょうか。でも、私は博物館を開く余裕はないのです。
 

 
 オリンパスE420

 これも悪くはないのですが、今さら「最小のデジイチ」を誇る意味はなく、なにより手ぶれ防止がないのは、今どき致命的です。デジカメを10年以上も手にしてきて、やはり手ぶれ防止メカは大事だと申さねばなりません。それだけ、こっちのカメラの扱いがぞんざいになってきたと認めねばならないのですが、「それでも撮れる」メリットは大きいのです。手ぶれ防止を入れた、一回り大きいE620はまだ現役で持ち出すこともあるゆえ、E420はひたすら戸棚のお飾りです。どちらも、CFコンパクトフラッシュ使用なのは重い難点ですが。SDカードの入るCF(仕様アダプタ)というのは、どうしてないのでしょうか。大きさ的には可能に思うのですが、今さらニーズがないのでしょう。でもそうでもないと、撮った画像の加工や送信に困難を来します。いまやSDカードがデファクトスタンダードになってしまったのですから。
 
 いやありました。SDカードを入れるCF型アダプタ。いま市販されているだけじゃなく、自分でも持っていたのです。使わなくなったCF関係をひっかきましていたら、ちゃんとありました。昔はともかく、モーバイルPCのデファクトスタンダードが「PCカード」だったので、そこに入れる各種アダプタ類等の山の中に。PCカードはもう絶滅したので、これらは完全にゴミです。
 ゴミの山から出てきた、パナソニックのSD-CF AdaptorBN-CSDABP3と記されたものです。なんのはずみで入手したのか、あるいは上記のPCカードスロット用のアダプタ類とセットだったのかも。ところがこれがいけません。SDを入れて、カメラにセットしても、カード異常が表示され、シャッターがおりないのです。まあ、かなり古いことは間違いないので、経年劣化か、接点不良にでもなっているのかなと考えましたが、ところがそんな一筋縄ではいきませんでした。いろいろ考えて、SDカードを入れ替えていると、なぜか認識されるのがあるのです。PC側に各種カードアダプタを付け、このCFアダブタを入れると、ちゃんと認識され、それでもってカメラにセットしても、こんどは問題なくシャッターがおりて撮れるのです。

 ではその条件は?SDカードの状態じゃなく、「容量」(!)でした。SDの大きさが512MBだ、2GBだというレベルだとちゃんと認識されるのです。つまり、これはそういった時代の産物なのでした。16GBだ8GBというような、いまどきのSDカードじゃ使えないという、なんともはやです。

 あぜんぼーぜんですが、いまどきスタンダードに対応する、「SDXC用CFアダプタ」というのも、いまも買えるようなのです。でも、3千円近くするんですぞ。これは考えちゃいますね。アダプタ買うか、CF使用カメラの方をあきらめるか。


 
 
 キャノンG12

 これは意外に、いまダメです。
 いいカメラ、私の使い勝手に適していると思い、SDカード使用でもあるので結構活躍をしたのですが、近年は常時携帯持ち出し用がもっぱらパナのLF1に特化してきたなか、眠っていることが多くなりました。それでも最近起動をしたら、問題があるのです。背後の液晶画面がきちんと写らない、真っ暗、回線接触不良のような状態が生じるのです。撮れはするし、ときに画面に写りもするのですが。以前は液晶画面頼りでなく、透過ファインダーで撮っていた、だから気がつかなかった、そんなことはないですね。撮った画像の再生チェックは普通にやっていたのですから。何らかの経年故障でしょう。

 これにはがっかりですが、考えてみれば、この太めの図体を今さら携帯用に持ち歩く可能性はありません。あとから入手したG10は、モーバイルプリンターCP-10を使うためという、れっきとした目的があるので、「とっとく」意味もあるのですが(そして、こちらは今のところ故障はありません。液晶画面は固定でもありますし)。
 

 
 パナソニックFZ50

 *記したように、いまもちゃんと動くのですが、ズームレンズなど時代遅れの性能になった上、バッテリーがダメになってきていて、持ち出す意味がなくなってしまいました。今さらまたバッテリーを買う気にはなりません(入手できるらしいのですが)。FZ1000、ニコンP900が代わりを務めてしまっています。
 ですから、これ欲しい方には謹呈致します。箱入りワンセットそろいで。電池の問題あっては、ご遠慮されるかも知れませんが、ちゃんと撮れますですよ。
 

 
 ニコンD90

 まあいいカメラで、いまもちゃんと動き、撮れるのですが、DXフォーマットの同タイプ同レベルのものをいくつか持ち、それらを主に持ち出していると、D90の出番がもうありません。性能機能的に15年前のものですから。ただ、売ってグレードアップという、これまでのパターンも正直考えたのですが、いまは売りたくても捨て値にしかならないようです。それだけいっぱい世に出たせいらしいのです。

 誰か引き取ってくれないかな。
 

 
 これら以外でも、一時期一生懸命買い込んだフィルムカメラも、いまはまず出番がありません。ただ、「システム」として買い込んでいると、一部だけ手放すという考えにいかないのです。
 代表的なのがマミヤC330sです。もうこういった図体の大きな二眼レフを担ぎ出す体力も勇気もなくなりましたが、交換レンズを含め、あれこれ揃えた上に、これを手放すと、事実上二眼レンズ機におさらばすることになってしまいます。そこに思い切りがまだできません(ちなみにこれを書いていたら、「にがん」の入力に、ワープロソフトが勝手に「予測変換」をし、「に癌」としかしてくれません。まさに「二眼レフ」は完全死語になりました。「イチガン」も、「一眼レフ」とは理解されない時代もすぐそこです。笑えてしまいます)。

 それ以上に大きいのは、マミヤ645ですね。M645 など私のカメラ人生のスタート段階からあるので、もう40年以上の付き合いです。いいカメラだと思うし、いくつものタイプを買い足し、また諸部品付属品も買い足してきましたが、いま手にすることはほとんどありません。AFの645AFDでさえもそうです。しかし、そこで記したように、マミヤ645ないし同系機のデジタル化というのは、あまりに敷居が高くなりすぎ、到底手の及ばないものになりました。ですから、これはまるごとぶん投げるしかない現実です。捨てるくらいなら、「遺産」のうちに残しておきましょうか。

 
 つまるところ、私はカメラを収集する趣味ではなく、あくまで撮るのが目的なので、撮るに使えない、使いたくないものをいつまでも抱えておくのは本旨に反します。あとは未練だけです。

 でも、なんとも寂しい夕暮れ風景ですね。




(2020.5.3)

パンデミック、カメラパニック襲来

 そんなことをのんきに記しているうちに、世は空前のCOVID-19によるパンデミック、世界中がパニック状態、日本国内でも「外出自粛」と交通規制、事業所・学校大学・商店閉鎖・公共施設閉鎖・イベント中止など大変なことになってきました。しかもその先が見えない、恐ろしいほどの犠牲者の数か日々増え続けるなか、どうやっておのが身を守るかが最優先になります。

 自分が生きているなかで、こんな経験をすることになるとは、もちろん誰一人予想だにしなかったでしょう。たとえいまの状況が改善好転したとしても、この社会経済的打撃の大きさは、文字通り想像を絶するかたちで、歴史に刻まれ、後々まで、私たちの人生と日々の暮らしを脅かし続けるでしょう。

 そんな事態のなかで、わが手持ちのカメラがどうしたこうしたなど、文字通りどうでもいいことの筆頭ですが、カメラにも曲折と打撃が相次ぎました。これはまったく無関係というより、私自身もあらゆる予定や関わり、スケジュールがことごとく中止中断になってしまうなか、まあじっと家に閉じこもるのも健康に悪いと思い、極力歩き、体力保持に努めた、そのせいでもあります。また、身辺整理をかね、カメラを戸棚からとりだし、点検確認を図った、それで分かったこともあります。


 いくつか、新たにお亡くなりになってしまいました。

 出歩いた先での「事故」で、パナソニックDMC-LF1が臨終を迎えました。まだ動くことは動くのですが、もはやまともに画像を撮ることはできないようです。非常に悔しい、こういった散歩やさまざまな外出の機会などにいつも携えていた常用機なので、ダメージも大きいわけです。おそらく、撮影ショット数は最多でしょう。
 ある意味いちばん完成されたコンデジであり、私にも手慣れた機でもあったので、悔しさを拭い、専用バッテリーなども救うため、また一台中古で買いました。まさにいま最盛期となってしまったネットショップでの購入、デリバリーです。必ずしも程度表示は高くないものですが、1万7千円ほどのを発注、宅配で届いたのはそんなに悪くはありません。十分また使えそうです。ショップの表示が高くなかったのは、充電アダプターがついてなかったせいもある(この機のバッテリーには、なぜか充電器が発売されず、本体に入れたまま電源アダプターを接続しないと充電ができない)と想像されますが、当方それら一式はあるんで。



 こうした、どさくさのうちの「新旧交代劇」と代償は別として、もっとダメージになったのは、オリンパスE-620が突然死してしまったことです。これはウィルス禍などと直接関係はないですが、点検をかねてとりだし、試写などしているうちに、突然動かなくなってしまいました。スイッチを入れてもまったく動きません、電源が入りません。電池を取り替えても変わりありません。

 なんでこんなことになったのか、若干は当方の操作の荒さもあったかも知れません。CFとxDのみがメモリーである時代遅れ性を嘆くなか、SDカードを入れるCFアダプタという代物を持っていたことを発見、これを用いて撮ってみる、いろいろ出し入れする(それで、私の持っていたアダプタは古すぎて、SDHC規格には対応せず、4GB位までしか使えないと確認)、などなどいじった次第です。どうもそういった操作が何かの引き金になってしまったとしか想像できません。

 うえにも記しましたように、今日のデジカメは電気系がおかしくなれば一巻の終わりです。まったく使い物になりません。そのうえ、これを修理するという見通しはほぼゼロです。回路系の部品などがあれば、メーカーも交換修理対応しましょうが、もうそうした「修理可能期間」はとっくに終わっています。ですから、これはおしまいです。ただのゴミになってしまいました。


   悔しいのは、「フォーサーズ」規格で、いちばん残しておきたかったのがこのE-620であったことでした。大きな声じゃ言えないけれど、上にも書いてしまったように、E-420はもう使えないか、と考えていた矢先でした。その邪念が災いをもたらしたのかも。
 E-620は私の所有しているフォーサーズ機のうちで唯一、本体内に手ぶれ防止機構を持っていたのでした。これで、レンズ内に手ぶれ防止を持たないオリンパスやシグマのレンズを安心して使うことができる、フル可動の液晶スクリーンで、ライブで画像見ながら撮れる、等々のアドバンテージに安堵していた、それを失っちゃったのです。残されたE-420は小さいだけで、機能的に及びません。パナのL1Kはこれまた記したように、今さらながらがっかりしたところでした。

 L1KやE-420への「縁切り」のようなことを記してしまったため、その怨みがE-620に取り憑いたと考えれば、いかにもの因縁話です。ともかくこの事態で、戦線整理してみれば、レンズ内手ぶれ防止を備えたパナライカレンズにはパナL10二台で対応はできるし、これをL1KやE-420につけてもいいのだけれど、まず意味がありません。逆に、他のフォーサーズレンズを生かすには困難不利が増してしまいました。まさに盲点を突かれました。


 残された選択肢は幾分込み入っています。ひとつは、パナライカレンズとL10以外の、フォーサーズレンズとE-420、L1Kといったボディを一絡げ、この際諦めてしまうことです。もうそんなに撮る機会もない、場所をとるだけ、博物館じゃない、撮るに必要ならニコン系のデジイチとレンズ群がある、それに集中すると覚悟をすることです。ただ、いまはもう、フォーサーズなどどこでも、ただでも引き取ってはくれないらしいというのが、この弱点です。

 第二は、今さらの未練ながら、E-620を中古市場で探すことです。LF1程の使いでももはやないことを承知で、こういったことをするのは、未練そのものとしかいいようがないのですが、不可能ではありません。ただ、E-620というのはやはりまだ一定人気があるようで、結構高いし、また容易に中古市場に出てきません。これの弱点は、「また同じことが起きる」可能性、そしてE-620固有の弱点である、SDメモリーじゃないところです。

 第三は、「E-620 の代わりになる」フォーサーズ機を中古市場で探すことです。これもそう容易ではないのですが、一応の候補はオリンパスのE-510、E-520、E-5です。前の二つはE-620の前の世代、ですから大した差はないというより、ボディ内手ぶれ防止はある、液晶画面は固定、もちろん撮像素子はひと世代前だし、同じくSD不可だし、というところです。これもそう市場に出てくるわけではないものの、値段は幾分安いようです。
 これに対し、E-5というのは「高級機」、新品時代からバカ高かったし、図体はでかいし、重いしで、基本的にはメリットがありません。これでオリンパスはこけたとも言える代物です。唯一のメリットは、オリンパス最後のあがきでSDメモリが採用されたことですが、調べると今もって、中古市場で5万から6万円以上もするのです。大きさ含め、まさしく断捨離の真逆ですし、そんなゼニももちろんありません。ニコンのフルサイズ重量機で十分我慢できるじゃないですか。政府から10万円貰えば、気持ちが揺らぐかな。



 実はこれだけじゃなく、犠牲者はほかにも出ました。

 年初来、目的あって、日々住まいのなかで撮る画像があり、そのために当初はキヤノンG12をあてていたのですが、上記のように不調が見つかり、また手軽に扱うにはいささか大きい、重いということもあって引退させ、キヤノンA1400にしました。LF1の登場でずっと眠っていたものですから。手軽に日々撮るだけ、記録用となれば、これで十分だったのですが、これでも失敗してしまったのです。「家庭内事故」です。落としてしまいました。
 取り上げて試せば、フツーに撮れるので、よかった、大事にはならなかったと思ったものの、その後よく見ると、異常が見つかりました。電池ボックスのカバーが完全に閉まっていません、中が見えています。調べるに、このカバーを完全に閉じるための小さなフックが衝撃で折れたようなのです。それでも動く、撮れるというのはすごいものですが、なかは単三乾電池2本で相当大きい、重いので、こんなことになってしまったのでしょう(充電池を使っています)。これも自分では修理できません。いいコンデジだったのですが。

 泣く泣く、A1400をまた眠らせ、同系で持っていたキヤノンA1200*をとりだし、この役に当てることにしました。形状、使い勝手などほぼ同じ、ただ長く眠っていたら、日付設定を起動のたびに設定しなおさなくてはならない、これも故障かと思えば、説明書にちゃんと注意書きがありました。この機種はデイト機構データを維持するにボタン電池を使っていて、7年くらい経つと電池が消耗してしまうので、交換しろと。幸い手持ちもあったので、交換したら、なんなく正常に戻りました。まあ大したものです。A1400にはそれはなかったので、若干進歩していたのかも。

 
 *A1200については、これまで言及ありませんでした。「日陰者」にとどめたのでは申し訳ないようなものですが、2012年に購入しているのです。目的あって手にしたので、それが終わると役目がなくなり、さらに後継機でもあるA1400を買ってしまったため、なおさら出番はなくなりました。それがいま、A1400に代わって再登場とは、なんともはやです。
 A1200の諸元等については、こちら。なお、私が買ったのは「海外仕様品」でした。

 ともかく、この事故を世情コロナ禍がらみで理解するのは無理がありすぎですが、まあいろいろ起こります。カメラとの付き合いが増えた一方で、わが不注意も増したということなのでしょう。カメラには申し訳ないところです。



(2020.12.20)

E-620ふたたび買う


 上記の、オリンパスE-620の5月「突然死」は打撃が大きいものでした。

 新型コロナ禍の社会不安がもう半年以上も続き、依然先が見えないままです。
 そうしたおり、手持ちのカメラが云々もないもんだろうと思わずにはいられないのですが、逆にまた、そうであれば、いつまでも後悔ばかり抱えて日々を過ごすのも、あまりにむなしいものです。


 E-620がアウトになって以来、買い換えの可能性、同じ機種の入手を考えておりました。
 ただ、ここでの選択肢は、これを機会に身辺整理し、ふぉーさーず系をすべて諦め、手元から一掃するか、あるいはなんとか代替機を再度備えるか、いずれかでした。本来は前者が王道、我が身にふさわしい決断なのですが、そこまで割り切れない、わが未練は容易に捨てられません。それに、上にも書いたように、ふぉーさーず系のカメラ本体にせよ交換レンズにせよ、いまさら手放したくても、「売る」のがほぼ不可能である上、ただでも引き取ってくれるひともいそうにありません。

 それでも、E-620というのはいまだ一定の人気があるようで、中古店の情報に上っても、ほぼすぐに消えます。SOLD OUTの表示になります。まあそれも道理、私にとってもかなり使いやすい機種であったこと間違いないのですから。


 ということで、迷いに迷って今年も終わりに近く、ついに買ってしまうことにしました。手持ちのゼニがどんどん目減りしていく中、そんな余裕もないことは重々わきまえているつもりであっても、この悔いを抱えたまま余生を生きるのもなおのこと寂しい、というジレンマのストレスを、何とか断ち切りたくなったのです。ポジティブに考えれば、ニコン系の写りは鋭く、シャープさとコントラストで抜きん出ているが、オリンパス・フォーサーズのどっか間の抜けたような、ほんわかした鈍さも対照的に捨てがたい、といった感覚でしょうか。もちろん、デジイチ屈指の小ささ・軽さは依然として大きな武器です。

 だからもうデジイチなんか捨てて、ニコンもキャノンもひた走りの「みらあれす」にシフトすればいいじゃないの、というのが悪魔のささやきですが、それじゃあ「完全敗北」を認めるような結果である上、それこそそっちのボディからレンズから付属品から揃えていくだけで、大変な物入りです。そんな余裕はまったくないし、わが人生もそんなに残っていなさそうです。


 てな深謀熟慮、試行錯誤、右往左往の結果、「てごろな」E-620を再度買おうと決断しました。E-520とか、前後の同規格モデルも考えたのですが、たとえばボディ内手ぶれ防止はあっても、なぜか電池が違う、E-420・E-620用のじゃないとかの壁がありました。再度手持ち状況を調べてみたら、E-420とE-620で使っているバッテリーはなんと4個も転がっていました。これらを無駄にしないためにも、やはり選択肢はE-620にならざるを得ないのです。もちろん、フォーサーズ系のレンズやアクセサリーをまだ生かすこともできます。そして、かなり慣れ親しんだE-620ですから、使うに違和感はまったくありません。まさに、本年4月にリセット、時間巻き戻しですな。


 買ったのは、都内某店がweb上に広告していたもので、14-42mmズームレンズとバッテリー2個付で18,000円也でした。送料等はとられませんでした。まあ、こじつければ我が身、わが眼の復活を言祝ぐ意味もありますし、ちょうど、カメラメーカーオリンパスの終焉と時を同じくしたのですから。
 無事届いて、まあ見たとこも悪くないなと安堵して、いくつかレンズをつけたり、あれこれ試写したりしていたのですが、そこで心臓が止まりそうなことが起きました。

 望遠をつけて、試写にかかろうとしたら、突然ブラックアウト、動作しなくなってしまったのです。スイッチオフオンにも反応ありません。これは半年あまり前のE-620突然死とそっくりで、唖然呆然。これでこの機もアウトになれば、まさに18000円也そっくりドブに捨てたことになります。15分間の短い命と引き換えで。
 これはもしや、このレンズの内部の回路に問題があり、ために本体の回路を破壊したのか、問題はそっちだった、ありえなくはないと思うにつけ、ホントに心臓の動悸が高まりました。


 この冬の冷や汗ののち、少し気持ちを落ち着かせ、別のレンズに付け替え、またスイッチを入れ直すと、こんどはちゃんと動きます。壊れてはいないようです。くだんのレンズでも同じブラックアウトは再現しません、恐る恐るですが。
 でも、相当にやる気を失せさせてくれましたね。正直、もう中古機に色気を出すべきじゃないという思いを十分に知らしめてくれました。それにやっぱり、気を取り直しての試写を重ねるうち、ニコンとオリンパスじゃあ写りがかなり違う、そして自分的にはやっぱニコンなんだよな、こう実感させられるのです。しょせん1万8千円は無駄な出費だったのかなあ、この際フォーサーズは諦めるべきだったのかなあと、数ばかり増えたオリンパスのバッテリーと、2本になってしまった14-42mmレンズをにらみながら嘆息しました。(念のために、この際で、突然死したE-620ボディもまた取り出して試してみたものの、こちらは蘇生の兆候ゼロのままでした)



(2021.01.13)

 えーさて、再度手にしたE-620、今のところトラブルはありません。ちゃんと撮れてはいます。といっても、再度の「緊急事態宣言」まで出る中、なかなか撮り旅にも散歩にも行けないので、窓から日々の富士山など風景を撮るとか、庭の花を撮るとか、そんなこんな止まりです。ま、FBを埋めるというような機会も日常化していますし、そいでもって、「スマホとはこんなにも違うんだぞ、カメラで撮れば」と強調したい願望もありますし。

 ただ、そういったことを繰り返していると、みんなおんなじように見えるデジカメでも、写る画像には相当の違いがあることが如実にわかり、面白いものです。たとえば、このE-620とズイコーレンズで撮る風景は、どちらかというと乗りがよく、かつ暖系の色のりに傾いたとれ方をします。同じ系統でも、パナライカレンズとパナのカメラでは、輪郭は鋭いが、寒系に傾くようです。これに対し、ニコンになると、また全然違った画像になります。

 こうした趣味的比較というだけで、カメラをいろいろ持ってるなんて、あほみたいですけどね。

(E-620)
(FZ1000)




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