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三井の、なんのたしにもならないお話 その三十四

(2013.06オリジナル作成/2024.3サーバー移行)



 
 
私のカメラ遍歴(その四)




 
 デジカメ時代到来で怒濤の21世紀、私は例によってそれには一歩遅れておりました。

 
 初めて手にしたデジカメは、富士フィルムのFP2300という、固定焦点、単三電池4本使用のかなり原始的なもので、実は自分で買ったのではなく、2001年3月に前前任校をやめ、転職する際に、卒業生たちが記念にくれたものなのです。「自分で買うなら」、もっとゼニの掛かったものにしただろうなんて申してはいけません。実際には持ってなかったんですから、「デジカメもいいですよ」という、卒業生たちの厚意を無にしてはいけません。これによってデジカメの使い勝手、特徴も会得できたわけです。
 
 以降現在まで、手にしたデジカメはデジイチを含めると20台に達します。それですから、私のデジタルカメラ一族は別記項目とし、ここでは幼かりし日日の継続としての、フィルムカメラ経年記としましょう。
 
 
 デジタル時代に突入してしまうと、一方ではデジカメの手軽さにどんどん押され、そちらがあっという間に主流、常用になってしまっています。今さらフィルムカメラに戻れないのは残念ながら否定できません。なにより、撮ったそばから画像を見れる、PCで画像を加工編集し、webなどで利用できる、さらにプリントできるというのは、フィルムカメラの制約を完全に取り払ってくれるので、有り難い限りです。もちろん、フィルム時代と違いコストを気にすることなく、じゃんじゃんシャッターを切れる、ともかく写せるだけ写し、あとからじっくりいいのだけ選ぶ、これはなにものにも代えがたいつよみです。大昔、フィルム代など一切考えず、また時には数百コマ長の長尺フィルムマガジンを付け、モードラを回してシャッターを切りまくる、プロや新聞社カメラマンだけが享受していた撮り方を、いきなり誰でもできるようになっちゃったわけです。デジカメのメモリの容量という制約はありますが、21世紀のデジカメ時代には、メガからギガバイト単位のメモリがあっという間に普及する時代に突入していたので、なんの制約もなくなってしまったわけでした(最初期のデジカメは、なんと「フロッピーディスク」を使っていたんですが)。

 
 ですから、私ももう二度とフィルムカメラを買うことはないかと思いきや、実は意外に買っているのです。その数、10台を超えます。誠にけしからんことですが、これもある意味デジカメ時代の副産物でもあります。

 
 それは要するに、デジカメ時代で、フィルムカメラがあっという間に世の中からなくなる、あるいはまたその反作用で、めちゃめちゃ市場価格が安くなる、こういう事態ゆえのことでした。いかにもありがちの古い人間のパターンですが、一方では、かつてとても手の出なかった「高級品」が、信じがたい値段でごろごろ売られているのです。しかも、うっかりしているとそれらも世の中から消滅するおそれ大となり、実際にそうした事態が頻発する、さすれば「買えるときに買っておく」しかないだろうと、願望に押される自分を正当化するも容易となるわけです。



 
 

15.ニコンU2 <2006.10購入>

 
 最初は、昔からのあこがれニコンAF・SLRカメラでした。よほどの廉価版以外、なかなか買えるものではないという印象だったそれが、バッテリーパックアダプタ付属・28-50mmAFレンズ付で42,800円で売られていたのでした。いまどきならばまだ高いという印象かも知れません。あとから調べるに、AF時代に移行、本体もボディも新規格新技術への転換を迫られ、一方でひた寄せるデジカメ化の脅威下で、迷いに迷っていた各カメラメーカーの末期的「お得商品」で、2003年の発売時の本体希望小売価格64,000円というのでしたから、メチャ安と言うほどではないものの、ともかくニコンなのであります。


 それに、AFでモーターワインダー内蔵、もちろんAE自動露出(A優先・S優先・プログラム・オート)、30〜1/2000sec、TTL制御ストロボ内蔵なので、ホントにシャッター押すだけで撮れるわけです。現在のデジカメの基本的なヒューマンインターフェースと機能が全部入っています。もちろんデート写し込み機能付です。絞りやシャッター速度をいじっての撮影にも余裕があります。写りは、やっぱりニコンだよねというもの、満足度100%でした。こっから、ニコンレンズも買い始めました。あんまりすべて自動なので、はじめは戸惑いもないことはなかったのですが、使っていくうちには人間因果なもので、オール自動にすっかり慣れてしまいます。たまにマニュアル動作のあるカメラを使うと、フィルム巻き上げにいらつく、それどころかピント合わせも厄介千万となっていくわけです。
 
 このU2は満足すべき製品だし、中古とはいえ状態もよかったのですが、その割に重用かつ大事にしたとは言えず、申し訳ないようなものです。一度、道路に転げ落としてしまいました。しかしさすがニコンでびくともせず、ほとんど傷も残りませんでした。それなのに、というのはもっぱら、格うえのF100をのちに手に入れてしまったせいです。


 U2の「欠点」と言えるのが、フィルムを装填するといったんぜんぶ巻き取ってしまい、それからシャッターを押すたびに一コマずつ「巻き戻していく」というしくみです。内蔵オートワインダーの設定なのでしょうが、ぜんぶ撮り終えてから「巻き戻す」必要なく、すでにパトローネに収められたフィルムをそのまま取り出せばいいという「メリット」以外、特に意味あるものとも思えません。F100にはこういった仕掛けはなく、ほかの手動カメラ同様に撮り終えたら巻き戻しボタンを押して、パトローネにフィルムをぜんぶ巻き戻してから取り出す方式なので、なんでU2がこんな仕掛けをしたのか、ワインダーの機構を簡略にしたかったのでしょうか。

 撮るときにはあまり意識もしない仕掛けですが、あとでことになります。フィルムを整理している、またいまの私のようにスキャナーにかける、そうした際に、フィルム上のコマ番号と実際の撮影順が真逆になっているわけです。U2での撮影フィルムだけがこうなっているのですから、はなはだ戸惑います。デート写し込み機能があるんだからいいじゃない、というつもりだったのでしょうか。



画像入れ替え (2013.9.2)

 ここに入れておいた、U2での撮影画像ですが、カメラとレンズには非常に酷な、もろ逆光の条件での風景で、ちょっとカメラに気の毒なので、カメラの画像とともに別のに入れ替えました。


 
 
 

16.マミヤ645Pro <2007.1購入>

 
 かつて私のメインを自称していたマミヤM645もだいぶくたびれてきたうえ、いささか時代遅れな性能とデザインが気になっておりましたが、この頃になって、マミヤ645もいよいよ最後の世代か、AF化とデジタル化にあおられてというのが伝わってきました。それではと店頭に行くと、実際あっという間にマミヤ645は消えようとしております。
 これはいかんと買ったのが、645Proと称する機体でした。AEケプラーファインダーとF2.8/80mmレンズ付で、中古で54,800円だったので、いま考えるとずいぶん高い買い物でした。近ごろは、マミヤ645はたまに出てきても本体1万円台で投げ売り状態ですから。


 
 645Proはもちろんマミヤセコールレンズがそのまま使えますが、ファインダーやフィルム中枠などは別物です。なにより、ボディとフィルムバックが分かれるようになっているのが、645Proの売りです。実際に「プロじゃない」アマチュアが、撮影中そんなに頻繁にフィルム交換をするものか、かなり怪しいのですが。

 AEケプラーファインダーというのは相当怪しいもので、覗くと樽型収差が露骨に見え、かなり気になります。覗く画像が小さい、暗いのも難です。軽量であることくらいしかメリットがありません。ですから、やはり慣れたのの方がいいと、すぐにAEプリズムファインダーも買いました。これは当時まだ新品で店頭にあったもので、46,800円しましたから、実は本体より高かったわけです。

 
 もちろん写りは、さすがブローニーフィルムと実感を新たにしてくれるものでしたが、どうも以前ほどに、マミヤ645を担いでいく元気がなくなっていることも否応なく実感させられました。寄る年波のせいでもあるし、デジカメをメインに振り回しているのに、さらに645Proの本体、フィルムバック、グリップ、そしてレンズ数本なども担いでいくのはなんとも大変すぎです。デジイチのズームレンズが一本で万能化してきているのに、645のレンズは一本だけでも相当に重く、大きいですから。だいぶあとで105-210mmというズームレンズも買いましたが、なんと14,800円という超お買い得の一方、これだけで1kg近くあり、長さも17cmもあるのでは、気軽に付けて歩く気にもならなくなります。これで、35mm換算で65-135mm相当くらいにしかならないのです。そして、なにより120フィルムでは15枚しか撮れない、昔なら「15枚も撮れる」でしたが、デジカメですと、連射二、三回で終わっちゃう数ですから。





 
 
 

17.マミヤ645ProTL <2007.4購入>
 
 それでも、お馬鹿なことに、3ヶ月後には645ProTLというのも買ってしまいました。ほぼ同じ機体を、続けて買う必然性はまるでないのですが、唯一の理由は、これがウェストレベルファインダー付で店頭に出ていたからだったのです。以前の経験で、軽量簡便なウェストレベルもほしいと思ったのですが、すでに各店頭からは消えていたのでした。それを中古店で発見、いわば「ボディ付」で買ってしまったわけです。それで32,800円也でした。


 
 645Proと645ProTLのほとんど唯一の違いは、後者では外付けストロボをTTL制御できますというものでした。しかし、その制御可能な規格を持っているのは、ドイツMetz社製のものしかありません。ではMetzストロボはどこで売っているのか、一時はマミヤ自身が扱っていたようですが、肝心の本体の経営が怪しくなり、身売りを重ね、そんな「取り扱い製品」どころではなくなってしまって、なんのこっちゃという状況です。いちど露出計とAE制御が怪しくなった、この645ProTLをマミヤ本社に修理に出したのですが(買ったときから状態は明らかに645Proの方がよかった)、そのついでに、TTL制御できるMetzストロボは売っているのか聞いたところ、すでにケンコーに販売権は移した、そっちで聞いてみてくれ、入手は可能なはずというつれない返事でした。

 
 この645にさらに馬鹿でかいストロボまで付けて、一体なにを撮るのか、スタジオでコマーシャルフォト撮るわけでも、結婚式写真専門でいくわけでもないんだよと、まあどうでもいいやと思っていたのです。実際、ほかの外付けストロボ使っても、そんなに具合が悪いわけでもありませんでした。ところが、それから4年の後、偶然というのは恐ろしいもので、このマミヤ用の制御アダプターもついた、Metz54Mz-4iストロボの中古品を、店頭で発見してしまったのです。「TL」の看板を生かすには、これを備えるしかないのですから、一も二もなく買ってしまいました。29,800円という値段はいいとこ過ぎますが、それでも新品の店頭価格からはかなり安いものです。

 しかも、ものごとは根気よく探してみるもので、その後あちこちで、同じストロボのニコン用、パナソニック用などのアダプターも発見入手しました。Metz社製品は明らかに日本市場で苦戦しており、量販店の店頭でさえもひっそり転がっているばかりなのですが、そのかたわらについでのごとく、アダプターもいくつか転がっていたりするのです。そいつをのぞき込んで確かめ、「あの、ニコン用のアダプターをくれ」と申し出ますと、店員の方が、なんだこれはとびっくりし、おそるおそる取りだし確認のうえ、ようやく売ってくれたりするのです。まあ、めったに出番のなくなってしまったマミヤ645ProTLのお供にしか使い道がないより、ニコンやパナソニックのカメラと一緒にTTL制御での出番がある方が、幸せなことでしょう。

 
 645ProTLは電子制御シャッター8〜1/1000sec、セルフタイマー付で,1997年の発売当初希望小売価格110,000円でしたから、そんなに高いものではありませんでした。元来大衆的な価格がマミヤの売りでした。また、M645以来のクランク・ノブダイヤル巻き上げが、645Proですと電動のワインダーグリップを付けられます。私の買った645ProTLにワインダーグリップがおまけに付いていたのか、記憶が定かではありませんが、かなりくたびれたやつがいまも取り付けてあります。


 
 マミヤは親会社となった大沢商会の経営破綻でいちどピンチに陥る、さらにデジタル化への乗り遅れと製品化の商業的失敗で完全に行き詰まり、身売りを重ねました。丸ごと消えてなくなってしまうよりは、まだ存在しているだけユーザーには有り難いことですが、いまのマミヤ社は某外国企業の子会社となり、その戦略によって、プロ用デジタル撮影機材の製造業に完全特化しています。ブローニーフィルムカメラの特徴あるメーカーという色彩は全くなくなりました。世の中にある645などはやがて、修理などのフォローもできなくなり、単なる博物館陳列品に化していくのでしょう。そうなる前にもう一働き、とは私自身も、体力気力ともに落ちて来すぎです。




 
 
 

18.フジGA645Zi <2007.5購入>

 
 買い始めるとブレーキがきかなくなるのが悪い癖で、フィルムカメラに相次いで手を出しました。そのひとつがこのフジGA645Ziという、やはりブローニーのセミ版カメラです。いまでも結構人気のあるモデルのようで、中古店店頭でもよく見かけ、またよく出ていますが、フィルムカメラ末期の○○◇ョンカメラのような使い勝手が特徴、ただフィルムだけブローニーですという、逆転の発想的カメラです。そこは私も気に入りました。しかし値段は84,000円、いまでは実売その半額程度ですから、ちょっと無理しすぎの買い物でした。1998年の発売当時は、195,000円というトンデモ価格だったそうなので、それよりは安いとはいうものの、こんな高い値段でカメラ売っていたから、カメラメーカーはダメになったんだよと言いたくなります。

 



 ブローニーフィルムの横巻きですから、昔のハーフカメラ同様に縦長画面になってしまいます。一方で露出もピントもオート、もちろん自動巻で、ファインダーを覗いてシャッター押すだけで撮れますという簡単さです。重さも885gですから、オールインワンなのを考えるに、ポータビリティは高いものです。これもレンズ部は少し沈銅式になっていて、スイッチ切るとかさばらない図体です。ストロボ内蔵、デート写し込み機能付、さらに独特なのは、フィルム上に撮影日時や撮影データなどを書き込むしくみになっていることで、デジカメに対抗する、フィルムカメラの最後のあがきのようなところがあります。

 
 F4.5-6.9/55-90mmズームというレンズはいささか暗く、ズーム比も中途半端で、あまり感激できるものでもありません。○○◇ョンカメラ同様に、お気軽に、パーティーやイベントなどでのスナップ用や記念写真用と割り切って使ってもみますが、やっぱり大きい図体と、縦長画面が邪魔をします。自然界や風景を撮るには、接写も遠景もあまり向いていません。
 
 富士フィルムは、もともと重要な顧客であった「営業用写真」分野のために、ブローニーカメラを継続的に出していました。そのうちにはセミ判のものもいろいろあります。GA645Ziはその最後の世代とも言えるのでしょうが、悩ましい存在でもありましょう。これらはごく限られた市場なので、大量生産もせず、えらく高い値で売りつけていたのでしょうが、それでよかったのかなというところです。いまなら、高級デジイチを新品で買える値段ですね。




 
 
 

19.フォクトレンダーBessaR3A <2007.6購入>

 
 悪い癖の最たる買い物、いまも反省なのがこの、コシナ製「フォクトレンダー」レンジファインダー・レンズ交換35mmカメラです。最大の反省は、このカメラならではの出番が、私の撮り方や資金力のうえから基本的にないという事実でした。
 
 申すまでもなく、これはドイツメーカーのブランドを買ってつけていても、主なねらいはライカユーザーでした。まあ、まさかライカを名のるわけにはいかないから(かつてミノルタはライカと合弁を組み、「ライツミノルタ」の名にしたのですが)、フォクトレンダーもそれなりのブランド価値ありと考えたのでしょう。しかし、ユーザーの関心はそこにはなく、ともかく「ライカのレンズが使える!」にあったわけです。大昔もいいとこのVoigtlánder社の名前を覚えているマニアもめったにいないでしょう。これに対し、カメラ史に永遠に輝く、ライカL型やM型のレンズには世界中に信仰者がおり、またこれまでにも何度も、ライカLやMマウントで使えるカメラというのが登場してきたのです。もちろん、その分ライカ社に金を払っているのでしょう。

 
 そんなライカ信者の仲間入りをするほどの財力も熱意もない私が、なんでこれを買おうと考えたのか、あまり定かではありません。ともかく、35mmフィルムカメラはあまり信用しないと考えてきたはずなんですからね。ニコンU2でそれも見直した、だったらニコンに帰依するのが定めでしょうが、まあこの和製フォクトレンダーが比較的安かったのに惑わされたせいもありましょう。
 安いと言っても、当時で74,800円です(もちろん新品)。それでも、天文学的取引価格を続けるライカレンズと違い、コシナ製のフォクトレンダーレンズなどはだいぶ安かったですし。ノクトンF1.4/40mmが36,800円でした。一緒に買ったスナップスコパー25mmというのはちょっと失敗、本当にスナップ用で、MマウントではなくLマウント(LマウントをMに変換するアダプターは常用)であるうえ、基本的に距離計に連動するメカがなく、要するに目測専科であったのです。50年前に戻ります。その後、APOランサーという90mmレンズも買いましたが、これもLマウントではあるものの、写りはよいボケ味を出すものでした。しかし、そのためだけにR3Aというのを備えておくほどの用途がないのです。


 
 残念なことに、このR3Aの出番は近年ずっとありません。レンジファインダーカメラの宿命として、対応するレンズの種類は限られ、R3Aは「40mm,50mm,75mm,90mm対応」となっています。35mmレンズに対応するにはR2Aを、21mm,25mm,28mmに対応するにはR4Aを持ってこないといけません。つまり、レンズにあわせて本体を選ぶ発想のラインなのです。同じラインで、AではなくMタイプとなるとフルマニュアル、Aシリーズは絞り優先でシャッター電子制御のAEという6タイプをコシナは揃えたわけですが、それ全部手元に置くマニアがどれだけいたのでしょうか。

 ともかく、「レンズに比べると安い」ボディの発想は、あまり受けたようには思えません。私自身がライカ信者じゃない、なれない以上は、これは中途半端に過ぎる買い物でした。いまだ、レンズもうえの三本しか持っていませんし、「純粋」ライカレンズを買おうとも思いませんから。それに、やはりレンジファインダーというのは速写向きではあっても、丁寧にピントを合わせる、ボケを重視したアップを撮るなどというのには基本的な無理があります。SLRを日頃使っている身には、ちょっと痛いところです。だからこれにのめり込む必然性が私にはありません。

 
 BessaR3Aは電子制御縦走りメタルフォーカルプレーンシャッター8〜1/2000secを使用、TTLダイレクト測光露出計絞り優先AE、1.0倍レンジファインダー・40mm、50mm、75mm、90mm各レンズブライトフレーム自動切り替え表示といった性能でした。まあ、レンズ交換フィルムカメラ自体がいまや絶滅寸前です。コシナ社もこのフォクトレンダーBessaシリーズ、ツァイスとの連携でZweiss Ikonブランドで出したシリーズいずれももう生産を打ち切りました。ひたすらレンズの製造に注力するようです。35mmフィルムカメラは売れません。トイカメラを別にすれば、本家ライカがあれば世界の残された需要をまかなってしまうのでしょう。

 皮肉にも、コシナ製フォクトレンダーが作られなくなっても、そのボディをベースにしたエプソン製のレンジファインダーデジカメR-D1シリーズはまだ売られ続けています。ライカがM9などのレンジファインダーデジカメを作り続けているのと同様です。これらは、35mmカメラをそのままデジカメにしたかたち、機能なのです(AFですらない!!)から、まったく捨てたものでもないでしょうが、フィルムではもう無理な時代なのです。



 実はこの頃、「手の届く値段」化と、「なくなる」不安とから買いたいと思っていたカメラがありました。京セラ製の「コンタックス」Tタイプです。ご想像のように、リコーFF1やminoxにも共通する、コンパクトな35mmカメラで、それでいてかなり高級という、いかにも中年おやじ好みの製品コンセプトです。コンタックスのレンズの写りはひと味どころか、二味も三味も違うとよく言われました。コンタックスTVSVなどというと、同じスプリングカメラ様のフォールディングタイプにして、しかも30-60mmズームレンズ使用で、いろいろいじれるつくりです。また一方で、AF化したのもシリーズにあり、ちょっと安っぽい、コニカビッグミニなどとは大いに差がつきます。実際、M大先生など旅にこの手のコンタックスを持参されており、うらやましく見ておりました。

 でも結局いまに至るまで、コンタックスを買うことはありませんでした。期待に反し、中古でも容易に値が下がらなかったこともあります。もちろん京セラが2005年にはカメラ製造から全面撤退してしまったことも不安材料ではありました。それ以上には、これまでのあこがれに反する、製品の出来の悪さやトラブルの多さを語る、web情報に少なからず接するようになったことも影響しています。インターネット時代の恐ろしさであり、もちろんなかにはガセネタ、悪意のデマなどもあるのかも知れません。しかし、これまでの「好評」記事の数々や高級感そのもののような世評とはまったく反する情報が多々出てくるとなれば、やはりこれはと思わざるを得ません。

 今でこそこれらのコンタックス製品も、中古市場で壱万円台から数万円程度で手に入りますし、それなら「外れ」でも少々あきらめもつくものの、このころは呆れるほどの高値がつけられていたのです。そんなの怖くて買えないじゃないですか。それなら、いままで通りのFF1sとかMLで我慢できるじゃないですか。


 結局手にしなかったカメラのことをあれこれ言うのは邪道ですし、そんな資格もないことは間違いないのですが、あの「一世を風靡した」、魔法の呪文のようなコンタックスカメラとツァイスレンズへのあこがれというのはなんだったんでしょうかね。CONTAXのブランド価値がすごかったのは歴史的事実なのです。

 もっとも、造っていたのは要するに旧ヤシカだとか、レンズは富岡光学だとか、冷静に考えれば、ひところ騒ぎすぎであったようにも思えますが、設計はカール・ツァイスなんだからという理屈は、少なくともレンズには当てはまりうるようにも思います。問題はカメラ本体のつくりであったのかも知れません。私に申せることは、コンタックスレンズは知らないけれど(ツァイスレンズを「継承」したコシナのも知らないけれど)、ドイツで開発設計されたレンズには独自のものがあるだろうということくらいです。ですから、和製コンタックスを結局買わなかったのはちょっと残念ではあります。しかしまた、いくら「CONTAX」の名の御利益だといっても、当時でさえ、カメラに関心のない人たちでは、「風邪薬の仲間ですか」くらいにしか受け止められなかったんですがね。「ライカ・コンタックス論争」なんて、ウン百年前の話としか理解されないでしょう。
 カメラマニアが聞いたら卒倒しそうな話は、「スウェーデンなんていう国でも、カメラを造っているらしいですね」という物言い、「スウェーデン製ハッセルブラッド」なんていう記述をどっかで見つけて、にっぽんやドイツ、アメリカ、香港などでもなく、カメラをつくっている中にはあり得ないことにスウェーデンもあるんだ、きっと禄でもないんだろけどという驚嘆ぶりに、我が方いっそう唖然とする現実です。「知名度」なんていうのはその程度のものでしょう、世の中では。




売っちゃいました

 Bessa R3A、売っちゃいました。

 あらためて確認をしたら、なんと5年前のフィルムが入ったままでした。それ以来、シャッターを切っていなかったわけです。DPEに出して、まあちゃんと現像はできましたが、いかにこのカメラの出番がないか、タンスの肥やしになっているか、あらためて十分自覚させられました。

 なんのかんのとえらそうなことを口にしてみても、結局日々デジカメを使っているわけで、フィルムカメラの出番はきわめて限られてきています。それも、「じゃあフィルムで」となれば、あれこれあるブローニーフィルム機を使うか、せいぜい一眼レフ機でありまして、さもなければ35MLやFF1sのような超小型・シンプルカメラを、機窓撮影用に懐に忍ばせるくらいです。レンズ交換のレンジファインダー機のアドバンテージはほとんどありません。
 それぞれのレンズのつよみを発揮しようと思えば、どうしても一眼レフに頼ります。レンジファインダーでボケを生かそうとか、遠くをがっちりとらえようというのは神業になってしまいます。ライカ以来、レンジファインダー機はフットワークいいスナップ向きなのでしょうが、それはいまの私にはほぼ、コンパクトデジカメの役回りです。そのうえ、ライカMレンズLレンズなどという神の領域のも持っていませんから、R3Aの得意技を用いる機会はこれまでも、これからもなさそうです。


 というわけで、R3A本体及びレンズ関係などをまとめて売ってしまいました。皮ケースもつけたら、「これは買い取れません」というので、いいから引き取ってよ、ケースだけ持っていてもしょうがないからと謹呈致しました。この本体のおまけにケースも入手できる次の買い手は幸運でしょう。

 ちょっと気張ったものを買ってしまい、その一方でこの頃「副収入」も減り、手元不如意になってきた私としては、やむない決断でもありました。ほぼ予想通りの買値であったので、不満はありません。本体とレンズの売値がほとんど同じだったのは、これもやむを得ない現実でしょう。



 というわけで、35mmレンジファインダー機を手にすることは二度とないと断言できます。ちょっと高い授業料、意味ない贅沢でありました。うえの写真も「遺影」となりました。




 

20.ニコンFM3A <2007.7購入>

 この時期、私が相当に「狂っていた」ことは、この一年間に買った台数と金額が自ずと物語っています。そんなにゼニもあるはずない、また次々にカメラをいじれるはずもないのに、いったいどうしたというんでしょうかね。


 もっとも象徴的なのが、このニコンFM3Aでした。当時、ニコンはフィルムカメラの整理打ち切りに踏み切り、ほとんどのモデルが市場から消えつつありました。デジカメ化の怒濤の流れを見れば、避けられない判断でしょう。そのため、ニコンのSLR機の価格は中古市場で相当に乱高下していたのですが、人気を集めていたのがこのFMでした。もちろん、AF化の前のマニュアル機、AEもあるのかないのかというような古典的なメカ、ただしごつくて重くて丈夫なニコンの一眼レフという系譜のうちでは例外的に小型でスマート、そこが人気の続く一因であったのでしょう。
 ために、一時はFM3Aなど新品の時代よりも中古の値の方が高いような、投機プレミアムの様相さえ呈しました。それで少々儲けた人たちもいたでしょう。

 私自身はと言えば、U2でニコンのSLRの巨大な王国内に入り込んでしまったとはいえ、こちらはAFの世界です。ですからそのままなら、マニュアル機の領域に踏み込む理由がありません。敢えてレトロに走るのは、やはりニコンへの長年の羨望が作用していたと断言すべきところでしょう。


 中古店の店頭で高い値札をつけられているFM3Aの一群、それを見やりながらまた見過ごしていた日々、あげくに、少々値が下がり始めたタイミングで、酔った勢いもあってついに買ってしまいました。その値段が99,800円ですから、まだ新品の販売価格を上回っていたのではないかと思います。いまから思えば、かなり愚かな買い物です。だっていまではその半値程度に下がっているのですから。

 しかし手にすれば、黒光りするボディ、掌になじむかたちとバランス、よくできたマシンの実感が伝わってきます。もちろんニコンのAiレンズも買わないといけませんが、レンズ群はこの頃から相当に暴落しており、1万円以下で入手できたのもありました。ただ、値段にふさわしくそいつの状態はよくありませんでしたが。


 実際のところ、私の使い方では、やはりFM3Aのような35mm一眼レフ、しかもマニュアル機の出番はほとんどありません。それでもなお、FM3Aへの信仰のようなもので、レンズだけではなく、データバック、モーターワインダー、TTL制御ストロボなども中古店頭で見つけ、買ってしまいました。ですから、FM3Aをフルに活躍させられる準備だけは整っているのですが、さてその機会が回ってこないのです。いやはやの、お粗末ですね。

 ニコンFM3Aは電子制御・機械式両用の縦走りメタルフォーカルプレーンシャッター・8〜1/4000sec、TTL測光絞り優先AE、本体の重さは570gで、ニコンにしては例外的な軽さです。モーターワインダーをつけると、相当軽快に動きます。




21.ニコンF100 <2008.5購入>

 それから一年足らずののち、これまた酔った勢いで買ってしまったのが、ニコンのF100でした。そしてこれは大正解、いまに至るまで、いちばん活躍している35mm一眼レフ機です。

 それがこのとき、中古店の店頭で59,800円だったのですよ。1998年の発売当初は、希望小売価格190,000円もしたのです。1/3以下です。若干ボディのゴムがネチャってきてはいましたが、おまけにデータバックがつけられていました。




 ともかく、F100は35mmカメラの実力を再認識させてくれるマシンでした。AFカメラですから最新のAFニッコールレンズをデジイチと共用することもありましょう。画像の写りがこれまでの35mmと段違い、鮮やかで切れが抜群なのです。あるいはこれこそがニコンの伝統なのでしょうか。AF、ワインダー内蔵、感度適切なマルチパターンAE・シャッター優先、絞り優先、プログラム、30〜1/8000secフォーカルプレーンシャッター、1/250でストボロ同調、こういった各機能は同時期のデジイチとほぼ同じです。と言うか、そちらをデジイチに移植したのですが、各操作系やグリップを含め、まったく同じ使い勝手でいじれます。
 F100のほぼ唯一の問題は、電源が単三電池であることでしょう。大部分のデジカメと違い、専用充電池を使わないことは、どこででも電池入手可能という利便はあるものの、この図体とワインダー動作を支えるには当然相当の電力を消費し、したがって単三を4本使用で、なくなるのも早いものです。その分重いし、使用中も電池の消耗が気になります。
 単三以外、リチウム電池を用いるホルダーやニッケル水素充電池も使えるパワーバッテリーパックも別売であるようですが、いまごろ売っていなけりゃどうにもなりません。この頃はまだ、市販のマンガン電池やアルカリ電池を用いるのがカメラでも主流であったと思うので、F100だけのことではありませんが、いまとなると便利さと限界の両面があると言わざるを得ません。


 ニコンは最後のフィルムSLRの時代、このF二桁ないし三桁系、一桁系、そしてFM系という流れを持っていました。F一桁系こそが、ニコンF以来の最主流をなしてきたのでしょうが、あまりに大きく、重いという欠陥はありました。プロユースのヘビーデューティーマシンに徹していたのでしょう。そこから、小型軽量化のFM系が生まれ、さらにF一桁のAF化を経て、これの普及機化としてのF二桁系が出てきたのだと思います。その流れの最終到達点であるF100は、私の実感として優れた完成形だと実感するのです。
 ですから、F100はデジタル時代にあっても比較的多く、お供させていると思います。これで撮った満開の桜など、よかったですね。

 それなのに、中古市場ではさらに半分以下に値が下がっている、ここまで来ると寂しい限りです。





22.マミヤNew6MF <2007.3購入>

 購入は前後します。つまり、2007年にはいかに無茶買いやったかですね。

 これもブローニー機です。そして、久しぶりの六六判、基本はレンジファインダーの古典的なスタイルです。マミヤが大昔大ヒットとしたマミヤ6の現代版という触れ込みですが、あちらがスプリングカメラそのものであったに対し、こちらは沈胴式のレンズ部を持つ、箱形のボディが印象的、1989年に世に出たニューマミヤ6、その改良型が1993年のMFです。MFは、アダプターで35mmフィルムも使える、マルチフォーマットということらしいですが、もちろんそれはないし、必要性も別に感じません。
 マミヤはこのデザイン・構造が好きなのか、のちにはマミヤ7も出しています。マミヤ7は沈銅式ではありませんが、ほとんど同じ外観ですね。この特徴は、SLRでもないのにレンズ交換式にしたというところにあります。その仕掛けがいかにもマミヤで、マミヤプレス以来のギミックのようです。ニューマミヤ6ではレンズは50mm、75mm、150mmの三本だけ、いずれも順次買いそろえました。




 これを買おうと思ったのは、「写りがよい」という世評からでした。それにしては、F3.5/75mmレンズ付きで105,000円という値段はよすぎ、こんなにかけるほどのものかと冷笑されましょう。それに、プラスチック材料を多用しているらしいのですが、ボディだけで890gとかなり重いのですよ。75mmをつけると1.14kgです。それもあって、決して使い勝手がいいとは言えません。特にはレンズ交換は慣れないと汗かくし、慣れているはずでも操作を忘れてしまうしで、なかなか苦労をさせてくれます。レンズシャッター機のレンズごと交換してしまうのですから。フィルム巻くのもかなりです。

 それでも、好きなひとは結構います。操作のあれこれや特徴を考えるに、あまりスナップ向きでもなく、風景や建物を撮るに向いていると言えるのかも知れません。実際、これで撮った建物写真など色彩と明暗の描写に優れ、高評価を受けられます。逆に、きょうびのデジカメの画像がちゃちすぎるのかも知れません。

 レンジファインダーでの焦点あわせは正直やりにくいです。特に、長いレンズを使うと見事にファインダー視野を蹴られるのには、慣れない人は驚きましょう。それを抑えるために、専用フードには窓が開けられているほどです。

 80年代以降のカメラですから、露出計連動の絞り優先AEになっています。ただ、ファインダー内蔵SPDなので、露出の精度などはあまり期待できません。交換レンズとも関係ありません。そういうことをあまり気にしない,自分で露光時間や絞りを考えるような撮り方をするということです。趣味的に、じっくり楽しむクラシックなカメラと言えましょう。それにしては、90年代の登場がいささかオーバータイムでした。



New6MF売っちゃいました

(2020.2.9)

 かっこつけても、フィルムカメラの出番はほとんどない実態、ひたすら趣味的収集的に持っている意味が乏しいだけではなく、もう身辺整理、断捨離して居住空間をコンパクト化しなければならない現実に直面しています。
 それでも、捨てるも同然の値でしか手放せなければ、これはもうひとに譲る以外選択肢もないか(甥・昌志には迷惑だろうけれど)と思っていたら、意外に値段がつくものもあるのを確認しました。同じマミヤ製でも、M645などはタダ同様なのに、六六版のNew6MFは結構な値がつくのを発見、いちばんいいのは下の六七版フジGF670ですが、これはさすがに最後まで取っておきたいので、まずはNew6MFを手放すことにした次第です。いいカメラなんですが、もう手にして撮りに行くこともないでしょう。これは風景向きですし(これも数年前に入れたフィルムがそのままだった、ただし現像に出したら、まともになにかを撮ってはいなかった、まさに入れっぱなしだったと判明)。

 で、某店に出せば、結局かなり叩かれて、レンズ二本込みで、4万6千5百円也でした。まあ、こうした際には何のかんのと難癖をつけるのが向こうの商売ですが、買った値段に比べれば半値以下、それでも納得しましょう。

 ただ、納得できなかったのは、標準、望遠、広角と三本レンズセットで持っていったのに、そのうちで75mmの標準レンズが突き返されたことです。その理由が、「これはレンズナンバーが入っていません、削られています」というんですよ、ここでボディとともに買ったはずなんですが。入手以来、私も気がつきませんでした。まあ、本体手放しちゃって、このレンズだけ持っていてもなんにもならないので、ともかく引き取って、捨ててもいいからと申したのですが、「これは引き取れません」の一点張りでした。訳わかりませんね。

 この次には、正直C330Sを手放したい気もあるのですが、こっちは大して値が出ない(一時市場に溢れていた)うえ、「動く」二眼レフはこれだけなので、正直未練もあります。





23.マミヤC330S <2008.2購入>

 フィルムカメラへのこだわりは、ありがちなことに「国産最後の二眼レフ」マミヤC330の入手と相いなりました。ほとんどのメーカーが二眼レフからさっさと手を引いたなか、西の横綱ローライフレックスが「高級二眼レフ」で確固とした地位を守ってきた一方で、東ではマミヤが「レンズ交換二眼レフ」で孤塁を維持し続けていたのです。なにせ、初代マミヤCの登場は1957年とされていますから、以来長い長い歴史でした。それも、1994年で販売終了といいます。




 二眼レフはいっとき全盛時代を迎え、日本メーカーのドル箱だったのですが(ニコンやキャノンはつくりませんでしたが)、一眼レフの勃興、特に35mmフィルム、ペンタプリズム使用の正立画像ファインダー、クイックリターンミラー採用で、いっきょに二眼レフを脅かすに至り、1960年代に二眼レフは大部分消えてしまったのです。ファインダーレンズと撮影レンズのあいだのパララックスといった問題もありましたが、やはり決定的なのはレンズ交換の問題だったでしょう。レンジファインダーだろうが二眼レフだろうが、ともかく「ファインダーと撮影レンズが違う」ゆえ、「撮影レンズを通じて写る画像自体を見て確認できない」のに対し、一眼レフ最大の利点は、原理的にはどんなレンズについても、その画像をミラーでほかの方向に導きファインダーで直接見ていることにあります。

 二眼レフは撮影レンズとファインダーレンズが別、だから交換してもファインダーが役を果たさないというなら、両方一緒に交換しちゃおうじゃないかというのが、マミヤCの発想でした。当然レンズ交換には、その間の遮光の問題、シャッターや絞りなどのメカの連動の問題、装着したレンズ周辺の光漏れの問題などがあります。それを構造と機構と精度で解決してしまおうというのがいかにもマミヤ的です。似たような発想をレンズシャッターカメラにも持ち込んだのですから。加えて、パララックス補正メカをファインダーに取り入れたというわけですが、こちらはレンズの繰り出しにあわせてファインダー画面上に棒が動き、実際に写る限界を示すしくみというだけなので、あまり感激するほどのものでもありません。そのファインダーも交換可能という、システムカメラの極致です。


 こうしたメカには正直さわってみたくなります。組立て、使って、うまく考えたしくみを実体験してみたくなります。しかしそれを別にすれば、今どき、レンズ交換二眼レフを使う意味は果たしてどれだけあるのか、どう考えても大いに疑問なのですが、ここまでいくとまったくもって博物館的「趣味」の域を出ないでしょう。実際にこのごつい機体を活躍させる機会はありません。

 なにより問題なのは、よく考えられたしくみだけに、当然に大きく重い機体になってしまったことです。またフィルムの平面性確保のために、フィルム送りをL字型に曲げず、直線にしたので、余計にボディが大きくなりました。幅123mm×高さ171mm、80mmレンズ付で重さ1.65kgですから。もちろんビューファインダーを開けば、背はもっと高くなります。二眼レフはあまりややこしいメカや重い部品がないので、比較的軽い、実際ヤシカMat124Gは1.08kgだったのです。最後まで生き残ったローライフレックスの重さもこんなものです。交換レンズなど持っていけば、さらに重さも嵩も増えますし、そのうえレンズ交換の操作はかなり大変です。手順がある程度複雑で、定められたようにしないとシャッターが降りない、操作が先へ進めない、もちろん遮光がないままレンズ部が外れたら、アウトになっちゃいますから、そしてつよいバネの力で二本のレンズをつけたレンズ部をボディに固定しているので、それを外すにはかなりの力もいります。フットワーク軽い使い方には向いていません。

 多くの二眼レフと違い、ピント合わせにはレンズ部をつけた前板全体を、蛇腹を使い、ラックピニオンで前に繰り出す方式で、そのギアを動かすボディ前方下部のノブダイヤルの回転が被写体距離に一致という相当に大変なやりかた、そのぶんガタもない、正確、そして大きな繰り出しで80mmレンズで35cmまで近接撮影できるなど、大変に凝ったつくりです。しかし、こうした近接撮影をするのはもう一眼レフの独壇場であったわけで、二眼レフのC330がそこまでがんばってどうするのか、あまりに趣味的なつくりであったと申さざるを得ません。マミヤは背伸びして、このシリーズにペンタプリズムファインダー、ポロミラーファインダーまで提供、これに露出計を内蔵させるなど、もう「どうだ、一眼レフに負けないぞ」という気負いがあふれかえっていました。ちょっとねえ。
 このメカのかたまりに魅せられてか、いっときマミヤC330やその簡易軽量化版C220は中古カメラ店の店頭を飾る代表選手で、交換レンズや各種パーツもあれこれ並んでいたものでした。まあそれだけ、手放す人間も多かったということでしょう。なかなか使いこなせるものでもありません。近ごろはそんなに見なくなりました。対照的に、ローライフレックスは依然店頭の目玉商品群を構成し、ライカとともに顧客の溜息を誘っております。


 私のC330Sは、最後のころのモデルです。ボディにプラ素材を入れ、軽量化を図った(これでも)、ピント合わせノブダイヤルにロック機構がついたなどがあるそうです。1993年の最後のころで、ボディ希望小売価格が66,000円であったそうな。私が2008年に買ったのは、F4.5/180mmの望遠レンズが付いていて59,800円でした。しかし、最後まで露出計は内蔵させませんでしたので、私のC330Sのために、小さなシュー取り付けのを買いました。その後、F3.5/105mmレンズ(これはファインダーレンズにも絞りがある)、F4.5/55mm、F3.7/80mm(これは実は古いやつで、シャッターのセルフコッキングがなし、手動セット)の各レンズも買いそろえましたが、出番の方が少なすぎです。

 いま、二眼レフにこだわれば、成金趣味のようなローライフレックスか、東は東でも中国製、品質ばらつきが危ないと言われるシーガル(海鴎)くらいしか新品ではありません。かと言って、見かけは堂々としているものの、やっぱりマミヤC330Sでは気軽に撮りにも出られません。それ以外の二眼レフはみな相当のロートル機で、中古で入手しても果たして写真が撮れるのかがまず心配です。まったくもって悩めるところです。





24.マミヤ645AFD  <2009.3購入>

 やっちゃいました、というところです。マミヤへの義理立てじゃないけれど、長年のマミヤ645使い手としては、AF化したのを横目で見過ごすばかりにはどうしても我慢できず、ついつい手を出してしまいました。

 しかし、これはかなり問題多いものでした。買って使ってみてよくわかったのですが、従来のマミヤ645とは基本的に同じライン上のものではないという冷厳な事実でした。なにより、645のセコールマニュアルレンズが実質的に使えないのです。もちろん、カタログ上は可能となっているし、マウントも同じなのですが、ひとつ重大なことが示されています。645AFDに非AFレンズを取り付ける際は、ファインダーのフォーカシングスクリーンを「タイプC」というのに交換せねばなりません。そのうえで絞り優先AEで絞り込み測光限定というのは我慢できても、このスクリーンを入手し、交換をやってみると、えらい作業でとてもじゃないが頻繁に試みるなどあり得ません。レンズ開口部から指を入れ、ピンセットなど使って、いま付いているのを懸命に取り外す、次のを必死に装填固定しようと試みる、もう参ります。つまり、実質的にボディをAFレンズ、非AFレンズに使い分ける以外無理ということ、それなら645Proを使えばいいので、645AFDはAFレンズ専用にしかならないしくみです。

 マミヤのAFレンズも中古でかなり値崩れ激しかったものの、最近は外資買収で製品戦略も転換、レンズもメチャ高いモデルラインに切り替えてしまいました。もちろんAFレンズはマニュアルレンズ以上に重いものです。これで645AFDにズームレンズなんかつけるか、費用と重さの両方でたじろいでしまいます。




 以下メーカーの責任じゃないので、文句を言っても筋違いですが、このようにいろいろな操作が絡み、また表示もかなりデジタル化しているボディに、中古店で説明書が付いていなかったのです。近ごろはいろいろなメーカーが、とうに製造中止の品まで説明書類をwebサイトからダウンロード可能にしているので、説明書なしの中古品でも買って使うに不安がないのですが、マミヤだけは違っています。そんな「親切心」がない、なにより企業自体がピンチ、それですからマミヤのwebサイトはお粗末そのもので、しばらくは発売した新製品の情報さえ載らないほどでした。ですから無論、645AFDの説明書なんか見あたりません。


 こういった問題の数々を無理に乗り越え、645AFDを使っていくべきか、悩みます。もちろんマミヤは645AFDU、Vと相次いで発売、AFD(AFのあとの二代目ですが)は遙かな旧式モデルになってしまったうえ、外資企業の傘下で、645シリーズ自体を見切ったよう、デジタルバックと一体化した645DF(つまりPHASE ONE P21+645AF)の方に完全に軸足を移し、これに高価なAFレンズをつけて、プロの方々使って下さいという姿勢です。じゃあ645DF買いましょうかといったって、レンズ付で実売100万円近くするんですよ。

 私には645AFDを手にすることで、マミヤ645のラインからAF化、デジタル化にシフトさせようかという考えもありました。しかし、そのマミヤが645のマウントや機能を使い、世に出した「中判」デジイチZDは完全な失敗作と言われ、開発製造の困難から発売が大幅に遅れ、マミヤの経営危機を加速しただけでなく、値段は馬鹿高い100万円以上(現在は実売125万円、じぇじぇじぇ!!!)、しかも甚だ使いにくいもののようで、マミヤ本社で645ProTLの修理を依頼した際に、ついでにこのZDのことを口にしたら、「シロートさんにはお勧めできません」と言われてしまいました。645AFのラインから出てきたDFもうえの値段です。それなら買っちゃった645AFDにデジタルバックをつければといったって、それも最低100万から500万円くらいまでするんです。シロートには手も足も出ません。こういったものは本来プロ用なので、中古市場にさえめったに出ません。

 かくして645のデジタル化は完全に無理とわかり、このラインは袋小路に入ってしまいました。もうそんな色気は捨てて、素朴にブローニーフィルムにこだわっていけばいいんだよというところですが、さすがデジカメに慣れた身か、645でもAFの方が使いやすくなっているのは事実です。しかし645AFD系をこれ以上「発展」させる気にならないというジレンマです。それでも、付属の80mmのほか、AFレンズ150mmも55mmも買いましたけど。


 マミヤ645AFDは、ペンタプリズムファインダー内蔵、電子制御縦走りメタルフォーカルプレーンシャッター・30〜1/4000sec、測光モード変更式露出計内蔵・絞り優先・シャッター優先・プログラム切替AE、TTL位相差検出式AF、TTLストロボ制御、ワインダーグリップ内蔵です。フィルムバックは取り外し式ですが、645Proとの互換性はこれもないようです。重さは1.7kgもあるのですが、グリップが付いているせいかあまり気にはなりません。これにもフィルムに撮影データを写し込む仕組みがついていました。
 645AFDをAF F2.8/80mmレンズ付で92,000円で買いました。2001年の発売当時、希望小売価格286,650円だったそうです。ムチャですね。現物はあんまり高級感のない、素っ気ないボディです。まあ動いてくれています。しかしマミヤ光機の方が私めを捨てて立ち去ったような実感です。




25.フジGF670 <2009.4購入>

 意図を持って、フィルムカメラの新品を購入したのがこれでした。

 いまさらフィルムカメラじゃないだろうという迷いを敢えて振り切り、相当高額のを買おうというのはもう暴走そのものでしたが、「フィルムカメラ最後のお買い物」になるだろうし、ある仕事でまとまった金が入ったのをきっかけに、「買ってしまった」わけです。もちろん、「いまどき」にスプリングカメラそのものを出そうという富士フィルムの「英断」への敬意もあります。「ホンモノの」スプリングカメラを手にすることのなかった私としては、欲しかったんですよね。しかも、これまたいままでいじったことのない六七判なのです。

 知る人ぞ知る、超レトロな構想の代物をデジカメ全盛、フィルムカメラ絶滅寸前の21世紀に出したのは、ほぼ唯一となったフィルムメーカー・フジならではありますが、同社は以前に買ったGA645Ziのように、ブローニーフィルム使用カメラを継続的に出し続けてきていました。そのマニアがわずかながらいる、また営業写真の分野もある、そうした「残されたニッチな市場」相手のことでしょう。古い人間としては有り難くもあります。しかも、見事なくらいにスプリングカメラそのものなんです。いまどき蛇腹使用のカメラなんてつくれるのか、これがメーカーには最大の壁だったようで、蛇腹の素材、そしてそれを加工できる職人捜しに苦労したらしいです。

 しかしこの逆転の発想はすごいですね。蛇腹採用のおかげで、GF670は六七判なのに信じがたいほど軽く、また折りたためば携帯にも不便ありません。公称重さ1kg、厚さ67mmだそうです。スプリングカメラ時代には苦労の種だったそうな、レンジファインダーとレンズ部のピント合わせメカとの連動も軽くクリアーしており、なにも問題ありません。唯一引っかかるのは、ここを距離無限大に合わせておかないとフォールディングを閉じられないことで、なんでも自動のデジカメに慣れてしまっていると、時々戸惑うこともあります。




 撮ってみれば、さすが六七判で、画像の迫力がまた一段上です。このフィルム画像をスキャナーでスキャンしてデジタル化すれば、逆にデジカメ画像との格の違いを実感させられます。細かいところまで「人工的」なくらいにメリハリつけるデジカメ画像ほどの微細さは出せないし、ちょっと甘めではあるものの、被写体の「つかみ」、明暗の描写、色の深みといったものではフィルムならではと十分感じさせてくれるのです。デジカメは時にどぎつい、六七判だと曖昧ではなくてもゆとりがある、やっぱり写真らしい写真というのでしょうか。蛇腹は内部反射を軽減し、画像のクオリティを上げてくれるのだそうですが、そこは私の力と機会では判明しがたいところです。

 そういうわけで、このGF670はかなり活躍してくれています。もっとも、撮ったフィルムで同プリすることはほぼなくなってしまいました。費用だけでなく、DPEの時間がかかることもあります。もっぱらフィルムのみ現像でスキャナーにかけます。それじゃあフィルムの良さが半減とされるのもわかりますが、スキャナーで読み込んだデジタル画像データというのが、デジカメ撮影のとはまた違う、そこがいいところでもありまして。この「カメラ遍歴」の撮影画像というのもすべて、それぞれのカメラで撮ったフィルムをスキャンしたものです。


 GF670の弱点は、一つはセルフタイマーがないことです。これはけっこう記念写真を撮るのにも向いていると思うものの、そういう発想はメーカーにはないようで、GF670のあとに出た、55mmレンズのワイド版GF670Wにもタイマーはつけられていません。もちろん、三脚に載せて長時間露光撮影するにもタイマー使用という手もあるはずですが、考えていないのでしょう。GF670をぶら下げていって、みんなで記念撮影というシチュエーションはあり得るように思うのです。仕方なく、古典的なスプリング動作外付けセルフタイマーを試みてみましたが、そっちの方がもう壊れていてアウトでした。中古店でそういうのはないか聞いたら、怪訝な顔をされておしまいでした。ケーブルレリーズ用の穴はちゃんと用意されているのですが。

 もうひとつは、一度やらかした、電池切れでシャッターが切れていなかったというトラブルでした。古典的な外観や操作の割に、シャッターは露出計連動の絞り優先AEなのです。AEは便利ではあるものの、それなら電池切れの際にはシャッターが動作しないようにしてほしかったというところ。そもそもGF670のシャッターは動作したのか心配になるくらい、音も極小、動作感もないのです。それがいいというところもあるのかも知れませんが、電池切れでも同じようなのじゃね。これだけのものなんだから使う際に気をつけろ、ファインダー内の表示に気を配れということなのでしょうが。

 フィルム巻き上げがシャッターボタンと同軸のダイヤルなのは速写性を捨てており、六七サイズだから余計巻き上げに動作と時間がかかるということは否定できません。しかし、35mmカメラ同様のレバー巻き上げのニューマミヤ6にして、ストロークが大きく、結構大変なので、ダイヤル巻き上げが不便だとも言えません。カメラに目をつけたまま、フィルム巻きとシャッター動作を続けるような撮り方は本来考えていない、スプリングカメラはそういうものなんだという理解なのでしょう。

 レンジファインダーは元来細かいピント合わせには向いてないし、ボケを確かめることもできませんから、そういうのは一眼レフに任せ、レンズがF3.5なのも含めてGF670は基本的に風景写真向きなんだということは納得せねばなりません。それでもこれのファインダー表示は見やすい、ピントを合わせやすいようには感じます。レンズ交換といったことを度外視しているので、その分仕組みも簡単なのでしょう。


 GF670の性能は、レンズがF3.5/80mm、シャッターがB・4〜1/500の電子制御レンズシャッター、ストロボ全速同調(ホットシュー)、SPD受光素子をボディにつけた絞り優先AE、画面サイズは六六、六七判切り替え可能(ファインダー内ブライトフレーム連動)といったところです。六六判についてはほかにボディを持ってもいるので、使ったことがありません。フィルムはオートローディングではない、スタートマークあわせ式なので、120/220フィルムによる圧板切替など、GA645Ziよりは「退歩」しております。これで192,000円でした。



 

 
 

 ご覧の方のご参考に、上記11台のフィルムカメラ購入金額合計を出してみました。「897,600円」!!です。

 3年ほどの間に、こんだけ使っちゃったということ。もちろん、このほかにレンズなど買った分もあるわけですから、100万円を軽く超えるのは間違いありません。


 色男でも全然ないのに、「金と力」はないことを十分に思い知らされたウン十年の人生を送ってきた私めが、こんな無駄遣いができたのは、我ながら不思議でもあります。まあ、そういった定めの人生の私としては、文字通り「一生に一度」のやけっぱち消費をすることもありか、神様もお許し下さるかなどと、ここでも勝手に決めているわけです。

 でも、そんなだと税務署に目をつけられる恐れもあるかも。私は毎年毎年、実に正直に確定申告し、そのつど、フツーのサラリーマンの一ヶ月の給料にもなりそうな額を「追加納税」して参っております。「こんなに金を貰った実感がないんだけど、どうして?」と心中嘆きつつ。ですから、30年働き続けてくれば、そのくらいの貯金もあるよ、あの世に持参するカネは要らないから、やけっぱちで使っちゃっただけ、「趣味」の極地、そう自分で納得をしておりますです。

 しっかし、「でも、ほかにデジカメにも使っただろ」てな、天の声も聞こえてきます。そうなんですよね。計算するだに恐ろしくて、ようしませんわな。


 こういう人間が絶えないから、中古カメラやさんがいまだに持つんですよね。もっとも、その数もこの10年くらいで半分ほどに減ってしまった実感です。特に中古フィルムカメラの衰退は目に見えるくらいで、確かにほとんど新品が生産販売されていない、ですから「サプライサイド」が猛烈に縮小している、他方で「デマンドサイド」も、私のようなロートルくらいしかおらず、いまの20代30代のひとですと、そもそもフィルムカメラなんて見たことも触ったこともない、ということでしょう。「カメラの中には、フィルムを使うものもある」てな、半分冗談で数年前に記した「予測的記述」ごっこは、見事に当たっている今日この頃なのです。それじゃあ、中古店も商売になるわけがありません。デジカメの中古もある程度の市場を形成してきていますが、新製品日進月歩でまた値下がり激しいこっちでは、中古店もなかなか乗り切れません。

 中古カメラやさんだけじゃなく、フィルムで撮っても、いまでは現像に出すDPE受付も滅多に見なくなりました。私は自分で現像するような能力も時間もないので、店に出すわけですが、寂しいくらいに少なく、またあっても片隅に追いやられているのです。それは現実の反映である以上仕方ないと思っても、いま恐れているのは、あまりの需要の減少で、現像ラボが大幅料金値上げをしてこないかということ。一時は需給のアンバランスから、DPE代はずいぶん下がってしまったのですが、これからは逆転現象が生じるかも知れません。そうなったら、正直やってられない、フィルムカメラは完全に博物館入りになってしまうかも。




 

 

☆これにも、それぞれの画像の説明を載せます。

                       
U2横浜ベイシェラトンホテル
645Pro那覇牧志市場の魚屋で
645ProTL上野不忍池
GA645Zi松山市萬翠荘
R3A横浜スタジアム
FM3A横浜臨港パークの錨
F100鞆の浦
New6MF舞岡公園の民家
C330s横浜日本大通
645AFD<調査中>
GF670戸隠鏡池


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 デジカメ化の狂乱と混迷ぶりは、つぎです。いつ載せるかは、わかりませんが。
 (2013年7月、載せました)


その五へ