(2013.06オリジナル作成/2024.3サーバー移行)
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U2の「欠点」と言えるのが、フィルムを装填するといったんぜんぶ巻き取ってしまい、それからシャッターを押すたびに一コマずつ「巻き戻していく」というしくみです。内蔵オートワインダーの設定なのでしょうが、ぜんぶ撮り終えてから「巻き戻す」必要なく、すでにパトローネに収められたフィルムをそのまま取り出せばいいという「メリット」以外、特に意味あるものとも思えません。F100にはこういった仕掛けはなく、ほかの手動カメラ同様に撮り終えたら巻き戻しボタンを押して、パトローネにフィルムをぜんぶ巻き戻してから取り出す方式なので、なんでU2がこんな仕掛けをしたのか、ワインダーの機構を簡略にしたかったのでしょうか。
撮るときにはあまり意識もしない仕掛けですが、あとでことになります。フィルムを整理している、またいまの私のようにスキャナーにかける、そうした際に、フィルム上のコマ番号と実際の撮影順が真逆になっているわけです。U2での撮影フィルムだけがこうなっているのですから、はなはだ戸惑います。デート写し込み機能があるんだからいいじゃない、というつもりだったのでしょうか。
画像入れ替え (2013.9.2)
ここに入れておいた、U2での撮影画像ですが、カメラとレンズには非常に酷な、もろ逆光の条件での風景で、ちょっとカメラに気の毒なので、カメラの画像とともに別のに入れ替えました。
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でも結局いまに至るまで、コンタックスを買うことはありませんでした。期待に反し、中古でも容易に値が下がらなかったこともあります。もちろん京セラが2005年にはカメラ製造から全面撤退してしまったことも不安材料ではありました。それ以上には、これまでのあこがれに反する、製品の出来の悪さやトラブルの多さを語る、web情報に少なからず接するようになったことも影響しています。インターネット時代の恐ろしさであり、もちろんなかにはガセネタ、悪意のデマなどもあるのかも知れません。しかし、これまでの「好評」記事の数々や高級感そのもののような世評とはまったく反する情報が多々出てくるとなれば、やはりこれはと思わざるを得ません。
今でこそこれらのコンタックス製品も、中古市場で壱万円台から数万円程度で手に入りますし、それなら「外れ」でも少々あきらめもつくものの、このころは呆れるほどの高値がつけられていたのです。そんなの怖くて買えないじゃないですか。それなら、いままで通りのFF1sとかMLで我慢できるじゃないですか。
結局手にしなかったカメラのことをあれこれ言うのは邪道ですし、そんな資格もないことは間違いないのですが、あの「一世を風靡した」、魔法の呪文のようなコンタックスカメラとツァイスレンズへのあこがれというのはなんだったんでしょうかね。CONTAXのブランド価値がすごかったのは歴史的事実なのです。
もっとも、造っていたのは要するに旧ヤシカだとか、レンズは富岡光学だとか、冷静に考えれば、ひところ騒ぎすぎであったようにも思えますが、設計はカール・ツァイスなんだからという理屈は、少なくともレンズには当てはまりうるようにも思います。問題はカメラ本体のつくりであったのかも知れません。私に申せることは、コンタックスレンズは知らないけれど(ツァイスレンズを「継承」したコシナのも知らないけれど)、ドイツで開発設計されたレンズには独自のものがあるだろうということくらいです。ですから、和製コンタックスを結局買わなかったのはちょっと残念ではあります。しかしまた、いくら「CONTAX」の名の御利益だといっても、当時でさえ、カメラに関心のない人たちでは、「風邪薬の仲間ですか」くらいにしか受け止められなかったんですがね。「ライカ・コンタックス論争」なんて、ウン百年前の話としか理解されないでしょう。
カメラマニアが聞いたら卒倒しそうな話は、「スウェーデンなんていう国でも、カメラを造っているらしいですね」という物言い、「スウェーデン製ハッセルブラッド」なんていう記述をどっかで見つけて、にっぽんやドイツ、アメリカ、香港などでもなく、カメラをつくっている中にはあり得ないことにスウェーデンもあるんだ、きっと禄でもないんだろけどという驚嘆ぶりに、我が方いっそう唖然とする現実です。「知名度」なんていうのはその程度のものでしょう、世の中では。
売っちゃいました
Bessa R3A、売っちゃいました。
あらためて確認をしたら、なんと5年前のフィルムが入ったままでした。それ以来、シャッターを切っていなかったわけです。DPEに出して、まあちゃんと現像はできましたが、いかにこのカメラの出番がないか、タンスの肥やしになっているか、あらためて十分自覚させられました。
なんのかんのとえらそうなことを口にしてみても、結局日々デジカメを使っているわけで、フィルムカメラの出番はきわめて限られてきています。それも、「じゃあフィルムで」となれば、あれこれあるブローニーフィルム機を使うか、せいぜい一眼レフ機でありまして、さもなければ35MLやFF1sのような超小型・シンプルカメラを、機窓撮影用に懐に忍ばせるくらいです。レンズ交換のレンジファインダー機のアドバンテージはほとんどありません。
ちょっと気張ったものを買ってしまい、その一方でこの頃「副収入」も減り、手元不如意になってきた私としては、やむない決断でもありました。ほぼ予想通りの買値であったので、不満はありません。本体とレンズの売値がほとんど同じだったのは、これもやむを得ない現実でしょう。
それぞれのレンズのつよみを発揮しようと思えば、どうしても一眼レフに頼ります。レンジファインダーでボケを生かそうとか、遠くをがっちりとらえようというのは神業になってしまいます。ライカ以来、レンジファインダー機はフットワークいいスナップ向きなのでしょうが、それはいまの私にはほぼ、コンパクトデジカメの役回りです。そのうえ、ライカMレンズLレンズなどという神の領域のも持っていませんから、R3Aの得意技を用いる機会はこれまでも、これからもなさそうです。
というわけで、R3A本体及びレンズ関係などをまとめて売ってしまいました。皮ケースもつけたら、「これは買い取れません」というので、いいから引き取ってよ、ケースだけ持っていてもしょうがないからと謹呈致しました。この本体のおまけにケースも入手できる次の買い手は幸運でしょう。
というわけで、35mmレンジファインダー機を手にすることは二度とないと断言できます。ちょっと高い授業料、意味ない贅沢でありました。うえの写真も「遺影」となりました。
この時期、私が相当に「狂っていた」ことは、この一年間に買った台数と金額が自ずと物語っています。そんなにゼニもあるはずない、また次々にカメラをいじれるはずもないのに、いったいどうしたというんでしょうかね。
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もっとも象徴的なのが、このニコンFM3Aでした。当時、ニコンはフィルムカメラの整理打ち切りに踏み切り、ほとんどのモデルが市場から消えつつありました。デジカメ化の怒濤の流れを見れば、避けられない判断でしょう。そのため、ニコンのSLR機の価格は中古市場で相当に乱高下していたのですが、人気を集めていたのがこのFMでした。もちろん、AF化の前のマニュアル機、AEもあるのかないのかというような古典的なメカ、ただしごつくて重くて丈夫なニコンの一眼レフという系譜のうちでは例外的に小型でスマート、そこが人気の続く一因であったのでしょう。
ために、一時はFM3Aなど新品の時代よりも中古の値の方が高いような、投機プレミアムの様相さえ呈しました。それで少々儲けた人たちもいたでしょう。
私自身はと言えば、U2でニコンのSLRの巨大な王国内に入り込んでしまったとはいえ、こちらはAFの世界です。ですからそのままなら、マニュアル機の領域に踏み込む理由がありません。敢えてレトロに走るのは、やはりニコンへの長年の羨望が作用していたと断言すべきところでしょう。
中古店の店頭で高い値札をつけられているFM3Aの一群、それを見やりながらまた見過ごしていた日々、あげくに、少々値が下がり始めたタイミングで、酔った勢いもあってついに買ってしまいました。その値段が99,800円ですから、まだ新品の販売価格を上回っていたのではないかと思います。いまから思えば、かなり愚かな買い物です。だっていまではその半値程度に下がっているのですから。
しかし手にすれば、黒光りするボディ、掌になじむかたちとバランス、よくできたマシンの実感が伝わってきます。もちろんニコンのAiレンズも買わないといけませんが、レンズ群はこの頃から相当に暴落しており、1万円以下で入手できたのもありました。ただ、値段にふさわしくそいつの状態はよくありませんでしたが。
実際のところ、私の使い方では、やはりFM3Aのような35mm一眼レフ、しかもマニュアル機の出番はほとんどありません。それでもなお、FM3Aへの信仰のようなもので、レンズだけではなく、データバック、モーターワインダー、TTL制御ストロボなども中古店頭で見つけ、買ってしまいました。ですから、FM3Aをフルに活躍させられる準備だけは整っているのですが、さてその機会が回ってこないのです。いやはやの、お粗末ですね。
ニコンFM3Aは電子制御・機械式両用の縦走りメタルフォーカルプレーンシャッター・8〜1/4000sec、TTL測光絞り優先AE、本体の重さは570gで、ニコンにしては例外的な軽さです。モーターワインダーをつけると、相当軽快に動きます。
それから一年足らずののち、これまた酔った勢いで買ってしまったのが、ニコンのF100でした。そしてこれは大正解、いまに至るまで、いちばん活躍している35mm一眼レフ機です。
それがこのとき、中古店の店頭で59,800円だったのですよ。1998年の発売当初は、希望小売価格190,000円もしたのです。1/3以下です。若干ボディのゴムがネチャってきてはいましたが、おまけにデータバックがつけられていました。
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ともかく、F100は35mmカメラの実力を再認識させてくれるマシンでした。AFカメラですから最新のAFニッコールレンズをデジイチと共用することもありましょう。画像の写りがこれまでの35mmと段違い、鮮やかで切れが抜群なのです。あるいはこれこそがニコンの伝統なのでしょうか。AF、ワインダー内蔵、感度適切なマルチパターンAE・シャッター優先、絞り優先、プログラム、30〜1/8000secフォーカルプレーンシャッター、1/250でストボロ同調、こういった各機能は同時期のデジイチとほぼ同じです。と言うか、そちらをデジイチに移植したのですが、各操作系やグリップを含め、まったく同じ使い勝手でいじれます。
F100のほぼ唯一の問題は、電源が単三電池であることでしょう。大部分のデジカメと違い、専用充電池を使わないことは、どこででも電池入手可能という利便はあるものの、この図体とワインダー動作を支えるには当然相当の電力を消費し、したがって単三を4本使用で、なくなるのも早いものです。その分重いし、使用中も電池の消耗が気になります。
単三以外、リチウム電池を用いるホルダーやニッケル水素充電池も使えるパワーバッテリーパックも別売であるようですが、いまごろ売っていなけりゃどうにもなりません。この頃はまだ、市販のマンガン電池やアルカリ電池を用いるのがカメラでも主流であったと思うので、F100だけのことではありませんが、いまとなると便利さと限界の両面があると言わざるを得ません。
ニコンは最後のフィルムSLRの時代、このF二桁ないし三桁系、一桁系、そしてFM系という流れを持っていました。F一桁系こそが、ニコンF以来の最主流をなしてきたのでしょうが、あまりに大きく、重いという欠陥はありました。プロユースのヘビーデューティーマシンに徹していたのでしょう。そこから、小型軽量化のFM系が生まれ、さらにF一桁のAF化を経て、これの普及機化としてのF二桁系が出てきたのだと思います。その流れの最終到達点であるF100は、私の実感として優れた完成形だと実感するのです。
ですから、F100はデジタル時代にあっても比較的多く、お供させていると思います。これで撮った満開の桜など、よかったですね。
それなのに、中古市場ではさらに半分以下に値が下がっている、ここまで来ると寂しい限りです。
購入は前後します。つまり、2007年にはいかに無茶買いやったかですね。
これもブローニー機です。そして、久しぶりの六六判、基本はレンジファインダーの古典的なスタイルです。マミヤが大昔大ヒットとしたマミヤ6の現代版という触れ込みですが、あちらがスプリングカメラそのものであったに対し、こちらは沈胴式のレンズ部を持つ、箱形のボディが印象的、1989年に世に出たニューマミヤ6、その改良型が1993年のMFです。MFは、アダプターで35mmフィルムも使える、マルチフォーマットということらしいですが、もちろんそれはないし、必要性も別に感じません。
マミヤはこのデザイン・構造が好きなのか、のちにはマミヤ7も出しています。マミヤ7は沈銅式ではありませんが、ほとんど同じ外観ですね。この特徴は、SLRでもないのにレンズ交換式にしたというところにあります。その仕掛けがいかにもマミヤで、マミヤプレス以来のギミックのようです。ニューマミヤ6ではレンズは50mm、75mm、150mmの三本だけ、いずれも順次買いそろえました。
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これを買おうと思ったのは、「写りがよい」という世評からでした。それにしては、F3.5/75mmレンズ付きで105,000円という値段はよすぎ、こんなにかけるほどのものかと冷笑されましょう。それに、プラスチック材料を多用しているらしいのですが、ボディだけで890gとかなり重いのですよ。75mmをつけると1.14kgです。それもあって、決して使い勝手がいいとは言えません。特にはレンズ交換は慣れないと汗かくし、慣れているはずでも操作を忘れてしまうしで、なかなか苦労をさせてくれます。レンズシャッター機のレンズごと交換してしまうのですから。フィルム巻くのもかなりです。
それでも、好きなひとは結構います。操作のあれこれや特徴を考えるに、あまりスナップ向きでもなく、風景や建物を撮るに向いていると言えるのかも知れません。実際、これで撮った建物写真など色彩と明暗の描写に優れ、高評価を受けられます。逆に、きょうびのデジカメの画像がちゃちすぎるのかも知れません。
レンジファインダーでの焦点あわせは正直やりにくいです。特に、長いレンズを使うと見事にファインダー視野を蹴られるのには、慣れない人は驚きましょう。それを抑えるために、専用フードには窓が開けられているほどです。
80年代以降のカメラですから、露出計連動の絞り優先AEになっています。ただ、ファインダー内蔵SPDなので、露出の精度などはあまり期待できません。交換レンズとも関係ありません。そういうことをあまり気にしない,自分で露光時間や絞りを考えるような撮り方をするということです。趣味的に、じっくり楽しむクラシックなカメラと言えましょう。それにしては、90年代の登場がいささかオーバータイムでした。
フィルムカメラへのこだわりは、ありがちなことに「国産最後の二眼レフ」マミヤC330の入手と相いなりました。ほとんどのメーカーが二眼レフからさっさと手を引いたなか、西の横綱ローライフレックスが「高級二眼レフ」で確固とした地位を守ってきた一方で、東ではマミヤが「レンズ交換二眼レフ」で孤塁を維持し続けていたのです。なにせ、初代マミヤCの登場は1957年とされていますから、以来長い長い歴史でした。それも、1994年で販売終了といいます。
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二眼レフはいっとき全盛時代を迎え、日本メーカーのドル箱だったのですが(ニコンやキャノンはつくりませんでしたが)、一眼レフの勃興、特に35mmフィルム、ペンタプリズム使用の正立画像ファインダー、クイックリターンミラー採用で、いっきょに二眼レフを脅かすに至り、1960年代に二眼レフは大部分消えてしまったのです。ファインダーレンズと撮影レンズのあいだのパララックスといった問題もありましたが、やはり決定的なのはレンズ交換の問題だったでしょう。レンジファインダーだろうが二眼レフだろうが、ともかく「ファインダーと撮影レンズが違う」ゆえ、「撮影レンズを通じて写る画像自体を見て確認できない」のに対し、一眼レフ最大の利点は、原理的にはどんなレンズについても、その画像をミラーでほかの方向に導きファインダーで直接見ていることにあります。
二眼レフは撮影レンズとファインダーレンズが別、だから交換してもファインダーが役を果たさないというなら、両方一緒に交換しちゃおうじゃないかというのが、マミヤCの発想でした。当然レンズ交換には、その間の遮光の問題、シャッターや絞りなどのメカの連動の問題、装着したレンズ周辺の光漏れの問題などがあります。それを構造と機構と精度で解決してしまおうというのがいかにもマミヤ的です。似たような発想をレンズシャッターカメラにも持ち込んだのですから。加えて、パララックス補正メカをファインダーに取り入れたというわけですが、こちらはレンズの繰り出しにあわせてファインダー画面上に棒が動き、実際に写る限界を示すしくみというだけなので、あまり感激するほどのものでもありません。そのファインダーも交換可能という、システムカメラの極致です。
こうしたメカには正直さわってみたくなります。組立て、使って、うまく考えたしくみを実体験してみたくなります。しかしそれを別にすれば、今どき、レンズ交換二眼レフを使う意味は果たしてどれだけあるのか、どう考えても大いに疑問なのですが、ここまでいくとまったくもって博物館的「趣味」の域を出ないでしょう。実際にこのごつい機体を活躍させる機会はありません。
なにより問題なのは、よく考えられたしくみだけに、当然に大きく重い機体になってしまったことです。またフィルムの平面性確保のために、フィルム送りをL字型に曲げず、直線にしたので、余計にボディが大きくなりました。幅123mm×高さ171mm、80mmレンズ付で重さ1.65kgですから。もちろんビューファインダーを開けば、背はもっと高くなります。二眼レフはあまりややこしいメカや重い部品がないので、比較的軽い、実際ヤシカMat124Gは1.08kgだったのです。最後まで生き残ったローライフレックスの重さもこんなものです。交換レンズなど持っていけば、さらに重さも嵩も増えますし、そのうえレンズ交換の操作はかなり大変です。手順がある程度複雑で、定められたようにしないとシャッターが降りない、操作が先へ進めない、もちろん遮光がないままレンズ部が外れたら、アウトになっちゃいますから、そしてつよいバネの力で二本のレンズをつけたレンズ部をボディに固定しているので、それを外すにはかなりの力もいります。フットワーク軽い使い方には向いていません。
多くの二眼レフと違い、ピント合わせにはレンズ部をつけた前板全体を、蛇腹を使い、ラックピニオンで前に繰り出す方式で、そのギアを動かすボディ前方下部のノブダイヤルの回転が被写体距離に一致という相当に大変なやりかた、そのぶんガタもない、正確、そして大きな繰り出しで80mmレンズで35cmまで近接撮影できるなど、大変に凝ったつくりです。しかし、こうした近接撮影をするのはもう一眼レフの独壇場であったわけで、二眼レフのC330がそこまでがんばってどうするのか、あまりに趣味的なつくりであったと申さざるを得ません。マミヤは背伸びして、このシリーズにペンタプリズムファインダー、ポロミラーファインダーまで提供、これに露出計を内蔵させるなど、もう「どうだ、一眼レフに負けないぞ」という気負いがあふれかえっていました。ちょっとねえ。
このメカのかたまりに魅せられてか、いっときマミヤC330やその簡易軽量化版C220は中古カメラ店の店頭を飾る代表選手で、交換レンズや各種パーツもあれこれ並んでいたものでした。まあそれだけ、手放す人間も多かったということでしょう。なかなか使いこなせるものでもありません。近ごろはそんなに見なくなりました。対照的に、ローライフレックスは依然店頭の目玉商品群を構成し、ライカとともに顧客の溜息を誘っております。
私のC330Sは、最後のころのモデルです。ボディにプラ素材を入れ、軽量化を図った(これでも)、ピント合わせノブダイヤルにロック機構がついたなどがあるそうです。1993年の最後のころで、ボディ希望小売価格が66,000円であったそうな。私が2008年に買ったのは、F4.5/180mmの望遠レンズが付いていて59,800円でした。しかし、最後まで露出計は内蔵させませんでしたので、私のC330Sのために、小さなシュー取り付けのを買いました。その後、F3.5/105mmレンズ(これはファインダーレンズにも絞りがある)、F4.5/55mm、F3.7/80mm(これは実は古いやつで、シャッターのセルフコッキングがなし、手動セット)の各レンズも買いそろえましたが、出番の方が少なすぎです。
いま、二眼レフにこだわれば、成金趣味のようなローライフレックスか、東は東でも中国製、品質ばらつきが危ないと言われるシーガル(海鴎)くらいしか新品ではありません。かと言って、見かけは堂々としているものの、やっぱりマミヤC330Sでは気軽に撮りにも出られません。それ以外の二眼レフはみな相当のロートル機で、中古で入手しても果たして写真が撮れるのかがまず心配です。まったくもって悩めるところです。
やっちゃいました、というところです。マミヤへの義理立てじゃないけれど、長年のマミヤ645使い手としては、AF化したのを横目で見過ごすばかりにはどうしても我慢できず、ついつい手を出してしまいました。
しかし、これはかなり問題多いものでした。買って使ってみてよくわかったのですが、従来のマミヤ645とは基本的に同じライン上のものではないという冷厳な事実でした。なにより、645のセコールマニュアルレンズが実質的に使えないのです。もちろん、カタログ上は可能となっているし、マウントも同じなのですが、ひとつ重大なことが示されています。645AFDに非AFレンズを取り付ける際は、ファインダーのフォーカシングスクリーンを「タイプC」というのに交換せねばなりません。そのうえで絞り優先AEで絞り込み測光限定というのは我慢できても、このスクリーンを入手し、交換をやってみると、えらい作業でとてもじゃないが頻繁に試みるなどあり得ません。レンズ開口部から指を入れ、ピンセットなど使って、いま付いているのを懸命に取り外す、次のを必死に装填固定しようと試みる、もう参ります。つまり、実質的にボディをAFレンズ、非AFレンズに使い分ける以外無理ということ、それなら645Proを使えばいいので、645AFDはAFレンズ専用にしかならないしくみです。
マミヤのAFレンズも中古でかなり値崩れ激しかったものの、最近は外資買収で製品戦略も転換、レンズもメチャ高いモデルラインに切り替えてしまいました。もちろんAFレンズはマニュアルレンズ以上に重いものです。これで645AFDにズームレンズなんかつけるか、費用と重さの両方でたじろいでしまいます。
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以下メーカーの責任じゃないので、文句を言っても筋違いですが、このようにいろいろな操作が絡み、また表示もかなりデジタル化しているボディに、中古店で説明書が付いていなかったのです。近ごろはいろいろなメーカーが、とうに製造中止の品まで説明書類をwebサイトからダウンロード可能にしているので、説明書なしの中古品でも買って使うに不安がないのですが、マミヤだけは違っています。そんな「親切心」がない、なにより企業自体がピンチ、それですからマミヤのwebサイトはお粗末そのもので、しばらくは発売した新製品の情報さえ載らないほどでした。ですから無論、645AFDの説明書なんか見あたりません。
こういった問題の数々を無理に乗り越え、645AFDを使っていくべきか、悩みます。もちろんマミヤは645AFDU、Vと相次いで発売、AFD(AFのあとの二代目ですが)は遙かな旧式モデルになってしまったうえ、外資企業の傘下で、645シリーズ自体を見切ったよう、デジタルバックと一体化した645DF(つまりPHASE ONE P21+645AF)の方に完全に軸足を移し、これに高価なAFレンズをつけて、プロの方々使って下さいという姿勢です。じゃあ645DF買いましょうかといったって、レンズ付で実売100万円近くするんですよ。
私には645AFDを手にすることで、マミヤ645のラインからAF化、デジタル化にシフトさせようかという考えもありました。しかし、そのマミヤが645のマウントや機能を使い、世に出した「中判」デジイチZDは完全な失敗作と言われ、開発製造の困難から発売が大幅に遅れ、マミヤの経営危機を加速しただけでなく、値段は馬鹿高い100万円以上(現在は実売125万円、じぇじぇじぇ!!!)、しかも甚だ使いにくいもののようで、マミヤ本社で645ProTLの修理を依頼した際に、ついでにこのZDのことを口にしたら、「シロートさんにはお勧めできません」と言われてしまいました。645AFのラインから出てきたDFもうえの値段です。それなら買っちゃった645AFDにデジタルバックをつければといったって、それも最低100万から500万円くらいまでするんです。シロートには手も足も出ません。こういったものは本来プロ用なので、中古市場にさえめったに出ません。
かくして645のデジタル化は完全に無理とわかり、このラインは袋小路に入ってしまいました。もうそんな色気は捨てて、素朴にブローニーフィルムにこだわっていけばいいんだよというところですが、さすがデジカメに慣れた身か、645でもAFの方が使いやすくなっているのは事実です。しかし645AFD系をこれ以上「発展」させる気にならないというジレンマです。それでも、付属の80mmのほか、AFレンズ150mmも55mmも買いましたけど。
マミヤ645AFDは、ペンタプリズムファインダー内蔵、電子制御縦走りメタルフォーカルプレーンシャッター・30〜1/4000sec、測光モード変更式露出計内蔵・絞り優先・シャッター優先・プログラム切替AE、TTL位相差検出式AF、TTLストロボ制御、ワインダーグリップ内蔵です。フィルムバックは取り外し式ですが、645Proとの互換性はこれもないようです。重さは1.7kgもあるのですが、グリップが付いているせいかあまり気にはなりません。これにもフィルムに撮影データを写し込む仕組みがついていました。
645AFDをAF F2.8/80mmレンズ付で92,000円で買いました。2001年の発売当時、希望小売価格286,650円だったそうです。ムチャですね。現物はあんまり高級感のない、素っ気ないボディです。まあ動いてくれています。しかしマミヤ光機の方が私めを捨てて立ち去ったような実感です。
意図を持って、フィルムカメラの新品を購入したのがこれでした。
いまさらフィルムカメラじゃないだろうという迷いを敢えて振り切り、相当高額のを買おうというのはもう暴走そのものでしたが、「フィルムカメラ最後のお買い物」になるだろうし、ある仕事でまとまった金が入ったのをきっかけに、「買ってしまった」わけです。もちろん、「いまどき」にスプリングカメラそのものを出そうという富士フィルムの「英断」への敬意もあります。「ホンモノの」スプリングカメラを手にすることのなかった私としては、欲しかったんですよね。しかも、これまたいままでいじったことのない六七判なのです。
知る人ぞ知る、超レトロな構想の代物をデジカメ全盛、フィルムカメラ絶滅寸前の21世紀に出したのは、ほぼ唯一となったフィルムメーカー・フジならではありますが、同社は以前に買ったGA645Ziのように、ブローニーフィルム使用カメラを継続的に出し続けてきていました。そのマニアがわずかながらいる、また営業写真の分野もある、そうした「残されたニッチな市場」相手のことでしょう。古い人間としては有り難くもあります。しかも、見事なくらいにスプリングカメラそのものなんです。いまどき蛇腹使用のカメラなんてつくれるのか、これがメーカーには最大の壁だったようで、蛇腹の素材、そしてそれを加工できる職人捜しに苦労したらしいです。
しかしこの逆転の発想はすごいですね。蛇腹採用のおかげで、GF670は六七判なのに信じがたいほど軽く、また折りたためば携帯にも不便ありません。公称重さ1kg、厚さ67mmだそうです。スプリングカメラ時代には苦労の種だったそうな、レンジファインダーとレンズ部のピント合わせメカとの連動も軽くクリアーしており、なにも問題ありません。唯一引っかかるのは、ここを距離無限大に合わせておかないとフォールディングを閉じられないことで、なんでも自動のデジカメに慣れてしまっていると、時々戸惑うこともあります。
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撮ってみれば、さすが六七判で、画像の迫力がまた一段上です。このフィルム画像をスキャナーでスキャンしてデジタル化すれば、逆にデジカメ画像との格の違いを実感させられます。細かいところまで「人工的」なくらいにメリハリつけるデジカメ画像ほどの微細さは出せないし、ちょっと甘めではあるものの、被写体の「つかみ」、明暗の描写、色の深みといったものではフィルムならではと十分感じさせてくれるのです。デジカメは時にどぎつい、六七判だと曖昧ではなくてもゆとりがある、やっぱり写真らしい写真というのでしょうか。蛇腹は内部反射を軽減し、画像のクオリティを上げてくれるのだそうですが、そこは私の力と機会では判明しがたいところです。
そういうわけで、このGF670はかなり活躍してくれています。もっとも、撮ったフィルムで同プリすることはほぼなくなってしまいました。費用だけでなく、DPEの時間がかかることもあります。もっぱらフィルムのみ現像でスキャナーにかけます。それじゃあフィルムの良さが半減とされるのもわかりますが、スキャナーで読み込んだデジタル画像データというのが、デジカメ撮影のとはまた違う、そこがいいところでもありまして。この「カメラ遍歴」の撮影画像というのもすべて、それぞれのカメラで撮ったフィルムをスキャンしたものです。
GF670の弱点は、一つはセルフタイマーがないことです。これはけっこう記念写真を撮るのにも向いていると思うものの、そういう発想はメーカーにはないようで、GF670のあとに出た、55mmレンズのワイド版GF670Wにもタイマーはつけられていません。もちろん、三脚に載せて長時間露光撮影するにもタイマー使用という手もあるはずですが、考えていないのでしょう。GF670をぶら下げていって、みんなで記念撮影というシチュエーションはあり得るように思うのです。仕方なく、古典的なスプリング動作外付けセルフタイマーを試みてみましたが、そっちの方がもう壊れていてアウトでした。中古店でそういうのはないか聞いたら、怪訝な顔をされておしまいでした。ケーブルレリーズ用の穴はちゃんと用意されているのですが。
もうひとつは、一度やらかした、電池切れでシャッターが切れていなかったというトラブルでした。古典的な外観や操作の割に、シャッターは露出計連動の絞り優先AEなのです。AEは便利ではあるものの、それなら電池切れの際にはシャッターが動作しないようにしてほしかったというところ。そもそもGF670のシャッターは動作したのか心配になるくらい、音も極小、動作感もないのです。それがいいというところもあるのかも知れませんが、電池切れでも同じようなのじゃね。これだけのものなんだから使う際に気をつけろ、ファインダー内の表示に気を配れということなのでしょうが。
フィルム巻き上げがシャッターボタンと同軸のダイヤルなのは速写性を捨てており、六七サイズだから余計巻き上げに動作と時間がかかるということは否定できません。しかし、35mmカメラ同様のレバー巻き上げのニューマミヤ6にして、ストロークが大きく、結構大変なので、ダイヤル巻き上げが不便だとも言えません。カメラに目をつけたまま、フィルム巻きとシャッター動作を続けるような撮り方は本来考えていない、スプリングカメラはそういうものなんだという理解なのでしょう。
レンジファインダーは元来細かいピント合わせには向いてないし、ボケを確かめることもできませんから、そういうのは一眼レフに任せ、レンズがF3.5なのも含めてGF670は基本的に風景写真向きなんだということは納得せねばなりません。それでもこれのファインダー表示は見やすい、ピントを合わせやすいようには感じます。レンズ交換といったことを度外視しているので、その分仕組みも簡単なのでしょう。
GF670の性能は、レンズがF3.5/80mm、シャッターがB・4〜1/500の電子制御レンズシャッター、ストロボ全速同調(ホットシュー)、SPD受光素子をボディにつけた絞り優先AE、画面サイズは六六、六七判切り替え可能(ファインダー内ブライトフレーム連動)といったところです。六六判についてはほかにボディを持ってもいるので、使ったことがありません。フィルムはオートローディングではない、スタートマークあわせ式なので、120/220フィルムによる圧板切替など、GA645Ziよりは「退歩」しております。これで192,000円でした。
ご覧の方のご参考に、上記11台のフィルムカメラ購入金額合計を出してみました。「897,600円」!!です。
3年ほどの間に、こんだけ使っちゃったということ。もちろん、このほかにレンズなど買った分もあるわけですから、100万円を軽く超えるのは間違いありません。
色男でも全然ないのに、「金と力」はないことを十分に思い知らされたウン十年の人生を送ってきた私めが、こんな無駄遣いができたのは、我ながら不思議でもあります。まあ、そういった定めの人生の私としては、文字通り「一生に一度」のやけっぱち消費をすることもありか、神様もお許し下さるかなどと、ここでも勝手に決めているわけです。
でも、そんなだと税務署に目をつけられる恐れもあるかも。私は毎年毎年、実に正直に確定申告し、そのつど、フツーのサラリーマンの一ヶ月の給料にもなりそうな額を「追加納税」して参っております。「こんなに金を貰った実感がないんだけど、どうして?」と心中嘆きつつ。ですから、30年働き続けてくれば、そのくらいの貯金もあるよ、あの世に持参するカネは要らないから、やけっぱちで使っちゃっただけ、「趣味」の極地、そう自分で納得をしておりますです。
しっかし、「でも、ほかにデジカメにも使っただろ」てな、天の声も聞こえてきます。そうなんですよね。計算するだに恐ろしくて、ようしませんわな。
こういう人間が絶えないから、中古カメラやさんがいまだに持つんですよね。もっとも、その数もこの10年くらいで半分ほどに減ってしまった実感です。特に中古フィルムカメラの衰退は目に見えるくらいで、確かにほとんど新品が生産販売されていない、ですから「サプライサイド」が猛烈に縮小している、他方で「デマンドサイド」も、私のようなロートルくらいしかおらず、いまの20代30代のひとですと、そもそもフィルムカメラなんて見たことも触ったこともない、ということでしょう。「カメラの中には、フィルムを使うものもある」てな、半分冗談で数年前に記した「予測的記述」ごっこは、見事に当たっている今日この頃なのです。それじゃあ、中古店も商売になるわけがありません。デジカメの中古もある程度の市場を形成してきていますが、新製品日進月歩でまた値下がり激しいこっちでは、中古店もなかなか乗り切れません。
中古カメラやさんだけじゃなく、フィルムで撮っても、いまでは現像に出すDPE受付も滅多に見なくなりました。私は自分で現像するような能力も時間もないので、店に出すわけですが、寂しいくらいに少なく、またあっても片隅に追いやられているのです。それは現実の反映である以上仕方ないと思っても、いま恐れているのは、あまりの需要の減少で、現像ラボが大幅料金値上げをしてこないかということ。一時は需給のアンバランスから、DPE代はずいぶん下がってしまったのですが、これからは逆転現象が生じるかも知れません。そうなったら、正直やってられない、フィルムカメラは完全に博物館入りになってしまうかも。
U2 | 横浜ベイシェラトンホテル |
645Pro | 那覇牧志市場の魚屋で |
645ProTL | 上野不忍池 |
GA645Zi | 松山市萬翠荘 |
R3A | 横浜スタジアム |
FM3A | 横浜臨港パークの錨 |
F100 | 鞆の浦 |
New6MF | 舞岡公園の民家 |
C330s | 横浜日本大通 |
645AFD | <調査中> |
GF670 | 戸隠鏡池 |
デジカメ化の狂乱と混迷ぶりは、つぎです。いつ載せるかは、わかりませんが。
(2013年7月、載せました)。