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三井の、なんのたしにもならないお話 その三十四

(2013.05オリジナル作成/2024.3サーバー移行)



 
 
私のカメラ遍歴(その二)


 
5.オリンパスOM1 <1977.2購入>
 
 そんなこんなで、カメラを自分で買うなどという贅沢には無縁の10代前後でした。それから、20代もいいとこ、30代入り口で、初めて自分で買ったのがオリンパスOM1でした。これを買った経緯には「いろいろありまして」、それ以前、20代の頃はむしろ写真を撮ることを「忌避する」状態だったのです。それが心境一転のきっかけがあり、「自分のカメラをもちたい」と願い、無理して買ったのが、なぜかまたオリンパスでした。もちろん、ペンDを使っていた「履歴効果」も働いたでしょうが、当時はこのOMが大ヒット品でもあったし、一眼レフでありながらこんなに小さいというのは、大変な魅力でもありました。

 ついでながら、OM1は小さいながらにB・1〜1/1000の布幕フォーカルプレーンシャッター、CdS露出計内蔵でTTL開放測光、絞り優先表示定点合わせ式、スクリーン交換可、モードラ取付可と、当時の一眼レフの並以上の機能を備えていました。
 
 忘れもしません、このOM1を持って若干の試し撮りののち、冬の旅に1人出ました。傑作ほどのは撮れませんでしたし、相当に勘も鈍っていたのか、ぜんぜん関係ないものが画面をジャマしているなど、初歩的な失敗も少なからずありました。モノクロフィルム時代によくつくったコンタクトプリント(ネガフィルムをそのまま焼き付け、引き延ばしプリントするのをそのなかから選ぶ)をカラーフィルムで注文し、えらく高くついたなどという経験もしました。さらにその後には、どうも写りがおかしいなと感じ、オリンパスのサービスに持ち込んだら、露出計の表示が狂っていたことが判明、直させたという経験もしました。コダックトライXフィルムでの撮影画像が、超ハイキーにつぶれ気味だったもので。
 
 OM1はレンズ交換式の一眼レフですから、当然レンズは別に買わないといけません。50mmのほか、28mmや135mmも買ったと思います。まあかなり使いました。でもそのうちに、35mmフィルムへの疑問が生じてきたと言ったら、かっこよすぎ、かっこつけ過ぎと笑われましょう。そんなに撮ってもいない、傑作もものにしてもいないくせに、「疑問」なんてよく言うよと。まあ、露出計のトラブルで、ちょっと嫌気がさしたこともあります。
 
 肝心のOM1は、一年余で手放してしまいました。ほかのを買うカネがほしかったせいもあります。まあ、これを一式で知人に売りつけたのは、ちょっと阿漕であったかも知れません。しかもその後、この機は買った知人の関係者で使用中に水没の憂き目にあい、ご臨終を迎えてしまったということです。悲しい定めのカメラであったと申すべきでしょうか。

 
 

6.マミヤM645 <1978.1購入>
 
 まだ職もない、世をすねる身でしかなかったくせに、1年にしてよくぞ買ってしまったのが、このセミ版一眼レフです。もちろん私にも手の出る中古品でした。そしてこれは買ってよかった、満足できるカメラでした。
 当時は、フィルムカメラ全盛、35mm全盛でしたが、写真はブローニーだという意見も一部にありました。また、別にかっこつけずとも、以前の二眼レフ全盛の時代からすれば、ブローニーフィルムを使うというのもそれほど抵抗感なかったと思うのです。「スタート35」の傳で、「子供向きカメラ」をねらった「フジペット」というのも実はブローニーフィルムを使っていたくらいですし。

 


 
 マミヤ光機は元来、かなり反主流的な製品を手がけるメーカーでした。もちろん時流に乗り、35mmカメラ、35mm一眼レフカメラもつくっていましたが、ブローニーフィルム使用の、プロ用カメラの分野ではかなり知られていました。代表格が「マミヤプレス」でしょう。やたらでっかい図体、ややこしい操作、プレス用や写真館用として知られるこれはどう見ても素人の手に余りますが、そのマミヤが明らかにアマチュア向けとして出したのが「マミヤM645」です。イメージがハッセルブラッドに似ているのは避けられないものの、その十分の一以下の値段で、一眼レフのシステムカメラで(ハッセルブラッドは六×六判ですが)、いろいろいじれるとあれば、マニアは喜びます。
 
 それに私も引っかかったのですが、買って損ないものでした。正直に言って、35mmとセミ判(六×四・五判)とでは映像の迫力描写力が全然違います。サイズの差はそんなではなくても、奥行きがあるとでも申しましょうか。もちろん、ボケが出やすいだけ、描き方の工夫ができます。
 マミヤM645は当時のニコンに似た、レンズについたカギ爪で露出計内蔵プリズムファインダーに絞り情報を与え、それによって電子シャッター速度を制御できる先端のAEカメラでした(M645/1000はシャッター速度1/1000まであったが、私のは1/500どまり)が、私はそこまで買う余裕がなかったので、シャッター速度ダイヤルで定点合わせ式のPDプリズムファインダーと、二眼レフ同様の簡単なウエストレベルファインダーを一緒に求めました。それからレンズを三本、これでずいぶんいろいろ撮りましたですね。ころころした正方形の箱のようなボディはあまり手になじまないため、専用左手グリップも買い、これでシャッターも切れるので、使用感覚には抵抗ないものでした。
 
 結局マミヤM645は相当長期にわたって使ってきたと思います。これでひとを撮ると、なんという不思議なカメラなんだ、あるいは「プロもどきか」という顔をされるものです。使用実感からすると、35mm一眼レフカメラカメラとほとんど違いないのですが、やはりかなり大仰に見えることは否定できません。まあ、フィルムの巻き戻しをしない、その一方でブローニーフィルムを独特の中枠にセットしないといけない、この辺がマニアックと申すべきか、なんともですが。
 
 いま、このマミヤM645は相当にへたれて、もう長期休眠状態です。しかし、2000年代になって後継の645Proというのをまた買うことになりました。それはのちほど。




 
 

7.ヤシカMat124G <1978.2購入>
 
 マミヤM645でカメラ熱に火がついたか、続けて買ってしまったのはヤシカ製の「最後の二眼レフ」でした。この70年代末には二眼レフブームはもはや遠い過去で、ほとんどのメーカーが撤退、店頭でもめったに見かけない商品に成り下がっていました。それを敢えて買ったのはへそ曲がりもいいとこでしたが、やはり「兄の二眼レフ」の記憶も、懐かしい以上に「長年の願望」になっていたと思います。


 
 伝統的二眼レフスタイルから一歩も出ない外観、使い勝手、そのへん「遅れてきた片思い客」の思いにこたえるには十分すぎるくらいのものです。一時は最先端とされた、ダイヤルノブではないクランクハンドルでのフィルム巻き、それをちょっと戻すとシャッターがセット、カラカラキリキリという回転音、心落ち着くシャッターボタンの落ちる感じ、懐かしさの固まりみたいだったですね。
 それでも、名前の由来である、ファインダーレンズ画像を見る明るいフレネルレンズ付きマットスクリーン、時代の流れを受けてのCdS露出計内蔵、シャッターダイヤルと絞りダイヤルををレンズの左右で使い分け、それで上から見る適正露出での針の一致といったデザインは、もちろんローライフレックスの半分まねであったのでしょう。露出計のあるのは有り難いことでした。なお、「G」というのは電気接点が金メッキだという意味のようです。
 
 F3.5/80mmのレンズ、B・1〜1/500のコパルシャッター、X接点付と当時は実に標準と言うか並の機能でしたが、長年の片思いにして十分なものでした。写りの方というと、不思議なくらいにクラシックな画像になるのです。きりりとしているとか、色鮮やかと言うのとは対照的なくらい、そして画面周囲には流れもあり、どう考えても時代遅れな性能なのですが、そこがまたいいという自己満足にもふさわしいものでした。それに、M645に比べれば重さでは半分くらい、あれこれできない代わりに単純な仕組み、しかもセルフタイマーもついている(M645にはなかった)ところは、携帯性も高いものでした。もちろんこれも縦長のボディは構えるのにあまり安定しないので、シンプルなグリップを買い、左手で握り、右手でシャッター押しとクランク巻き上げ、ピント合わせは握った左手の指二本でノブダイヤルを回す、慣れるとこんなで扱いやすいのです。二眼レフの特徴たる、左右逆転のファインダー画像には、正直容易に慣れませんがね。
 
 そんなこんなで、北海道や中国地方旅行などにもお供願いました。いまでも当時の画像を見れば、ますますもって時代色が感じられ、悪くないですね。両レンズの前につけて望遠化する「テレフォトアダプター」なんていうのも買っています。デジカメのアダプタレンズの先駆けです。
 いまはほぼ完全休眠状態です。取り出してみればきちんと動くし、よく言われる露出計の電池問題も、いまの市販のでなにも問題ないのですが、長年手入れが悪かったせいか、スクリーンやミラーにヨゴレやカビが目立ち、ちょっと再稼働させる意欲が起こりません。それに、一度この機で大失敗をしてしまいました。80年代に大学の研究室で学生相手をしながらMat124Gをいじっていた際に、誤って床に落としてしまったのです。堅いコンクリートの床だったので、衝撃で底の四本の足の一つが曲がってしまいました。それでも以来、けなげに問題なく動いてきてくれたのですが、こうなるともう中古で売ることもかないません。可哀想なことをしました。

 
 

8.オリンパスOM2 <購入時不明>
 
 オリンパスとはどこまでいっても縁の切れない私です。OM1一式を売り払い、縁がなくなったと思ったら、78年末に結婚した妻が、OM2を持って嫁に来たのでした。以来30年余、妻に言わせると、私はズーズーしくもひとのカメラを自分のものにして使っているというのです。そんなに悪意も深謀もないのですが。
 
 妻は自分の研究と仕事用に、これまた当時最先端だった全自動の超小型35mm一眼レフたるOM2を買っていたのだそうですが、そして顕微鏡写真を撮ることを考えていたのだそうですが、結局そうした用途にあてられることはほとんどなく、確かに私の外出のお供になることの方が多かったとは思います。それに合わせ、またレンズも買いました。35mmや100mmを80年にかけて増やしました。
 結果として、135mmより100mmの方が使いやすいなどの学習もしました。可もなく不可もなく撮れるカメラですが、別のところで書いたように、オリンパスの描く画像にはずっと不満を抱いていました。それから、超小型化のついでに取り外し式としたホットシューは明らかに失敗で、せっかく買ったオリンパス専用TTL制御ストロボも、きちんと発光しないことがしばしば、これはどう見てもシューのあたりの接触問題でしたし。


 
 言うまでもなく、OM2はOM1を超越するTTL・AEによる電子シャッター制御カメラであり、特にシャッター幕面を利用したTTLダイレクト測光というのは当時の最先端でした。いま、デジイチカメラがすべて採用している技術のうち、AF以外の多くはこのOM2から始まっているのです。そこを高く評価しなくちゃならないのでしょうが、私にとってはどうも、容易に縁の切れないオリンパスというような、身勝手な感覚がずっとあります。

 しかも、これももちろんいまも完動状態なのですが、もう使う気がおこりません。最大の問題は、多くのOM機などが直面したペンタプリズムまわりの蒸着膜の腐食が大々的に生じてしまったことです。これはプリズムまわりのモルトプレーンの劣化から、蒸着膜への腐食伝染となるためらしいのですが、ファインダーを覗くとゴロゴロ見えて、はなはだ目障りです。そしてオリンパスのサービスに持っていったら、修理不能を宣告されてしまいました。完全にもとに戻すのには甚大な費用がかかり、しかもプリズムを外すなどの作業で、ほかの電子回路などがいかれる危険大である、あきらめてくださいというわけです。まさに腐れ縁の領域に達しております。
 
 このような事態になったのは、ペンタまわりの構造、蒸着素材の材質などに本来的問題があったのでしょうが、今となってはどうにもならず、もちろん「製造物責任」を問うにも30年も過ぎた製品ではまったく無理なことであり、確かにあきらめる以外に方法はありません。似たような例には、ひところカメラの外材によく用いられたゴムが加水分解の経年変化でべたつくようになり、これまた甚だ使用を不快にさせる、あれもあります。ゴムというのは自然素材ですから、そんなにもたないのが当然で、これも避けられません。ペンタまわりのモルトが腐るのも、同じような原因なのでしょうが。
 ただ、外装材であればあれこれいじる、なんとか交換する、そういった対処ができなくはありません。でも、一眼レフカメラの心臓部の致命的異常となれば、どうにもしようがないのは事実なのでしょう。

 
 そういった次第で、OM2とは良縁ではなかったようです。




 あとに出てくるOM2000のことを調べているうちに、うえの記述にちょっと訂正を要することを発見してしまいました。
 このOM2は99年8月に修理に出しています。プリズムまわり腐食だけではなく、シャッター動作不良なども生じており、ロンドン滞在中に悩まされた、フィルム周辺への光漏れもこの際に直したのでしょう。その辺いじり、部品交換などするのと点検とで、2万円も取られています。そしてこの時に、「プリズム腐食を直すのは無理」と宣告されてしまったのでした。あんまりあてにならない機材ですね。



 
 

9.リコーFF1 <1980.6購入>
 
 35mm一眼レフはもの足りず、かといっていつもブローニーでは大変というところで、絶好なのが出てきたのが、このリコーFF1でした。発想はかつてのオリンパスペンDに近いのですが、35mmフルサイズなのにあれより小さく軽く、そしてもちろん露出計内蔵のEEカメラなのです。

 なによりの特徴はフォールディング式のデザイン、むかしむかしのスプリング式カメラの発想です。これも、以前もいまも似たような方式を取り込んだ機種があり、リコーはまねしたんじゃないかという非難もあったように記憶します。ただ、こうした構造にする発想が日本のカメラメーカーに従来なかったことは事実でしょう。カメラは、レンズとフィルム面との間に一定の距離を置かないと画像を結びませんから、それが全体の大きさや形状を左右してしまう、ここを抑えるために折りたたみ式にし、レンズとボディとの間を伸縮自在の蛇腹で結ぶというのがスプリングカメラの考え方で、多くの機種に用いられ、代表的なのがマミヤ6でした。これを35mmカメラでもやろうというのは、35mmカメラ自体十分に小型じゃないかということで否定されてきたのでしょうが、35mmだってもっと小さくしてもいいだろうというのがFF1などの構想です。
 
 蛇腹にはいろいろ問題もあるし、あまり小さくするのも無理なので、FF1はプラスチック部品の組み合わせでレンズ部を光の漏れない可動部にし、前ぶたを開くとレンズ部が繰り出してきて、前ぶたが底になるという構造にしました。もちろんそれがスイッチ起動にもなります。これで大幅にカメラの前後長を抑え、本体だけの大きさに収めました。この動作は軽快でガタもズレもありません。しかも開いた前ぶたの左右に支柱が出てきて固定するので、スプリングカメラそっくりの姿になります。

 小さなボディですからレンジファインダーなどなく、素通し(アルバダ式)のみ、距離はレンズ前玉回転式のところの目盛りを目測で合わせるだけ、ペンDと同じです。露出はCdS露出計連動のプログラムEEというシンプルなものですが、まあ大丈夫、1/60以下のシャッター速度になるとファインダー内に警告ランプがつきます。
 
 こんな小さなボディで、買った値段は26,500円、重さは225g、ほとんどプラスチック製ですから、完全にいまのコンデジを先取りしていました。もちろんAFもないし、ストロボもついていませんが、レンズはそれでもF2.8/35mmなので、むしろ遜色ありません。ともかく、いつもポケットに入れておいて、いつでもさっと撮ることができるのです。ですから、私としてはこの手軽さ、持ちやすさこそが35mmフィルムカメラの神髄じゃないかと、当時にして大いに威張っていたのでした。いま、コンデジを持ち歩いているのと同じです。外付けストロボとして、単三1個で使える超小型のサンパックA140というのも備えました。GN14ですから、いまのコンデジ内蔵のとこれまたひけをとりません。
 80年代にいろいろな機会で、FF1で撮った写真は膨大にあります。それなりに写っています。フィルムをスキャンして画像拡大をして細かくみれば、かなりの怪しさ、甘さがあることは否定できないのですが、フツーの記録用には困らないレベルです。目測で撮るのも、35mmレンズとISO400フィルムのおかげで、あまり外すこともありませんし。
 
 このFF1は元気に働き続けてくれていたのですが、以前勤めていた大学の建物地下に入っている写真屋さんと親しくするなか、そこの客寄せ展示用に提供し、その後に転任する際にも置いてきました。あとで記すように、類似機も後継機も持ち、FF1の必要性がなくなったせいもあります。そのため、もう「遺影」もないはずと思っていたら、ありました。80年代初めに、いくつか手持ちのカメラを並べてみて撮った、そういうのが残っていました。大したのも持っていないのに、かっこつけすぎであります。

 
 のちに東北のリコーの工場を調査訪問した際、FF1を使っていたと話したら、えらく感激してくれました。そして、ずいぶんあとになって、FF1後継機のFF1sを手にすることになるのです。


 
 
 

10.ミノックス35ML <1989.6購入>
 
 80年代はだいたい、こんなラインアップで写真を撮っていました。この間に定職を得、そのおかげでロンドンに一年半滞在、さらに自宅を買うなど、安定路線に入っても、別にカメラ贅沢をしようとも思わない、ロンドンでもOM2とFF1で事足りていたのですが(ブローニーカメラは持っていかなかった)、戻ってから、ちょっと欲を出して買ったのがこのミノックス35MLというやつです。当時で7万円以上しました。

 
 これは知る人ぞ知る、リコーFF1はマネだとも言われた、ドイツのユニークなメーカー(本来はラトビアにあった、スパイカメラのメーカー)の、35mmフルサイズながら小さなフォールディングタイプで、その意味外観も機能も使い勝手もFF1とほとんど同じです。ミノックスは長年にわたり、いくつかのバリエーションモデルを発売をしてきたようですが、このMLはシャッターが絞り優先式(FF1はEEプログラムのみ)で、前ぶたを開くのはボタンを使うところ(FF1は前ぶたの縁をつまんで引っ張り出す)、前ぶたを閉じるとファインダー窓も覆ってしまうことなど微妙に違い、またフィルムの装填には裏ぶたがヒンジで開く一般的な方式ではなく、裏ぶた部分が底と一体で抜ける、欧州製にありがちなちょっと変わった方式でした。
 
 肝心の写りの方では、FF1はかなりくたびれてきていたこともあり、やはりミノックスの切れ味にはとうていかなわないと判明しました。それゆえ、こちらが常用のポケットカメラになった次第です。

 
 ただ、信頼度という点では問題ありでした。一度まったくダメになり、修理に出しましたが、本国まで往復してきたと見え、相当の日数と一台の値段の半分近い修理費が掛かりました。それでもなお、特に外付けストロボの同調にはかなり問題ありのままで、二回に一回くらい点灯しない、これはどうにもよくなりません。一方で、修理のおまけか、ISO1600までAE対応に改装され、戻ってきております。
 
 それでもこだわって、1994年にドイツベルリンに行った際に街を歩いていたら、カメラ店でこのミノックス35用のアクセサリーを売っているのを発見、データバックと専用フィルターを手に入れました。ただ、どうも使用法がよくわからず、うまく日付など写し込めないままになっております。取り付け自体も相当に厄介そうです。
 
 35MLはF2.8/35mmレンズ、絞り優先シャッター制御AE(プログラム切替可)で1〜1/500、もちろんFF1同様に素通しアルバダファインダーのみで目測の前玉回転式距離あわせです。重さ180gの超軽量、それでかなりよく撮れますですよ。フィルム巻き上げがレバーを二回引く方式なのが、ちょっと戸惑いますが。

 

 

☆これにも、それぞれの画像の説明を載せます。

         
OM1飛騨高山宮川
M645雪のあとの阿蘇
Mat124G小樽の酒屋
OM2ロイヤルウェディング'86のザ・マル
FF1(いまは亡き)大船渡駅
35ML下関火の山公園


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 こんな具合に80年代、ですから90年代以降の「遍歴」は続編です。

その三へ