第21章 サウロの失策
サウロと長老は、クリスチャンの頑固さに閉口していた。サウロを慕っているハナンは奴らが危険な反乱をたくらんでいることをローマ総督に吹き込もうではないかと言いだした。

彼らは早速ローマ総督のところにおしかけ、クリスチャンたちは遠からずエルサレムに火をつけ、どさくさまぎれにローマの兵隊におそいかかり、ユダヤから追い出そうとしている、と言った。当時のローマ人は、特にユダヤの青年層の動きに注意を払っていたので、彼らの言うことに耳を傾けた。

しかしクリスチャンとはかかわりたくなかったので、総督は代案を提示した。それはユダヤ人の中から評判の良い人を数人選び、彼らにクリスチャンを処理する権限を与えようとするものであった。

そこでサウロとハナンは、彼らの中からクリスチャンを嫌っている者を数人選び、生殺与奪の権限を与えた。選考は投票によって行われた。更に総督から何度も念を押されたことは、使徒には絶対に手を出さないことであった。総督の親戚筋からも絶対に使徒には手だしをしないようクギをさされていた。

その親戚筋とは、かねて使途ペテロが、死んだ娘を生き返らせたローマ人の父親であった。彼は任務を終えてローマへ帰る時に、総督に念を押してユダヤから帰って行った。ローマではなかなかの権限を持った人である。

総督は、大祭司とサウロに対して、再三使徒には手出しをしないように勧告していた。使徒は群れの指導者であるから、彼らにムチを当てたり投獄などしたら、それこそ本当に暴動が起きるかもしれないと警告した。大祭司とサウロは、いやいやながらこの命令に服し、下っ端どもを相手にすることになった。

専ら神殿内でキリストの説教をしている者たちを掴まえては、治安妨害罪ということで死刑を宣告した。しかしサウロの権限は、日ごとに増大していった。それと共に、クリスチャンが金持ちや商人に対して、彼らの財産を強奪する陰謀をたくらんでいるという噂が広まって行った。サウロは手あたり次第に噂の種をばらまいていったからである。

彼は、会堂や家の中からクリスチャンを強引にしょっぴいて回った。多くのクリスチャンたちが無実の罪を着せられて殺されて行った。クリスチャンを撲滅するのに熱中している時は、サウロにとって四人の亡霊から逃れられる時であった。サウロによって始められた教会への迫害はますます激しくなっていった。

若い母親がイエス・キリストを信ずる告白をすれば、乳飲み子までも容赦なく牢獄にぶちこんだ。牢獄には、女子供が溢れるように詰め込まれたので、多くの弱い人々は牢獄の中で死んでいった。

それでもクリスチャンたちは、死を恐れなかった。老いも若きも困難をいとわず、むしろムチ打たれることを光栄とし、飢えや渇きに喜びをあらわすという光景が見られた。これは実に不思議な事であった。

祭司や長老たちが牢獄を訪れるたびに、彼らのイエス・キリストに対する立派な信仰心が読み取れるのであった。

迫害者は途方に暮れた。投獄や死刑の宣告をもってしても、彼らの信仰心を打ち砕くことができなかったからである。その上牢獄にはこれ以上詰め込むスペースがなくなってしまった。そこで長老はサウロに言った。

「おまえのやり方は失敗だ。依然として使途たちは教えを説き、信者たちは教えに忠実に従っているではないか」

サウロはかえって居直り、更に強力な権限を与えて欲しい要求した。大部分のクリスチャンは他の町に逃げ去り、そこからエルサレム在住のクリスチャンに金や食料を送っていた。

ダマスコ(シリアの首都、ベイルートの東57マイルの地)には相当数のクリスチャンがいて、キリストの教えを熱心に伝えていたので、多くの人々を夢中にさせ、まるで、枯れ葉に火をつけたように広がって行った。この分では、間もなくイスラエルの神への信仰者は居なくなってしまうように見えた。

それで大祭司と長老はサウロに公文書を発行し、ダマスコはもちろんのこと、ユダヤ全土においてクリスチャンを迫害する権限を与えることになった。

サウロは公然とは使途に手をだせないので、別な方法で十二使徒をやっつけるワナを工夫した。彼が雇い入れた数人の男にクリスチャンを装って彼らの中に潜り込ませ、使徒たちがやってくる集会の時と場所を探らせた。

使徒たちの目下の働きは、教会内部に発生した新たな問題、即ち苦しめられている同志を救い出すことであった。

そのために相談や祈りの時を必要としていたのである。サウロはそこに目をつけ、多額な金で買収した者に集会の時刻を探らせた。その時こそ、使徒たちを殺すチャンスになるかもしれないと考えた。買収した若者たちを集め、ぶどう酒を振舞いながら、教会の奴らを刀で切り殺すようにそそのかした。

この仲間にアゾルというリーダーがいて、大変気が短く、ぶどう酒がそれに拍車をかけたので、直ちに仲間を引き連れて十二使徒の集会所に向かった。サウロの下僕が彼らを案内した。

真夜中になって、いよいよ復讐ができる時がやってきた。若者の気性を知り抜いていたサウロは、門の所で彼らに冷ややかに言った。これはとても危険な仕事であり、自分は血を流すようなことは好きではない、と伝えた。彼らはますます興奮し、刀を振り回しながらサウロに約束した。

キリストなんかと言う極悪犯罪人と共謀者の首をひっさげてエルサレムにかえってくると息巻いた。

若者の足音が消えてから、サウロの心は躍った。憎たらしい奴らが今晩死んで葬られると思うだけで体がぞくぞくしてくるのであった。なおも彼は空想に耽っていた。キリストの教会を全滅させれば、権力はおれのものになるのだ。

それは何と痛快なことか、その途端、例の四人の若者の幻が彼の前に再び現れた。この若者はいつもと同じように彼の魂の救いのために祈っているのである。この祈りは彼にとって、物凄いちょう笑として聞こえてくるのである。

彼は大声で叫びながら空中を殴り始めた。まるで人影をたたき潰そうとしているかのようであった。しばらくして彼はひざまずき、今度こそイスラエルの神に、この計画が成功するように祈った。

猛毒がユダヤ人全体をだめにするまえに、サソリの巣をねこそぎ粉砕してしまうことを願った。彼は立ち上がりながら快感を覚えた。十二使徒が今夜殺され、キリストの息がかかったものがすべて消えうせてしまうと思うと、たまらなく嬉しかった。サウロはこれでステパノにも勝てたし、夜も昼間も、のべつ亡霊に悩まされることもなくなると思った。

その夜は月がこうこうとして輝いていて、若者を照らしていた。彼らは十二使徒が集まっている秘密の場所に近付いた。

使徒たちは一同に会し、聖霊の導きにより、教会の行く手を示してもらうことが必要であった。使徒は祈り続け、聖餐(ミサ)にあずかった。彼らはみんな手をつなぎ合い、肉体に聖霊が宿ることを祈り求めた。

この夜は、殊にペテロ、ヤコブ、ヨハネに霊力が加えられ、事前の刀剣で武装した者たちがやってきて、彼らを皆殺しにする時間が迫っていることが予告されていた。

アゾルと仲間十人の若者が入口の戸をたたいた。何の返答もなかった。彼らは勝手に戸をあけ、中に押し入った。

内部の静けさがアゾルとその仲間を圧倒した。若者たちは、まるで山にでも登る時のように歌を歌ったり、大声で話し合っていたのであるが、余りにもただならぬ雰囲気に圧倒されてしまい、ただ黙ってお互いの顔を見つめあっていた。じっとしているのももどかしく、若者たちは抜き身の刀をふりかざしながら部屋の中に突入すると、突然、彼らの体がこわばってしまい、麻痺し、まるで神殿内に飾られた偶像のように棒立ちになってしまった。

恐怖の目で十二使徒を見詰めると、彼らは手をしっかりとつなぎながら、テーブルを囲んで座っており、テーブルの真ん中には、聖餐用の杯(カリス)が置いてあった。部屋の中は薄暗く、霧のような異常な蒸気が杯から舞い上がっていた。

その蒸気が、ゆっくりと侵入してきた若者の体を包みこんだと思うと、蛇が絡みついたように彼らの体を締め付け、ついに息が詰まってしまった。使徒たちは依然として身動きもせず、ひたすら聖霊の訪れを祈り求めていた。

この事があってから、エルサレム中はこの話で持ちきりであった。ある者は、獅子の子ユダ(アブラハムの孫ヤコブの第四子で、ライオンのように強かったと言われていた・・・創世記四十九章参照)が現れて十二使徒を護ったのだと言い、ある者は、人間の目に見えない四匹の野獣が飛び出して十二使徒を護ったのだとか、様々なうわさがとびかった。この時、若者が本当に見たものは、彼らを縛りつけた不思議な蒸気と、聖霊にしっかりと護られた十二人の使徒たちであった。

その後、若者たちの心はバラバラになっていった。彼らが這いずるように部屋から出てきた時の顔は、もはや人間ではなく、野獣のような顔付きであった。狂気が彼らを被い、死神に取り付かれたように一目散に町へ逃げていった。

この出来事をアゾルは一部始終サウロに話して聞かせた。仲間もみんな手を引いてしまったことを付け加えた。

サウロの打撃は大きかった。しばらくの間この若者が言っていることが信じられなかった。ついに彼は、教会の根を絶やすことに失敗したことを知って悶々とした。ようやくサウロは、彼らを護っている力がこの世のものではないことを悟った。彼は当時、誇り高い人間で、自分の知恵は長老たちよりも優れていると自負していた。

使徒殺害計画の話はたちどころに広がって、様々な尾鰭がついた。しかし、ここで示されたものが真相であることを付け加えておく。

サウロはエルサレムでの夢が破れ、長老からは責められ、商人からはあざけられ、ついにダマスコのエレアザル宛ての親書をたずさえて早々にエルサレムを立ち去った。エレアザルはクリスチャンをとても憎んでいる行政官で、サウロには大祭司からダマスコにいるクリスチャンを撲滅する総ての権限が与えられていた。

第22章 サウロの回心
さて、私は暗黒と冷酷のうちに閉ざされていたサウロの魂が、主イエスの教えによって息を吹き返したことをお伝えしよう。これは、まさに全人類にとって有益であるからである。

この話は、人間がどんなに多くの罪を犯しても、どんなに邪悪なことをしても、聖霊のお恵みによって浄められれば、予言者、教師となり、異邦人に真理を伝える器に選ばれることを示すものである。

サウロと数人の者がダマスコに向かって出発した。時は、旅行の季節ではなかったので、沿道には人影が少なかった。サウロは太陽の暑さにヘトヘトになっていた。何日も眠らずに歩きとおしたからである。その上、出がけには、長老たちからエルサレムでの失敗を責められて頭にきていた。ガマリエルも彼に言った。

「お前は、キリストを根絶しているどころか、信奉者があちこちにうろついているではないか。急いで手を打たなければ、お前の方がやられてしまうぞ!」

そんなわけで、サウロはくさりきっていた。まるで嵐で折れ曲がった樹の枝のように彼の魂はすっかり参っていた。

彼に殺された四人の若者が、彼のために祈っている姿が目に焼き付いて離れなかった。彼も同行の者も一口も口をきかず、目だけが血走っていた。

ダマスコに近付いた時、同行の者が殆ど同時に倒れてしまった。彼らは大きな叫び声を聞いた。見るとサウロは両手を挙げ、体は地上に倒れていた。サウロのまわりには誰もいなかったので、同行の者が救助しようと近付いていくと、穏やかな声が響いてきた。

「サウロよ! お前は、どうして私を迫害するのか」

このような声が三度くりかえされた。そして三度目に、ようやくサウロは答えた。しかし彼の言うことは支離滅裂で、何を言っているのか分からなかった。そして再び穏やかな声が響いているのを同行の者が耳にした。彼らは一体誰がサウロに話しかけているのか辺りを探したがそのような者は見当たらなかった。

周辺には一本の樹もなく、視野を遮るものもなく、ただ一本の道路が走っているだけであった。それで彼らは恐怖に襲われ、サウロを起き上らせながら言った。

「先生、一体どうなさったのですか。あの変な声は何者なんですか。先生、私達に教えて下さい!」

サウロは目を開いて彼らを見上げながら叫んだ。

「真っ暗だ! お前たちの声は聞こえるが、何も見えないんだ! 主が私に話しかけたのだ。私は、私が迫害している、キリストをこの目で見たのだ!」

彼は今見たばかりの幻について語って聞かせた。同行の者は言った。

「先生は、頭がいかれちまったんじゃないか、ともかく、ご機嫌をそこねないようにしようぜ」

彼らはダマスコのユダスの家にサウロを運んだ。それからエレアザルを探し、先生は病気になってしまったと言った。彼らは、とにかく数時間か、あるいは一晩過ぎれば良くなると思っていた。

次の日になってもサウロの目は何も見えず、急に襲った暗黒の世界はなによりも恐ろしいものであった。彼の霊性は健全でなかった上に、良心の戦いをあまりしなかったので、常に怒りの感情に支配されていた。

三日の間彼は、暗黒の世界に横たわったままで、食物は一切のどを通らなかった。その間彼は、人間の存在の深さをずっしりと感じとっている。この苦難に耐えることによって少しでも主イエスに償いが出来るならば、たといこのまま死んでもよいと考えるようになった。

しかし時として彼に襲い掛かるものは絶望であった。彼は自分が犯した悪事を何とか払いのけたいと強く願っていたからである。彼が迫害した人々は、みんなこの世を去っていった。今一番恐ろしい事は、イエス・キリストを信じる言葉を表明できずに死んでしまうのではないかということであった。

三日目に変化が現れた。彼の耳元で、再びあの声が響いてきた。その声は、彼が異邦人のために主の福音を伝える道を選ぶか、それとも、彼のために備えられている道を拒むかどちらかを選ぶように、とのことであった。彼の霊は躍った。受け入れる用意はできていると叫んだ。

再び見えるようになるならば、声の命じる使命を果たすために、地の果てまで参りますと答えたのである。

「お前が私の重荷を背負って行こうというのなら、お前の行くべき道を指示しよう。それまでは誰とも口をきいてはならない!」とその声は彼に告げた。

一晩中、これから起こる未来の幻が次々と与えられた。それはとても奇異なものではあったが、今の彼には、その意味を十分に理解することができた。ところが幻の中に、彼が十二使徒殺害の密約を結んだ若者たちが出てきた。

彼らは一晩中サウロを呪い続けた。彼らはサウロを殺すまでは、眠ることも食べることもしないと誓い合っていた。

サウロが多くの人々に、キリストこそ救世主であり、死人から復活したことを懸命に訴えているサウロに憤慨したからである。ほかの幻も次々とは現れては消えていった。それらの幻は、全部彼を責めるものであり、彼が縛られ、ムチで打たれ、唾をはきかけられ、たたかれるといったものばかりであった。

更に幻は、どんどん展開し、ついに荒野で飢えに苦しみ悶え、教会を敵視する者から死の苦しみを受けるのであった。

自分の残酷な死に様が現れ、辺地で殉教の死を遂げるのである。すべての苦悩や災難は、主イエス・キリストのためにこそ身に負うものであることが示された。

一連の幻が終わると、なおも暗闇が続き、再び例の声が響いてきた。

「サウロよ! 選びなさい! お前はこの重荷が背負えるか。おまえを待ち受けているものを見たであろう。再び見えるようになった時、お前は課せられた人生を歩むか、それとも、今の苦しみから逃げるために、死の道を選ぶか」

サウロは答えて言った。
「主よ、私の答えは定まっています。私に光を与えて下さい。そうすればあなたに従って参ります」

声は二度と聞かれなかった。その夜のうちに、アナニヤという者がユダスの家へやってきて、サウロの顔と目の上に手を当て、見えるようになれと祈った。見よ! たちどころに彼の目は開け、アナニヤの顔が目に映った。サウロは直ちに洗礼を受けたいと懇願した。自分は大罪を犯した人間であることを悔いており、主イエスに帰依したいと熱心に願った。

昨日までのサウロは、死んでしまった。彼のかたくなな心は砕け、心に平和が訪れた。彼はキリストに仕える者となった。奉仕の中に真の自由を見いだし、霊の憩いを得たのである。

サウロが一心になって悔い改めている頃、主イエスはアナニヤに語りかけ、直ちにユダスの家に行ってサウロと名乗る人の目を開くように命じた。アナニヤは主の言葉どおりに実行したのである。アナニヤを通して霊の力はサウロの両眼を開き、罪深い魂をすっかり癒してしまった。

このようにして、キリストの教えにまったく触れなくても、一人の男が、幼子のような単純な信仰によって救われたのである。昔、神殿で学び、パリサイ人として学問をおさめた者が、主イエスの教えの中に真の知恵を見いだしたのである。

以上が、サウロの心が癒された物語である。彼が洗礼を受けた時、周りの者がサウロに、これから何という名で読んだらいいのかと尋ねた。彼は答えて言った。

「私は卑しい人間です。名乗る値打もない男です。しいて名付けるとすれば、若き日の私に魂が小さく臆病で、愚かであったことを表すものにしたいのです」

それで彼は自ら、『パウロ』と名付けた。(訳者注─ラテン語のpaullusをギリシャ語化した言葉で、〝小さき者〟〝小柄な人〟を意味する。ちなみにサウロとは、ヘブル語でシャーウールと発音し、〝望まれた者〟という意味である)

後に彼が、異邦の地で布教に専念している時、みんなは彼のことを先生と呼んでいた。そう呼ばせることによって、彼は主イエスの前では小さな存在であること、そして兄弟の誰よりも最も卑しい者であろうと努力したのである。

第23章 パリサイ派とサドカイ派
パウロは、多くの理由で主イエスに選ばれた器であった。少年時代には、タルソ、キリキヤ(小アジア)で成長した。

青年期に入ってローマに行った。それで彼はユダヤ以外の外国のことをよく知っていた。彼の父は、厳格なパリサイ派に属する者で、息子の彼を最も厳格な戒めによって教育したのである。だから彼は子供の頃から父の信仰を熱心に学んできたので、その派の教えに従って、死んでも生きることを信じていた。

もしも、復活を全然信じないサドカイ派の家で育ったならば、主イエスの信仰を受け入れることは、なおさら難しかったであろう。一般のパリサイ派の人々は、キリストが肉体も共に復活して、十二使徒の前の現れたことを信じなかった。

ただ、イスラエルの神だけは信じていた。その神は、自らの喜びのために世界を創造し、そして自ら破壊する方であると信じていた。古い時代に活躍した予言者の中から、偉大な預言者が再び現れると信じていた。

彼らの信仰によれば、何人かの偉大な教師は再生するが、一般大衆は、死ねば地獄へ行き野の草のように最後は枯れて無くなってしまうと考えていた。彼らは死後に関する考えはほとんど持っていなかった。祭司や学者は聖人だけが死なないと信じていた。トウモロコシの実は一つであるが、たくさん集まって一本の実となる。

予言者や学者は世に出るが、時の流れには逆らえない。花がしぼんで種がばらまかれるように、彼らも同じような運命をたどる。これが人の生命の原理であると主張する。人は死に、そして生きる。

だからサドカイ派の人々にとって、不妊の女は責められ、子をもうけない父親は非難されると思っていた。

要するにユダヤには二つの思想が存在していたのである。人間の復活を信じていたパリサイ派に対して、サドカイ派の予言者が「一切は空である」と叫んだように、人の生きる目的は何もなく、ただ空しく流転するのみであるという思想が存在していたのである。このように考えていた人々の心には、ただ苦しみと絶望があるだけであった。

第24章 パウロの信仰告白
ダマスコでは、多くのクリスチャンがいて、教会が次第に大きくなっていったが、これという指導者や説教者がいなかった。そのうえサウロがダマスコにやってくるとの噂を聞いて彼らは震え上がっていた。彼によってエルサレムでは多くのクリスチャンが殺されたことを耳にしていたからである。彼らは集まってどうしたらよいかを相談した。

ある者は海岸に向かって移動し、いつでも海から逃げられるようにしたらどうかと言った。しかしここで商売をしている者や家族を持っている者は、今の仕事を止めて他国に行って飢え死にしてしまうことを恐れた。

多くの信者たちは絶望のどん底につき落とされてしまった。彼らは胸を打ち、天を仰ぎながら迫害が来ないように望んだ。彼らは口をそろえて主に祈り求めた。どうかこの苦しみの杯(カリス)を取り除き、迫害が起こらないようにと必死に祈り続けた。

そこにアナニヤが現れて言った。

「私は今あのサウロと一緒にいたのです」

大きな嘆息が流れた。一同の者はついに最後の時がやってきたと思った。なぜなら彼らが最も恐れていた名前を耳にしたからである。アナニヤは、いやに落ち着いた態度でみんなをなだめ、声を震わせながら、たった今起こったばかりの奇跡のことを話して聞かせ、ついに、サウロはイエス・キリストを信じる仲間になったのだと言った。

するとそこにパウロが入ってきて、罪の告白(ざんげ)を始めた。並み居る兄弟たちの面前で、自分はみんなと同じ信仰が与えられた者であり、しかも、その末席につく者であることを告白した。

あまり突然のことで、一同は信じられず、恐ろしさのあまり、逃げ出してしまい、アナニヤとパウロの二人だけになってしまった。パウロは大いに失望して言った。

「誰も私を信用してくれない! まるでらい病人扱いだ! きっと私はすてられてしまう!」

アナニヤは彼に勇気を出して会堂に行き、主イエスに出会った時のことを話すように勧めた。パウロが会堂にでかけて、みんなに呼び掛けた頃は、すでに祈りが終わった直後であった。

過去のことしか知らず、クリスチャン撲滅のために彼がくるのを待っていたエレアザルは、会堂内に入りパウロが叫んでいるのを見て、そこにくぎづけになってしまった。何と驚いたことに、あのパウロが人々の前でナザレのイエスのことを話し、いかにイエスが彼の不信仰をあばき、盲にしたかを説明していたからである。

更にパウロはエレアザルの面前で、公然とイエスへの信仰を告白した。ついにエレアザルは、この若いパリサイ人の頭がおかしくなったと思い、群集の中をかき分けて彼の所にやってきた。そしてお前はキリストを信じるなどと、すごく悪い夢を見せられて、すっかりだまされているのだと言った。パウロは答えた。

「兄弟よ、だまされているのは、あなたの方ですよ。あなたこそ目前の真理を疑って、神を欺いているのです。救世主であるキリストは木にかけられ、同胞のユダヤ人によって裏切られたのです」

さて、これがきっかけとなって、一大騒動が起きた。エレアザルは、会堂の役人に向かって、悪霊に取り付かれてしまったパウロを逮捕せよと命じたからである。居合わせた人々は騒然として口々に罵り始めた。

「こいつが大祭司に選ばれたサウロだ!」

一方では詐欺師だとののしり、他方ではタルソのサウロは味方であると弁護した。彼らが大騒ぎをしている間に、パウロはその場所からすり抜けて出ていったので、役人が群集を解散させた時には彼はもういなかった。

その後パウロは何度も会堂にでかけて行っては、キリストへの信仰を証明し続けたので、ダマスコのクリスチャンたちは、もはや彼を疑わなかった。次第に彼らはパウロを歓迎するようになり、目前に迫ったエレアザルの迫害に対して彼の助けを求めるようになった。

そんな時、エレアザルがパウロを殺そうと企て、家来がパウロを探し回っているという情報が入ってきた。

パウロはそれを喜んだ。ついにキリストのために自分の命を捧げることができるので、直ちにエレアザルの面前に立とうと言った。しかしアナニヤや他の兄弟たちは彼に言った。

「友よ、生きることは死ぬことよりもむずかしいのです。主イエスはあなたを召してエルサレムへ行かせようとしておられるのです。そこであなた自身がクリスチャンを捕えようと仕掛けたワナを取り外すのです。今や多くの兄弟たちは、あなたが仕掛けたワナにかかって毎日殺されているのです。

くどいようですが、あなたが仕掛けたものです。だからこそ、これからは、あなたが作り出した野獣を絶滅させるのです」

彼らは家の床の下にパウロを隠してしまったので、エレアザルの手のものが町中を探し回っても見つけることができなかった。エルアザルはこれに腹をたて、町の総ての門に見張りをたて、門から出入りするものを片っ端から尋問した。夜になって門が閉まり、人の往来がなくなると、荷物類は塀の上をとうして運搬されるのが習わしになっていた。

そこで、彼らは籠を用意し、その中にパウロを入れて、夜中に塀の上から地上に吊り下ろし、ダマスコからエルサレムへ向かわせたのである。

第25章 サマリヤの魔術師、シモン
ここでサマリヤのシモンを紹介しておこう。主イエスが在世中、シモンという男が悪霊を使って不思議な業を見せ、素朴なサマリヤ人をひきつけていた。この霊は、彼が命じると石の雨をふらせた。シモンは、このように悪霊と結託して金儲けをしていた。彼は又、恐ろしい姿を使っては、女たちを脅していた。

女たちはシモンが動物を使って恐ろしい姿に化けさせていることを知らなかった。それで、彼らはシモンに金をだして追い払ってもらうのである。ある者は現物で支払った。どうやら金持ちが狙われていたようである。

しかしシモンには病気を治すことができなかった。人々が病気になってシモンに頼んでも、彼はそれを断った。

悪霊から、病気だけは神の霊力に頼るしかないことを教えられていたからである。シモンはエルサレムに行き、主イエスがなされた奇跡の数々を知った。彼はイエスを探し回ったが、すでに十字架にかけられたことを聞いて、イエスに会えないことを知り、再びサマリヤへ帰ってきた。しかし彼は、キリストを慕っているものが抱いている信仰の深さに驚き、彼は、これほど人々を引き付ける力が欲しいと思った。

ペンテコステが過ぎた頃、シモンはこのサマリヤにもひそかにキリストをメシヤと信じている者が少なくないことを知った。そこで、彼は意を決して荒野に行き、魔術の訓練を始めた。

髭はのび、頭の毛は長くなり、ヤギ皮で身を包み、羊飼いの杖をもって歩いていた。悪霊を完全に手なずけてからサマリヤへ帰ってきた。彼はそこで第一声を挙げた。

「私は、あなた方が知っているとおり、エルサレムで十字架にかけられた者である。かねて私は必ず死人から蘇り、再び生きると言った者である。サマリヤの人々を愛するが故に、先ずはあなたがたに私自身を示してからエルサレムへ行き、メシヤの使命を果たすつもりである」

単純な人々はシモンの話を聞いて、彼を本当のイエス・キリストであると信じてしまった。続々とイエスを信じる者が彼の所にやってきて、彼を拝み、彼の足元に捧げ物をおいて、〝我が師〟と呼んだ。彼の名声は遠くまで広がり、病人、肢体不自由者、視力障害者などが治してもらうために彼の所へやってきた。しかし彼は言った。

「邪悪な時代に生きる者よ! あなた方は予言者たちを殺した悪人である。私は神の子であって、そのようなことをした邪悪な人々の病気を治すことはしない」

彼らは、このメシヤが怒って、この地に飢饉や疫病をはやらせたら大変だと恐れた。そこで多くの者は彼に許しを求め、たくさんの贈り物をさしだして、どうか怒りをしずめ、足の不自由な人々が歩き、盲人が見えるようにしてほしいと願った。シモンの目的は、巨額の金を手に入れたら、よその土地へ行き、名前を変えて商人に化け、富と奴隷を手に入れようということであった。

さて、この噂がエルサレムにいる使徒の耳に入った。何でもキリストがサマリヤに現れて、盛んに布教をしているが、本当の主イエスのようではないとのことであった。そこで使徒は、ピリポをサマリヤへ派遣した。

ピリポはシモンを見つけてから、彼をなじって言った。

「私はかの主イエスと共に働いていた者です。イエスの名をかたるとは、何と恥知らずなことでしょう。即刻、悔い改めなさい! さもないと聖霊がおまえをたたき、地上の砂のように、おまえの体は砕かれてしまうでしょう!」

ピリポは若く見えたので、シモンは何だ青二才のくせにとくってかかった。シモンの家の外に大勢の人々が集まってきた時に、ピリポは群衆に言った。

「私は真実を伝えるためにここにやって参りました。シモンはあなたがたをだましているのです。この人はキリストでもなんでもありません。私は直接主イエスを見ています。この人は魔術師でしかないのです。だから奇跡を起こせないばかりか、キリストの教えすら教えることができないのです。

試しに彼に奇跡をやらせてごらんなさい、きっと何もできないはずです。私のように、主イエス・キリストに従う者の中で、最も末席を汚す者でも、聖霊のお助けによって、病人を治すことができるのです。私は無名の男ですが、主イエスの立派なしもべです。

ですから主イエスの力にあやかって、私にも病人を癒すことや、悪霊を追い出すことができるのです」

シモンの家のまわりに集まった群衆は、ピリポの言葉に感動し、ぜがひでも病人に手を置いて治してもらいたいと懇願した。それで、シモンの目の前で彼らの要請に答え、一人の女から悪霊を追い出し、生まれつき目の見えなかった少年の目を開け、中風に悩んでいた老人を立ち上がらせ、求める者すべての者の病を治した。

シモンは恥ずかしくなってピリポの足元にひれ伏して言った。

「私はキリストではありません。私はみんなをだましてまいりました。でも、私には、かすかながら悔い改める気持ちが残っています。私も主イエス・キリストを信じます。主は天に昇り、神の右に座しておられることを信じます」

ピリポはこのようなシモンに同情し、二人きりで話し合った。シモンの苦悩があまりにも大きく、ついに彼はピリポの足元に全財産を持ってきた。シモンは教会に受け容れられ、ついに洗礼を受けた。

私はシモンについて更に付け加えたいことがある。たしかに彼は、この時、本心から悔い改め、大いに恥じ入ったのである。そして一時は彼の心は無欲になったのであるが、風のように豹変してしまった。その理由は、一つには、ピリポの霊力があまりにも強く働いて、恐れをなしてしまったからである。

しかしながら、一旦悪霊に散りつかれた者は、なかなか悪霊と縁を断つことができないものである。たしかに一度は、シモンのずるい性質は取れたのであるが、誘惑されると、俄に悪い欲望が再び頭をもたげ、とくに、静かな時にそれを感じるのであった。

使徒ペテロがサマリヤにやってきた。ピリポが聖霊の御力により多くの病人を癒し、信者が増えたことを耳にしたからである。シモンは、主イエスに仕えていた。別な弟子がサマリヤにやってくることを聞いたとき、もしかしたら、この弟子から聖霊の力を金で買い取れるかも知れないと考えた。

シモンはペテロに金を差し出して、自分にも使徒が使っている秘密の力を譲ってくれないかと懇願した。ペテロは厳しい口調で彼に言った。

「おまえは、死に与えする男だ! 金と共に消え失せてしまえ! おまえの体は直ちに地上からはててしまえ! おまえはよくもまあ、聖霊を汚す大罪を犯したものだ!」

そのとき以来、誰もシモンを見た者はいなかったと言う。

第26章 パウロと大祭司
パウロがダマスコにいる間、エルサレムではクリスチャンに対する迫害が次第に大きくなっていた。大祭司は、まるで牛が溜池の水を飲み干すような勢いで教会をつぶしにかかっていた。

牢獄はクリスチャンでいっぱいにふくれあがり、毎日、裁判官は数人ずつ死刑の宣告を言い渡していた。使徒たちは、すでに町の中での布教はできなくなっていた。厳しい監視が始まったからである。このような恐怖が蔓延して教会は圧迫を受け、使徒たちは、もはや脱落した弱い者を助けることができなくなっていた。

それで彼らは、ひたすら主に祈り続け、長老や大祭司による迫害によって、信仰が破られ、散りじりにならないようにと強く念じていた。当時、多くのクリスチャンは、クレテ島、キリキヤ地方、あるいは、キプロス島やアンテオケなど、安全な地域へ逃げていたからである。

その頃、大祭司ハナンの耳に、とんでもない情報が飛び込んできた。サウロがダマスコの会堂で、イエス・キリストが神の子であると堂々と布教しているという知らせであった。

この噂がまたたく間にエルサレム中に広がった。中間派の長老たちは、この異端者撲滅運動は、やたらに騒ぎを引き起こすだけでは意味がないと言い出した。この噂はたちまちローマ総督の耳にも入った。総督は大いに心配して、大祭司ハナンに対してキリストの信奉者の取り扱いを誤れば、天罰が下るのではないかと警告した。しかしハナンはそれに耳をかさなかった。

さて、パウロはダマスコの城壁から籠で吊り下げてもらい、商人に変装して旅を続け、エルサレムの商人のところへ行った。町に入った時は、すでに夕方になっていた。彼はまず神殿に入り、一時間ほど祈っていた。彼は最初にメシヤを憎む人々の面前に出て、自分のあやまちを告白しようと決心した。

この時間帯には神殿内にはほとんど人影がなく、ひんやりとして、薄暗かった。パウロが熱心に祈っていると、次第に勇気が増してきた。だが、その時、一条の光が輝いた。

陽光があるはずはないし、神殿内に灯っている火でもなかった。神の臨在を現す炎であった。炎は燃え尽きることを知らず、赤々と周囲を照らしていた。炎の中央から声が響いてきた。

「パウロよ! 直ちにエルサレムからひきあげなさい。会堂に入って布教をしてはならない! ユダヤ人に福音を伝えるためにお前を選んだのではない。おまえは、異邦人のために選ばれたのである。日が暮れないうちに門を通ってこの町から去りなさい。悪者が毒蛇のように路上で待ち伏せしているからだ。重ねて言っておくが、お前は異邦人のために私が選んだものである!」

パウロは心の中で戦った。まだ霊の放った御言葉に従おうとしなかったからである。彼は迫害の先兵として働いたこの町で布教し、自分の大きな過ちを人々に示し、彼らの心をキリストに向けさせようと望んでいた。彼は叫んだ。

「主よ、たった一回でも会堂で布教をさせて下さい。そしてダマスコ途上の幻を語らせてください。人々の面前で、自分が卑しかったことを話し、あなたの名を知らせ、信じさせたいのです。どうか今、私を行かせてください」

「だめだ、パウロ! おまえの言葉は平和ではなく、剣となるであろう!」

若い弟子はくりかえし懇願したが声が答えた。

「おまえが今自分の罪を告白したいと言っているが、謙遜な気持ちからではなく、お前の自尊心から出ているのだ。おまえは、そのことを苦難を味わうことによって、もっと良く知るようになるであろう。どうしてもお前が行きたいと思うなら行きなさい。そのかわり、決して聖霊の助けなどを願ってはならない」

炎のような一条の光は空中に舞い上がり、神殿の内から消えていった。パウロ一人が残されていた。

彼はそこから十二使徒の所へ行った。使徒たちは誰も彼が悔い改めたことを信じなかった。

逆にパウロが、このように自分を低くして罪を懺悔するかのように見せ掛けて、何かをたくらんでいるワナではないかと恐れた。パウロはヤコブの足元に身を投げ出して懇願した。そのときのヤコブは聖霊と共に居なかったので、ことの真相を見破る力が働かず、ただ恐れるばかりであった。その時ペテロはエルサレムにいなかった。

ペテロ以外の使徒たちは、もはやエルサレムでパウロの手によって殺される時がやってきたと思った。しかし彼らはそこから逃げようとはしないで、固い結束のもとで、死を選ぶ決意を持っていた。エルサレムは、何と言っても、師なるキリストが死んだ聖なる都であったからである。

パウロは悶々として苦しんでいた。主は夢の中に現れて彼に言った。

「今すぐ大祭司のところへ行きなさい。そうすればそこでお前が何をなすべきか聖霊が指示を与えるであろう。そのことにより、教会を縛っている拘束を緩めることになるであろう。急ぎなさい! その時に我が子ら(クリスチャン)に一つの徴を与えるであろう。即ち、おまえが、異邦人のために私が選んだ器であることを知らせるためである」

それから、パウロは腰の帯をしめ、夜明けごろ大祭司が部屋で一人居るときに訪ねることができた。大祭司ハナンは、パウロがエルサレムにきていることを知らなかったので、彼の姿を見て非常に喜んだ。かつてのパウロは、どの腹心の部下よりも忠実であったので、内心、この若者ならば、きっと総督を説得できるにちがいないと思った。

折りも折り、大祭司は総督より迫害の件で心が休まらないとの伝言を受けたばかりであった。

パウロは総督に会見し、自分の過ちを告白してから、長老たちに迫害を止めさせる命令を下す権限を要求した。総督は大いに驚くと同時に、真実を知ることができたことを喜んだ。しかし彼は、サンヒドリンや大祭司がどうでるかが心配であった。そこでパウロが言った。

「ハナンが私の言うことに賛成するならば、やってもよいがね。もし、長老や祭司たちが迫害を続けたいというなら、私はそれを止めることができない。彼らの中にはローマで幅をきかせるものがいるからね」

総督は板挟みになって苦しんでいた。彼は正しい人であったので、ユダヤ人がクリスチャンを迫害しているのは、ねたみによるものと見抜いていたからである。

パウロが大祭司の部屋へ再び入って行った。彼は無言で、平安であれ、との挨拶をパウロに送った。ハナンはダマスコ途上で彼の身の上に何が起こったのかを知ってはいたが、口にしなかった。彼は裁判官に対してクリスチャンを裁判にかけ、どのように教会を潰すかなどの指令を出したことを話した。

更に十二使徒は、悪霊の力を利用して魔術を行っているなどと言った。パウロはもう黙っていられなくなり、口早にダマスコ途上で見せられた幻のことをしゃべった。パウロはこの老人を説得してキリストのことを解かってもらえると思っていた。ハナンはパウロに言った。

「おまえは夢を見ているのだ。さもなくば、強烈な太陽の熱にあてられてしまったのだよ。私はそんな幻なんか信じないね。だいいち、モーセの教えに全然合致していないじゃないか」

パウロは一瞬自分の努力が無駄であったかと思った。しかし霊の力が働いて、どうしたらこのずる賢い大祭司に真理を現したらよいかが示された。パウロは大祭司に言った。

「お望みなら、この部屋でダマスコ途上で示された奇跡と全く同じような奇跡をご覧に入れましょう」大祭司は快く承知した。どうせ彼にそんなことができないと思っていたからである。

部屋の中は夜明け前で、まだ薄暗かった。彼は大祭司ハナンのために奇跡を現してほしいと心の中で祈っていた。すると、彼らの目の前に不思議な幻が現れた。長く、緑色をしたものが壁のまわりに渦を巻いていて、鼻がつぶれそうな悪臭を放ち始めた。よく見ると、二つの真っ赤な目がついていてギラギラ光っていた。

ハナンはその正体がサタンと呼ばれている古い蛇であることが解った。蛇は音一つたてないで二人をにらみつけていた。グロテスクな頭が大祭司の方へ近づいていった。恐怖がハナンの全身をとらえ、金縛りにあったように体を動かすことができなくなった。助けを求める叫び声すらたてることができなかった。パウロは言った。

「もしあなたがキリストの弟子たちを解放しなければ、この蛇はあなたを呑み尽してしまうでしょう。蛇の腹の中に横たわり、地獄へ行くことになるでしょう」

再び沈黙が続いた。すべての生き物が死に絶えたと思うくらいに静けさが続いた。蛇はなおも大祭司の方へ近付いていった。今にも大祭司を呑み込もうとする瞬間姿が消えた。そして雷鳴が轟き、閃光がきらめき、人間の発するどよめき声となった。部屋はユラユラと動き、二人の者は顔を被いながら神の助けを求める叫び声を挙げた。

パウロはぶるぶる震えながら口を開いた。もしも大祭司がなおも迫害を続けるならば、たちまち大祭司は死んでしまうと言った。ハナンはヘデロのことを思い出していた。

ペテロがどのようにアナニヤを死に至らせたか、このずるい祭司は恐れていた。彼はキリストがエジプトで会得した秘密を弟子たちに教えこんだものとばかり信じていた。彼はその力には敵わないと考えていたので、ついに屈服し、総督の所へ行くように命じた。

大祭司もついにパウロの要求を受け入れ、クリスチャンに対する迫害を中止し、すべての囚人を解放すると伝えた。総督は早速命令を下し、クリスチャンはすべて牢獄から出て、自分の家に帰るように指示した。

長老の一部は、キリストや信奉者をひどく憎んでいた。司法関係の長老や、神殿に深くかかわる長老たちがそうであった。この人々はクリスチャン解放の報を聞いて驚いた。裁判官たちは大祭司に詳細を聞き出そうとしたが、大祭司はしなびた野菜のように生彩を失い、先刻味わった恐怖におびえて口もろくに聞けない状態であった。

それでも、ようやく口を開き、今までのいきさつについて要点だけを語った。長老たちは興奮して、大祭司ハナンを責めたが、ハナンは彼らと議論を交える気力がなく、呆然と座っているのみであった。じっと口を結んだまま、あの恐怖に身を震わせ、ついに下僕の腕の中に倒れてしまった。

ちょうどその時、ダマスコの王アレタスの支配下に置かれていたダマスコの総督から情報が入り、パウロはダマスコから逃げ出したこと、及び彼は極めて悪質なスキャンダルの主人公であったという報告であった。

ダマスコの総督と親戚関係にあったエレアザルがパウロを掴まえようとしたが、彼はすでに身を隠してしまった、とも伝えられた。そこで再び長老たちは相談し、翌日、総督の所へ行って、クリスチャンの迫害を再開してもらうよう懇願することになった。

翌日になって、長老たちが集まっていると、そこに聖賢ガマリエルが姿を現した。彼は非常に悩んでいることがあった。ローマから、ある情報が秘かにかれのもとに届けられていた。

それによると、ローマ皇帝はユダヤ地方をローマ帝国の領土にし、エルサレムの神殿にカイザルの像をうちたて、反ローマ分子のユダヤ人に対し、真の支配者は誰であるかを示したいとのことであった。カイザル(ローマ皇帝の称号)は、ユダヤから税金が非常に少ないことに腹をたてていた。

それで頑固なユダヤ人から、皇帝の当然の権利として相当額の税金を取り立てるべきであると考えていた。ガマリエルは、いつユダヤ人に重いくびきがかけられるのかを日ごろから恐れていた。これほど恐ろしい脅しはなかったのである。

長老たちはガマリエルに並々ならぬ尊敬を払っていた。ことに彼の先を見る目の鋭さには舌をまいていた。それで彼らはガマリエルの言うことに耳を傾けた。

ユダヤ人がユダヤ人を迫害してもよいか! 兄弟同士が争ってもよいか! これこそわが国民を分裂させる邪悪な行為である。我々はこんなにもひ弱で不健康なのか! それこそローマの恰好な餌食となるであろう。ローマは今互いに助け合い、一つの目的に向かってつき進んでいるのだ。

長老、及びユダヤの人々よ、ただちにクリスチャンへの迫害を止めようではないか! そうすれば、我々はもっと強くなり、今きたらんとしている大嵐に立ち向かうことができるである!」

誰一人声を出すものはいなかった。誰もこの聖賢と争うものはいなかった。

パウロは十二使徒から祝福を受けたかった。使徒たちの所へ行って師なるキリストについて勉強したいと申し出たのであったが、誰一人としてパウロと口をきこうとしなかった。未だにパウロが信じられず、又何かをたくらんでいるのではないかと思っていたからである。やむを得ずパウロは朝早く会堂にでかけて行き、キリストの福音を伝え始めた。

彼はダマスコ途上で見た幻のことや、悪霊から救われた体験を語った。そこにはクリスチャンは一人もいなかった。

なぜなら、迫害の初期から会堂には、槍や棒を持った監視がいて、キリストのことを話す者はすべて殺されてしまったからである。パウロは大胆にキリストのことを語り、自分のような大罪人でも許しを与えてくれた慈悲について証言した。

会堂に集まっていたユダヤ人は、彼を掴まえて引きずり出そうと思ったが、すでに総督からキリストのともがらには手出しをしないように、そして同胞のユダヤ人として自由を認め、法律によって護られていることが宣布されていたので、ただ、傍観しているのみであった。

パウロは演説を終えて会堂から出ていくとギリシャ系のユダヤ人たちは彼の後をつけて行った。人気のない所までくると、彼らはパウロに襲い掛かり、棍棒を振り回しながら、もし、おまえが自分は間違っていたキリストは神の子などではないと宣言しなければ、なぶり殺してやると脅した。パウロは主イエスを拒むようなことはしなかった。

それで彼は四十回も棒で体をたたかれたのである。彼は気絶して路上に倒れ、死人のように動かなくなったので、彼らは非常に恐れた。ちょうどそこへ、同じ会堂から出てきてパウロの後をつけてきたバルナバという男は、この光景を見て、パウロの苦悩と主イエスへの信仰に深く感動し、群集が去ってから彼を解放した。

近くの井戸から水を汲んできて、彼の傷口を洗い、近くに住んでいたケパというクリスチャンの家へ連れて行き手当てをした。

パウロの傷は次第に良くなり、手足に力が入るようになったところで、バルナバは十二使徒の居る所へつれて行き、彼がいかに、キリストのために殉教しようとしたかを彼らに話した。(※)ついに十二使徒は、彼を祝福した。

パウロに襲い掛かったギリシャ系ユダヤ人たちは、パウロが本当に死んだかどうかを確認するために再び現場に戻ってみると、彼の姿はどこにも見当たらず、パウロは生きていると察知した。それで彼らは、パウロを生きたままでエルサレムからは絶対に出さないと誓い合っていた。

ある晩に、一人の乞食が物乞いをしながら、エルサレムから出ていった。体をカマのようにねじまげていたので、誰もその乞食がパウロであるとは気が付かなかった。彼はカイザリアに行き、そこからタルソへ向かった。

(※)訳者注-十二使徒について

パウロが当時エルサレムで実際に会うことのできた使徒は、ヤコブとペテロの二人だけであった。その他の使徒は、それぞれの役割を果たすために、エルサレムを離れていた。彼らがエルサレムに居ない時には、『十二人制』という代理の者が使徒の役割を代行し、そのメンバーは百四十四人居たと言われている。

百四十四という数字は、ちょうど十二の十二倍である。これは訳者自身の推測であるが、おそらく、十二人の者が一カ月毎に交代していたものと思われる。原書では、(Twelvetosit)と記述されているので、当時の教会制度では、常に十二人の合議制をとっていたものと考えられる。


第27章 ドルカスの物語
海に面した、ヨッパという町に、一人の評判の良い商人がいた。彼は厳しい戒律をよく守る、会堂の長老の一人であった。彼の名は、レビと言って、一人娘を持っていた。娘の名は、ドルカスといい、父の友人からとてもかわいがられていた。

彼女がまだ若い頃、町に住む有力な商人から結婚を申し込まれたのであるが、彼女は神様に一生を捧げることを願っていたので、独身を通していた。父は世継ぎが欲しいので、しつこく結婚を薦めていたのであった。

ドルカスが中年になった頃、父のレビはエルサレムに行き、神殿で礼拝し、長老たちとモーセの律法について話し合うことになった。彼は先祖から伝えられた信仰を心から愛していた。かつてモーセの時に、石の板に刻まれた戒め(十戎のこと)に沿って、右にも左にも曲がらないようにと努力した。

ドルカスは、先祖伝来の信仰に対して一目を置いていたが、ヨッパの若者たちは、この戒めに従っていないように感じられた。彼らはおっちょこちょいで、陰では悪いことを平気で行い、未婚者は密通し、陰ではモーセの律法を犯してたのである。つまり彼らは偽善者であった。それで彼女は誰とも結婚する気になれなかったのである。

彼女は先祖から伝えられた信仰から次第に遠ざかってしまった自分のことを考えていた。しかし、どうしても信じる気にはなれなかった。

ドルカスは一心にイスラエルの神に祈った。どうか、このような人々に怒りを発し、滅ぼしてしまうことのないように懇願した。

彼女は父と一緒にエルサレムに行った。夕暮れになって父の友人と一緒に歩いていると、突然普通の人とは全く違う一人の男が現れた。彼は背が高くスラリとしていて、額に王の徴を持ち、その歩く姿に威厳がただよっていた。

彼の瞳は美しく穏やかで、満面に平和がみなぎっていて、この世のはじめから人類が味わった総ての不幸を一身に背負ったような生き様を感じさせる人物であった。彼の前に多くの人が集まってきた。彼は偉大な領主のような威厳を持っていたが、身につけているものは貧しく、履いている靴は破れ、上着はボロボロであった。

ドルカスは彼を見上げ、先生! と叫び、足元にひれ伏した。ドルカスは彼がキリストであることを知らなかったが、彼女の霊はそれをよく知っていたので、このような挨拶をしたのである。

キリストは道路から少し離れた所に立ち、彼のまわりには多くの人々が取り囲んでいた。それは、蠅の大群のように、あちこちから集まって来た。ドルカスは彼の足元に座り、たとえ話による彼の話を聞くことができた。

それは、どんな人の内にも霊が宿っていることを知らねばならないこと、そして、それを見つけることができない者は、本当の自分自身を失ってしまう、という教えであった。彼は、とても分かりやすく真理を伝えた。

ドルカスの父は、彼女をせきたてて群衆の中から連れ出してしまったので、彼女は二度とキリストにお目にかかることはなかった。

日が暮れてからドルカスは、キリストが話してくれたことを思い出していた。翌日に神殿に行ってみると、庭で一人の若者がキリストの福音を述べ伝えているのを聞いた。その時に初めて彼女は、あの方の名前(イエス・キリスト)を知り、彼を信じる者となった。それ以来、二度とキリストを見ることはできなかったが、ひそかに彼の教えを学んでいた。

公然とは、キリストの教えを学ぶことはしなかった。父が余りにも祭司や長老と親しくしており、キリストを信奉する者のことをひどくけなしていたからである。父からは、キリストはモーセの律法を破壊しようとしていると聞かされていた。

更に、歴代の予言者を見くびり、自分を神であると言い出す不埒(ふらち)な奴であるとも言っていた。彼女はささやかな抵抗を試み、キリストが神でなければ、神と共にいる方であると主張すると、父は憤然として彼女の口をたたいて黙らせた。その時から彼女はキリストのことを話さないようになった。

ヨッパに帰ってから、ドルカスはキリストの教えを心のうちに秘め、彼女の生きる支えとした。ヨッパの状態は日ごとに悪化していた。ドルカスは彼女の同志であるクリスチャンのことで大いに心を悩ました。クリスチャンは目の仇にされ、悪口を浴びせられ、町中からクリスチャンは放逐されていった。

年老いたドルカスの父は、ますます頑固になっていた。ドルカスが女たちにキリストのことをしゃべったということが父にもれた時、二度と同じことを繰り返したら、家から追い出してしまうと言い出した。

鳥が遠くから種を運んできて一粒の種でも、肥えた土地に落ちると多くの収穫が得られるものである。乞食が施しを貰いにドルカスの所へやってくると、彼女は施し物と共に、キリストの教えをこっそり伝え、信じさせてしまうのである。

このようにしてキリストの福音は、ヨッパにいる謙遜な人々に伝わっていったが、金持ちや偽善者はキリストのことを知ることはできなかった。

ドルカスは善良な女たちを集め、服をこしらえては貧しい人々に与えていた。そして裁縫する女たちにキリストの教えを伝え、絶対に夫たちには話さないように命じた。もしかして、そこから父の耳にでも入ったら大変だったからである。

ある日のこと、ドルカスや女たちが縫い上げた服を貧しい人々に与えてから、彼女達は心をあわせて祈り、キリストの言葉を味わっていた。ドルカスが声をかけて集まってきた人々は、若者や親戚ばかりではなく、遥かエルサレムからヨッパにやってきた商人もいた。彼らは数日の間、父の家に止どまっていた。

折りも折り、悪い報せが町中に伝わった。キリストが木に吊るされて殺され、数日後に墓からよみがえって多くの弟子たちの前に現れている、という情報であった。父はそれ見たことか、大罪人の末路とはこんなものだとナザレのイエスのことを散々けなした。ドルカスは冷静に聞いていた。彼女の心は真理という宝に包まれていたからである。

いよいよエルサレムに迫害が始まろうとしていた頃、迫害の波がヨッパにも押し寄せてくるという噂がひろまった。

それで一時は、信仰の灯が消されてしまうのではないかと心配した。最後は女たちと乞食だけが主を信じる者となるのではないかと考えていた。

日ごとに殺されていくクリスチャンのことを悲しみ、その様な尊い殉教者を悪し様にあざける父の言葉を耳にするたびに心は痛んだ。彼女は日々祈り、恐怖と疑惑と闘い、ついにそれらに打ち勝つ時がやってきた。

エルサレムで迫害が中止されたという報せがヨッパに伝わった。それでドルカスは神の哀れみに感謝した。もうこれで教会は滅ぼされる心配が無くなった。しかしヨッパでは、金持ちのユダヤ人や商人たちは、ますます悪にそまっていった。ドルカスはそのことを父に話すと、それは女の口出しすることではないと言われた。

そしてしばらく静観していれば、自然と良くなっていくであろうから、決して悪人を軽蔑してはならないと言った。

しかしドルカスはひそかに心を痛め、ヨッパに使徒の一人を派遣してほしいと祈った。堕落したヨッパの人々を救いたい一心からであった。彼女の祈願はなかなか聞き入れられず、町中に熱病が流行した。ドルカスもやがて熱病にかかるのではないかと覚悟していた。彼女は乞食たちと一緒に、熱病に侵された信仰の友を助けて歩いた。

熱病の流行が峠を越した頃、ドルカスはすっかり疲れてしまい、ついに彼女も熱病にかかり、危篤状態になった。父親のレビも同じように熱病にかかっていた。ドルカスの病は重かったにも拘らず、意識ははっきりとしていた。

彼女はまだやりとげねばならないことがたくさんあったので、もっと生きながらえたいと望んでいた。介抱する女に彼女の深い悲しみを語った。このヨッパの町にキリストへの信仰の芽生えが見られないことを嘆いたのである。自分がその大役を果たすために選ばれた筈なのに、と嘆くのであった。

与えられた役目を果たさずに死ぬことは、大変大きな罪なので、死んでも死にきれないと言って悲しむのであった。

さてエルサレムには、再び平和は訪れていた。ペテロは、エルサレム以外の町に住んでいる信者たちの様子を伺っていた。迫害を逃れるために多くのクリスチャンは、エルサレムからあちこちに散らばってキリストの福音を伝えていた。それで十二使徒は、それぞれの地に在って活躍している信者を助けてやらねばならなかった。

町や村ごとに組織をつくり、エルサレムを中心に使徒から様々な指令を与えた。ペテロは教会を作ったり、熱弁をふるって信者たちを教育するのに忙しかった。

ペテロは祈りと信仰と愛をまし加えるように励まし、自己の精神力に頼らず、むしろ、霊の働きを求めるように教えた。

それは最も確かな教えであった。人間の精神力は、信仰と兄弟関係にあるもので、信仰に導かれている時にのみ本来の力を発揮し、神の目に正しいと思われることを為すものである。従って、信仰と理性は互いに働き合ってキリストの真理を見いだすことが出来るのである。

この場合、キリストの真理とは、あなた方のために死んで下さった、ということをペテロは説いて信者たちを励ました。

ペテロはルダという小さな町にやってきた。そこには指導者が一人も居ないので信仰を疑っている者もいた。それで彼はしばらくの間ルダに滞在し、霊の御助けを得て、信仰を疑っている者に対して奇跡を示すことができるように祈り求めた。すると、ある朝のこと、一陣の風が吹いてきて彼の周りを舞い回った。

その途端、この世のものとも思えぬ喜びがこみ上げてくるのを感じた。ペテロはその家から出て、導かれるままに数日の間歩き回り、あるクリスチャンの家に入った。彼は八年の間、病気に悩まされていた。

体が石のように堅く、思うように動かすことができなかった。彼の名は、アイネヤといって、信仰のおかげでキリストの教えを知ることができた。ペテロが入ってきたときに、彼は大声をあげて叫んだ。

「私は、長いあいだ、あなた様がおいでになるのを待っていました。おお! なんと八年もの間、この聖なる予言者の訪れを待ちわびていたのです。どうかあなた様の中に宿っておられる霊の御力によって私の体を癒してください。そうすればこの堅い体は再び立ち上がって歩くことができるでありましょう」

そこでペテロは手を彼の頭の上に置きながら言った。

「立ち上がりなさい! そして床を取りあげて歩いてごらんなさい!」

アイネヤのまわりに大勢のクリスチャンが集まってきた、彼らは、日ごろアイネヤの言っていた信仰を疑っていた。彼は必ず信仰によって病気が治ると言っていたからである。ところがどうであろう、彼の目の前でそれが現実となったのである。彼は自分のベッドを片付け、歩き出したのである。彼らは口を揃えて叫んだ、

「ペテロは神様だ!」

そして彼の足元にひれ伏して奇跡に感謝した。その中にはヨッパからきていた商人がいて、早速この素晴らしい出来事を伝えた。

さて、ドルカスは信者となった乞食たちに看取られて、息を引き取ろうとしていた。乞食たちはルダでの素晴らしい奇跡のことを聞いて、きっとこの聖なる予言者ならば、この忌まわしい疫病をドルカスから追払ってくれるに違いないと考えた。そこで足の速い二人の男がルダに向かって走り、何としてもペテロを捜しだし、ドルカスの所へ連れてこようとした。ドルカスの容体は悪化し、彼女を愛する者たちが周りに集まった。

ドルカスの父が死んだので、ドルカスの寝ている部屋へ人々が集まってきた。彼女の顔には主のもとへ召される喜びというようなものは全然見られなかった。彼女の祈りが実現しなかったからである。

枕辺にいる者たちの目には、ありありと彼女が苦しみもがいているのがわかった。まるで囚人が牢獄の戸をたたいているようであった。彼らは彼女を慰める術もなく、ただ無言で見守るしかなかった。ついにドルカスは息を引き取った。

彼らは埋葬の支度を始めた。清潔なリネンの上に亡がらを安置し、葬式用の香料をもってきた。そこへペテロをルダに探しに行った二人の者が帰ってきた。ペテロも一緒であった。ペテロはここに来る途中、自分は神の御手のうちにある喜びを感じていた。ペテロはキリストを信奉する女が横たわっている部屋に案内された。

彼はドルカスを一目見て、彼の内に宿っている霊力によって、彼女が何を強く願っていたかを察知することができた。更に彼は、彼女の霊体が肉体のそばに居て、再び肉体の中に入っていくのがわかった。

ペテロは聖霊の光を彼女に注いだ。するとたちまち肉体が癒され、ドルカスの霊が肉体に戻り、彼女の肉体は神の住まう神殿となった。(※)

聖なる予言者(ペテロ)を見守っていた乞食たちは、ペテロとドルカスの周りに霧のようなものが漂っているのを見た。
そしてただ一言、ペテロが「タビタ(ドルカスの別名)よ! おきなさい! おまえの祈りは聞かれました!」と言った言葉が聞こえただけであった。するとどうであろう、深い眠りについていた彼女の体は動き出し、みんなの目の前に座りニッコリと笑った。彼女にはもう疫病の影もかたちも見られなかった。肌は生き生きと色づき、りんりんとした声でペテロに挨拶をした。

目撃した人々は大いに驚いて、ドルカスの親戚の者たちはこのことを町中にふれまわった。口から口へと人々の間を風のように伝わったので、ドルカスを馬鹿にしていた連中も大勢彼女の家に押しかけ、ペテロの話を聞きにやってきた。ペテロが人々の前に現れ、とうとうと話しを始めた。

霊の力が彼を助け、キリストのことを証言し、十字架上で犠牲になったキリストのお蔭で人間は救われたことを説いた。キリストをあざけった者たちは、その非を悔い改め、信仰を嫌っていた連中はきそってペテロから洗礼を受けたいと申し出た。

このようにして生き返ったタビタは、主が彼女の望みをかなえて下さったことを知った。彼女が生き返ったことによって、堕落していた人々はキリストの名を信じるようになった。

売春婦は宝石類や美しい洋服などをペテロの足元に置き、商人は多額の献金を捧げ、年輩の女たちはどぎつい化粧や洗髪などを止めてしまった。ドルカスの父のような厳格なパリサイ派の人々もキリストが犯罪者であったという考え違いを改め、ペテロに懺悔して主イエスの教えに従った。ペテロは長い間ヨッパに滞在し、教会づくりに努力した。

ペテロが去ってからは、一人も宣教者がいなかった。しかしドルカスは休みなく教会の働きを続け、女たちを教育しては彼女の夫たちにキリストの教えを伝えさせた。ドルカスはこのように活躍して、ついに死んだ。

彼女の愛した町ヨッパは、彼女の願っていたように、清潔な町となり、彼女の死に顔には平和の微笑がうかんでいた。主のために多くの人々を信仰に導く努力をした女は、ドルカスが最初であった。このことは聖書に記されてないので、私がそれを補足したのである。

(※)著者注-ドルカスが死から生き返ったことについて、ひとこと付記しておかねばならない。

聖書では、ペテロがすべての人々をドルカスの部屋から出したと述べているが、本当はそうではない。余りにも多くの人が部屋の中に溢れていたので、やむを得ず部屋から出したことは事実であるが、乞食や親戚の人々は部屋の中に残っていたのである。それでペテロの奇跡の一部始終を目撃することができた。私は、その時に彼らが見た、ありのままの情景を伝えているのである。


第28章 パウロの試練
バルナバ(クプロ島出身の使徒)は、ある目的をもってアンテオケに行った。彼はパウロに好意をよせていたが、どうしてもパウロの消息がつかめなかった。それで懸命にパウロを捜し回った。

彼はパウロの生まれ故郷タルソへ行ってみた。そこにはおらず、何でも荒野へ行ったらしいとのことであった。バルナバは何日も彼を探し回ったが見付けることができなかった。しかしそれにはめげず、方角を変えて捜してみた。

彼はついに荒野の中に小屋を見つけた。その中には人間というよりは骸骨のようになったパウロを見いだした。すっかり骨と皮になった彼は、弱々しく挨拶をし、今までの生活について話しだした。

「私はサウロなのか? パウロなのか?」とバルナバに言った。

「私はしばらくの間、霊に満たされていたのだが、再び暗黒に満たされてしまったのだ。両眼とも見えてはいたのだが、肉体はすさみ、キリストへの憎しみがうちに芽生え、次第に増大していくのを感じた。それで私はタルソを逃れ、人間どもから逃れ、以前のサウロに舞い戻ってしまったのではないかと恐れ続けてきたのだ。

この砂漠のど真ん中では悪霊におそわれ、昔のように殉教者の血に飢えてくるのだ。クリスチャンどもをいじめて迫害していた頃の快感が思い出されてくるのだ。

私は毎日のように古き人アダムであるところのサウロと格闘しつづけ、もう一度大祭司や長老たちと組んでクリスチャンを迫害しようかという気持ちになってしまうのだ。でも兄弟バルナバがここにきてくれたので、本当に助かった。私はやはりキリストと共に在る信仰と希望が欲しいのだ」

バルナバは答えて言った。

「我が友パウロよ! 聖霊がここに導いてくれたのだ。おまえの求めているものはわかっている。だからこそ私はここに来たのだ。おまえは、どうしてもサウロと戦わねばならないんだよ。でも、これは、おまえにとって良い準備になるんだ。おまえが大きな目的を果たすために選ばれた証拠なんだ。

聖霊が必ずおまえを引き起こし、奮い立たせ、おまえの強い所、弱い所を学ばせ、古き人アダムをやっつけてしまうのさ。父と子と聖霊の御名によって命じる! 悪霊よ! この男から出ていけもう二度とパウロに付きまとうな!」

パウロは大きな声をあげながら言った。「私の霊が再び戻ってきた」と。

それから数日の間、そこでバルナバと二人で過ごした。パウロには新しい力が与えられ。勇気づけられた。これが彼にとって最後の試練となった。それからというものは、彼の意思は巨人のように強かったのである。

彼は早口でしゃべりまくり、教会の敵方を引っ掻き回し、着実な信仰とイエス・キリストと共に在る喜びによって、あらゆる困難、迫害、苦しみを乗り越えて行ったのである。

パウロはこの時の試練をとても恥ずかしがった。しかしそれを知っている者はほとんどいなかった。彼が自分から己の罪深いこと、そして教会では、自分が最も卑しい者であるとうことを話すときには、いつでもこの時の経験を思いめぐらしていた。この体験は、彼の最も大切な友人であるバルナバにしか語らなかったのである。

第29章 ローマ総督と魔術師エルマ
ルキオ、シメオン、マナエン(※)の三人は、パウロ、バルナバ、マルコがアンテオケにやってきたことを歓迎した。彼らは互いに協力して働いた。それで教会はとても盛んになり、霊の命ずるままにさらに手広く伝導するため、新たに三人を選んだ。その結果、パウロ、バルナバ、ヨハネ(マルコのこと。使徒行伝、十二章二十五節参照)が選ばれた。

一週間彼らは瞑想を続けた。彼らは食を断ち、肉体を神の宿る神殿にふさわしく清め、神の燃えさかる炎を蓄えるように準備した。十日目になってから、ルキオ、シメオン、マナエンの三人は、彼らの頭に手を置いて旅の安全を祈り、祝福を与えてから三人を見送った。

神の尊い使者として三人が最初に逗留したところは、クプロ島サラミスであった。その地域は、マナエンがキリストの福音を伝えた所であった。かなりのユダヤ人が住んでいたからである。

彼らの活動範囲は広く、朝早くから夜遅くまで三人は活躍した。多くの人々は彼らの話に耳を傾けた。彼らは単一民族ではなかった。遠くからやってきた商人や、東西を結ぶ貿易をする者、あるいは高貴なローマ人や、遥か彼方にあったスペインからやってきた者もいた。

単純な異教徒たちは、キリストの教えをすぐには呑み込めなかったが、熱心に聞いていた。彼らはバルナバやパウロに言った。

「この教えは、まるで山から流れてくる水を全部のみ込んでしまう大河のようだ。私たちの国にはたくさんの神が居るが、どれもみんな、もめごとが多くてちっとも心が休まらない。その上、戦争、病気、飢餓、不幸を持ってくるんだから本当にたまったものではない。人の幸せをねたんだり、他人の収穫を盗もうとするんだ。

できたら、私達の国であるスペインにきて、こんなろくでもない神々を追い出して、あなた方の教えで幸せにしてください。あんなけちな神々で毎年悩まされるのはもううんざりです。

あなた方が来てくだされば、闇が光の前から消えさるように、けちな神々はメシヤの前からにげてしまうでしょう」

パウロは、ユダヤ近隣での伝道が終わったら、地の果てなるスペインへ行こうと約束した。スペインからやってきた人々は、メシヤこそ唯一の全能の神であるとの確信をいだいて舟に乗り、去っていった。

その後三人の兄弟は、悪名高いパポス(タプロ島西岸の町)へ行くことにした。サラミスからはずいぶん遠くにあり、昔は無数の売春婦がはびこっていた。大地震によって壊滅したことのある町であった。当時の人々は余りにも罪深い生活をしていたので、町が再建されてからも相変わらず悪霊が思いのまま暴れ回っていたのである。

そのもとを作っているものは、彼らの宗教であった。波の泡から生まれたと言われる女神がそれであった。

美しい女神の像をつくり、男どもの色欲をかりたてていた。ある日のこと、裸の男女の一群がやってきて、女神に捧げ物を置き。見るに堪えない不浄な祭儀をやっていた。若い男も女もビーナスの女神を拝む時に行う祭儀であった。

これを見たパウロは烈火のごとく怒り、彼らの持ってきた捧げ物を放り投げ、大声をあげながら、神の天罰がくることを告げた。前に大地震があったことを思い出した彼らは、パウロの予言を非常に恐れた。

彼らはパウロを神々からの使者であると思ったからである。群衆はパウロの所に集まってきたが、何の害を与えようとせず、彼の言うことに耳を傾けていた。パウロは必死になって神の教えを説いた。パウロは、彼らが手に持っていた小さな女神像を取りあげて破壊したが、神殿に祀られていた像には手をつけなかった。

彼は無用な争いを起こすよりは、彼らの注意力を少しでもイエス・キリストに向けさせる方法を選んだからである。彼らは三人には何の危害も加えなかった。三人は人々から恐れられ、毎日のように熱心に伝道し、悪いことを止めさせようと努力した。

ここでは、教会を作るつもりはなかったが、ユダヤ人だけのグループには、メシヤの福音を伝えた。彼らはそれをとても喜んだ。

ある日の朝、パウロが群集に説教をしていた時、地方総督のセルギオ・パウロがそこを通りかかり彼の話を聞こうとした。セルギオは長年のあいだ神を見いだそうとして学んできた男で、しかもエルサレムでの出来事を耳にしていた。

ペテロが治したローマ人の娘は、彼の親戚であったからである。セルギオ・パウロはバルナバやパウロに自分の家にきて、もっと詳しくキリストの教えを聞かせて欲しいと言った。ついに主の教えを真に理解できる人が現れたのである。セルギオ・パウロはこれこそ霊の真理であると受け止めたのである。

パウロは話しを続けた。
彼はローマの知恵について語り、過去から現在に至るあらゆる賢人のことに触れ、結局、生と死に関する神秘について説き明かしてくれた者がいないことを話した。

セルギオは又、東方世界に住んでいた時にも満足できるものを見いだせなかった。彼は魔術師と言われている一人の男を知っていた。その魔術師は、目に見えない不思議な力を持っていたのであるが、彼の目にはどうしても中身の腐ったクルミのようにしか思えなかった。

この魔術師は、何の教義も持たず、永遠の知恵を語る言葉すら持っていなかった。しかしパウロの話には、今までに聞いたこともない知恵が溢れ、まるで生命の木に成った果実のように新鮮であった。

長時間パウロの足元に座り、この人から一言も漏らしてはならないとばかり、熱心に聞き入っていた。パウロがついに話し終わった時、セルギオはついに心底から信じることができるようになり、キリストが我が師と仰いでいく決心を固めた。それでパウロは翌日彼に洗礼を施すことになった。

さて、このパボスに魔術師エルマという男が住んでいた。かのサマリヤにいた魔術師とは違い、生まれながらの悪党であったので、文字どおり悪霊に仕える家来であった。

エルマは悪魔の呪文をとなえては忌まわしいことを平然と行っていた。そのエルマがセルギオのところにやってきて大いに腹をたてた。パウロが若い男女に対してとんでもないことをしたと言うのである。おまけに、総督までがろくでもない予言者の言うことを信じた、とあざけった。

「パウロという男は何もできないやつですよ、奴には知恵もありませんしね。奴はすこしぐらい霊と話せるだけでね、総督閣下! 奴をここへ呼んでもらえば、私は強力な霊の力で奴を困らせてやりましょう。なんだったら、奴を黙らせるような力を見せてやろうじゃありませんか。私が主人だということを見せてやりたいですね」

セルギオは過去に、この男には散々ひどい思いをさせられたことがあるので、ぜひともパウロの教えをふきこんで、悪党のエルマを黙らせたいと思った。

そこでパウロをエルマの家に連れて行き、暗黒の主と光明の主と戦わせることになった。エルマは夕方の時刻を設定した。その日の朝早くから、とうてい筆舌では著せないような不浄な祭儀が行われ、悪霊を身の周りに寄せ集めた。

いよいよ陽が沈むと、訳の解らぬ言葉を言い始め、地底の地獄から悪魔の大王と言われたベルゼブルを呼び出し、ぞっとするような怪物がゾロゾロとつながってきた。それらは、まことに恐ろしい光景で、誰一人としてそこから逃れることのできる者はいなかった。

約束の時間がやってきたので、セルギオは魔王のために作られた祭壇のある部屋へ入っていった。パウロもセルギオの後について行った。パウロはすでに心の準備はできていて、地獄の王との戦いを守ってくれる霊の力が備わっていた。その部屋全体は青く光っていて、祭壇の周囲は、うすぼんやりとしていた。

それは悪魔どもが待ち伏せするために覆われたベールのようであった。セルギオが魔術師エルマに挨拶をしようとした瞬間、布のようなものが彼の顔を覆い、頭からすっぽりかぶされてしまった。異様な恐怖がセルギオを襲った。

他方パウロは、終始口をきかず、悪霊との戦いを始めていた。セルギオは布の端をつかんで頭からふり払い、目の前で、パウロに襲い掛かろうとしている怪物を見た。彼の全身は恐怖で震えていた。悪霊どもが祭壇の周辺から飛び出して立っているパウロを捕まえようとした。

しかしどうしてもパウロの身のまわりを包みこんでいる霊の鎧を突き破ることができなかった。パウロには敵わないと知ると、セルギオを目掛けて襲いかかったので、セルギオは口から泡をふきだしながら倒れてしまった。

魔術師エルマは驚いて、彼に飛びついた妖怪を引き離そうとしたが、どうしてもできなかった。エルマは全身汗だくになり、懸命にセルギオを救おうとしたが、できなかった。

そこでパウロが身をかがめ、倒れている総督の頭をピシャリと叩きながら口を開いた。

「父と子と聖霊の御名により、直ちに出ていけ! 二度とこの男に入ってはならぬ!」

悪霊は直ちにセルギオから出ていった。そしてキリストと共なるこの兄弟は、エルマをにらみつけながら叫んだ。

「悪魔の子よ! 汚れた霊よ! おまえの目を何にも見えなくしてやろう! おまえの邪悪な根性がとれるまで盲人でいるがよい!」

エルマの目は、たちどころにふさがれてしまった。暗黒の世界は、逆にエルマに襲いかかり、悲痛の叫び声をあげながら部屋から出て行った。辺りには、清らかな光がパウロを照らしていて、まばゆいばかりにパウロの体を包んでいた。

すっかり気をとり直したセルギオは、パウロの足元にひざまづいて言った。

「私はあなたの神を信じます。私をお救いください。こんな悪霊とかかわっていた私をお許しください。二度とこんなもので身の破滅を招かないようにしてください。あなたの目に映る私は、罪深い者です。どうか、そのような私をお助け下さい」

パウロはセルギオの話を止めさせて言った。

「あなたは悪い人間ではありません。ただ、無知であったにすぎないのです。真理を学んで下さい。そうすれば知恵が与えられます。エルマのような魔術師などに惑わされるようなことはなくなるでしょう」

セルギオはエルマの目がつぶれてしまったのを目撃した。彼は、聖霊のみが善き働きをして下さるということを知ったのである。セルギオは、この時から真理に関するあらゆるものを勉強し、洗礼を受け、イエス・キリストを信じる群れの中に加えられたのである。

(※)訳者注-三人の者について使徒行伝一三章では次のように説明している。
〇ルキオ・・・・・・・クレネ人であった。
〇シメオン・・・・・・別名ニゲルと呼ばれていた。
〇マナエン・・・・・・領主ヘロデの乳兄弟であった。
なおサウロの名がパウロと改められたのは、使徒行伝一三章九節からである。


第30章 残虐な領主ヘロデ
当時のユダヤ領主ヘロデは虚栄心が強く、知恵に乏しかった。彼は、何とかユダヤの人間で偉大な人物であるという名声が欲しかった。そこで彼はマナエンという男に近付いて、さもキリストの教えに理解があるような態度を示した。

純真なマナエンは、極秘の情報であると前おきして、教会の内情について語った。彼らは十二人による協議制で運営していること、とりわけ、三人の使徒が神の子の真理を司る者として尊敬されていること、その訳は、この三人が常時聖霊に満たされているからなどと打ち明けた。

それでヘロデは、教会を取り仕切っているのはヤコブであり、十二使徒の第一人者であることを知った。その次にペテロという使徒がおり、主として説教をして信者の群れを養っていること、更に第三番目に霊能に優れたヨハネがいて、彼の内面は、まるで鏡のように偉大な神の真理を掲示するということも知ることもできた。

ここでヘデロは、この三人の指導者を捕まえてしまえば民衆から喜ばれると考えた。更に彼は、自分がキリストの位置を占めれば、三人の指導者は自分の意のままに動かすことができるとも考えた。

そうすれば自分は、地上に再来したメシヤになれる筈だと。しかし何をさておいても、手初めに神のように崇められている三人の指導者を捕まえなければならないと考えた。実に卑しい彼の心は、愚かと言うほかはなく、民衆から神と崇められていると自惚れていたのである。

当時、教会には、ヤコブと名乗る者が二人いて、一本の茎に咲いた二輪の花のように見られていた。しかし使途ヤコブが良く知られていて、第二のヤコブの存在は余り知られていなかった。第二のヤコブは、非常に仕事熱心であったが、すぐ自惚れて有頂天になる性格であったため、執事職には選ばれなかった。

さて、ヘロデの家来どもは、教会組織のある地域を中心に、使徒の頭ヤコブを捕えようと捜し回った。ところが同じヤコブでも第二のヤコブを捕まえてしまった。このヤコブは、噂によると、エフタイムという人の息子であったらしい。

捕らえられたヤコブは、ヘロデがキリストのことを知りたがっているということを知り、内心ほくそ笑んでいた。なぜなら、ひょっとすると、この領主ヘロデを教会へ連れて行って、クリスチャン仲間に紹介し、自分がこんな偉い人を導いた偉大な教師であることを威張れるかも知れないと考えたからである。

第二のヤコブは、辞を低くして頭をさげ、甘い言葉で挨拶した。彼は、教会が領主の知恵を求めているなどとおだてあげたので、ヘロデはとても喜んだ。有頂天になったヤコブは立ち上がり、まるで自分は賞賛の光の中を羽ばたく鳥であるかのように語った。

怒ったヘロデは叫んだ。

「神に選ばれたメシヤとは誰であるか知っているのか! このたわけめが! 木に吊るされて殺された、あのならず者のキリストのことをごたごたしゃべるでない! おまえの前に立っている吾輩こそ神の子メシヤであるぞ! 頭が高いぞ!」

それからヘロデは口早に自分の考えを述べた。エルサレムにあるすべての教会は、ヘロデをメシヤとして拝み、大工の子、ナザレのイエスのことは二度と口に出さないようにしてやるとしゃべりまくった。

そこでヤコブは自分の自惚れがたたって危険に追い込まれていることを察知した。と同時にキリストのために殉教の死を遂げられるかかもしれないことを喜んだ。ヤコブはあくまでもイエス・キリストへの信仰を固く守ること、更に己を神とするような大罪人である領主ヘロデは大馬鹿者であると言った。

ヘロデはカンカンに怒って即座に殺そうと思ったが、思い止まった。それは大勢の目の前で、教会の頭(かしら)の首をはねるほうがはるかに効果的であり、人気が得られると思ったからである。

そこで次のようなお触れを出した。

≪十二使徒の頭を死刑にする。そうすればキリストの呪いが取り除かれるであろう≫

大勢の人々が集まったところで尋問を受けた。おまえは本当に教会の頭であるヤコブであるかと。彼は、そのとおりであると答えた。ヘロデの家来は、剣で彼を切り殺した。ついに彼はイエス・キリストを信じる兄弟のために殉教した。

エルサレムでは、ヤコブの死を喜ぶ者が多かった。これでキリストの呪いが取り除かれたといって喜んだ。彼らはキリストのことを本当のメシヤとは思っていなかった。

次にペテロを捕まえようと領主は追っ手を出した。ペテロは神殿の庭でキリストの教えを説いていた。それでごく簡単に逮捕し、牢獄に入れることができた。ペテロはヘロデの前に引き出された。ヘロデはメシヤとして挨拶してもらえるものと思っていた。メシヤでなければ、少なくとも、神々の一人として彼の前にひれ伏して拝むように促した。

ペテロは全身を縛られていた。それで手足を動かすことができなかった。口だけがきける状態であった。しかしペテロは即座にキリストの信仰を堂々と主張した。ヘロデは怒り、ペテロにさるぐつわをはめさせ、牢獄にぶち込んだ。

ヘロデは第三の指導者ヨハネを捜したが見つからなかった。一人ぐらいは当分の間生かしておいて、彼らの言う復活祭(キリストの復活日)の次の日にでも血祭りにあげ、自分が神であることを示そうと考えていた。その方が民衆の野獣的欲求を満足させられると思った。ペテロの死刑もこのように実施しようと計画した。

大観衆の前に、銀の帯を締めて現れ、みんなが大声を張りあげて自分を神として崇められることを想像していた。

いよいよ死刑執行の前夜がやってきた。ペテロは薄暗い地下牢の中に閉じ込められていた。重いどっしりとした戸が閉められ、星のひかりさえ通さぬ程であった。ペテロは鎖で空中に吊るされていた。もしかしたら仲間が助けに来るかもしれないとの噂がたったので、たくさんの護衛が見張りをしていた。二人の護衛がペテロの両脇を固めた。

さて、私は前に、霊体(光の体)のことに触れたことを覚えておられるであろう。それは、別な言葉で言えば目に見えない人間の像ということができるであろう。その霊体には、あなた方が肉体と言っている物質に近いものでできている一種の覆いを着けている。もちろん人間の目には見えないものである。

人間の内面にあるこの二つのものを、僅かではあるが自由に操作できる人がいる。ペテロもそのうちの一人であった。

さて、エルサレムにいるクリスチャンは、休みなく祈り続け、聖霊が天使を遣わしてペテロを救出してくれるように願った。多くの人々から熱心に寄せられる熱烈な願望が渦巻き、大きな力を引き寄せる源となっていった。

クリスチャンたちの祈りは聞かれ、ついに主の天使は仮眠をしているペテロのもとに現れた。ペテロは仮眠というよりは、気絶をしていたと言ったほうが当たっていた。彼の霊体と覆いが肉体を離れた。肉体は死人のように横たわっていた。

両脇にいた護衛は、翌日死ぬことが分かっているにも拘らず、グッスリと深い眠りについている肉体を見て驚いた。

彼らの周りに霧のようなものが立ち込めてきた。二人の護衛はまるで土くれでできているかのように動かなくなった。びくとも動かなかった。霧が輪の形となって彼らを囲んでしまった。

突然一つの星が現れ、その光が延びてきてペテロの居る所を照らしだした。主の天使がペテロの肉体に触れた。するとペテロの肉体が動き出した。絡みついていた鎖がプツリと切れてしまった。護衛はなおも不動のままであった。ペテロの霊体は、依然として肉体の外にあった。彼の肉体は眠り、夢を見ていた。

ついに天使の働きによって、霊体が彼の肉体を動かし始めた。重い戸が開かれ、天使がペテロの前を通り過ぎていった。天使の招きによって、ペテロも天使の後に続いて出て行った。それはまるで夢の中で見知らぬ道を歩いているようであった。

星の光がペテロを照らし、主の天使が彼を道路の所まで誘導した時、天使の姿は見えなくなっていた。ペテロは夢中になって、ある門の戸をたたいた。それがどこの家の門であったか彼には全く分からなかった。その家には、ペテロのために大勢の兄弟が集まって祈っていた。

一人の若い女の子でローダという子が、門の戸をたたいている音に気がついて戸口のところに行き、少し間をおいてから戸を開けた。するとペテロが入ってきたのでみんなは歓声をあげた。ペテロはみんなを静めてから言った。

このことを早速、あるところに隠れているヤコブに知らせるようにと。一人の若者がヤコブのところに向かった。ヤコブはペテロが死刑になったら、自分もヘロデのところに行くと言っていたからである。

ペテロは変装をし、髪の毛や髭をそりおとした。ヘロデの家来に捕まらないようにするためであった。もう一人の兄弟と共にペテロはその家を出て行った。二人はエルサレムの門から無事脱出することができた。エルサレムを出さえすれば、どこにでも安全な隠れ家を見付けることができた。

陽が昇るまえにエルサレムを脱出したのは、ペテロだけではなく、他の使徒たちもみんな出て行った。

第31章 ヘロデの挫折と死
領主ヘロデの送った栄光の日々について話しておこう。

ヘロデは夜中に目を覚ますと、外で動物が歩いている足音が聞こえてきた。彼は昔の楽しかった頃のことを思い出していた。銀色のロープ(裾の長い衣服)に身を包み、ペテロを死刑にした後で、群集の前に現れ、彼らが自分を神として拝んでいる様子を夢見ていた。

しばらくしてヘロデは一人の奴隷を呼び、部屋に明かりを持ってこさせ、祭りにでかけるために着替えをした。彼の最大の好みは、盛装することと、家来たちのお世辞を耳にすることであった。

盛装した自分の姿に灯の光が当たってキラキラと光り輝いているのを見て満足した。しかし、それとはなしに目をテーブルの上に置いてある羊皮紙に向けてみると、驚いたことに、それが血のような色で文字が記されていた。きっと名だたる律法学者が書き記したものであろうと思い、読んでみて肝を潰した。それには、

≪ヘロデよ! おまえに災いあれ! 岩の間に身を隠し、砂塵の中に隠れよ! 天の大神の恐怖が迫っておる。砂漠へ行け! 直ちに汝の顔を覆え! 神の怒りがおまえを撃ち、虫けら同然にならんうちにな!≫

と記されていた。

それを見たヘロデは気違いのようになり、その羊皮紙を八つ裂きにし、部屋の護衛に当たっていた家来を刀で切り殺してしまった。犠牲者の血を見て彼の怒りが和らいだ。ヘロデの世話をする家来がやってきて、歯が浮くようなお世辞を並べたて、羊皮紙のことは余り気にしないように説得した。その上ローマ皇帝よりも更に偉大な生き神様として崇められるようになる、とも言った。

夜が明けるとヘロデは、別室に行き、王の貫録を示すことができるような身支度をした。そこへ早馬が報せをもってきた。何でも誰かが神殿の庭で、人々に演説をしているという報せであった。神殿に集まっている連中は、ヘロデに殺されたヤコブの親戚、縁者であった。

彼らは群衆に向かって、ヘロデが殺したヤコブはエフライムの息子であって、十二使徒の一人ではない、従ってヘロデは罪もない人間一人を殺してしまったと言い触らしていた。ヘロデはおかしなことをいうものだと思っているところに、サンヒドリンの一議員である長老がやってきて、あらゆる証拠を示しながら本当のいきさつを説明した。

即ち、ヤコブはエフライムの息子であったこと、しかも十二使徒のヤコブとは良く似ていたこと、それで多くの人々が騙されていたことなどを話した。ヘロデは返す言葉も無く、すっかり逆上してしまい、未だ夜が明けたばかりなのに、全身から汗が吹き出していた。

さて、獄中のペテロの護衛たちは、全身が硬直したまま、主の天使が姿を消し囚人が獄から出て行くまで静止していた。目が覚め、元気をとりもどすや否や、ペテロを縛っていた鉄の鎖が切断され、土牢の中が空っぽなのに驚いた。

外を見張っていた者たちを集め、前後の事情を聞いても誰一人として見張り人の前を通り過ぎた人はいなかったこと、昨夜はみんな一睡もしないで見張っていたことを主張した。誰一人としてペテロの姿を見た者は無く、おまけに道路にはサンダルの足跡さえ見付からなかった。

いよいよペテロが死刑になる時間が迫ってきて、大勢の人々がペテロの死刑を見物しようと集まってきた。言ってみれば、死刑の祭典であった。ヘロデのもとに急使がやってきて、昨夜のうちに武装した、天使によって囚人全部が盗まれてしまったと伝えた。

様々な噂が流れ出した。ヘロデは、どうしてペテロが厳重な牢獄から逃れることができたのか、見当もつかなかった。

そこで彼は苦肉の策として、護衛どもがペテロと結託して囚人を逃がしてしまったと、言い触らした。護衛たちを人身御供にする考えであった。

領主の館である宮殿の外側で、大騒ぎが持ち上がっていた。飢えた人々が大声で叫んだ。

「ペテロを返せ! ペテロはどこにいる! 天使がペテロをさらっていたというのは本当なのか! この館の中にいるのなら、おれたちに会わせろ!」

余りにも大きな騒ぎが起こったので、ヘロデの身代わりにプラストという男が護衛に囲まれながら、姿を現した。その騒ぎでヘロデは口から泡を吹きながら狂人のようになっていた。ヘロデは抜き身の剣をあたりかまわず振り回していた。

プラストが言った。
「クリスチャンどもが夜中に押しかけて、護衛をやっつけてペテロをつれだしてしまったのだ」

そこで群衆は、昨夜の模様を知っているクリスチャンのところに駆け付けて、事の事実をすべて耳にすることができた。ここで大いなる奇跡が起こった。神は群衆をクリスチャンの味方にしたのである。群衆は雪崩のようにヘロデの宮殿を取り囲み、大声でののしった。

「おまえは、おれたちにパンの代わりに石をくれやがった! ヘロデをここに突き出せ!」

彼らはますます激しくののしり始め、民衆をだまし続けてきたヘロデを出せ、叫び続けた。護衛たちは暴徒と化した群衆を蹴散らそうと、流血、喧噪、怒号が渦巻き、まさに修羅場となった。このようにして、ヘロデが夢見ていた栄光の日は終わった。

ヘロデは、その日から病人のように寝込んでしまった。プラスト以外とは誰とも口をきかなかった。怒りと恥とがまじりあった感情に抗しきれず、又、民衆が自分についてこんなにもひどく思っていたことを知って非常に驚いた。

彼の心にはいつも神になりたいという卸しがたい欲望があった。ただ神として崇められ、拝まれるだけでよいと願っていたのである。そのような虚栄の虫がヘロデの魂を蝕んでいたので、昼も夜も休まることがなかった。そこでヘロデは領主としての権力を悪用して、無数に残酷なことを行った。

ツロとシドンの民衆に対しては多額の税金を収めないなら皆殺しにしてやると脅し、不作の年であったにも拘らず食糧を全部巻き上げてしまうのであった。そこで大いに苦しんだ民衆は、プラストを買収して領主の怒りを和らげるよう懇願するのであった。買収されたプラストは、ヘロデの弱点をよく知っていたので、一計を案じてヘロデに言った。

「我が主よ、民衆は何と言っても、あなた様を神であると言ってます。私もそう信じています。

そこで、近日中にローマ皇帝の名誉を称える集会が予定されておますので、その時に、神である貴方様が、立派な銀のロープをお召しになって劇場の高座にお座りになれば、民衆は堂々たる貴方様を見て、カイザルのことなんか忘れてしまい、貴方様を神として崇めることでしょう」

ヘロデは彼の甘言を耳にして大変喜んだ。特にカイザルが卑しめられて自分が崇められることを思ってみただけでもゾクゾクとして落ち着かなかった。

いよいよ集会の日がやってきた。ヘロデは泡を吹きながら卒倒した忌まわしい日以来着なかった銀の衣服を身に纏った。今日こそは、自分が大神の子孫であるメシヤたることを示せると思った。劇場内には多くの異邦人もいた。

ローマ人の国籍を持つ者や、様々な国からやってきた人々がいて、色々な国ことばが飛交い、ヘロデの入場を待っていた。

又カイザルの名代も入場することになっていた。プラストは数百人の者を買収して、ヘロデが入場したら、神として崇め、地上にひれ伏し拝むように言い付けておいた。

いよいよ領主ヘロデが民衆の前に姿を現し、彼の右の手を民衆に向かって差し延べながら高座に座った時、大きな叫び声がもちあがった。

「ヘロデ王、万歳! ヘロデ王、万歳! おお、聖なるお方、貴方こそ私達の神であらせられます。私達の感謝と尊敬を心からお捧げいたします」

異邦人以外の人々が顔を輝かせて、同じように叫んだ。プラストに買収されていなかった人々も大声につられて、彼を神だと思うようになった。太陽の光線が銀の衣服に反射して、ヘロデの身辺を輝かせていたことも大いに効果があった。このような言語道断な冒pが堂々と展開されていた時、突然天罰が下った。

彼の全身はワナワナと震え出し、色あせ、顔は紫色に変わり、後方にいたプラストの腕の中に卒倒し、あえなく息を引き取ってしまった。

ヘロデの死は、代々にわたって、自分を神とした者の最期を示す象徴として語り継がれていった。これによって人々は、肉体は土に帰るものであり、霊魂は天使の導きによって新しい生活に入っていくこと、しかも、霊が清らかであれば、神のところまで行けることを学んだのである。