第41章 慈悲の父ヨセフ
魚問屋のハレイムは、別の大工に船の建造を依頼した。しかしヨセフの設計を生かしてくれたので、からくもヨセフは仕事にありつけた。マリヤは言った。
「これは神様の思し召しですよ。これだけでも感謝しなくちゃね」
イエスが立ち去ってから七日が過ぎた。彼からは何の音沙汰もなかった。八日目の朝になって、ヨセフの姉マリヤ・クローパスがヨセフの処にかけこんできた。着物が乱れており、ベールもくしゃくしゃだった。夫クローパスが職を失ったことを告げにきたのである。
「夫に仕事をくれていた商人が次から次へと流行病(はやりやまい)で死んでしまったの。だから今では夫に仕事をくれる商人が一人もいなくなって・・・パンを買うお金もないのよ」悲しみながらも彼女の話を聞いているうちに、マリヤは昔何回も自分たちが困っているときに助けてもらったことを思いだしていた。
そこでヨセフに、昔彼の知らない様々な助けを受けていたことを話し、先頃エルサレムでパリサイ人からもらったお金を用立てたらどうかと言った。ヨセフはじっと考えてから言った。
「そりゃいい考えだ。クローパスが仕事が見つかるまで、それで何とかやりくりするといいね」マリヤ・クローパスが言った。
「でもあれはイエスの勉強のためにいただいたお金じゃないの。どうしてそれを勝手に手をつけるの?」ヨセフの表情が暗くなった。マリヤがすかさず答えた。
「その中から私に預けた分があるの。なんでもイエスが言うには、本当に困っている人がいたら、このお金をあげてちょうだいって」
これを聞いてマリヤ・クローパスは、そのお金をおしいただくように受け取って帰っていった。マリヤとヨセフが二人きりになり、互いに深い悲しみに襲われるのであった。<イエスはまだ帰ってこない>と溜息をついて二人はひとことも口をきかなかった。
九日目になってイエスは家に帰ってきた。顔にはありありと空腹感があらわれ、骨と皮になって現れた。全身が空腹と疲労でわなわなとふるえていた。ヨセフは手にしていた道具を放り投げ、急いでかけより、<よく帰ってきた!!>
といたわりの言葉をかけ、マリヤに熱いスープをつくるように言い、急病人のためにとってあった少量の葡萄酒をもってきた。マリヤが急いで食事の支度をしている間、ヨセフは水さしに水を汲んできて彼の血がにじんでいる泥足を洗い、額を冷やし、そーっと床(ベッド)の上に寝かした。暫くして彼は眠り始めた。
だいぶたってからマリヤはイエスを起こし、食物を与え、葡萄酒をのませると、彼はすっかり元気を回復した。マリヤはイエスが草や木も生えていない荒野をさまよって、わずかな野イチゴしか口にしていないことがわかった。イエスはどうしてこんな寂しい荒野をさまよったかを言おうとしなかった。
トマスが入ってきて両親に言った。
「お兄さんが荒野をさまよっている間、僕はずっとお父さんの仕事を手伝っていたんだ。いつでも僕はお父さんの言いつけを守っているのに、どうしてお兄さんは勝手に出て行ってお父さんの言うことを聞かないんですか。
挙句の果てには疲れはて、お父さんのベッドに寝かされ、僕たちにはひどいパンしかくれないなんて、お兄さんには肉とおいしいパンをあげ、家の中にあるいいものはみんなお兄さんにあげちまうんだから。何のために僕が一生けんめい働いているのかわかりゃしないよ。全く頭にくるよ!!」マリヤが言った。
「私たちはね、イエスがもう二度と帰らないんじゃないかと思ったのよ!」 ヨセフもすかさず言った。
「その通りだ! 野たれ死にしたんじゃないかと思った者が見つかったんだ。再び生き返ったんじゃないか!」
トマスはなおもふくれながら不平を言った。
「まずいパンと濁ったミルク、これが僕たちが一生けんめい働いた報酬(むくい)なんですか? もう僕はがまんできません。僕はピリコ・カイザリヤかティペリヤの町へ行って、誰かにやとってもらいます」
ぷっとして家をとび出したトマスの後を追ってヨセフはトマスの服をきつく掴んだ。父の強い力に引っ張られたトマスは立ち止った。父はトマスに戻るよう説得した。
「トマスや、わしのものはみんなお前のものではないか! 何か欲しいものがあるなら言ってみなさい。きっとお母さんが心配してくれるだろうよ。お前は我が家の大黒柱なんだ。今からなんでもお前の思う通りにするがいいさ。
だから家に戻っておいでなさい。お前が心を広くしてくれさえすれば、イエスも家からとび出さないで、みんなと一緒に暮らすようになるんだから」
トマスは不承不承(ふしょうぶしょう)家に帰ってきた。しかし兄弟とは口もきかず、両親の楽しそうな会話にも、そっぽを向いていた。この時から、トマスとイエスの関係は決定的に悪くなった。
第42章 ヨセフの重い病気
ガリラヤの喜びの歌声は飢えに苦しむ叫び声に変わり、笛やコーラスはすすり泣きに変わってしまった。熱病が猛威をふるった夏が過ぎ、厳しい冬がやってきた。いたる所大飢饉にみまわれた。外国から役人が食糧を買いあさりにやってきて、ほんのわずかな収穫でも多額の金で買い取った。
町中の欲張り連中は、畑の隅から隅まで血まなこになって落穂を拾い集めた。貧乏人は寒さと飢えで次から次へと死んでいった。まことにひどい冬が荒れまくったのである。
ヨセフには沢山の仕事が舞こみ、金持ちになっていった。飢えた羊飼いや農民がやせ衰えているのに、ヨセフは豊かであった。しかし彼は稼いだ金を貯めようとはせず、穀物や無花果を高い金を出して買い求めては、常時彼を頼ってくる旅人や孤児たちに与えていた。親類の者がそんな鷹揚(おうよう)なふるまいを諫めようとすると、ヨセフは反論するのであった。
「貧しい隣人たちを忘れてはならない。もしも母子だけの家庭や孤児(みなしご)が困っているのを忘れるくらいなら、小麦の代わりに薊(あざみ)が生え、大麦のかわりに麦撫子(むぎなでしこ)が生えればよいさ。
もしも飢えている旅人を見て彼を入り口からしめ出すくらいなら、私の鋸の歯がまるくなりのみが錆びつき、プラタナスの木が倒れ、斧の刃が私や息子たちを切りきざむほうがましだよ」ヨセフの親戚たちは呆れかえり黙って立ち去った。
しかし陰では<あんなことをしていると、いつかは乞食みたいになるさ!あのお人よしには全くあきれたもんだ>とささやいていた。
ヨセフは息子のトマスやイエスと一緒に金持ちの農夫のために、夜中まで働いていた。その日の仕事が終るとき、賃金を受け取るのであった。
マリヤは、山から訪ねて来る飢えた人々や、困っている子供、さらに漁師の家族たちに食物を与えていた。その冬は特に不漁が続き、小さな魚さえ取れず漁師たちは毎晩空っぽの網を浜辺に広げ、腹をすかせていたのである。
春がやっと来て悪夢のような飢饉も去っていった。
ヨセフは過労がたたり、重い病気にかかってしまった。昔うけた背中の傷が痛みだし、腰の痛みも劇しかった。やはり井戸に落ちて重傷を負ってからは、彼の体は完全ではなかった。今度ばかりは余りの痛さのために、遂に寝込んでしまい、立ち上ることができなかった。
そこで風采のよい若者、トマスが父の代わりに親方になり、木工技術に関するすべての采配を振るった。もちろん兄弟であるイエスも彼に従った。しかしイエスの技巧は未熟で、どちらかといえば木工作業には余りむいていなかった。鋸で真っすぐに切ったり、鉋(かんな)を上手にかけることができなかった。
弟であるトマスには彼がグズで、頓馬に思えた。トマスは口の悪い樵たちと付き合っていたので、心の底までひねくれていた。トマスは兄にむかってどなるのであった。
「このうす馬鹿者めが、鋸の背中で木が切れるとでも思うのかよ! おめえがそれを使うと、歯がボロボロになっちまうよ」こんなふうにイエスに八つ当たりしていることを聞いたヨセフは、床(ベッド)の中からトマスに言った。
「トマス、そんなふうに兄を責めないでおくれ、彼は母さんの若いときに似ていて、いつも夢を見ているので、手の方がうまく働かないんだ。そこへいくとお前は本当に私の子だ。わしに似て手先も器用だし、大工として立派な才能も備わっている。わたしは本当にうれしいよ。
お前がそうやって働いてくれるので私の唯一の慰めであり、弱っている私の支えになっているんだ。だからお前も、もっと賢くなって、その熟練の腕をふるい、イエスには優しくしてやってくれないか。
これでもお母さんがやっきになってイエスの腕を磨こうとしているんだが、あまり効果はないと思うがね。兄をいたわってあげなさい。彼は商売の経験もないし、腕もないから、きっとこの家の家長にはなれないだろうな。なにしろ家長は、一家を支えていかねばならんからねえ」
ヨセフの忠告があってから、トマスはますますつけあがってしまった。彼は公然とイエスを軽蔑し、彼の弟たち、ヤコブ、セツ、ユダを引き込んで、彼を嘲(あざけ)った。遂にイエスの仕事といえば、材木はもとより、ときには重い石材を運ばせるようになった。それを弟たちは手伝おうとはしなかった。
ヘリが立ち去って一年が過ぎた頃、イエスは母に言った。
「冬の間中お世話してあげた羊飼いが僕に山に来ないかと誘って下さるんです。僕を一人前の羊飼いにしてやるというんです。お母さんが許して下さるのなら僕は喜んで彼の言う通りにしたいんですが。
山は僕にとって本当に良い友達ですし、空の星は人の手で作った屋根よりもずっと親切なんです」マリヤはそんな荒野に行かないでほしいとイエスに懇願した。
「強盗にでも襲われたらどうするのかい。第一羊の番なんかは、大工の息子がてがけるにはとても卑しい仕事じゃないのかい。お父さんだってきっと賛成しないと思うよ」それでイエスはその話は思い止まって、大工の仕事を続けていた。相変わらず弟たちから馬鹿にされながら。
セツがトマスに言った。
「お兄さん、イエスはあんなに馬鹿にされても、よく毎日あんなに愉快そうにしていられるね」ヤコブが答えた。
「そうだとも。やつはいつも真理を真面目に追及し、自分の欠点なんか棚にあげてやっているんだから、ニコニコしていられるんだよ。第一、やつは安息日(1)なんかそっちのけなんだ。仕事が終わると伯母さんの家に行って、従兄弟のヤコブやヨセフと一緒に働いて、クローパス家の手伝いなんかしているんだ。
この三週間とも、やつは安息日に会堂の礼拝にも行かないで、日の出から夜まで山の中をほっつき歩いているんだからね」
弟たちは口を揃えて父の前でイエスのことを非難した。さき頃、貧しい農夫の山羊が病気で弱っているのを見て、ちょうど安息日というのに、薬草を煮出して山羊に飲ませていたとか、独り暮らしの老人のために、またもや安息日だというのに、林の中で木を伐り出し、重い材木を運んでいたことなどを話した。
この話を聞いた父はイエスを呼んで、どうしてそんなことをしたのかと尋ねた。イエスは答えて言った。
「困っている人たちを悲しませたくないんです。与える喜びはどんな宝石にも及ばない値打があるんですね」ヨセフは頭ごなしに言い放った。
「六日間働いて、七日目には必ず安息日を守りなさい。働いて休むんだ。モーセの十戎を大切に守って、変な噂をたてられないようにしなさい! お前は安息日の掟を破った罪がどんなに重いかをしっているだろう!!」父はきびしい口調でイエスに説教した。彼は黙って聞いていた。それ以来、弟たちから直接非難されることはなくなった。
トマスとヤコブの二人の弟は、次第にまともな考え方をするようになった。彼らにはあるひとつの目標があり、それが一本のローソクの火のように彼らの心を照らしていた。トマスは自分の夢を実現させるために、稼いだ金を蓄えていた。彼はナザレを離れエルサレムに行って職人の親方になりたいと思っていた。
ヤコブは一家の家長としてすばらしい家庭と財産を築き、衣食住を豊かに暮らす夢を描いていた。彼もまたエルサレムに憧れてはいたが、トマスとは少し違っていた。彼はとてもまじめな少年だったので、彼は神殿の中に住みこんで毎日エホバの神に祈りをささげ、イスラエルの救済をねがうことであった。
この二人の兄弟は一本の軛(くびき)につながれている二頭の雄牛のようであった。二人とも一日も早く重荷をおろして自分の夢が叶うことを望んでいたからである。
しかしイエスはこんな軛につながられてはいなかった。彼は心の中に光を持ち、働くことを喜び、弟たちから馬鹿にされてもユーモアで応対していた。
長い間病床にあったヨセフもイエスにはもう説教などはしなかった。弟たちは父をあきらめてナザレの律法学者に相談していた。律法学者は必ずイエスを見張っているように命じていた。そして彼は、そのうちイエスが大罪を犯して失脚するだろうと預言していた。
ある日のこと、母マリヤはイエスを呼びよせて言った。
「この二年間、お父さんは病気で苦しみ、春が来たというのに痛みはますますひどくなってね、とても気の毒なのよ。お願いだから、レアを生き返らせたお前の秘密の力をかしておくれでないか」
イエスは母の要求をきいて悩み始めた。母を心から愛していただけに、断るのがとても辛かった。ヘリからあれほど警告されていたにもかかわらず彼はひきうけてしまったのである。週の始めの日(日曜日)の夕方、弟たちが仕事に出ている間に神癒を施すことになった。
病人の寝ている部屋では、マリヤとヨセフの姉の二人が準備を整えていた。二人の敬虔な女が見守る中で、イエスは静かに祈っていた。イエスが口にする言葉は彼女たちには全く解らなかった。
暫くしてイエスがヨセフの方に近寄り、ヨセフにとり憑いている悪魔に向かって、<出て行け! もう二度とこの肉体に入るな!>と言った。二人の女は、そのときイエスの体から太陽の光線のようなものが発射されるのを見た。
イエスは体をかがめながら、その光を懸命にヨセフの体に注ぎ込んだ。暫くすると姉のマリヤ・クローパスは、弟の体の上に雲のようなものが覆ってイエスの発射した光を呑み込んでしまうのを目撃した。
折角の光がその雲にさえぎられて患部に届かないのである。ヨセフの心の中に、イエスに対する信頼が失せていたからであった。トマスやヤコブから散々イエスの悪口をきかされていたので、疑惑の重みにあえいでいたのである。
イエスは烈しく呼吸をしながらもう一度悪魔払いを試みた。汗と涙がイエスの頬を伝わり、彼の顔面は蒼白となった。いかなる努力も空しく、ヨセフは横たわったまま苦痛の声をあげ、不信の目でイエスを見上げていた。
「僕には出来ません。父と私をつなぐ橋がどうしてもかからないんです」イエスは呟きながら暖炉のそばにうずくまり、ぺたんと座りこんでしまった。戸口には、トマスやヤコブが立っていた。彼らは二度目にイエスが試みた悪魔払いを目撃した。天界よりの恵みの光をイエスが発射したにもかかわらず、父の不信によって悲しくも紳癒は成功しなかったのである。
(註1)
週の七日目(土曜日)のことを〝サバト〟(安息の意)と称し、ユダヤ人はこの日に一切の労働を休み、会堂に集まって神に礼拝をささげることが義務づけられていた。携帯する重量や歩行距離にも厳格な制限が加えられ、殊にパリサイ派の人々はこれらの掟を重視し実践に努力した。
従ってこれを破る者は重罪のひとつとみなされ、厳罰に処せられた。新約聖書の福音書では、イエスが十字架刑に処せられた最大の根拠として、安息日の掟を破ったことが直接の引き金となったと記されている。
第43章 神様は何処に
母マリヤでさえ、義姉から多くのことを知らされているのに、イエスのことを疑うようになった。彼女はトマスが彼を非難しているのを聞いていた。兄は偽善者だと。彼はもっともらしいことを言っているが、独善的であり徒(いたずら)に時間を無駄にしているといって非難した。そこにナザレの律法学者がヨセフのところにやってきた。
イエスからは目を離すんじゃないよ。あの子は安息日を守らずに風来坊の異邦人と附き合っていたんだからな。やつらは札付きのごろつきどもで、捕まえようとしても仲々つかまらないそうだ。
イエスは従兄弟のヤコブやヨセフまでもまきこんでいるようだ。だからマリヤ・クローパスにもこのことを教えてやった方がいいと思うがね」これを聞いた単純なヨセフは、血が頭にのぼった。
しかし厳しく叱れば今度こそはイエスは家出して、羊飼いに成り下がってしまうだろうと考えた。それから数日たってから、トマスが父の処に入ってきて早口で喋りまくった。
「ねえ、お父さん、イエスはまた安息日を破ったんだぜ。まずいことに今度はみんなに知られちまったんだ。もうはずかしくてたまったもんじゃないよ。会堂に来ていた連中がみんなおれたちのことを軽蔑し、おれたちの信用はこれでがた落ちだぜ」トマスが喋っているところにイエスが部屋に入ってきた。ヨセフはトマスに部屋を出るように促してから、静かに話し出した。
「トマスが言うには、又お前は安息日の掟を破ったそうだね」イエスは答えて言った。
「熱にうなされていた一人暮らしの老婆(おばあさん)がいてね、どうしても見のがせなかったんです。僕がそばで見守っているうちにだんだんと熱が下がってきたんですが、今度は反対に体温がさがって冷えてくるんです。このままだと死んでしまいますから、小枝を拾い集めてきて火をもやし暖めてあげたんです。
それでこの老婆は生命を取りとめたのです。僕が薬草を煮出して飲ませたら手足の痛みもひいたのです。僕のやったことは悪魔の業でしょうか? 神様に対して罪を犯すことになるのでしょうか?」
「安息日には、家の中で火をもしてはならならんと記されているではないか! それなのにお前はその掟を破ったのだ。大罪を犯したとは言わぬが、安息日の掟を破ったといっているんだ」
「安息日の掟は、人のためにつくられたものです。人は安息日の掟のためにつくられたのではありません!!」
イエスはそれ以上のことは何も言わなかった。突風が木々を揺さぶるような激しい怒りがこみ上げてきて、イエスの体をわなわなと震わせるのであった。部屋の外でこれを盗み聞きしていたトマスが部屋に入ってきた。父がとめるのを無視して、興奮しながら早口で言った。
「この恥知らずめ! お前のおかげで家中が滅茶苦茶にされちまったんだ。お前のいやらしい台詞(セリフ)は誰かさんの受け売りにきまっているわい。あの小汚い乞食や札付きのごろつきと付き合っているからこうなるんだ。おれたちは町の人から仕事をもらってメシの種にありついているんだ。
みんなおまえのことを知ったら、おれたちはメシの食い上げだ、その上このナザレからたたき出されちまうさ」トマスが息急(いきせき)切ってここまで怒鳴りちらすと、まるで犬同士がキャンキャン吠えたような勢いで、ヤコブが怒鳴り始めた。
「あんたは三週間も安息日をさぼって、山に行き、会堂に行かなかったんだよ!」すかさずイエスは言った。
「神様は、山の頂上と会堂と、どちらに近くおられると思うのか? はっきり言っておくが、僕はいつも山の高い処におられることを体験しているんだ。会堂にはいつもおられるとは限らないんだ。
神様はね、日の出の静けさの中におられるんだよ。聖霊は野の百合のような静けさの中に注がれ、銀色に輝く湖の上を渡ってこられ、ギルボアの連山からも、カルメル山の白雪からも、ガリラヤの谷からも、高い青空からもやってこられるんだ。神様は、夜明けとともに、静かな所で深い交わりを与えて下さるんだ。
神様と全くひとつになる時は、人から離れていなければできないんだよ」ヤコブとトマスは同時に口を開こうとしたので父ヨセフは手で彼らを黙らせ、二人の弟の訴えを取り上げるつもりで言った。
「イエスや、私は、お前が家をほったらかしにしてどこへ行こうが、かまいやしない。大目に見てきたつもりだが、かえってそれがよくなかったようだ。結局、弟たちを困らせる結果になってしまったのだ。お前は病気の老婆を救うために小枝を拾い集め、安息日を破ったというが、どうして安息日以外の週日にそれをやらなかったのかい。
こないだなんか、弟たちが一生けんめい働いていたのに、二日間も山を歩きまわっていたそうではないか。一体それはどういうわけなんだ」
「僕の仕事は一応義務を果たしているつもりです。ノコのめたてをしたりして」しかしヨセフはイエスの言い分には耳をかさず、イエスがどんなに怠け者であるかを責め立てた。弟たちの精勤ぶりを褒めるのであった。
しかし火を吐くような熱弁をふるうイエスの前では、やかましいトマスでさえ自分の言いたいことを喋ることができなくなってしまった。
イエスは続けて語り続けた。トマスに言った。
「直ぐにくさってしまう此の世の糧のために日々労するものは永遠の生命を保証する〝天の糧〟を失ってしまうんだよ! お前はこの町で、腹を満たす食物を得ようとしているが、僕はあの山の上で、神様からの食物を得ようとしているんだ。トマスよ、よく聞きなさい! 僕はお前の心の中に記されている筋書きがちゃんとわかっているんだ。
お前は一日の稼ぎでは満足できず、一枚一枚銀貨(コイン)を貯え、将来職人の頭になって、エルサレムで旗揚げしようと計画をしているようだ。そう、ヤコブもだ。お前は、それこそ見当違いな慾のために働いているようだ。
お前もトマスと同じようにこつこつと小金を貯めてエルサレムに行き、神殿の中に住みついて長い祈りをささげ、沢山の献金をしたいと計画しているようだ。お前はヘブル語を暗承しただけで、ちっとも聖書の内容を理解していないのだ。
祈りだって同じだ。成文祈アy(他人が作った祈りを文章にしてあるもの)を暗記してただの機械的にとなえているだけで、ちっとも心の底から祈ってやしないんだ。
神殿という聖なる処に行かなければ至高なる神様に近づくことができないのかい? 神様を神殿の中に閉じ込められるとでも思っているのかい? 山の上には来られないというのかい? ガリラヤの野辺ではたやすくお逢いできないというのかい? 湖畔もかい? 〝平和〟と〝静けさ〟があればどこにでも、神様は通じる道があるんだよ」
ヤコブはがっくりと頭を垂れ、恥ずかしくて身が縮む思いがした。イエスが自分の心をすべて読んでいたからである。しかしトマスはピンと来なかった。自分の慾にとらわれていたからである。それでなおもイエスの悪口を言い出した。
「お前はなまけものだ、ただ自分の楽しみだけを追っかけまわしているだけじゃないか」
イエスは悲しそうに弟を眺めながら言った。
「おなじ母の胎から生まれ、しかも一歳しかちがわないトマスよ、なぜ同じ幻を見ることができないんだ。情けないことだ。僕に逆らってどんな得があるんだ。僕に答えてごらん、理性は肉体より勝っているんではないのか? 生命は労働より価値があるんではないのか」トマスはうす笑いをしながら言った。
「そんな愚にもつかぬ謎に答えられるかよ、馬鹿馬鹿しい。おれはお前みたいなへそまがりな生き方はまっぴらごめんだぜ。父さんがおれをとるか、おまえをとるか父さんに選んでもらおうじゃないか。もうお前となんか同じ屋根の下で仕事をやるもんか」
トマスはこんな捨てぜりふを残して戸口に立ち、サンダルのほこりをはたき落としてから家から出て行った。彼はナザレの律法学者のところへ向かったのである。
第44章 父とは誰か
ある晩のこと、月が煌々(こうこう)と照らす頃、ナザレの中心にある井戸のまわりに若者が集まってきた。一日の仕事を終えてから生き生きするものを求めてやってきた。彼らはグループ毎に集まって話し合っていた。イエスがサークルを移動しながらみんなの話に耳をかたむけていた。
農夫のグループでは、鋤(すき)や種の植えつけなどが話題となっていた。牛飼いたちは、牛や草原のこと、あるいは荷運びの運賃のことを話し合っていた。葡萄畑の栽培をしている青年は、ぶどうの気まぐれなこと、ぶどうの収穫、ぶどう酒づくりのことを話していた。ある者は折角の稔りを邪魔された害虫のことや果実の減収のことをぼやいていた。
オリーブ畑を持っている者は、樹木に関する豊かな知識を披露し、鍛冶屋はかまどの温度のこと、陶工は、土のこね方や焼き物の形のことを話していた。
そこに漁師たちがやってきた。彼らも古くなった舟や穴だらけの網のことをぶつぶつ言いながら、来年にはいいことがあるかも知れないなどと話し合っていた。昔は大漁で船が沈まんばかりの魚を売って、かなりの収入があったものだが、今では漁師の取り分が少なく、魚問屋に売買をかませているという。
職人たちがめいめい自分たちのことを話している間、イエスは黙って彼らに耳をかたむけているのであった。このサークルの輪が広がって、誰言うともなくナザレにやってくる旅人たちも井戸のまわりにやってくるようになった。旅人たちは自分の故郷(くに)のことや、ローマ軍の戦争、外国の町々の風俗などを語っていた。
そんな訳で、偉大な霊力の持ち主であるイエスにとっては願ってもない情報を得ることができた。イエスの唇は、閉じられたままではおかなかった。集まってきた若者たちに、それは実に機知に農む譬話をして聞かせるのであった。
マリヤ・クローパスの息子たち、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダなどもイエスの話がおもしろいので、夜の会合には欠かさず顔を出すようになった。イエスは、鳥や獣や花など身近なものを通して神様のことを説明し、争いのたえない此の世界に関する譬話を語るのであった。
マリヤ・クローパスの息子たちは全く夢中になり毎晩出席した。賢い農夫や職人と愚かな農夫や職人の見分け方とか、種まきの譬話、金持ちと貧乏人、乞食、孤児、多くの家畜を持っている人等々、実に豊富な話が沢山とび出すのであった。そうこうしているうちに、この噂が若者たちの間に広がり、おしかける人数も激増し、一体誰が来ているのかわからないほどになっていた。
さて、イエスが弟たちから悪しざまに言われた日の夜、いつものように重い気持ちで井戸のそばにやってきた。その夜には、まさか魚問屋ハレイムが来ているとは全く知らなかった。ハレイムがイエスに質問した。
「ナザレの丘の上で、夜明けにあなたの前に現れる御方がいると聞いていますが、その方はどなたでしょうか?」イエスは一瞬調子はずれの質問がとび出したのでためらったが、即座に答えた。
「私の天のお父様です。山に居るときには私の近くにいらっしゃるのです。町にいるときよりも一層身近にいて下さるのです。本当に天のお父様とは静かなところでお逢いできるのです。その御蔭で沢山のことを教わり、生き生きとさせてもらえるのです」
「あなたは、天のお父様のおっしゃった通りに実行していますか?」
「はい、私はいつでも神様の戒めを守り、愛のうちに住んでおります」
驚いたことに、またもやそこにナザレの律法学者が来ており、ハレイムが続けて質問するのを押しとどめて言った。
「その父はどこに居るのじゃ?」
「父は私の中に居られます。私も父のうちに居ります。此の世の人々はその父を御存知ありません。しかしいずれ多くの人がこの静かな山の中で天の御父の知恵を探しにやってくるでしょう。そして私が御父と出逢ったように、彼らも天の御父を見いだすようになるでしょう」
イエスは、まるで夢みる者のように話していた。天の幻が彼の魂を満たし、神の平和が彼を覆っていたからである。しかし彼の足元には二人の狡賢(ずる)い男が蛇のように這いずり回っているのに気がつかなかった。イエスはなおも言葉を続けて天の御父に関する秘密を語るのであった。
第45章 弟トマスの家出
ヨセフとマリヤは暗い部屋の中でお互いの手をとりながら話し合っていた。話はもっぱら過ぎ去った若い頃のことで、子供がまだ与えられず、病気で苦しめられなかった時代のことであった。ひとしきり話した後で、突然ヨセフは,自分によく似ている息子トマスを呼んで言った。
「イエスはきっと羊飼いにでもなるだろうよ。このあいだもそう言っていたからね。イエスは家にいつくような子ではなさそうだ」マリヤがすかさず口をはさんだ。
「そんなことは許しませんよ。最初に生まれた子を青年になるまでは我が家で育てなくちゃ。トマスさえ寛大であれば、イエスだって家に戻ってくるわよ」
「おれは絶対許さない!」とヨセフは怒鳴った。マリヤは続けて言った。
「たった一人の息子でも家から追い出されたなんて思われたくないわよ!家は子供たちにとって巣のようなものでしょう。そんなことをされたら、死ぬまで傷つくじゃないの!」
「イエスは他処(よそ)へ行けばいいんだよ」ヨセフはベッドの横に立てかけてある杖で床の上を叩きながら大声をはりあげた。マリヤも負けていなかった。
「私たちはみんなひとつになって此の屋根の下で暮らすのよ。イエスがいなければ、私たちは真二つに割れてしまうのよ! そんなこと許せるもんですか!」マリヤは延々とまくしたて、ヨセフに迫るのであった。マリヤの話が終わる頃にはヨセフの心もおだやかになり、イエスを呼んで言った。
「お前はたしか羊飼いになりたいと言ってたね。私は今までお前のやりたいことをさせてやろうと思うんだが」
「お父さん、もうあの話は済んでしまいました。ベタニヤの若者がきまってしまいました。もう空きがないんです。だから僕は家にいて仕事をすることにしたんです」
その日の夜、イエスはある人たちから耳よりの噂を聞いた。井戸のそばでイエスの話をきいていた若者たちが、悪い習慣を捨て、とても善い生活を始めたという噂であった。イエスはうれしかった。彼らは、天の御父によって導かれた最初の果実であったからである。
マリヤも、イエスが家にとどまることを知ってとても喜んだ。マリヤは夫にたのんでイエスに忠告した。
「息子イエスよ、もう放蕩は止めなさい。もっと賢くなって弟たちのように働きなさい。私が平和の祈りをしている間、お前は炉辺で休んでおればよいのだ」
ヨセフはマリヤの意向を叶えてやったので、次にトマスを呼ぶように言った。ところがトマスの靴はあったが彼の腰には旅支度が出来上がっていた。大工道具の一式が入っている荷物が床の上に用意されていた。ヨセフはひとことも語らずに、彼の手をとり、トマスの顔を見つめた。
年齢(とし)に似合わず髪は長く真っ黒で、肩幅が広くがっちりとして、まるで樫の木のようであった。ヨセフは言った。
「お前は私にとって長男のように思えてならんのだ。お前を誰よりも愛し信頼しているよ」トマスが父に言った。
「お父さん、僕はこの家の職場に居残って、母さんや妹のために働きたかったのです」
「わたしの職場は永久にお前たちのためにあるんだぞ。体を休める処もな」そこまでヨセフが言いかけたとき、トマスはそれを遮って言った。
「でも僕は出て行くんだ! テベリヤ街道が僕を待っているんだ」ヨセフは叫んだ。
「やめろ! やめろ!」
「お父さん、あなたがこうしたんじゃありませんか!」この若い大工は荷物をとりあげて入り口の方へ向かった。彼はイエスの方をふり向いて、まるで毒蛇のようなひどい捨て台詞を吐いた。
「おやじの家には、もうおれとおめえの居場所はねえんだよ! おれたちは他人同然で、一緒に住める間柄じゃねえんだぜ」
イエスは何も言わなかった。トマスの顔をじっと見すえていたが、トマスは目を伏せながら、そそくさと門から出て行った。
第46章 ねじ曲げられた出生の秘密
その後トマスからは何の消息もなかった。ヨセフは一日中愛する息子を失ったことを嘆いていた。イエスや三男のヤコブは腕が悪く、双子の兄弟セツとユダはまだ幼かったので、誰も大工として一人前の働きができる者がいなかった。ヨセフは弱音を吐き、乞食にでもなりたいと喚(わめ)くのであった。
マリヤは嵐で折られたような小枝のようにもみくしゃにされていた。夫は一日中マリヤに当たり散らした。イエスは母を慰めながら言った。
「明日のことは何ひとつ心配しないでください。雀を見てごらんなさい。彼らは軒の上にとまって元気に暮らしているではありませんか。種を蒔くこともせず、収穫を刈り取る作業もいたしません。今日一日に必要なものだけを集めてくるんです。私たちも鳥や木や花のように、すべてを天の御父さまにおまかせするんです。
天の御父は決してお見捨てになりませんからね」これ以上イエスは語ることができなかった。ヨセフは大声でイエスに、だまれ、と命令したからである。
夕暮れになって灯がともされる頃になってもヨセフの声は嵐のように吹き荒れた。すっかり怯えてしまったマリヤは、入口の戸に鍵もかけず、誰かが訪ねて来るのを待っていた。突然ナザレの律法学者とトマスが入ってきた。トマスは偉そうな口調で母とイエスに、部屋から外へ出ろ、と命令し、父の居る所へ律法学者を案内した。
長い間二人はヨセフの部屋にいた。マリヤは悲しい思いで静かに見守っていた。彼女は自分が怯えていることに気付いていなかった。昔、食べるものがなくなって、鬼のような女ミリアムの戸口の前に立ち、乞食をしていた頃の辛い時代が去ってから長い歳月が流れたからであろう。
暫くして律法学者と若者が何かささやきながら庭の方へ行った。トマスだけが戻ってきて入り口に鍵をかけ、イエスに向かって命令した。
「お父さんの処へ行きな! お前に言いたいことがあるってさ」マリヤも一緒に行こうとしたが、トマスが母の肩を両手でおさえながら居間の方に引き戻して言った。
「だめだよ母さん、お父さんがイエスに言おうとしていることは、女の耳には入れられないんだよ」こう言ってトマスはその部屋に鍵をかけ、母をその中に閉じ込めてしまった。
その部屋には妹が寝ていた。母は冷静に苦痛を受けとめ、数をかぞえながら、ゆっくり歩いたり、壁に映る自分の影の長さを測ったりしていた。彼女は余りの恐ろしさに、口にする言葉もなく、お祈りすることもできなくなっていた。
イエスが小さなヨセフの部屋に立っていると、ヨセフはまるで他人のような目付きでイエスを見ながら言った。
「お前は大変な悪事を働いてくれたね。それがどんな結果になるか、わかっているのかい?」
「一体僕がどんな悪事を働いたというんですか?」
「とに角、私の話を聞きなさい。私が昔お前の母さんと結婚しようとしていた頃、母さんはすでに、お腹に子供ができていたんだ。ナザレにいた質の悪い女共がそれを言いふらしたので、ある人は、いっそのこと公開してしまったら、と忠告した。しかし私は彼女を見知らぬ所に連れていって、其処でお産をさせたんだ。それがお前だったのさ。
当時は、これでもちょっとした腕前の大工としてナザレ中に聞こえていたので、本当はナザレに帰ってきてメシの種にありつきたかったのだ。でもこんな事情では直ぐに帰れず、噂の熱(ほとぼり)が冷めるのをじっと待っていたんだ。
善良なおかみさん連中が亭主に口止めさせて、私の仲間には知られないようにしてくれてね。時というのは、眠りのようなもので、時がたつに連れてみんなの記憶から汚らわしい噂が消えていったので、遂にナザレに帰ってきて平和に暮らせるようになったのだ。ところがだ、お前の馬鹿なお喋りが眠れる森の蛇をさまさせてしまったんだ」イエスは叫んだ。
「僕の出生について何ひとつ知らされていないのに、どうして僕が罪を犯すことになったんですか?」
「それで、金持ちのハレイムのやつが、近所中に言いふらしているそうだ。お前が丘の上で、お前のお父さんと一緒に歩いていることを、井戸のまわりに集まっていた多くの若者に堂々と話したというではないか。それが大変な醜聞にふくれ上がり、お前がナザレ中の若者を悪魔の道にひきずりこもうとしていると言うんだ」イエスは反論して言った。
「僕は地上の父親のことはなにも言ってはおりません。僕は至高な気高い天の神様のことを御父と言っていたのです。天の父なる神様が静かな丘の上に居る私のところにあらわれて、将来僕が果たさねばならない大切な働きについて話し合ったと言ったのです。
そのような天の御父の尊い御言葉をナザレの若者に分け与えることがどうして大罪にあたるんですか? 律法学者やハレイムは僕の言うことをねじまげて、僕をこの町から追い出そうとしているんです」
「お前はな、もうナザレには住めなくなったんだ」
「そんなことはありません。僕はここに居てあの偽善者たちの化けの皮をひんむいてやりたいのです」
「そんなことはどうでもよいのだ。それよりお前の母さんのためを思うなら、今直ぐにナザレからこっそり出て行かねばならないんだ。ハイレムのやつが、母さんの恥をさらけだしてしまったんだよ!!」あまりの恐怖に襲われたヨセフはもうイエスの言うことが聞けなくなり、ただ、イエスに夜明け頃この町から出てゆくことを命じるだけであった。イエスは静かに答えていった。
「ではもう今までの兄弟は赤の他人となり、私の母親も他人となることをお望みなんですね」ヨセフは大声で叫んだ。
「ああ、そうだとも。でもそれは、暫くの間だけなんだ。多分時が来たらまた戻ってきてお前を歓迎しようと言ってるんだ。でもこんな恥さらしの噂がかき消えるまでは絶対に帰ってきてはならんぞ!!」
「そこまでおっしゃるなら僕は直ぐナザレから出て行って、他人の中に僕の兄弟や母を見つけることにいたします!!」
イエスは素早く戸口のところにかけよった。そして暫くそこに立ち止っていた。背後からきっと、父の最後の言葉か祝福が与えられるかもしれないと思った。だが何にも与えられなかった。ただ唇をあわせながら母の平安を祈り、誰も居ない部屋を探して横になった。やがてトマスが入ってきて彼のそばに横になったが、二人はひとことも口をきかなかった。
まだ鶏が鳴く前の薄暗い中をイエスが家から出て行くのをトマスだけが眺めていた。彼は細い道を、暁の靄の中に姿を消していった。
第47章 クローパス夫妻イエスを匿(かく)まう
その朝、ナザレの腹黒い連中は、イエスが町から出て行ったことを知った。それから1週間近く、イエスのことで持ちきりだった。特に律法学者、ハレイム、教師らが口をそろえて彼の出生の秘密をばらまいた。
もちろん、手がつけられぬ程ねじまげて語られた。彼らはイエスの弟たちのことを褒めそやした。良い父親を持ち、仕事に精を出す働きぶりは、ナザレの模範であると言いふらした。イエスのことを悪く言うことによって、この兄弟は町の人々の人気をかい、殊にトマスは有頂天になっていた。
マリヤだけが深い悲しみに沈み、ただ黙々と耐え抜いた。ヨセフは、あの律法学者が部屋に入ってきて何を言ったのかは話さなかった。マリヤは二度とものを言わなくなった。彼女は何か悪いことが起こりそうな予感に怯えていた。
目の前に昔の忌まわしい光景が横切った。旅館でキレアスにいじめられたこと、求婚された頃のこと、最初の子供を生んだ直後の不幸な日々のこと、どれもこれもみな彼女の心を八つ裂きにするものばかりで、もうイエスを探し出そうという気力も、外に出て働く意欲もみんな失くしてしまった。
イエスが家を出てから七日目になると、彼女はナザレをぬけ出して、クローパスの家を訪ねた。マリヤ・クローパスの注文の衣服が織りあがったからである。真から善良なマリヤ・クローパスを相手に次から次へと悲しい出来事を話した。彼女は本当に思いやりの深い女であったので、どんな野性の鳥でも彼女にはなついてしまうのだった。
慈愛に満ちた心を持ってマリヤの語ることを聞いた。どんなときでもマリヤ・クローパスは、怯えているマリヤにとって慰めであった。
「イエスは此処に居るのよ、マリヤ! 彼が家出してからずっとよ」母マリヤはびっくりして大声で叫んだ。しかしマリヤは、まるで真昼の太陽で萎んでしまった花のようにうなだれていた。二人は長い間黙ったまま座っていた。マリヤは打ちのめされ、不吉な幻だけが去来していた。マリヤは何をしてよいのか全く分からなくなってしまった。突然彼女は叫び出した。
「私の夫と四人の息子は結束してしまい、私の最初の息子が孤立してしまったのよ! 彼らには決定的な溝ができてしまったわ。だから私は、イエスの運命をとるか、ヨセフの方に行くか、どちらかを選ばなくてはならなくなったの」マリヤ・クローパスが答えた。
「私は堂々とイエスの味方になるわよ! 彼がどんなひどい目にあっても、私の家をいつでも提供するわ。だけど主人が言うのよ。きっと彼の敵は多くの人を扇動して彼を石うちにするってね。だからあと二日間はイエスを家に匿っておくの。明後日、クローパスが仕事でエルサレムに行くから、イエスを連れていってもらうのよ。
そうすればあなたはいつでもイエスに逢えるでしょう? こんな処でひどい目にあわなくてすむわよ」マリヤが急に声を震わせて言った。
「私こわい! イエスの顔をまともに見れないわ。きっと私を責めるんじゃないかしら」
「なにを言っているのよ。あなたは。あの天使ガブリエルの約束をすっかり忘れてしまったの? あの時、あなたは救世主を生むって預言の御言葉をもらったことを覚えていないの? 一人で山の中を歩き、神様と交わった時のことを思いだしてごらんなさいよ!」
「私には、あの夢から悲劇が始まったのよ。でもあのときは、とてもうれしい不思議な体験だったの。ああ! もうイエスと顔を合わせるのが怖いわ、私行かなくちゃ。もしトマスやセツと一緒に祭りにでかけていって、エルサレムで逢えればね、今はやめておくわ」
「イエスはね、全く別な世界に行ってしまうのよ。見ず知らずの人に雇ってもらうんだから。そりゃ寂しいと思うけど。だから今息子の頭に手をおいて祝福し、顔に接吻くらいしてあげてもいいんじゃないの」マリヤは頭で頷いた。マリヤはただ接吻するだけで、急いで我が家へ帰って行った。
第48章 汚れた町の塵を足から払い落とす時
ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ(クローパスの息子)は、ナザレの連中の噂をイエスに伝えた。毎晩イエスの話を聞いて改心した若者たちが全く散ってしまったという情報である。周囲の圧力に屈服して、若い先生イエスを裏切ったということである。しかも律法学者、魚問屋ハレイム、教師、数人のお喋り女によってばらまかれたイエスの中傷によるものであった。
マリヤ・クローパスの息子たちは、彼らの従兄弟を歓迎しイエスに尽した。彼らはイエスを兄弟として迎えたのである。そんな暖かい心尽しを受けても、なおイエスの心を襲った〝ふさいだ(メランコリ)気持ち〟は晴れなかった。
最近のイエスは、しょんぼりとして、すっかり精気を失っていた。マリヤ・クローパスは、きっと不本意な旅をして商人につかわれるのがとてもいやなのだろうと察していた。実のところ、彼は悪魔的な考えがはびこっている物質的世界から逃げ出したかった。イエスはマリヤ・クローパスに語った。
「此の世は真理の御霊(みたま)を受けることはできません。此の世はそれを見たこともなく、それを全く知らないからです。これからは〝はい〟と〝いいえ〟しか言わないことにします。ですからもう二度と天の御父のことは語りません」マリヤ・クローパスは賢明にも常に穏やかにふるまい、へたな慰めの言葉をかけなかった。
彼女はイエスの額に手を当てたり、みつめたり、彼と心が一つになるように努め、彼の悲しみを分けあったのである。彼女は夫に言った。
「思春期に体験する悲しみほど深く、大きいものはないわね。ねえ、あなた、私とても心配なんだけど、やっぱり彼をエレサレムに連れて行かないでちょうだい。商人にもまれ、彼はまた傷つけられてしまうわ。こんなときには本当の母親のようにいたわってあげなくっちゃね」
「彼だってすぐ一人前になり、不屈な人間になれるよ! こんな所で甘やかさず自立させてみたらどうかね。うちの息子たちにもよくないじゃないか」マリヤ・クローパスはこの件については夫に反対できないことを知っていた。
そこで彼女はイエスに夫の意思を伝えた。イエスは何にも云わず、ただ頭をうなだれているだけであった。
突然けたたましい鳥の声のような口笛がきこえてきた。段々と大きくなり、人間の歌声のようになり、家の前でぴたりと止まり戸を叩いた。部屋の中にひそんでいたイエスは、急に外へ飛び出していった。イエスはその口笛や歌声を知っていたからである。なんと、ヘリが家に入ってきて荷物を床の上におろし、イエスの手をとった。
「どうしてここに居ることを知ってたの? 前に別れるとき三年て言ってたのに、あれからまだ二年しかたっていないじゃないか」
「お前がわしを呼んだんだ」
「だって僕の声があんな遠い砂漠に届く筈ないじゃないか」
「毎晩お前はわしのことを呼び続けておったね。わしが火のそばに座ると必ずお前の呼ぶ声がきこえてくるんじゃ。
初めのうちは余り気もしなかったんだが、三度目からはもうのっぴきならぬ祈りの声に変っているではないか。それで遥か彼方から旅を続け、ここにきたのじゃよ。随分疲れたが、お前を見つけ出せて本当によかった」
「今度こそ砂漠に連れていってくれるの?」
「そうともさ、今度こそわしと一緒についてくるがいい。だが、一体全体何事が起ったのかい。先ずそれを聞かせてくれ」
「僕、今は話せないんだ」イエスは溜息をつきながら言った。
「わしが汚れた町の塵を足から払い落す時は恐ろしかった。エホバの神への道が見えなかったからじゃ。わしが砂漠に行って、浮浪者の仲間と生活するときは楽しかった。エホバの神への道が煌々(こうこう)と見えていたからじゃ」
第49章 灼熱地獄の旅(アラビアの砂漠)
ヘリのすすめで、イエスは小さな財布に数枚の銀貨を用意した。旅をするにあたって、一本の杖と、着古した上着一枚と二日分の食糧をもって出発した。
さて二人の旅人がシリアの町を通り過ぎた頃、ヘリの知恵が段々とイエスに解るようになってきた。まずは、何と言ってもイエスの足から血がふき出してきて夕方には精根尽きて卒倒してしまったのである。
ヘリは砂漠に入る入り口付近の旅籠で彼をねかせ、彼が元気になるのを待った。翌朝、イエスは元気をとりもどしたが、足の方はすっかりむくんでいた。それでヘリは一枚の銀貨をとり出して驢馬を買い求め、イエスを驢馬に乗せた。
ヘリはまた袋の中に棗椰子(なつめやし)の実や蝗(いなご)を詰め、飲み水を瓶に入れ、バターミルクの入った容器を驢馬の鞍にくくりつけた。これだけの用意ができたので、いよいよ〝砂漠の犬〟とか〝廃墟〟という名で知られている『流浪(さすらい)の部族』を探しに二人は出発した。
流浪の部族は、ヘリが言っているように、一ヶ所で長い間とどまるようなことはなかった。草の多い牧草地を見つけては野生動物を捕獲し、その肉を食べていた。季節はとても良いときで、日中は暖かく、夜は寒かった。イエスは、陽が沈むと上着を着こんでうれしがっていた。彼はまた驢馬の背中に敷かれた毛織物が気に入った。
たら腹夕食をとると昼間の疲れが出てきてその場で寝込んでしまった。しかし砂が冷えてくると、一時間もたたないうちに寒さで震え上がってしまい、目があいてしまうのであった。イエスはもう我慢ができなくなって、彼と一緒にくっついて寝ているヘリをゆさぶりおこした。ヘリは目をさまして言った。
「砂を掘って寝ないと、お前へは病気になっちまうな。ここは温暖なガリラヤとはちがうからすぐまいっちまうぜ」ヘリとイエスは五〇センチほどの穴を掘り、二人はその中でぐっすり寝た。ヘリは優しい母親のように彼を労わった。彼の休むところには毛織物を敷いてやったり、バターミルクを飲ませたりするのであった。
このようにして砂漠での第一夜は何事もなく過ぎ去った。ヘリは彼から片時も目を離さず、注意深く体の健康に気を配っていた。彼は次第に朝夕にやってくる烈しい温度差にも耐えられるようになってきた。
砂漠は一見、町に住む人々にとっては全く無情な所のように思われている。食物も飲み物もなく、見た目には荒涼たる砂の荒野で、キラキラと砂が光り、砂の山があり、あるいは塔もあり、砂の欄干が続き、所々に岩の断崖があり、神の創造以来全く変化がなかったようにそそり立っていて、気の弱い旅人には本当にすさまずい光景として迫ってくるのである。
しかし此処に慣れ親しんでくると反対に理性の働きを高め、人間の心を造り主(神)に一層近づける役割を果たしてくれるのであるから不思議なものである。ひとときの間、神はイエスに以前よりも一層近くにおられ、全くひとつになり、偉大にして永遠なる平和の内に一体となっておられた。
この偉大なる神との合一こそイエスに絶大な霊力を与え、後になって目覚ましい奇蹟を行い、絶えがたい苦しみに耐え、珠玉のような数々の言葉となっていくのである。イエスの示した喜びや苦しみの鋭い感覚は、奇しくも荒野ですごした第一週に養われていたのである。
しかしながら砂漠は果てしなく広がっていて、一向に目指す部族の手がかりは掴めなかった。遂に驢馬がへばってしまった。この驢馬は野性でない故に、あまり丈夫ではなかった。
ある暑い日に、驢馬はとうとう地上に倒れてしまった。もうこれ以上生きられないことを察知したヘリは、ナイフをとり出し、驢馬の心臓を刺して楽にしてやった。そのときのヘリはいつもと違って喋りまくった。
「わしには何にも恐ろしいものはないんだ。わしは、水もなく、生き物がいない荒涼たる荒野や砂漠にいても平ちゃらなんだ。けれどもわしはお前がこわくなってきたのじゃ。イエスよ、お前は今でも穏やかな性格を保ち、雨水をいっぱい吸い込んだガリラヤの牧草地のような豊かさを失っていない。何と不思議なことじゃろう」イエスは答えて言った。
「僕は天の御父に祈っているから、耐える力を与えて来下さるんだよ、ヘリ」
二人はなおも先に進んで行った。今までのように休息をとることができなくなっていた。歩いているところがまるで地獄のようであった。焼け付く砂の上は、灼熱地獄であった。それでも先へ先へと喘ぐようにつき進んで行った。
遂にイスは砂上に倒れ、苦しい息づかいとなり、ヘリに水を飲ませて欲しいと言った。善良なヘリは、明日のことは考えなかった。今この水を彼に与えなければ、イエスの生命は危ないと思った。しかし、もし流浪の部族に出逢えなかったら・・・イエスは完全に死んでしまうであろう。
第50章 地獄で仏に出逢う
イエスの体がかすかに動いた。ヘリは急いで彼のもとに走り寄った。唇はどす黒く、目は窪み、頬はこけていた。低い弱々しい声がした。
「僕にかまわず急いで先へ進んでください。僕はもう無用の重荷ですから・・・」
「とんでもない。わしはお前を見捨てやしないぞ。お前の額には、高貴な運命が印されているんだ。灼熱の毒蛇もお前の生命をTみ込むことはできないだろうよ。お前の体をまるめてボール球にし、苦しみ悶えているお前の魂と一緒に地獄に投げ込んでしまえ!!」ヘリは立ち上がって、怒りで全身を震わせ、彼の太い脚と拳をふり上げて、東から登ってきた太陽に向かって戦い挑むのであった。
「生ける神の御加護により、おれはこの子をお前からもぎとってやる! おれの頭上の冠にかけて誓ってやる! お前の禿頭(はげあたま)をひっつかんで無情の苦しみを投げ飛ばし、炎の舌をやっつけるんだ!!」へりは何やら沢山の呪文を次から次へと口走った。
言いたいことを言ってしまうと、彼の怒りは静まり、気分も爽快となった。でもイエスの方は身動き一つしないで呻きながら言った。
「空が僕を押しつぶしてしまう。ヘリ、ヘリ、まわりが真っ暗だよ!」
ヘリは彼の弱々しい訴えにはひとことも答えず、遠くに生えている草むらの方へ歩いて行った。彼はやわらかな砂山の傾斜面にさしかかって、身ぶるいするほど驚いた。よく見ると小さい足跡が残っているではないか。
風に吹き飛ばされる砂は、足跡をけしてしまうのであるが、目の前に何と人間と駱駝の通った足跡がはっきりと残っているではないか。ヘリは無我夢中でその足跡を辿って進んで行った。真昼近くになって、彼は平地から盛り上がっている砂利の先端が見えるところに辿りついた。そのあたりから、ちらほらと草が生い茂り、土の表面が隠れていた。
焼けつくような陽光を浴びながら一時間も歩かないうちに彼の声はかすれ、遂に荒野で倒れてしまった。彼はじっとしているわけにはいかなかった。イエスの命が彼にかかっていたからである。彼の命を救うためにはどうしても砂漠の奥地に住んでいる『流浪の部族』を探し出さねばならなかった。
風が一瞬やんだかと思うと、突然ある音がきこえてきた。人間ではない何ものかが駆けずり回っていた。ヘリは草むらの中に身をひそめ、耳を大地に押し付けながら様子をうかがっていた。突然、叫び声が静けさを破った。
それは、ガゼルの一群が草むらからとび出して傾斜面を駆け下りて行き、東へ西へと散って行った。(ガゼルは、レイヨウ(かもしか)の一種で、アフリカ、西アジアに産する小型で足の速い動物-訳者註)
ガゼルの一群が通り過ぎてから、ヘリは地面の上に大の字になった。そのとき空中に槍がとんで行く音が聞こえ、動物の体が石の上にどさっと倒れる音がした。ハンター(狩人)の叫び声がして獲物の方へとんでいった。
間もなく数人の男たちが、笑ったり話し合いながらヘリのそばまでやってきた。彼らは獲物以外には目もくれなかった。近くまでやってきたときにヘリを見て、用心深く見守っていたが、彼らは盗賊ではなく、ヘリが血まなこになって探していた友人『流浪の部族』の仲間であった。
跳びあがらんばかりにうれしかった。彼らもヘリであることがわかり、有頂天になってヘリを肩に載せ、ヘリの指示に従って死にかけていたイエスの所に運んでもらった。
「早く行って下さい。イエスはもう死んでいるかもしれないが」と、ヘリは叫んだ。野生の男たちは答えた。
「わかった、わかった、おれたちは全力で走っているんだよ!」彼らは野性のガゼルのように突っ走った。彼らには灼熱の太陽などはへいちゃらだった。疾風のようにイエスの所へ来て見ると、イエスは気絶していたがまだ息をしており、彼の霊は肉体を離れていなかった。
彼らは自分たちの息子でもあるかのように優しくイエスを担いで彼らのテントまで運びこみ、女たちに介抱させた。
まる二日間苦しんだ後、安らかな眠りに入っていった。彼は遂に安らかに目を開き、薄明かりに光る砂漠のマントを見たのである。
さて、『流浪の部族』はアラビアからやってくる盗賊の群れを恐れていた。最近では、随分物持ちになっているそうである。砂漠の狼たちは、仔牛、山羊などを全部かっさらっていき、驢馬や家財道具まで持ち去っていくからであった。
だからヘリが血まなこになって彷徨っている時期には、わざと泥棒でさえよりつかない水無し地帯を選んで生活していたのである。盗賊もそんなところでは渇きのために忽ち死んでしまうことをよく知っていた。
ところがこの部族は、砂漠の民として古くから暮らしているので、神から教わった特別の知恵により、驚くべきことに、砂の中に隠されている宝物(水)を見つけることができるのであった。水は荒野に隠された宝物と呼ばれていた。
しかもこの人々だけが水無しの土地で水を探し当てることができた。〝水無しの土地〟とは、アラビアの中心にあって盗賊や旅人、さらに野獣からも恐れられている名称であった。この部族だけが砂漠の知恵を持っており、そこに住むことができたのである。
部族の長(かしら)である〝ハブノー〟が言った。
「ヘリ! 本当によく来てれたな! 天使がお前と一緒に歩いてくれたんだよ。この夏の真昼間に、この水無しの土地へ案内できるのは、天使だけだからね」