第10章 おしまいに
シルバーバーチによる交霊会は正式の名称をハンネン・スワッハー・ホームサークルと言いましたが、その第一回が何年何月何日に開かれたのかは明らかではありません。公表されていないし、もしかしたら記録すらないかもしれません。

というのは霊媒のバーバネル氏は、その会があくまでも私的な集まりだからという理由で、初めの頃は霊言そのものの公表すら避けていたのです。

バーバネルと言う人は自分を表にだすことを徹底的に嫌った人で、その態度は七十九歳で他界するまで変わりませんでした。

ところが真の意味での親友だったハンネン・スワッハーは当時英国新聞界の法王とまで言われた程の大物で、バーバネルとは対照的に、英国の著名人でスワッハーの名を知らない人はまずいないと言ってよいほどでした。

スワッハーはその知名度を利用して各界の名士を交霊会に招待し、又招待された方は相手がスワッハーとなると断るわけにもいかず、必ず出席しました。

中には「よしおれがバーバネルの皮をはがしてやる」とか、「シルバーバーチと言うインディアンを俺が徹底的に論破してやる」と言った意気込みで乗り込んでくる連中もいたようですが、バーバネルが入神してシルバーバーチが語り始めると、その威厳ある雰囲気に圧倒されて、来る時の意気込みもどこへやら、すっかり感動して帰って行ったそうです。

こうしたバーバネルとスワッハーと言う対照的な性格のコンビは実にうまい取り合わせで、それにシルバーバーチが加わった三人組は多分、いや間違いなく、二人の出生以前から組まれた計画だったと想像されます。

バーバネルなくしてはシルバーバーチもあり得ず、スワッハーなくしては霊言集の出版も無かった筈です。

始め公表に消極的だったバーバネルをスワッハーが説き伏せて、霊言が「サイキック・ニューズ」紙に連載されるようになってほぼ半世紀が過ぎました。

そして私がその心霊紙で、霊視家によるシルバーバーチの肖像画と共に初めて霊言に接して、一種異様な感動を覚えながら貪り読んで以来、三十年近い歳月が流れました。

そして1981年7月にバーバネル氏が急逝した時、私はついにこれでシルバーバーチの霊言にもピリオドが打たれたかと思い、その心の拠り所としてきただけに残念無念さも一入(ヒトシオ)でした。

又何か一つの大きな時代が終わって自分一人が残されたような、言葉では形容しようのない寂しさをしみじみと味わったものでした。

が、その霊訓は霊言として残されている。それを日本の有志の方々・・・シルバーバーチの言う“それを理解出来るところまで来ている人々”に紹介することが私の使命であるかもしれない。という自覚が私の魂を鼓舞し続け、それが本稿となって実現しました。

シルバーバーチの霊言集は延べにして二千ページ程度になります。それだけのものをこの程度のものにまとめてしまうのは、あるいは暴挙と言えるかもしれません。

しかしシルバーバーチは単純で基本的な真理・・・いやしくも思考力を備えた者であれば老若男女の全てが理解出来る真理を繰り返し繰り返し説いたのであって、決して二千ページも要するほど難解な哲学を説いたのではありません。

私はこれまで紹介したものだけで十分シルバーバーチの言わんとしていることは尽くしていると確信します。

願わくば読者諸氏が、シルバーバーチが繰り返し繰り返し説いたごとく、それを繰り返し繰り返し味読されることを希望します。恩師の間部先生が良く、霊界の前売り券を買っておきなさい、と言われたのを思い出します。

宗教とか信仰はどうかすると地上生活を忌避する方向に進みがちですが、スピリチュアリズムだけはむしろ、死後の存在を現実のものとして確信することによって、地上生活を人間らしく生きよう。地上生活ならではの体験を存分に積んでおこう・・・楽しみもそして苦しみも・・・

・・・という積極的な生活態度を生んでくれます。それは“前売り券”を手にしているという安心感と自身が生んでくれる。間部氏はそう言う意味で言われたのではないかと思うのです。

そしてそれが図らずしも、シルバーバーチの訓えの中枢でもあります。

では最後にシルバーバーチの締めくくりの霊言と神への祈りを紹介して本稿を閉じることにします。

「私はこうした形で私に出来る仕事の限界を、元より十分承知しておりますが、同時に自分の力の強さと豊富さに自信を持っております。自分が偉いと思っていると言うのではありません。

私自身は何時も謙虚な気持ちです。本当の意味で謙虚なのです。というのは、私自身はただの道具に過ぎない・・・私をこの地上に派遣した神界のスピリット、すべてのエネルギーとインスピレーションを授けてくれる高級霊の道具に過ぎないからです。

が、私がその援助の全てをえて存分に仕事をさせてもらえる。その意味で私は自信に満ちていると言っているのです。

私一人では全く取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると、自信を持って語ることが出来ます。霊団が指示することを安心して語っていればよいのです。

威力と威厳に満ちた集団なのです。進化の道程を遥かに高く昇った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当たっている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです。

私は出しゃばったことは許されません。ここまではしゃべって良いが、そこから先はしゃべってはいけない、と言ったことや、それは今は言ってはいけないとか、今こそ語れ、といった指示を受けます。

私達の仕事にはきちんとしたパターンがあり、そのパターンを崩してはいけないことになっているのです。いけないと言う意味は、そのパターンで行うと言う約束が出来ていると言うことです。

私より優れた叡智を備えたスピリットによって定められた一定の枠があり、それを勝手に超えてはならないのです。

そのスピリット達が地上経綸の全責任を預かっているからです。そのスピリット集団をあなた方がどう呼ぼうと構いません。兎に角地上経綸の仕事において最終的な責任を負っている神庁の存在なのです。

私は時折開かれる会議でその神庁の方々とお会い出来ることを無上の光栄に思っております。その会議で私がこれまでの成果を報告します。するとその方達から、ここまではうまく行っているが、この点がいけない。だから次はこうしなさい、と言った指示を受けるのです。

実はその神庁の上には別の神庁が存在し、更にその上にも別の神庁が存在し、それらが連綿として無限の奥までつながっているのです。

神界と言うのはあなた方人間が想像するより遥かに広くて深く組織された世界です。が地上経綸の仕事を実施するとなると、こうした小さな組織が必要となるのです。

私自身はまだまだ未熟で、決して地上の一般的凡人から遠く離れた存在ではありません。

私はあなた方の悩みが良く分かります。私はこの仕事を通じて地上生活を長く味わって参りました。あなた方(列席者)お一人お一人と深くつながった生活を送り、抱えておられる悩みや苦しみに深くかかわって参りました。

が、振り返ってみれば、何一つ克服できなかったものがないことも分かります。私はひたすら人類の向上の手助けをしてあげたいと願っています。

私達も含めて、これまでの人類が犯してきた過ちを二度と繰り返さない為に、正しい霊的真理をお教えするためにやって来たのです。そこから新しい叡智を学び取り、内部に秘めた神性を開発するための一助としてほしい。

そうすれば地上生活がより自由でより豊かになり、同時に私達の世界も、地上界から送られてくる無知で何の備えも出来ていない厄介な未熟霊に悩まされることも無くなる。そう思って努力して参りました。

私は何時も言うのです。私達の仕事に協力してくれる人は理性と判断と自由意思とを放棄しないで頂きたいと。私達の仕事は協調を主眼としているのです。決して独裁者的な態度を取りたくありません。ロボットのように扱いたくはないのです。

死の淵を隔てていても、友愛の精神で結ばれたいのです。その友愛精神のもとに霊的知識の普及に協力し合い、何も知らずに迷い続ける人々の肉体と心と霊に自由をもたらしてあげたいと願っているのです。
語りかける霊がいかに高級霊であっても、いかに偉大であっても、その語る内容に反発を感じ理性が納得しない時は、構わず拒絶さなるが宜しい。人間には自由意思が与えられており、自分の責任において自由な選択が許されています。

私達があなた方に代って生きてあげるわけには参りません。援助は致しましょう。指導もしてあげましょう。心の支えにもなってあげましょう。が、あなた方が為すべきことは私達が肩代わりしてあげるわけにはいかないのです。

スピリットの中には自らの意思で地上救済の仕事を買って出る者がいます。又そうした仕事に携われる段階まで霊格が発達した者が神庁から申しつけられることもあります。私がその一人でした。私は自ら買って出た口ではないのです。

が、依頼された時は快く引き受けました。引き受けた当初、地上の状態はまさにお先真っ暗という感じでした。困難が山積しておりました。がそれも今では大部分が取り除かれました。まだまだ困難は残っておりますが、取り除かれたものに比べれば物の数ではありません。

私達の願いはあなた方に生き甲斐のある人生を送ってもらいたい・・・持てる知能と技能と天賦の才とを存分に発揮させてあげたい。そうすることが地上に生を享けた真の目的を成就することにつながり、死と共に始まる次の段階の生活に備えることにもなる。そう願っているのです。

こちらでは霊性が全てを決します。霊的自我こそ全てを律する実在なのです。そこでは仮面も見せかけも逃げ口上もごまかしも聞きません。全てが知れてしまうのです。

私に対する感謝は無用です。感謝は神にささげるべきものです。私どもはその神の僕に過ぎなません。

神の仕事を推進しているだけです。喜びと楽しみを持ってこの仕事に携わって参りました。もしも私が語ったことがあなた方の何かの力になったとすれば、それは私が神の摂理を語っているからに他なりません。

あなた方は、ついぞ、私の姿をご覧になりませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか私をご存じないわけです。が信じて下さい。私も物事を感じ、知り、そして愛することのできる能力を備えた実在の人間です。

こちらの世界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは地上と言う惑星を離れるまでは理解できないことかも知れません。

では最後に皆さんと共に、こうして死の淵を隔てた二つの世界の者が、幾多の障害を乗り越えて、霊と霊、心と心で一体に結ばれる機会を得たことに対し、神に感謝の祈りを捧げましょう。

神よ、忝(カタジケ)なくもあなたは私達の御力の証を授け給い、私達が睦み合い求めあって魂に宿れる御力を発揮することを得さし給いました。あなたを求めて数知れぬ御子らが無数の曲がりくねった道をさ迷っております。

幸いにも御心を知り得た私達は、切望する御子等にそれを知らしめんと努力いたしております。願わくはその志を佳しとされ、限りなき御手の存在を知らしめ給い、温かき御胸こそ魂の憩いの場となる事を知らしめ賜わんことを。

では神の御恵みの多からんことを。    シルバーバーチ