虎御石ルート・・・4
足柄峠西坂地図 

山中の掘割地形から尾根を巻いて藪の中を下って行くと、やがて見えてきたのは戦ヶ入林道でした。現在の虎御石ルートの道が戦ヶ入林道に出たところよりも約300メートルほど地蔵堂川を下流方面に進んだ辺りでしょうか。ここは戦ヶ入林道が支流の沢を渡るために大きく山側へ巻き込んでいる途中です。ここまで下りれば古道は林道に沿うように地蔵堂川を下流へと進んだと思うのが一般的な見方ではないかと思います。

何気なく林道の沢側に目をやると、またしてもそこには大きな掘割の窪地が続いているのです。右の写真がその窪地です。その先迷うことなく疲れも忘れて、林道ではないこの窪地を下りて行きました。藪さえなければ歩きやすい窪地ではないかと思われます。窪地は右側方向へカーブして行き、そして支流の沢を渡れば再び林道へ合流します。この付近の地形を観察すると、窪地がカーブする左手尾根の裏側(地蔵堂川側)にも別の道跡と思われる窪地が見られるのでした。

再び戦ヶ入林道に合流してからは歩けるところはこの道しかありません。虎御石ルートの続きはこのまま川沿いを下り、麓の竹之下へと向かっていたと素直に考えたいのですが、実はホームページ作成が集めた資料の一つに、虎御石ルートが地蔵堂川を渡り、伊勢宇橋から竹之下一里塚を結ぶ道へ上る場所があるという情報を得ていたのでした。そんな場所が本当にあるのだろうかと注意深く地蔵堂川の対岸を眺めながら下流方向へと歩いて行きました。

この付近の戦ヶ入林道は川の右岸が比較的に広く、人家か畑の跡ではないかと思われるような平場や石積が見られます。右の写真の林を抜けると「地蔵堂川林道に沿って」のページで触れた「クラモンザ湧水花園」のところに出ます。

ところで地元の人々に足柄古道のことを尋ねると、ほとんどの人は地蔵堂川に沿った道(戦ヶ入林道)が足柄峠への古道であると教えてくれます。そして峠から北西に延びる尾根上の道が足柄古道だという人は一人もいませんでした。

左の写真は「クラモンザ湧水花園」を右手に見た戦ヶ入林道です。左手の地蔵堂川へ下りて行くような斜面がここには見られます。もしかしたらここが地蔵堂川を渡って、伊勢宇橋から竹之下一里塚への道へ上がることができるところなのかも知れないと思い、川岸まで下りてみました。この場所の地蔵堂川は川幅が狭く、また岩が多く露出しています。足下を注意しながら岩伝で対岸へ渡ることができました。そして対岸には臨時用と思われる丸太の橋が置かれているのです。
やはりここは川を渡っていた場所であると考えられそうです。

虎御石ルートが地蔵堂川を渡り竹之下一里塚前を通る道へ上がるという道筋の存在を知ったのは『忘れられていく古代東海道足柄路甲斐路抄調査書』編者・斎藤泰造、という地元の図書館の本でした。その本によると川を渡るところは「チョウチンガクシ」と言うらしいのですが、私は地元の方にそれを尋ねると、そういう名前のところは聞いたことがないと答えられました。この地蔵堂川を渡るところは、果たして「チョウチンガクシ」で間違いないのか、地元の方でもわからないというのでは確証はもてません。

渡ったこの場所は現在の虎御石ルートが林道へ下りたところから更に下流へ500メートルほど下っています。
ここで躊躇していても先に進まないので、そこの対岸に道か道跡があるのか調べてみることにしました。この対岸に渡ったところは藪がひどくて尾根に上っていくようなところは見られません。ホームページ作者は比較的に歩きやすそうな藪の中へ強引に入って行きました。山歩きに不慣れな方は真似はしないでください。

藪の中へ入ってしばらくすると細いながらも道跡らしき窪地が見られました。そしてその窪地を少し上るとそこから先は立派な道跡が現れました。更には道跡の隣りの山側に、上の写真のような大きな窪地も見られます。

地元の人でも知らない道跡と大きな窪地は地元の人も久しく利用していなかった道のようです。この道を知っているのはごく限られた人だけなのかも知れません。右の写真は大きな窪地の脇にある細い道です。

戦ヶ入林道では、古滝付近から下流の地蔵堂川岸に古代東海道のような幹線路を造るのは地形的に難しいのではないでしょうか。古代道が造られた時代と現在では地形が変わっているとも考えられますが、あえて渓谷地帯を通過するよりも、尾根に上がった方が主要幹線路としては自然なルートですし道のメンテナンスもし易いはずです。ホームページ作者は虎御石ルートが地蔵堂川を途中で渡っているという『忘れられていく古代東海道足柄路甲斐路抄調査書』の資料内容を確かめてみたかったのでした。

『忘れられていく古代東海道足柄路甲斐路抄調査書』、この資料の作者は虎御石ルートに足柄路を推定しています。私も足柄峠西坂の幾つかの古道候補がある中で、虎御石ルートには大きな道跡地形が断続的に残っていることなどから、その可能性が大いに感じられたところでした。しかし虎御石ルートが古代・中世の官道であるとは現時点ではまだ言い切れるほどの資料がそろってはいないようです。

右の写真は伊勢宇橋から竹之下一里塚へ向かう現在の舗装道路です。写真のところで地蔵堂川を渡った細道がこの舗装道路に合流していました。この舗装道路は、かっては松並木であったといいます。竹之下の一里塚まで直進性のある道で道幅も広いです。尾根上のこの道路両脇には土塁痕跡も見られます。

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