足柄峠付近・・・・その1
足柄峠西坂地図 

足柄明神跡
右の写真は現在の足柄峠東側、足柄城跡東曲輪(明神山)の南側にある足柄明神の石祠です。足柄明神は矢倉岳の矢倉明神から狩野岩村の矢倉明神へと遷座していたようです。古代官道が越えた足柄坂(神の御坂)の神は足柄明神であったとし、足柄の古道は足柄明神のそばを通っていたと考えられます。現在ある石祠は明治期の新しいものですが、この場所が神社の旧地と伝えられているのす。

峠の宝篋印塔
左の写真は足柄峠関所跡の前にある室町時代の宝篋印塔と首なしの石仏です。この宝篋印塔が立つ場所は首供養塚と呼ぶそうです。関所破りをした人たちを処刑して、さらし首にしたところであるといいます。足柄の関は、昌泰2年(899)に設けられたことが太政官符に記されていますが、実際に峠のこの場所が関所跡であったかは定かではないようです。一般には関所は峠を下ったところに設けられるものなのです。

足柄山聖天堂
足柄関所跡の道の向かい側には右の写真の聖天堂があります。大聖歓喜双身天を祀るお堂で、伝説によると、小田原の早川に現れ、土地の人が祀っていたものを、後に弘法大師が自筆の「足柄山」という額と共にこの地に祀ったといいます。福運厄除、縁結のご利益があるそうで、日本三体聖天尊(浅草聖天尊・生駒聖天尊・足柄聖天尊)として知られているそうです。

右の写真は足柄峠近くの東側の道路を撮影したものです。表面奥の道路右手の林中に足柄関所跡や宝篋印塔があり、撮影場所は聖天堂の前からです。聖天堂の入口には熊にまたがる金太郎の石像がありました。聖天堂の隣には茶屋がありますが、江戸時代から代々峠の一軒家があって小田原藩から峠の警備などを任じられていた家であるといいます。

山の神石祠
左の写真は山の神曲輪にある山の神石祠です。この石祠には年銘は見られないようですが、祠の石は比較的に古いものであるといいます。かっての官道が峠越えをしたこの最高地点に、旅人の道中安全と富士の裾野の人々の生活の安泰を祈願し祀ったものであるといいます。

下の写真は現在の足柄峠の景観です。写真の峠の切通に架かる木橋の左側が足柄城跡の本丸で、右側は山の神曲輪になります。

足柄峠の現状

左の写真は上の写真の3年前の同じ場所です。木橋は現在と同じようにありますが、切通の石垣はまだ造られていなく、切通壁では発掘調査が行われていました。この場所は現在の足柄峠の最高地点ですが、古代の東海道や中世の鎌倉往還はこの場所を通っていたのでしょうか。ホームページ作者は古代・中世の峠は、この付近と考えて古道探索を進めていきたいと思います。

新羅三郎義光の吹笙石(笛吹石)
源義光は近江の新羅明神の宝前で元服し「新羅三郎」と呼ばれていました。右の写真は足柄峠最高地点の南側にある吹笙石(笛吹石)と呼ばれるものです。『古今著聞集』『時秋物語』には、新羅三郎義光と豊原時秋の笙の秘曲伝授の物語がでています。義光は奥州(後三年の役)で戦っている兄の義家の救援に向かう途中でした。義光を慕い後を追ってきた時秋に義光は、時秋の父である豊原時元より授かった笙の奥義を伝授して時秋を京に引き帰えさせたといいます。この吹笙石は秘曲伝授を行ったところだと伝えています。

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