![]() |
虎御石ルート・・・2
|
![]() |
![]() |
左の写真は平成17年4月に虎御石ルートを歩いたときのものです。前のページの最後の写真にあった歩行路脇の藪状の窪地ですが、この時は藪が刈られていて、窪地の全容がわかるようになっていました。何時、何のために藪が刈られたのかはわかりませんが窪地を意識して藪が刈られているようにも思えました。もし仮にこの窪地が古道跡であるとすれば写真の付近では幅6〜8メートルの道が想定でき、足柄峠の西側の山岳地帯では最大の道跡になりそうです。またこの付近は真っ黒な火山灰が地表を覆っているようです。 |
この付近の尾根は傾斜が急で窪地が谷であったとすればもっと深く浸食されるはずです。中途半端な窪地は人工的なものを感じてしまいます。 歩行路脇の窪地は下に下るにしたがって深くなり幅は狭くなっていくようです。この窪地は途中から現在の歩行路脇を離れ、虎御前石のある尾根の南側を廻っていることがわかりました。更にその先を追跡すると虎御前石の直下の大きな掘割地形へ繋がっていることも確認できました。古道の可能性がある歩行路脇の窪地は、ここだけに見られるものではなく、連続して続く道跡として想定できそうなのです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
左の写真は虎御石ルートの現在の歩行路があるところを撮影したものです。この写真の辺りでも古そうな道跡を思わせる地形が見られます。この写真のところは虎御前石がある虎古志山の少し上部で、写真の先には左に分岐して、虎御前石へは向かわず迂回する別の道跡が接続しています。虎御前石の付近は幾つかの道跡が入り乱れているようです。 |
虎御前石(とらごぜんいし) 虎御前石は足柄七石の一つだといいます。この虎御前石のあるところが虎古志山(虎御前山)であるようです。ここに立つ説明版をそのまま引用させて頂きます。 「建久4年(1193)5月、源頼朝が富士の裾野に巻狩りの折、曽我兄弟は父の仇の工藤祐経を討ちとり本懐を遂げた。この時、兄十郎祐成を慕う大磯の長者の娘虎女(後に虎御前)はひそかに相模国を発ち、足柄峠を越えて富士の見える古道の傍らの石に座し、兄弟の悲願達成と安否を気づかい夜を明かしたという。後に里人たちは虎女の愛情を称え、この石を虎御前石と命名した。」 |
![]() |
![]() |
![]() |
歌舞伎などでも有名な『曽我物語』は上記の説明版のとおり曽我兄弟の仇討ち物語です。その虎御前が座した石がこの石だということですが、石には不思議な溝が見られます。この溝は人工的に刻まれたもののようにも見られます。虎御前という人物と石の溝の意味するものは何か。残念ながら資料がなくわかりませんでした。ホームページの作者はこの石から飛鳥の酒船石を思いおこすものがありました。飛鳥の酒船石は近年、石のある丘の麓から亀の形の石が発見されていて、石に刻まれた幾何学的な溝の解明が進んでいます。飛鳥の酒船石は水の流れに関連があるようですが、この虎御前石は如何なるものでしょうか? いずれにしても何か隠された秘密があるように思える石なのです。 |
右の写真は虎御前石の上部から分岐した道跡です。この道跡は虎御前石の前を通らずに下る枝道のようでもあります。写真の道の右手には尾根の舗装道路から下ってくる途中で見た、大きな窪地の続きがここへ出ているようです。先に見つけたその大きな窪地は虎御前石のある尾根(虎古志山)の南側を巻きながら虎御前石直下の大掘割のところへ接続していたと思われるのです。 | ![]() |
![]() |
![]() |
左の写真は虎御前石から尾根の急坂を下る道です。ご覧のように木の根が大量に露出しています。木の根は地中に伸びるものですから、この尾根の急坂は以前には土が今より豊富にあったものと思われます。風雨の浸食により少しずつ表土が流されたのか、あるいは自然災害などにより土が崩れた結果なのか、いずれにしてもこの急坂自体は道にはふさわしくないところのように思われます。 |
上の写真の木の根が露出した急坂を下りると、そこには右の写真の大きな掘割が横切っていました。ここは不思議な場所です。こんな山中に大きな掘割があるということは、当然ながら道跡の可能性が考えられます。しかも下る途中で歩行路脇に見た窪地の続きがここへ接続しているようなのです。この掘割は足柄峠の西坂で唯一の古代官道や中世鎌倉往還を予感させるものです。下の写真は別角度から撮影した掘割です。 | ![]() |
![]() |
虎御前石の直下にある大きな掘割
|
この大きな掘割がある場所は、周辺の複雑な地形に影響されているためか、下ったところで道が90度方向を変えています。更に足柄七石の虎御前石がすぐ上にあることなどから、何か特別な意味があった場所とも考えられそうです。 この周辺には人工的地形らしきものも多く見られ、掘割の山側壁と反対側の壁は土塁のようにも見えます。また鉤の手状になっている道は、道と関連する何かの施設の存在を予感させるものでもあります。更には城郭遺構と考えてみるのも面白そうです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
足柄峠の古道探索 足柄峠西坂地図 |
![]() |