南アルプス金鉱探査センター 石川潤一

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19○○年
 ○月○日
  洪水で新しい露頭がでている。幅4cmの石英−硫化物脈だ。
  しかし石英は、水晶のかたちがはっきりしているし、黄鉄鉱も
  閃亜鉛鉱も結晶が大きいので、金銀はあまりなさそう。
  上下や水平方向のゾーニングは、わりと一般的なタイプと思わ
  れた。
  上部は削剥されているのがちょっと残念。
  転石には縞状で興味深いものもあるので、北東方をもっと調べ
  る必要がある。

19○○年
 ○月○日
  東北地方某県の鉱山師と会う。車道の終点から20分歩いた
  露頭に行く。
  事前に見せてもらったサンプルと違う。
  サンプルは金鉱脈としては特殊だし、どうせ別の某所のものだ
  ろうと検討をつけていたので、たいして驚きもしない。
  いまさら、人をなめんじゃないよ、という気にもならない。
  知らぬ 顔を決め込む。
  遠回しに、サンプルはどうも某所のものに似ていると述べると、
  相手は大いに狼狽している。
  しかし、周辺の鉱徴についていろいろ教えてもらい、
  ごちそうにも なったし有益であった。

19○○年
 ○月○日
  こんどの某県の鉱山師は、手がこんでいる。ズリ山の上に、
  鉱石片が散らばっている。
  伊豆あたりのものじゃないかと思ったが、
  「人を見れば泥棒と思え。」 というのも良くないので、
  露頭まで案内してもらう。 しかしこれはちょっとやりすぎだよ。
  岩盤に鉱石をセメントで貼りつけて、「ここに鉱脈がある」と
  言われても、こまる。
  どうして判るかは、あえて書かないけれど、見る人が見ればわか
  るのですよ。
  箱庭づくりとしては、芸術的なレヴェルに達している。
  舌をまいた。
  山師がみんなこんなことばかりやっていると思われるのは、
  いやだなあ。

19○○年
 ○月○日
  爆竹を鳴らしたのに、200mぐらい歩いただけでクマにあった。
  最初は子グマが、木にのぼるのがみえた。
  その直後、親グマが現れて、こっちに向かってきた。
  私は腰を抜かしたが、一緒にいる人が勇敢だったので、
  助かった。大ケガするかと思った。
  大きな沢の近くで、水の音がうるさいので、クマも人間に
  気づかなかったのだろう。


19○○年
 ○月○日
  大倉尾根から、赤石岳に向かう。
  大成建設の創業者・大倉喜八郎氏が、大正年間に
  「死ぬ前に いちどでよいから赤石岳の頂に行きたい」と言い、
  百人余の若者を集めて、駕籠に乗ってのぼったと言われて
  いる。 風呂桶も担ぎ上げさせたという。
  私も、金山を開山してそういう身分になりたいものだ。
  50年後に「石川尾根」という地名が地図にのっているかも^^;

19○○年
 ○月○日
  いま、某中規模鉱山の、鉱脈発見の端緒となった露頭にいる。
  私の父が生まれたころに、山師が鉱脈を発見した。
  少し離れた所から立入れで掘り始めたから、鉱脈をほとんど
  掘り尽くして鉱山が閉山したあとの現在でも、この露頭は寂しく
  残っている。
  この鉱山では、様々な喜怒哀楽があった。
  落盤や発破の爆風などで何十人もの尊い生命が失われた。
  それなのに何故、私たちは別の場所で新しい鉱脈を探しているの
  だろうか。

19○○年
 ○月○日
  笊ケ岳東方の探査。古い道は消えている。
  日本第二の高峰につらなるだけあって険しい。
  もっとも、奥穂高岳に3mのケルンがあるので、北岳は「第三」だ
  という与太話もある。

19○○年
 ○月○日
  五白鉱山をみて、感動する。
  私より数段うわてがいる。頭がさがる思いだ。

19○○年
 ○月○日
  南米の某国で鉱床探査に従事しているのだが、一ヶ月以上、日本人は
  私一人。食べるものには無頓着なほうで、日本の食材をまったく持って
  こなかった。が、やっぱり「こりゃ、いかんな」と思えてきた。
  こちらのひとたちは、私に気を遣っているし、うっかりしたことも言え
  ない。
  「ほんのちょっと体調がよくないので、自分がたべるものは自分で作り
   ます」
  といってはみたが。人口が数千人程度の田舎町だし...

  スパゲッティをやわらかめにゆで、中国製醤油をお湯でといた汁に
  いれて、「うどん」をつくってみた。かろうじてのどを通る程度。
  タマネギをこまかくきって薬味にして、生卵をおとして「月見うどん」
  にしたら、わりと食べれるようになった。
  日本人でも、生卵が嫌いなひとはいるし、あまり人前で食べれる「料理」
  とはいえないけれど、卵をふたついれると、かなり体力がつく。

  そのあと、州都に行って「カレー粉」を買ってきた。カレーを知っている
  人が少ないので、ちょっと苦労した。そのカレー粉も、ターメリックが
  ほとんどのようで、日本のカレー粉とは味が違う。他のスパイスやコンソメ
  を混ぜて、なんとかカレーらしいものをつくった。

  たぶん、私も含めて日本人は、こういうことが苦手なんじゃないだろうか。
  日本は素材に恵まれすぎていて、(食べれそうもないものを食べれるよう
  にするという意味での)料理の技術は、高度とは言えない。
  一方で、様々な民族の食文化について、優劣をつけずに認めることができ
  るのは、現在の日本人の潜在的な美質かもしれない。

  缶詰などはたくさんあるので、酒(ピスコ)のツマミにはこまらなかった。

19○○年
 ○月○日
  某国の砂漠を毎日行き来していたのですが、ルートを間違いやすいので、
  下のような道標をつくりました。
  私の不器用さに忠実で不細工ですが、これのおかげで助かったのも事実
  です。



19○○年
 ○月○日
  新聞に、
  『「今世紀最大級の金鉱」やっぱりウソだった、インドネシア、・・・・』
  と書かれている。

  要約すれば、

  「カリマンタンで見つかったとされる「今世紀最大級の金鉱」
   は、鉱業史上、例のないでっち上げだったことが確認された。
   金鉱の開発には一攫千金を狙って、スハルト大統領や一族の
   関係企業も参画していたが、現地から採掘されたとされたサン
   プルはニセモノである。
   カナダの鉱山会社×××××が一九九三年から金探鉱を進め、
   金の含有量が二千トン前後に達する「世界最大規模の鉱脈」を
   発見 したと発表。同社、米国の鉱山会社、およびスハルト一族
   の関係会社などが開発を進める段取りになった。
   ところが、今年になって、×××××社の技術者が現地でヘリ
   コプターから転落死する事件が起き、金の埋蔵量が水増しされ
   ているのではないか、との疑惑が表面化した。
   ×××××社からサンプルの分析を依頼されていた独立系の
   調査会社は「経済的に見合う金鉱は存在しない」との報告書を
   発表した。大きな詐欺事件に発展している。」

  というものである。

  「鉱業史上、例のないでっち上げ」などとは、
  大げさな言い方だ。
  どこの国も似たようなもんだな、と思う。
  ただ、カナダや米国の企業が、どうしてこんな手口にひっかかっ
  てしまっ たのか、 どうして私の同業者がこんな馬鹿なことを
  して死んだのか、まったくわからない。

19○○年
 ○月○日
  某集落の方にナゲットをみせていただいた。付近の川で採った
  砂金を固めたもので、砂が混じっている。ただし、その場所で、
  上手なひとがやっても 1日に2グラム位の砂金しか採れないと
  いう。
    それにしても真冬の、釣り用のゴムパンツをはいての調査は、
  岩盤に薄氷がはっているし、やりにくいものがある。

19○○年
 ○月○日
  採石場の石英脈で自然金発見。金は局所的。
  ただし、鉱化帯は閉じられていない。もっと山奥のほうに可能性
  はあると思う。

19○○年
 ○月○日
  企業でやるのならば、こういう「鉱徴を追いかける」探査方法
  は、現在ではほとんど通用しないに違いない。
  潜頭鉱床を探すのだから、地化学探査も過度の期待はでき
  ない。 所詮は地表のデータに過ぎないのだから。
  地下から上がってくる流体を補足できれば意味もあるだろう。
  リモセンも然りである。
  これからの探査の基本は、鉱徴の追跡ではなく、絞り込みになっ
  ていく。
  と言うより、本当は世界的にそうなっているのに、一部の企業を
  別にすれば、未だにそのことが多数に理解されておらず、
  組織方針となるに至っていないと思われる。

19○○年
 ○月○日
  鉱区の申請の書類は、手間がかかる。ずいぶん○○さんのお世
  話になった。

19○○年
 ○月○日

  新しい林道ができて、新しい露頭が現れている。
  白色粘土化・黄鉄鉱鉱染帯のなかにビリ脈が数条。
  尾根の反対側は、「ボサ鉱」的。

19○○年
 ○月○日
  この20年くらい、基本的な探査技術はほとんど進歩していな
  いのではないか。
  探査とか調査とか言っても、大味のものが目につく。
  
  同業者には、おおざっぱな人と、神経質な人の二種類がいる。
  おおざっぱな人は、古い人はたいていそうだが、大きな「構造」
  の議論が「高級」だと思っている。だから、つめが甘いし、
  精度が粗いので、お金をかけてボーリングをやっても、よい結果が
  でない。
  いっぽう、神経質な人は、それなりに納得のいく結果になるが、
  視野が狭くて包容力がないので、結局つきあってくれる人がいなく
  なってしまう。
  私はたぶん、どちらでもない。

  別の観点から、会社組織の地質調査屋を三種に分けることもできる。
  第一は、世が世なれば、自分は大学等の研究職につけたのに、不運にも
  調査業やコンサルタント業についてしまったと思っている連中だ。
  第二は、人事のことばかり気になっている、権力志向型・上昇志向型の
  連中だ。
  第三は、ただ生活のために、給料を得るために、勤務している連中だ。
  私は、三種の類型の、いずれにもなりたくない。

19○○年
 ○月○日
  反射法弾性波探査を金鉱探査に適用しようかと検討したが、
  ○○さんからは否定的に言われた。

19○○年
 ○月○日
  変質鉱物の野外鑑定講習会。緑泥石以外の粘土鉱物の肉眼鑑
  定に自信がなかったが、標準的な試料についてはわかるよう
  になった。 しかし、不純物があったり、複数の粘土鉱物が
  混合している場合は、難しいと思った。
  主催者をはじめ、様々な方々のお世話になった。
  この世界は奥行きが深い。

19○○年
 ○月○日
  このホームページをつくって以来、たくさんの方々の激励を
  頂いている。
  同業者の方々もいれば、専門外の方々もいる。
  海外からもメールが届いている。分析機器の案内であるが・・。
  先日の分析結果もなかなか良好であった。
  英国やIMFが何をしようが、南アフリカの金鉱山が持ち直そう
  が、南米などの斑岩 銅鉱床中の金が眠っていようが、
  15年先の金価格は、もっと別の要素に大きく支配されるのでは
  ないか。

   このHPについて写真がすくない、と指摘するひともいた。
  まったくその通りだと思う。他人に見てもらうのだから。
  だけども、具体的にどこで探鉱活動をやっているのかばれても
  こまる。
   南アルプスでは必ずしも容易でないが、乾燥地帯の明け方や
  夕方 なら、だれでもよい写真が撮れるかもしれない。
  しかし、そういうのは本格的じゃないと思う。
  白旗史郎さんは、やっぱり偉大だし、根性がある。

○○○○年
 ○月○日
  たまに、意図がよくわからないメールが送られることがある。
  私のホームページを批判したり相対化するのは、 歓迎する。
  よくない点は、どんどん指摘してもらって、改めていきたい

  多くのひとたち、特に同業者や関連した商売のひとたち から、
  「石川さんは、あやしげなホームページをつくっていますね。」
  などと言われている。
  私の「解体」表現が、すぐに多くの人々から 理解されるなどと思
  っていない。
  自己満足に過ぎないという
批判なら、甘んじて受けるが、
  「学会」的権威をふりかざした
り、トキみたいに群れ集ったりする
  ことは、性に合わない。

  このホームページは、つまらない抒情や不当な特権意識をからか
  うためにやっていると言っても言い過ぎでない。

 ○月○日
  わかりやすい例をあげれば、たとえば阪神大震災のあと、
  様々な調査・研究あるいは提議がなされた。
  専門家でなくても、このような震災に有効な研究として、
  以下の2種類を考えつくことができる。
   ・大地震の発生を事前に予知するための研究
     (1時間前に予知することができても、犠牲者の数を
       限りなくゼロに近づけることができる。)
   ・大地震の発生を人工的に抑止するための研究
     (たとえば、定常的に応力を少しずつ開放することが
       できれば、大地震を防止できる。)
  しかし、どちらともいえない、「どんなことでも調べて、知識や
  データを得ることに損もなかろう。」という雰囲気を感じること
  がある。 官界、学界、業界の<都合>が、生命に優先されてはかな
  わない。
学問は、生命より大切なのだろうか。学者やマスコミが被災
  者の前で「地震の予知には千年単位の誤差がある」と言っていられる
  鈍感さや、創造力の欠如は、日本の学界の因習や体制に問題がある
  とはいえ、庶民からみれば異様である。
   日本の地球科学者が社会や思想について述べても、既存勢力や

  官公庁の取り巻きみたいになるか、エコロジストみたいになるか、
  せいぜい啓蒙家になる程度だ。「宇宙船地球号」などと歯が
  浮くことを言って問題が解決するなら、誰も苦労などしないだろう。

   地球科学者が、専門外のことでも、自分は一般人より見識がある
  などと思っているなら、とんでもないことだ。

20○○年
 ○月○日
  19年目のスズキ・ジムニーもさすがに限界になった。
  2サイクルエンジンは 冬、かかりが悪い。
  車体にはところどころ穴があいている。
  クルマのなかにおいてあったハンマーがさびている。
  炊事用具はどうも なかったが、リュックはカビだらけだ。
  このクルマで山梨県と静岡県の外に行く気は起きない。
  今年中に買いかえたい。
  ついでに、今はなき欧州山荘で買ったテントも買い換え時
  だろう。
  テントはやっぱり黄色いのがいい。青いテントの中だと
  飯がまずくなる。

20○○年
 ○月○日
  元旦の毎日新聞・正月版で、50年後の新聞として、
  錬金術が確立とかなんとか書かれてあり、
  私をからかう人がいたが、あと50年も生きてないよ。
  もちろん、当センターは、錬金術などやる意志も能力もない。
  ジムニーの買い替えでも、なかなか話がまとまらないのに。

 ○月○日

  増穂町の<埋蔵金>の件が、スポーツ新聞や週刊誌を
  まきこんで、ちょっとした騒動になっている。
  私の所にもたまに問い合わせのメールがくる。
  しかし、<埋蔵金>は、金の産地(鉱山・地域)が特定
  されている訳でもない。
  当センターは、自然に存在する金を探している。
  埋蔵金が付近の旧金山と関係があるというなら、
  関心ももつが、そうでないなら、関心の持ちようもない。

20○○年
 ○月○日
  北欧の某国の大使館で開かれた催しに行く。
  この国は、1990年代に、飛躍的に探鉱活動の成果が
  あがっている。
  行政による効果も大きいが技術的には、電磁探査の解析手法と
  掘削技術の発達が大きいようだ。
  しかし、広範囲が氷河堆積物に覆われていて、浅部の鉱床の
  鉱徴もいままでは捕捉できなかった国と、浸食がすすんでいる
  日本では、同列には扱えない気もする。共通点もあるが。

2000年
 3月19日
  ○○氏のご協力を得て、ホームページの体裁をリニューアル
  した。デザインと操作性は格段によくなった(と思う)。
  内容は変わっていない。さぼっていてすみません。

2000年4月10日 (A.ランボー『出発』)
   すべてを見たのさ 幻の空気
   聞き飽きた 明けても 暮れても いつでも ざわめきの大都会
   すべてを知ったさ 生命さえ預けた ああ、雑音 ああ、幻
   さあ、出発だ 新しい愛情 新しい騒音へ


2000年5月○日
  伊豆半島に偵察に行く。
  昔は人口が1万人以上いた鉱山町も、いまは・・・。
  下田のジャズ喫茶JAZZ PORTに久しぶりに立ち寄った。
  とにかくおもろい。バイクとかオーディオとか・・・。

2000年5月○日
  探鉱技術フォーラムが、開設される。
  気軽に投稿してください。

2000年5月○日
  ついに古いジムニーを廃車屋にだした。
  そして、やっぱり中古だけど、もっとずっとましな
  ジムニーを入手した。
  4サイクル、ターボで、660ccだと、ぜんぜん違う。

  あれは非現実主義だとか、バーチャルだとかいう、
  生意気な若造どもの罵詈雑言をしり目に
  ますます本格的な探鉱活動をやっていきます。

2000年8月○日
  不況だとか財政危機だとか言われながら、現地の道路
  事情は驚くほどよくなっている。
  田代のおでん屋の前の道は、一昔前はもっと狭かった。
  こう言っては叱られそうだが、昔のほうが風情があった。
  新しい道路が昭文社の地図に記載されているのには
  ちょっと驚いた。
  
*田代のおでん屋(滝浪商店)については、
   後日刊行された『だもんで静岡おでん』をみてください。

2000年12月30日
  物置や車庫に使用するために、静岡市〜沼津市間で
  安い土地を探している。
  地元の農家、建築士、工場主等とお会いした。
  20坪もあればかまわないが、なかなか切り売りは
  しないようだ。 とりあえず借地でもよいので、
  よい情報がございましたらお知らせ下さい。

2001年3月○日
  「金鉱を掘り当てる統計学」(講談社・ブルーバックス)
  という本がでたが、金探査に直接関係しない、統計学や
  コンピュータの本である。まぎらわしいタイトルだ。

2001年4月○日
  やっと雪解け、本格的な探査。
  今年度の課題
  1.笹山構造線の活動履歴および金鉱化作用との関連の解明。
  2.○○南方の富鉱部の推定。
  3.東京事務所の確立。
  4.富士宮拠点の拡充または移転。
  5.東北地方某所における鉱業権の出願を検討する。

  1.のように書けば学者みたいだが、知識を自己目的化する
  つもりはない。

  それにしてもこの、マイナーなマイナーのホームページをみる
  人はあまりいないと思っていたが、予想よりいるようだ。
  同じサーバーの別のホームページとの関係もあって、ややこし
  くなるので、こちらにはアクセスカウンターをつけなかったが、
  私が漠然と思っていた数の3倍くらい閲覧者がいるらしい。

  たとえば、北大探検部のサイトの掲示板で紹介されていた。
  深謝したい。お礼を書き込もうかと思ったが、若い人たちの自主
  的な場に出て、先輩面して偉そうなことを述べるのは忌むべきこ
  となので、この自分のホームページで、お礼を申し上げます。
  私は探検部にはいませんでしたが、自然に親しむ会・野客にいま
  した。いまでもあるのかな。

2001年5月○日
  標高2000m弱に過ぎず、5月だというのに、新雪にあう。
  冬用のテントだったし、生命の危険はまったく感じなかった。
  だけども、ろくなサンプルが得られなかった。
  自分にはまだ体力がずいぶんある(残っている)ことを知ったのが
  いちばんの収穫だった。
  ・・雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ....
  かつては宮沢賢治を尊敬して、十代の時、花巻まで行った。
  しかし、「イギリス海岸の歌」の
  Tertiary the younger
  というのが、Neogeneのことなのかどうかも、わからないまま、
  宮沢賢治よりトシをとってしまった。

2001年5月○日
  昨年も、ある方に書き送ったのだが、やっぱり資源探査を業と
  するかぎり、一生に一箇所でよいから、稼行対象になるような鉱山
  を開くべきではないのか。それが男ではないか。そう思っている。
  広島県の甲山鉱山も、敗戦後に山師がみつけた金鉱脈を採掘した
  金山だし、そういうのを見習いたいと、心底思わずにいられない。
  この「探査日記」を手直ししたが、ホームページに入れ込むつもりは
  ない。たぶん、このホームページを定期的にみてくれている人は
  数十人くらいだろう。それらの方々にまじめに対応できればよいと
  思う。閲覧者を増やそうとして大衆迎合に血道を上げたりしたら、
  未来を失うだけだ。

2001年5月○日
  先輩の鉱床探査屋や、大学の元教授の方々から、「いまは、個人の探
  鉱は無理だ」と言われた。
  そうかもしれませんが、戦後の日本の鉱床探査の歴史も、
  「黒鉱は盆状構造の中心部にはない」、「花崗岩には天然ガス鉱床は
   ない」、「第四紀層には金鉱脈はない」等々の「定石」が崩壊して
  いった過程ではないでしょうか。

2001年5月25日
  朝日新聞の「今週の名山」は聖岳と光岳だ。
  聖岳が「日本最南の3000m峰」となっていたので、
  「最南は富士山ですよ」と教えたら、
  「・・富士山を除いて最南端の山」
  と訂正されていた。
  光岳のページをみると、それより南にハイマツはない旨書いて
  ある。武田久吉先生が、あとで別の書物で、ハイマツの南限
  は信濃俣だと訂正していることも教えようかと思ったが、
  小姑みたいになるのでやめた。私自身が信濃俣の山頂に登って
  見たわけでもないし。
     
(注:後で調べたら、ハイマツの南限はもっと南の丸盆岳とのこと)

  私みたいな動機が不純な登山者が何をいうのも、おこがましい気が
  してきた。

2001年6月○日
  20年前に中国の山で遭難した先輩の遺体が氷河から発見された
  との報。昔何度か叱られたことがありますが、合掌します。

2001年7月○日
  「鉱山のなかでは、口笛を吹いてはいけない」
  「鉱山に、女性は、はいってはいけない」
  タブー  禁制  禁忌 ・・・
  鉱山って、社会や歴史の閉じられた縮図のようだ。
  小賢い者は、「世間は認めないからね」という。
  「世間は」じゃなくて、「自分は」と言ったほうが正直だ。
  タブーが多い社会ほど、未開な社会だという。
  そして、タブーは隠れた願望の対象だと、フロイトはいう。
  現実と倫理の境界が失われた状態で、タブーをつくりたく
  なるような気がする。

2001年8月○日
  生業のためには、いろんなところに行かなければならない。
  鉱床探査業者と人類学者の宿命だ。
  すくなくともフィールドワークに基づく限り。

2001年8月○日
  それにしても、地表付近に薄層があるわけでもないのに、鉱床が
  おあつらえ向きの深さ(浅さ)にあるかもしれないから。という
  のは、幸運に期待しなければならない気がする。

2001年8月○日
  日本に戻っても、別の国に移住したくなる。
  何をしに? なにかが自分の心を招いている。
  海外のWebsiteのほうが、生き生きとインスパイアしてくる。
  この国では、使い捨てにされるだけだ。
  この国では、誰かが「金は青い」といえば、みんなが「金は青い」
  と言いそうだ。自分で考えることもなければ、内省もない。

2001年8月29日
  私の金鉱探査について、「バーチャルだ」と言う人がいるが、
  今日の新聞によれば、某同業者が「金鉱を求めて冒険するゲーム
  ソフトの制作を始める。」とのことである。
  最初はバーチャルでも、現実となることはあるかもしれない。
  このようなゲームが流行って、同志が増えることを期待する。

2001年9月○日
  GPS(エンペックス気象計株式会社 FG-530,ポケナビ mini)は、
  性能はいいけれど、へんな画面なんかでずに、さっさと緯度と
  経度だけがでてくれれば、いいと思う。私の使い方とすれば。

2001年9月○日
  いままで、粘板岩の中の緩傾斜の脈は、軽視していた。
  しかし、考え方を変えるべきかもしれない。
  セグリゲーションのように思っていたが、違う。
  そうした脈が集中している場所がある。重晶石の仮像のような
  ものが見える部分もある。
  また、分析代でお金がとんでしまう....

2001年11月○日
  中学時代の友人T君が、彼が関わっているサイトの掲示板で、
  当センターについて、頓馬なことを書いているのを発見した。
  曰く

   「・・・ 南アルプス金鉱探査センターと言うので、ふざけた
    ホームページかというと結構まじめだったりします。・・・」

  「結構まじめ」じゃなくて、まじめそのものだよ。
  誰かと違って、本名も堂々とあかしているし。
  大企業や公的機関がリストラでどうなろうが、当センターは、
  鉱床探査、特に金探鉱の本道を邁進するだけだ。
  そんなことより、Tは、指を骨折したの、ギターに転向するの
  と泣き言を言わずに、ドラムをもっとちゃんとやんなさい!
  そのうち俺がボーカルをやってやろうじゃん。
  プログレなんかいやだよ。

2001年○月○日
  中国のニュースの日本語版で、以下のように書かれている。

   文県で大規模な金鉱を発見 甘粛
  中国人民武装警察黄金第12チームが甘粛省文県で大規模な
  金鉱を発見した。この金鉱は陽山金鉱と名づけられた。16
  時点の実地調査では、全長約42キロの金鉱で重さ100.062トン
  に上る金の地下資源が確認された。西部地区で初めて大規模な
  金鉱が発見された。陽山金鉱は、金の地下資源が豊富で、今後
  さらに開拓されていく可能性がある。

               「人民網日本語版」2001719

  「中国人民武装警察黄金第12チーム」とは、どんな組織でどんな
  ことをやっているのであろうか。

2002年2月1日
  以下の報道、鉱山ニュースまたは探鉱技術フォーラムに書き込も
  うかと思ったが、どうもひっかかるものを感じるので、この日記に
  ひっそりと書くことにする。

  「韓国の南部で大規模な金鉱が、衛星画像により、発見された」
  とのことだ。
  The Korea Times の記事(1月29日)
  で報じられている。
  韓国本土の南西端部、全羅南道、海南(へなむ)という町の周辺らしい。
  韓国では、この3〜4年、国内で金は採掘されていないはず。
  ほんとうに毎年1.5tの金が採れれば、菱刈の3分の一くらいか。

  
Ivanhoe Mines がコミットしているらしいので、関心がある方は、
  http://www.ivanhoe-mines.com/s/ExplorationInSouthKorea.asp?ReportID=7979
  も参照してください。

2002年2月22日
  日本の発電用地熱開発のパイオニアたる、優れた技術をもった尊敬すべき会社の
  苦境が伝えられている。東北地方の山の中で、かの企業の探査員とはちあわせた
  こともある。彼らがもっている技術や情報は、金鉱探査にとって捨てがたい魅力
  を感じる。
  
  朝日新聞社の続日本百名山第7号は、笊ケ岳・七面山・毛無山だ。
  このみっつのどの山も、山腹に旧金山があったのだけども、かろうじて
  湯之奥金山博物館のことがちょっと記載されている程度。
  平口善朗・斉藤多積『南アルプス山行記』のほうが、まだすこしは金山の
  ことが書かれていて山師向きだけど、この本は絶版かもしれない。

2002年3月15日
  new砂金掘り師の酒場をみていたら、アメリカ(アラスカ)にも砂金掘りの
  掲示板・Alaska Gold Forumがあるのを知った。 山金が砂金に負けてるよう
  に思えてくやしい。そんなわけで、その掲示板に書き込みした。
  これからも、日本の鉱山師の健在ぶりをアピールしていくつもり。

2002年4月15日
  探鉱技術フォーラムのアドレスが変わりました。
  http://hpcgi3.nifty.com/lapis-town/forum/forum2.cgi

2002年6月○日
  
TAZAWA.EXE 、問題も多いが、Windows版が完成する見通しがたたないので、
  DOS/V版を公開することにしました。

 
2002年6月21日
  
ガラにもなく、「学会」にでかける。退会しているので部外者料金を払う。
  筑波大学の方々より、Pb同位体比による菱刈鉱床の鉱化作用の考究について
  レクチャーしていただいた。私は名のらずに失礼したが、お礼申し上げます。
  私が以前より聞いていた概念と違ってきていることもあり、印象にのこった。
 

2002年9月9日
 
 このサイトの閲覧者は、1年間で8512人。メンテなどで自分がみているのを差し引けば、
  8000人程度だろう。ライバルと思っている砂金のサイトに、トリプルスコア以上で
  負けている訳だけど、いまの私の能力や気力を反映した結果と受けとめている。 


2002年9月21日
  毎日新聞ニュース速報で、「<金鉱脈>兄弟が発見した場所 心ない人に荒らされる」
  として、概略つぎのように書かれている。

   和歌山県の山中で、中学1年と小学4年の兄弟が夏休みの自由研究で発見した希少
   鉱物を含む金鉱脈の一部が、心ない人々に荒らされている。具体的な場所は研究者
   ら一部の人しか知らないが、情報が外部に漏れたか、愛好家の情報交換で特定され
   た可能性が高い。地元住民は21日、現場に囲いを作るなどの保存活動を開始し、
   今後、警察にパトロールを依頼する方針。県も盗掘を処罰できるよう天然記念物指
   定をサポートする方針で、「貴重な自然学習の場を残そう」との声が高まっている。

  私も和歌山県の金鉱脈の情報を探鉱技術フォーラムに書き込んでいるので、気にしな
  い訳にいかない。鉱物や砂金のサイトでも、この種のことが問題になっている。つま
  り、具体的な情報をどこまで流してよいのだろうか?と。
  私の、とりあえずの考えとして言えば、サイト上では、場所についてあまり具体的な
  情報は書かない。どうしても知りたければ私的なメールでやりとりする。その結果に
  ついては、知らせる方も知らされる方も責任を持つ。ということにせざるを得ない。
  金鉱脈でも、どこかの島でも、天然自然のものは、ほんらい誰のものでもあるとも言
  えるし、誰のものでもないとも言える。

2002年11−12月

  今年は日本にいても、概してbarren
  ものしか見ることができなかったので、
  南米の某国に出稼ぎに行く。
  右の写真はアンデス山脈の主稜線で、
  北から写した写真だ。つまり、右側
  が太平洋側、左側がアマゾン側である。
  中央の白い山は標高6300m以上。
  手前の標高40005000mの尾根をはさ
  んで東西に行ったり来たりしていた。

  尾根のすぐ東側(アマゾン側)の沢で
  砂金採取が行われていた。
  下の写真の上部の重機や青いトラッ
  クで土砂を運んで、一種の樋にどん
  どん流す。
  写真右下の二人は、小石をどけて、
  左側に砂を流す作業を担当。

  上流に鉱化帯があり、アマゾンの
  砂金のオリジンの一部なのだろう。
  標高4000m以上の場所では、降雪が
  あったり空気がうすいこともあり、
  しんどかった。



2003年4月
  職場の同僚(後輩)だった者が、鹿島槍ヶ岳で雪崩にあって亡くなりました。
  残念な気持ちでいっぱいです。

2003年4月23日
  こんどは、北海道の金鉱山でトラブル。 いいニュースはないかなあ。

2003年4月25日
  これを読んで、すこし元気になりました。英語の勉強にもなった?
  http://www.nittetsukou.co.jp/miningconcession/japan.html

2003年6月18日
  ホームページの更新をさぼっていているが、ここんとこアクセスは多少増えている。
  季節的な原因だけではないようなので不思議に思って調べてみたら、
  海外のサイトからリンクされたことを知った。
  構想は持っているので、1年がかりぐらいで、ホームページを手直ししたい。

2003年7月
  A「近頃、探鉱活動さぼってるだろ」
  B「出願中の所で、試掘権も認めてもらってないしなあ。
    金鉱は逃げていくものでもないし、まったり行くよ」
  A「ホームページも更新してないし、さえないな」
  B「こういうサイトにしようっていう構想はもってるんだ。
    だけども、言うは易しだね」
  A「他人の質問には律儀に答えてるけど、いつからそんな
    啓蒙家になったんだ」
  B「啓蒙家じゃないよ。興味のないひとに興味をもてなんて
    言わないよ。来る質問にはできる範囲で答えるつもりだ。
    来る者は拒まず、去る者は放置するか祝福するだけだ」
  A「その点は俺も同感だ。いまの日本で探鉱者なんてみたいに
    言われるけれど、誰がなんと言おうが政府の補助がなくな
    ろうが、探鉱活動が根絶するなんてことありゃあしない。
    その時点での工夫や艶が必要なだけなんだ」
  B「そういう意味でも、昔の経験とかやり方とか、全部考え
    なおしたほうがいいんだ。特に探査はな。
    べつに、コンピュータを使え。とか人工衛星を使えとか
    言いたい訳じゃない。俺は現代版山相学者じゃないしね」
  A「自分であれこれ考えてみなきゃな。他人が考えたことを
    紹介していればいいようなところがあるな。この国は。
    地学教育の衰退なんて言われるが、日本で地学が盛んだった
    時期なんてないから、そんなこと心配しなくていいんだ。
    俺の親戚に、安山岩と玄武岩の区別ができる者などいない
    だろうし、昔からその程度なんだ」
  B「俺だって他人のことなど言えないな。若い頃、aphanitic
    デイサイトをシルト岩とまちがえたしな。自慢じゃないけど」
  A「たしかに、自慢にはならないな」
  B「最近だって、変質した岩石で、溶岩か火山砕屑岩かわから
    ないことが時々ある」
  A「大した問題じゃないじゃないか、溶岩と火砕岩の違いは、
    定義の上では、ちょっとでも空中や水中に飛んだら火砕岩
    で、ずっと地面から離れなかったら溶岩だというだけだろ」
  B「だけど、普通の人は、凝灰岩と火成岩じゃ、まるで違う石
    だと思っているから。それに火成岩だと『硬岩』になって
    新第三紀の凝灰岩なら『軟岩』で、土木工事の積算が違って
    くることもあるからなあ」
  A「なんだよ。土木地質や役所仕事のほうに話をそらすなよ。
    資源探査でも溶岩と火砕岩の違いが重要になってくることは
    あるな。たとえば黒鉱鉱床は下盤側にデイサイトがある」
  B「まあな。だけどあれも昔は凝灰岩と思われていたな」
  A「逆に濃飛流紋岩は、いまでは大半が溶結凝灰岩ということに
    なっているな」
  B「そういうことが、どうでもいいようで案外、地下資源探査に
    とって重要になることがあるんだ。地下水の流れに関係する
    しね。もちろん溶結凝灰岩は一般に節理が発達しているから、
    地下水は流れやすいんだ。」
  A「花崗岩はどうかね?」
  B「花崗岩はふつう、溶結凝灰岩みたいに密には節理はないけれ
    ど、応力を吸収しにくいから、断裂はできやすい。日本みた
    いに地殻変動が激しいところだと、割れ目が発達する。
    たいていの石より割れ目が多いくらいだ。
    だから、花崗岩のなかで温泉脈があったり地熱貯留構造が発達
    したりするんだ。天然ガスを貯留することさえある。
    昔、鉱脈探査で花崗岩内ではやめたりしたが、花崗岩に鉱脈が
    ないからじゃなくて、花崗岩では平面的な割れ目ができやすく、
    脈幅がひろい富鉱部ができにくいからに過ぎない」
  A「花崗岩のなかの鉱脈は、昔、しょっちゅうみたよ。連続性は
    良かった。鉱脈が多い地区には安山岩などの岩脈も多かったな」
  B「だけども、いまだによくわからないこともあるんだ。花崗岩に
    直接関係するモリブデンや銅の鉱脈が、新第三紀にできたとしか
    思えない鉛や亜鉛の鉱脈のすぐ近くにあることがある。
    花崗岩は白亜紀で、おおきな時代のギャップがある。
    秋田県の二カ所でそういう場所をみた。一カ所はとんでもなく
    険しい場所で、俺が調査した後たぶん違う目的だろうが山に
    入った人が遭難して亡くなっているので、地名は伏せるがね」
  A「花崗岩の固結時かその更に前の時代に、すでに地塊の境界が
    形成されていて弱線になっていたと考えればいいじゃないか?」
  B「そう考えるのが穏当だとは思うよ。だけど証拠不十分だ。
    数十mの滝を登る気力はあるけど、数百mの岸壁は行けないよ。
    ところどころ岩肌が黒くマンガン焼けしてて興味深い場所も
    あったけれど。
    それに、<地塊の境界>と一言で言っても、いろんな要素がある
    んじゃないかなあ」
  A「探鉱技術フォーラムでも書いてるけど、古い断層が再活動したり
    いろんなことがあるからな。
    鉱脈がいったん切れたり切れかかったりして、<落ちあいなおり>
    で、また現れたりする。坑内探鉱で泣かされたが、そういうのも
    構造運動に関係するのだろう」
  B「いや。それは一概に言えないんじゃないかね。たしかに応力で連続
    的に剪断される前の雁行(エシェロン)割れ目の場合もあるだろう
    けれど、岩質が不均質でもそういうことが起こるかもしれない」

2003年8月
  A「梅雨も明けたが、まだ言い足りないことがあるんじゃないかね」
  B「あるけど、論文調や学会調は性に合わないから、対談調でな」
  A「全国的に鉱業権を出願しようと画策しているようだが、面白い
    ところはあったかね」
  B「勘弁。それは企業秘密だ。情報をよせてくれる人は多いが、
    行ってみると川底で黒雲母が光って砂金みたいにみえるだけ
    だったりする。それでも日本もまだまだ捨てたもんじゃないって
    思うことも、たまにはあるよ。
    海外の人からも、見に来いなんて言われるけれど、たいていは
    堆積性の金鉱床のようだ」
  A「海外に鉱区を持つなんて大変だろうな。ていうより、ほとんど
    不可能だろうな」
  B「だろうな」
  A「ある場所に銀鉱脈があることがわかって、通洞坑を途中まで掘った
    が頓挫したとか、探査だけで解決できることなんて少ないだ」
  B「日本で鉱山を開くのは、金がかかりそうだな」
  A「資格者を雇わなきゃならないぞ。俺を使えよ」
  B「わかってるよ」
  A「いやに素直だな」
  B「法規できまっているからなあ」
  A「しかし、俺以外にも保安の資格もってる人はいるだろうに」
  B「俺も東洋人だし、義理を重んじるよ」
  A「俺も転職して、重要なことを若いのにやらせるようにして
    良かったと思う。悠々自適だ。いつまでも出突っ張りで、
    若いのが研鑽したり活躍したりする場を取り上げるなんて
    良くない。というより醜いよな」
  B「Aさんが恵まれているから、そう言えるだけだよ。普通は、
    Aさんくらいの年齢の人は、大学生の子供がいたり、経済的
    に大変で、そんなこと言ってられないはずだよ」
  A「しかし、ほんとうは、底辺や前線で実際に動いている者の
    手柄なのに、わきにいる学者だの権威だのの功績になっちゃ
    うことが多いだろ。世間ってそういうもんだろ。
    悪いことは現場の責任になっちゃう」
  B「そう言っても、実際の所、団塊世代やそれ以上のひとたちの
    精神的苦境は、かなりのものがあるんじゃないかな。
    だから、自分を立てようとする人がいたりもする。
    俺は理解しているつもりでも、つい追いつめてしまっている
    ことがあるように思う。俺は他人を追いつめるのは好きじゃな
    いんだ。よくないことだと思っている。
    俺なんかが何もしなくても年輩の人たちは既に追いつめられ
    ているんだ。きつくなってるんだろうな。
    これをやり過ごすことはできないが、俺もこれからはだんだん
    引き下がって行こう、どうやって若いのを立てていこうか
    って考えなきゃいけないんだろう。自分の居場所をいつも、
    変えていかなきゃ、不要に自分を追いつめることになりかねない」
  A「そうだな。先日テレビをみてたら、引退しかかった経営者が
    中学校で一日教師やったりしているそうだな。いろんな努力話
    を具体的に教えるそうだ。そういうのいいと思うよ。教える
    ほうも教えられるほうも、やる気満々だそうだし」
  B「学校が面白くなれば、中学校の雰囲気も良くなるでしょうね」
  A「いつまでも同じようなことばかりやってないで、俺らも中学校
    に行って鉱山や鉱脈のことでもしゃべれば、中学生は一生、俺ら
    のことを覚えていてくれるかもしれない。地学教育とかより、
    こういう世界があるんだって知ってもらえばそれでいいんだ」
  B「そうですね。実は先日、俺も自分が卒業した中学校の教師に
    メールを送ったんですよ」

2003年10月
   下田のJAZZ PORTのオーナーだった福沢英明氏が昨年末に亡くなって
  いたことをいまごろになって知りました。
   昔なんどか、バイクのことでお世話になりました。
   遅ればせながら、哀悼の意を表します。

2003年11月
  A「ここんとこ、多少なりとも袖すりあわせた会社の経営危機の報道
    を耳にするけれど、なにかコメントはないかね」
  B「Webのなかで言うことはないです。わかりもしないで具体的な
    ことなんて言えませんしね」
  A「しかし、地熱発電だの石炭液化だの、地下資源に関係する事業に
    深く関与した企業の問題もあるし。
    確かに石油の資源量は有限だけれど、見通しが間違っていたと
    いうことにならないか」
  B「20年先を見通せる人なんていないです。石油が有限なのは
    事実だし」
  A「いつもとちがって、嫌に歯切れがわるいな」
  B「その時その時で、一所懸命にがんばるとか考えるとかするしか
    ないでしょう。同じようなことをやっている企業でも勝ち組と
    負け組がいるのだから。」
  A「まあ、そうだな。具体的な次元では、他人への批判になるし、
    俺らも偉そうなこと言える柄でもないから、やめておくか」
  B「そこまで卑下する必要はないです。言うべきことは言うべき時
    に言えばいいんでね。判断材料も自分なりの視点もないのに
    言えない、と思うだけです。”物言えば唇寒し秋の風”という
    のとは少し違います」 
  A「まあな。何も言わないほうがいいのに無理してなにか言えば、
    業界紙の社説みたいになっちゃいそうだしな」
  B「天下国家を論じる時は、改革とか民営化とか言いながら、
    その舌の根も乾かないうちに、自分が属する業界は政府が
    援助すべきだなんて言っているのでは、思想なんかないって
    ことにもなりますしね」

2004年2月
   このサイトのNetscapeでの不具合を修正しました。

2004年2月
  A「日本に帰って来ると、日本の食べ物が塩辛く感じて仕方がないな」
  B「だけど、食べ物では苦労するよ。かの地では自炊していたな」
  A「ジャマエル・フナ広場の屋台でも食べていたじゃないか。
    おまえ、よくカタツムリの煮たヤツをドンブリ一杯も食えるな」
  B「さすがに汁を全部のむのはできなかった。うまくなかった。
    向こうの人たちはうまそうにすすっていたけれど....」

2004年4月
  A「また寒波だし、ろくなことないな」
  B「○○県も鉱業権に同意してくれそうもないし困ったな」
  A「あのPS2のゲームでもやって、探査をやったことにするか」
  B「なめんじゃないよ。ガキじゃあるまいし」
  A「『はてなダイアリー』で『パンクですね』なんて書かれてるの誰だよ?

2004年5月
  A「『靜岡縣安倍郡誌』(大正三年,安倍郡時報社)の『第四節 鑛業』を
    よむと、当時でも同郡で『僅かに』12カ所で採掘されていたようだな。」
  B「江戸時代初期に本多平八郎が金山衆に与えた免許では、天領では金山衆は
    雑役が免れていたようだな。移住の自由もあったようだ。だからって、
    金山衆がそんなに自由だったのかね? 疑問だね。職業を変えることは
    ほとんど不可能だっただろうからな。」

2004年6月24日
  A「3年近く前のカウント再開以降の、サイト閲覧者がやっと2万人に
    なったな。記念にきちんと日付を入れておくか」
  B「閲覧者の1割は俺自身だけどな。リンク集なんて自分のためにつくった
    ものだし」
  A「正直で結構だな。 ところで『レゴリス地質』ってのはなんだよ?」
  B「土壌とか風化帯のことだろ。岩盤の露出がないところで、土壌とかから
    岩盤の状況を知ろうってコンセプトだろ。ある意味では土壌地化学探査
    なんかも広い意味でのレゴリス・・・だが・・。厳密には、そこの土は
    ほんとうにその真下と同じ石が風化したのかとか、日本の地形で真面目に
    考えると案外めんどくさいかもな。」
  A「山頂の転石が真下の地質と違うことも、たまにあるからな。隕石って訳
    じゃないけれど。・・・このトシで宇宙とか考える気力もないな。」
  B「一昨日だったか、六十過ぎの人が民間宇宙飛行船で飛んだじゃん。」
  A「おれも、http://www.xprize.org/ の、"Wanna fly into space?"
    応募するか。 財産があればな」

2004年7月16日
   「お知らせ」で書きましたが、サイト内のいくつかのページで、しばらく
   アクセス解析をします。

地質調査所・20万分の1地質図幅「静岡及び御前崎」(1976)より一部を改変し抜粋

2004年7−8月
  A「天候は安定しても
    探査の方はさっぱりだな
    鉱業出願の受理通知
    とうに得ているから
    先願権はあるが、肝心の
    許可がおりない」
  B「かまわないよ。
    山伏(やんぶし)の小屋の中
    は居心地がいいよ。
    俺は宗教家じゃないが
    雑念から自由になって瞑想
    すること、沈黙すること、
    一人でいることさ」
  A「それにしても、磯部氏の
    コレクションの中に出願地
    のサンプルがあるのは驚い
    たな。昔から活発に掘られて
    いたんだな。図の東側に
    糸魚川−静岡構造線、
    中央西部に笹山構造線がある
    訳だけども、鉱脈もそういう
    のに関係するのか」
  B「なんともいえないな。誤解されがちだけども、構造線ってのはひとつの線でも
    なければ、一時にできたものでもないよ。ほんとうは」
  A「フォッサマグナなんてのも、断層のことかと思っている人がいるしな。
    そういえば、7月のアクセス解析でわかったことはあったのか?」
  B「大してないけれど、リンク集のほうがメインページより閲覧者が多い。
    時間帯から推測すれば、リンク集はビジネスマンがみて、他のページは
    自宅にいる人がみる傾向があるようだ。ビジネスマンはYahoo!を多用し、
    ホームユースの人はgoogleを使うのが一般的らしい。俺はふだんgoogle
    とフレッシュアイを使っているから、ちょっと意外だったな。」
  A「それでリンク集をリフォームしたのか」
  B「いや。単に自分が使いやすくしただけだ。見た目はあまり変わらないが、
    ソースを大幅に手直しした。俺の一番の情報源のページだからな。
    ニュースラインまでつけちまったわ」
  A「いくつかの関連業者がメルマガをつくっているな。そういう構想はないのか」
  B「ないね。情報源として役にはたっているが、自分のフィーリングとして
    しっくりいくメルマガはないし、俺だったらこうしてやるのにっていう
    構想も浮かばないな。
    たとえば政治評論まで載せている業界メルマガがあるが、俺に言わせれば
    床屋政談だ。昔、居酒屋で『日本の首相は英語も話せない。情けない』とか
    うるさく話しかけてくる困った客がいたが、そんな馬鹿を思い出したよ。
    地質屋の世界も、労組の「大」組織も昔からそんなところがある。なんで
    もかんでもゴチャマゼでメリハリがないんだ。その程度の気持ちなら政治
    なんかに首を突っ込まない方がいいよ」
  A「社会の総体をみる視点がなければな。日本では鉱山業界や地質調査業界の
    問題は社会問題にはなっても政治問題になるわけがない。それでも業界の
    ほうが学界よりはいくぶん普遍性があるよ」
  B「廃山した炭鉱の層序をいつまでも議論しているのよりはな。
    だけども、人間はつまらないことに執着して一生を終わる存在でもあるさ」
  A「なんかトゲのある言い方だな」
  B「いや。一般論だ。俺だってつまらないことばかりやっている理工系オタク
    に過ぎないよ。
    それでも、できれば自分のやっていることにどういう社会的な(国家的な、
    じゃない)意味があるのか気にしているほうがいいということはある。
    じゃなければ、無意識に社会に振り回されるばかりだ。
    地球へのロマンだのなんだのを述べる叙情性も嫌いだ。というより、馬鹿馬
    鹿しくなってくるんだ。この『探査日記』がマジメな文体で書いてられない
    のと同じだ。『学問至上主義』的な人種は、自分が好きな事をやっていられ
    るためのお金がどこからでているか、もっとよく考えてみるべきだ。
    彼等の言葉にはそういうことを気にしている雰囲気が、どうもあまり感じら
    れない。俺は優秀だから当然だとでも思い違いしてるのかもしれない」
  A「『執着』と言えば、古い鉱山への懐古を生き甲斐にしているひとがたくさん
    いるな。抒情的に過ぎる気もする。地元主義も排他主義と紙一重で鼻につく」
  B「それは各人の趣味の問題だ。俺がオタクなのと同じだ。ただ、鉱山町の否定
    面もはっきり表にださないと変なことになるんじゃないかな」
  A「誰でもわかってることだろ。明治時代の日本の鉱山は近代的と思われていた。
    いまの途上国の鉱山町が、周辺地域に比べて近代的なのと似たようなものだ。
    しかし、この三十年間、日本で鉱山町が先進的だとか開明的だとか思う人は
    いないよ。お前が頑固だとか『最後のヤマ師』だとか言われるのと同じだ」
  B「なんでもいいけれど、俺は『最後のヤマ師』じゃないよ。秋田県のSは俺と
    同世代だが、いろんなことを知っている。もちろん彼も鉱石を採ったり鉱区
    の売買で生計をたてている訳じゃない。一種のマタギだ。矢口高雄の漫画に
    でてくるようなのとは全然イメージが違うけれど」

2004年8月12日
  A「前回の対談でいきなり地名や図を出すから、お前が本格的にやるんじゃない
    かとか、旧坑取り明けでもするのかと思った人がいたらしい。
    釈明しておいたほうがいいぞ」
  B「まだそんな段階ではありません。」
  A「お前がBBSで鉱害に触れたりするので、UFJ環境財団の関係者だとか
    へんな噂がたっているじゃねーか」
  B「俺はそういう団体とは関係ありません。エコロジストでもない。
    ベイトソンを読もうとしたけれど、理解できませんでした」

2004年10月
  A「お前と同じ学科出身の者は閥をつくる傾向があって、北海道の地質調査業界で
    評判が悪いな」
  B「昔からな。皆でもないだろうし、内地じゃ学閥をつくる程の数もいないが。
    集団ってのは閉じられる性質をもっているってことに自覚がなかったのが多い
    気がするな。」

2004年11月20日
  A「鉱山関係のホームページみてても、ほんとに鉱山で働いていた人が
    書いてるのが少ないな。
    鉱山(坑内)特有の用語が全然ない。発破の時ダイナマイトや
    アンホを入れた後に詰める物を『アンコ』というとか。
    シュリンケージ法とかで採掘しているとき鉱石を落とす一種の
    竪坑の場所を『ジョウゴ』と言うとか。それから、タガネのことは、」
  B「このあとを言うのはやめましょう」
  A「とにかく、鉱山用語がすたれていくのは寂しいよ」
  B「俺が十五年後に金鉱山を開山してやるよ。また鉱山言葉が使えるぞ」
  A「おまえ、四年前にも『十五年後』と言っていたじゃねーか。
    あと十五年も生きてるつもりかよ」

2004年11月28日
  A「金鉱山を開かないうちは、自分の鉱山からの収入がないから出稼ぎ
    しなきゃならない。他人の鉱区で鉱床がみつかっても俺らが儲かる
    わけでもないし、面白くねーな」
  B「まあ、そう言いなさんな。世界全体でみても、地下資源探査の世界
    ってのはせまいんだから。同業者と話してると必ず共通の知人が
    いる。結局は自分の糧になるよ」


2005年1月
  A「昨年は、『情報』というものについての考え方が問われる一年
    だったな。三菱自動車工業とか。今時秘密にしきれる情報なんて、
    ほとんどないよ。ニューモント・マイニングもインドネシアの件で
    ニューヨーク・タイムズ反論しているが」
  B「ニューモントも内部文書が公になる前に同じことを言えばよかったん
    じゃないかな? 直後に津波があって義援金を送ろうとしているが、
    皮肉っぽく受け取られかねないし」
  A「プレスリリースは、放出した水銀は基準を下回っている、という弁明に
    尽きるようだが」
  B「こんな大会社でも『企業哲学(Our corporate philosophy)』なんて
    言い方するんだな。俺ならこんな言い方はしない。『哲学』なんて言
    葉は19世紀で死んだはずだ。しっかりした清掃法があればいいんだ」
  A「『我々の企業哲学は米国の環境保護基準を適用することだ』という
    よりは、『我々の考え方は・・・』とでもいうほうがすっきりするな。
    実際に、『あんたのとこの鉱山があやしい』、『責任を認めろ』と
    怒鳴る住民やインドネシア政府当局者の前で、『私たちはこういう
    考え方をもっている』というのなら対話になるが、『私たちはこんな
    哲学をもっている』では、相手を馬鹿にしているようなものだ」

2005年7月
  A「ハーモニー・ゴールドがちょっと脅威だな」
  B「脅威つうか、しばらく世界の金探査の世界の、台風の目だろうよ」
  A「金価格が十数年ぶりの高値を記録したな」
  B「ポーフィリーカッパー鉱床(斑岩銅鉱床)の中に、絶対量としては
    かなりの量の金が含まれているはずだから、どこかに限界があるはず
    だよ」
  A「ここでまた、いろんな企業を批評したいところだけど、準備不足だから
    やめておくか」
  B「ついでに、1980年代的な<確実性のない総花性>も指弾されるだろうがね」
  A「地質屋が石油井の設計をやるかのような無茶苦茶がまかりとおっていたな」
  B「俺が言いたいのは少し違う。たとえば、俺が鉱山にいたのはほんの短い
    期間だ。鉱山町で風邪か何かで医院に行ったら『塵肺だ』と言われた。
    あとでいろんな病院とかで調べたけれど、そんな気配はまったくない。
    あの藪医者は、俺が前日坑内にいたというだけで、塵肺などと誤診するん
    だ。そんな藪医者と同じような、決めつけ型で、断定と推定の区別もない
    連中がたくさんいるんじゃないかね」
  A「このごろの日本の医者は、機転のきかないのが多いな。」
  B「M国でお世話になった歯医者は、英語もできなかったが(俺もアラビア語
    できないからお互い様だが)、相互に絵を書いて説明することで、充分
    理解できたし、誠実だったがね」

2005年10月3日
  A「7月におまえは、金価格の上昇はどこかに限界があるはずだと言って
    いたが、また金が急騰して、グラム1800円に迫っているぞ。
    おまえの予言は当たらないな」
  B「おれは予言なんかしてないし、しない主義だよ」
  A「どっかで鉱床がみつかれば、『俺もここにあると思っていた』とか
    『予言していた』という人が百人ぐらいでてくるよな。」
  B「大きな企業が組織的に鉱床を開発して、それが特定の個人の功績に
    なるっていう発想についていけないな」
  A「あえて言えば、社長とか経営者の功績か」
  B「そういうことだ。『誰に対しての功績や責任か?』ってことはあるが」
  A「話がそれたが、金価格の予想はつかないということだな」
  B「俺が未来を予言しないのは、時間は空間と違って異方性をもつから、
    原理的に人間は過去のことは知り得ても、未来を予言するなんてことは
    不可能だということだ。
    地下資源探査は『予言』とは違うけれど、似ているところはある。
  A「いくつも予言していれば、あたることもあれば、はずれることもあるな。
    はずれたことにふれなければいいんだから、評論家はふざけた商売だ」
  B「温泉探査で『百発百中』なんて言ってる人も同じ。地下水だって数%は
    空井戸におわってしまうことがあるよ。顧客の要求通りになるのは8割
    かそこらだろ」
  A「成功率を高めるという課題があるだけだな。
    とにかく、金属価格の高騰と高値安定で、世界の鉱山業界は活気に溢れて
    いるな。日本はべつだけど。光竜鉱山はどうなったのかな」
  B「光竜鉱山は、俺が昔いた上国鉱山に似た事情があるようだ。
    国内の出願地で、転石では面白いのをいくつかみつけたよ。石英と氷長石
    の脈だ。金の品位は秘密。これで、絞り込んでいくつもりだ。だけど資源
    探査を生業とするんだったら、海外に行くのが本道だろう」

2005年10月6日
  A「地下水の成功率が8割や9割なら、温泉はどれくらいかな」
  B「正確にはわからない。バブルの頃は顧客の要求通りになるのは半分以下
    だったんじゃないかね。おれにも苦い経験があるよ。
    ちかごろは『循環ろ過』なんてのが流行っているから、量が少なくても
    無理矢理『温泉』にするが、問題があると思う。
  A「白骨温泉の件もあったな。
    成功しても量が減っていく温泉もあるし、難しいよな」
  B「この数年の経験で言えば、集水域とか涵養域に確信がもてないと、安心
    できない。直角三角堰流量表をみて一喜一憂する状態だ」

2005年10月23日
  A「粉末X線回折につかう『鉱物同定補助ソフト』への問い合わせが
    ときどきくるな。」
  B「アスベストの同定に使いたい人がいるようだ。
    アスベストは、蛇紋石系と角閃石系に大別されるが、俺のソフト
    じゃ、そのどちらかがわかるだけで、細かい同定はできない」
  A「アスベストは、ひどく嫌われて、毎日のように新聞に出てるな。
    問題があるのは昔から言われていたが、規制がかかったのはそんな
    昔じゃなかったので、規制前の殆どの大規模建造物には使ってある
    と思った方がいいんじゃないか。フレキシブルボード(石綿セメント
    板) にも、含有率は低いかもしれないが入ってるのだろう。」

2006年1月3日
  A「2001年以来の閲覧者が3万になったな。記念になにか書くか」
  B「寒くてフィールドに行く気にならないな。どっかに土地を買って
    拠点を造りたいが、裁判所の競売物件にはなかなかいいのがない」
  A「金価格が値上がりしているし、そろそろ本気にならないとな」

2006年1−2月
  チリ共和国のMantoverde鉱床は、IOCG型鉱床(酸化鉄卓越型銅金鉱床)
  とされます。鉱山の方々のお世話になりました。



2006年3月
  A「地化学探査の膨大な図面とか、未だに1980年代の亡霊をみている
    ようだな」
  B「こういうのは地表の情報に過ぎないから、限界があることを認識しろっ
    つうのが俺の持論だが」
  A「『統計処理』の手法はどうかね」
  B「『地化学探査のデータは一般に対数正規分布する』というところから、
    熟慮してみればいい。Si2とかはそうならないだろうしな。
    そういう前提は近似に過ぎないんだ。だがそんなこともいちばん重要な
    ことではない」
  A「一見、理屈だっているから、大きな組織では通りやすかった」
  B「ちょっと想像してみればいいんだ。確率紙にプロットして複数の母集団
    に分ければ、それで有望地区が抽出できるのかよ? 日本なんて特に
    地質が複雑だから、つまらない場所でも無理矢理『抽出』される。
    だけど、それじゃ一種の詐欺だ」
  A「標準的な岩石(あるいは土壌や沢砂)や普通の岩石の範囲を逸脱した数値、
    つまり『標準』や『普通』じゃないのが『異常』ということだな」
  B「基本的にはそれでいいんだ。だから、地域全体が異常でないこともあれば、
    地域全体が異常であることもありうるんだ。
    統計処理はいくつもの試行過程のひとつだ」
  A「『ラボの特性』があるから、別のラボの分析値は比較できないと
    言われたが」
  B「これだけ環境基準とか定量法とかやかましく言われて、『ラボの特性』
    なんて言い方が通るわけない。昔と違うよ」
  A「地化学探査の『傾向面図』というのもわからないな」
  B「俺もわからん。重力探査で傾向面図をつくる場合は、それが基盤の
    構造を反映しているとか、前提を踏まえながらやるわけだ」
  A「そういうステップ・バイ・ステップの考察がなければ、現実の事象から
    何を抽出しようとしているのかわからなくなるな。
    ただデータをぐちゃぐちゃいじくっても、コンセプトがなけりゃ駄目だ」
  B「地化学探査だけじゃない。その点がいまも悩ましい『1980年代の
    亡霊』さ」

2006年3月
  4年前の日記の続編。
  「中国最大の金山、甘粛で開発進む。資源量200トンか」とのこと。
  (なぜか)紫金砿業の株が値上がりしている。

2006年4月
  こんどは、モンゴルで鉱山開発に抗議してデモの報
  首相や鉱山会社の会長の写真が燃やされているという。

2006年8月
  択捉島で金鉱探査の報。
  http://www.itar-tass.com/eng/level2.html?NewsID=10685966&PageNum=0
  以下は抄訳
    ユジノサハリンスク、87日(Itar-Tass通信社)−
     金鉱探査が南千島の択捉島で開始された。
     作業は、サハリン地質学探査隊の30人の専門家が加わっている。
    地質学者は、少なくとも16地区で可能性があると推定する。
     遠征隊長・Anatoly Rechkin氏は、「以前に金の徴候がウルップ
    島でも認められた。そのうちの1箇所は、15トンの埋蔵量が見込
    まれる。しかし100トン〜200トン程度ないと経済的にはやって
    いけない。千島列島は鉱床が多いが、深い森林が探査の障害で
    ある」と、Itar-Tass通信社に語った。
     南千島では日本統治下に、日本人が最初に探査を実施した。
    金鉱は国後島でも発見されたが、営利的な採掘は行われなかった。

2006年8月
  
英語版の"Gold Exploration in Japan" を修正(英文チェック)。

2006年8月
  "Because Life is more precious than Gold" と言われれば
  それまでなんだけれど。。。。

2006年10月−11月
  A「このごろ世界の急進的探鉱者の間で話題になっている
    "Super Clorox"って何だよ?」
  B「大げさな言い方はよせよ。
    クロロックスって会社がだしてる漂白剤じゃねーのかよ?」
  A「何故、それが金鉱に関係あるんだよ?」
  B「金を溶かすのに、水銀やシアンより安全だと言いたいのかも
    しれない。この際だから、金の抽出法をまとめておくか。

     歴史的抽出法…灰吹き法、混汞法(アマルガメーション)
     現行の抽出法…パンニング、青化法、銅鉱/鉛鉱などの浮選
            →乾式製錬(銅マット/貴鉛etc.)→電解
     新しい抽出法…CIP(ストリッピング)、
            チオ尿素・チオ硫酸(アンモニウム)・臭素・
            ヨウ素・次亜塩素酸などによる浸出、
            バクテリア・リーチング
            N-ビニルアセトアミド、アミドキシム、アリル
            アミン、アクリル酸などによる吸着

    こんなところか? <新しい抽出法>には、まだ実用化されてない
    のが沢山あるだろうが。
  A「混汞法は、どこかではまだ<現行の抽出法>じゃないかね」
  B「それもそうだが。"Super Clorox"みたいなのを自分でつくって
    みるほうがマシだ。有効成分は次亜塩素酸ナトリウムだろ?
    日本の塩素系漂白剤も同じじゃねーか」

2007年5月
   同系統の断層が多く、石英脈は随所で切断されている。
   ただし、断層活動は複数回おこっており、断層のうちのあるものは
   石英脈(一部は金鉱脈)である。
   それらの脈は、走向はNNESSWないしNS、概ね直立に近い東落とし。
   断層脈のほうが鉱脈として安定している。
   基礎的なデータもなければ、定着したフィールド生活の繰り返しも
   おぼつかない。サワドー(Sourdough)という語には、年季の入った
   探鉱者という意味もあるのだけれど、俺はまだサワドーではない。

2007年7月12日
   関東経済産業局より、某出願地について、24条協議実施中の通知を
   受け取る。

2007年10月11日
   中外鉱業が平成201月〜5月に、伊豆の湯ヶ島で「湯ヶ島鉱床下部ボ
   ーリング」を行うとのこと。

2007年10月12日
   出願地についての行政対応で、静岡県庁と静岡市役所に赴く。

2007年10月13日
   静岡市郊外でTさんと会い相談。その後、富士宮へ。

2007年10月21日
   出願地の設備設計書を書く。

2007年12月23日
   2001年以来の閲覧者がやっと4万となる。



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