本名=永田裕子(ながた・ゆうこ)  
                  昭和21年7月24日—平成22年8月12日   
                  享年64歳   
                  京都府京都市左京区岩倉長谷町 自宅庭 
                  ★2022.9.8に京都市左京区鹿ヶ谷・法然院の谷崎潤一郎の墓所近くに建墓納骨された。 
                   
                   
                   
                  歌人。熊本県生。京都女子大学卒。昭和39年宮柊二の「コスモス」、のち「幻想派」に参加。44年『桜花の記憶』で角川短歌賞、56年『桜森』で現代短歌女流賞受賞。毎日花壇選者をつとめる。平成元年夫の永田和宏編集の『塔』に移る。20年歌会始の選者となる。相聞歌群に珠玉の魂が宿っている。ほかに歌集『ひるがほ』『耳掻き』『歩く』『母系』などがある。  
                   
                 
                   
                   
                   実際の写真ではなくイメージです。 
                   
                    ★2022.9.8に京都市左京区鹿ヶ谷・法然院の谷崎潤一郎の墓所近くに建墓納骨された。 
                   
                   
                    
                  たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか  
                     
                    かへらざる憧れなれど夕映えてあかがねいろに坂はありたり  
                  このいのち終る日のこと想ほへば産むとふことも罪やも知れぬ  
                  立ちしまま死に至る他なくば夜もなほ恍惚として金の向日葵  
                  たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり  
                  死と生のはざまに不意におちこみし蝉かも鋭くこゑは断れたり  
                  わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪ゐる見ゆ  
                  もういいかい、五、六度言ふ間に陽を負ひて最晩年が鵙のやうに来る  
                  何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢゃない  
                  この人のこの世の時間の中にゐて額に額あてこの人に入る  
                     
                    死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく  
  
                    
                   
                     
                   〈人間には一生のうちに幾度か、何秒間だけ、自分の運命を、生涯のずっと遠くまでを、残酷なまでの澄明さの中に見透してしまうことがあるのを感じていた。それは戦慄に似た感動であり、深い恐怖だった。〉と河野裕子は述べているが、平成12年に発見された乳がんとの十年に及ぶ闘病生活の間にもそのような瞬間があったのだろうかと思ってしまうほど彼女の歌は冷徹なまでに透き通って、死を孕んだ生だけを、あるいは生を孕んだ死だけを見つめていたように感じるのは私だけの感傷だろうか。〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が〉、平成22年8月12日午後8時7分、家族に見守られながら静かに逝った彼女が死の前日に残したこの歌こそまごう事なき彼女の命、彼女の絶唱であった。  
                   
                 
                   
                    
                   河野裕子がよく散策途中に立ち寄った長谷八幡宮近く、裏山の竹藪がわさわさと揺れて、夫妻の表札横に「塔 発行所」との札も見える門扉から玄関にくだる斜面には桜や欅、紅葉、柿などの樹木が冬枯れの様相を呈して沈んでいる。歌枕にもなり古より貴人の隠棲地として知られ、『和漢朗詠集』の撰者藤原公任も晩年に隠棲した岩倉朗詠谷のこの家の庭には〈三年まへの遺言を子らにくり返す墓はいらない桜一本〉、〈喪の家にもしもなったら山桜庭の斜(なだ)りの日向に植ゑて〉と彼女が詠んだ望み通り、庭の斜には長男の淳氏が植えた山桜があるはずで、門口からは鬱蒼とした樹木に阻まれてうかがうこともできなかったが、おだやかな春の日の昼下がり、密やかに咲いている桜花を私は見たい。  
   
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                      
                    
                    
                    
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