本名=川口松太郎(かわぐち・まつたろう)  
明治32年10月1日—昭和60年6月9日   
享年85歳   
東京都豊島区南池袋4丁目25–1 雑司ヶ谷霊園1種16号10側 
 
 
                   
                     
                    小説家・劇作家。東京府生。石浜小学校卒。小学校卒業後、大正4年久保田万太郎に師事。12年小山内薫門下の脚本研究会員となった。関東大震災後大阪へ移って直木三十五と雑誌『苦楽』を編集。その後大衆作家を志し、『風流深川唄』『鶴八鶴次郎』『明治一代女』で第一回直木賞受賞。『愛染かつら』などがある。 
                     
   
                   
                                       
                   
                 
                    
                   「これが見納ですよ、よく見て置いて下さい」  
                     お骨の上に手を置いておかるの写真の前へ立った。母が子供に物いう声だった。  
                     最初は川崎の大師へ行きお坊さんにたのんで白衣の背に「南無大師遍照金剛」と書いて貰い、笠には寺島清太郎、妻仲子と書き添えた。  
                     信吉が浦安へ馳けつけた時にはもう誰もいなかった。店には休業の札が貼ってあるだけでしんとしている。信吉は青くなって日本橋へ飛んで行ったが、小とりの母は会わなかった。「会うのは辛い」という言づけだったが母の悲しみの判るような響きだ。信吉にも方法はなかった。巡礼の旅から帰るお仲を待つより外はなかったがお仲は帰って来なかった。行く先も判らぬまま二月三月とたったが帰らない。とうとう半年目になったがたよりはなく所在不明だ。  
                     「西国巡礼を終ったあと清太郎さんのお骨を体へ縛りつけまま、何処かの海へ沈んだのでしょう」  
                     父の良吉ががいった。  
                     「あの娘は清太郎さんに命を賭けていたんだ、満足して死んだに違いない」  
                     ともいった。父の想像は当っているような気がする、生死を共にすると誓ったお仲は清太郎亡き世の中に生きる気がしなかったのだろう。落人のおかるに満足して死んだ清太郎を抱いて春寒の海へ沈んだのだろう、清太郎もお仲も地上に墓はない。西国の暗い海の底に二つの魂は眠っている。  
                                                             
  (歌舞伎役者)  
                    
                   
                     
                   川口松太郎は多彩な遍歴を持つ作家である。小学校卒業後、洋服屋や質屋の小僧、古本露天商、警察署給仕、電信局勤務、講釈師許に住込み口述筆記手伝いなど、枚挙にいとまがないほどの職歴を重ねた。のち久保田万太郎に師事。小山内薫のもとで戯曲を書き、関東大震災の後、大阪で雑誌編集に携わった経験を経て作家の道に入っていった。昭和10年、第一回直木賞を受賞するなど順風満帆な作家人生であったが、私生活では艶聞の多い作家であった。 
                     昭和57年1月18日、東京女子医科大学病院で膵臓がんのため71歳で逝った妻であり女優の三益愛子を看取ってから3年後の60年6月9日、おなじ東京女子医科大学病院で肺炎により死去する。 
                     
                     
                   
                   
                    
                   実親を知らない子として浅草の貧乏職人の家庭に育てられ、家族愛に飢えていた川口松太郎。二番目の妻三益愛子は同志ともいえるような関係の伴侶であった。 
                     血の滲むような苦労を重ねた末に手に入れた念願の家庭も、子供たちを甘やかして育てたがために「川口一家の麻薬汚染事件」を引き起こす事にもなった。 
                     最愛の妻、三益愛子、長男川口浩、野添ひとみ夫妻とともに眠る「川口一族」碑。「人情馬鹿」を自称した作家の墓であった。 冬日の昼下がり、玉柘植の植え込みに挟まれた台石には土埃が被り、吹き溜まった枯葉が風に遊ばれて二折れ、三折れと砕けていくのを、ぼんやりと眺めていたら、散歩をしていた家族連れの子供たちが突然、歓声を上げながら私の背を走り抜けていった。 
                     
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                      
                    
                    
                    
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