本名=川上幾次郎(かわかみ・いくじろう)  
明治24年1月3日—昭和43年12月26日   
享年77歳   
静岡県駿東郡小山町大御神888–2 冨士霊園1区5号203号 
 
                 
                   
                    
                    川柳作家。東京府生。大倉商業学校(現・東京経済大学)卒。井上剣花坊に師事。昭和4年国民新聞の選者となり、「国民川柳会」を結成。9年『川柳研究』を発行、詩性と伝統を追求した。『新川柳大観』、『孤独地蔵』『川柳200年』などがある。  
                     
   
                   
                                       
                     
                   
                    
                  馬顔をそむけて馬とすれちがう  
                  身の底の底に灯がつく冬の酒  
                  子供は風の子天の子地の子  
                  良妻で賢母で女史で家にいず  
                  母と住んでつくづく母は薄命ぞ  
                  月光は家逆さまに逆さまに  
                  われ一匹狼なれば痩身なり  
                  孤独地蔵悲劇喜劇に涸れはてし  
                    
                   
                     
                   〈無明の人間を探求しようというのである。従って川柳そのものの発生してから二百年になるが、いまなお探求しつづけている。終点に行っていない。否、終点はないのである。もし終点があったとしたら、川柳はもうとっくに完成した文芸となって標本のように残っているに過ぎないものだ。——人間探求は汲めども尽きぬ泉の如きものといってよかろう。我々は一層勇気がつく。懸命にこの道を歩こう〉——。 
                     〈あの壁を僕らで破るのだ〉と吉川英治(柳名・雉子郎)とともに『大正川柳』創刊に携わり、川柳一筋、ただ川柳を広めることに専念し、時実新子など多くの後進を育てた川柳人「川上三太郎」は昭和43年12月26日午前5時40分、心筋梗塞のため死去。 
                     
                     
                   
                   
                    
                   幾たびとなく過ぎ去っていった物憂げな日々、井上剣花坊の志を基として現在の「川柳」ブームを呼び興した川柳作家「川上三太郎の墓」は風の中に建っている。 
                     暗鬱な空気に包まれてヒューヒューと行き場を失った熱気が渦巻いている大霊園の昼下がり。碑裏の戒名は薄れて読むことができない。村田周魚、前田雀郎、岸本水府、麻生路郎、椙元紋太と並んで川柳六大家と呼ばれる川上三太郎。冬でもコップ酒をあおる酒豪であった主の墓前、今朝方まで降り続いていた雨の湿気をたっぷり含んで黒ずんだ火山灰土に、何者かの投げ捨てた煙草の吸い殻が半分埋もれて、小さな時のかけらと語り合っている
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                    ——〈鵜の子わたしは月の泣き黒子〉。 
                     
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                      
                    
                    
                    
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