本名=川田 順(かわだ・じゅん)  
明治15年1月15日—昭和41年1月22日   
享年84歳(泰順院諦道博文居士)  
神奈川県鎌倉市山ノ内1367 東慶寺(臨済宗) 
 
 
                   
                   
                    歌人・実業家。東京府生。東京帝国大学卒。明治40年住友総本社に入り、昭和五年常務理事、11年退社。佐佐木信綱に師事、『新古今集』の研究をした。昭和7年『山海経』で歌壇に認められ、『鷲』で帝国芸術院賞を受賞。24年弟子の鈴鹿俊子との恋愛は〈老いらくの恋〉といわれ話題をよんだ。『東帰』『寒林集』などがある。  
                     
   
                   
                   
                    北鎌倉・東慶寺の墓 
                    京都・法然院の墓は墓じまいされました。 
                   
                   
                    
                  何ものを見るとはあらね一人来て暗き夕べの野づかさに佇つ  
                  頭おさへ悶え泣する仏あれば大声あげて泣く仏あり  
                                                                 
                    高やまのいただきにして真夏日は上汚れせる堅雪照らす  
                                                                   
                    落葉木の下ゆくわれは死ぬるまで休むことなきいのちを持てり  
                                                                  
                    つひにわれ生き難きかもいかさまに生きむとしても生き難きかも  
                  足柄のふもとの田居に肝太く新らしき生を創めなむとす  
                  崖したの我が家の裏は日を疎み踏みどなきまで毒だみの花  
                  路ばたのこの石にわれは腰掛けて憩ひたりけり移り来し日に  
                  名も知らぬ川なれど海に入る処は何かゆたけくて我を佇たしむ  
                  いらいらと終りに近き波立ちて老は静かなるものとなし  
                    
                   
                     
                   住友人として長く実業界にあったが、昭和11年、54歳のときに住友総本社の総理事の座を目前にして退職、実業界から退き、歌づくりに専念したが、その感傷を除いた冷徹な歌風は男性的な快い響きを持っていた。しかし尚かつ、自らが言う明治人の浪漫はついに抹消することは出来なかった。 
                     14年に妻和子を脳溢血で亡くし、戦後は皇太子(現天皇)の作歌指導のため京都から出向くようになった。22年夏の終わり、川田順66歳にして京都大学教授夫人で歌人の鈴鹿俊子に出会い〈老いらくの恋〉として世をさわがせた事件もあったが、昭和41年1月22日午前10時、東京大学医学部附属病院で全身動脈硬化症のため永眠した。 
                     
                     
                   
                   
                    
                   〈老いらくの恋〉に悩んだ川田順は京都法然院墓地の、亡妻和子が眠っている川田家の墓に頭を打ち付けるという行為で自殺を図ったが未遂に終わった。 
                     〈つひにわれ生き難きかもいかさまに生きむとしても生き難きかも〉。 
                     こののち昭和24年に二人は京都を去り国府津で新生活を始めることになるが、さらに17年を経て亡骸となった彼の遺骨は法然院墓地に埋葬され、北鎌倉・東慶寺の墓にも分骨埋葬された。 
                     ある年の大晦日、雨上がりの湿った冷気の中をゆっくりと辿っていくと、この寺の奥墓地にあるその人の塋域には、法然院の墓と同じように経筒を型どった八角形の優美な墓標が、凛として深く静かに座していた。 
                     
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                      
                    
                    
                    
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