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人が多く休んでいる新窪乗越は休まずに通過し、 登りに取りかかる。
今にも崩れそうな崖の縁を進み 見上げれば、 先ほどまでは荒々しいと思っていた 山の斜面が
美しく見える。 砂の流れる斜面は なかなか魅力的である。
それにしても、 これから登る崩壊地の縁 ギリギリに続く尾根道は、 間違いなく かつての道より後退しているに違いない。
実際は、 崩壊した斜面の縁を進むのは始めのうちだけで、 あとは林の中を進むことになる。 確かに縁だけを進むのでは、
登山道は崩壊に耐えきれないであろう。 |
崩壊した斜面を横にして、 この斜面を登り切れば頂上かと思っていたら甘かった。 もう頂上かと思ったら裏切られること数回、
ようやく 12時25分、 大谷嶺頂上に到着したのであった。
頂上には立派な標柱が立っていたが、 そこに書かれた 「行田山」 の文字は削られている。
削った本人にとっては、 この山は 「大谷嶺」 であるべきなのだろうが、
山梨側と静岡側とで呼び方が違って当然なのに、 気に食わないからといって 削ってしまうとは言語道断である。
そういえば、かつて登った 甲斐駒ヶ岳でも、 標柱の 「東駒ヶ岳」 の文字から 「東」 だけ削られていたっけ...。 |  |
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大谷嶺山頂から見下ろす大谷崩は美しさはなく、 凄まじいという表現があたっている。
一方、 この頂上からの南アルプス方面は、 山伏と同様なかなかの眺めである。 ただ残念なことに、 この頃になると
少々ガスが出始め、 視界があまり良い状況ではなくなってしまったのであった。 富士山ももうほとんど見えない状態であった。 |
この大谷嶺からは、 山伏では少々隠れ気味であった赤石岳がかなり姿を現しており、 その右に荒川岳、悪沢岳と続くのが見える。
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赤石岳の左手には、 山伏では大きく姿を見せていた聖岳が、 青薙山の後ろに ほんの少しだけ奥聖岳とともに頂を見せている。 その左の上河内岳は、
ここからもなかなか魅力的な形を見せている。 その左に見えるのは茶臼岳であろうか。 |