ハンス・ロット:交響曲第1番 〜 マーラーに遺したもの

 
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第1章 ハンス・ロットとベートーヴェン作曲賞 2024.1.30
第2章 ハンス・ロットとマーラーの接点 2024.3.11
第3章 ブルックナーからハンス・ロット 2024.3.28
第4章 マーラーがパクった? 〜 ロットからマーラーへ 2024.4.2
第5章 " Schalltrichter nach aufwaerts "(ベル・アップ) 2024.2.10
第6章 終わりに 2024.4.16


 この春にウィーンの作曲家ハンス・ロットが22歳のときに完成した交響曲第1番を演奏することになりました。マーラーの周辺にいて若くしてこの世を去った作曲家ということくらいしか知らなかったため、この機会に調べてみることにしました。この曲は作曲されて100年以上もの間、演奏されることも出版されることもなく、まさに音楽史から消えてしまった作品だったと言えます。ところがそのスコアがウィーンの図書館で発見され、1989年に米国のシンシナティで初演されると世界各地で取り上げられるようになりました。録音も盛んとなり既に10点を超えるCDが発売されています。日本においても2004年11月に初演され現在までにプロ、アマチュアを含めて10回近いコンサートで取り上げられています。

 ウィーン国際ハンス・ロット協会(http://www.hans-rott.de/)のサイトにはハンス・ロットの生い立ちや作品について詳しく書かれていて、さらにロットの作品が取り上げられた演奏会とこれからの予定もリストアップされています。それを見ると日本を含め世界各地で頻繁に演奏されるようになっていることがわかります。また、国内で発売されたロットの交響曲第1番のCDのブックレットにはどれも立派な解説が書かれていてロットの生涯や曲について十分な情報が得られるのはありがたいことです。さらにウエブサイトでハンス・ロットやその作品を検索すると簡単にそれらの情報に接することができます。100年近く埋もれていた作品が世に出てわずか35年の間にこれほどの情報を簡単に手に入るのは驚きです。ロットの詳しい生涯などについては他のサイトに任せることにして、ここではマーラーと関わることについて書こうと思います。

 ロットは16歳でウィーン音楽院に入学し(1974年)、作曲をヘルマン・クレンに、ピアノをレオポルト・ランズクローンに、オルガンをブルックナーについて学びます。在学中にワーグナーの洗礼を受ける一方、一年遅れて入学したグスタフ・マーラーやフーゴー・ヴォルフ、ルドルフ・クルシシャノフキーらと学友として接しています。

 既に14歳のときに母親を亡くしていたロットは音楽院3年目に父親も亡くして経済的に困窮します。しかし、ウィーン音楽院は卒業まで残る3年間の学費を免除したということですから、いかにロットが将来を嘱望された学生であったかがわかります。しかし、ワーグナー協会に入ったり第1回バイロイト音楽祭に赴いて『ニーベルンクの指輪』の上演に立ち会ったりするなど保守的な音楽院側としては好ましくない生徒と見られるようになったためか、作曲家の卒業生を対象にしたコンクールではロットだけが賞を貰えませんでした。この時提出した作品が、後にこの交響曲第1番の第1楽章となるものでした。

 20歳でウィーン音楽院を卒業したロットは、生活に困窮する中で交響曲第1番の作曲を続けますが次第に精神に異常をきたし、音楽院でのコンクール以外で自作を演奏されることも楽譜が出版されることもないまま僅か25歳でその生涯を閉じます。しかもその終焉の地が精神病院というなんとも悲しい最期となってしまったのでした。

 しかし、100年以上も日の目を見なかったハンス・ロットの作品が今この時代に復活したことで、世界中の巨大なコンサートホールで千人を超える聴衆の前で演奏され、さらにはデジタル録音、CDの販売、映像収録、Webでの映像の拡散等々、現代のあらゆるテクノロジーの恩恵を一瞬にして受けたことになります。短くしかも悲劇的な生涯を送ったロットではありますが、当時のヨーロッパの小さなホールで幸運にも初演されたとしてもそれっきりお蔵入りしたままの作品に比べれば、100年後であっても世界中の聴衆に聴いてもらえる方が作曲家として良かったと言えるのではないでしょうか。
 
 余談ですが、英国の監督ケン・ラッセルによる映画『マーラー(1974年公開)』の中で、マーラーが精神病院に収容されているフーゴー・ヴォルフを訪ねるシーンがあります。そこでヴォルフが作曲した五線譜をちり紙のように扱う場面があるのですが、これは精神病院におけるハンス・ロットについてに報告されていることと同じことに気付きます。1950年代にウィーン国立図書館に収蔵されたロットの記録をケン・ラッセルが見た可能性は低いと思われますので、精神病院に入れられた作曲家は似たようなことをするのかもしれません。シューマンもそうだったのかと思うと悲しいですね。なお、マーラーはロットを見舞いに行ったという事実はないとされています。



参考文献
『グスタフ・マーラーの思い出』 ナターリエ・バウアー=レヒナー 著 ; ヘルベルト・キリアーン 編  高野茂 訳 音楽之友社
『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』アルマ・マーラー著 石井宏訳 中央公論社
『マーラー さすらう若者の時代』 ドナルド・ミッチェル著 喜多尾道冬訳 音楽之友社 1991年
『マーラー書簡集』 ヘルタ・ブラウコプフ編 須永恒雄訳 法政大学出版局 2008年(新版1996年)
『グスタフ・マーラー 隠されていた手紙』 ヘルタ・ブラウコプフ編 中河原理訳 音楽之友社 1988年
『指揮者マーラー』 中川右介著 河出書房 2012年
『ハンス・ロットの生涯と交アウアー響曲第1番』 イェンス・マルコフスキー著 井内重太郎訳「セバスティアン・ヴァイグレ指揮ハンス・ロット:交響曲第1番」CDのブックレット
『ハンス・ロットの交響曲第1番の成立について』 ベアト・ハーゲルス著 井内重太郎訳「セバスティアン・ヴァイグレ指揮ハンス・ロット:交響曲第1番」CDのブックレット
Hans Rott and the New Symphony by Paul Banks The Musical Times Vol. 130, No. 1753 (Mar., 1989), pp. 142-147 (6 pages) Published By: Musical Times Publications Ltd.




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