ヴァイオリンの対向配置
 マーラー:交響曲第9番をめぐって

 
     Mahler
 マーラーに限った話しではないですが、何度も弾いた曲でもいい曲はまた弾きたくなるものです。マーラーの交響曲をすべて演奏したのでもう打ち止めにしようと思っていても、その誘惑には逆らえないものです。かつて第1番、第10番と『大地の歌』を演奏したオーケストラが第9番を演奏するという話しを聞いて二つ返事で参加を表明しました。ちょうど10年ぶりの参加となります。他の演奏会の練習スケジュールが立て込んでいたので、ファースト・ヴァイオリンを3回演奏していることもあって譜読みするのに楽なファースト・ヴァイオリンを希望したはずなのに、決まったパート表を見るとセカンドのパートに自分の名前が載っているのではないですか。やはり楽はさせてもらえない・・・か。しかし、44年前に初めてマーラーの交響曲に出会い、それが9番のセカンド・ヴァイオリンであったことを思うと、意に反したこととはいえ今回のセカンド拝命には感慨もひとしおでした。

ヴァイオリンの対向配置
 そのマーラー9番の演奏会では指揮者の意向で、ヴァイオリンは対向配置に座って弾くことになっていました。正直な話し、私にとって対向配置で弾くセカンド・ヴァイオリンは初めての体験なのでした。ちゃんと弾けるか不安で一杯であったと同時に、対向に座って弾く最初の曲がこのマーラーの9番ということについ興奮してしまったのでした。それだけでなく、その座る場所が変わったことで大きな発見もありました。

 ヴァイオリンの構え方の特性からすると、視界の左端はあまり注視することはありません。つまり正面と右側の景色が楽器の構えからすると最も自然に視界に入ってきます。指揮者の左手側に座るファースト・ヴァイオリンの場合、演奏中に見なければならない譜面台、コンサートマスター、指揮者の3ヶ所はまさにこの自然な視界の中に入っているのです。

 一方、対向配置で指揮者を挟んだ反対側に座って楽器を構えると、今度は視界の左端に指揮が映る事になり、ヴァイオリンの構えの特性にとってやや無理な視線で指揮者を見ることになります。特にプルトの外側に座っていると譜面は右方向にありますから、指揮者と譜面の両方を見るのはかなり難しくなります。座る椅子を少し内側に向けたり、プルトの列を後方に行くに従ってステージの内側にカーブさせたりするなどの対策が必須となります。

 しかし、対向配置のセカンドにとって悪い話しばかりではありません。ファースト・ヴァイオリンの場合左端の視界にはあまり注意を払わないと述べましたが、それはつまり一緒に演奏している管楽器群をほとんど見ないということになります。首を回せば見えますが、それは構えた楽器ごと回さないといけませんので、演奏中はそんなことはできません。ところが、対向配置のセカンドの外側の席に座るとなんと、譜面台越しに管楽器群が自然と視界に入っているのではないですか。ファーストで弾くときや対向配置ではないセカンドで弾くときに経験したことがない景色に驚きを覚えたのでした。ファーストの隣で弾くセカンドにとって管楽器は視界の右端か自分の背後にいますから当然見ることはできないのです。こうしたことから、リハーサル中に管楽器群を横目に演奏するという機会に恵まれたというわけです。このマーラーの9番で特に良かったのは、第4楽章でホルンとユニゾン(同じ音)で演奏するところで、この美しい旋律ををホルン奏者を見ながら演奏できたのはとても幸せな体験でした(49-50小節)。
マーラーの交響曲第9番でのヴァイオリン・パートの書かれ方
 この交響曲第9番はセカンド・ヴァイオリンで始まり、セカンド・ヴァイオリンで終わるとよく言われます。しかし、第1楽章冒頭では確かにセカンド・ヴァイオリンが第1主題を最初に弾きますが、終楽章の最後では全体が消えゆく中でセカンドが動機を明確に弾くとはいえ、ヴィオラも呼応していて、最後に残る音符はセカンド・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3パートとなっていますから、厳密にはセカンドで終わるとは言えません。ただ、普段から陽の当らないパートであるセカンドとしては破格の待遇と言えなくはありません。

 この交響曲第9番のファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンの書き分け方には、他のマーラーの作品と異なるある特徴があります。それは、両パートがオクターヴで演奏する機会が極めて少ないという点です。モーツァルトやハイドン、ベートーヴェンの時代からオーケストラ作品ではファーストは旋律、セカンドは伴奏という使い方の他に、両パートが類似の音型を交互に弾いて掛け合いを演じることがあります。さらに、セカンドがファーストのオクターヴ下で補強し、音量が増すにつれてオクターヴから同じ音を弾くユニゾンに移行するというケースも多くあります。ベートーヴェンの交響曲第9番の第1楽章を見るとこうした使われ方を見ることができます(5小節目の2拍目からユニゾンになります)。 
                                         Beethovemn_Sym9
                 ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調
          (第1楽章 150小節から:上段がファースト、下段がセカンド)
 他の作曲家で興味深いのはショスタコーヴィチで、例えば交響曲7番『レニングラード』においては、全体の半分以上の小節は両パートがオクターヴとユニゾンで書かれていることです。ショスタコーヴィチの作曲技法についてここで論じることはしませんが、その執拗なまでにオクターヴやユニゾンで弾かれることによって生み出される響きは曲に独特な性格を与えているのは事実です。下の例は最初はユニゾン、途中(6小節目の2拍目)からオクターヴになります。                 Shostakovich_Sym9
                      ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 第1楽章冒頭
                                    (上段がファースト、下段がセカンド)
                   
 マーラーの作品では、交響曲5番、6番共にかなりの箇所で両パートがユニゾンやオクターヴで弾かれています。7番でもユニゾンとオクターヴが非常に多いのですが、ときおり3度下などで和音を形成して進行するなど、多少は工夫を凝らしている印象を受けます。また、チェロ・バスのグループとヴァイオリン・グループを明確に分けた書き方をしていて、ヴィオラが両グループの間を行ったり来たりしている箇所が多いのも興味深いところです。8番ではその役割をセカンドが担うようになりますが、やはりファーストとのユニゾンとオクターヴ下は非常に多くなっています。セカンドが中低弦グループに入ることで高音部を控えめにして8人のソリストと合唱を邪魔しないようにしたものと考えられます。

 マーラーは交響曲第9番を作曲するに至って、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンの音符の書き方においてこれまでの方針を大転換させます。第1楽章では両パートがオクターヴで演奏する箇所はわずか4箇所(合計8小節)、ユニゾンは14箇所(合計36小節)、第1楽章は全部で454小節ありますから如何に少ないかがわかります(ユニゾンは第1楽章全体の9%)。しかも両パートがユニゾンで弾いている時間は小節にして1〜2小節ときわめて短い間が多く、唯一長い箇所としては第226小節から始まる11小節間が挙げられるのに留まります。交響曲第6番の第1楽章では開始からわずか50小節までの内、ユニゾンで弾かれるのが14小節(曲の開始から50小節の間の28%)もあることと比較すると大きな違いと言えます。

 交響曲第9番の他の楽章でもオクターヴは非常に少なく、第2楽章、第3楽章共にわずか2箇所、第4楽章に至っては1箇所しかありません。最後の ff (フォルテッシモ)の後で音量が減衰していく中、ユニゾンからオクターヴへと別れるところです(140小節から6小節間)。同じ音符を弾くユニゾンは、第2楽章では14 箇所、第3楽章は12箇所、第4楽章は6箇所と第1楽章よりは多くなっていますが、その一緒に弾く時間の多くは1小節、2小節と短く、かなり断片的な使われ方をしています。例外は第4楽章で7小節間にわたるユニゾンの箇所がひとつあります(64小節から)。

 オクターヴやユニゾンが多い曲の場合は、縦の線をそろえるためにも隣同士で弾いたほうがいいのは当然のことです。近ければお互いよく聴こえますし、弓の動きが目に入ることも大事なことです。特にオクターヴの場合は、セカンドのしっかりした下の音に軽く乗せるようにファーストがそのオクターヴ上を重ねることでバランスの取れたより透明感のある音を客席に届けることができるのです。しかし、この9番ではオクターヴやユニゾンが少ないために、お互い離れて演奏する対向配置でも技術的に大きな問題はそれほど生じないと考えられます。

 では第1楽章におけるファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンにはどんな書かれ方に特徴があるのでしょうか。例えば148小節目からのくだりの譜面を見るとひとつの旋律線を両パートで交互に弾きつないでいるのがわかります。この箇所をステージの両翼に分かれて弾く対向配置になんらかの意味を持たせることは十分可能なことと思われます。
 
              Mahler_Sym9
                              マーラー:交響曲第9番ニ短調
          (第1楽章 148小節から:上段がファースト、下段がセカンド)
          Mahler_Sym9
                         マーラー:交響曲第9番ニ短調
          (第1楽章 285小節から:上段がファースト、下段がセカンド)
 285小節からのくだりは全曲中最も難しい箇所なのですが、ユニゾンのところがあったり、片方が長い音符を弾いている時にもう片方が3連符や16分音符など細かい音符を弾いたり、片方が3連符の時にもう一方が16分音符4つだったりと敢えて違うことをさせようとしているようにも見えます。しかし、全体的にはこのような集合離散を繰り返す両パートに、最初は白玉音符だけだった管楽器群がヴァイオリンの細かい動きに徐々に加わり音の厚み増していき、大きなクライマックス築いていくことになります(白玉音符とは、2分音符、付点2分音符、全音符など長い音符を言います。)。

 この箇所は技術的に難しく、音を取るのが精一杯でファースト、セカンドお互いの音を聴く余裕などないのですが、そもそも大音響の中でもあり対向配置では距離が遠くてお互いの音は全く耳に入りません。しかもこの後テンポが緩んだり元に戻ったりとてんやわんやの事態になっていきますので、お互い音を聴くことは放棄して指揮者と管楽器の音を頼りに弾くしかありません。ここはファースト、セカンド共寄り添って弾けばより精度の高い演奏ができると思われます。

 第4楽章は冒頭はファーストとセカンドだけが f (フォルテ)でユニゾンで主題を奏します。他の楽器は沈黙していますので、ここは左半分から音が聴こえるよりは左右から均等に客席に届いた方が効果的ですので、対向配置がベストと考えられます。しかし、第1楽章よりもユニゾンの箇所が多かったり、室内楽的に絡む箇所もあったりと隣同士で弾いた方が間違いなく演奏精度が上がる箇所もあります。とりわけ、この楽章はポルタメントを多用しているため、例えばファーストのポルタメントの終着点がセカンドのある音にピンポイントに当てようとすると対向配置ではかなり難しいことになります。

 では、このマーラーの交響曲第9番においてはファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンはどう配置するのがいいのでしょうか。オクターヴとユニゾンが他の交響曲よりも少ないこの9番においては、隣同志で弾くメリットはあまりなさそうです。しかし、部分的には両パートが隣り合って座りヴァイオリン・セクションとしてまとまった音をつくり上げるところもあります。


マーラーの交響曲第9番演奏における対向配置の実例
 では、このように音符が書かれているマーラーの交響曲第9番を演奏するにあたって、世界のオーケストラではヴァイオリンをどう配置されているのでしょうか。

 映像で確認できる9番の演奏会おけるヴァイオリンの配置を調べてみると、34例にうち16例、半数弱が対向配置となっていました。また、興味深いことにその対向配置は、2000年以前では1例も確認できませんでした。2000年以降の映像で較べると、対向配置は他の配置を合わせた数よりも多い(16対14)という結果になっています。つまり、近年になって対向配置で9番を演奏することが増えているということになります。もちろん映像に残っていない演奏会の方が圧倒的に多いのですから、わずか33例ではサンプリング数としては少なすぎるのは確かです。しかし、メジャーなオーケストラの例としてはある程度参考にはなる数値と言えるではないでしょうか。

【セカンドが指揮者の右手(対向配置)】 16例
2006年 若杉弘/NHK交響楽団
2009年 ダニエル・バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン
2011年 サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2011年 ダニエル・ガッティ/フランス国立管弦楽団
2011年 ロジャー・ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団
2013年 リッカルド・シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
2014年 グスターボ・ドゥダメル/シモン・ボリヴァル交響楽団 
2015年 ズービン・メータ/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
2015年 クリストフ・エッシェンバッハ/ナショナル交響楽団
2016年 フィリップ・ジョルダン/グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団
2017年 ユッカ=ペッカ・サラステ/WDR交響楽団
2018年 アントニオ・パッパーノ/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団
2021年 サイモン・ラトル/バイエルン放送交響楽団 
2022年 ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団
2023年 イヴァン・フィッシャー/ブダペスト祝祭管弦楽団
2023年 グスターボ・ドゥダメル/ニューヨーク・フィルハーモニック

【ヴィオラが指揮者の右手】 9例
1971年 レナード・バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1996年 ロリン・マゼール/バイエルン放送交響楽団
2002年 小澤征爾/ボストン交響楽団
2004年 クラウディオ・アバド/グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団
2010年 クラウディオ・アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団
2011年 ダニエル・ガッティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
2013年 チョン・ミョンフン/ソウル・フィルハーモニー管弦楽団
2017年 ベルナルト・ハイティンク/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2020年 ダニエル・ガッティ/RAI国立交響楽団

【チェロが指揮者の右手】 9例
1985年 レナード・バーンスタイン/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
1987年 ベルナルト・ハイティンク/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
2009年 パーヴォ・ヤルヴィ/hr(フランクフルト放送)交響楽団
2011年 ベルナルト・ハイティンク/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
2018年 ハルトムート・へンヒェン/フランス放送フィルハーモニー
2018年 エサ=ペッカ・サロネン/シカゴ交響楽団
2019年 セミヨン・ビシュコフ/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
2020年 チョン・ミュンフン/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
2023年 ヤクブ・フルシャ/シカゴ交響楽団(写真のみ)

 マーラーの交響曲第9番は1912年6月26日、マーラーの死後にウィーンで初演されました。その時代のオーケストラのヴァイオリンは対向配置であったと考えられます。指揮したのはブルーノ・ワルターでした。そのワルターの数少ない映像を見る限りでは、既に「ストコフスキー・シフト」が徐々に拡がっていた時代にあってもそのすべては対向配置であることから推測しても、9番の初演時もその配置であったことは間違いないと思われます。

ウェーバー:『オベロン』序曲(1931年ベルリン?)
マーラー:交響曲第4番(1947年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)
ブラームス:交響曲第2番(1958年バンクーバー・フェステバル・オーケストラ)
マーラー:交響曲第4番(1960年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

 マーラーの交響曲第9番が初演された時のヴァイオリンは対向配置であったとして、戦後しばらくしてチェロもしくはヴィオラを外側に座らせて演奏されるようになります。しかし、2000年代に入ってから再び対向配置に戻り始め、現在では数多くのオーケストラが採用するようになったということになります。もちろん。これはこの曲に限った話しではなく、オーケストラの配置のトレンドみたいなものとも考えられます。では何故、マーラーが活躍していた時代には対向配置だった両ヴァイオリンが隣同士に座って弾くようになったのでしょうか。


ストコフスキーの改革
 金子建志氏は千葉フィルハーモニー管弦楽団のホームページにおいて、モーツァルトの手紙にマンハイムの宮廷楽団がヴァイオリンのファーストとセカンドを左右に配置していたという既述があることを紹介して「その後も各地で、ほぼ基本的なフォーマットとして継承されてきた。」と書かれています。シンメトリック(左右対称)をことのほか好むヨーロッパ人にとって、2つのヴァイオリン群をオーケストラの両翼に配置することは自然なことだったのかもしれません。

 その後、古典派からロマン派の時代のオーケストラではほぼこの対向配置が続きます。つまり、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームスをはじめとしてシューマン、チャイコフスキー、そしてワーグナー、マーラーの時代においても変わりませんでした。しかし世紀を跨いだ後、オーケストラにおける両ヴァイオリンの配置は大きく変わっていきます。これはよく言われているように、1930年代に指揮者のレオポルド・ストコフスキーが客席にすべての音を効率よく伝えるためにオーケストラの楽器の配置に手を加えて試行錯誤を繰り返したことから始まったとされています。このことについて Web上の多くのサイトが参照・引用しているのが米国フロリダ州ジャクソンビルの日刊紙の記事です。この中で、現在米国フロリダ州にあるジャクソンビル交響楽団の音楽監督を務める英国出身の指揮者コートニー・ルイス(Courtney Lewis)氏はこう述べています。

 「ストコフスキーは実際にオーケストラを使って理想的な音のブレンドをめざして様々な実験を行なったとされていて、1920年代に、弦楽器の高音楽器から低音楽器を左から右へと配置を変えた。その根拠はヴァイオリンを一箇所にまとめることで、互いによく聴き合えるようになるということだった。のちに『ストコフスキー・シフト』と知られるようになるこの配置は全米に広まったのだ。」
米国フロリダ州ジャクソンビルの日刊紙The Florida Times-Union(2017年4月30日付)
          Stokowski
                           レオポルド・ストコフスキー

 1920年代或いは1930年代にレオポルド・ストコフスキーが提唱したこの弦楽器の配置は、セカンド・ヴァイオリンをファーストの隣に移動させるというものでした。すなわち、ステージに向かってファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという並び方になります。しかし、全米のオーケストラに直ぐその配置が広まったわけではなかったようです。1940年3月24日付けのシカゴ・トリビューン紙の日曜版には、『オーケストラの「過激な再配置」』というタイトルの記事が掲載され、ストコフスキーがシカゴ交響楽団の管楽器をステージの前面に配置して演奏したことを伝え、その配置図を紹介しています。
 
  Radical 
                  ストコフスキーによる「過激な」オーケストラ配置
          
  (当時のフィラデルフィア管弦楽団)
 
 この管楽器がステージ前面に並ぶ奇抜な配置に驚かされますが、弦楽器は確かに左からファースト・ヴァイオリン、セカンド、ヴィオラ、チェロという順に並んでいます。しかし一方で伝統的配置として当時フレデリック・ストックが音楽監督を務めていたシカゴ交響楽団やトスカニーニ率いるNBC交響楽団)の配置も掲載されていて、どちらも管楽器は弦楽器の後方であるのはもちろんですが、ヴァイオリンは対向配置になっています(画像はいずれもシカゴ・トリビューン紙より)。 
   Traditional
                        伝統的なオーケストラの配置(対向配置)@ 
           (フレデリック・ストック率いる当時のシカゴ交響楽団)
    Traditional 
                         伝統的なオーケストラの配置(対向配置)A
            
(トスカニーニ率いる当時のNBC交響楽団)

 余談になりますが、この1940年のシカゴ・トリビューンの記事では管楽器をステージの前に座らせるストコフスキーのやり方は、「ディフェンスライン全体を攻撃ラインの少し前に配置すると決めたフットボールのコーチと同じくらい過激だ 」と書き、さらに聴衆は休符で休んでいる金管や木管、打楽器奏者を何度もしかも長い間見なければならず、この待機している姿を観るためにお金を払うことに疑問が沸くのではないかと指摘し、さらに倹約家のコンサートゴアー達はベートーヴェンの運命交響曲で終楽章まで出番のないトロンボーン奏者は給料を払って貰えないのではと心配するかもしれないとも書いています。つまりストコフスキーの過激なオーケストラ配置に対してユーモアのある言い方ながら批判的な見方を示していることになります。

シカゴ交響楽団での「ストコフスキー・シフト」
 この記事は管楽器の配置についてのもので、弦楽器については管楽器の前か後ろかということ以外は言及していませんが、この1940年という時点における米国における弦楽器の配置の一端を窺い知ることができます。すなわち1920年代に「ストコフスキー・シフト」が考案されて20年が経過した時点ではまだ全米にその配置が浸透していたわけではないということです。ストコフスキーのライバルであったトスカニーニとしては「ストコフスキー・シフト」を採用するのは論外でしょうから伝統的なヴァイオリンの対向配置を堅持していたことは理解できますし、シカゴ交響楽団でもまだ対向配置が守られていたということになります。

 しかし、1962年にシカゴ交響楽団を振ったストコフスキーの映像を見ると意外にもヴィオラが外側に座っていて、管楽器は通常の配置になっていました(バッハ作曲スコトフスキー編曲の『トッカータとフーガ』、ブラームスのハイドン変奏曲)。ストコフスッキーも色々な配置で試行錯誤していたことになります。

 その後、1953年にシカゴ交響楽団の音楽監督となったフリッツ・ライナーのもとでも、遺された2つの映像(1953年モーツァルト、1954年ベートーヴェン)によると対向配置になっています。また、1961年ピエール・モントゥーが客演したベートーヴェンの第8交響曲では対向配置でしたが、同じ年にシャルル・ミュンシュが客演してラヴェルなどを指揮する映像ではヴィオラが外に配置されています。

 1969年に音楽監督として就任したゲオルク・ショルティの映像は見た限りではすべてチェロが外に配置されていて対向配置は行なってはいません。なお、ショルティはシカゴ交響楽団以外のオーケストラでもチェロ外側を堅持しているようで、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1988年バルトーク)、ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団(1991年ブラームス)、プラハ交響楽団(1994年ベートーヴェン)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1994年ベートーヴェン)などの映像すべてチェロが外側でした。ショルティはどんな曲であれ、常に弦楽器を左から右へ高音から低音へと並べる「ストコフスキー・シフト」に忠実だったということになります。

 その後1991年に音楽監督となったダニエル・バレンボイムは曲によってなのか対向配置をしたり、ヴィオラを外側に配置したりしていましたが、次いで2010年に音楽監督になったリッカルド・ムーティはショルティ同様チェロを外側に置くことが多いようです。数少ない映像からの乱暴な推測かもしれませんが、シカゴ交響楽団では1960年代あたりから対向配置が減少していき、バレンボイムなどの例外はありますが、おおむねチェロを外側に配置することが通例となっていったと考えられます。なお、わが朝比奈隆氏がシカゴ交響楽団を振ったブルックナーの交響曲第5番の時はヴィオラが外側に座っていました(1996年5月16日)。また、1990年にシカゴ交響楽団に客演したクラウス・テンシュテットが指揮したマーラーの交響曲第1番ではチェロの外側配置が踏襲されていました。


シカゴ交響楽団とマーラーの交響曲第9番
 シカゴ交響楽団はマーラーの交響曲第9番のレコード録音を3回行なっています。カルロ・マリア・ジュリーニ(1977年)、ゲオルグ・ショルティ(1982年)、ピエール・ブーレーズ(1995年)の3人の指揮者で、オーケストラのヴァイオリンの配置はどうだったのでしょうか。残念ながらそれらの映像は見つからなかったのですが、その録音を聴く限り3つの演奏共セカンド・ヴァイオリンはやや左寄りから、チェロは右側から聞こえてきますので、対向配置ではなくチェロを外側に据えていたと思われます。

 また、他の指揮者がシカゴ交響楽団でこの曲を演奏した映像見ると、ベルナルト・ハイティンク(2011年)とエサ=ペッカ・サロネン(2018年5月)が指揮した映像ではチェロが外側で弾いていますし、ヤクブ・フルシャが指揮したときの写真でもチェロが左側で弾いていました(2023年6月シカゴ交響楽団の公式サイト)。それはつまり、2000年代におけるマーラーの9番演奏は対向配置というトレンドには与しないことにシカゴ交響楽団は拘っているのかもしれません。


ストコフスキーのその後
 さて、このストコフスキーが管楽器を弦楽器群の前に置くなどの大胆な配置したのは、大音量の中でも重要な音を担っている木管楽器を客席に聴かせたいという音響的な理由であったとされています。1943年の彼の著作 Music for All of Us では次のように書いています(増田良介『レコード芸術 2023年7月号』p.82 なお、この『レコード芸術』はこの号でなんと休刊となってしまいました!)。

「ベートーヴェンの田園交響曲の嵐の部分には、バスーン、クラリネット、オーボエに、切迫した表情をもつ強烈なフレーズがある。このフレーズはコンサートホールではほぼ聞えない。オーケストラのほかの部分が大音響で怒涛のごとく演奏しているからだ。」

 これは映画『ファンタジア』についての文章で、映画のサウンドトラックの録音ではそれらの楽器を浮き上がらせることに成功したということが書かれています。しかし、当時のクラシック音楽の録音ではそういうことができなかったとされ、それが可能になったのは「フェイズ4」という特別な録音技術の出現を待たなければなりませんでした。この「フェイズ4」とは、簡単に言うと各楽器にマイクを設置して音を収録し、コンソールで調整するという録音方式で、1964年に初めて登場します。音のバランスや位置関係をコンソールによって調整することで実演ではありえない音響を作り上げるステレオ録音の方式のひとつとして実現したものでした。

 しかしポピュラー音楽は別として、この方式に対してクラシック音楽界では芸術的ではないという批判が当時かなりあったようです。最初のクラシック音楽の作品の指揮者として抜擢されたのは、なんと長年ステージ上の音響改革や録音技術への関心を絶やさなかったストコフスキーだったのでした(曲はR=コルサコフの『シェヘラザード』)。当時82歳だったとか。ちなみにこの「フェイズ4」は1970年代には録音技術の革新と共に姿を消します。現在では複数のマイクは使用するもののコンサートホールで聴こえる音響とあまりかけ離れないスタイルに落ち着いていきます。「フェイズ4」は「ステレオの黎明期のあだ花」とも言える方式だったのです。ともあれ、ストコフスキーの挑戦は録音技術のみならず、オーケストラのステージにおける配置においても大きな足跡を残したことになります。

 ストコフスキーが何故ヴァイオリンの対向配置をやめたかについての確たる記録は今のところ見つかっていません。録音のためには弦楽器は高音楽器から低音楽器へと順番に並べるのが良かったという説が一般的ですが、既述のコートニー・ルイスはアンサンブルを向上させるためだったと書いていますし、ラジオ・フランスのサイトには、「演奏家たちがお互いの音をより良く聞こえるようにするとともに、より良く分散できるようにするため。」という既述もあります。録音と実際のコンサート・ステージの音響は別ものですが、アンサンブルという観点はどちらも同じであることを考えると「録音のため」というよりは「アンサンブルの向上」という目的が真実に近いような気がします。
 
 同じくフランス放送のアーカイブの残されていたストコフスキーが指揮する映像の中に興味深いオーケストラの配置がありました。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽を指揮するシューベルトの未完成交響曲(1969年)。指揮者の左手にファースト・ヴァイオリン、中央にセカンド・ヴァイオリン、右手にヴィオラを配置し、木管がヴィオラの後ろ、金管は中央に座り、チェロがなんと中央の最後列に一列に並び、その後ろにコントラバスを配するというものでした。この映像は YouTube でも観ることができます。ストコフスキー87歳の時の映像で、ベートーヴェンの『運命』とシューベルトの『未完成』がプログラムされていました。
 Stokowski conducts Beethoven 5 and Schubert 8 - London Philharmonic (1969)
 
     Stokovsky
                      ストコフスキー/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
                                   (ステージ後方、金管楽器の後ろにチェロとバス)
                
     Stokowsky
                      ストコフスキー/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
                                    (指揮者の右手にヴィオラ、その後ろに木管楽器)
                

 この配置は、スイス・イタリア語放送交響楽団(1968年チャイコフスキー、ここでは指揮者の右手側は空間が少しあってホルン、その奥にフルート、他の金管、打楽器は指揮者の右手後方に見えます。)、アメリカ交響楽団(1968年ベートーヴェン、ラフマニノフ)でも行なっていて、1965年に来日して日本フィルハーモニー交響楽団を振ったチャイコフスキーの交響曲第4番でも採用されていました。ストコフスキーの変幻自在な棒に食らいつく日フィルの姿だけでなくチェロ・バスがステージ後方正面に並ぶ光景が印象的です。この時演奏された日フィルの団員の方のお話を是非とも聞いてみたいものです。なお、同じ来日で読売日本交響楽団を1回だけ振った時も同じ配置でした。この時の記録はLPレコードとして発売されていて、そのステージの写真がジャケットに使われているのでオーケストラの配置がよくわかります。また、日フィルとの演奏の映像はわずか2分間ですがYuoTubeにアップされています(開始後1分あたり)。
Stokowski conducts Tchaikovsky's Symphony No. 4 (1965)


 さらに、1942年にロサンジェルス管弦楽団を指揮したショスタコーヴィチのレニングラード交響曲の3分程の映像を見るとチェロ・バスがステージ後方に、ヴィオラが外に座っています。しかし、ヴァイオラの後方はハープや打楽器がいて、木管の位置は確認できませんでした。なお、この演奏でのコンサートマスターは女性でした。

 しかし、ストコフスキーはいつもこういう変則的な配置だったかというとそうではないようです。ストコフスキーと言えば映画『オーケストラの少女(One Hundred Men and a Girl)』(1937年)が直ぐに思い起こされますが、そこで演奏されるチャイコフスキーの交響曲第5番やワーグナーの『ローエングリン』前奏曲では管打楽器は通常の配置でチェロが外側でした(フィラデルフィア管弦楽団)。1947年の映画『カーネギーホール』でも同じチャイコフスキーの交響曲第5番でチェロを外側にしています(ニューヨーク・フィルハーモニック)。

 さらに、1962年のシカゴ交響楽団(バッハ作曲スコトフスキー編曲の『トッカータとフーガ』、ブラームスのハイドン変奏曲)ではヴィオラが外側、1962年のザールブリュッケン交響楽団(バッハ作曲スコトフスキー編曲の『パッサカリアとフーガ』)ではチェロが外側でした。1972年にチェコ・フィルハーモニーを振る同じ『トッカータとフーガ』でもチェロが外側、最晩年の映像と思われる1972年、92歳バースデイ・コンサートにおけるストコフスキーがロンドン交響楽団を振るドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』、グラズノフのヴァイオリン協奏曲などでもチェロが外側でした。スイスや日本などで自ら主張する配置を披露する一方、ヴァイラやチェロを指揮者の右手側に配置することもよしとしていたことがわかります。しかし、旧来の配置であるセカンド・ヴァイオリンを外側にしている映像は見つけられませんでした。つまりストコフスキーは、管楽器の過激な配置をどこでもやっていたわけではないのですが、弦楽器の「ストコフスキー・シフト」は一部の例外を除けば堅持していたと考えられます。
     Stkowsky
                         ストコフスキー/シカゴ交響楽団(1968年)
                        (ハチャトリアン:交響曲第3番録音セッション、チェロが外側)
             

ヘンリー・ウッドの主張
 英国では指揮者のヘンリー・ウッドもこの配置を採用し、「より良いアンサンブルが保証され、全ての f  字孔が客席に向いているので、音量と音質が改良される」とジャクソンビルのコートニー・ルイス氏は書いています。英国のオーケストラで初めて女性の奏者を正規の団員をして採用するなどオーケストラの改革者として知られるヘンリー・ウッドは、1895年に始まったBBCプロムスの指揮者を第1回から務めるなど、当時英国で最も活躍していた指揮者ですが、1922年に描かれたスケッチによるとまだヴァイオリンは対向配置となっています。残されたわずかな映像を確認すると、1926年の王立音楽院での無声映像ではチェロが外側に座っていますが、1938年の映像(ヴォーン=ウィリアムズの『音楽へのセレナード』)では対向配置のようです。ヘンリー・ウッドが没する1944年までにヴァイオリンをどのように配置したのか、ルイス氏が指摘するように対向配置をやめたのか、曲や会場によって配置を変えたのかはわからないというのが結論です。

 このヘンリー・ウッドの f  字孔に関する指摘は、ヴァイオリン奏者ならその理屈はすぐわかります。ヴァイオリンの音は楽器の表板にある2つの穴( f  字孔)を中心に表板の垂直方向へと出て行くことが知られていて、楽器は左肩に載せて弾きますのでその音の方向は、奏者から見て、弾く弦や姿勢に個人差はあるもののやや右斜め上方となります。つまり、ファースト・ヴァイオリンが客席から見て左側に座ると、音は客席に効率よく届けることができるのです。

 ということは対向配置の場合、ファーストの反対側、客席から見て右側に座るセカンド・ヴァイオリンの 字孔の向きは客席とは逆のステージ奥の上方を向いているので、音は直接客席には向かっていかないことになります。つまり聴衆はステージ奥の反響板や天井からの反射音を聞いているということになるのです。見た目にはステレオ効果が得られると思われるものの、実際聞えてくる音の方向は厳密に言えば左右バランスの取れたものではないのです。もちろん、奏者の直ぐそばで直接音を聞く指揮者には対向配置のヴァイオリンの音は左と右からバランス良く聞こえるのは間違いないでしょう。しかし、ある程度距離がある客席からは座る座席の位置によるとは思いますが、それほど明確に左右分かれた音としては聞えないのではないでしょうか。

 そのセカンド・ヴァイオリンがファーストの隣の奥側に座れば、f  字孔の向きもファーストとほぼ同じとなるので、同様にその音を客席に伝えることができる、というのがヘンリー・ウッドの主張だったのです。

 もちろん、ステージ奥にある反響板から跳ね返ってきますから、客席から見て右側に座っているからといって音が聴こえないことにはなりません。さらに、いい楽器を名手が弾けば裏板からもいい音が出るということも忘れてはなりません。なお、ヘンリー・ウッドが唱えた当時イギリスではこの配置が広まりますが、ドイツやオーストリアなどの他のヨーロッパではあまり採用されなかったとされています。


ヨーロッパにおける「ストコフスキー・シフト」
 しかしヨーロッパのオーケストラの古い映像を見ると、伝統的な対向配置に固執していたわけではなかったことがわかります。ストコフスキーの提唱から約20年経過した、1942年4月19日に行なわれたヒトラー生誕記念前夜祭で、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するベートーヴェンの第9交響曲の映像ではヴァイオリンは対向配置となっています。しかし、同じ年に撮影されたワーグナーの『マイスタージンガー前奏曲』を指揮するフルトヴェングラーの映像ではセカンド・ヴァイオリンはファーストの奥側に隣り合わせに座り、次いでチェロ、外側はヴィオラと座っています。その翌年の1943年に収録されたオイゲン・ヨッフムが指揮したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の映像でもヴィオラが外側に座っています。

 さらにフルトヴェングラーの他の映像を見ると、1948年11月2日にロンドンのエンプレス・ホールで行なわれたリハーサル映像では、上記の『マイスタージンガー』と同様、セカンド・ヴァイオリンはファーストの奥側に隣り合わせに座り、チェロ、ヴィオラと順に右に座っています(ヴィオラが外側)。また1951年頃のシューベルトの未完成交響曲のリハーサル映像での弦楽器の配置も同じとなっています。

 一方、フルトヴェングラーとほぼ同じ時期に活躍したハンス・クナッパーツブッシュの場合は、残された数少ない映像を見る限りヴァイオリンはすべて対向配置になっています。1944年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振った英雄交響曲、1962年、1963年のウィーン芸術週間でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のワーグナーなどの演奏会がそれで、これまで主流だった配置にこだわっていたと考えられます。

 1967年にラファエル・クーベリックが指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のベートーヴェンの英雄交響曲、同じくクーベリックが指揮する1971年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のブルックナーのロマンティック交響曲ではヴァイオリンの対向配置はせず、ヴィオラは外側にいます。しかし、1979年にバイエルン放送交響楽団でマーラーの交響曲第1番『巨人』を演奏するときは対向配置になっています。クーベリックはどちらの配置も受け入れていたことになり、それが曲によるのかホールによるのかなどとても興味深いところです。

 オーケストラの映像が見られる、遅くとも1940年代にはヨーロッパでも対向配置ではない配置が採用されていたことがわかります。しかし、チェロでなくヴィオラが外側にいるので、厳密には「ストコフスキー・シフト」ではない、アメリカの真似はしたくないということでしょうか。この時代で映像に残っている演奏会は全体の数パーセントにも満たないと思われますし、またその多くはない映像のすべてを見たわけではないので、これは乱暴な推論ではありますが、ヴァイオリンの対向配置における演奏上の不都合にヨーロッパの演奏家たちも気付き始めたと考えてもいいのではないでしょうか。1940年代から1960年代の映像を見る限り、ヨーロッパにおいて対向配置は依然として採用はされてはいましたが、ヴィオラが外側という配置が徐々に増えていったと考えられます。


カール・ベーム
 1970年代におけるカール・ベームがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ったモーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、R.シュトラウスなどの演奏では、映像を確認した限りではすべてヴィオラが外側に座っています。1963年、1975年、1977、1980年と4回の来日を行なったベームですが、ベルリン・ドイツ・オペラとの来日だった1963年のときは不明ですが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との3回すべての公演でヴィオラを外側に座らせています。

 ベームが指揮者デビューをしたのが1917年、その頃はおそらくヴァイオリンは対向配置だったと考えられますが、米国のストコフスキーや英国のヘンリー・ウッドらの影響なのか、或いは独自の考え方なのかはわかりませんが、ヨーロッパにおける対向配置を避ける流れに乗っていたひとりということになります。


セルジュ・チェリビダッケ
 一方でチェロを外側に配置する例もあります。その指揮者はルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケです。1950年代から1990年代までの間、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ様々なオーケストラを振る映像が残っているチェリビダッケはほぼ一貫してチェロを外側に配置して演奏しています。彼の最も古い映像とされるもので、連合軍の爆撃で廃墟となった旧ベルリン・フィルハーモニーにおけるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との『エグモント』序曲(1950年)ではチェロが外側で弾いています。前任者フルトヴェングラーとは違うことをアピールしたかったのでしょうか。

 その他では、シュトゥットガルト放送交響楽団とのR.シュトラウス(1965年)、スェーデン放送とのラヴェルとチャイコフスキー(1965年)、RTVE交響楽団とのベートーヴェンの交響曲第5番(1971年)、ロンドン交響楽団とのムソルグスキー(1980年)、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とのブルックナーの交響曲第8番(1990年)、ベルリン・フィルハーモニー復帰コンサートにおけるブルックナーの交響曲第7番(1992年)など、すべてチェロが外側でした。唯一ヴィオラが外側に座っているのはエネスクのルーマニア狂詩曲第1番の映像で、これはヴィオラの華々しいソロがあるから外に座らせたものでhないかと考えられます。

 残念なことにチェリビダッケはマーラーをあまり演奏しなかったためにマーラーの9番で弦楽器をどう座らせたかはわかっていません。なんせマーラーを「二流の作曲家」と貶していた人ですから。しかし、1950年という早い時期に「ストコフスキー・シフト」を行なっていたというのは興味深いところです。第二次大戦前後の米国におけるオーケストラの動向についての情報が、敵国だったドイツの首都にまで届いていたとは考えにくいので、この配置はチェリビダッケ独自のものだったのかもしれません。


ヘルベルト・フォン・カラヤン
 オーケストラの映像作品を大量に制作したヘルベルト・フォン・カラヤンもストコフスキー同様に様々な実験的な配置をしたことはよく知られています。しかし、映像作品におけるカラヤンは、音響やアンサンブルの向上をめざしたというよりはオーケストラの視覚的な理想像を追求し、さらにその中で指揮をする自分の姿が最も映えることを目指したとも考えられます。カラヤンの映像ではヴァイオリンの対向配置はあまりやっていないようで、客先から見て右側はチェロまたはヴィオラを座わらせています。映像収録を前提としていなかったと考えられる実演として1959年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演でもヴィオラが外側に座っていました。また、1978年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのマーラーの交響曲第5番のリハーサル映像でもヴィオラが外側に座っています。

 カラヤンは自分の右側にセカンド・ヴァイオリンを座らせるという選択肢はなかったとして、ではそこをヴィオラにするかチェロにするかの判断はどうしていたのでしょうか。ブルックナーの交響曲を例にしてみましょう。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振った第9番(1985年)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振った第8番(1979年 聖フローリアン、1988年 ムジークフェライン)ではヴィオラが外側に座っていますが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振った9番(1978年 ムジークフェライン)の映像ではチェロが外側に座っています。年月の隔たりやオーケストラやホール、さらには書かれている音符などが考えられますが、何が配置の違いをもたらしたのでしょうか。

 最もカラヤンの映像が残っているベートーヴェンの交響曲で面白いのは、3回も収録している第9交響曲ではすべてヴィオラが外側に座っていて(1968年、1977年、1986年)、同じく第1、2、4、7番でもヴィオラが外側ですが、第3、5、6番ではチェロが外側に座っています。このうち第3番『英雄』の場合、1981年10月28日に東京文化会館で演奏したベートーヴェンの英雄交響曲はチェロではなくヴィオラが外側でした。曲によってチェロかヴィオラか決めているのかと思いきや、第3番『英雄』では両方の記録が残っていることになります。なお、1967年から1972年にかけてスタジオで収録されたベートーヴェンの交響曲については視覚を重視した変則的な配置をしているのでこの考察では除外とします(1971年の8番は普通の配置で収録されていてチェロが外側でした。)。3種類の映像が残っている第9交響曲ではすべてチェロが外側ということは、例の第4楽章の冒頭のチェロの活躍を聴衆に見せたかったのかもしれません。しかし、その他の曲でどちらにするかをどのように決めていたのかはわからないというのが結論でしょうか。


サイモン・ラトル
 指揮者の中で最も弦楽器の配置に執着しているのはおそらくサイモン・ラトルではないでしょうか。38歳の若さで初めてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ったラトルは(1993年12月4日と5日)、その演目にマーラーの交響曲第9番を選んだということだけでも驚きなのに、ヴァイオリンの対向配置を要求したところウィーン・フィル側から反対されて危うく演奏会がキャンセルになるところだったという逸話の持ち主です。ラトルはイギリスの古楽器オーケストラで知られるエイジ・オブ・インライトゥメント・オーケストラに度々客演するなど、古典音楽に対するオーセンティックな演奏スタイルに早くから関心を持っていたことを考えると、作曲された時代のオーケストラの弦楽器の配置に忠実にあろうとする意識が他の指揮者よりも高かったのでしょうか。

 1985年にフィルハーモニア管弦楽団と共に初来日した弱冠30歳のラトルはシベリウスの交響曲第2番でチェロを外側にして指揮していました。その2年後にバーミンガム市交響楽団と来日してマーラーの交響曲第1番を振った時もチェロが外側でした。しかし、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する前後ではヴィオラを外側にしている映像(1993年幻想交響曲、1998年マーラー交響曲第4番)もありますが、2002年9月、首席指揮者に就任した最初の演奏であるマーラーの交響曲第5番では早くも対向配置にしています。カラヤン、アバドの時代では考えられなかった対向配置を採用することは、前任者に対する対抗心の顕れとも、ラトルの強い決意の表明とも見做すことができるのかもしれません。

 映像が見られるラトルとベルリン・フィルハーモニーの演奏会で、半数以上のケースでセカンド・ヴァイオリンが外側に座る対向配置になっています。ブラームス(2004年日本、2008年交響曲全集)、ブルックナー(9番:2011年、7番:2013年 来日公演)、モーツァルト(2013年 ルツェルン)、ベートーヴェン(2008年 モスクワ、2014年の全曲チクルス、2013年 ヴァルトビューネでの第9など)、コダーイ(2014年 ジルベスター)、シューマン(2015年 アテネ)、ハイドン(2015年、2017年)、そしてベルリン・フィルハーモニー首席指揮者最後の演奏会となった2018年のマーラーの交響曲第6番などが対向配置でした。

 一方、毎年大晦日に開催されるベルリン・フィルハーモニーのジルベスター・コンサートでは、多くの場合ヴィオラが外側に座っていました。ただ、2005年(歌劇『フィガロの結婚』第4幕)と2006年(歌劇『バラの騎士』抜粋)の時は対向配置でした。オペラの場合、セカンド・ヴァイオリンは伴奏に徹することが多いので、外側に座る意味はあまりないような気がするのですが、ラトルはどんな考えも持っていたのでしょうか。モーツァルトだから対向にしたかったのか、では R.シュトラウスの場合は何故なのでしょうか。ヴィオラが外側なのは他に、2004年のブラームス(シェーンベルク編曲)の弦楽四重奏曲第1番、2005年のストラヴィンスキーの『火の鳥』、2011年のラフマニノフの交響曲第2番、2014年のシベリウスの交響曲第4番、2015年のラヴェルの『ダフニスとクロエ』などがあります。

 興味深いのはストラヴィンスキーの『春の祭典』で、2003年、2009年(ヴァルトビューネ)、2014年すべておいてヴィオラを外側に配置していますが、2013年の来日公演では対向配置となっていました。なお、ロンドン交響楽団ではチェロが外側で弾いていました(2015年)。この曲が初演された時のヴァイオリンはおそらく対向配置だったと思われますが、スコアを見る限り、ヴァイオリン同士の掛け合いはほとんどないし(例外的に第1部の最後で8小節間だけ16分音符の掛け合いはあります。)、特に第二部では弦楽器全パートがほぼ同じリズムを刻んでいますので、どこに座っても変わりはないとも言えます。穿った見方をすれば、他のオーケストラはやらない、若しくはやれないだろうという理由で対向配置にしたのかもしれません。

 2017年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との最後の来日公演、11月23日のミューザ川崎でのラフマニノフの交響曲第3番は対向配置ではなかったものの、翌24日のサントリーホールでのブラームスの交響曲第4番では対向配置でした。

 一方、2017年に音楽監督に就任したロンドン交響楽団では、チェロを外側に配置することが多いようです。上述のようにストラヴィンスキーの『春の祭典』ではチェロが外側で弾いていましたし(2015年)、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』(2016年)、シェーンベルクの『グレの歌』(2017年)、エルガーの『エニグマ変奏曲』(2017年)、ブリテンの『春の交響曲』(2018年)ではチェロが外側でした。しかし、ブルックナーの交響曲第7番では対向配置(2016年)を採用していました。

 2018年のロンドン交響楽団との来日公演期間中は両方の配置を見せてくれています。9月25日のマーラーの交響曲第9番では対向配置にするものの、9月27日のヤナーチェクの『シンフォニエッタ』と9月29日のシベリウスの交響曲第5番ではチェロ外側にして演奏しています。さらに、2022年ロンドン交響楽団との来日公演では、9月30日のブルックナーの交響曲第7番では対向配置にしていましたが、10月2日のエルガーの交響曲第2番ではチェロを外側にし、10月5日と7日のブルックナーの交響曲第7番では再び対向配置にしていました。さらにその間に挟まった6日のシベリウスの交響曲第7番も対向配置でした。別の日の曲を続けてリハーサルすることはないのでしょうか。もしそういうケースがあった時は席替をしたのか、それとも本番と違う配置でリハーサルしたのでしょうか。本拠地での演奏会はいいとしても、海外ツアーで弦楽器の配置を変えるのは団員もですがステージ・マネージャーなどスタッフにはめんどうな話ではないかと心配してしまいます。


対向配置の効果
 ヴァイオリンの対向配置のメリットとして真っ先に指摘される、ステージの左右から音が聴こえてくるステレオ効果の面白さがあります。確かにそれを意図して作曲したと思われる箇所も多数あります。良く言われるモーツァルトの交響曲第25番や、ベートーヴェンの田園交響曲、チャイコフスキーの悲愴交響曲などで、同じフレーズを両ヴァイオリンが交互に演奏したり、ひとつのフレーズを分割して交互に演奏したりする「掛け合い」と言われるところです。

 しかし、その作曲家たちは同時にファーストとセカンド・ヴァイオリンを同一の楽器群として捉えて音符を書いているということも忘れてはなりません。つまり、全く同じ音符を弾くユニゾンやファースト・ヴァイオリンの1オクターヴ下の同じ音をセカンドが弾くケースはかなりの曲で見受けられるところです。これは主旋律を弾くことが多いヴァイオリンの音量を上げることでそれを際立たせることが目的と考えられます。実はこの書き方が多くの作品で全曲の中でもかなりのパーセントを占めているのも事実です。つまり作曲家は同じ曲の中で、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンが隣同士で弾いた方がいいフレーズと、左右に分かれて弾いた方がいいフレーズの両方を書いているということになります。

 ヴァイオリンの対向配置におけるステレオ効果という概念は、果たしてモーツァルトやベートーヴェン、さらにはマーラーといった作曲家の頭にあったのでしょうか。現代人にとっては家庭にオーディオが普及してスピーカーを左右に並べてレコードを聴くというスタイルが根付いていますから、右と左から別々の音が聴こえてくることはあたりまえのことであります。しかし、いわゆるステレオ装置がなかった時代において、音楽はコンサートホールでしか聴けなかったのですから、音は座る位置によって様々であり、またホールによっては反響音などで混ざった状態で聴こえたはずで、「ステレオ」という概念そのものがなかったと考えられます。

 また、指揮台に立った状態で聴こえるイメージで作曲していたとすると、かなりの割合でファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンの音符をユニゾンやオクターヴで書くというのはどういう発想からなのでしょうか。左右から同じ音を強音で出すには、左から高い音、右からオクターヴ低い音が聴こえるよりは、どちらからも高音と低音が聴こえたほうがいいのですから、どちらのヴァイオリンも同じ重音にして、プルトの表と裏で高音と低音を弾き分けた方が効果的です。しかし、こうした書かれ方はあまり見たことはありません。
 
 
チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』
 対向配置の有名な例として挙げられる、チャイコフスキーの悲愴交響曲の終楽章冒頭でファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンがひとつのフレーズを1音毎に弾き分けるという変わった書き方をしているところがあります。これは、苦悩と悲しみを最大限表現したいためにフレーズを滑らかに弾いてほしくないという作曲家のアイデアと考えられています(この音符については金子建志氏による千葉フィルハーモニー管弦楽団のホームページをご参照ください。
チャイコフスキー 交響曲第6番 《悲愴》 の楽曲解説


 チャイコフスキーはステレオ効果を目論み、両ヴァイオリンがステージの左右に分かれて弾くことを前提としてこの音符を書いたのでしょうか。離れて座って弾けばその意図通りの効果が上がるのか、隣同士に座って弾いてもその効果は上がるのではないか、等々疑問も起きなくはありません。また、曲の中で3回目に再現されるときはファースト・ヴァイオリンにフレーズ全部を弾かせることでその輪郭を明確なものにしているのですが、この時セカンドはファーストの5度下をなぞり、ヴィオラ、チェロと共に豊かな響きを作り出しています。つまりここではファーストとセカンドが左右に分かれる必要はないとも考えられます。

 この第4楽章の音符の書き方は、ステレオ効果を上げようということではなく、フレーズの展開の過程におけるひとつの試みという見方もできるのではないでしょうか。確かにこの曲のどの解説にもこの工夫を凝らした音符について書かれているのですが、実はこれまで何度この箇所を聴いても音符の効果が音に反映されているようには感じられず、いいオーケストラである程、美しく滑らかに聴こえてしまうのです。作曲家の意図通りに聴こえないのは自分だけなのかもしれないので黙っていました。チャイコフスキーはこの曲の初演で指揮をしていて、そのわずが9日後に亡くなります。リハーサルや本番の時にこの箇所の演奏を聴いてどう思ったのでしょうか。 


シューマンの交響曲第4番
 一般的にオーケストラのスコアは上の段から下の段へ、木管、金管、打楽器、弦楽器というグループに分かれていて、さらにそれぞれのグループの中では上から高音楽器、中音楽器、低音楽器と並んでいます。つまり、弦楽器はファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの順に上から下へと書かれています。もちろん、作曲家が音符を書く時に五線譜に楽器の配列をどうしたかは手稿を見なければ正確にはわかりませんが、五線譜に音符を並べるときに、楽器の並び方にも作曲家の判断に影響を与えることもあるのではないかと考えられます(手稿では弦も管も分けずに高音から順になっていることもあります。)。

 シューマンの交響曲第4番のスコアを見ると、第1楽章や第4楽章で低弦から高弦へと同じフレーズや音階を順番に演奏する箇所がいくつもあります。シューマンの時代のオーケストラのヴァイオリンは対向配置になっていたはずですから、この箇所を演奏するとフレーズが左右あちこちから飛んで聴こえることになります。譜面の段の下から上へと順番にフレーズが書かれていると、実際のオーケストラでも右から左へ、低音から高音へと順に推移できる配置の方が自然に思えます。おそらくシューマンは音符を並べる時に弦楽器パートの位置情報には無関心だったのではないでしょうか。少なくともこの箇所においては、「ストコフスキー・シフト」で演奏した方がより作曲者のイメージに近いものになると考えられます。
             Schuman
                           シューマン:交響曲第4番ニ短調 第1楽章
                     (上段からファースト、セカンド、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)


おわりに
 マーラーの9番について書こうと思っていたのが、書き始めると話がどんどん逸れて行ってしまいました。途中、夏の暑い時期になって文章を書く集中力が失せてしまい3ケ月近いブランクがあったりしてまとまりのないものになり、結論めいたことも書けませんでした。

 スポーツの世界では様々なデータが記録されていて、テレビの解説などでは選手が映ると瞬時にその様々な成績の数字が紹介され驚かされます。それと同じようにオーケストラにおいても演奏会や録音におけるデータを記録として残してほしいものです。楽器の配置や何故そうしたかについても残っていればいいのですが。

 


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