ハンス・ロットは、1878年5月にウィーン音楽院の卒業試験に『管弦楽のための組曲』を提出し、同年7月にウィーン音楽院作曲科の卒業生を対象としたコンクールに交響曲第1番の第1楽章を提出しています。この時、マーラーはピアノ五重奏曲のスケルツォ楽章を提出して1等を受賞しますが、ロットだけが何も賞を取れなかったとされています。ロットの曲が演奏されたとき、それは審査員から失笑を買っただけでしたが、ブルックナーは「諸君、笑うのはよしたまえ、君たちは今後この人物が創り出す素晴らしい音楽を聴くことになるのだから」と言ったことが知られています。決して完成度が低い作品ではないと思いますが、作風がワーグナー調に聴こえたことで、当時音楽院の教授陣の大半は反ワーグナーだったと考えられますのでそれは当然の結果だったのでしょう。ロットは1876年にバイロイトに詣でていたこともあり、日頃からロットをワーグナーの悪しき洗礼を受けた問題児と目していたことで、曲を聴く前からけしからん作品と決め付けていたのかもしれません。この時に抗議したブルックナーの逸話は、カール・フルバイという人が書いたブルックナーの伝記が出典とされています(Meine
Erinnerungen an Antonby Carl Hruby, Schalk, 1901.
なお、この書物の原文はドイツ語でしかも旧字体で出版されているので筆者はまだ内容を読んでいません。どなたか翻訳していただけると助かるのですが・・・。)。しかしこの逸話を裏付ける資料は他にはないようなので、どこまで本当の話なのかは今のところは不明なままです。