阿川弘之作品のページ No.1


1920年広島県生、東京帝国大学文学部国文科卒。42年海軍予備学生として海軍に入隊、海軍大尉にて復員後、志賀直哉に師事。52年「春の城」にて第4回読売文学賞、60年「なかよし特急」にて第7回サンケイ児童出版文化賞、66年「山本五十六」にて第13回新潮社文学賞、87年「井上成美」にて第19回日本文学大賞(学芸部門)、94年「志賀直哉」にて野間文芸賞および毎日出版文化賞、2002年「食味風々録」にて第53回読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞。1999年文化勲章を受章。2015年08月老衰にて死去、享年94歳。


1.
米内光政

2.井上成美

3.志賀直哉

4.雪の進軍

5.七十の手習ひ

6.蛙の子は蛙の子

7.葭の髄から

8.酔生夢死か、起死回生か。

9.春風落月

10.人やさき 犬やさき


大人の見識、言葉と礼節、天皇さんの涙、文士の好物

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1.

●「米内光政」● ★★


米内光政画像

1978年12月
新潮社刊
(上下)

1982年05月
新潮文庫化

1994年08月
新装版刊

  
1985/06/02

「山本五十六」に引き続いて読了。深く感銘を受けた作品です。
米内光政は、山本五十六が海軍次官だった時の海軍大臣、そして終戦を決定した時にも再度海軍大臣を務めた人物です。米内−山本−井上というトリオが、日独伊三国同盟反対、英米開戦反対の旗頭であったことは、一般に広く知られた事実です。
「山本五十六」は、前半は次官として開戦に反対した事実を描きながらも、後半は連合艦隊司令長官としての山本を描き、結局個人の物語として終わってしまいました。それに対し、本作品は常に政治の中にあり、太平洋戦争を通じて反・戦争派から見た大戦の歴史となっているようです。
同じ軍隊といっても、陸軍と海軍では、成り立ち、対外姿勢等、多くの面に違いがあったようです。海軍がそうした牽制機能を持っていたにも拘らず、陸軍の煽動によって国民までもが戦争肯定に引き釣りこまれたという歴史事実に、煽動者の恐ろしさをつくづく感じます。

本作品は、米内光政を完全な人間として描いているわけではなく、第三者から見た米内を詳細に描き尽くしています。したがって、米内の無口さ、見識は高いながらも指導力に欠ける点も、彼の欠点として指摘されています。しかし、その見識の正確さ、信念に対する無心な努力は、尊敬されるべきものでしょう。
読んで良かったと、久々に感じる作品でした。

    

2.

●「井上成美」● ★★★        日本文学大賞(学芸部門)


井上成美画像

1986年09月
新潮社刊

1992年07月
新潮文庫化

1994年08月
新装版刊

1986/09/27

amazon.co.jp

「山本五十六」「米内光政」と続く海軍3部作の最終作、「海軍きっての知性」と言われた最後の海軍大将・井上成美を描いた作品です。
読み始めから読み終えるまで、他のことをする気に一切なりませんでした。海軍史、そして太平洋戦史として貴重な仕事であると同時に、優れた文芸作品であると、心から思います。

本書は、一般の伝記もののように、年次順に井上のことを取り扱っていません。戦後の悲惨と言いたいような清貧生活、海軍時代を、織り合わせるかのように書き綴っています。そうした手法が単調な伝記ものになることを防ぎ、井上成美という人間の、不可解なまでの潔癖さを強く浮き彫りにしています。
彼の一切妥協をしないという強い姿勢は、反戦派の人達にとって心の拠り所になっていたのではないかと思えます。

また、もうひとつ感銘を受けたのは、兵学校時代の彼の考え方です。文官たちを蔑視せず、“教養ある者の責任感”を評価する態度は、現代にも通じる重要なことのように思います。読みながら、目の覚める思いでした。
戦艦不要論、航空優先、兵学校生徒達への教育方針、ドイツ・イタリアの国民性に対する深い洞察、井上の見識はいずれも確かなものでした。
人格がどうのこうの言う前に、リーダーたる人物に何より必要とされるものは、こうした見識だと思います。
しかし、そうした人物を見出すことは、本当に難しいことです。

      

3.

●「志賀直哉」● ★★★       野間文芸賞・毎日出版文化賞


志賀直哉画像

1994年07月
岩波書店刊
上下2巻
(各1748円+税)

1997年08月
新潮文庫化
上下2巻

  
1994/10/15

阿川さんは、志賀直哉の最後の方にあたる弟子だそうです。本書はその弟子の手による、 志賀直哉の素顔をありのままに書いた評伝と言って良いと思います。
また、評伝というものに、阿川さんがすっかり手馴れてきたな、という第一印象がありました。
本書は、著者が勝手に志賀直哉像を創り上げるのではなく、豊富な事実と資料を積み上げていく手法をとっています。それがかえって、志賀直哉という人物像を、生身の温かさをもって感じさせてくれるような気がします。
志賀直哉について従来知っていたことといえば、“小説の神様”と評された老人の姿です。そして、「和解」「大津順吉」に書かれたように、実父との間で反目があったらしいこと。
本書の魅力は、志賀直哉という人間の魅力を、余すことなく知ることができる点にあると思います。気取らない、偉ぶらない、率直で、はっきりとした言い方をする潔癖な性分。その一方、我侭で、泥臭い面も合わせ持っていたようです。
事実、東京から熱海の不便な場所へ引っ越してもなお、暫くすると千客万来でどうにもならなくなったと言います。直哉のみならず、康子夫人、貴美子等子供達、そして志賀家の雰囲気にとても魅せられるものがあったのでしょう。
実際の2冊という分量を遥かに超えて楽しめた作品です。

   

4.

●「雪の進軍」● ★★★


雪の進軍画像

1996年07月
講談社刊
(1845円+税)

2001年02月
講談社文庫化

  

1996/10/27

日経新聞の書評において賞賛されていたのを読み、買い込んだ本ですが、読み損なわずに済んで 本当に幸せだった、と実感した一冊です。
エッセイ集ですが、その内容は実に盛り沢山。
国際感覚からのエッセイは内田百ばりですし、旅行エッセイも内田百閧ノ優るとも劣らず。更に、志賀直哉やその周辺の人たちの思い出等、楽しみの要素は限りなくあります。よく、この一冊の中にすべて収めたものだ、と思う程。珠玉の宝石箱と表現したいような気持ちです。
中では、次の内容のエッセイが、心に残りました。
一、鈴木貫太郎がルーズベルトの死に対しアメリカ国民に向かって哀悼の言葉を送っていた、ということ。ヒトラーの言葉とはまるで正反対のものであり、アメリカに、日本とドイツに対する認識の違いをもたらしたと言います。
一、竹下登元首相の変な日本語への批判。一国の首相の器にあらずと言う趣旨。全く同感。日本語の美しさは、大事にしたいものです。
一、谷川徹三氏の葬儀に際しての阿川さんの弔辞。一方、フランス料理の研究家で有名だった辻静雄氏の子息・芳樹氏の結婚披露宴に際しての祝辞。名文とユーモアに溢れていて、流石と思わざるを得ません。なかなか素人には許されないような祝辞です。
プロの文筆家のエッセイはこうだ、と思わせるような一冊です。

中でも面白かったのは …
「明治」という国家、雪の進軍、竹下首相退陣、敗戦記念日、湾岸戦争、拝啓ミッテラン大統領閣下、志賀・谷崎展、岩波新書「志賀直哉」、青山に眠る「白樺」の作家たち、早すぎた終焉、谷川徹三先生葬儀弔詞、辻・松岡両家結婚式祝詞

  

5.

●「七十の手習ひ」● ★★

七十の手習い画像

1995年06月
講談社刊
(1845円+税)

1999年11月
講談社文庫化

1997/03/19

雪の進軍に味をしめて読んだ、2冊目のエッセイ。

二番煎じとなっただけに「雪の進軍」を読んだ時程の感激はありませんでしたが、本書もまた充分楽しめました。
北杜夫さん、遠藤周作さん等との交流の様子が随所にでてきて、興味つきません。
また、吉行淳之介との交友歴一切は、深く胸に刻まれるような気がしました。

中でも面白かったのは …
七十の手習い、ひらひらするのは何ぢやいな、躁の宗吉が描いた茂吉像、六十の手習い、五十年目の手旗信号、百關謳カ置き薬説、幸田文さんの思ひ出、四十年目の上海港、菊池寛と志賀直哉、「ドリトル先生」で偲ぶ井伏さん、福田恒存さん追悼、追懐 淳之介との四十年

 

6.

●「蛙の子は蛙の子」(阿川佐和子・共著)● ★★


1997年03月
筑摩書房刊
(1500円+税)

2000年06月
ちくま文庫化


1997/04/18

父と娘の往復書簡集とは、筑摩の担当者もうまいことを考えたものです。この一冊の魅力はそこに尽きると言って過言ではありません。
この本の妙味は、当初硬い感じで書き出した娘・佐和子さんが、次第に遠慮が取れてきて本音のままに父親に語り掛ける、という流れを追う部分にあるように思います。
一方、父・弘之氏はというと、そこはそれ文筆業でははるかな先達であり、悠然と佐和子氏の誘いを受け流しているという印象です。
些細なことかもしれませんが、佐和子さんの語る言葉の語尾が多様に変化していく、そんなところも楽しみました。

   

7.

●「葭の髄から」 

葭の髄から画像

2000年11月
文芸春秋刊
(1429円+税)

2003年11月
文春文庫化

2001/12/22

いかにも文筆家が書いた文章、という感じのエッセイ集。
同時に文面からは、わがまま親父、気難し屋といった阿川さんの雰囲気がそのまま伝わってきます。

かなり古い話が多いなァ、というのも事実。
でも、それが阿川弘之氏の味わいでもあります。山口瞳さん等、個性的なエッセイを書く作家が少なくなっただけに、私としては阿川さんエッセイは楽しみのひとつです。

ただ、阿川エッセイには、太平洋戦争、海軍のことに関わるものが多いので(本書も同様)、読む人の好みによっては抵抗感をもたれることもあるでしょう。

しかし、終戦の功労者となった鈴木貫太郎首相が、米大統領ルーズベルトの死去に際し哀悼の意を表明し、トーマス・ランらにヒトラーと比較して感銘を与えたというエピソードは、何度聞いても深く考えさせられるものがあります。

軽いエッセイばかりでなく、こんな一癖二癖あるエッセイをたまに読んでみるのも、良いのではないでしょうか。

   

8.

●「酔生夢死か、起死回生か。」(北杜夫・共著)● ★★


酔生夢死か、起死回生か画像

2002年01月
新潮社刊
(1300円+税)

2006年09月
新潮文庫化

  

2002/02/18

もういつ死んでも不思議ないという、老作家2人のとりとめもない対談集、と言えばそれまでなのですが、長年にわたるファンとしては、とにかく楽しいのです。
阿川弘之、北杜夫という組み合わせも嬉しいし、表紙カバーを飾るお2人の絵を見ているだけでも楽しい。(ちなみに画は和田誠さん)
とにかく老作家2人の対談ですから、やたら死ぬとか、どう死ぬか、死んだときの通夜・葬式はどうするか、「偲ぶ会」はどうするかと、そんなことばかり話している。
とくに甚だしいのは、北杜夫氏。もう長いことない、早く死にたい、ばかり。その割に、お2人の対談は数年にわたって恒例の如く続いているのですから、可笑しくなります。お2人とも、一向に死にそうにない。(笑)
あと特徴的なことは、北さんの方がやたらキミコ夫人のことを話に出すこと。それに対し、阿川大人の方は殆ど話に出さない。北さんの方はマンボウ愛妻記を出しているくらいですから、もはや当然のなのかもしれません。
話の中に出てくるように、吉行淳之介さん、遠藤周作さんと次々に亡くなって、お2人だけ生き残っているという感じ。ファンとしては、いつまでも長生きして下さい、と思います。
それにしても、阿川さんは依然として孫、息子より食欲があると言うし、まるで死にそうにないなあ。(失礼)

まえがき−阿川弘之さんとの旅/貴重なる最後の対談/朦朧寝不足対談/酔生夢死か、起死回生か。/死に方の流儀/われらが"俊ちゃん"を語ろう(注:宮脇俊三さんのこと)/食いしん坊の食卓/あとがき−お相手役はつらいよ
※最初の対談は、「小説新潮」95年1月号掲載)

※「波」2月号に、お2人の愛娘・阿川佐和子さんと斉藤由香さんの対談が掲載されていました。題して「怒る父、騒ぐ父、嘆く娘」。娘さん同士の対談も、結構楽しいです。なお、由香さん提案の対談タイトルが愉快でした。→「偉大な乳(父)をもつサワコ、ちゃんとしたチチが欲しかった(ユカ)」

    

8.

●「春風落月」● ★★


春風落月画像

2002年04月
講談社刊
(2000円+税)

2005年04月
講談社文庫化

 
2002/04/25

今や、普通の人が書いたようなエッセイが多い中で、いかにも“文筆家”が書いた、という風格あるエッセイ集。
頑固親父といった観のある著者ならではのものでしょうが、滲み出てくるような味わいがあります。
内田百等の随筆を好む人であれば、旧仮名遣いのこうした文章に触れるだけで、楽しく思うのではないでしょうか。

収録されているエッセイは種々雑多ですが、中ではやはり人柄を強く偲ばせるものが特に面白い。
その意味で「本人の死亡御挨拶」や、長女・阿川佐和子さん初の文庫化に寄せた解説文「娘の学校」、内田百「阿房列車」に模した「くらやみ阿房列車」などは、楽しいものです。
また、阿川さんの師事した志賀直哉の周辺事は貴重ですし、友人である遠藤周作、吉行淳之介、北杜夫を語ったエッセイも楽しいい。

(抜粋)
不思議に命永らえて/受勲異聞/本人の死亡御挨拶/娘の学校/父親のお色直し/くらやみ阿房列車/佐伯彰一著「回想」を読む/「大人の文学」の味ひ/昭和天皇の思ひ出/「本当に信用できる人物」/無神論作家の宗教観

    

10.

●「人やさき 犬やさき 続 葭の髄から 


人やさき犬やさき画像

2004年04月
文芸春秋刊
(1429円+税)

 
2005/08/09

「文芸春秋」巻頭エッセイの単行本化。の髄からの続編です。
相変わらずの硬骨漢作家のエッセイ集。今ではもうこうした作家の存在自体が珍しいと言ってよいかもしれない(ご本人には失礼ながら)。久々に読むと懐かしさあり。また、親世代の言いたい放題を聞くような気分になります。
阿川さんのエッセイを読めば、必ずや太平洋戦争、海軍等の話がでてきますが、私にはそれを忌避する気持ちはありません。太平洋戦争時の問題点、反省点は、現在においても活かすべき教訓が沢山あると思うからです。
むしろ、何故敗戦したのか、その重要な問題を真剣に自ら詳細に考え検証し直そうとせず、曖昧なまま避けてきたことが、靖国神社や自衛隊の海外派兵問題に繋がっていると思うのです。

閑話休題。長女・佐和子さんの活躍状況から、今や阿川弘之=“阿川佐和子の父”と認識されることが多いのではないかと思うのですが、こうしてエッセイを読んでいると未だ未だ阿川弘之老健在なり、というところでしょうか。

        

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