北 杜夫作品のページ


1927年東京都生、東北大学医学部卒。作家+医学博士。歌人斎藤茂吉の次男、本名:斎藤宗吉。54年「幽霊」を自費出版。60年「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーとなり作家に転身。同年「夜と霧の隅で」にて芥川賞、64年「楡家の人びと」にて毎日出版文化賞、「輝ける碧き空の下で」にて日本文学大賞、99年斎藤茂吉の評伝4部作にて大佛次郎賞を受賞。2011年10月死去。


1.輝ける碧き空の下で

2.消えさりゆく物語

3.マンボウ愛妻記

4.マンボウ遺言状

5.酔生夢死か、起死回生か。

6.巴里茫々

   


   

1.

●「輝ける碧き空の下で」● ★★★     日本文学大賞受賞(第二部)


第一部

1982年01月
新潮社刊

1988年12月
新潮文庫
上下

   

第ニ部

1986年01月
新潮社刊

1989年01月
新潮文庫
上下

 

1990/05/27

 

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素敵な題名です。事実、作中人物達も、時折日本とは全く違うブラジルの、輝くような青空に魅せられる場面がいくつか登場します。
本書は、明治43年に始まる、ブラジル移民達の苦闘の生活を綴った作品です。同じ題材を扱った作品として
石川達三「蒼氓」が思い出されますが、本作品は移民先での過酷な生活を詳細に描いており、その分大作になっています。
また、北さんの長編大作というと
「楡家の人々」が思い浮かびますが、それと並ぶ北さんの 代表作と言える作品です。
第一部では、初期の移民達が直面した過酷な生活が描かれます。まさに、地獄のような有様と言いたいような信じ難い状況です。

そして、第二部。昭和にかけ、移民達も生活の地盤を築き上げ、その子の二世達もブラジル社会に溶け込んでいった時期に起きた太平洋戦争。その結果として、移民達全部ではないものの強制退去、収容所生活、更に終戦後の「勝組」と「負組」の信じ難いような争い。
そうした事実を経て、本作品は中途という思いを残しながら、ひとまず完結します。
悲惨な事実は限りなくあります。食料もろくにない、ダニや蚊に寝る時も苦しめられる、そしてマラリヤの猛威。米食に愛着する故の湿地での生活であり、それ故のマラリヤの危険です。平野植民地において、人々がマラリヤに次々倒れていく姿は、読みながら思わず目を覆いたくなるような悲惨さがありました。
また、理想に燃えた学生による開拓団の挫折。太平洋戦争により折角築き上げた地位も財産も失う人々。敗戦にも拘らず、勝ったとして良識派の「負組」を襲う狂気。

日本の歴史の中に登場することのない物語だと思いますが、日本人の歩んだ歴史のひとつとして、一読をお薦めしたい作品です。

   

2.

●「消えさりゆく物語」● 

消えさりゆく物語画像

2000年04月
新潮社刊
(1300円+税)

2003年04月
新潮文庫化

2000/05/22

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「著者20年ぶりの本格短編小説集」とのことですが、ちょっと不思議な物語の数々。
主人公がふっと思うと、そこはもう日常とかけ離れた世界。新宿副都心からアマゾンのジャングルへ。あるいは、太平洋戦争中のバリ島、敗戦間近のドイツ、そして近所の公園等。
何故主人公はこのような幻覚の如き世界に入り込むのか、またそれら物語によって著者は何を語ろうとしているのか。
疑問に思いつつ読み進んでいくと、途中ではっとしました。
これは主人公が死につつあることから見る幻想なのではないか。そして主人公は、徐々に死ぬ=消え去りつつあるのではないか、と。

名残惜しいともユーモラスとも言えず、消え去っていく静けさのみが余韻として残る、そんな一冊です。

都会/ドライブイン・シアター/茸 /駿馬/みずうみ/夕日とひげ/消滅/水の音

   

3.

●「マンボウ愛妻記」● ★★


マンボウ愛妻記画像

2001年03月
講談社刊
(1500円+税)

 

2001/06/03

 

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「愛妻記」とあるので、夫人に関するエッセイと思いきや、途中から主題は変わっているような気がします。
最初の章こそ「どくとるマンボウ航海記」照洋丸に乗り込んでハンブルクまで行き、そこで会ったのが喜美子夫人との馴れ初めであったこと、帰国後付き合うようになり結婚に至ったことが書かれています。
ただ、その後は躁鬱病によるメチャクチャぶりがひどくなり、躁鬱病による北杜夫・半生記、という気がしてきます。まあ、よく夫婦としてもったものだと思いますが、北さんが言うとおり、やはりどこか相性が良かったのでしょう。

それにしても、躁病で株投資にのめり込み、あちこち借金だらけになった経緯は壮絶! 長きにわたるマンボウ・ファン、個人全集も買って愛読した身からすると、本書はマンボウ半生記として興味尽きません。頁を繰る手が止まらなくなります。 
途中からは、喜美子夫人に対する愚痴が多くなるようですが、それもまたマンボウ氏の愛嬌としか思えません、ご本人からすれば不本意かもしれませんが。
夫の欠点も、妻が逞しくなってしまえば、大抵のことは丸く収まってしまうのかなぁ、などと思ってしまいます。
冒頭、「はたして私の妻は、良妻なのか、悪妻なのか。それが問題だ」とありますが、本書を読めばそれは明らかでしょう。(笑)

夫婦の始まり/夫婦の逆転/夫婦の戦い/夫婦の折り合い/夫婦の晩年

    

4.

●「マンボウ遺言状」● 


マンゴウ遺言状画像

2001年03月
新潮社刊
(1000円+税)

2004年04月
新潮文庫化

     2001/05/22

  
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なんとも不穏当な題名ですが、かなり本音のところもあるようです。
のっけから「早く死にたい」という文句がのべつまくなし。2000年の年賀状には、「小生、老化いちじるしく、このうえは身じろぎもせずじっと自然死を待つ決意を固めましたので、賀状は本年限りにさせて頂きます。これまでのご芳情を感謝致します。ではさようなら、皆さまはお元気で。世を捨てた 北杜夫」と書いたそうです。
その所為か、本書エッセイは実にとりとめない。最後に世迷い言を整理しておこうという趣旨かと、「どくとるマンボウ航海記」等愛読した人間としては、これで最後ならお付き合いしない訳にはいかないなあと、読んだ次第。
それなのに、書店には、本書+マンボウ愛妻記+「マンボウ夢草紙」と3冊も新刊が並んでいるのですから、呆れ返ってしまう。そういえば、阿川佐和子さんとの対談(ガハハのハ)でも元気そうでしたし。夫人、娘の由香さんならずとも、単なるアマノジャクではないか、と思ってしまいます。
しかしそうであっても、昔の愛読者としては、年老いた友人に再会した気分です。

序・はじめの挨拶などいらぬ/二十一世紀は見たくなかった/これが最後の「孤狸庵vsマンボウ」/通夜、葬式、偲ぶ会はやらず/我が人生の絶頂期/マンボウ・マブゼ共和国の終焉/旅は道連れ、好奇心連れ/精神科医修行時代/ストレスを喜びたまえ/みんな誰もが知りたい話/齋藤家の謎/孫ニモ負ケテ/夢の安楽死病院/あとがき

        

5.

●「酔生夢死か、起死回生か。」(阿川弘之・共著)● ★★


酔生夢死か、起死回生か画像

2002年01月
新潮社刊
(1300円+税)

2006年09月
新潮文庫化

    

2002/02/18

  

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もういつ死んでも不思議ないという、老作家2人のとりとめもない対談集、と言えばそれまでなのですが、長年にわたるファンとしては、とにかく楽しいのです。
阿川弘之、北杜夫という組み合わせも嬉しいし、表紙カバーを飾るお2人の絵を見ているだけでも楽しい。(ちなみに画は和田誠さん)
とにかく老作家2人の対談ですから、やたら死ぬとか、どう死ぬか、死んだときの通夜・葬式はどうするか、「偲ぶ会」はどうするかと、そんなことばかり話している。
とくに甚だしいのは、北杜夫氏。もう長いことない、早く死にたい、ばかり。その割に、お2人の対談は数年にわたって恒例の如く続いているのですから、可笑しくなります。お2人とも、一向に死にそうにない。(笑)
あと特徴的なことは、北さんの方がやたらキミコ夫人のことを話に出すこと。それに対し、阿川大人の方は殆ど話に出さない。北さんの方は「マンボウ愛妻記」を出しているくらいですから、もはや当然のなのかもしれません。
話の中に出てくるように、吉行淳之介さん、遠藤周作さんと次々に亡くなって、お2人だけ生き残っているという感じ。ファンとしては、いつまでも長生きして下さい、と思います。
それにしても、阿川さんは依然として孫、息子より食欲があると言うし、まるで死にそうにないなあ。(失礼)

まえがき−阿川弘之さんとの旅/貴重なる最後の対談/朦朧寝不足対談/酔生夢死か、起死回生か。/死に方の流儀/われらが"俊ちゃん"を語ろう(注:宮脇俊三さんのこと)/食いしん坊の食卓/あとがき−お相手役はつらいよ
※最初の対談は、「小説新潮」95年1月号掲載)

※「波」2月号に、お2人の愛娘・阿川佐和子さんと斉藤由香さんの対談が掲載されていました。題して「怒る父、騒ぐ父、嘆く娘」。娘さん同士の対談も、結構楽しいです。なお、由香さん提案の対談タイトルが愉快でした。→「偉大な乳(父)をもつサワコ、ちゃんとしたチチが欲しかった(ユカ)」

  

6.

●「巴里茫々」● ★★


巴里茫々画像

2011年12月
新潮社刊
(1300円+税)

2014年10月
新潮文庫化

  

2012/01/16

  

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昨年11月に死去された北杜夫さんの、単行本未収録の短篇2篇。

「巴里茫々」は2000年発表。北さんの出世作「どくとるマンボウ航海記」当時に初めて訪れた巴里の思い出、辻邦生・佐保子夫妻との思い出を含み、パリ解放記念日にフランス人の中年男と口喧嘩し合うといった夢等々について語った篇。
北さんらしい、人を喰った篇とも思いますが、北杜夫作品の延長線上にあると思える所為か、それ程インパクトを感じる篇ではありません。それでも作家としての道のりを少し振り返る部分があり、印象に残ります。。

一方の「カルコラムふたたび」は1992年発表。長篇「白きたおやかな峰」の舞台を26年ぶりに訪ねた時の記録。
相変わらずの躁うつ病、それなのに何故再びカラコラムに出かけたかというと、26年前に参加した京都カラコラム登山隊で親しくなったハイ・ポーターの
メルバーンに再会したいという一念だったそうです。
やはり初期の紀行「南太平洋ひるね旅」を思い出させられる北さんの紀行には、躁うつ病も加わっての、ならではの味わいがあります。
再会の喜びより疲れと味気なさが残ったというのも、老境に入ってからの旅の回想記として相応しいのかもしれないと感じます。

巴里茫々/カラコラムふたたび

  
※娘さんである斎藤由香さんのエッセイはこちら

 


 

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