加納諸平 かのうもろひら 文化三〜安政四(1806-1857) 号:柿園(かきその)

加納諸平短冊
加納諸平直筆短冊
遠江国浜名郡白須賀(静岡県湖西市)の代々酒造業を営む家に生れる。父は本居宣長の門人、夏目甕麿(みかまろ)。母は末。通称は小太郎・舂太・臼太・兵部。名は初め諸平、のち長樹・兄瓶(えかめ)と変わり、安政元年以後は諸平に戻した。医師名は杏仙。
少年の頃、父甕麿と共に諸国を巡歴していたが、十七歳になる文政五年(1822)、父は摂津伊丹に滞在中、歌友と酒を飲むうち乱酔し、月を捕えると言って昆陽(こや)の池に身を投げて溺死した。翌年、和歌山の医師加納家に引き取られ、養子となる。医学を学ぶかたわら、本居大平に師事して国学・和歌を学んだ。紀州徳川家に仕えていた大平の推挙により紀州藩に出仕し、天保二年(1831)、『紀伊国続風土記』の編纂員となる。同六年には『紀伊国名所図会』の編纂を命ぜられる。安政三年(1856)、紀州藩に開設された国学所の総裁となるが、翌年六月二十四日、同所の月次歌会に出席して帰宅後、書斎で急逝した。五十二歳。墓は和歌山湊道場町の海善寺にある。
家集に安政元年(1854)刊の自撰『柿園詠草』、同集に漏れた歌から死後飯田年平・瀬見善水が編集した『柿園詠草拾遺』がある。編著には上記のほか、主として同時代の歌人の作を集成分類した『類題和歌鰒玉集』があり、後の類題和歌集流行の先駆となった。飯田秀雄・同年平・伴林光平・小谷古蔭らと柿園派を結成、全国に名を馳せた。門弟には幽真らがいる。

「諸平の歌は、雄勁にして典雅、万葉の風に幾分の新古今の情趣を加味したものである。(中略)長歌に長じ、その蒼古雄勁なる作風は、近世和歌史上長歌作者の第一人者を以て称すべきである」(佐佐木信綱『近世和歌史』)。

「諸平の歌は、当然、再、見返される時が来るであらう。但、彼の当時、たけ高しと見られ、自分も負うてゐたらしい歌口は、相当、鑑賞の妨げとなるであらう。彼の情熱は、歌ひ上げることによつて、解決のつくものと考へられてゐた。併し、その過重した姿の喜ばれる日は、まづありさうにも思はれぬ。文藝家にも、生得の幸不幸はあるのである」(折口信夫『近代短歌』)。

以下には『柿園詠草』(続歌学全書七・校注国歌大系十九・新編国歌大観九など)と『柿園詠草拾遺』(続歌学全書七)より百首を抄出した。前者から引用した歌には末尾に新編国歌大観番号を付し、後者から引用した歌には(拾遺)と記した。テキストについては飯田年平『柿園詠草抜萃傍註』も参照した。用字は読みやすさを考慮し、原作者の意図を歪めない程度に適宜改めた。

  15首  7首  13首  5首  4首  32首 悲傷 2首  22首 計100首

都若菜

朝風に若菜売る子が声すなり朱雀の柳まゆいそぐらむ(48)

【通釈】朝風の吹く中、若菜を売る娘の声が聞こえる。朱雀大路の柳も眉のような芽が今にもほころびようとしているのだろう。

【語釈】◇朱雀(すざく) 朱雀大路。内裏南門である朱雀門から羅城門まで、平安京を南北に貫く大路。柳の並木が植えられていた。

【補記】若菜売りは初春の風俗。朱雀大路で若菜を売る娘の声からその美しい眉を想像し、同時に大路の柳へと連想をつなげた。都の早春の清艶たる風情みなぎる一首。

春日はるびさす南の庭の雪消ゆきげよりかげろふばかり梅が香ぞする(拾遺)

【通釈】春の日が射す南の庭では、木々に積もっていた雪もすっかり融けて――その雪の消えた跡から、まばゆいばかりに梅の香がする。

【語釈】◇雪消 雪が融けて消えること。また雪が消えた所、雪が消えた跡。また雪解け水を指すこともある。◇かげろふばかり 「かげろふ」は「光がゆらめく」「光がちらちらする」といった意。下句は視覚と嗅覚の共感覚的表現。

【補記】諸平の死後、子弟が編集した『柿園詠草拾遺』より。嘉永六年(1853)、死去前年の作。

【参考歌】正徹「草根集」
春日さす山は雪消のしづくよりたてる煙やかすみ初むらん

春雨

雨はれぬ椿がもとのにはたづみ花のひびきに驚かれつつ(81)

【通釈】雨が晴れた。椿の咲いている木のもとに出来た水溜り――そこへ落ちる花の響きに何度も驚かされることよ。

【補記】椿は花びらを散らすことなく、萼から花全体をまるごと落とす。しかも水の上に落ちるとなればその響きは著しい。初句・三句切れは諸平の歌には珍しいが、主題と不可分の韻律を奏でている。

江上春月

かへる雁なくね霞みて大くらの入江に更けし春の夜の月(68)

【通釈】北へ帰る雁の鳴く声が、霞の中にほのかに聞こえて、巨椋の入江に照る月は夜も更けて寂しげなありさまである。

【語釈】◇かへる雁(かり) 春、北へ帰る雁。◇大くらの入江 巨椋(おぐら)の池の入江。巨椋の池は宇治川の巨大な遊水池で、万葉集以来の歌枕。◇更けし春の夜の月 夜が深まった春の月。第二句の「霞みて」が響き、朧月であることが暗示される。

【補記】「大くらの入江に更けし…」の大きく強い響きが素晴らしい。「感情溢れてきこゆ、こはたくみの大かたならぬは申すも更にて、四句ふけと、過去によまれたる調べの勢ひ、山を貫くばかりなるによりてなり」(飯田年平『柿園詠草抜萃傍註』)。

【本歌】作者未詳「万葉集」巻九
巨椋の入江響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見が田井に雁渡るらし

帰雁

行く雁の声をし聞けば小雨ふる春の朝寐あさいもしづごころなし(86)

【通釈】飛んでゆく雁の声を聞くと、春の小雨がそぼ降る中で朝寝していても落ち着いた心はないのである。

【語釈】◇しづごころ 安定している心。平静な心。この語を用いた歌では紀友則の「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」がよく知られる。桜の花について用いられることが多い語である。

【補記】雁は桜が咲く頃に北へ帰ってゆく。ゆえにその声を聞くと気もそぞろになるのであろう。

【参考歌】紀貫之「古今集」
ことならばさかずやはあらぬ桜花見る我さへにしづ心なし
  式子内親王「続古今集」
夢のうちもうつろふ花に風吹きてしづ心なき春のうたた寝

春山

国見すとのぼれば寒き山風にけぶりを漏るる花はかど(拾遺)

【通釈】国見をしようと山に登ると、寒い風が吹き、煙るような霧が靡いて、そのひまに漏れ見える桜の花――あの花は誰の家のであろう。

【語釈】◇国見 高所から土地のありさまを望むこと。もとは王がおこなう儀礼的な行為であったらしいが、掲出歌では故郷の土地を眺めることをこう言っている。

【補記】「国見」の歌に「けぶり」が出て来るのは、新古今集などに見える仁徳天皇御製「高き屋にのぼりて見ればけぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり」に由る。尤も掲出歌の「けぶり」は炊煙よりも春霞と見るのが妥当であろう。結句「花は誰が門」に、眺める「国」に対する親しさ・懐かしさが満ちている。

吉野にてよめる歌の中に

有明のかげはかくれし朝霧に山ふところの花かをるなり(132)

【通釈】有明の月の光は、立ち込める朝霧に隠れてしまったが――その霧に山ふところの花が煙るように見えている。

【語釈】◇花かをるなり 「かをる」は、煙・霧・香など、漠然としたものが宙を漂っているさまを言うのが原義。掲出歌では、山桜の花の白い色が霧の中にぼんやり浮かんで見えるさまを言う。「なり」は視覚でははっきり捉えられない事柄について推量判断する心を表わす。

【補記】大和国の吉野で詠んだ桜の歌四首より。「山ふところ」という懐かしくも趣深い語は古歌に使われた例が幾つかあるが、その語感をみごとに生かした点で掲出歌にまさる歌はない。

芳野懐古(二首)

咲く花のあだなるかたにうつりゆく吉野の山の名こそ惜しけれ(149)

【通釈】咲く花に浮かれ騒ぎ、浅はかな方向へばかり変ってゆく吉野の山――古来「みよしのの吉野」と称されたその山の名が惜しまれてならない。

【語釈】◇芳野 吉野に同じ。桜の名所。

【補記】「芳野懐古」の題で詠んだ十一首の第五首。冒頭の一首は「み代を経しみやこの桜何しかも土に散れとは風の吹くらむ」と、吉野に皇居が置かれた昔に思いを馳せての詠である。歴史的な由緒を忘れ、浮薄な方へとばかり流れてゆく世相を歎いているのであるが、「あだなる」「名こそ惜しけれ」など恋歌を思わせる語句を用いて、その憤りも風流のオブラートに包まれている。

 

行きかへり見れどかなしき花の上に霞む春日もかたぶきにけり(150)

【通釈】往き還りに見ても切ない思いがするばかりであった吉野の桜――その花の上に、ぼんやりと霞んでいた春の日も今や傾いているのだった。

【補記】後醍醐天皇が吉野に逃れて樹立した南朝の歴史などを偲ぶにつけ、吉野の花には「かなしき」思いばかりがする。その花を照らしつつ、霞んでいた春の日が沈もうとしている情景。吉野の景観の素晴らしさを万葉歌人はたびたび「見れど飽かぬ」と詠んでおり、それに対して「見れど悲しき」と言っている。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻一
見れど飽かぬ吉野の河の常滑の絶ゆることなくまた還り見む
(拾遺集には「見れど飽かぬ吉野の河の流れても絶ゆる時なく行きかへり見む」として載る。おそらく諸平の念頭にあったのは拾遺集の歌で、これを本歌取りしたものと思われる。)

春月

咲きつづく桃の林や暮れぬらんその色ながら月ぞにほへる(66)

【通釈】途切れることなく咲いている桃の林は、日が暮れてしまったのだろうか、見えなくなってしまった。かわりに、その花の色のままに月が照り映えている。

【語釈】◇暮れぬらん 「暮れぬ」は「日が暮れてしまった」「桃の林が見えなくなってしまった」の両義。

【補記】桃の林が黄昏のうちに姿を消したあと、その花の色のままに夜空にあらわれた春の月。晩春弥生の夕景の艶情、これに尽きよう。

【参考歌】順徳院「紫禁和歌集」
きのふかも時雨ふりにしみ山木のその色ながら春は来にけり

春風

夕されば雲雀の声のさざなみを麦生むぎふによせて春風ぞ吹く(拾遺)

【通釈】夕暮になると、ひばりの声をさざ波のように麦畑に寄せて春風が吹く。

【語釈】◇麦生 麦の生えている所。

【補記】雲雀の声が響く夕暮、春風が麦畑を靡かせている景。その波うつような麦の群に「雲雀の声のさざ波」が寄せていると見たのである。聴覚と視覚の渾然たる一体化。死去前年の作で、諸平晩年の尖鋭な作風を示す。作者の早世なければ、この後にどのような歌境が展かれたのだろうか。

【参考歌】源経信「金葉集」「百人一首」
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く

かはづ

むかしわが夏見にそひて見し花のかげも恋しく鳴くかはづかな(拾遺)

【通釈】昔私が夏見川に沿って歩きながら見た桜の花――その面影も恋しく思い出させて蛙が鳴いている。

【語釈】◇夏見(なつみ) 大和国吉野菜摘の地を流れる吉野川。古くから歌に詠まれ、特に万葉集の湯原王の作は名高い(【参考歌】参照)。

【補記】蛙の声から、かつて吉野で眺めた花を思い出している。古い由緒をもつ歌枕がきわめて効果的である。「夏見にそひて」は「夏見を詠んだ古歌に思いを寄せて」ということでもある。

【参考歌】湯原王「万葉集」巻三
吉野なる夏実の河の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして

山振やまぶき

さほふれしいかだは一瀬過ぎながらなほ影なびく山吹の花(170)

【通釈】花に棹が触れた筏は一瀬も下り過ぎたが、それでもなお川面に映る影が靡いている山吹の花よ。

【補記】筏の棹がさわって揺れ靡いた花が、その筏が遠ざかったのちも揺れ止まない。川辺に枝垂れて咲く山吹の花の風情をみごとに生かしている。諸平の代表作として知られたが、彼の作の中では特別すぐれたものではない。

春鳥

鳥網となみはる人にな告げそ山県やまがたの朝菜の花につぐみ鳴くなり(176)

【通釈】鳥網を張る人には告げるな。山の野良の朝菜の花に鶫が集まって鳴いている。

つぐみ 写真素材フォトライブラリー http://www.photolibrary.jp/
つぐみ

【語釈】◇鳥網(となみ) 鳥を捕えるため木の枝などに張る網。◇山県 山村。山の野良。「あがた」はもと朝廷の直轄領を言ったが、のち地方官の任地、さらには田舎を意味するようになった。◇朝菜の花 「朝菜」「菜の花」の掛詞であろう。「朝菜」は朝食のおかずにする野菜。◇つぐみ ヒタキ科の鳥。秋に北方から渡来する。畑などの地面を跳ね歩くさまがよく見られる。通常クァックァッなどと鳴き、あまり綺麗な声ではないが、渡去前には美しい声で囀ることがある。

【補記】春、北方へ帰る時を直前にして、地面を愛らしげに跳ね歩き、美しく囀る鶫の生態をよく捉えた歌。一見平明な叙述のうちに味わいは深く、題「春の鳥」の情趣が横溢している。因みに鶫の肉は美味とされたので、かつては霞網で大量に捕獲された。鶫がいると聞けば、「鳥網はる人」は目を皿にして捕獲に来たことだろう。

暮春

雨はるる垣根のうばら夏ちかみ露もたわわに花もよひせり(拾遺)

【通釈】雨があがった垣根の野茨は、夏が近いので、露もたわわに置いて、花の咲くきざしが見えている。

【語釈】◇うばら 茨。野生の薔薇。初夏、夥しい数の白花をつける。◇露もたわわに 露がまるまるとたくさん置いたさま。花のつぼみも「たわわ」なので「露」と言っている。「たわわ」は本来、花や実の重みで枝がたわんでいる様などを言う語。◇花もよひ 今にも花が咲きそうなさま。

【補記】いちはやく夏を告げる野茨の白花。そのたくさんのつぼみに雨後の水玉がたわわに添わり、瑞々しい夏を予感させている。

首夏雨

夕かけて小雨こぼるるたかむらの蚊のほそ声に夏をしるかな(180)

【通釈】夕方近くなって、小雨がこぼれ落ちる竹叢に蚊の細い声が聞こえ、その音によって夏になったことを知るのであるよ。

【語釈】◇小雨こぼるる 竹の葉叢の隙間から雨が漏れ落ちるさま。◇蚊のほそ声 蚊の羽音をこう言った。

【補記】題の「首夏雨」は初夏の雨ということ。夕暮の雨に蚊の声を聞く。鬱陶しくなりがちな題材を竹叢に配して幽趣ある一首に仕立てた。

残花

夏かげの青垣淵あをがきぶちに花見えてひとりしづけき山ざくらかな(183)

【通釈】夏の樹陰の青々とした淵に花を映して、ひとり静かに咲いている山桜よ。

【語釈】◇夏かげ 夏の、葉が鬱蒼と繁る樹陰。万葉集に見える語彙。◇青垣淵(あをがきぶち) 万葉集などに見える「青垣山」からの造語か。垣のように取り巻く緑を映す深潭。

【補記】緑を濃くしてゆく山々、なかでも深い青を湛えた潭水に影を映す山桜の残花の白。その孤独な静けさが鮮烈な印象を残す。

紫陽花

夕月夜ゆふづくよほの見えそめしあぢさゐの花もまどかに咲きみちにけり(208)

【通釈】夕月がほのかにあらわれて、ほんのりと見えるようになった紫陽花――その花もまるまると咲き満ちているのだった。

【語釈】◇夕月夜 夕方に見える月。または、夕月の見える夜。

【補記】紫陽花の咲く頃は日が長いので、満月に近い月も夕暮れ時に昇る。「花まどかに」と言うのは、夕月もまた「まどか」だからで、月と紫陽花が相共にまるくなったことを言外に匂わせているのである。紫陽花を詠んだ和歌は僅少、その意味でも掲出歌は珍重すべき逸品と言える。同題のもう一首「蘆垣の乱れをかこつ雨のうちに色もくづれしあぢさゐの花」も佳品。

江楼流蛍

吹きのぼる夕川風にをまけば雲ゐをかけて蛍とぶなり(225)

【通釈】川から吹きのぼってくる夕風の涼しさに簾(すだれ)を捲き上げると、雲の上をめがけて蛍が飛んでゆく。

【語釈】◇を簾 すだれ。「を」は慣習的に「簾」に付けた接頭辞。

【補記】川辺(紀ノ川のほとりであろう)の高楼からの眺望。空間を横でなく縦に大きく捉えての叙景で、それに相応しい調べの高さがある。夏の夜の涼感ここに極まれり。

水よりもすずしかりけり薄物の片身をもるる夏虫の影(拾遺)

【通釈】水よりも涼しいのだった。薄織りの衣の片身を漏れる、蛍の光は。

【語釈】◇薄物(うすもの) 薄織りの織物。またそれを用いた夏の衣服。◇片身 衣服の左右いずれかの半分。◇夏虫 夏になるとあらわれる虫。蛾などを言うこともあるが、ここでは蛍のこと。

【補記】襟から衣服の中へ入り込んだ蛍。夏の薄織りの衣を透して漏れる光に、この上ない涼感をおぼえている。死去二年前の嘉永五年(1852)、蛍を詠んだ十三首より。この連作は佳詠多く、歌人の晩年の充実ぶりをよく窺わせる。「まばゆくもてらす蛍か夕占とふ花橘のかげさらずして」「玉まきて少女さびせぬ袖もなし奈良の小川に蛍とぶ夜は」「水といへば忍び車の轍にもなほかげとめて蛍飛ぶなり」など。

山家夏月

山百合のおのづからなる花の香も松の戸もれて清き月夜か(1013)

山百合の花 鎌倉市極楽寺にて
山百合の花

【通釈】山百合の自然と放つ花の香も、山家の松の戸を漏れて香り、清らかな月夜であるよ。

【語釈】◇山百合 山に生える百合。分類学上「ヤマユリ」と呼ばれている種(写真参照)は主として中部地方以北に見られる植物なので、掲出歌の場合、西日本の山地に多かった笹百合などが念頭にあったのかも知れない(作者は紀州の人)。◇おのづからなる 自然のままである。出家者の庵では仏に供えて香を焚くので、その人工的な香に対し、「おのづからなる」と言っている。◇松の戸 松の木で作った板戸。山の庵の粗末な戸である。

【補記】山の庵で香を薫き仏道に精進していた時、扉を漏れて山百合の香がにおった。「花の香」と言うのは、香料の薫りにまざって山百合の花も香ったということであり、また月の光も「松の戸」を漏れていたことを暗示して、余情豊かな表現である。

百合

垣もとに植ゑしさ百合は六月みなづきのてる日にゑみて花咲きにけり(244)

【通釈】垣根のもとに植えた百合は、晩夏六月の照りつける日に蕾がほころんで、花咲いたのだった。

【語釈】◇さ百合 「さ」は接頭語。◇ゑみて 「ゑむ」は花の場合つぼみがほころんで咲くこと。

【補記】万葉集には「六月(みなつき)の土さへ裂けて照る日にも」と詠まれているように、水無月(陰暦六月)の陽射しは厳しいものとされたが、その光の中で「笑みて」咲いたと詠み、真夏の花である百合のたくましい精気が感じられる。

芙蓉

秋津羽あきつはのうすくれなゐの花の色に夕日のかげをかさねてぞみる(354)

【通釈】蜻蛉(とんぼ)の羽のように薄い、うす紅の花の色に、夕日の光を重ねて見るのである。

芙蓉の花 鎌倉市二階堂にて
芙蓉の花

【語釈】◇芙蓉(ふよう) アオイ科の落葉低木。晩夏から秋にかけ、淡紅色または白色の大きな花をつける。◇秋津羽 「あきつ」はトンボの古称で蜻蛉とも書く。季節の「秋」を響かせている。◇うすくれなゐの花 芙蓉の薄紅の花。「うす」には前句「秋津羽の」を承けて花びらが薄い意が掛かる。

【補記】アオイ科の芙蓉を詠んだ和歌は大変珍しい(和名を持たなかったゆえであろう)。日に透ける薄い花びらを蜻蛉の羽に喩え、その淡い紅に夕日の光を重ねて見た、艶な趣向。

【参考歌】藤原俊忠「千載集」
千とせすむ池のみぎはの八重桜かげさへそこにかさねてぞみる

あめなるやささらの小野の菅原も心にわけて月を見るかな(268)

【通釈】天にあるというささらの小野の菅原もあの辺だろうか――心のうちにそう思いながら月を眺めるのである。

【語釈】◇天なるや 天にある。「や」は間投助詞。語勢を加えたり、語調をととのえたりする働きをする。◇ささらの小野 天上にあると考えられた野。「ささら」は「小さな」「愛らしい」などの意。万葉集によればチガヤやスゲなどが繁っていると思われていたらしい。月を擬人化した「ささらえをとこ」、擬音「さらさら」などに連想がはたらく。◇心にわけて 判別して。菅原では菅を分けて歩くことから、「わけ」は「菅原」の縁語となる。

【補記】万葉集に天上の野として詠まれている「ささらの小野」を月に幻想した歌。

【参考歌】丹生女王「万葉集」巻三
天なる ささらの小野の ななふすげ 手にとりもちて…
  作者未詳「万葉集」巻十六
天なるやささらの小野に茅萱(ちがや)刈り萱刈りばかに鶉を立つも

秋夕

霧の上に雁がね啼きて秋の日のかたぶく空を独りかも見む(274)

【通釈】たちこめる霧の上で雁が鳴いて、秋の日が傾いてゆく空――この趣深い空を独り眺めていよう。

【補記】沈みゆく太陽もまた「霧の上」にあって茫漠としている。秋の代表的な風物とされた「霧」と「雁がね」を配し、題「秋夕」の極限的な情趣を詠んでいる。

秋燕

月かげもすみはつまじき明けがたに軒端を出でてゆく燕かな(286)

【通釈】夜もすがら澄みきった光を投げていた月も消えてゆく秋の明け方――この時にあって、燕もまた住み慣れた軒端を出て、故郷へと旅立ってゆくのだな。

【補記】「月だにもすみはつまじき朝かげにふせやを出づるつばくらめかな」とする本もあるが、「ふせやを出づる」は「軒端を出でてゆく」に及ばない。後者でないと、燕の飛び立つさまを見ている人のありかが定まらないからである。本文は『抜萃傍註』より。「残れるは我のみにて、いとさびしといふ義にて、暁の感ふかし」(同書)。

【参考歌】待賢門院堀河「堀河百首」「続古今集」
はかなくも月に心のとまるかなすみはつまじき身をばわすれて

十七夜、玉津島山上にのぼりて

漁火いさりびは雲ゐにきえて眉引まよびきの淡路の門中となか月みちにけり(317)

【通釈】眺めていると漁船の火は沖合の雲の彼方に消えて、眉を引いたように見える淡路島との間の海峡には月の光がみなぎっているのだった。

【語釈】◇玉津島山 紀伊国の歌枕。和歌の浦の沖にある小島(現在は陸続きになっている)。◇眉引 眉墨で引いた眉。海上に横たわる淡路島の形容。◇淡路の門中 紀伊半島と淡路島との海峡。

【補記】玉津島山上からの紀淡海峡の眺め。相当長い時間の経過のうちに変化する大観を歌いおさめた手腕に瞠目される。『柿園詠草』の排列によれば仲秋八月の十七夜。

海上月(二首)

沖つ洲に夕ゐるむれ立ちて浪の穂あかし月やいづらん(325)

【通釈】夕方、沖の砂洲に集まっていたが一斉に飛び立って、そのあとには波の穂が明るく照っている。月が出たのだろう。

【語釈】◇浪の穂 波の先。波頭。

【補記】『柿園詠草』に同題の歌は四首あり、そのうちの第一首。第二首「秋風にくぐひ羽うちて湊田の穂のへをこゆる月のしらなみ」は入江の上を飛ぶ白鳥と、田の穂並を越える月光の波を配してこれも捨て難い。

【鑑賞】「如何にも清麗で張りのあり、心憎い程巧妙に描写されている。(中略)万葉に巧緻優麗の点を加へ、新古今に蒼古雄勁の調を加へたものと言ふべき諸平の歌風を代表すべき一作である」(鈴木実『江戸時代和歌評釈』)。

 

船窓ふなまどの秋のともし火ほのぼのとしらめる海に月はうかべり(327)

【通釈】秋の長夜を照らす、船窓の灯火――その明りがほのぼのと白んでいる海に、月は浮かんでいるのだ。

【補記】船窓の灯火と海上に映じた月光を配し、画趣にすぐれる一首。

月前煙

山里はまだき夜寒になりぬらし真柴のけぶり月に立つみゆ(331)

【通釈】山里は早くも夜寒(よさむ)になってしまったらしい。薪を焚く煙が月光の中に立ちのぼるのが見える。

【語釈】◇まだき 「まだその時期でないのに」「早くも」という意味の副詞。◇夜寒 夜に寒さを感じる季節。普通は晩秋の頃を指すことが多い。◇真柴 たきぎ。

【補記】まだ秋が深まらないうちから炉の煙が立つ山里。簡潔にして趣深い描写。

八月十六日、清廼舎君楠見の某の院にて萩の花の宴し給へるとき

小雀こがら鳴く秋の野寺のひとへ垣ひま見えぬまで萩は咲きけり(352)

【通釈】小雀が鳴く秋の野寺の一重垣――その隙間が見えないまでに萩の花が繁く咲いているのだった。

萩の花 鎌倉市二階堂にて
萩の花

【語釈】◇楠見の某の院 未詳。和歌山市の紀ノ川の北に楠見の地名が残る。◇小雀 四十雀よりやや小柄で、黒いベレー帽を被ったような頭部が特徴的な小鳥。山林に棲む留鳥。「ツーキーツーキー」あるいは「ツーツージャージャー」などと鳴く。◇萩 マメ科ハギ属の落葉低木。初秋に紅紫色の花を咲かせる。秋の七草の一つ。

【補記】萩の花の宴をした時に詠んだという歌。仲秋頃の野里の情趣を歌って余すところがない、完璧な一首。

九月十三夜、憐霞楼の宴にさぶらひて

月にうつ大城おほきつづみしばし待てくだちゆく夜をたれか惜しまぬ(344)

【通釈】月の出ている中、時を報じて打つ城の鼓よ、しばし待て。この良夜の更けてゆくことを誰が惜しまずにいようか。

【語釈】◇憐霞楼 不詳。◇大城 紀州藩の藩庁、和歌山城を指す。

【補記】九月十三夜、すなわち「後の夜」の月夜が更けてゆくことを惜しんだ歌。宴の座で吟ずるにはまことに相応しい調子の高さがある。

秋雨

草蔭の松の枯葉に秋見えてこぼれし雨はややはれにけり(391)

【通釈】草陰に落とした松の枯葉に秋のけはいを見せて、ぱらぱらと降っていた雨――その雨もようやく晴れてきたのであった。

【補記】秋雨の風情を繊細微妙に捉えている。作者が玉葉集・風雅集に見られる京極派(京極為兼を祖とする流派)の歌風なども十分に消化していたことが窺われる。

【参考歌】光厳院「御集」
夕日さす梢の色に秋見えてそともの森にひぐらしの声

名所紅葉

明日きらむ船木が中にもみぢ葉のこがれて見ゆる足柄の山(13)

【通釈】明日、木こりが船の用材として伐るであろう足柄山の木々の中に、紅葉している木がある――その色は、恰もこの世を恋い焦がれるかのように見える。

【語釈】◇こがれて見ゆる 「焼けたような色に見える」「切に恋い慕って見える」の両義。◇足柄(あしがら)の山 神奈川県の西辺、足柄・箱根山塊。「足柄山には大木ありて常に船の用材をきり出す」(飯田年平『柿園詠草抜萃傍註』)

【補記】紅葉の激しいまでの美しさを生命への執着・思慕の色と見た。知的に発想した歌であるが、想像力の鋭い集中なくして生まれない歌であろう。諸平の特色がよく出た作。

【参考歌】沙弥満誓「万葉集」
とぶさ立て足柄山に船木伐り木に伐りゆきつあたら船木を
  良暹「俊頼髄脳」(発句)
もみぢ葉のこがれてみゆるみふねかな

夕紅葉

入りやすき日影をかこつ夕暮に落つる木の葉の窓てらしつつ(433)

【通釈】たちまち没してしまう太陽に不平をつぶやく――そんな秋の夕暮にあって、紅葉した木の葉が窓を明るませながら落ちてゆく。

【補記】晩秋の日の短さを惜しむ心を「日影をかこつ」と言いなして面白い。下句でその「かこつ」人が窓辺に佇んでいると知れる。心と景を微妙に交錯させた、手練の一首。

初冬山

神無月立ちにし日よりあしびきの山さへもろき色に見えつつ(柿園詠草941)

【通釈】神無月に月が替わった日から、山さえもはかなく移ろいやすい趣に見えて…。

【語釈】◇神無月(かみなづき) 陰暦十月、冬の最初の月。◇あしびきの 山の枕詞

【補記】陰暦十月、山の木々の葉はまだ紅葉を残し、散り切ってはいないが、はかなげな様子に見える。「もろき色」という初冬の山の形容が端的にして滋味に富む。

【参考歌】賀茂真淵「賀茂翁家集」
神無月たちにし日より雲のゐるあふりの山ぞまづしぐれける

木枯

荒熊あらぐまはゆくへもしらず杉山のうつほにこもる木枯しの声(445)

【通釈】荒々しい熊は何処へ行ったか行方も知れない。杉山の樹の空洞に籠ったような響きを立てる木枯しの音が聞こえるばかりである。

【補記】熊狩をする人の立場で詠んだ、特異な趣向の歌。紀伊の海山を隈なく旅し、民俗に深い関心を寄せた諸平の独擅場であろう。

山寒月

もみぢ葉の小雨に朽ちし弥彦いやひこは月より高く神さびにけり(448)

【通釈】紅葉した葉が小雨のために朽ちてしまった弥彦山であるが、月よりも高く聳え、古めかしくも神々しいさまであった。

【語釈】◇弥彦 越後の山。

【補記】万葉集の歌の知識から発想した歌であるが、佐佐木信綱が諸平の歌を評して言った「蒼古雄勁」の語がよく当てはまる一首であろう。

【本歌】作者未詳「万葉集」巻十六
弥彦おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほふる

あげまきが浮かるる声もおもしろしふれふれ粉雪こゆき山つくるまで(459)

【通釈】幼い少年が浮かれて歌っている声も面白い。「降れ降れ粉雪、山つくるまで」と。

【語釈】◇あげまき 総角。元来は少年の髪の結い方を言ったが、その後童子の意味で用いられるようになった。◇声もおもしろし 雪の降るさまばかりでなく、歌声も興趣がある。◇山つくるまで 雪山を作って遊ぶことができるほど深く積もってほしい、という心であろう。

【補記】「降れ降れ粉雪」は昔からあった童謡で、『徒然草』などにも見える。子供のうたう歌をそのまま和歌に引用するのは当時としては大胆な手法である。

歳暮

雪折れのひびきを年の別れにてけし我が世もおどろかれぬる(493)

【通釈】雪折れの響きにはっとして、去りゆく年との別れの時だと気づき、数えればすっかり年を取った自分の齢(よわい)にも驚いてしまった。

【語釈】◇雪折れ 木や竹の枝が雪の重みで折れること。

【補記】除夜の鐘ならぬ雪折れの音を歳末の合図と聞く。竹林の奧深く住む隠士の歳暮の趣。

恋の歌の中に

若鮎のひれふる姿見てしよりこの川上の家ぞ恋しき(497)

【通釈】若鮎が鰭を動かして泳ぐ姿を見てからというもの、この川上の家が恋しいことである。

【補記】若鮎に少女を暗示し、「ひれ」には領布を掛けるか。万葉集の「遠つひと松浦佐用姫(まつらさよひめ)つまごひにひれふりしより負へる山の名」なども連想され、いにしえの恋物語の風趣が漂う。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻五
遠つひと松浦の川に若鮎釣る妹が袂を我こそまかめ
  作者未詳「万葉集」巻十二
吾妹子が夜戸出の姿見てしより心そらなり土は踏めども

春恋(二首)

藤波のたけにあまれる花房はなぶさをわが見し髪に思ひよせつつ(520)

【通釈】丈に余るばかりの藤の花房を、かつて見たあの人の髪になぞらえながら眺めるのである。

【語釈】◇藤波 風に揺れる藤の花房を波に喩えて言う。

【補記】すぐれた恋歌に乏しい幕末期の歌壇にあって、諸平の優艶な恋歌は貴重である。

 

見し人の面影なびく若草によすがさだめず飛ぶ胡蝶かな(521)

【通釈】かつて逢い見た恋人の面影が、風に靡く若草を見るにつけ思い出される――その若草に、あちこちと寄る辺もなく飛ぶ蝶であるよ。

【補記】あてどなく飛びまわる蝶に、恋に迷うおのれの心を見ているのである。「これ感情切迫して狂するに至り、幼く胡蝶にかこつさま、いとあはれにきこゆ」(飯田年平『抜萃傍註』)。本文は『抜萃傍註』に拠る。第四句以下「すがる胡蝶もなつかしきかな」とする本もある。

祈恋

吾妹子わぎもこにまことあふちの花ならば五月さつきいみを過ぐしても見む(拾遺)

【通釈】愛しいあの子と、本当に逢って思いを遂げられるのなら、楝(おうち)の花よ、五月の物忌みの期間を我慢して暮らし、その後でも逢おう。

【語釈】◇あふち 楝。栴檀。初夏に薄紫の芳香ある花をつける。「逢ふ」意を掛ける。◇五月の忌 田植月である五月には、身体を浄めて家に籠るという風習があった。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
吾妹子にあふちの花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも

文政九年の春夏かけて遠江とほたふみにまかりける時、道にてよめる歌の中に(二首)

春がすみ立ち出づるからに里の犬の夜声は絶えてきぎす鳴くなり(22)

【通釈】春霞が立つ中、旅立つや否や、里の犬の夜声は絶えて、雉が鳴くばかりである。

【語釈】◇立ち出づるからに 出発するや否や。「立ち」には前句からの続きとして「春霞が立ち」の意が掛かる。◇きぎす 雉。春、雄は雌に求愛して鳴く。

【補記】文政九年(1826)、二十一歳の時、故郷の遠江への旅において詠んだ歌。諸平が紀州の加納家の養子になった翌々年のことである。夜がしらじらと明ける頃の旅立ちの情趣がしみじみと歌われている。

 

旅衣わわくばかりに春たけてうばらが花ぞ香ににほふなる(23)

【通釈】春の初めに旅立ち、今や旅衣がほつれるまで時が経ち、季節は盛りを過ぎて、道端の野茨の花が馥郁と匂っている。

野茨 写真素材フォトライブラリー http://www.photolibrary.jp/
うばら(野茨)の花

【語釈】◇わわく 布などが破れて乱れる。◇うばら いばら。野生の薔薇。写真はバラ科のノイバラ。晩春から初夏にかけて咲く。(→和歌歳時記

【鑑賞】「旅行く人誰も誰も此の情は知るべきも、よみ得ること難し」(飯田年平前掲書)。「若い感傷がみづみづしく出てゐる。旅衣がわわける程になつたと感じてゐるのは、多少誇張を含んでゐるが、詩としては、其が実感の程度に達してゐる」(折口信夫『近代短歌』)。

旅泊

わたつみの浪もてかくす故郷をうきねの夢にこよひ見しかな(655)

【通釈】海の神が波で以て隠す故郷――その懐かしい故郷を、船中に寝ての夢に今夜見たことであるよ。

【語釈】◇わたつみ 海の神、または海。◇うき寝 浮寝(船中で寝ること)に、「憂き寝」あるいは「憂き音」(悲しくて泣くこと)の意が掛かる。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三
名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は

紀伊国続風土記撰ばせ給ふ仰せごとにて、三たび熊野の村々、海山をめぐりける時は、夜昼といはず古今の事ども尋ねとひて書きしるし、いとまなかりければ、大かた歌もえ詠まで過ぎにしかど、ひとつふたつは懐がみのはしにかいつけおけるも有りしを、かへりて後、おなじくは今ひとつふたつと詠み添へける歌ども(二十首)

那木なぎの葉をかざしてかへる人もがな世々の行幸みゆきのあとがたりせん(659)

【通釈】梛(なぎ)の葉を髪に挿して帰って行く人がいないものか。時代時代の天皇の行幸の昔話をしよう。

【語釈】◇那木 梛。マキ科の常緑高木。針葉樹の仲間であるが、葉は楕円形。熊野地方では神木とされ、葉を災難除けに挿頭(かざ)すなどした。

【補記】諸平は天保二年(1831)、藩命により『紀伊続風土記』の編纂に携わり、この調査のため三度にわたって熊野を巡行した。旅中の作は乏しかったようであるが、その後詠み添えて、百首余りの羇旅歌を残している。掲出歌はその冒頭。異郷の風土に触発された清新な秀歌群は、遠く天平時代における大伴家持の越中・能登巡歴詠にも比せられよう。諸家が諸平の代表作・傑作として引用する歌の多くがこの時の旅歌に含まれる。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」
ちはやぶる熊野の宮の梛の葉をかはらぬ千世のためしにぞ折る

 

山がつがけぶり吹きけん跡ならし椿の巻葉霜にこほれり(662)

【通釈】山人が煙草を吹かした跡であるらしい。椿の巻葉が霜に氷っている。

【語釈】◇山がつ 山賤。山の民。山に住み、山でとれるもの(木や獣)によって生計を立てていた人々。猟師・木こり・炭焼など。◇椿の巻葉 椿の葉で煙草を巻いて作った葉巻。紀州の山奧の風習であったらしい。

【補記】野趣に富む民俗に材をとった、珍重すべき歌。物珍しい題材を歌にしたというばかりでなく、結句七字で早朝の深山の気もあざやかに歌い留めた。

 

いづる日の影もおぼろの朝けかな霧にしをれて山路わけまし(664)

【通釈】昇る太陽の光もおぼろに霞む朝明けであるよ。霧にそぼ濡れて山路を分けてゆこう。

【語釈】◇わけまし この「まし」は、「できれば…しよう」「たぶん…だろう」といった、不確実な事態における意志・推量をあらわす。

【補記】以下、秋の山をゆく旅路が趣深く歌い上げられている。

 

み熊野の荒山中に海なして立つ朝霧をいくへ分くらむ(665)

【通釈】熊野の荒々しい山中に、海さながら立ち込める朝霧――この霧を我々は幾重分けるのだろうか。

【語釈】◇いくへ分くらむ 幾重分けるのだろう。助動詞「らむ」は現在の事態についての推量をあらわすので、文法的な正確を期すのであれば未来推量の助動詞「む」を用いて「いくへか分かむ」などとありたいところ。

【補記】続く一首は「朝霧のふかきを雨とおもひしはまだ山なれぬ心なりけり」。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三
大君は神にしませば槙の立つ荒山なかに海をなすかも

 

みづちすむ淵を千尋ちひろの底に見て太刀たちの緒かため行く山路かな(667)

【通釈】蛟龍(みずち)が棲む深淵を千尋の谷底に見て、太刀の緒を固め直し、山路を行くのである。

【語釈】◇みづち 蛟。蛟龍。蛇に似た想像上の動物で、四つの脚をもち、毒気を吐くという。

【参考歌】境部王「万葉集」巻十六
虎に乗り古屋を越えて青淵に鮫竜(みつち)取り来む剣太刀もが

 

けぶりたつ峰の炭焼やどり貸せ夕日のおくにましらなくなり(668)

【通釈】煙の立つ、峰の炭焼小屋――炭焼よ、今夜の宿を貸してくれ。沈む夕日の奥で山猿が鳴いている。

【語釈】◇ましら 猿。

【補記】山林に没する太陽が光を滲ませ、その向うから猿の鳴き叫ぶ声が聞こえてくる。下句は旅人が深山で迎える夕暮の凄さを印象的に表現している。

 

かどすぐる風をしるべに樫の実のひとり出でても拾ふうなゐか(669)

【通釈】門を過ぎてゆく風を合図に、独り出て行って樫の実を拾う幼な子であるよ。

【語釈】◇樫の実の 「ひとり」の枕詞(万葉集巻九に「樫の実の 独りかぬらむ」の用例がある)。また「拾ふ」対象物でもある。◇うなゐ 髫。うなじでまとめた子供の髪形、またその髪形をした幼い子。

【補記】子供がどんぐりの類を好むのは今も変わらないが、掲出歌の「うなゐ」は遊びで拾うのではなく、食うために拾うのである。熊野の山人が木の実を搗き水に浸して食用にしたことを諸平は歌に詠んでいる(674番)。

 

夕されば山路の松のふさたきを岩根の蔦に照らしてぞゆく(670)

【通釈】夕方になると、山路の松をたくさん折り、松明(たいまつ)に焚いて、岩根の蔦にその光をあてながら歩いてゆくのである。

【語釈】◇ふさたき 総焚き。松をたくさん焚いたもの。

【補記】にわか作りの松明の火に照らし出される、深紅に紅葉した蔦の葉。苦しい旅の道行に凄切たる美を見い出している。続く一首は「袖かへす山風はやみ松の火もともにこぼるる夕しぐれかな」。

 

山がつがもちひにせんと木の実つき浸す小川をまたや渡らん(674)

【通釈】山人が餅にしようと、木の実を搗き、あく抜きのため小川の流れに浸している――そんな小川をまたもや渡るのであるよ。

【補記】「木の実」はどんぐりの類。熊野山中の山人は、縄文時代さながらの風習を伝えていたことが知れる。一つ前の歌「大かたは秋とも知らぬ山がつが笥(け)にもる飯(いひ)は木の実なりけり」も哀れ深く、併せて鑑賞されたい。

 

足ふめば霜くづれする赭土山まそほやま立ちや疲れん霧のみ中に(685)

【通釈】足で踏めば霜柱が崩れる、赤土の山――この山にたちこめる霧の中で疲れ切り、立ち往生してしまうのだろうか。

【語釈】◇赭土山 赤土の山。◇み中 「まなか」に同じ。

 

いただきに杣板のせてくだる子がうしろで寒き那智の山風(689)

【通釈】頭のてっぺんに杣板(そまいた)を載せて山道を下ってゆく娘――その後ろ姿が寒々としている、那智の山風よ。

【語釈】◇うしろで 正面を意味する「おもて」の対語で、背面、すなわち後ろ姿のこと。

【補記】叙景の歌がしばらく続いたあと、土地の人を出して、旅の連作に変化をもたらしている。

 

うちおける板目に切れし黒髪をゆゆしと見つつ夫子せこや歎かん(690)

【通釈】頭に置いた板の合わせ目に引っ掛かり、切れてしまった黒髪――それを忌まわしいと見ながら、娘の恋人は歎くのだろう。

【語釈】◇板目 板と板の合わせ目。あるいは鋸の跡をこう言ったか(『抜萃傍註』)。◇夫子 女と親しい間柄にある男。夫や恋人など。

【補記】前歌と一組の作。後ろ姿を見送った山人の娘に、親身に心を寄せている。「板目に切れし黒髪」は観察か想像か、そんな詮索も不要なほど深情の籠った一首である。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十四
稲つけばかかる吾が手を今宵もか殿の若子が取りて歎かむ

 

むろの海のにしきの袋せばけれど百船人ももふなびとあまつつみせり(693)

【通釈】牟婁の入海は錦で織った袋のよう、美しくも狭いけれども、百を数える船の船人は雨を憚って湊に留まっている。

【語釈】◇むろの海 牟婁の海。和歌山県の田辺湾の入江。◇雨つつみ 雨を憚って港に留まっていること。

【補記】山上から、多くの船が係留している美しい入江を眺めての詠。続く一首も名高く、「浪風のうちみだりたる吾が髪をたれかかかげんくしもとの浦」。

 

沖さけて浮かぶ鳥船時のまにかけりもゆくか勇魚いさな見ゆらし(697)

【通釈】沖合遠く浮かんでいる鳥船が、一瞬のうちに遥か彼方まで走ってゆくよ。鯨の姿が見えるらしい。

【語釈】◇鳥船 鳥のように速い船。古事記などに「天の鳥船」が見える。◇勇魚 鯨の古称。

【補記】捕鯨船の素速い動きを鮮やかに歌い上げている。「鳥船」の名を用いたことで、現前する熊野の海が神話の世界と重ね合わされた。同じ時の作に「雲かかるわたのみ中にあら潮を雨とふらせて鯨(いさな)うかべり」があり、諸平の代表作としてしばしば引用されたが、掲出歌に比べると遥かに劣る。

【参考歌】倭姫王「万葉集」巻二
鯨魚(いさな)取り 淡海の海を 沖放けて 榜ぎ来る船 辺付きて 榜ぎ来る船(後略)

 

有馬の海浪のゆふ花折りかけて神をまつらぬ時も日もなし(702)

【通釈】有馬の海では、木綿花のように白い波が寄せては返し、一日一刻とて神を祭らない時はない。

熊野灘
有馬の海(七里御浜)

【語釈】◇有馬の海 三重県熊野市有馬町あたりの海。熊野灘の一部。弓なりの海岸線が長く続き、七里御浜と称される。伊邪那美の墓所とも伝わる花の窟が近い。◇ゆふ花 木綿(ゆう)で作った白い造花。神への供え物とした。

【補記】打ち寄せる白波そのものを神への供物と見、また神への祈りと見た。日本人のアニミズム的な自然観・宗教観が美しく形象化されている。

【参考歌】後鳥羽院「建保四年百首」「万代集」
泊瀬女の袖かとぞ思ふみ吉野の滝のみなわの波のゆふ花

 

み吉野の奥に思へる心さへ身さへ山路をわけたどりつつ(705)

【通釈】吉野の歴史を心の奧底から思っていた――その我が心ばかりか、今我が身体さえも、吉野の山路を分けて辿ってゆくのである。

【補記】初二句は「み吉野の奥」(吉野朝の行く末)、「奥に思へる」(心の奧底に深く思っている)の掛詞であろう。折口信夫の指摘するように(『近代短歌』)、いわゆる後南朝の歴史に思いを馳せた歌と思われる。

 

小楯をだてなすいはほ照るまで高倉のかぶとの森はもみぢしにけり(708)

【通釈】楯のように切り立った大岩が照り輝くまで、高倉のかぶとの森は紅葉しているのだった。

【語釈】◇高倉のかぶとの森 不詳。一説に和歌山県新宮市の神倉山付近の森。高倉下命(たかくらじのみこと)が生れたという伝説を有する。

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十
能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも

 

あふぎ見る大蛇神楽をろちかぐらの松かげはいかなる神か降り立たすらん(709)

【通釈】仰ぎ見る大蛇神楽の松――その木陰にはどのような神が降臨なさるのだろうか。

【補記】「大蛇神楽の松」は不詳。土地の人からそのような名で呼ばれた古い松の樹があったのであろう。「をろちかぐら」は大蛇退治を演ずる神楽か。ともあれその名に言いようのない迫力を感じる。固有名詞の力である。

 

荒山の八十隈やそくまおちぬ往き交ひに涙は袖の針目をぞもる(710)

【通釈】荒々しい山の数知れぬ曲がり角を欠かさぬ往還に、涙は袖の縫目を漏れて流れるのである。

【語釈】◇針目(はりめ) 針で縫ったところ。縫い目。

【補記】「紀伊国続風土記撰ばせ給ふ仰せごとにて…」の詞書で括られた羈旅歌五十二首の締めくくりの歌。

【参考歌】阿倍女郎「万葉集」巻四
吾が背子が着せる衣の針目落ちず籠りにけらし我が心さへ

本宮にやどりける夜

七越ななこしの峰に夕ゐる秋の雲一なびきして月はのぼれり(717)

【通釈】七越の峰に夕方居座っていた秋の雲が一靡きして、そのあと月は昇ったのだ。

【語釈】◇七越の峰 熊野本宮付近の峰。大峰山から数えて七つめの峰にあたるのでこの名が付いたという。

【補記】さらに熊野旅行の歌が続く。掲出歌は熊野本宮に宿った夜の作。

【参考歌】西行「山家集」
立ちのぼる月のあたりに雲きえて光かさぬる七越の峰

十月二日、花の岩屋の祭すと聞きて、有馬村の旅やどりより、人々とともに手ごとに菊・鶏頭華などを携へてまうづ

神無月春ごこちにもなれるかな花の岩屋に花祭りして(718)

花の岩屋
花の岩屋

【通釈】初冬神無月にあって、春心地になったことであるよ。花の窟に花祭りをして。

【語釈】◇花の岩屋 花の窟。三重県熊野市有馬町。七里御浜に近く聳える巨岩を神体として祀る。伊邪那美の墓所とも伝わる。春二月・秋十月の祭礼では、季節の花や扇を結んだ幟を取りつけた大綱が岩の上から七里御浜まで張り渡される。

【補記】熊野旅行の折、花の岩屋の祭に詣でての作。昔増基法師が花を供えて祀ったことからその名が付いたという「花の岩屋」の由緒ある祭に寄せる思いを詠んだ連作五首の第一首。末尾の歌は「しめはへてむすべる菊のひまごとにあふぎもひらく花祭かな」。

十月十六日、巴岳にのぼるとて、多宇具良といふ谷の雪の上にかり庵つくらすとて、大木をきらせけるに、たふるる音山にとよみぬ

深山木みやまぎのもと伐りつと斧とれば空もとどろに嵐吹くなり(729)

【通釈】深山に生える大木の根元を切り倒そうと斧を振るえば、空も轟くばかりに嵐が吹くのであるよ。

【語釈】◇巴岳(ともゑだけ) 大台ケ原付近の山。◇斧とれば 木こりが斧をふるうと。この「とる」は手に持って扱う意。

【補記】これも熊野旅行の途次、初冬十月に大台ケ原の巴岳に登った時、仮庵をつくるために大木を伐らせ、その倒れる音が山に響き渡った。その時の印象を歌にしている。嵐は山の神の怒りであろうか。

那智滝(四首)

壁たてるいはほとほりて天地あめつちにとどろきわたる滝の音かな(739)

那智の滝
那智の滝

【通釈】そそり立つ巌壁を突き抜けて、天地に轟きわたる滝の音であるよ。

【語釈】◇壁たてる 絶壁が切り立っている。◇那智滝 和歌山県那智勝浦町、那智山の奥の滝。熊野那智大社はそもそもこの滝をご神体として祀ることから起った社という。

【補記】同題にまとめられた八首の第一首。熊野旅行の際に実見しての詠で、聖地に到った感動がみなぎっている。続く第二首は「滝姫の御衣(みそ)の白妙幅ひろみさく雷(いかづち)やおもひかけけむ」。八首全て力の籠った作である。
 
 

 

高機たかはたいはほにたててあまつ日のかげさへ織れる唐錦からにしきかな(741)

【通釈】丈高い織機を大岩に立てかけて、太陽の光さえ七色に織り込んでいる、唐錦のように美しい滝よ。

【語釈】◇天つ日のかげ 太陽の光。

【補記】那智の滝にしばしばかかる虹を、錦織に見立てたのであろう。古今集以来の技法を踏襲しているが、かくまで絢爛たる「見立て」は和歌史上稀である。

 

あしたづのつばさのうへに玉しきて神やますらむ滝のみなかみ(742)

【通釈】鶴の翼の上に、無数の露の玉を敷き広げて――神がおられるのだろう、これほど美しい滝の水上には。

【語釈】◇あしたづ 葦鶴。葦の生えるところにいる鶴ということであるが、単に鶴の別称でもある。

【補記】「那智滝」連作の第四首。真直ぐに落ちたあと末広がりになる滝の形状を、鶴の立ち姿に喩えている。諸平の修辞の才が遺憾なく発揮された一首。続く二首は「富士も見き淡海の海も渡りてき今はと思ひし滝にやはあらぬ」、「世の塵に迷ふ嘆きは聞きとめぬ神の御声や滝にそふらん」。

 

ますらをがすべしもとどり解きはなつ滝のひびきに雨みだるなり(745)

【通釈】勇ましい男子が束ねた垂髪を解き放つ――そのように滝口から解き放たれて落ちる水の響きに、雨が乱れて降っている。

【語釈】◇すべしもとどり 辷髻・垂髻・垂髪。髻(もとどり)の末を背後にすべらかし、長く垂れ下げた髪型。日本書紀には婦女の髪型として見える。

【補記】「那智滝」の第七首。滝口から落ちる水を、解き放った垂髻に喩える。

在田日高二郡を二度ふたたびめぐりし時 この歌どもは日記にもしるさざりしを、ひとつふたつ思ひ出でて書きつく(三首)

あうらつく新藁沓にひわらぐつのあらづくりいかがは踏まん岩のかけ道(750)

【通釈】粗く作った新しい藁沓、これで険しい岩の山道をどうして踏んでゆこうか。

【語釈】◇あうらつく 不詳。足裏に付くの意か。あるいは「沓」の枕詞のように使ったものか。万葉集には「足占」「足卜」なる語が見え、「あうら」または「あしうら」と訓まれている。◇あらづくり 荒作りまたは粗作り。足にぴったりしない、大雑把な作りということであろう。

【補記】在田・日高(いずれも紀州の郡名)を二度にわたり巡行した時の作、十二首の第三首。

 

もえ松につつじ折りそへしづのが子故にいそぐ夕暮の山(757)

【通釈】燃料の松に躑躅の花を折り添えて、山住みの女が夕暮の山道を急いでゆく――家で待つ子ゆえに。

【語釈】◇もえ松 「松の根株に脂ある所をとりて、油火にかへて田舎に夜中たき用ゆる物なり」(『抜萃傍註』)。◇しづの女 身分が賤しいとされた女。ここでは山人の妻。

【補記】若い母親なのだろう、背に負った松の木に、躑躅を添えて山道を急いでいる。その花を子へのみやげと見たのである。山躑躅の赤い花が夕暮の山にほのぼのとした明かりを点じている。

 

神ならば岩おしわけて帰らまし山路の暮は家ぞ恋しき(759)

【通釈】神であったなら、岩を押し分けて帰っただろうに。山路で迎える夕暮は、家が殊更恋しく思われるのだ。

【語釈】◇帰らまし 助動詞「まし」はこの場合実際にはありえない仮定における願望をあらわす。

【補記】連作十二首の末尾。古代の精神をそのまま我がものとしているゆえに、おのずと帯びる丈高さ。諸平のますらおぶりを代表する一首と言えよう。

悲傷

天保九年三月、昆陽こやの正覚院なる父翁の墓詣しける時、奉らん花もなかりければ、かたへのやぶかげに咲き残れる椿を手折りけるに、一花落ちしかば

こをだにと折りとる袖に且つ落ちて露よりもろき玉椿かな(645)

【通釈】せめてこれだけでもと枝を折り取った袖に、たちまち落ちてしまって、露よりも脆い椿の花であるよ。

【語釈】◇玉椿 椿の美称。

【補記】父が亡くなって十六年後の天保九年(1838)三月、摂津国の昆陽の正覚院にある父の墓に詣でた時、花を用意していなかったので、墓のかたわらの藪蔭に咲き残っていた椿を手折ったが、花は落ちてしまった。その時に詠んだという歌。因みに父の死因は昆陽の池に落ちての溺死であった。

【参考歌】藤原為冬「新千載集」
むら時雨晴れつる跡の山風に露よりもろき峰の紅葉ば

中村良臣が身まかりける年の九月の末つかた、秋哀傷といへる心をよみてと、其子良弼がこひおこせければ

露霜の 秋さりごろも 吹きかへす 風を時じみ 蘆垣の まがきに立ちて もみぢ葉の 過ぎにし人を うつらうつら 恋ひつつをれば たでの穂に 夕日くだちて 雁なきわたる(1102)

【通釈】露霜の置く秋が来て、秋さり衣に通した袖――その袖を吹き返す風が止まぬ中、私は葦で編んだ垣根の側に立って、もみじ葉が散り去る如く逝ってしまった人を、つらつら恋しく偲んでいると、蓼の穂に射していた夕日は沈みかけて――その空を雁が鳴いて渡ってゆく。

【語釈】◇秋さり衣(ごろも) 秋になって着る着物。万葉集に由来する歌語。◇風を時じみ 風が時を分かず吹くので。万葉集の軍王の歌に「山越の風を時じみ」とあるのに拠る。◇蘆垣(あしがき)の籬(まがき) 葦で編んだ垣根。◇蓼(たで) 犬蓼など蓼類の植物。秋に花穂を出す。諸平の自註に「蓼は良臣の家の名によしあり」とある。

【補記】知友の中村良臣が亡くなった晩秋九月末、「秋哀傷」という題で詠むよう、良臣の子良弼に請われて作った歌。折口信夫は「稍、景物の配合に古風な処こそあれ、其引き緊つた製作力、感動の適切な淘汰性、古びない色気」を賞賛している(『近代短歌』)。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻一
真草刈る荒野にはあれどもみち葉の過ぎにし君が形見とぞこし

廿はたちまり一つになりぬる年の春

益荒男ますらをが打ちもかへさぬ山陰のはたとせ何に過ぐし来つらん(32)

【通釈】農夫が鋤き返しもしない山陰の畑――その「はた」ではないが、生まれてから二十年(はたとせ)というもの、私は何をして過ごしてきたのだろう。まるで鋤き返さぬ畑のように無益な年月であった。

【語釈】◇はたとせ 「畑(はた)」「二十歳(はたとせ)」の掛詞。

【補記】「山かげの」までが「はた」を言い起こすための序。いわゆる有心(うしん)の序であり、打ち捨てられた山の畑は歳月の無益さを象徴している。「上の序の韻(ひび)きにて切迫にきこゆ」(飯田前掲書)。文政九年(1826)、二十一の年、故郷の遠江に帰郷した時の感慨であろう。

本生父翁の霊祭に、寄萩懐旧といふ題にて人々とともによめる

わが身こそよそにもうつれ萩が花もとの垣根にやつれてぞ咲く(34)

【通釈】我が身こそ他所に移ってしまったけれども、萩の花はもとの垣根にあって、やつれたさまで咲いている。

【補記】父甕麿(みかまろ)の霊祭(魂祭)において詠んだ歌。捨てた故郷の家に久しぶりに戻った人が、昔と変らぬ場所に咲いている萩の花に気づく。そしてその花の咲くさまを「やつれて」と眺めている。故郷を去ってのちの歳月の流れが、この一語に籠められている。因みに甕麿は生前萩園(はぎその)と号した。

古城跡

岩くえて礒回いそみ城門きどは荒れにしを夜声さむくもよする波かな(627)

【通釈】岩が崩れて、磯のほとりの城門は荒れてしまったけれども、そこに夜の波音が寒々と寄せている。

【補記】諸平は古戦場跡などの史跡を好んで歌に詠み、謙信・信玄が合戦した犀川畔を詠んだ「駒わたす人かげもなし犀川の岸の司はかたくづれして」は殊に名高かった。

伊丹にて大塚寛制がはなれ屋にやどり居ける時、朝まだき外面とのもを見いだして

生駒山かすむあしたの見渡しに思ひつづくる花のうへかな(647)

【通釈】生駒山が霞む朝の景色を見渡す――その霞の眺めのうちに、花は咲いているかと思いに耽るのであるよ。

【語釈】◇伊丹(いたみ) 摂津国川辺郡の町。今の兵庫県伊丹市。◇生駒(いこま) 河内・大和国境の山。伊丹からは東方遥かに眺められる。

【補記】「見渡しに」という措辞をとったことで、「思ひつづくる」という語が活きた。「あしたに見渡せば」「あしたを見渡して」などとしていたら、これほど眺望と心境とが渾然と融合することはなかったであろう。

川づらの庵にありける時、正月のはじめつかた、南の山々をみわたして

静かなる山のすがたをほのぼのと浮べて立てる春霞かな(966)

【通釈】静かな山の姿をほのかに明るく浮かび上がらせて、立ちこめている春霞であるよ。

【補記】川霧の上に山々が浮かんでいるように見える景色。実景を見ての即興詠で、諸平にしては珍しく、肩の力が抜けた伸びやかさがある。

海辺夕

姫島の松の夕日に雁啼きてわが子恋しき秋風ぞ吹く(603)

【通釈】姫島の松を照らす夕日に雁が鳴いて、秋風が吹くと、故郷に残して来た我が子が恋しくてならない。

【語釈】◇姫島 大分県国東半島沖の離れ小島。防人(さきもり)の駐屯所の一つであった。古事記の伊邪那岐・伊邪那美の国産み神話における「女島(ひめしま)」がこの島であるという。

【補記】防人の立場で故郷の子を偲んだ歌。雁は音信を届ける使者になぞらえられたので、望郷の思いにつながるのである。

一帆見え二帆つらねて明くる夜のしららの沖に舟きほふなり(853)

【通釈】帆影が一つ見え、また二つ連なって見えして、夜が白々と明けてゆく白良(しらら)の沖では、舟が競うように漕いでゆく。

【語釈】◇しらら 白良。紀伊国の歌枕。今の和歌山県の白浜。

【補記】「青黄白」の色を題とした三首のうち、白を詠んだ歌。帆の色のみならず、地名も白を含んでいる。青の歌「小笹原それともわかぬ葉隠れにかつがつ咲ける月草の花」も愛すべき佳品。

海上眺望

天草やあめよりをちのから山も雲になびきて日は暮れにけり(974)

【通釈】天草から眺めると、天より遠くに見える唐の山も雲の中に靡いて、そのうちに日は暮れてしまった。

【語釈】◇天草(あまくさ) 熊本県の天草諸島。◇から山 「から」は中国または朝鮮の古称。天草から中国や朝鮮の山が実際に見えるかどうか知らないが、天草は本土の西端と考えられたので、唐土の山が西海の果てに眺められるものとして詠んだのである。◇雲になびきて 棚引く雲の間にのぞく山が、靡いているように見えたということであろう。

薄暮松風

岡の辺の入日のなごりうちなびき松風ながら暮るる空かな(594)

【通釈】岡のほとりの入日のなごりにほのかに照らされた草木が打ち靡き、松風の凄まじい音のうちに暮れてゆく空であるよ。

【語釈】◇松風 松を吹く風。物寂しい音を立てるものとされた。

【補記】題「薄暮松風」は中世からしばしば見られる歌題。草木を言わず「入日のなごりうちなびき」と詠んで印象鮮明。

山家夜話

数さすと真柴折り焚き山里のなぞなぞがたりさ夜ふけにけり(1073)

【通釈】点数を示すとて、薪を折っては焚きしているうちに、山里の謎々語りを楽しむ夜は更けてしまった。

【語釈】◇数さす 点数をしるす。折って炉にくべた薪の数で勝ち負けを数えたのである。◇なぞなぞがたり 謎々物語。謎々合せ。互いになぞなぞを掛け合い、解き合って勝敗を競う遊び。

【補記】山住いの夜の無聊を慰める遊び。点数を数えるのに薪を折ってくべたとは、いかにも山家の情趣にふさわしい。

県居翁あがたゐのおきなの霊社に奉らんとて、くさぐさの歌よみける中に

ふるさとの岡辺のすみれ手につみていとど昔の春ぞ恋しき(915)

【通釈】県居翁の故郷、そして我が故郷でもある遠江の国の岡辺の菫を手に摘んでいると、ますます翁の生きておられた昔の春が恋しく思われるのだ。

【語釈】◇県居翁の霊社 賀茂真淵を祀る社。天保十年(1839)、浜松藩主水野忠邦らによって勧請された。静岡県浜松市東伊場。◇岡辺 真淵の生家の家名、岡部氏を暗示していよう。

【補記】賀茂真淵を祀る霊社に奉納した十九首の歌の冒頭。同社が創建された天保十年(1839)の作か。諸平は本居宣長の学統に連なるゆえ、宣長の師である真淵は流祖にあたる。しかも同郷の人とあって、敬愛の念は尋常でなかったろう。四季の風物を詠じつつ、故郷や学問に寄せる自身の思いを籠めた、力作揃いの歌群である。

【参考歌】賀茂真淵「賀茂翁家集」
ふる里の野べ見にくれば昔わが妹とすみれの花咲きにけり

 

桜花ちらばちらなん遠つ神わが大王おほきみ衣笠きぬがさの上に(916)

【通釈】桜の花よ、散るなら散るがよい。同じ散るなら我が大君の衣笠の上に散れ。

【語釈】◇ちらなん 「なん」は希望をあらわす終助詞。◇遠つ神 「大王(おほきみ)」の枕詞。◇衣笠 絹を張った長柄の傘。

【補記】『柿園詠草』では少し前に「君がため花と散りにしますらをに見せばやと思ふ御代の春かな」という歌が置かれており、掲出歌も桜の散ることに大丈夫の死を暗喩していると思われる。すなわち、同じ死ぬならば大君のために死ね、ということである。

【参考歌】惟喬親王「古今集」
桜花散らば散らなむ散らずとて古郷人の来ても見なくに

 

みしぶつく植女うゑめが袖に夕月のやつれしかげをあはれとぞ見る(920)

【通釈】水渋が付く田植女の袖に、夕月の衰えた光が映っている――その月影をしみじみと哀れ深く眺めるのである。

【語釈】◇水渋 水面に浮かぶ錆のようなもの。水錆。水垢。万葉語彙。 

【補記】「やつれしかげ」は女の袖のみすぼらしさでもあり、また労働の疲れでもあろう。

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻八
衣手に水渋付くまで植ゑし田を引板我が延へまもれる苦し
  藤原俊成「新古今集」
水渋つき植ゑし山田に引板はへてまた袖ぬらす秋は来にけり

 

榊葉の香をかぐ山にのぼりても神代の空ははるけかりけり(923)

【通釈】榊の若葉の香をかぐ、香具山に登っても、神代の空はなお遥かであった。

【語釈】◇かぐ山 天の香具山。動詞「嗅ぐ」を掛ける。

【補記】神代への憧憬を抱きつつ天の香具山の頂に昇り立ったが、なお憧れの思いは遥かである。諸平の尚古主義がよく出た歌。

 

ふるさとの岡辺に立ちてわが見てし富士の御雪みゆきのとはに恋しき(925)

【通釈】故郷の岡辺に立って、かつて私が見た富士の頂の雪――その雪が永久に消えないごとく、いつまでも恋しく思い出すのだ。

【補記】万葉集の赤人の歌に「富士の嶺に降り置く雪は六月(みなつき)の望(もち)に消ぬればその夜降りけり」とあるように、富士の雪は夏を越えて積り続けるものとされた。すなわち「とはに」は万年雪に掛けての言いなしである。

【鑑賞】「此の歌、表面は富士の雪常に恋し、とのみなれども、裏面は、県居翁も遠江人にて、苗字を岡部といへりしをふくめ、学事上此の翁をこふとともに、生れし故郷をもこふる意にて、感深きが上に一首の調べいと高し」(飯田年平『柿園詠草抜萃傍註』)。

 

ふるさとのなつめがもとの萩が花こぼれにけらし秋風の吹く(926)

【通釈】故郷の棗の樹のもとに咲く萩の花――あの花は今頃散りこぼれてしまったに違いない。秋風が寒々と吹いている。

【語釈】◇棗 クロウメモドキ科の落葉小高木。諸平の生家の苗字「夏目」を暗に含めている。

【補記】これも賀茂翁霊社に捧げた一首であるが、父甕麿への思いを籠めた歌である。生家の苗字「なつめ」のみならず、甕麿の号「萩園」も暗示しているからである。父の頓死後、諸平は遠江の夏目家から和歌山の加納家に引き取られ、養子になったのであった。

 

世の中はかなしかりけり世の中の何かかなしきしづにして(927)

【通釈】世の中は悲しいものであった。世の中がなぜ悲しいことがあろう、取るに足らぬ、身分賤しい男であるのに。

【語釈】◇何かかなしき どうして(何が)悲しいことがあろう。この係助詞「か」は反語。

【補記】「世の中はかなしかりけり」と言ってすぐさまそれを打ち消している。取るに足らぬ身であるという反省のもと、世を観ずること自体を否定したのだろうか。「しづの男」なればこそ世間が辛く悲しい、と考えるのが常識であろうが、その常識をひっくり返している。

【参考歌】大伴旅人「万葉集」巻五
世の中はむなしきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
  大伴家持「万葉集」巻十九
世の中の常無きことは知るらむを心つくすなますらをにして

 

引馬野ひくまのの芽はり原入りみだれ春日暮らすは昔人かも(933)

【通釈】引馬野の木の芽がふくらむ萩原に入り込んで、春の日が暮れるまで遊んでいるのは今は亡き昔の人であろうか。

【語釈】◇引馬野 万葉集に由来する歌枕。橘千蔭の『万葉集略解』などは遠江国敷智郡とし、今の静岡県浜松市の三方が原あたりかと言う。三河国宝飯郡とする異説もあるが、本居宣長は遠江説を肯定しており、諸平も遠江説を信じていたと思われる。◇はり原 万葉集の歌の「榛原(はりはら)」は、現在ではハンノキ林とする説が有力であるが、近世までは萩原と解するのが普通であったようである。諸平もおそらく「はり」を萩と解していただろう。「(木の芽が)張り」と掛詞。

【補記】賀茂翁の霊社に奉った歌の締めくくり。「『昔人』はやがて賀茂翁(賀茂真淵)をさし、春の日を遊んでゐる人はあるが、その中に自分の慕ふところの翁の姿は見えないといふことを嘆じたのである」(児山信一『近世和歌評釈』)。

【参考歌】長意吉麻呂「万葉集」巻一
引馬野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに

夢ごこちにおもひつづけける歌 嘉永二三年ばかりにや

みなとの うしほのくだり いかさまに くだりゆく世ぞ 地震なゐふりて 屋庭をかへし 山裂けて 水田みづたうづみ いひに飢ゑて 人はこやせど よき人の 書きてつたへし いにしへの ふみとりはしく 玉をしも こととかぞへて しがあまり 殿うてなに建て 川竹の 夜声ぞゑらく 鳥のごと 立ちか舞ふらん のろの如 まもらひをるか あらがねの 土にうづゐし 人さはに なげかふものを 人さはに かなしぶものを 大直日おほなほび 直日なほびの神の 神御魂かむみたま 荒びにけらし 少女をとめらに 男たちそひ たなそこの 音もやららに うちならす 左右さうを田にり 種まく見れば(1105)

【通釈】河口の潮の流れは止めようもなく下ってゆくが、この世はどのような有様で下ってゆくのか。地震が起きて人家をくつがえし、山が裂けて田を埋め、食糧が足りずに飢えて、人々は臥せっているけれども、(為政者たちは)すぐれた人が書いて伝えた、いにしえの書物を取り見ることなく、宝玉をもっぱら数えて、その財の余りを立派な御殿に建てて、夜に笑い声を立てている。鳥のように立ち舞っているのだろうか。麕(のろ)鹿のようにただ見まもっているのか。土にうずくまって、大勢の人が嘆いているのに、大勢の人が悲しんでいるのに。禍を直すという直日の神の御魂は荒れてしまったのか。少女たちに男が寄り添い、掌の音もさやかに打ち鳴らす左右を田に切り開き、種を蒔くのを見ると。

【語釈】◇うしほのくだり 潮の流れ下り。日本書紀の斉明天皇の歌に「水門(みなと)の潮(うしほ)のくだり海(うな)くだり」云々とある。◇書とりはしく 「とりはしく」は不詳。折口信夫『近代短歌』によれば「とり見ずて」の異文があったらしい。とりあえずそれに従って解釈した。◇川竹の 竹の節(ふし)を「よ」と言うことから「夜(よ)」の枕詞。◇のろ 不詳。のろ鹿のことか。小型の鹿。◇あらがねの 土の枕詞。◇直日の神 罪悪・禍害を改め直す神。◇音もやららに 音もさやかに。日本書紀に「手掌(たなぞこ)もやららに拍ち上げ賜ひつ」云々とある。

【補記】「嘉永二三年ばかりにや」との自註があるが、この頃大きな地震があったとの記録はなく、おそらくは嘉永七年(1854)の安政地震をぼかした韜晦であろう。為政者に対する批判を含むため、詞書に「夢ごこちに」などと書かざるを得なかったのだろうか。しかし実際夢うつつのうちに記述したかのように意味の辿りづらい箇所が多い。ことに終結部は晦渋。主題を隠すために人目を欺く算段かとも思えるが、それにしても奇妙な歌で、折口信夫は「酒から来た神経系統の」病気の時に作られた歌であろうと推測している(『近代短歌』)。

十月三日冬至なりけるに四日の巳刻より五月の申刻までいみじきなゐふりけるほど見聞きける事どもを後に思ひつづけける

たづの 聞ゆる空を 渡る日の 長きはじめ 時じくの かぐのの実に おく霜の ぬる朝けは おしなべて のどならましを 常ならぬ 神の荒びか 下とよみ 地震なゐ寄り来らく 家むらは 揺るぎに揺るぎ 人皆の 心ともなく 八街やちまたに 立ちゐさまよひ おののきて 憂ひ歎きし 昨日だに わびぬるものを 夕日の けふのくだちに 古衣ふるごろも またうちふりて 築地つきひぢの 崩るるなべに わたの原 大波よすと 足乳根たらちねの 母を背におひ うつくしき 子らが手とりて 走りくる 男女をとこをみなの かどに 立たりしより とまふきの 小屋をやのしきやを 市中いちなかに ここだ建てべ つむじ風 さむしろしきて おちず 思へばゆゆし ためしなく 地震なゐふるべしや 今もかも 立たむ春日はるひの 長きはじめに(拾遺)

【通釈】鶴の声が聞こえる空、その空を渡る日の光が長くなる始めの(冬至の)頃、橘の実に置く霜が消えてしまう明け方は、おしなべて平穏であったろうものを、尋常でない神の猛威か、土の下が鳴り響き、地震が押し寄せて、家々は揺れに揺れ、人は皆、不安な心で、街路に茫然と立って呻き、恐れおののいて、悲しみ嘆いていた――その昨日でさえ困惑し切っていたものを、今日の夕日が傾く頃に、再び揺れが来て、築地垣が崩れると共に、海からは大波が寄せるというので、老いた母を背に負い、いとしい子らの手を取って、走って来た男女が、城門に隙間もないほどぎっしり立っていた――その夜から、苫葺きの粗末な小屋を、街中にたくさん建て並べ、つむじ風が吹く寒い夜、筵を敷いて寝るけれども、毎夜毎夜、考えれば考えるほど恐ろしい。前例もなく地震が起こるものであろうか。今まさに季節は春へと変わろうとする、長い始めの時にあって。

【語釈】◇時じくのかぐの木の実 橘の実の神話的表現。◇古衣 古い着物は砧で打つことから「うち」に掛かる枕詞。◇門もせに 門も狭くなるほどに。この門は城門であろう。

【補記】嘉永七年(1854)十月三日から四日にかけて、いわゆる「安政東海地震」「安政南海地震」が起り、各地で津波などによる甚大な被害が出た。諸平の住む紀伊も大津波に襲われた。二度の地震による死者は三万人とも言われる。因みに翌年十月には江戸にも大地震が起きている(いわゆる安政の大地震)。掲出歌は、ことさら冬至という季の節目に大災害が起きたことを重く見て、ひときわの「ゆゆしさ」を感じている。

玉鉾たまぼこの 道ゆく人の 足ふめど 足ふみかねて こいまろび 草も取りあへず 飛ぶ鳥は 空より落ち く牛は 岩にふれども 其の命 絶ゆとはなきを 家揺する 地震なゐぞゆゆしき いしずゑを 八尺やさかはなちて 槙柱まきばしら 横さに裂き 板敷を たださに倒し しがあまり 崩るる壁に 八束やつかたる 煤うちきらひ 棟木むなぎ折れ うつばりおちて おしのごと うてるが下に 泣きさけび むせぶが中に かぐつちの 神や荒びし 立田彦たつたひこ 吹きや捨てけむ 燃ゆる火を 風もてなびけ 吹く風を 火もてわかちて 大雪の えし家村 つらねたる 稿わらに焼きけむ 其の里あはれ(拾遺)

【通釈】道を行く人が、歩こうにも歩くことが出来ず、倒れころげ、道端の草にも取り縋れず、飛ぶ鳥は空から落ちて来、牽く牛は岩にぶつかるけれども、その命が絶えるということはないのに、家を揺する地震こそは恐ろしい。家の土台を遠くへ押し去り、槙柱を横ざまに裂き、板敷を縦ざまに倒して、その残余は、崩れる壁に長くすじを引く煤が立ち込め、棟木が折れ、横木が落ちて、押機のように押しつぶされた下で、人々が泣き叫び、咽び泣く中に、かぐつちの神が暴れたのだろうか、立田彦の神が大風を吹き捨てたのだろうか、燃える火を風で以て靡かせ、吹く風を火で以て分けて、雪崩のように崩れた家々を、一列に並べた藁を焼くように焼いてしまったのだろう、その里の悲しいことよ。

【語釈】◇玉鉾の 道の枕詞。◇おしのごと うてるが下に 押機のように押しつぶした下で。「おし」は押機。罠の一種で、それを踏んだ動物を圧し殺す仕掛け。◇槙柱 杉や檜などの柱。◇かぐつち 迦具土神。火の神。◇立田彦 風の神。

【補記】家屋の倒壊と全焼、瓦礫の下敷きになった人々の苦しみをつぶさに描写して凄まじい迫力がある。

わたつみは 時なからめや 神代より 汐ひ汐みち よるひるに 時こそありけれ いかなれば 時をたがへて 潮泡しほなわの とどろとどろに 五月蠅さばへなす 水沫みなわ来返り 島の崎 川尻おちず 大波の おして寄すらむ 現神あきつかみ 我が大君おほきみの 聞こしをす 国のはたては 家村の しみみにたちて 浦つづき にきびしものを 波のむた 舟うちかへし 岩くやす かしこきかもよ きたてし 八島のかなへ わた中に はららに浮きて 連なれる 家も金門かなとも 遠近をちこちに 流れふらはへ ゆゆしくも 荒れたる里か 悲しくも 荒れたる浦か わたの底 沖をふかめて 思へども 聞けどもゆゆし 地震なゐの荒びは(拾遺)

【通釈】海には時間の区別がないのだろうか。神代から潮の満ち干を繰り返し、夜昼に定まった時の進行があったのに、どういうわけで、時を間違って、海水の泡がとどろく音をたて、湧き返り騒ぐ水泡(みなわ)が戻って来、島の崎々、川口を一つ残さず、大波が押し寄せるのだろうか。現人神であらせられる我が大君の支配される国の限りは、家々がぎっしりと建って、浦が続く限りなごやかに暮らしていたものを、波もろとも船をくつがえし、岩を砕きこわす。恐ろしいことよ。造り立てた竈(かまど)の釜が海原にちりぢりに浮かんで、連なっていた家も金門もあちこちに流れ漂い、ひどく荒れた里であるよ。悲しいまでに荒れた里であるよ。海の底のように、奧底に秘めて思うけれども、聞くけれども、地震の猛威は恐ろしい。

【語釈】◇五月蠅(さばへ)なす 夏の蠅のような。泡が湧き返り、騷ぎ立てているさま。◇八島の鼎 「八島」は竈の隠語。「鼎」は物を煮るための金属製の容器で、今の鍋釜にあたる。

【補記】嘉永七年(1854)の安政南海地震において最も大きな被害を齋した津波を主題とする。諸平の住む紀州でも甚大な数の溺死者が出た。


公開日:平成20年05月13日
最終更新日:平成21年02月10日

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