新葉和歌集 秀歌選

【成立】宗良親王の手によってほぼ完成に至っていた南朝歌人の集大成的歌集につき、弘和元年(1381)十月十三日、長慶天皇より勅撰集に擬せられる旨の綸言が下り、同年十二月三日、宗良親王は同集を改訂の上奏覧した。

【撰者】宗良親王

【書名】「新葉」は「新しい歌」の意。序に「上、元弘のはじめより、下、弘和の今に至るまで」「折にふれ時につけつつ言ひあらはせる言の葉どもを」云々と説き明かしている。

【主な歌人】後村上院(100首)・宗良親王(99首)・長慶院(52首)・花山院家賢(52首)・花山院師賢(49首)・後醍醐天皇(46首)・洞院公泰(45首)・尊良親王(44首)・二条為忠(40首)・関白左大臣(二条教頼か)(28首)・北畠親房(27首)・花山院長親母(26首)・花山院長親(25首)・花山院師兼(24首)

【構成】全二○巻一四二六首(1春上・2春下・3夏・4秋上・5秋下・6冬・7離別・8羇旅・9神祇・10釈教・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15恋五・16雑上・17雑中・18雑下・19哀傷・20賀)

【特徴】(一)構成 四季部と恋部の間に離別・羇旅・神祇・釈教を挟み、哀傷・賀で締めくくるのは、新千載集とほぼ同じ構成である。
(二)取材 序文に「上、元弘のはじめより、下、弘和の今に至るまで」とあるように、南北朝分立以後、約五十年間の歌を集める。主な撰歌資料は、建武二年(1335)・正平八年(1353)・天授二年(1376)の各内裏千首、天授元年(1375)の南朝五百番歌合、正平二十年の内裏三百六十首和歌、天授元年の住吉社三百六十番歌合、関白教頼家三百番歌合など。
(三)歌人 南朝(吉野朝)の君臣の歌を集める。最多入集歌人は後村上天皇(百首)。撰者の宗良親王は九十九首と、先帝を越えぬよう配慮したことが明らかである。尤も、同親王の詠は読人不知として他にも多数撰入している。作品の質から言っても、宗良親王が本集を代表する歌人である。
(四)歌風 大覚寺統を継承する南朝の天皇は二条家の歌学を信奉し続け、南朝歌壇は保守的な二条派風に染まっていた。本集も基本的には二条派の平淡な歌風を墨守しているが、南北朝の動乱を背景に、運命に対する感慨を切々と歌い上げた佳詠が少なくない。ことに宗良親王の作に代表される悲劇的な抒情精神の奔出は、二十一代の勅撰集には見出せない本集の特質をなしている。

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新葉和歌集 訳注 新葉和歌集


     離別 羇旅 神祇 釈教   哀傷 


 上

立春の心をよませ給ひける           後村上院御製

いづる日に春のひかりはあらはれて年たちかへるあまのかぐ山(1)


百首歌よませ給うけるに、春雪を        後村上院御製

かつきえて庭には跡もなかりけり空にみだるる春のあは雪(9)


帰雁を                   中務卿宗良親王

かへる雁なにいそぐらん思ひ出もなき古郷の山としらずや(59)


 下

だいしらず                 後醍醐天皇御製

今はよも枝にこもれる花もあらじ木のめ春雨時をしる(ころ)(82)


芳野の行宮におましましける時、雲井の桜とて世尊寺のほとりに有りける花の咲きたるを御覧じてよませ給うける

ここにても雲井の桜さきにけりただかりそめの宿と思ふに(83)


よし野の行宮にて人々に千首歌めされし次に、山花といふことをよませ給うける
                           御製

わが宿とたのまずながら芳野山花になれぬる春もいくとせ(109)


おなじ行宮にてよませ給うける御歌の中に    後村上院御製

おのづからふる郷人のことづても有りけるものを花のさかりは(110)


花山院の八本かかりの花をおもひやりてよみ侍りける
                       右近大将長親

ふるさとの八本(やもと)の桜おもひ出でよ我がみし春は昔なりとも(112)


延元四年春あづまよりのぼり侍りて思ひの外に芳野の行宮に日数をへ侍りし時、前大納言為定の許より「帰るさをはやいそがなん名にしおふ山の桜は心とむとも」と申し送りて侍りし返事に
                      中務卿宗良親王

ふる郷は恋しくとてもみよしのの花のさかりをいかがみすてん(113)


花の歌の中に                   嘉喜門院

あらしふく花ちるころは世のうきめみえぬ山ぢもかひなかりけり(141)




芳野の行宮にてうへのをのこども題をさぐりて歌よみ侍りけるついでに、五月雨といふことをよませ給うける
                      後醍醐天皇御製

都だにさびしかりしを雲はれぬ芳野のおくの五月雨の比(217)


信濃国に侍りし比、都なる人のもとに申しつかはし侍りし
                      中務卿宗良親王

おもひやれ木曾の御坂も雲とづる山のこなたの五月雨の比(218)


五百番歌合に                 右近大将長親

茂りあふ桜がしたのゆふすずみ春はうかりし風ぞまたるる(239)



 上

題不知                    前中納言為忠

夏と秋とゆきあひのわせのほのぼのとあくる門田の風ぞ身にしむ(248)


賀名生の行宮にて人々歌よみ侍りける中に
                     冷泉入道前右大臣

わすれめやみかきにちかき丹生(にふ)川のながれにうきてくだる秋霧(303)


中務卿宗良親王あづまに侍りし比、住吉の行宮より給はせ侍りし
                       後村上院御製

年をふるひなのすまひの秋はあれど月は都を思ひやらなん(321)


御返し                   中務卿宗良親王

いかにせん月もみやことひかりそふ君すみのえの秋のゆかしさ(322)


 下

とほき国に侍りける比、聞擣衣といふ心をよめる
                      中務卿尊良親王

ききなるる契りもつらし衣うつ民のふせやに軒をならべて(370)


元弘三年九月十三夜三首歌講ぜられし時、月前菊花といへることをよませ給うける
                      後醍醐天皇御製

うつろはぬ色こそみゆれ白菊の花と月とのおなじまがきに(386)




こしの国に侍りし比、羈中百首歌よみて都なる人の許へつかはし侍りし中に、初冬を
                      中務卿宗良親王

都にも時雨やすらん越路には雪こそ冬のはじめなりけれ(410)


芳野の行宮にてよませ給うける御歌中に    後醍醐天皇御製

ふしわびぬ霜さむき夜の床はあれて袖にはげしき山おろしの風(461)


初雪見参のこころを              後村上院御製

名をとへばつかさづかさも心して雲井にしるきけさの初雪(468)


嶺雪をよませ給うける                 御製

み吉野は風さえくれて雲まよりみゆる高嶺に雪はふりつつ(472)


天授二年内裏百番歌合に           中務卿宗良親王

山たかみわれのみふりてさびしきは人もすさめぬ雪の朝あけ(479)


離別

元弘二年三月とほきかたにおもむかん事もただけふあすばかりになり侍りしに、雨さへふりくらしていとど心ぼそさもたぐひなく覚え侍りしかば
                      中務卿宗良親王

うきほどはさのみ涙のあらばこそ我が袖ぬらせよその村雨(513)


尾張国をすぐるとて都なる人のもとへ申しつかはしける
                          文貞公

海山をみる空もなしわが心さながら君にそへてこしかば(519)


羇旅

題不知                      読人不知

旅の空うきたつ雲やわれならん道もやどりも嵐ふく比(533)


おなじ比あづまにおもむき侍りけるに、逢坂の関をこゆとて思ひつづけ侍りける
                       権中納言具行

かへるべき道しなければこれやこのゆくをかぎりの逢坂の関(538)


するがの国より信濃へこえける時、浮島原をすぎてくるまがへしといふ所より甲斐国にいりてしなのぢへかかり侍るが、さながら富士のふもとをゆきめぐりけるに、山のすがたいづかたよりもたぐひなくみえければ
                         読人不知

北になし南になしてけふいくか富士の麓をめぐりきぬらん(540)


題しらず                   中院入道一品

いく里の月に心をつくすらん都の秋を見ずなりしより(553)


題しらず                  後醍醐天皇御製

忘れめやよるべも波のあら磯を御舟のうへにとめし心を(572)

此御歌は、元弘三年隠岐国よりしのびていでさせ給うける時、源長年御むかへにまゐりて、舟上山といふ所へなしたてまつりけるほどの忠ためしなかりし事など、しるしおかせましましけるもののおくに、かきそへさせ給うけるとぞ


神祇

河月をよませ給うける            後醍醐天皇御製

てらしみよみもすそ川にすむ月もにごらぬ波の底の心を(579)


野宮に久しく侍りける比、夢のつげありて大神宮へ百首歌よみて奉りける中に
                        祥子内親王

いすず川たのむ心はにごらぬをなどわたるせの猶よどむらん(580)


千首歌よみ侍りしに、伊勢を         中務卿宗良親王

いすず川その人なみにかけずともただよふ水の哀とはみよ(582)


百首歌よませたまひける中に、寄社祝を     後村上院御製

行すゑを思ふもひさし天つ(やしろ)くにつ(やしろ)のあらんかぎりは(612)


釈教

三光国師入滅の時、よみ侍りける        妙光寺内大臣

あまをぶねのりしる人はさきだちつくるしき海を誰かわたさん(626)




 一

関白家三百番歌合に、寄鳥恋といふことをよみてつかはしける
                       右近大将長親

なげきつつひとりやさねん葦辺ゆく鴨のはがひも霜さゆる夜に(662)


 四

逢不遇恋を                   祥子内親王

ほのかにも見しは夢かとたどられてさめぬ思ひやうつつなるらん(905)


おもふ事侍りける神無月の比、木の葉の散るを見てよみ侍りける
                      中務卿宗良親王

このくれもとはれむ事はよもぎふの末葉の風の秋のはげしさ(921)


 五

五百番歌合に                 右近大将長親

うかりける身のならはしの夕べかな入相の鐘に物忘れせで(957)


天授二年内裏百番歌合に、恨恋の心を     中務卿宗良親王

ありそ海のうら吹く風もよわれかしいひしままなる波のおとかは(964)


                       右近大将長親

忘れめやかりほの笹のふしどころさてだにありし夜半の契を(996)




 上

年中行事を題にて人々百首歌つかうまつりける次に、朝拝の心を
                       後村上院御製

高御座(たかみくら)とばりかかげてかし原の宮の昔もしるき春かな(1006)


こしの国にすみ侍りける比、帰雁のなくをききてよめる
                       よみ人しらず

おなじくはちるまでをみて帰るかり花の都のことかたらなん(1025)


千首歌めされし次に、花挿頭といふことをよませ給うける 御製

をさまらぬ世の人ごとのしげければ桜かざしてくらす日もなし(1032)


建武の比、花山院を内裏になされて侍りける時、御元服有りしことなどおぼしめし出でてよませ給うける
                       後村上院御製

花山のはつもとゆひの春の庭わがたちまひし昔恋ひつつ(1033)


元弘元年八月、俄に比叡山に行幸成りぬとて彼山にのぼりたりけるに、湖上の有明ことにおもしろく侍りければ
                          文貞公

思ふことなくてぞみましほのぼのと有明の月の志賀のうら波(1107)


元弘元年百首歌よみ侍りける中に       中務卿尊良親王

世のうさを空にもしるや神無月ことわりすぎてふる時雨かな(1118)


題しらず                  後醍醐天皇御製

まだなれぬ板屋の軒のむら時雨おとを聞くにもぬるる袖かな(1119)

夜な夜なのなぐさめなりし月だにも待どほになる夕ぐれの空(1120)


土佐国にて百首歌よみ侍りける中に、冬月   中務卿尊良親王

我が庵はとさの山風さゆる夜に軒もる月もかげこほるなり(1124)


題しらず                  後醍醐天皇御製

うづもるる身をば歎かずなべて世のくもるぞつらきけさのはつ雪(1130)


                          文貞公

むべしこそ雪も深けれなべて世のうれへの雲の空にみちつつ(1132)


 中

題しらず                   後村上院御製

鳥の音におどろかされて暁の寝覚しづかに世を思ふかな(1141)


名所山といふことをよませ給うける       後村上院御製

年ふれば思ひぞ出づる芳野山またふる郷の名や残るらん(1167)


天野行宮にてよみ侍りける歌中に        前中納言為忠

君すめば峰にも尾にも家居してみ山ながらの都なりけり(1205)


 下

あづまのかたに久しく侍りて、ひたすらもののふの道にのみたづさはりつつ、征夷将軍の宣旨など下されしも思ひの外なるやうに覚えてよみ侍りし
                      中務卿宗良親王

思ひきや手もふれざりし梓弓おきふし我が身なれんものとは(1234)


おなじ比、武蔵国へ打ちこえて、小手指原(こてさしがはら)といふ所におりゐて、手分(てわけ)などし侍りしに、いさみあるべきよし、つはものどもめし仰せ侍りし(ついで)に思ひつづけ侍りし

君がため世のため何かをしからんすててかひある命なりせば(1235)


下総国におもむき侍りける時、あはたぐちの山庄をすぐとて思ひつづけ侍りける
                           文貞公

この里にみゆきせしよのおも影ぞけふは涙とともにさきだつ(1308)


題しらず

よしやそのをりをりごとの思ひ出でも忘れね今はかかるうき身に(1309)


                       中院入道一品

いかにせん春のみやまのむかしより雲井までみし世の恋しさを(1310)


千首歌めされし時、夢中懐旧              御製

おもひつつぬれば見し世にかへるなり夢ぢやいつも昔なるらん(1319)


哀傷

後醍醐天皇かくれさせ給ひし比、よみ侍りし
                      中務卿宗良親王

おくれじと思ひし道もかひなきはこの世のほかのみ吉野の山(1324)


つは物のみだれによりて芳野の行宮をもあらためられて、次の年の春、塔尾の御陵にまうで給はんとてかの山にのぼらせ給うけるに、蔵王堂をはじめてさならぬ坊舎どもみな煙と成りにけれど、御陵の花ばかりは昔にかはらずさきてよろづ哀におぼえ給ければ、一ふさ御ふみの中に入れて給はせ侍るとて
                        新待賢門院

み吉野は見し世にもあらず荒れにけりあだなる花は猶のこれども(1333)


つぎの年の夏よませ給うける御歌の中に      新待賢門院

今年こそいとどまたるれ時鳥しでの山路の事やかたると(1343)


後醍醐天皇かくれさせ給ひし比、遠江国井伊城にこもりてひまなく侍りしかば、まゐる事もかなはぬよしなど四条贈左大臣もとに申しつかはすとて、彼城の紅葉にそへてつかはしける
                      中務卿宗良親王

思ふには猶色あさきもみぢかなそなたの山はいかがしぐるる(1357)


返し                     四条贈左大臣

この秋の涙をそへてしぐれにし山はいかなる紅葉とかしる(1358)


下総国に侍りける比、神無月の末つかた病おもく成りて今はかぎりとおぼえけるに思ひつづけ侍りける
                          文貞公

雲の色にしぐれ雪げはみえわかでただかきくらすけふの空かな(1361)

しでの山こえんもしらで都人なほさりともと我やまつらん(1362)

かくてつぎの日身まかりにけるとなん


題しらず                   中院入道一品

歎けとて老の身をこそ残しけめ有るはかずかずあらずなる世に(1366)


おなじ天皇の御陵にまうで給うてよませ給うける  新待賢門院

九重の玉のうてなも夢なれや苔の下にし君を思へば(1373)

ひきつれし(もも)のつかさの独りだに今はつかへぬ道ぞ悲しき(1374)

さびしさもつひのすみかと思ふには心ぞとまる峰の松風(1375)




題しらず                   後村上院御製

(よつ)の海波もをさまるしるしとて(みつ)のたからを身にぞつたふる(1425)


九重にいまもますみのかがみこそ猶世をてらす光なりけれ(1426)


正平十一年正月内裏にて、梅花久薫といふことを講ぜられける時、序たてまつりて
                     冷泉入道前右大臣

色も香も千代までにほへ百敷やこりさく梅は今さかりなり(1413)





最終更新日:平成15年8月9日

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