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かるた・カルタ・歌留多・加留多

 「かるた」はカードゲーム、あるいはゲーム用カードを指す言葉として使われています。元はポルトガル語で札を意味します。英語のカード、ドイツ語のカルテと同じです。室町時代末期の1543年、ポルトガルの船が種子島に漂着し、鉄砲を始め様々な西洋の物品が伝来し、当時のポルトガルの言葉で呼ばれ現在も使われています。パン、カステラ、コップ、メリヤス、シャボン等々です。かるたもその時一緒に持ち込まれました。それまで日本には厚紙の札はありませんでした。しかし、札状のものを使うゲームは存在していました。

いろいろな日本のかるた

日本のかるたの種類図

かるた伝来までのカード様ゲーム

貝覆い
 平安朝の遊び。まず蛤の片身を床に広げ、別の片身を出してどれと合うかを見つける遊び。 二枚貝は合うものが一つしかないため、ゲームとして成立する。
 このゲームを「貝合わせ」と説明している文献もあるが、正しくは「貝覆い」と言い、「貝合わせ」は「合わせもの」の一種である。 「合わせもの」は同じ種類のものを持ち寄り、美しさなどの優劣を競うものである。 例えば、犬合わせは犬を持ち寄り、根合わせは植物の根を持ち寄り、歌合せは歌を詠んでその優劣を競ったわけである。貝合わせは貝を持ち寄り優劣を競うものであった。
 貴族の時代が終わり、武士の時代になった後、「貝合わせ」は消えてしまったが「貝覆い」は残った。 江戸時代になると、「貝覆い」を「貝合わせ」と呼ぶことも多くなり、次第に「貝合わせ」が一般的な言葉となってしまった。→貝覆い

歌貝

 「貝覆い」は当初貝の形(蝶番の形)で合わせていたと思われる。 その後貝の裏に絵を描きその絵で合わせるようになっていった。 その中で歌を書いたものが歌貝である。 さらに一つの歌の上の句と下の句を分けて描くようになっていき、 貝の形よりも歌の上下で確認するようになっていったのではないだろうか。 これが歌かるたの元と考えられる。

かるたの伝来

南蛮かるた
 安土桃山時代に渡来したポルトガル等のかるた。船員たちが船内で遊んでいたものであろう。このときにポルトガル語の「かるた」という言葉が日本に持ち込まれた。現在のトランプに近い、マークと数字のカードである。これまでにあった2つを合わせる遊戯具は、これ以降かるたと呼ばれることになった訳である。歌留多、加留多、骨牌と書かれるようになったので、日本語だと思っている人も多いのではないだろうか。残念ながら現存していない。

天正かるた

 南蛮かるたを元に日本で作られたかるた。48枚一組。多分、南蛮かるたと同じ構成だったのだろう。今のトランプが4つのマーク13枚ずつで計52枚ずつであるから、南蛮かるたが今のトランプと違っていたことがわかるだろう。残念ながら、現在では兵庫県芦屋市の滴翠美術館に1枚残っているだけである。その名前から、天正年間(1573〜1593)に作られたと思いそうだが、後の時期に作られたものも「天正かるた」と言う名称を付けられた。
 遊び方には読(よみ)めくり、かぶ、ひきかぶ、ウンスンというものがあり、それらは専用の札へと変わっていった。

2枚一組のかるた

 厚紙の札を作る技術が伝わった日本では様々なものが作られた。これをかるたと総称する。 大きな括りで言うと、天正かるたのように、西洋のプレイングカードと同じようなデザインの遊戯札の他、 2枚一組の札が作られた。デザインは様々で、動物、植物、歴史、地理、職業などがある。 これらには同じ絵が2枚で一組になっているものや、絵と字に分けてあるものがある。 いずれも今の単語カードのように、ものを覚える道具として使われたと考えられる。

歌かるた

 歌貝を貝でなく紙札にしたもの。長方形のものばかりでなく、 櫛形のものや、将棋の駒のように五角形のものも残っている。 これは貝の形を意識して作られたものだろうか。

百人一首かるた

 歌かるたの中で、藤原定家が選んだ(と考えられている)小倉百人一首をかるたにしたもの。 かるたといえばこの札を指すくらい一般的だが、決して百人一首かるただけがかるたではない。 また定家の百人一首はあくまで歌、あるいは歌集であって、定家がかるたを作ったわけでもない。 かるた=小倉百人一首かるた、のように誤解している人も少なくないようであるが、かるたの一種類が2枚一組のかるたであり、その一つが和歌を題材にした歌かるたで、そのうち百人の人間の歌を一首ずつ百枚のかるたにしたのが百人一首かるたで、その一つが藤原定家が編纂した小倉百人一首なのである。
 藤原定家がこれを編んだのは鎌倉時代であり、また、百人一首がかるたとして成立したのは江戸時代初期と考えられ、それは歌を知り覚えるためのものであった。取り合って遊ぶようになったの江戸末期と思われる。小倉百人一首の遊び方も何種類もある。競技かるたの誕生は明治末期で比較的新しい。従って「かるた始め」など、かるたのイベントで十二単衣を着て行なうのは平安朝の貴族がそのようにして遊んだという誤解を生むこととなる。改めてもらいたいものである。 →小倉百人一首

専用遊戯かるたの登場

天正かるた以後、同様の遊戯札が作られた。主な遊び方としては、「かう(かぶ)」「よみ」「めくり」「きんご」「うんすん」が史料として残っている。これらのため、専用の札が作られていった。

株札

 「かぶ」という遊び用に作られた遊戯札。通常の遊戯札には4つのマークがある訳だが、そのうちのこん棒のみで、同じ札が4枚ずつある。つまり枚数は4つのマークがある遊戯札と同じだが、マークは一種類しかない。マークの意味が無い遊びに使うために、一つだけにしてしまったのだろう。場に出した数枚の札に賭け、親がめくった札より大きいと勝ち、という遊び方で使われたようである。現在でも入手可能である。 →株札

めくり札

 「めくり」という遊びに使うために作られた遊戯札。4種12枚。

きんご札

 「きんご」は数を加えていく遊び。15が最高となる。きんご札はそれ専用の札である。

ウンスンかるた

天正かるたから作られたと思われる日本独自のかるた。 元禄年間(1688〜1703)の成立と思われる。75枚一組。 滅亡したと思われていたが熊本県人吉市で遊び継がれていたことが発見された。 しかしそこでも遊べる人間は数えるほどしかいない。
ヨーロッパのプレイングカードの影響を大きく受けており歴史的にも貴重な資料である。現在もわずかだが製造・販売されている。
 スーツはいす(棒),ぱお(剣),こつ(聖盃),おうる(貨幣),ぐる(巴)の5種類。 数札は1から9まで、絵札はスン、ウン、レイ、カバ、ソウタ、ロバイの6種類である。 代表的な遊び方に8人メリ(はちにんめり)がある。 これは8人が4人ずつ2組に分かれて行うゲームで、 敵味方が交互に座ってトリックテイキングゲームを行うという遊び方をする。
 『うんともすんとも言わない』、の語源と言う説があるが、 かるたの知名度があまり高くないことを考えると一概に信用しにくい。 →うんすんかるた

かるたの禁令

かるた遊戯は大変面白く、刺激的な賭博遊戯だったのだろう。かるたが伝来してほどなくして禁令が出されている。江戸時代になっても幾度となく禁令は出され続けた。遂にはかるたの製造自体が禁止された。民衆はそのため、禁止されなかった2枚(あるいはそれ以上)一組のかるたを用いて賭博遊戯をするようになった。

花札(花かるた)

 花を描いた遊戯札で、一つの花が4枚ずつ、12種類で計48枚。江戸後期、賭博に使われた天正かるた、ウンスンかるたが禁止されたために作り出されたと考えられている。が、それ以前からあったという説もあり発祥は不明である。 絵合わせかるたの「花鳥合わせかるた」が原形とも考えられている。
 現在でも広く販売されている。が、その一つの「八八花」のみであって、実際は様々な種類がある。遊び方は数多いが「こいこい」「花合わせ」等一部の遊び方しか知られていないのは残念な限りである。

むべ山かるた

 賭博かるたの代用として百人一首を模して作られた札。 ビンゴのような遊び方をする。 「むべ山風をあらしといふらむ」の札が役札で赤く塗られている。 18世紀後半にできたと思われる。 →むべ山かるた

いろはかるた

 いろは48文字の各文字ではじまる言葉が札になっているかるた。 ことわざを使ったものが有名で、一般にいろはかるたというとそれを指すことが多い。 特に「犬も歩けば棒に当たる」で始まる犬棒カルタが有名であるが、地方や時代によって用いられることわざは様々であり、犬棒がすべてではない。
いろはかるた

道才かるた(どうさいかるた)

 ことわざが描かれたかるた。初め子供用だったが賭博として使われた。
道才かるた

がら札

 江戸時代にできたと思われる遊戯札。賭博として使われた。
がら札

手本引き(てほんびき)

 1から6の引き札と張り札を使用する遊び。 一人の親が一枚を選び、子供はそれを推理して賭けるが賭け方と倍率が複雑である。 ほとんど賭博で行われており、任侠映画に登場することも多い。さいころで行うものは「サイ本引き」と呼ばれる。 →手本引き

地方札

 限られた地方だけで使われる札。元々遊戯札を製造するところは各地にあったので、すべてが地方札であった。骨牌税導入や時代の流れで多くの製造業者が廃業し、任天堂など一部の業者のものが全国的になってしまったため、これらに対し、呼ばれている。 花札系では「八八花」の他、「越後花」「山形花」「南部花」「備前花」などがあるが、現在の販売者・研究者・コレクターによる呼称であって、販売時の名称ではない。多くの種類があったはずだが、ほとんど絶滅状態にある。 →地方札

現代のかるた

郷土かるた・地方かるた
 その地方独自の産物や名所・有名人などを読札に折り込んで作成されたかるた。いろはかるたの形式を採ることが多い。教育委員会や商工会などが音頭を取って作成することもある。地元を知ってもらったり、地域に親しんでもらうのが狙いで、多くの自治体で作成されている。

キャラクターかるた

 キャラクター商品では定番で、正月近くなるとその年の人気キャラクターのものが販売される。 絶版になりやすく、古いものは骨董店で高値をつけることもある。

かるたを作るには

 上記のかるたを初め、企業や一般人でもオリジナルのかるたを作るところが現在でも多くみられる。 製造は印刷会社や製本会社で行っているが、箱や包装まで含めるとノウハウが必要であり、 価格には大きな開きがある。かるたを作ろうと思っている方は是非ご連絡いただきたい。
 ・昇文堂のサイト

かるたを買うには

 百人一首や花札、犬棒かるたなど、本格的なかるたを作っているのは、現在では数えるほどの会社しかない。 惜しいことに日本で唯一、全工程を手作りしていた松井天狗堂は製造を止めてしまった。主な製造会社は下記の通りだが、楽天やアマゾンなどのネット通販だと割引販売の上に一定額以上送料無料のサービスもある。
 ・大石天狗堂のサイト
 ・田村将軍堂のサイト
 ・任天堂の百人一首のページ

かるたニュース

日本の伝統ゲーム紹介 のコーナーも合わせてご覧ください。

当会の例会、特別例会に参加するとこれらを遊ぶことができます。興味のある方はご参加ください。


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