M56.境界層の風(安定度、粗度、温度風)

著者:近藤純正
地表面に近い大気層「大気境界層」の風は様々な影響を受ける。境界層の研究小史と、 地上風を決めるパラメータについて説明する。特に大気の安定度および地表面の粗度との関係、 気温の水平方向の勾配によって生じる温度風の影響について実例によって説明する。 (完成:2011年1月20日予定)

●本章は、2011年1月8日に行った講義内容に、研究の背景などを加筆した要約で ある。また、日本気象学会誌「天気」、第59巻(2011年)、p.795-798の内容である (印刷仕上げで2段組4ページ)。

本ホームページに掲載の内容は著作物であるので、 引用・利用に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを 明記のこと。


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更新記録
2010年1月4日:目次の作成
2011年1月15日:ほぼ完成



     目次
            56.1 典型的な例:多地点一斉発生の山火事
            56.2 大気境界層の研究小史
                カルマン定数にまつわるエピソード
            56.3 地上風速を決めるパラメータ
            56.4 大気安定度との関係
            56.5 風の鉛直分布と粗度
            56.6 温度風の影響
            参考文献


56.1 典型的な例:多地点一斉発生の山火事

1983年4月27日の正午過ぎ,7階の研究室から数百m先のグラウンドを見ると,強風により土煙が舞い 上がった.北側の研究室からは,はるか丘陵地にも土煙らしいものが見え,だれかが山火事だという. その当時まで研究してきた風の典型的な特徴が眼前に現れ,「この風を調べよ!」と天の声を 感じた.

4月27日は数日前から晴天で,夜間は放射冷却で下層大気は安定層となり,それに東寄りの風「やませ」 によって海上から侵入した低温層が加わり高度500mに温度差6℃の典型的な逆転層ができていた. 高度500m以上の層で吹いていた強風は,この逆転層に阻まれ,地面付近は朝から正午頃まで微風で あった.

日の出後の日射で地面が加熱され500m以下の低温層が解消するまでには時間を要した.山で作業する 人たちは昼休に焚き火やタバコで一服していた.正午頃,500m以下の低温層が解消されると同時に, 大気は不安定層に急変し,上空の強風が一気に地面付近まで降りてきて地上では突風状強風となり, 焚き火は消火する余裕もなく火事となった.風向風速変動も大きく,飛び火を起し,山火事は拡大 していった.東北地方の約30ヵ所で,ほぼ一斉に発生した山火事の焼失面積は, 1年間の全国山林火災の総面積にほぼ匹敵した.

56.2 大気境界層の研究小史

  大気中における熱や水蒸気などの鉛直輸送は時間的に変化する風の乱れによって行われる. この乱流輸送のモデルは20世紀初頭,テイラーやブラントやプラントルらによって確立された. テイラー(G.I.Taylor, 1915)が著わした「大気中の乱渦運動」では,北大西洋上で凧を用いて 観測した高度1000mまでの気温鉛直分布から大気中の温度拡散係数を求め,気団変質の過程を解析 している.さらにテイラーはパリのエッフェル塔で観測した気温の日変化から,陸上大気の温度拡散係数を 季節ごとに求めている.

第一次世界大戦(1914~18年)のときドイツ軍は敵軍の侵攻を防ぐために毒ガスを用いたという. 毒ガスの効果的使用のために下層大気の微気象の研究が盛んになったと聞く.

境界層について,1950年頃までの研究成果をまとめた代表的教科書としてサットン著「微気象学」 (O.G.Sutton, 1953)がある.私は学生のころ,この教科書から層流,乱流,風のエクマン螺旋, 熱伝達,拡散,風速の鉛直分布に及ぼす大気安定度との関係などを学んだ.

1950年代になって数値天気予報の実用化を目ざして,高速計算機による研究が世界中で始まる. ちなみに気象庁がIBMの計算機を導入したのが1959年である.大気下層と地表面間の運動量や熱の 交換量を正しく取り入れる必要があった.同じ時代に、農業生産と関係して水理科学の定量化の ために大気境界層の研究が盛んになった.ロシアではモニン,オブコフ,ブディコなど著名な学者 を輩出した.

運動量や熱の交換には大気の安定度が大きく影響することから,風速・気温の鉛直分布と 運動量・熱の輸送量(フラックス)との関係や,乱流の大気安定度依存性の研究が1950年代後半 から1980年頃まで盛んに行われた.

モニンとオブコフは,1954年頃,理想化された境界層の最下部として定常で水平方向に一様な 大気層を考えて,相似則を提案した.相似則によれば,風速の鉛直勾配は長さのスケールの関数 で表される.この関数の内挿式をきめるキープス(KEYPS)式が5名の研究者によってほぼ同じ時代 (1956~1962年)に独立して導出された.Yは大気放射学の第一人者であった山本義一のイニシャル を表している.

山本義一がキープス式を導出するに至ったのは,私が十和田湖で湖面蒸発の研究を始めた1958年頃, 当時は蒸発量を評価するのにソーンスウエイト・ホルツマンの式があった.これは,風速や水蒸気量 の「対数則」を仮定したものである.

湖面蒸発の研究の途中で寒波がきて湖面上の大気が不安定状態になったときに,ソーンスウエイト・ ホルツマンの式を適用すると湖面蒸発は非常に小さくなり,直感的におかしいと思った. なぜなら,湖水温度は気温より高く,湖面から湯気が立ち上るかのような状態だのに蒸発が小さ 過ぎると思ったからである.大気の安定度を考慮しなければならなくなった.

山本義一は1959年にキープス式を導出した.私は,キープス式が正しいかどうか,またその式に 含まれる係数を決める必要から,自衛隊の飛行場で境界層の観測を行うことになる.気温・湿度・ 風速の鉛直分布を微風時から強風時まで正確に測らねばならぬ.温度計に及ぼす放射の影響,細い 乾湿計センサーについて乾湿計定数の風速とセンサー寸法との関係について理論的および実験的な 研究を行った.また微風でも動く風速計も作った.当時は精密加工する町工場があった. ホト・トランジスターが出始めた時代であり,光のオン・オフで回転数を測る回路を手製した.

温度計に及ぼす放射の影響を小さくするためにセンサーは可能な限り細くしたい.東北大学の 金属材料研究所で,熱電対用のコンスタンタン線を伸ばしてもらう.放射の影響は理論的に求めた. 院生時代に検討したこれらの結果は,後年「大気境界層の科学」(1982)に掲載することになる.

観測の結果,キープス式は安定度が強いときには適用できないことがわかった.乱流が途絶える 間欠乱流の状態となり,定常で乱流状態を想定した相似則は適用できない.間欠乱流は,放射冷却が 強い夜間に現れやすく,大気放射による熱伝達の効果が大きくなる.これを「層流」「乱流」と 区別して,間欠乱流を含む「静流」状態と名付けた.乱流フラックスは,高度により変化し, 近似的に一定と見なされる「接地層」(通常は0~30m高度)は高度数m以下の範囲となる.

話を戻して,キープス式から得られる分布関数を修正して湖面蒸発を求めればよいのだが, 現実問題として4高度で風速,気温,湿度を長期間にわたり正確に観測することは難しい. そこで開発したのがバルク式である.安定度を考慮したバルク式では,水面上の1高度における 風速・気温・湿度,及び水温を測れば各種フラックスが得られる.

この時代,世界中で大規模な野外観測が盛んに行われ,1968年のアメリカ・カンザス実験, 1973年のミネソタ実験,1974~75年の南西諸島を中心としたAMTEX(気団変質実験)があった. 一方,本格的な境界層の数値シミュレーションとしてクロージャーモデル (Mellor & Yamada, 1974, JAS) が開発され,今日の数値シミュレーションの実用化へとつながる.

カルマン定数にまつわるエピソード
地表面と大気間の運動量,顕熱・潜熱の交換量を求める方法として,空気力学的方法(傾度法, バルク法)がある.この方法で必要なカルマン定数として0.4が用いられてきた.

カルマン定数
図56.1 カルマン定数 k の変遷(Garrat et al., 1996: BLM に加筆)。 (「M16.海面バルク法物語」の図16.13に同じ)。

1968年のカンザス観測において,ブシンガーら(Businger et al. 1971:JAS)がカルマン定数 0.35を出し,これが世界標準だという雰囲気の時代があった.私が従来の0.4を使った論文を投稿 すると,書き直しをすべきと指摘するレフリーがいたほどである.ブシンガーらの観測塔の写真を 見ると,超音波風速計の近くに大きな障害物があり,彼らの0.35は信用できないとして,私は論文 の書き直しを拒否した(数年後にブシンガーらの0.35は0.41に修正される).

こうした世界の雰囲気を打ち払うべく,正確なカルマン定数を求める野外観測を延べ4年間行い, カルマン定数=0.39,乱流自体の特性からその幅は±0.02であることを発表した (Kondo & Sato, 1982:JMSJ).超音波風速計ごとに違う方向特性や,微風速計の時定数などから 生じる誤差も補正した精密観測であった.それ以後,0.35の主張は消え去ってしまった.


:1960~1980年は世界中で大気境界層の研究が盛んに行われた時代である。大規模実験 なども世界中で行われた。前述したように、数値天気予報の実用化が開始・発展した時代である。


56.3 地上風を決めるパラメータ

  定常状態の北半球を想定すると,地上風速は気圧の傾きの大きさ(気圧傾度)で決まり,等圧線が 平行なとき地衡風,曲率を持てば傾度風となる.傾度風は曲率が高気圧性のとき地衡風より強く, 低気圧性のときは弱くなる.また地形によって大きな影響を受ける.

地上付近では,地表面の細かな起伏「空気力学的粗度(略して粗度)」に依存する. 粗度は目で見た幾何学的な粗度の1/10~1/100が目安であり, 粗度物体の間隔が非常に粗な時(田んぼに電柱1本) の影響はほとんどなく,逆に,同じ高さの粗度物体が極端に密な分布でも,風はその上端面が地表面 であるかのように吹き,見掛けの地表面が粗度物体の上端付近にずれることになる.粗度の影響が もっとも効果的なのは,粗度物体の間隔がそれら中間の適当なときである.

大気の安定度も重要なパラメータである.晴天の陸面上では気温の鉛直分布が日変化し, 夜間は安定,日中は不安定になる.地上の風速と変動成分(乱流)は夜間に弱く,日中に強くなる. 一般風(気圧の傾き)が弱い晴天日の安定度は強安定から強不安定まで日変化する.一般風が強く 曇天日(日射・大気放射の日変化が小さい日)には,下層大気の安定度は中立に近く,弱安定から 弱不安定の範囲で日変化する.

海上では,海面水温の日変化が概略1℃以下なので,安定度の日変化は小さい.海上の安定度は, 大気が寒気か暖気か,水温気温差によって決まる.

水平方向の気温勾配がある場合,気圧の傾きは高度とともに変化し,地衡風(または傾度風) の風向・風速は高度とともに変化する.これを温度風という.例えば水平方向にみたとき北が低温, 南が高温の場合,地衡風は高度とともに西風成分が増加する.

非定常な条件,つまり時間的な変化については,観測による研究とともに,数値シミュレーション による研究も行われた.特殊な例として,慣性振動は中緯度の緯度30°付近でほぼ24時間の周期を もつために,安定・不安定の日変化と重なって,十日間以上の統計を行えば観測から見つけられる 場合がある.

56.4 大気安定度との関係

  図56.2は安定時と不安定時の風速鉛直分布の模式図である.一般に大気境界層は安定時に薄く, 不安定時に厚くなる.不安定時に鉛直混合が盛んになったとき「混合層」と呼ぶ.混合層内では 風速・温位・比湿が鉛直方向に一様化される.

そのため地表面に近い接地層内では,陸面上を想定すれば,風速は日中強く,夜間は弱くなる. 逆に境界層の上部層内での風速は日中弱く,夜間は強くなる.この夜間に強くなる風を「夜間 ジェット」と呼ぶことがある.極端な場合,夜間ジェットが高度20m付近に現れることもある.

風速鉛直分布
図56.2 大気境界層内の風速鉛直分布の模式図。 (「M13. 境界層と風(Q&A)」の図13.4に同じ)。

接地層では,日中の不安定時は平均風速が強く,また風速変動(乱流の3方向成分)も激しくなる.

56.5 風速の鉛直分布と粗度

  接地層の風速,気温,湿度の鉛直分布と大気境界層上部での値とを結び付ける関係は 「表面ロスビー数相似則」と呼ばれる.その普遍関数を求める研究が1970年代に集中的に行われた. 普遍関数は境界層全層を表す安定度の関数となる.

各種粗度上の風速分布
図56.3 高さを対数目盛りで表した風速の鉛直分布。ただし、摩擦の作用のない上空の風速(地衡風速) が 20m/s のとき(近藤、2000、図3.7)。 (「基礎1:地表近くの風」 の図1.4に同じ)。

大気の安定度が中立のとき,接地層の風速は高さを対数目盛で表せば直線分布となる(対数則). 安定度が中立のときの表面ロスビー数相似則と対数則を結んだ風速鉛直分布の例を図56.3に示した. 各線に付けたパラメータの数値は地表面の粗度zを表す.

風速計の設置高度が20mとして,各種地表面上の風速を比較しよう.粗度z=1m (都市・森林)では7m/s に対し,z=0.0005m(海面・平らな積雪面)ではその2倍 の14m/s となる.乱流の強さは直線の縦軸に対する傾斜に比例する.前者は後者の約2倍の傾斜が あるので乱流の強さも約2倍となる.

56.6 温度風の影響

  地上風は高気圧側から低気圧側へ向かって,等圧線を横切るある角度で斜めに吹く.この横切る角度 は,大気安定度が中立のとき陸上で20~30°(粗度などの条件に依存),海上で10~15°である. また不安定のときは,それぞれ10~15°,5°程度である.これは普通に知られている ことである.

しかし,東シナ海に大陸から寒波が吹き出すとき,海上で30~40°の大きな角度をもち, しかも850hPa面(1500m高度)では横切る角度はマイナス,つまり低気圧側から高気圧側に向かって 風が吹く.その詳細が1974~75年のAMTEXのときに分かった.

等圧面上の風
図56.4 地衡風 G と実際の風 V の模式図。海面上と850hPa 面と700hPa 面での関係 (近藤、2000、図3.17)。 (「基礎1:地表近くの風」 の図1.16に同じ)。

冬の寒波が東シナ海に吹き出す時は,気温の水平勾配が大きく,つまり温度風の効果で西風成分が 高度とともに増加し,海上での北北東~北東の風は700hPa面(3km高度)では西風となる.黒潮の 影響で境界層は鉛直混合が盛んとなり,海面から高度約1.5kmの層では,風速も温位も高度方向に 一様化される.その状態の各高度における風速の模式を図56.4に示した.

これは「寒気移流」のときの例であり,逆の「暖気移流」のときは,海上風が等圧線を横切る角度は マイナスの傾向となる(現実には,暖気移流で混合層が形成されることはめったに起こらないが).

地上風と温度風の向きの関係として,いろいろな場合がある.たとえ地形の影響がなく,定常状態 で等圧線が平行の条件であっても,海上風が等圧線を横切る角度は一定ではなく,-20~+50°の 幅をもつことに注意しよう.要するに,混合層内では混合されて下層風は上層に,上層風は下層 に引きずられ,混合層平均値の方向に一様化されようとするわけである.

参考文献

大気境界層の風についての詳細は、以下に示す章と参考書から学ぶ ことができる。

参考となる本ホームページの他の章:
「M10. 入門1:境界層と風」:風の入門講座。海上と陸上の風の実例、 各地山頂の風速、対数則、風のスパイラル、最大瞬間風速の模式図、ジェット気流、慣性振動に ついての解説。

「M13. 境界層と風(Q&A):同上の内容についてQ&A、10問を掲載。

「M16.海面バルク法物語」:数値天気予報実用化1960年代の時代背景、 水面の抵抗係数の諸研究、平塚沖海洋観測塔における基礎研究、非常に安定なときの熱輸送、 非常に不安定なときの自由対流、などについての説明。

「研究の指針」の「K36. 海上大気の諸問題ー海上風、熱収支、 温暖化問題ー」:大気境界層、海洋気象学の研究集会における基調講演。 バルク法を用いるに至った経緯、気団変質実験で得た成果、温度風の及ぼす海上の風向・風速・摩擦 速度、表面ロスビー数相似則の普遍関数、熱収支の基本的性質についての解説。

「研究の指針」の「K37. 海上風の諸問題Q&A」:同上の研究 集会における30のQ&Aの内容。

参考書:
○近藤純正、1987:身近な気象の科学.東京大学出版会、pp. 198.
6章「大規模林野火災と異常強風」-1983年4月の山火事日の気象、上空風と地上風の関係
15章「山と風」-各地山頂の風速、地形と風、慣性振動

○近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学ー理解と応用ー.東京大学出版会、pp. 324.
3章「風」-粗度による風速鉛直分布、植生内の風速、突風率、温度風の影響

○近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学ー地表面の水収支・熱収支ー.朝倉書店、pp. 350.
5章「地表面付近の風と乱流」-境界層の風についての専門的な解説
11章「複雑地形と大気」-斜面風、海陸風と熱収支の関係



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