M16.海面バルク法物語
著者:近藤純正
	16.1 1960年代の社会的背景
	16.2 1960年代のバルク法
	16.3 平塚沖海洋観測塔
	16.4 基礎研究
	16.5 国際協力の気団変質実験

	16.6 再び東北大学へ帰ることに
	16.7 確認のための追加研究

	要約
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海面と大気の間で交換される熱と水蒸気量を算定する「バルク法」 の開発物語である。
大気安定度を考慮したバルク法は十和田湖の蒸発量を求める目的で開発した ものだが、1974・75年の国際協力研究 「気団変質の実験研究 AMTEX 」 では高精度のバルク法が必要となった。

冬期の大陸から吹き出してくる寒冷・乾燥気団は、温かい海面上にくると 熱と水蒸気の供給を受けて、温暖・湿潤な気団へと変質していく。この過程 における広域の顕熱・潜熱交換量は、特別の観測船がほとんど配置されて いない海洋上では、一般商船や漁船から通報されてくる海上気象データ を利用するバルク法によって評価せざるを得ない。
その目的のために数々の基礎研究を行い、バルク法が完成し、東シナ海の 日々の広域海面熱収支分布を知ることができた。さらに、AMTEX 研究 終了後も、多くの追加確認研究から、このバルク法は十分な精度をもち、 他の海域や湖面へ利用できることがわかった。 (完成:2006年2月20日;2月27日部分的な加筆)


16.1 1960年代の社会的背景

1960年代は現在のように、数値天気予報の精度は高くはなかった。
冬の東シナ海の台湾近くで発生した低気圧が本州南岸に沿って進むとき、 急速に発達し、首都圏に大雪を降らせ交通麻痺を起こした。さらに東方海上 では台風並に発達し、漁船の遭難や大型船の大破という事件もあった。

海洋から大気へ供給される熱と水蒸気量を考慮しなければ、低気圧が 発達するという数値予報もよくできないので、この方面の研究を推進すべき という機運が高まってきた。こうした状況は北米のメキシコ湾流域でも同じで あった。

1974年と1975年の2月に東シナ海において国際協力研究AMTEX「気団変質の 実験研究」が計画され、その準備研究もはじまった。私は十和田湖や野尻湖 で湖面蒸発の研究を行い、AMTEX研究への下地はできていた。 しかし十和田湖の研究で開発した「バルク法」の精度を上げる必要があった。

16.2 1960年代のバルク法

  海面についての研究は1940年代から盛んになっていた。しかし、1960年ころ までに知られていたバルク係数は、ごく大まかな値であり、研究者によって 数倍の開きがあった。当時は、海面近くの大気層の構造についての知識が 十分でなかったことによる。

おもに海面摩擦に関する粗度z0(運動量輸送に対するバルク係数 CM)が知られており、それと顕熱や潜熱輸送(蒸発量に相当) に対するバルク係数との区別は明確ではなく、多くの場合、同じバルク係数 を用いて運動量、顕熱・潜熱輸送量が計算されていた。

水面バルク係数1962
図16.1 広い水面のバルク係数CM と中立時の高度10mの風速の 関係。緑色の線はRossby and Montgomery(1936)による値(z0= 0.6cm)で、過大であるにもかかわらず、1980年代まで使用していた 研究者もいた。黒の破線と折れ線は全体の平均的な値。 (Kondo, 1962, Sci.Rep.Tohoku Univ., Ser.5, Geophys.より転載)

十和田湖の蒸発の研究に際し、筆者はそれまでのバルク係数に関する 世界の26論文を整理し、図16.1に示すように、高度10mの風速の 関数として表した。ばらつきが大きいので、それらの平均的な傾向を 黒線で、微風条件では水面は「滑らかな面」として破線で表した。

大気安定度が中立でない一般の場合について、当時、接地境界層の風速分布 を表現する KEYPS 式が発表されたので、バルク係数は 安定度(風速と、水温・気温差の関数)をパラメータとして表した。 ただし、KEYPS 式は安定度が夜間の「強い安定」のときに合わないので、筆者が野外 観測から求めた関係を考慮に入れた。

このへんの経緯については「身近な気象」の 「5.十和田湖物語」を参照のこと。

現実の湖面では、たとえバルク係数が正しくとも1地点で観測した風速は 湖面全体の平均風速を代表できず、全湖面の蒸発量評価は難しい問題で あった。そこで、野尻湖の蒸発観測では「熱収支法」による方法も用いた。 その後、日本各地の湖面蒸発量の推定では、「バルク法と熱収支法の併用」 により、湖水温度の鉛直分布も熱収支量(蒸発量、顕熱輸送量)と同時に 計算した。

この方法だと、風速観測値やバルク係数に多少の誤差が含まれていても、 蒸発量は比較的よい精度で求まるという利点がある。つまりこの方法では 風速に対する敏感度が小さいのである。

しかし、AMTEX における東シナ海の海面熱収支量の算定では、「バルク法と 熱収支法の併用」というわけにはならない。なぜなら、湖と違って海では 海流によって水平方向に運ばれる海洋運搬熱が大きく、しかもその量は観測 できないからである。

それゆえ、バルク係数の誤差がそのまま海面熱輸送量(顕熱・潜熱輸送量) の誤差となるので、AMTEXの実施に先立ってバルク係数を誤差10%程度以内で 正しく決めておかねばならない。

1960年代になって、粗面上の熱や物質輸送に関する研究が出てきた。 Owen and Thomson(1963, J.Fluid Mech.)は、十分に発達した粗面上の物 質輸送係数を粗度レイノルズ数の関数として表した。

それを海面に当てはめてみると、 風速が強くなり海面が粗面とみなされるようになると、熱や水蒸気その 他のガス輸送は境界面のごく近傍では、最終的にその流体の分子熱伝導係数 や分子拡散係数によってきまるのに対し、運動量輸送(摩擦応力)は分子 粘性係数のほか形状抵抗も含み、運動量と顕熱・潜熱輸送に対するバルク 係数は異なることになる。

微風時の滑らかな面から強風時の粗面へ変化していく遷移過程を規定する 粗度レイノルズ数は、何によって決まるのか?

それまでに得られている海上、湖面上、風洞水槽内の実験結果を総合して みると、粗度つまり粗度レイノルズ数を決める水面の幾何学的起伏は、 目に見えるような風浪やうねりの波高ではなくて、砕波などにともなう 高周波成分であると予想した。この予想のもとに、以後の研究を行う ことになる。

16.3 平塚沖海洋観測塔

伊勢湾台風(1959)による大災害があり、科学技術庁は相模湾平塚沖に 世界に誇ることのできる海洋観測塔を建造した。当時、和歌山県白浜には 京都大学防災研究所の海洋観測塔、博多湾の九州大学応用力学研究所の 海洋観測塔、伊豆半島の伊東沖にも気象研究所所属の観測塔(1979年に撤去)、 伊勢湾にも波浪・高潮などの研究・観測用に海洋観測塔が建設されていた。

平塚沖観測塔
図16.2 相模湾の平塚沖1kmに1965年9月に建造された海洋観測塔、 高さは水面上25m、水深は20m。ここから陸上施設まで海底ケーブル が埋設されている。建造費は1億1千万円である。 (「5.十和田湖物語」の図5.17に同じ)

1960年代は世界的に、海洋開発ブームの時代であった。アメリカ、イギリス、 フランス、オランダ等では大型の海洋観測施設が作られ、あるいは計画中で あった。

アメリカで建造された浮遊式海洋観測施設「フリップ」 (Floating Instrument Platformの略) がある。これは細長い、長さ108mの 潜水艦の形状をした船を観測時には垂直に立てるもので、海上部16m、海中 部92mである。 最大直径7m、最小直径4m、排水量は2200トン、無アンカーである。 気象・乱流などを測るようになっているのだが、たとえば、波高1.5mで 周期が11秒のとき、上部研究室の水平動は40cm、上下動は4cmである。

これらと比べて、平塚沖観測塔は本格研究用であった。この観測塔を 活用して、「バルク法」の精度を上げる研究に取り掛かるべく、 私は1967年10月に平塚の施設に転勤してきた。

1965年9月、相模湾平塚沖1kmの水深20mのところに建造された海洋観測塔は、 高さが水面上22mある。ここから陸上施設まで海底ケーブルが埋設され、 データはコンピュータ装置で記録されるようになっている。

完成したばかりの研究施設には、若い優秀な研究者がそろっており、みんなで 協力して、世界に誇れるデータをとり、海面表層過程を明らかにして、 さらに海面蒸発や顕熱輸送量を精度よく計算する方式ができる。 この方式によれば、一般の商船や漁船から通報される3時間ごとの気象 データを利用すれば、東シナ海および周辺海域における各種の熱収支量が 計算できる。

16.4 基礎研究

(1)観測塔が周辺気流に及ぼす影響
観測塔に風速計を取り付けたいのだが、塔自体が自然風を乱すので、 測器を塔からどれだけ離せばよいかの検討から始まった。ドラム缶を 積み上げて、円柱の周りの風速を測った。また、観測塔の12分の1模型や、 実際の観測塔で周囲の風速分布を測定した。

塔の周りの風速
図16.3 海洋観測塔の周りの風速分布、風は左方から吹く場合。 (左)塔の屋上部の鉛直断面図(海面から19~27mの範囲)、 (右)塔中心部の直径2mの円柱部の水平断面図(海面上10m)、 実線は測定風速の等値線、破線はポテンシャル流を仮定したときの計算値。 (Kondo and Naito, 1972, J.Met.Soc.Japan より転載)

塔の周りの後方を除外すれば、周囲の風速分布は非粘性流体のポテンシャル 流に近い流れであることがわかった。つまり、風速は円柱の風上側では弱く、 横側で強くなり、前方の左右45度の方向での風速の絶対値は自然風にほとんど 等しいという分布になる。一方、円柱の後方では直径の25倍の範囲まで 自然風の10%減の弱風域が形成される。

こうした観測結果に基づき、高度10mの風速計は観測塔中心(直径2mの 塔本体の中心)から水平距離前方11.5mに取り付けることになった。

(2)海面風波上にできる風速分布のキンク(遷移層)の否定
海面上の風速は、安定度が中立のとき、いわゆる「対数則」に従うという 研究と、陸上とちがって進行する風波やうねりによって対数分布が折れ曲 がった「キンク分布」であるという研究があった。当時、野外観測で用いられ ていた風速計として、日本では小型ではあるが構造上欠陥のある「理工研式」 と呼ばれる3杯式風速計が普及していた。

その欠陥のうちの一つとして、カップの大きさに比べて回転半径が大きく、 変動風速の中では回りすぎる特性があった。そこで、カップ式風速計の 動特性について理論的な計算・検討をおこなった (Kondo et al., 1971)。さらに、具体的に欠陥構造 の風速計で観測した場合、風速鉛直分布に見かけ上のキンクが現れることを 示した(Kondo and Fujinawa, 1972)。

これら検討ののち、動特性のよい特製の風速計を用い、観測塔で注意深く 風速鉛直分布を観測し、キンクは存在しないことを示した (Kondo, Fujinawa, and Naito, 1972)。特製の風速計は、海水を かぶっても電気的に大丈夫な構造である。

注意深い観測とは、各指定高度、例えば0.4、0.9、2.0、6.0mに取り付けた 風速計を一斉に高い高度に引き上げると、各風速計は3.4、3.9、5.0、6.0mと なり、この高度範囲では風速の高度による差が小さいので、風速計間の 相対誤差の確認が容易である。下部3台の風速計は取り付けが一体化した 組構造にしてあるので、一斉に上下移動が可能である。

この方法は以後の観測でも用いることになる。(風速計を風洞で検定したのち、 野外観測に使用する際に、僅かながら狂うことが多いので注意が必要である。)

キンク否定観測
図16.4 風速計を上下させながら連続して観測した海面上の風速鉛直分布。 横軸は高度6mの風速で規格化した値で、分布ごとに横軸を0.1ずつ右方へ ずらしてある。 (Kondo et al., 1972, J.Fliud Mech. より転載)

図16.4 はキンクを否定する風速鉛直分布の観測例である。 こうした観測から海面上の風速分布には折れ曲がる「キンク」は存在しない ことがわかった。


上記の観測をしていたとき、思わぬ副産物を得ることができ、感動した ことがある。
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うねりに誘起された風速変動


(3)波の高周波成分
微風のときの海面は、流体力学的に「滑らかな面」とみなされる。 たとえ遠方から伝わる「うねり」のような長い波長の波があって も表面は滑らかである。前述したように、海面上で風が吹くときの抵抗は、 滑らかなときは "skin friction" (表皮抵抗)が働き、「粗な面」で は "form drag" (形状抵抗)が働く。「滑らか」と「粗」の区別は海面上 にできる細かな高周波成分の不規則な起伏の大きさと層流層の厚さの比較 からできる。

風浪の波頭が崩れて白波が見えるようになると、高周波成分が大きくなる。 そこで、波高計をエナメル被覆の細い銅線でつくり、3~40ヘルツの 範囲の高周波成分を観測した。この成分は目視でも得られる有義波高の 大きさに、ほぼ無関係であり、風速と密接に関係する。

波の高周波成分
図16.5 海面波の高周波成分の大きさ(縦軸、単位はcm)と高度10mの 風速(横軸、単位はm/s)の関係、点線は平面上の層流境界層の厚さ。 (Kondo et al., 1973, J.Phys.Oceanogr. より転載)

図16.5は海面波の高周波成分と高度10mの風速との関係である。 風速が増すにしたがって、不規則な高周波成分の幾何学的な波高が増加 する。この関係は、風速分布に対する流体力学的な粗度が風速とともに 大きくなることと、きわめてよく対応している。風速分布に対する海面粗度 とは、前記のうねりに誘起された風速変動の論文に示した観測値や、 野尻湖などで得た観測値、その他を含む。

海上で風速鉛直分布を観測し、風速分布に対する粗度を決めるわけであるが、 風速鉛直分布の勾配は観測誤差や、その他の影響によって、同じ条件で あっても結果はばらつく。このばらつきから平均的な傾向を求める際に、 図16.5の実線が示す傾向を参考にするのである。

(4)海洋表層の流れ
海面は陸面と違い、潮流や海流によって移動している。また風に引きずられ て風下方向への流れができる。この表面流が風速に比べて無視できるほど 小さくなければ、バルク法の利用に際して補正しなければならぬ。

それゆえ、表面流についての知識を得ておきたい。それまでの波の理論に よれば、波の軌道運動は水粒子が同一軌道を描くのではなく、1回転ごとに 波の進行方向へ少しずつずれるために、水粒子は平均流速をもつ。これは ストークス流と呼ばれている。

ストークス流に従う流れがあるのか否か、実測で確かめることにした。

図16.6(左)に示すような各種ブイをプラスチックまたは紙製牛乳ボトルの紙 を利用して作り、水に浮かせたとき、ちょうど棒の上端(右端の水深6cm~ 1m用ではFloat )が水面の位置でバランスするように調節する。 これで表面下の流速を測る。

水中の流れ
図16.6 (左)海面直下の流速測定用の小型ブイ3種、 (右)海面直下の流速鉛直分布、縦軸は海面からの深さ y(1cm~100cm の範囲)を対数目盛で、横軸は表面流速 Vs と水深 y における流速 V の 差を水中の摩擦速度 vで規格化した値。 (近藤ら, 1974, 防災科研報告より転載)

表面流速は謄写版用原紙に赤色マジックインクで色づけしたものや、 薄い和紙に油をにじませたものを水面に流して、ある時間に流れた 距離を測って求める。

相模湾、霞ヶ浦、風洞水槽で水面下の流速鉛直分布を測った。10~30回分を 平均して、平均流速を求めた。その例が図16.6(右)に示されている。

ストークス流ではなくて、流速は「対数分布」になることがわかった。しかも、 海面上の風速と同様に、水中の摩擦速度で規格化するとすべてのデータが まとまる。ここに摩擦速度とは、”摩擦速度が大きいほど乱流が強くなる” というように乱流の強さや流速の大きさを表わす代表的なスケールのこと である。

水中の摩擦速度とは、風のせん断応力が水面で連続すると 仮定し、空気密度の代わりに水密度で割り算して得られる値である。 つまり水中の摩擦速度は大気中の摩擦速度の0.0346倍である。ここに、 0.0346は水密度に対する空気密度の比(0.0012)の平方根である。

同様に、大気中の摩擦速度も大気中の乱流の強さや風速の大きさを表す スケールである。地上風速が同じであっても、でこぼこした地面上 の乱流は滑らかな平坦地上よりも強く、”摩擦速度が大きい” と言ってもよい。一般に、摩擦速度が大きい時は大気境界層の厚さが厚くなる。 このように摩擦速度は境界層の重要なパラメータである。

海面付近の流れは潮流や海流による影響が大きく、風向と逆に流れている こともある。これを整理してみよう。

スキン流
図16.7 海面の表面流と水中の摩擦速度 v* との関係、ただし表面流は水深 10cmの流速 V10cmとの差で表してある。 (Kondo, 1976, J.Phys.Oceanogr.より転載)

図16.7は、海面と水深10cmの流速差と摩擦速度との関係である。 流速差は水中の摩擦速度、したがって風速とよく対応することがわかる。 海面上の風速が3~4m/s 以上で、水面下の流れは滑らかな面上の流れ(破線) から、粗な面上の流れ(実線)へと変わる。

海面の粗度レイノルズ数の導入によって、海面上の風速の対数分布と 海面下の流速の対数分布とも、滑らかな面上の流れから粗な面上の流れ へと遷移する過程を説明することができた(遷移を起こす臨界風速は、 海面上の風速と水中の流速とでは、少し異なる)。

私は1967年10月に平塚に来てから5年半の間、その他必要な研究を多数行ない AMTEX 研究の準備ができた。


海上では、一般にいろいろ限られた条件があり観測が難しく、誤差などを含む ばらついたデータが観測されることがある。そうしたデータを解析する場合、 間違った見かけ上の関係を見つけることがある。その例を示しておく。
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見かけ上の関係


16.5 国際協力の気団変質実験

いよいよ東シナ海で国際協力の気団変質観測研究が始まる。
これまでの基礎研究によって、海面バルク法が確立した。図16.8に示す ように、バルク係数は高度10mの風速の関数として表し、水面と大気の 温度差をパラメータとして選んである。安定度は密度差によるので、正確には パラメータは仮温度差である。

バルク係数
図16.8 海面のバルク係数と高度10mの風速との関係、パラメータは水面と 高度10mの温度差(厳密には仮温度差)。 (上)運動量輸送に対するバルク係数 CM、(下)顕熱輸送に対 するバルク係数 CH、潜熱輸送のバルク係数 CEは CHの約1.03倍である。 (Kondo, 1975, Boundary-Layer Met.; 近藤編著「水環境の気象学」の図7.6 より転載)

海面バルク法を実際に用いて、冬期の東シナ海とその周辺における熱収支 分布を知ることができた。その詳細は「身近な気象」の 「5.十和田湖物語」の5.9節を参照のこと。

AMTEX 実施中、私は沖縄の気象台にいて、東シナ海と周辺の漁船・商船から 気象庁に3時間ごとに送信されてくる気象通報を特製の天気図にプロットする 作業に追われた。天気図や海面熱収支量の分布図を現地で作成した。 当時はパソコンはなかったので、計算尺とソロバン、事前に準備しておいた 図表などを用いて、フラックスを毎3時間毎に計算した。現場では、ごく粗い 分布図を作成し、後で詳細計算を行った。

公務員の乗船する一部の海洋観測船からは午前3時の気象通報はなかった のだが、漁船からの気象通報は、AMTEX から特別のお願いをしてあった関係 なのか、通常より多いデータが入手できた。冬の季節風は海上では暴風で ある。そんな中で、献身的な観測と通報をしていただいたことに感謝したい。

AMTEX 研究に多数の研究者が参加した。その中で、海面の乱流フラックス を直接測定する人たちは南西諸島の島々の沿岸で行った。沿岸の水温は外洋 に比べて、場所によっては3℃も低く、風速は60%程度の弱さである。 したがって、沿岸で観測されたフラックスは外洋の値を代表しない。 広域の海面熱収支量はバルク法でなければ求められないことは計画当初から 判っていたことであり、そのために私はバルク法を開発してきたのだった。 それにも関わらず、乱流の直接測定装置を島々に配置する観測体制とした ことは私には理解できない。これは多数が参加するプロジェクト研究の 欠点である。

1974年2月のAMTEX では東京大学海洋研究所で造られたばかりの海洋観測ブイ (図16.8)が沖縄近海へ配置されたが、すぐに季節風による暴風で行方不明と なった。設計が甘かったのと、事前のテストが十分でなかったことによるの かもしれない。

海洋研ブイ
図16.9 海洋観測ブイ(東京大学海洋研究所)、1973年完成、全長=34m、 空中部=10m、排水トン数=10トン、重量=6.6トン、カプセル部にはブイの 計測部が封入される。 (大気境界層の科学、図2.20より転載)

翌年、1975年2月のAMTEX ではアメリカから小型垂直ブイが12個参加したが、そのうち 3個は季節風によりアンカーが切れて流失した。

16.6 再び東北大学へ帰ることに

年月は少し遡る。
私は1967年10月、34歳のとき、総理府科学技術庁国立 防災科学技術センター(現在の文部科学省防災科学技術研究所)の研究室長 として赴任してきた。

ところが、1971年11月1日、防災科学技術センターが川崎市生田 の丘陵地で土砂崩れの実験をしていて、事故が発生し15人の死者をだした。

防災センターは、現在、研究所と改名されているが、当時は大蔵省から大型の 研究費をもらってきて、気象庁気象研究所など他省庁に予算を配分すると いう研究調整を行う仕事もしていた。 そのため、大きな実験をするときは報道関係者を招待して行うことがあった。

生田の実験では、土砂崩れの起きる下のほうに見学場所を設け、崩したい場所 に人工的な降雨を降らせたのであるが、なかなか崩れない。降雨を続けた ところ、予想外の大きな土砂崩れが発生、泥水が秒速100mともいう ような山津浪となって流下し、見学者は逃げるまもなく、15名が死亡した。

報道関係者も死亡したので、防災センターに対する非難は厳しかった。 そのときの防災センターの寺田一彦所長は責任をとって辞職した。

私は防災科学の基礎研究を推進すべく、ほとんど経常研究費だけで、 所長の理解のもとに続けることができた。しかし、この事故後は、これま でのような自由な研究は出来なくなると思った。

なぜ基礎研究かといえば、伊勢湾台風に伴うような高潮は気圧低下と 風の吹き寄せによって起きるのだが、風の吹き寄せは海面に及ぼす風の せん断応力による。つまり高潮の研究・予測には、運動量輸送のバルク係数 を正しく決めておかねばならぬ。

当時多方面で使われていた海面粗度は不確かな値であった。図16.1で わかるように、緑色の線はRossby and Montgomery(1936)による 値(z0=0.6cm)は過大であったが、1980年代まで 使用していた研究者もいたのである。

大学新卒で防災センターに就職して私と共に働いてくれた藤縄幸雄さん、 内藤玄一さんも、もう一人前になった。私は5年間半、防災センター平塚 支所に勤務したのち、生田の事故を契機に、慰留されたにもかかわらず、 1973年8月に東北大学へ再び帰ることになった。

16.7 確認のための追加研究

冬期の東シナ海で行われた気団変質実験 AMTEX の目的のために開発した 海面バルク法は、その後、他の海域や湖面へ応用されることになるが、 間違っていれば修正しなければならない。そこで、追加研究などを通じて 上記1975年のバルク係数を確認することになる。
以下では、いくつかの追加確認研究の結果を説明する。

(a) 海面バルク係数の直接観測との比較
超音波風速計等を用いた海面フラックス(運動量、顕熱、潜熱の輸送量)の 直接観測が行なわれ、同時に得られた平均風速等の鉛直分布の観測 からバルク係数が算定される。それら係数と筆者による1975年の係数の比較 を次の図16.10と16.11に示した。

中立時バルク係数CM
図16.10 安定度が中立のときの運動量輸送のバルク係数 CM と 高度10mの風速との関係。記号 K を付けた実線はKondo(1975)の関係 を示す。 (Kondo, 1977, J.Met.Soc.Japan の表に追加; 近藤編著「水環境の気象学」の図7.4より転載)
中立時バルク係数
図16.11 安定度が中立のときの顕熱輸送(上)と潜熱輸送(下)のバルク係数と 高度10mの風速との関係。記号 K を付けた実線と破線はKondo(1975)の関係 を示す。 (Kondo, 1977, J.Met.Soc.Japan の表に追加; 近藤編著「水環境の気象学」の図7.5より転載)

筆者の1975年のカーブは、フラックスの直接測定から求められたバルク係数の 中ほどに位置し、矛盾しないことがわかる。

(b) 海洋表層の混合層の深さ
私は海面を挟んで、大気側と海洋側の境界層における流れ、温度など についてのパラメータ化を行ってきた。その結果から表層海洋に形成される 1日サイクルの混合層も計算によって再現できることを示した。

表層海洋混合層
図16.12 表層海洋にできる1日サイクルの混合層の厚さ(縦軸)と高度10mの 風速(横軸)の関係、小丸印は観測値、黒四角印は計算値。 (Kondo et al., 1979, J. Phys. Oceanogr. より転載)

図16.12は表層海洋の混合層の厚さと風速の関係について、計算と観測を 比較したもので、両者はよく対応していることがわかる。

そのほか、この研究では、海面の表皮層にできる水温差「表皮水温」や流速 「スキンカレント」が条件によって変わることを定量的に示した。

(c)カルマン定数の詳細観測
大気安定度が中立のときを想定すると、地表面に近い大気層「接地層」に おける運動量輸送量 τ (地表面、海の場合は海面に働く風のせん断応力) と風速鉛直勾配(dU/dz)を結びつける係数がカルマン定数 k である。 式で表すと次のようになる。

 (τ/ρ)1/2=kz(dU/dz)

ただし、ρ は空気密度、U は高度 z における平均風速である。τ は超音波 風速計による乱流変動の観測から得られる運動量輸送量である。

カルマン定数 k は、昔、風洞実験からおよそ0.4であるといわれてきたので、 気象学でもこの値が使われてきた。しかし1968年の夏にアメリカのカンザス州 の麦を刈り取ったあとの広い畑で大規模な境界層観測が行われ、そのときの データからBusinger et al.(1971)が決めたところ k=0.35となった。

それ以来、アメリカなどでは0.35を使う研究者が増えた。筆者らが k=0.4 を使って計算した論文を投稿すると、レフリーから”kは0.35ではないか!” としつこく言われ、計算の改訂を要求されるようなことさえあった。

アメリカ等の多数の境界層研究者が集まって観測したとはいえ、写真を見ると 測器の近くに風の乱れを生む大きさ1mほどの障害物がある。そんな不注意 な観測によって得られたカルマン定数を信じるわけにはいかぬ。 筆者の計算はやり直さなかった。

世界中の重要な問題なので、私は佐藤威さんとで、正確なカルマン定数を 観測することにした。超音波風速計の発信・受信部の形は2cmほどの直径 をもつ棒状であり、まったく同一形に作れないので、風向によって真の風が 歪む。

それゆえ、方位と仰角による風速の補正の検定カーブを作成 した。また、カップ式風速計の回りすぎ特性や仰角特性など補正し、 さらに条件のよいデータのみを選んで解析すると、k=0.39±0.03という 結果を得た(Kondo and Sato, 1982)。

この観測は宮城県北浦の広い田んぼで稲の収穫後に行ったもので、1977~1980年 の4年間に渡り、1ラン30分観測の合計259ランから、さらに条件を厳選した 175ランから決めた値であり、世界中でもっとも正確な観測だと思っている。

カルマン定数
図16.13 カルマン定数 k の変遷。 (Garratt et al., 1996, Boundary-Layer Meteorol., に加筆、転載)

この論文を発表して以後、ブシンガーの値(k=0.35)を使うべきだ、という 者はいなくなってしまった。

カルマン定数決定の観測から得られたもう一つの結果として、 バラつき(0.39±0.03)の相対誤差7%は観測誤差ではなくて、 「大気乱流に内在する本来の性質である」と主張した。つまり、 上記の k と風速鉛直勾配を結びつける式の k は、観測誤差とは別に、 7%程度のばらつきをもつものである。

(d)非常に安定な時の乱流・静流
KEYPS 式が発表された1960年のころ、私が、KEYPS 式は安定度が「強い安定」 (陸上では夜間に起きる強い安定)のときに合わないということを示した観測は、 陸上自衛隊の飛行場で行ったのだが、 水平的な空間は十分に広くなく、シアー関数(風速などの分布を表す関数形) としては満足に思っていなかった。

カルマン定数を観測した上述の場所は適地であったので、その同じ観測場で、 特に安定度が強いときのシアー関数を正確に求めておきたいと考えた。 当時、世界でもはっきりした結果はだれも出していなかったからである。

夜半に乱流変動のモニター(ペン書き記録計)を見ていると、風速と気温 変動がピタリと止まることがある。記録計の変動幅フルスケールを越えた 温度なのか、実際に乱流が無くなったのか不明である。これまでは、 高度数mで乱流変動がなくなるという経験はなかった。

念のために、うちわを持って観測塔に登り、超音波風速計の下から 扇ぐと風速鉛直成分のペン先は上向き振れ、息を吹きかけると、 気温変動成分のペン先は高温側に振れた。

これは本当に乱流が止まり”静流”状態になったのだ!

こうして静流が続き、間欠的に乱流が起きていることが発見できた。図16.14 の下半分は記録、上半分は乱流と静流の模式図である。地表面に近い層では いつでも乱流であるが、非常に安定になると高度数mから上では乱流は なくなることがわかった。

静流の構造
図16.14 非常に安定なときの接地層における流れの構造。 (上)模式図、(下)風速の鉛直成分と気温変動の記録。 (Kondo et al., 1978, JAS; 大気境界層の科学、図5.11、より転載)、(「M11. 入門2:境界層の日変化」 の図11.18に同じ)。

安定度を表すリチャードソン数(Ri)は、安定時には、高度とともに大きく なり、0.2<Ri<2で間欠乱流が生じ、2<Ri で静流となる。

図に示す模式図から理解されるように、静流状態が近づくと、乱流層と 静流層の境界面は波を打つかのように流れている。下層の低温気塊は波に よって砕けて落下しても、顕熱を運んだことにならず、上下に波打った だけである。そのために、それらの層の間で運動量は上から下に輸送されても、 顕熱はほとんど輸送されない。

それはこういうことだ。つまり、下層の風速の小さい気塊が持ち上がり、 上で加速されたのち、下層に戻ってくると周囲から減速作用を受ける。 これは運動量が上から下へ輸送されたことになる。いっぽう、下層の低温 気塊が持ち上がり、上で混合されることなく、再び下層に落下してきても、 波を打っただけで顕熱は伝えたことにならないからである。

つまり、運動量輸送の拡散係数に比べて顕熱輸送の拡散係数は安定度が増す につれて小さくなる。図16.15はそのことを示している。

拡散係数の比
図16.15 安定時の接地層における拡散係数の比 KH/KM 。 従来の室内実験は点線で、野外実験は破線で示す。○印はKondo et al., 1978, の結果を示し、大きい丸は30分間、小さい丸は2分間の観測。 (Kondo et al., 1978, JAS より転載)

実際の顕熱フラックスを観測してみると、図16.16に示すような鉛直分布 となる。この例では、顕熱フラックスの鉛直分布を上方へ外挿して みると、高度12mでゼロとなる。したがって、非常に安定になると 境界層(通常、乱流運動が盛ん)の厚さは10m程度、フラックスが 近似的に一定とみなされる「接地層」は高度2~3m以下となる。

安定時のフラックス
図16.16 非常に安定なときの接地層におけるフラックスの高度分布。 (右図)赤四角印は乱流による顕熱フラックス、小さい丸印は地表面の値を ゼロとしたときの長波放射量のフラックス、(左)気温変化率。 (Kondo et al., 1978, JAS; 地表面に近い大気の科学、図4.18、より転載)

非常に安定な大気層はめったに起きないわけではない。田舎で煙がたなびく ようなときは非常に安定なときであり、微風の晴天日に、しばしは起きる。 また、冬期のシベリアやアラスカで内陸高気圧が発達するようなときは、 下層大気は強い安定な層となっている。

(e)微風時の自然対流
世界中には、観測にすぐれた研究者はそれほど多くはない。私は以前から、 オーストラリアの E.F.Bradley はそのひとりだと思っている。1991年に発表された 論文(J.G.R.)に、彼らが微風時の海面で渦相関法で観測した顕熱・潜熱 輸送量のデータが掲載されていた。

微風の不安定時に得られた精度の高いデータは貴重である。バルク係数に 風速を掛け算した係数 CEU、CHU は「交換速度」 と呼ぶが、それを縦軸にとり、高度10mにおける風速を横軸にとって 表すと図16.17 のプロットとなる。

注意
微風時のバルク係数は、風速がゼロに近づくと非常に大きくなるので、 見やすくするために通常、交換速度を風速の関係として表す。

彼らのデータは海面と大気の仮温度差=1~5℃の条件で得ているので、 Kondo 1975 のバルク係数から仮温度差=0℃と3℃のときの曲線を 図16.17に描いてみると図中の点線と一点鎖線となり、両者は矛盾なく、 観測のばらつき範囲内で、よく合っている。

海面自然対流時の交換速度
図16.17 微風時の海上における潜熱輸送の交換速度(縦軸)と高度10mの風速(横軸) との関係。プロットはBradley et al.(1991)の観測値、点線と一点鎖線は Kondo(1975)のバルク法から予想される関係で、点線は中立時、一点鎖線 は海面・大気間の仮温度差=3℃のとき。 (Kondo and Ishida, 1997, JAS より転載)

この比較から、Kondo 1975 のバルク係数は非常に不安定な時にも応用して よいことが確かめられた。

不安定時の顕熱輸送について、さらに室内模型を用いた実験や水田における 観測によって、広範囲の条件に応用できる図16.18を作成した。水槽内の水中 の対流実験なども集めて同じ図に整理した。 この図の縦軸は顕熱輸送量、横軸は表面と大気間の温度差である。

専門的になるのだが、参考のために、対流状態を表すときに用いる レーリー数やヌッセル数など無次元数の目盛も入れてある。

自然対流時の顕熱輸送
図16.18 自然対流時の顕熱輸送量(H: 縦軸)と表面-大気間の温度差 (Ts-T: 横軸)の関係、レーリー数 Ra やヌッセル数 Nu の目盛もつけてある。 +印は田植え後の水田における観測。 (Kondo and Ishida, 1997, JAS;「大気境界層の科学」 の図5.5に加筆)

要約

通常の気象データによって、海面や湖面の顕熱・潜熱輸送量を算定する バルク法がある。1960年代に不確かであったバルク法は、数々の基礎研究 によって、実用に供するまでになった。さらに、追加研究によって、 このバルク法は強安定時から自由対流条件まで、広い範囲に利用できる ことが確認できた。

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