K42.都市気温と環境の短期的変化


著者:近藤 純正
本ホームページに掲載の内容は著作物であるので、 引用・利用に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを 明記のこと

全国91都市の都市昇温の変化傾向のうち、観測所の移転などによって 都市温暖化量が不連続的に変化した都市を取りあげ、周辺環境の短期的な 変化が年平均気温に及ぼす影響を調べた。

最近、気象台や測候所の多くは都市中心部にある合同庁舎に移転し、 それにともなって、年平均気温が0.3~0.8℃ほど上昇している。 この気温上昇は周辺環境の変化に対応するものである。
横浜や千葉など東京湾に面する観測所において、海に近くとも都市温暖化量 が大きいのは、東京という広域都市の大気と東京湾の海水との相互作用に よるものと考えられる。 (完成:2008年5月15日)



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2008年2月27日:素案
2008年5月11日:粗筋の仕上げ
2008年5月15日:完成

  目次
	42.1 はじめに
	42.2 周辺の再開発と気温上昇の例
		高知
	42.3 移転による大きな気温不連続の例
		千葉、神戸、岡山、広島、下関
	42.4 ごく最近の大きな都市温暖化の例
		熊谷
	参考資料


42.1 はじめに

前章「K41.都市の温暖化量、全国91都市」では、 「基準34地点による日本の温暖化量」 (バックグラウンドの気温変化)に基づいて、全国91都市の都市化による 都市温暖化を評価した。

その結果によれば都市温暖化は、多くの都市では戦後の復興が進みだした 1950年頃から現れはじめ、高度経済成長期の1960~1980年に著しく増加し、 その後も上昇を続けている。

2000年の時点における都市温暖化量は最大の東京で2.0℃、都道府県庁所在 の都市平均で1.0℃、その他の中小都市平均で0.5℃である。気象庁が気候変動 を知るために選定している17観測所では、ちょうど中小都市平均値0.5℃ と同じ大きさの都市温暖化量があり、このぶんが加わった気温上昇となって いる。つまり、17気象官署の温暖化量から0.5℃を差し引いたものが、日本の バックグラウンドの気温上昇とみることができる。

この章では、91都市の内、観測所の移転その他によって大きな気温の不連続が 生じた都市を選び、周辺環境が気温に及ぼす影響を調べるものである。 前章「K41.都市の温暖化量、全国91都市」では、 おもに長期的変化を調べたのに対し、本章では移転などに伴う短期的な周辺 環境の変化を調べ、都市化が気温に及ぼす影響について理解を深めようと するものである。

前章と同様に本章でも、定義は次の通りである。

温暖化量=(バックグラウンド温暖化量)+(都市温暖化量)

基準年の決め方:
前章で述べた理由により、1915~1940年の平均を都市温暖化量ゼロの基準と する。

1945年の終戦後、特に1950年以後に都市化が進むようになってから測候所が 開設された千葉などの基準年は、周辺観測所の気温変化とつじつまが 合うように、基準年の気温を推定した(前章の表41.2参照)。

不連続の取り扱い:
気象観測所やその観測露場は時々移転し、気温の不連続が生じる。気温の 不連続の大きさは、周辺観測所の気温の10~20年平均値との比較から見積もる ことが可能である。おおよそ1950年以前に生じた不連続はこの方法で補正した が、都市化が大きく進むようになった1950年頃以後の不連続は補正 せずにそのまま用いる(前章の表41.1参照)。

観測法の変更による補正
前章と前々章で述べたように、気温の観測法(器械、観測時刻)は時代によって 変化してきた。現在の百葉箱外の通風筒内に設置した白金抵抗温度計を基準 にすれば、1970年代以前の百葉箱内での気温は、年平均値で0.1℃高めに 観測されているので、これは各観測所ごとに補正した。

気温観測は時代と観測所により1日の観測回数が3回(4回:おもに灯台)、 6回、8回と変化してきた。現在の毎時24回観測を基準にすれば、とくに 3回(4回)観測では誤差が大きく、年平均気温で0.1~0.3℃(経度の関数) の補正を行った。

42.2 周辺の再開発と気温上昇の例(高知)

当初の高知測候所(現・地方気象台)の周辺は田畑が広がる所に あったが、終戦(1945年)以後、露場周辺に住宅が建つようになり、1970年 頃には密集の状態となった。この頃までに都市温暖化量は0.5℃余になった。

高知市では1970年8月の台風10号による高潮に遭い、気象台も浸水して庁舎は 本町の合同庁舎に移転することになったが、露場のみは約40m東に移動する だけで、ほぼ元と同じ敷地内に残された。

2001~2005年、高知市東部の再開発の一環として、露場周辺の古い住宅は 解体され、新しい住宅団地の建設と道路の拡幅・舗装が行われた。 それに伴い、露場の西側にあった江ノ口東公園(これはもともと測候所の敷地) の西半分が切り取られ、露場の南側に移動した形となった。 江ノ口東公園の少し西側には拡幅された大きな都市計画道路(25~27mの はりまや町一の宮線)が開通し、ビルなども建ち都市化が進んだ。

露場と周辺の詳細は「写真の記録」の「53. 高知と室戸岬の観測所」、および「研究の指針」の 「K12.温暖化は進んでいるか(3)」の12.3節の図12.8付近に説明され ている。

図42.1は高知における気温(青点と緑四角印プロット)と都市温暖化量 (赤曲線)の経年変化である。 気温は1915-1940の平均値からのずれを表す。赤曲線の縦軸上の大きさが 都市化による都市温暖化量、プロットと赤曲線の差がバックグラウンドの気温 変化である。

高知の気温
図42.1 高知における気温と都市温暖化量の経年変化。
青点:気温の年々変動(1915~40年の平均気温15.48℃を基準)
緑四角印:気温の5年移動平均
赤曲線:都市温暖化量(1915~1940年の平均をゼロと定義)、15年移動平均で あるが都市再開発のころ(2003年前後)は3~7年の移動平均

都市温暖化量は、1950~1970年の住宅密集化と一致して急勾配で増加し、1975 年~2000年はゆるやかになっている。1940年から2000年までの 都市温暖化量は0.89℃である。

2001~2005年の都市再開発による急速な都市化(舗装道路の面積拡大、ビル の増加)によって短期間に約0.3℃の上昇が生じている。

JR高知駅の北側~観測露場にかけて、今後数年間はまだ建物が増えると 思うので、都市温暖化量がどこで落ち着くかに注目していたい。

42.3 移転による大きな気温不連続の例

観測所の移転、庁舎の建替え・露場のわずかな移動によって露場付近の 風通りの変化、その他により気温が不連続的に変わる。この節では、気温の 不連続が大きい例を取りあげる。

表42.1 移転前後の観測所の場所、標高などの表(気象庁年報による)


観測所  移転年月日 旧住所(標高)→移転直線距離と方向、現住所(標高)                  

千 葉  1981/3/30   千葉市出州港7-46(1.8m)→1.25km西北西へ、中央港1-12-2千葉港湾合同庁舎(3.5m)   
神 戸  1999/9/1    神戸市中山手通7丁目宇治野山(57.5m)→3.3km東へ、脇浜海岸通1-4-3(5.3m)  
岡 山  1982/10/1   岡山市津島桑の木1-16(3.3m)→2.7km南へ、岡山市桑田町1-36(2.8m) 
広 島  1988/1/1    広島市江波南1-40-1(29.3m)→4.5km北東へ、中区上八丁堀6-30(3.6m)    
下 関  1978/12/21  下関市大字関後地村字八ヶ迫山頂(46m)→1.4km南西へ、下関市竹崎町4-6-1合同庁舎(3.3m)



千 葉

千葉測候所の南西側は東京湾に面した海岸の近くにある。2007年の1年間の 風のうち、26%の風が海上を渡ってきたと考えられる南西~西~北西の風向 である。他の74%が陸上を吹走してきた風である。

図42.1は千葉の気温(プロット)と都市化による都市温暖化量(赤曲線)の経年 変化である。1980年の時点で1.2℃の都市温暖化量がある。 1981年の移転時に、年平均気温は一時的に0.34℃の下降が見られる。 これは、移転時に露場周辺が比較的に開け風通りがよくなったことによる と考えられる。しかし、7~8年のうちに建物等ができて日だまり効果と 都市化により都市温暖化量は1980年の1.2℃を超え、2000年には1.55℃と なった。

1982~1992年の10年間の都市温暖化量0.65℃(=1.45-0.8)は他所に比べて 大きい。

千葉の気温
図42.2 千葉における気温と都市温暖化量の経年変化。
青点:気温の年々変動(1950年の推定平均気温13.8℃を基準)
緑四角印:気温の5年移動平均
赤曲線:都市温暖化量(1910~1925年の平均をゼロと定義)、15年移動平均で あるが移転(1981年)の前後は3~7年の移動平均

ちなみに、他の都市の都市温暖化量:
東京1960~1970・・・・・・0.48℃
東京1970~1980・・・・・・0.34℃
大阪1960~1970・・・・・・0.41℃
大阪1970~1980・・・・・・0.35℃
名古屋1970~80・・・・・・0.35℃
京都1960~1970・・・・・・0.50℃
と比較しても、千葉の観測露場周辺の変化がいかに大きかったかがわかる。

千葉は、横浜と同様に、観測所が海に近いからといって、都市温暖化量が 小さいわけではないことに注意すべきである。気温や風(海陸風)の日変化 を通じて、広域都市の高温大気が海水温度を上昇させ、あるいは都市からの 温排水が海水温度を上げ、それが海からの風となって吹いてくる場合、 東京湾に面した都市の平均気温を上昇させる原因になりうる。

大気・海洋の相互作用を通じて生じる海水温度の上昇は時間がかかるので、 それが沿岸都市の大気昇温に影響を及ぼすのにも時間がかかると考えねば ならない。

この効果は、観測所を含むやや広域の都市温暖化量が海岸域で現れること になり、時代とともに大きくなっていくものと考えられる。


神 戸

図42.3は神戸における気温(プロット)と都市温暖化量(赤曲線)の経年 変化である。1999年の移転によって、年平均気温は0.65℃上昇した (都市温暖化量の増加があった)。

神戸の気温
図42.3 神戸における気温と都市温暖化量の経年変化。
青点:気温の年々変動(1915~40年の平均気温15.04℃を基準)
緑四角印:気温の5年移動平均
赤曲線:都市温暖化量(1915~1940年の平均をゼロと定義)、15年移動平均で あるが移転(1999年)の前後は3~7年の移動平均

神戸海洋気象台が中山手通7丁目の標高57.5mにあった1980~1998年の 都市温暖化量は0.5℃程度で、大都市としてはそれほど大きくなかったのだが、 海岸の平坦部に移転した2000年代には1.2℃ほどに大きくなった。

1999年に庁舎と露場は移転したが、風向風速と日照は旧庁舎(中山手通7-14 -1)にて観測が続けられているように、現在位置における観測環境は 悪いものと考えてよいだろう。これが、いわゆる都市化の進んだ状態である。

神戸は東京などと違い、北側には山があり、斜面を含む市街域はほぼ東西 に伸びているが海岸通では2000年代の都市温暖化量は約1.2℃である。


岡 山

図42.4は岡山における気温(プロット)と都市温暖化量(赤曲線)の経年 変化である。移転前の1980年の都市温暖化量は0.64℃であったが、JR岡山駅 近くの現在地に移転した時点で年平均気温は0.84℃も上昇した。

現在の岡山地方気象台の観測露場は狭く、おそらく気象官署の中では日本一 の悪い環境にあると考えてよいだろう。しかし、資料活用の立場からすれば、 都市気候のうち、ごくローカル気候の調査目的としての利用価値はある。

:10年ごとの都市温暖化量は「K41.都市の温暖化量、 全国91都市」の表41.2に、また気温の不連続量は表41.1に掲載されて いる。

岡山の気温
図42.4 岡山における気温と都市温暖化量の経年変化。
青点:気温の年々変動(1915~40年の平均気温13.9℃を基準)
緑四角印:気温の5年移動平均
赤曲線:都市温暖化量(1915~1940年の平均をゼロと定義)、15年移動平均で あるが移転(1982年)の前後は3~7年の移動平均

岡山地方気象台が現在地に移転した当時、第2合同庁舎とJR岡山駅の間には 工場跡の大きな建物があり、周辺の風通しは悪く、都市温暖化量は非常に 大きくなった。その後、建物は解体され駐車場になり、風通しがよくなった 関係なのか、気温は一時的に下降したが、1990年頃から再び上昇に転じ、 2000年時点の都市温暖化量は1.70℃となった。


広 島

図42.5は広島についての同様な経年変化である。旧観測所は海岸に近い 位置にある標高29.3mの丘「江波山」にあった。ここは観測環境がよいところ であり、1945年の原子爆弾の投下時も観測が続けられてきた。

原子爆弾の投下時も観測が続けられてきたことは 「7.都市気温上昇と風速の関係」の図7.17とその前後に説明してある。

広島の気温
図42.5 広島における気温と都市温暖化量の経年変化。
青点:気温の年々変動(1915~40年の平均気温14.24℃を基準)
緑四角印:気温の5年移動平均
赤曲線:都市温暖化量(1915~1940年の平均をゼロと定義)、15年移動平均で あるが移転(1988年)の前後は3~7年の移動平均

広島における移転前の都市温暖化量は1970年には0.38℃、1980年には0.58℃ であり、大都市であるにもかかわらず比較的小さいのは都市中心部から離れた 場所に観測所があったからである。

しかし、江波山も周辺が込みはじめ、気象台は1988年1月1日に現在地の 合同庁舎に移転した。その際に、年平均気温は0.64℃上昇した。 2000年時点の都市温暖化量は1.46℃である。


下 関

同様に、図42.6は下関についての経年変化である。標高46mにあった 当時の測候所は、1945年に約0.2℃の気温低下がある。これは、戦災で 周辺が焼失したのかどうか不明であるが、1965年ころまで都市温暖化量が マイナスである。戦災によるものでなければ、終戦前後に露場の周辺の建物 の撤去や樹木伐採により風通しがよくなり、日だまり効果の減少により気温が 下がったものと推測される。今のところ、この件に関する情報は入手して いない。

下関の気温
図42.6 下関における気温と都市温暖化量の経年変化。
青点:気温の年々変動(1915~40年の平均気温15.12℃を基準)
緑四角印:気温の5年移動平均
赤曲線:都市温暖化量(1915~1940年の平均をゼロと定義)、15年移動平均で あるが移転(1978年)の前後は3~7年の移動平均

1978年末に下関地方気象台は市街地に移転し、年平均気温が0.44℃上昇した。 そのため2000年時点における都市温暖化量は1.08℃となった。

42.4 ごく最近の大きな都市温暖化の例(熊谷)

熊谷では1965年に新庁舎の完成にともない、新しい露場がつくられた。 その際に0.2℃ほどの気温上昇がある。これは露場の風通りが悪化し、 日だまり効果によるものと考えれる。

これとは別に、熊谷では1980年代から現在にかけて、気温上昇(都市温暖化量) が大きい。前章「K41.都市の温暖化量、全国91都市」 でみてきたように、多くの他の都市では、1960~1980年代に 都市温暖化が急上昇し、その後、緩やかになっていることと異なる。 それゆえ、熊谷をこの節で取り上げた。熊谷におけるこの傾向は宇都宮でも 見られる。

熊谷の気温
図42.7 熊谷における気温と都市温暖化量の経年変化。
青点:気温の年々変動(1915~40年の平均気温13.44℃を基準)
緑四角印:気温の5年移動平均
赤曲線:都市温暖化量(1915~1940年の平均をゼロと定義)、15年移動平均で あるが移転(1965年)の前後は3~7年の移動平均

宇都宮の場合、「写真の記録」の 「75.日光と宇都宮の観測所」の図75.5と75.6で示したように、露場の 周辺に建物が密集したことのほかに、露場をとりまく樹木の生長により風通り が悪化した。舗装道路や建物の建築が落ち着いた状態になったとしても、 樹木の生長が都市温暖化量を今後も大きくすることになる。

熊谷でも、宇都宮に似たことはないか? 市街地が年々広がり、気象台の近くまで迫る傾向にないか、今後、現地を 調べてくる必要がある。

参考資料

気象庁(編)、2006:気象庁年報(CD-rom).(財)気象業務支援センター.

中央気象台(気象庁):中央気象台(気象庁)年報、1886~1940、1950~1996.

中央気象台:中央気象台月報、1941~1949.

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