75. 日光と宇都宮の観測所

著者:近藤 純正

地球温暖化など気候変動の実態を調べる目的で、都市化の影響の少ない 北関東の代表地点=日光測候所(現在無人の日光特別地域気象 観測所)を視察した。日光観測所の創立以前(1943年以前)については、 宇都宮におけるデータと接続・結合させたいので、宇都宮地方気象台も訪問し、 昔の状況について情報を得る。 (完成:2007年7月28日、追記:2008年8月30日)

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  	  もくじ
		(1)はしがき:視察の目的
		(2)宇都宮地方気象台の周辺環境
		(3)日光測候所(日光特別地域気象観測所)
		(4)日光の売却敷地、その後(2008年8月追記)
(1)はしがき:視察の目的
栃木県西部の中禅寺湖の近くにある気象観測所は1943年10月1日に 中宮祠観測所として創立し、1950年6月1日に中宮祠測候所、さらに1968年 4月1日に日光測候所と名称変更、1997年3月1日に無人化されて日光特別地域 気象観測所となった。 場所は現在の地番で日光市中宮祠2478-12、標石の標高は1292mである。

日光測候所は1950年代以降、年平均風速が減少傾向にあったが、 無人化後の庁舎と宿舎の解体により、1999年に風速は不連続的に大きくなった。

一般に、年平均風速が減少すると、「日だまり効果」によって年平均気温が 上昇する。アメダス資料が完備してきた1978年以降について周辺の平均気温 と比較してみると日光が相対的に0.2℃程度上昇しており、他所における 「日だまり効果」の関係、すなわち風速の減少と同時に気温の上昇が生じる ことと矛盾しない。


注:日だまり効果
地表面温度は放射量(日射と大気放射)と地中伝導熱がバランスするような状態で 決まる。風速が強いと、他の条件が同じであっても、地面から大気へ運ばれる 顕熱輸送量と潜熱輸送量(蒸発量)が大きくなり、地表面温度の平均値は低くなる。 気象観測露場においても同様に、露場の周囲に建物などが込み合ってくると 露場面付近の風速が弱化し、大気へ放出される顕熱・潜熱輸送量が少なくなり 地表面温度と地上気温が高くなる。これは都市化による気温上昇と異なり、 田舎の観測所でも起きる現象である。都市化と区別するために、新用語 「日だまり効果」と呼ぶことにしている。
現実には、都市化と「日だまり効果」は同時に起きることが多く、各地の 気象観測所で見出すことができる。


最初に、宇都宮と日光の年平均気温の差を図75.1から見てみよう。
期間が短くて確度は低いが、1944~1950年の7年間の気温差(6.30℃)はその後の1951~64年 までの14年間(6.14℃)に比べて0.16℃ほど高い。1960年代半ば以後、気温差はしだいに 大きくなっている。宇都宮の代わりに3気象官署(宇都宮・白河・熊谷)平均 との気温差についても同様に、1950年に不連続が見られる。 これは次のことを意味している。

日光1950年の気温不連続
図75.1 宇都宮と日光の年平均気温の差の経年変化。 1950年と1951年の間で年平均気温の差が6.30℃から6.14℃に0.16℃下降 しているのは、日光の気温が周辺環境の変化により上昇したことによると 考えられる。

(1)1950/51年に日光の気温がジャンプ状に上昇した。 これは、日光の観測露場の近傍に建物ができて露場面付近の風が弱められ、 「日だまり効果」が大きくなったのではないか?

(2)1951~1964年の気温差がほぼ一定ということは、宇都宮など中都市が 1950年代から都市化されて気温上昇傾向となったのと同時に、日光も 周辺に住宅や商店などが増えて気温が上昇したのではないか?

上記(2)は次の2つの図と矛盾せず、時代による風速の減少(図75.2)と 気温の上昇(図75.3)からも確かめることができる。


「確認事項その1」
上記(1)に関して、1950年(昭和25年)ころ 測候所敷地内に新しい建物が建てられたか?
1950年6月1日に「観測所」から「測候所」への名称変更があったが、この前後 に新しい建物が建てられたという記録はないか?
(1)(2)に関して、敷地外の近傍に住宅など建ちはじめ、その後10~30年間 にわたり増える傾向になかったか?
(2)に関して、周辺の樹木が生長したか? あるいは古い平屋が2階建てに なったか?
現地で年配者を探して聞き取り調査により確認のこと。


次の図75.2は年平均風速の経年変化である。複雑な経年変化であるが、 風速計高度の変化(1977年に11mから16.7m)を考慮に入れると、 風速は時代とともに減少している。1964~1999年(35年間)の 風速の減少率は約20%である(風速計高度が 16.7mの一定とすれば3.5m/sから2.8m/sに減少)。

すると、「日だまり効果」により平均気温が上昇するのだが、これは図75.3に 示された1999年までの気温上昇と矛盾しない。

日光風速
図75.2 日光における年平均風速の経年変化。 プロットは観測値、太い赤線は風速計の特性により4杯式は過大評価、 発電式は過少評価の傾向があることを考慮して描いた真の風速の推定値である。 1977年の不連続は風速計高度を11mから16.7mに上げたことにより、また 1999年の不連続は、風速計高度を17.2mから11.1mに低くしたにもかかわらず、 無人化にともない庁舎と宿舎の解体、さらに測風塔の場所の変更によると 考えられる。

1999年に風速計高度が17.2mから11.1mに低くなったにもかかわらず、風速が 不連続的に増加している(図75.2)。同時に、平均気温が1999年に0.09℃ほど 下降している(図75.3)。

このことに関して宇都宮地方気象台次長・中垣昭夫さんに電話で問い合わせた ところ、日光観測所は無人化にともない庁舎の解体、さらに測風塔の南方向 への移転・新設により、風通りがよくなったという。

1999年に風速の増加により、日だまり効果が小さくなったと考えてよいだろう。 図75.3ではプロットのばらつきが大きく確度は小さいが、 気温は1978~1999年にしだいに上昇し、1999年に不連続的に下降している ことが読みとれる。

日光周辺アメダスとの気温差
図75.3 日光の気温と周辺4アメダス(那須、烏山、真岡、佐野)平均の 気温差の経年変化。プロットは観測値、1978~1999年の期間に描いた 赤の実線(勾配=0.009℃/yr)は最少自乗法による変化傾向である。
1999年以前の日光が相対的に昇温傾向にあるのは、図75.1で示したように、 風速が長期にわたり減少することで、日だまり効果が増加したことによると 考えられる。 1999年の不連続的な下降は、日光観測所の無人化にともない、庁舎の解体に よって風通りがよくなり日だまり効果が減少し、平均気温が下がったと 考えられる。


「確認事項その2」
各地の観測所における日だまり効果の大きさと日光におけるそれ (0.09℃の下降)を比較するために、庁舎解体前 の配置図がわかれば、それを入手し、現在の状況との違いを検討すること。

もうひとつ疑問点がある。それは、風速が1963/64年(昭和38/39年)に 2.4m/sから2.9m/s 程度に増加した原因は何か?
「確認事項その3」
風速の経年変化(図75.2)において、1963/64年 (昭和38/39年)に風速計高度に変化がないにもかかわらず (気象庁年報CD-rom による)、風速が1964年(昭和39年)にジャンプ状に 2.4m/sから2.9m/sに大きくなったのは、風速計の設置場所が変わったのか?  あるいは邪魔をしていた樹木の枝を落としたか伐採したか? 測候所の詳しい 記録があれば確認のこと。

次に、日光の観測所は1944年以後のデータがあり、それ以前については宇都宮 のデータと結合して1890年代まで遡りたい。

宇都宮は北関東で最初に観測が開始され(1891年からの年平均 気温のデータがある)、日光にもっとも近い気象官署である。予備解析として、 日本全域の気温と比べてみると、宇都宮は創設時代の1890年代に相対的に 低温である。

図75.4は宇都宮と周辺5気象官署(福島、長野、東京、石巻、新潟)平均との 年平均気温の差である。1890年代の気温差(0.14℃)に比べて1900~1927年 期間の平均(0.41℃)より0.27℃低温である。

宇都宮と周辺5官署平均の気温差
図75.4 宇都宮と周辺5気象官署(福島、長野、東京、石巻、新潟)平均の 年平均気温の差の経年変化。

ここでは日本全域、あるいは東北地方や関東地方など、やや広域の気候変動 を知ることが目的であり、観測所のごく狭い範囲を対象とはしていない。 それゆえ、周囲10m~100m程度の局所的な環境変化に支配されたデータを 含まないことが望ましい。したがって、1890年代の宇都宮における低温の 原因を知りたい。


「確認事項その4」
年平均気温差の経年変化(図75.4)において、1900年(明治33年)以後は それ以前(創立当時の約10年間)に比べて宇都宮 が相対的に高温となった、そのローカルな原因は何か?
宇都宮の観測所は宇都宮市塙田町に1890年8月15日に創立し、1935年1月1日 に南南西方向2100mの宇都宮市明保野町1-7に移転、さらに1989年12月21日に 合同庁舎に移転している(気象庁年報CD-romによる)。
1900年(明治33年)の前に観測露場の近辺に建物などが建ち、露場面上の 風速を弱化させる原因とならなかったか? 周辺環境についての記録が残って いれば確認のこと。

今回の宇都宮と日光の視察は以上の目的によるものであり、同時に現在の 観測所周辺環境を観察することである。

(2)宇都宮地方気象台の周辺環境
2007年7月24日、宇都宮地方気象台の観測露場を見ると、周辺に樹木が多い ことに気づく(図75.5)。

合同庁舎屋上に案内されて、露場を見下ろすと(図75.6)、西側は駐車場で あり、その北側が合同庁舎である。

宇都宮露場
図75.5 宇都宮地方気象台の露場、露場の北西角より撮影

宇都宮露場、屋上から
図75.6 宇都宮地方気象台の露場、合同庁舎屋上の南東角より2007年7月24日 撮影。

宇都宮の北と東
図75.7 合同庁舎屋上から撮影した北方向(左)と東方向(右)の写真。

宇都宮の南と西
図75.8 合同庁舎屋上から撮影した南方向(左)と西方向の写真。

前もって台長・佐々木徹さんに連絡してあったところ、古い写真など準備して くれてあった。1890年以前の宇都宮における低温(つまり1890年以後のローカル な気温上昇)と関係のありそうな次の記事がある。

1899(明治32)年6月:事務室、小使室増築工事着工
1899(明治32)年9月:事務室、小使室増築工事完了

このことから、「はしがき」で述べたように、 宇都宮測候所創設のころ、敷地内での建物の建築や植樹等が行われ、風通りが 悪化したと考えられる(「確認事項その4」)。

宇都宮1890年
図75.9 宇都宮測候所の創立時1890年の写真(宇都宮地方 気象台提供)

宇都宮1945年と1966年
図75.10 左:1945年頃(北西方向から撮影)、右:1966年(南東方向から 撮影、中央部に気象台)(宇都宮地方気象台提供)

宇都宮測候所は1935年1月1日に南南西方向2100mの現在地(宇都宮市明保野町 1-7)に移転した。そして終戦の1945年以後、次第に都市化されてきたと考え られる。図75.10(左)は1945年頃の写真である。ここには掲げないが、 地上から撮影した写真を総合すると、1945年頃の測候所近辺には人家が散在 する程度で、周辺は畑が多い。

図75.10(右:終戦後20年経過)によれば、周辺はよく整備された住宅地と なっており、気象台はすでに都市気候の中に入っていると判断できよう。

(3)日光測候所(日光特別地域気象観測所)
宇都宮地方気象台長・佐々木徹さんに案内されて、奥日光の中宮祠にある 旧日光測候所(現在無人)を訪ねた。大通りから北向きに中宮祠中学校へ登る 坂道の左側に観測所があった。

後掲の図75.20~21の配置図に示すように、解体された庁舎と宿舎の跡は広々と した草地となり、元の敷地の23%の面積(南東部)のみが現在の観測所である。

今回の訪問前に気象台長・佐々木徹さんから送られてきた露場の写真を 図75.11に示した。露場敷地は南側と西側の隣地よりも一段高くなっているが、 隣地の2階部分が露場に対して風を遮ることになる。

元の庁舎と宿舎跡の広い敷地も売りに出さずに残すならば、ここは 気候変動監視目的として理想に近い観測所になるのだが・・・・。

日光の露場
図75.11 日光特別地域気象観測所の露場、南方向 (佐々木徹氏による、2007年5月撮影)

日光、北と東
図75.12 日光特別地域気象観測所の露場から見た写真、2007年7月25日撮影。 左:北方向、右:東方向

日光、南と西
図75.13 日光特別地域気象観測所の露場から見た写真。左:南方向、右:西 方向

日光、門の東から
図75.14 門の東から西方向を見た写真、中央奥の家は一段低い敷地に建てられた 2階建ての2階部分である。中央のポールは測風塔、右手に観測局舎と物置が 写っている。

日光、東から3枚合成
図75.15 東側の市道から撮影した写真、3枚を横に結合し多少ひずんでいる。 広い草地は元の庁舎と宿舎があった場所である。右手の草地の奥、約80m の遠方には雑木林がある。

日光、北東角から
図75.16 観測所の元の敷地の北東角から撮影した写真、3枚を横に結合し多少 ひずんでいる。

元の測候所庁舎と宿舎の西隣には雑木林がある。地形の関係で、この観測所に おける卓越風は東西方向であり、この雑木の生長と周辺の住宅・商店などが 増え、大型化したことが年平均風速を減少させたと考えられる。

観測所東側の裏通りを通る年配の女性に昔のことを尋ねた。 彼女は大通りのそばや「桐花」のおばあさん(桐花その、昭和元年生れ) なので昔の状況がよくわかる。終戦のころまで大通りにあった店は井上、桐花、 大橋、並木の4軒だけである。

戦時中の1943(昭和18)年に男体山測候所設立のころ、彼女らは強制労働 に狩り出され、ふもと(標高=1280m程度)から頂上(標高=2484m)まで 荷物を運ばされたという。当時、この日光観測所は男体山測候所の中継基地 であったという。そうだ、戦争中は小学生までが勤労奉仕という名のもとに 労働させられていたのだ。

平屋のそばや「桐花」は1957(昭和32)年に2階建てに建替えた。観測所東側 の裏通り(北参道)の北側にある数棟の建物はエレベータ会社と菱屋の寮で、 1955年以後に建てられたものである。 観測所周辺(中宮祠)にある現在の店・住宅などが現代風 になったのは1975年前後(昭和50年代)以後である。

「昔の正確なことについては、大通りを西に行くと小島酒店があるので、 そこで聞いてみてください」と教えられた。

酒店の小島喜美男さんを訪ねると、ノートに毎年のおもな出来事を記録して いた。1949年生れだのに、なぜ詳しく知っているかと尋ねると、日光市文化財 保護審議委員をされており、歴史書「奥日光の歴史ーその自然と来訪者」や 随筆集「洛山晃世界」など著した文化人であることがわかった。よい人びと に巡り合うことができた。

奥日光には永住民はいなかったが1877(明治10)年ころから住むようになり、 小島家は1909(明治42)年に当地へ移住、喜美男さんは3代目である。

戦前から戦後について、おもなことは次の通りである。
1930年8月:華厳の滝エレベータ営業開始
1932年8月:中宮祠登山ケーブルカー開通
1933年7月:明智平ロープウエイ営業開始
1945年10月:アメリカ進駐軍がレークサイトホテルほかを接収
1948、49年:「東照宮がアメリカ進駐軍に接収されて参詣できなくなる」という噂で
   観光客が急増し、客が奥日光まで来るようになる。
1949年11月:奥日光開発株式会社設立
1951年:裏通り(北参道:大通りの北側)の開通
1951年7月:湯本より中宮祠への引湯工事完成
1953年6月:中宮祠中学校、新校舎に移転(測候所の北)
1954年:いろは坂が改修され、ほぼ現在の第1いろは坂(下り)が完成
1958年:測候所の北側に市営住宅建設
1965年:交通量の増加により、第2いろは坂(上り)が完成


以上を総合すると、
(1)1950/51年に生じた0.16℃の気温ジャンプの原因として、これというもの は見当たらないが、戦後の観光客の増加にともない新しい建物や裏通りの 開通などが影響したものと想像できる。
(2)1950年代から1960年代にかけて市営住宅の建設、中学校の新校舎の 建設とそれに伴う道路の拡幅、さらに観光客の増加により土産店などの建物が 増え、同時に年平均気温が上昇したと考えられる (「確認事項その1」)。

1952年頃
図75.17 1952年頃、塔から南を撮影した写真(宇都宮 地方気象台提供)

1976年新庁舎建設前
図75.18 新庁舎建設直前の1976年の撮影、遠方の左手に中禅寺湖が見え、 右手奥の青屋根は測候所宿舎がある (宇都宮地方気象台提供)

日光、北と東
図75.19 新庁舎竣工、1976年12月、手前左手に露場があり、背後は男体山。 この庁舎は1997年3月1日の無人化にともない現在は解体されている。 (標高=2484m)(宇都宮地方気象台提供)

日光新庁舎配置図
図75.20 新庁舎の配置図、緑色は露場と植え込み、赤色は庁舎と宿舎などの 建物を示す。庁舎と露場敷地面積=1,915m、宿舎敷地面積 =1,363m(宇都宮 地方気象台提供)

日光庁舎解体後の配置図
図75.21 庁舎解体後の敷地図、緑色は露場、赤色は観測局舎と物置、赤丸は 新測風塔の位置を示す。敷地面積=3,171m、そのうちフェンス で囲まれた観測所敷地(右下の部分)面積=736m (宇都宮地方気象台提供)

図75.21の上部に示された長方形の面積2,436m (=77m×32m)は庁舎と宿舎があった敷地であり、現在は草地となって いる。

庁舎と宿舎の解体前後の図75.20~21、および新庁舎前の植え込み(図75.19) が現在なくなっていることなどを考慮すると、無人化後の露場の風通りは よくなり、日だまり効果が小さくなり年平均気温は0.09℃ほど下降したと 考えられる(「確認事項その2」)。

1963/64年 (昭和38/39年)に風速計高度に大きな変化がないにもかかわらず、 年平均風速が1964年(昭和39年)にジャンプ状に大きくなったことに関して、 気象官署履歴簿を調べると、
1962年11月16日:測風塔、コンクリートブロック建一部2階建て、照明、弱電 装置新築完成
1963年3月6日:測風塔(旧)の取壊し
1963年3月10日:風向風速計(プロペラ発電式)観測開始

という記事がある。これら測風塔の新築・取壊しによって年平均風速が 2.4m/sから2.9m/sに大きくなったのだろうか( 「確認事項その3」)。ほかに該当する記事はない。

(4)日光の売却敷地、その後(2008年8月追記)
2007年7月25日に日光特別地域気象観測所を訪問したとき、露場の北側の敷地 (2,419m:旧日光測候所庁舎及び宿舎の敷地)が2006年3月17日 付けで財務省宇都宮財務事務所に引き継がれ、売却されることになっており、 今後どうなるかが気になっていた。

2008年8月に宇都宮地方気象台に問合せたところ、敷地には 宗教法人・日光二荒山神社の祠が建てられている。関東財務局の 第47回期間入札売却物件売払い情報一覧表(2007年1月23日開札)、および 神社によると、2007年3月14日に随意契約により神社が購入したという。 この敷地はもともと二荒山神社の所有地だったので、もとの所有者に戻った ことになる。

日光観測所隣地2008年
図75.22 日光特別地域気象観測所露場から北西方向を撮影した写真 (2008年3月下旬撮影)。 (宇都宮地方気象台提供)

神社は祠を建てたが、現状ではこれ以上の建造物を建てる計画はないという。

以上のことがわかり、もっとも望ましい形に落ち着いたことになる。 日光は内陸では数少ない気候変動観測所の一つであるので、今後も 長期にわたり周辺環境に変化がないか、注意している必要がある。

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