本名=安岡章太郎(やすおか・しょうたろう)
大正9年4月18日-平成25年1月26日
享年92歳(トマス)
東京都世田谷区若林4丁目35―1 松陰神社
小説家。高知県生。慶應義塾大学卒。在学中に召集を受けて満州に赴くが病気のため帰国。「三田文学」に『ガラスの靴』などを発表、『悪い仲間』『陰気な愉しみ』で昭和28年芥川賞受賞。第三の新人の一人。『海辺の光景』で野間文芸賞、『幕が下りてから』で毎日出版文化省受賞。ほかに『流離譚』『鏡川』『果てしない道中記』などがある。

岬に抱かれ、ポッカリと童話風の島を浮べたその風景は、すでに見慣れたものだった。が、 いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ村が黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立つていたからだ。…一瞬、すべての風物は動きを止めた。 頭上に照りかがやいていた日は黄色いまだらなシミを、あちこちになすりつけているだけだった。風は落ちて、潮の香りは消え失せ、あらゆるものが、いま海底から浮び上った異様な光景のまえに、一挙に干上って見えた。歯を立てた櫛のような、墓標のような、村の列をながめながら彼は、たしかに一つの”死”が自分の手の中に捉えられたのをみた。
(海辺の光景)
評論家の服部達は同世代の「第三の新人」ついて〈この時代においてわれわれを襲った運命にはじつに微妙な性格があって生年月日におけるほんの僅かな相違、ないしは身長順の番号が偶数であるか、奇数であるかといった偶然の相違が、われわれの任意の二人を生と死に区別してしまう〉と書いたが、安岡は大学在学中に召集、満州に赴くも胸部疾患で入院、その翌日、部隊は全員レイテ島に移動して悲惨な最後を遂げた。昭和20年春に日本に帰ってきた安岡は死が日常の戦地を体験して人の死は運だと悟った。66歳のとき遠藤周作との縁でカトリックの洗礼を受けた。洗礼名はトマス。その後安岡が信者に相応しい歩き方ができたのかどうか知らないが、平成25年1月26日午前2時35分、老衰のため死去した。
父の生家は高知県山北村ある。栗林の奥の四、五十坪もある墓地に眠っている新旧とりまぜて四十基ばかりある同族の人たちの格好も大きさもまちまちの何列か不揃いな列になって並んでいる墓を眺めるといいようのない安堵の念を覚えたと、『伯父の墓地』で感慨に耽っているが、9月の後半になってもまだまだ真夏日が続いている彼岸の入り、幕末の思想家・教育者であった吉田松陰や彼の門人伊藤博文、山縣有朋はじめ松下村塾の生徒を祭神とする松陰神社に昭和50年秋彼岸に安岡章太郎が建てた「安岡家之墓」がある。父の章、母の恒とともに眠る白御影の墓。隣接する公園の境界塀の上に伸びてきた欅の枝葉のあたりからヒーヨヒーヨとヒヨドリの鳴き声が墓地の領域全体に姦しく響き渡っていく。
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