山村暮鳥 やまむら・ぼちょう(1884—1924)


 

本名=土田八九十(つちだ・はくじゅう)
明治17年1月10日—大正13年12月8日 
享年40歳 ❖暮鳥忌 
茨城県水戸市八幡町11–69 祇園寺管理・江林寺(臨済宗)墓地



詩人。群馬県生。聖三一神学校卒。キリスト教日本聖公会の伝道師として東北各地を転任の傍ら、明治43年自由詩社に参加、『航海の前夜』ほかを発表。大正2年第一詩集『三人の処女』、4年詩集『聖三稜玻璃』を刊行。ほかに詩集『雲』、童謡集『ちるちる・みちる』などがある。






  

やまのうへにふるきぬまあり、
ぬまはいのれるひとのすがた、
そのみづのしづかなる
そのみづにうつれるそらの
くもは、かなしや、
みづとりのそよふくかぜにおどろき、
ほと、しづみぬるみづのそこ、
そらのくもこそゆらめける。
あはれ、いりひのかがやきに
みづとりは
かく うきしづみつ、
こころのごときぬまなれば
さみしきはなもにほふなれ。

 

やまのうへにふるきぬまあり
そのみづのまぼろし、
ただ、ひとつなるみづとり
                                 
(沼)



 

 〈おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきさうぢやないか どこまでゆくんだ ずつと磐城平の方までゆくんか…〉。晩年の詩集『雲』に収められた一篇、万感の詩的世界がそこにある。序には、〈だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない〉、とある。
 詩人・人見東明から〈静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥〉というイメージで「山村暮鳥」と命名された雲の詩人・暮鳥は大正8年、肺結核療養と詩作に専念するため伝道師を休職する。しかし、病の進行はいかんともしがたく死の床で詩集の校正を了えたのだが、刊行を心待ちにしていたこの詩集を手に取ることはついぞなかった。詩人は大正13年12月8日午前0時40分、療養先大洗海岸・磯浜の丘の中腹、黒松林を背にした小さな一軒家で逝った。



 

 集落の軒先をかすめながら斜めに吹きつけてくる風。それを背にうけて、肩を寄せ合った墓群れの庭、ざっくりと霜柱を踏みながら碑の前に立った。「山村暮鳥の墓」、冬の日ながらも温かさに包まれ、物憂げな空を仰いでいる。「山村暮鳥」とは、なんと寂しく哀しい名前であることか。
 〈倒れる時がきたらば ほほゑんでたふれろ 人間の強さをみせて倒れろ〉。その生涯を暗示してなお余りあると思わざるを得ない。キリスト教の伝道師として神に捧げた身、宗教と文学の狭間を行きつ戻りつ、愛と苦悩を生涯背負い続けた詩人でもあったのだ。
 〈芸術のない生活はたへられない。生活のない芸術もたへられない。〉、芸術か生活か、一大難問を抱えたまま詩人はここに眠る。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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