笹川臨風 ささがわ・りんぷう(1870—1949)


 

本名=笹川種郎(ささがわ・たねお)
明治3年8月7日—昭和24年4月13日 
享年78歳(覚苑院拈華臨風居士)
東京都豊島区駒込5丁目5–1 染井霊園1種ロ10号7側



 
評論家、俳人。東京都生。東京帝国大学卒。在学中に高山樗牛、姉崎嘲風らと『帝国文学』を編集。『支那小説戯曲小史』をまとめる。また〈筑波会〉をおこし句作にはげんだ。旧制宇都宮中学校(現・県立宇都宮高校)校長、明治大学、東洋大学教授などを務めた。著書はほかに『日本絵画史』『東山時代の美術』などがある。








 一葉女史、樋口夏子さんの家は其頃本鄕の丸山福山町で、私のゐた西片町の下であった。今は暗渠となったが溝川が流れてゐて、處々に板橋が架ってゐた。其の溝川の緣には銘酒屋が數軒ぁったが、多分紅葉とか行燈の出てゐた其の横の路次に一葉女史は住んでゐたと思ふ。時々上田敏君が『お夏ちゃんの家へ行きませんか』と誘ひに來たが、私はいつも斷つた。斷ったのは今へると賢明で、行つてたら日記にどんなことを書かれるか知れやしない。戶川秋骨君の如きは隨分迷惑してるらしかった。私は綠雨からよく一葉女史のことを聞いた。綠雨は女史とは大に懇意であつた。綠雨が下谷の向柳原の型紙屋にゐた姊さんの處に同居してゐる頃に尋ねて行くと、手文庫の中に女史の手紙が澤山入つてゐて、中には隨分長いのもあつた。女史の妹で、後に傳通院前に大きな文房具屋をやつてゐたお邦さんのことに關したものが多かつたのだらうと思ふ。博文館の大橋乙羽君が綠雨にお邦さんと結婚をすすめたが、綠雨は之を辭つたと乙羽から聞いてゐる。
 其のお邦さんから綠雨が聞いた話。一葉女史の病氣が大分惡くなつた時、お邦さんが「國民の友」を出してゐた民友社ヘ一葉女史の「別れ道」の原稿料を請求に行つたところが『こんなに澤山な原稿料を今まで貰つたことはありません』と云つたさうだ。それが大枚金九圓也であつたと云ふ。
 尤も物價の安い時である。紅葉山人の「此ぬし」の稿料は參拾圓であつたとか聞いてゐるが眞僞は知らない。であるから九圓もさほど安くないかも知れないが、博文館などでは閨秀作家には半襟とか簪とかを贈つて稿料に代へたといふ話もあるから、それに比べると九圓はいい方であるが、一 葉女史の稿料としては氣の毒なほど安いと云はなければならない。あの名作「たけくらべ」も「文學界」では大して支拂ひもしまいし、「文藝俱樂部」に全部出した時にはやや纏めて送つたかも知れないが、それとても知れたものであらう。一 葉女史が文筆で生活難を甞めてゐたことは推して知るべしである。

 

(明治還魂紙)



 

 高山樗牛、大町桂月、土井晩翠、泉鏡花、齋藤緑雨、上田敏など交友関係は幅広く、反自然主義グループの文芸革新会に参画したり、歴史小説や日本文化史、美術評論も書いたほか、句作にも大いに励んだ。昭和9年には贋作に推薦文をつけたとして〈浮世絵偽作事件〉に巻き込まれ官憲に拘束されたこともあったが、〈明治の御代に生れ、明治の御代に育てられて、一生の大半を明治の御代に送った〉笹川臨風は大戦末期の昭和19年春に一切の教職を辞した。戦時中は知人の招きで茨城県那珂郡瓜連町(現・那珂市瓜連)に疎開し、昭和21、2年頃まで帰京することはなかったが、昭和23年に脳出血で倒れ、翌24年4月13日、明治40年末頃から疎開期を挟んで四十年過ごした文京区西片の自宅で死去した。



 

 昭和14年9月7日、盟友泉鏡花の臨終に際して里見弴、柳田国男、久保田万太郎らと共に駆けつけ、位牌と墓標に墨を入れた笹川臨風は、同時代に生きた饗庭篁村、二葉亭四迷、岡倉天心、水原秋桜子、高村光太郎、山田美妙、宮武外骨らが眠っている染井霊園に鎮まっている。明治になって播州林田藩建部邸跡地に神葬墓地として開設され、昭和10年に染井霊園に改称されたこの霊園の北東の端、田沼意次の墓所がある勝林寺との境に近い区域に葬られた。椿の樹陰野下、明治32年8月に旧幕臣であった父笹川義潔によって建立された自然石の細長い板碑「笹川氏之墓」がごろんと置かれた石の上にすくっと建っている。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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