遠藤周作 えんどう・しゅうさく(1923—1996)


 

本名=遠藤周作(えんどう・しゅうさく)
大正12年3月27日—平成8年9月29日 
没年73歳(パウロ)
東京都府中市天神町4丁目13–1 府中カトリック墓地46号(2015年11月から聖イグナチオ教会に改葬)
東京都千代田区麹町6丁目5-1 聖イグナチオ教会地下納骨堂・クリプタL560



 
小説家。東京都生。慶應義塾大学卒。昭和25年フランスに留学。『白い人』で30年度芥川賞受賞。吉行淳之介、安岡章太郎などとともに「第三の新人」と呼ばれた。キリスト教を主題にした作品を多く執筆。ユーモア小説も書いた。『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』などがある。




 かつてあった府中カトリック墓地の墓

 聖イグナチオ教会地下納骨堂
 


 

 「生れ変り?わたくしにはわかりません」と美津子はその時一語一語を区切って心のなかでゆっくりと自分自身に言った。         
 「死ねばすべては消える、と思ったほうが楽だわ。色々な過去を背負って、次の世に生きるよりも」 
 磯辺の妻の顔がゆがんだのも記憶にある。
 「もう一杯、頂けるでしょうか」
 磯辺は胸にこみあげた感情をふり切るように紙コップをさし出した。美津子はコニャックの瓶をわたした。
 「それで・…・磯辺さんはこの名前の村に探しにいらっしゃるんですか」
 「ええ」
 「転生を信じていらっしゃいますの、ヒンズー教徒のように」
 「わかりません。妻が死ぬまでは、そんな死後のことなど、まったく無関心でした。死のことさえ考えた事もありません。でも、あいつが息を引きとる前目、言ったひと言が……心の糸に引っかかって、落ちないんです。生きかたをきめました。馬鹿ですな、私も。人生にはわからぬことがあるんです」
 磯辺が立ちあがったあとも、ブランコは軋んだ音をたてて独りゆれた。ちょうど彼の妻が死んでもその言葉が夫の心をふり動かしているように。我々の一生では何かが終っても、すべてが消えるのではなかった。

(深い河)

 


 

 〈日本人でありながらキリスト教徒である矛盾〉に対峙しながら、キリスト教を遠藤文学の欠くことのできない主題として生涯描きつづけてきた。その間、結核、肝臓、糖尿など多くの病歴に悩まされ、折々に少なからず死線をさまよったこともあった。〈死ぬ時は死ぬがよし〉——良寛のあまりにも潔い言葉に救われていたともいう。
 平成8年4月、腎臓病治療のため慶応義塾大学病院に入院。9月28日に昼食を喉に詰まらせて呼吸停止にまで陥った。すぐに手当を受けて回復するも、翌29日午後6時36分、併発した肺炎による呼吸不全によって死去した。4000人からの参列者があった告別式の柩には『沈黙』と『深い河』の二冊が、愛用の眼鏡や万年筆と共に納められた。



 

 東京府中のカトリック墓地、キリストを抱く悲しみのマリア像を廻り込んだ横の細道中程に、溢れるほどの花束を抱えて「遠藤家」の墓は朝の陽の中にあった。墓誌には母郁子、兄正介と並んで「パウロ 遠藤周作」と没年月日が刻まれている。死の直前に周作の顔が輝き、順子夫人は回想録に、握る手を通して〈俺は光のなかに入って母や兄と会っているから安心してくれ〉というメッセージを受け取ったと書き記した。大好きな母と兄の間に埋葬され、愛の光に包まれた周作を想って、私はゆっくりと膝を折った。
 〈ひとつだって無駄なものはないんです。……ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ……ひとつだって無駄なものはないんです〉。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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