The Life of Franz Liszt
1848(37才)−1857(46才) ワイマール時代〜大作曲家、大指揮者の時代
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1848年、リストはかつてより交流があったワイマールの宮廷楽団の常任楽長に就任し、ワイマールに定住することを決意します。ワイマール大公はワイマールを文化の中心都市として繁栄させたかったため、リストの定住は歓迎されました。リストはかつてゲーテ、シラーが担ったワイマール文化の中心人物としての役割を引き受けることになります。こうしてリストの大作曲家、大指揮者としての時代の幕開けとなります。

この時代のリストはとにかく充実していました。溢れあがる創造の意欲とインスピレーションは、リストの代表作となる傑作群を産み出します。それらは新ドイツ楽派の先鋭作品として、リスト自身の手で演奏されていきました。また、この頃、急速に交流が深まったワーグナーの作品上演を実現したことは、大指揮者としてのリストの輝かしい功績です。

リストとヴィトゲンシュタイン侯爵夫人は結婚することを望みました。しかし侯爵夫人とヴィトゲンシュタイン侯との離婚手続きが思うように運ばなかったこと、また2人がカトリックであったことなどが影響し、その希望の実現は先送りとなりました。

ワイマールに定住したリストの下へは世界中から才能ある音楽家達が教えを請いに集まってきました。その中にリストの一番弟子となり、19世紀音楽界の大指揮者となるハンス・フォン・ビューローもいました。ビューローはその後リストの娘コージマと結婚します。
この頃の主要作品
1848年 S97 交響詩“前奏曲”
1849/50年 S176 演奏会用大独奏曲
1849/53
56年
S124 ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調
1851年 S141 パガニーニ大練習曲集
1851〜53年 S244 ハンガリー狂詩曲集 第1番〜第15番
1852〜53年 S178 ピアノソナタ ロ短調
1852年 S139 超絶技巧練習曲集
1853年 S98 交響詩“オルフェウス”
1854/57年 S108 ファウスト交響曲
1855/56年 S109 ダンテ交響曲
1855年 S260 バッハの名による前奏曲とフーガ
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