オルガン・ハーモニウムのための作品  S259−S268       
Organ,Harmonium
S658−S668  S669−S676  S378/1,S504,S−  S List
コラール“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”による幻想曲とフーガ
バッハの名による前奏曲とフーガ
ピウス9世 教皇賛歌
アンダンテ・レリジオーソ
連祷“われらのために祈りたまえ”
諦め
読唱ミサの挙式の助けとして付随するオルガンのためのミサ曲
祈り
オルガンのためのレクイエム
リヒャルト・ワーグナーの墓に
S259
S260
S261
S261 a
S262
S263
S264
S265
S266
S267
 二つの演奏会小品
1.入祭唱
2.追悼歌(”死者たち”)
S268
S268/1
S268/2
コラール“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”による幻想曲とフーガ    S259  1850年 
リストのオルガン曲の中では比較的知られている作品です。音の世界が、続く“バッハの名による前奏曲とフーガ”に似ています。リストのオルガン曲といえば、まず筆頭にくる作品がこの二つです。ロマン主義の大規模オルガン曲らしいスケールを持つ作品です。1855年9月25日※1にアレクサンダー・ヴィンターベルガーによって、メルセブルグの大聖堂で初演されました。

この作品はマイアベーアのオペラ“予言者”から第1幕の“3人の再洗礼派のコラール”を使用しており、そのため“予言者のフーガ”とも呼ばれます。マイアベーアの“予言者は”1849年にパリで初演されました。リストの弟子のポリーヌ・ヴィアルド=ガルシアが出演していたこともあり、リストはその初演を鑑賞し、大変な感銘を受けました。

リストはマイアベーアの“予言者”を元にして、S414“予言者”のイラストレーション、という3曲を作っています。リストは“アド・ノス〜”を、先行する3曲に続けて“イラストレーション第4番”とみなしていたとのこと。書簡においてリストのそういった言及がみられるそうです。“アド・ノス〜”はオルガンまたはピアノ4手用として出版され、ピアノ独奏曲としては出版されませんでしたが、その後、フルッチョ・ブゾーニがピアノ独奏曲に編曲しています。


※1 資料によって日にちが違うのですが、ここはドレーク・ワトソンの”リスト”によります。

Fantasie und Fuge uber den Choral Ad nos,ad salutarem undam
(31:22 ARTENOVA 74321 59199 2)
バッハの名による前奏曲とフーガ                        S260    1855年
弟子のアレクサンダー・ヴィンターベルガー(1834−1914)に献呈されました。1855年にメルセブルグ寺院の新しいオルガン購入に際して、リストはこの作品を作曲します。そして同年の9月25日にリストとヴィンターベルガーはメルセブルグで行なわれた演奏会に出席します。書籍によって記述が異なるのですが、ドレーク・ワトソンによると、この時にヴィンターベルガーによって演奏されたのは“予言者のフーガ”であって、“バッハの名による前奏曲とフーガ”は、翌1856年の10月3日に同じメルセブルクで初演されたとのこと。

“バッハの名による”というのは、その通り“BACH”のスペルを“B(=シ♭)−A(=ラ)−C(=ド)−H(シ)”にあてて、主題として用います。ドイツでの通常の音階の呼び方では“B”は“H”で“B♭”は“B”となります。この主題は、他ならぬバッハ自身が“フーガの技法”の中で使用したもので、その後シューマンも“バッハの名による6つのフーガ”を作っています。単語のスペルを、そのまま音型とし、主題に意味を持たせる事はよく行なわれる事で、シューマンは他にも友人の恋人の名前を主題とした“アベッグ変奏曲”を作っており、ブラームスは“F.A.Eのソナタ”を作っています。シューマンやブラームスには、日常的な親しみやすさを感じますが、リストの場合、神秘主義、秘密主義めいたところを感じ、曲の幻想性に通じていると思います。

1870年にピアノ独奏曲版へ編曲されたとき、タイトルは“バッハの名による幻想曲とフーガ”となります。“幻想曲”という言葉の方がぴったりくるような、壮大で恐ろしさを感じさせるような大曲です。ピアノ独奏曲版に比べて、オルガン版は長音の響きがいかされ、宗教心はあまり感じないのですが、一つの儀式的な壮大さを感じます。

Prelude and Fugue on the name BACH
(13:20 ARTENOVA 74321 59199 2)
ピウス9世 教皇賛歌                               S261    1863年頃
明朗な響きと、明確な旋律線を持ち、リストにしては珍しい、とてもオーソドックスな響きのオルガン曲です。もしかしたら下に記すピウス9世の性格・主義に合わせているのかもしれません。この曲はその後、1862年から1866年の間に合唱曲に編曲されて、オラトリオ“キリスト”の教会建立の場面、第8曲“汝はペテロなり”(S3)に編曲されました。また“汝はペテロなり”は、そのままオルガン曲(S664)に編曲されています。この主題の明晰な美しさは、グレゴリオ聖歌を多用したオラトリオ“キリスト”の中で、適切な効果をあげることになります。

≪ピウス9世≫
ピウス9世(世界史等ではこちらの表記が標準のようです)は、リストがローマに定住していた頃のローマ教皇です。1846年に即位し1878年に没するまで在位したました。ピウス9世に対してヴィトゲンシュタイン侯爵夫人はリストとの結婚についての許可を何度も申し入れています。長い努力の結果、ついに許可を得た、ということになったのですが、最後の最後で、2人の結婚は認められませんでした。最後に許可を覆されたことでヴィトゲンシュタイン侯爵夫人もリストとの合法的な結婚をあきらめてしまいます。
ピウス9世は西洋の近代化という激動の時代にあって、保守的な教皇として君臨しました。1864年には文化・教育等の自由主義的風潮を“誤謬”とする“謬説表”なる回勅を発布し、議論を巻き起こした教皇です。

Pio IX − Der Papsthymnus
(4:54 ARTENOVA 74321 59199 2)
アンダンテ・レリジオーソ                           S261 a    ?年
これは、交響詩“山上で聞きしこと”(S95)の自然と人間の格闘の後に登場する、神の主題を使ったオルガン曲です。和声進行による美しさが中心となる小品で、交響詩“山上で聞きしこと”の中でも美しく印象的な主題です。“おお聖なる晩餐”や“オルフェウス”を思い出させます。

Andante religioso
(5:07 ARTENOVA 74321 59199 2)
連祷”われらのために祈りたまえ”                       S262   1864年
カタリーナ・ホーエンツォレルン公爵夫人によって与えられた主題によります。カタリーナはこの主題をイェルサレムで聴いたとの事。曲はグスタフ・ホーエンローエ枢機卿に献呈されました。親しみやすい旋律を調を変えながら繰り返していきます。不思議なのですが旋律の一部が僕には“ファウスト交響曲”の“グレートヒェン”を思い出させます。リストには、シューベルト歌曲を編曲した“Litaney”という同じタイトルを持つピアノ曲(S562)がありますが、それとは全く別の曲です。カタリーナ・ホーエンツォレルン公爵夫人はちょっとわかりません。

“Ora Pro Nobis”Litanie
(8:31 ARTENOVA 74321 59199 2)
諦め                              S263             1877年
1877年10月19日にエステ荘で作曲されました。この曲は“サルヴェ・レジーナ”の空白ページに書かれた断片です。レスリー・ハワードがピアノ独奏曲として、全集のかなり早い巻(11巻)に録音してくれたため、僕にとっては非常に馴染みの深い旋律です。とても美しい和声進行を持つ小品で、コードのトップノートが旋律をうみだし、そして曲の途中で“はっ”とさせるような感じで終ってしまいます。その途中で終ってしまう感じが、タイトルの通り“諦め”という感じを漂わせます。この曲にはピアノ独奏版として第2バージョンがあります。第2バージョンでは曲として完結されています。

Resignazione
(1:45 ARTENOVA 74321 59199 2)
オルガン・ミサ(読唱ミサの挙式の助けとして付随する)          S264   1879年
“4声に同度のオルガンを伴うミサ曲”と“アヴェ・マリア I”の第2版、“アヴェ・マリア II”から編曲されました。この曲はミサ中に神父が祈りをする静かな場面において演奏されることを目的としています。全8曲は慎ましやかな響きのオルガン小品です。ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人に献呈されました。

オルガン・ミサは次の8曲からなります。
1.キリエ
2.グロリア
3.グラデュアーレ
4.クレド
5.オッフェルトリウム
6.サンクトゥス
7.ベネディクトゥス
8.アニュス・デイ

“グラデュアーレ”は、別のオルガン曲“祈り”の原型になり、“オッフェルトリウム”が“アヴェ・マリア II”からの編曲となります。“サンクトゥス”は輝かしい響きを持っており、リストらしい和声がいかされています。“アヴェ・マリア I”の第2版を聴いたことがないのですが、第1版を元に考えると、使われている箇所がわかりませんでした。

Missa pro organo(Lectarum celebrationi missarum adjumento inserviens)
(17:00 ARTENOVA 74321 59199 2)
祈り                              S265           1879年
“オルガン・ミサ”の第3曲“グラデュアーレ”を元に作られています。“オルガン・ミサ”よりも響きが静かになっています。この曲は“アヴェ・マリア”というタイトルで出版されたこともあるそうです。

Gebet
(2:06 ARTENOVA 74321 59199 2)
オルガンのためのレクイエム              S266             1883年
原曲の合唱曲のレクイエムは1868年に作曲されました。リストは母親と自分の子どもの死を考えて作曲したとのこと。そして1883年にワーグナーの死に起因して、リストはこのレクイエムをオルガン独奏曲に編曲します。合唱曲版とは曲目が異なり、まずオッフェルトリウムとリベラ・メがなくなり、全体がかなり短くなっています。レクイエムの正式な形式がよくわからないのですが、合唱曲版より曲目は増えています。最後の“ポストルディウム”は演奏するかどうかは、奏者の任意とのこと。

1.レクイエム(レクイエム・エターナム)
2.怒りの日(ディエス・イレ)
3.レコルダーレ・ピエ・イエス
4.サンクトゥス
5.ベネディクトゥス
6.神の小羊(アニュス・デイ)
7.ポストルディウム

合唱曲版ではディエス・イレなどで、まだドラマティックなロマン主義らしさがありました。オルガン独奏となることで、レクイエムはさらに深く沈思する作品となりました。まるでワーグナーの死がさらにリストを深く沈みこませたかのようです。

Requiem for Organ
(15:04 ARTENOVA 74321 59199 2)
リヒャルト・ワーグナーの墓に              S267              1883年
室内楽版、ピアノ独奏版はよく聴かれていますが、こちらはもうひとつオルガン版です。どのアレンジで聴いても作品の持つ、すばらしい神秘性は堪能できます。とりわけオルガンは長音が活かせる楽器なので、オリジナルの室内楽版に次いで作品には向いていると思います。最晩年のリストを代表する傑作です。

Am Grabe Richard Wagner’s
(3:39 ARTENOVA 74321 59199 2)
 二つの演奏会小品                     S268
1.入祭唱                            S268/1            1884年
リストらしい和声進行で開始され、途中で登場する明瞭な旋律が曲の表情を明るくします。徐々に盛上がっていく曲で、“巡礼の年 第2年 イタリア”の“婚礼”(S161/1)を思わせます。

Zwei Vortragsstucke 1“Introitus”
(3:11 ARTENOVA 74321 59199 2)
2.追悼歌(”死者たち”)                   S268/2            1860年
元は1860年に作られた管弦楽曲“3つの葬送頌歌”の第1曲目です。オルガン独奏曲版はリストが亡くなって4年後の1890年に“入祭唱”といっしょに出版されたようです。サールの作品表では、オルガン版への編曲は“入祭唱”は1884年、“追悼歌”は1860年となっています。

1860年の管弦楽曲版は、前年に亡くなった息子ダニエラの死を悼んで作曲されました。ラムネ神父の死者を追悼する詩を元に作られています。そのため管弦楽曲版の方では、男声合唱が随意で入れられるように指示されています。この曲の場合、ピアノ独奏曲版よりも、音を長く出せるオルガン版の方がしっくりすると思います。

Zwei Vortragsstucke 2“Trauerode(Les Morts)”
(9:17 ARTENOVA 74321 59199 2)


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