第13章(練習の意味)にて、練習とはどんな場合でもスムースに実行できるまで体で覚え込むことであると述べた。例えば、中継プレーやカバー。状況の如何を問わず内野手は最適の中継位置にすばやく入り、外野手はそこまで低い弾道の送球をする。それができるようになるまで練習を積み重ねて体で覚え込まねばならない。一旦体で覚えたものは、何年か時を経ても忘れない。もはや機敏には動けないかもしれないが、それでも体は反応する。
一方、練習していないとすぐに衰えてしまうのが、いわゆる「勘」とかタイミングである。バッティングの際に球をとらえるタイミングとか、ゴロに対する捕球のタイミング、ショートバウンドに対するグラブの出し方、飛球に対する落下地点の見極めなどは一種の勘に属するものである。伸びる打球かドライブがかかる打球かの判断はヤマ勘以外の何物でもない。外野手は打球が上に上がってから走りだしたのでは遅いのだ。打った瞬間に打球の上がる角度や速度で落下地点を予測し、一目散に走っていかねばならない。また、軟式ではバウンドが高いので突っ込みすぎるとバウンドした球が頭を越える場合もある。 内野手の捕球は一種のリズム感と似ている。バウンドに体の動きを合わせ、最適のタイミングで捕球するのは勘である。体のすぐ横に飛んできた鋭い打球に対し、足を動かす間もない場合、グラブだけ出して捕球せざるをえないこともある。練習では「コラーッ、足を動かせ!」と怒られるが、試合では捕球すればナイスプレーなのだ。こうした打球に対してどうグラブを出すかもヤマ勘以外の何物でもない。 こうした勘は練習していないとすぐに衰えてしまう。一週間や二週間程度練習していなくてもそれほどは目立たない。しかし、怪我や病気は勿論、家庭や個人的な事情、仕事の関係などで一ヵ月も二ヵ月も練習できない場合がある。久しぶりに練習に参加すると、肩も軽いし、腰の痛みもない。ヨッシャといい気分で始めたらどうも球がしっくり手につかないといった経験をした方も多いであろう。これが練習ならよい。いきなり試合に臨んで今まで打てていた球が打てない、捕れる球が捕れないといった経験をする。思わぬ失策をやってしまったり、バウンドを合わせ損ねることになる。 勘を養うには不断の練習を続ける以外に手はない。一週間に一回程度の練習や試合では勘は養えない。自分が身につけている勘を維持するのが関の山である。久しぶりに試合に参加して打てなかった人、失策をした人、球がしっくりこなかった人は練習不足が原因だと心得てほしい。上手な人は体で覚え込んでいる部分が多いし、それまでに養ってきた勘のレベルも高い。体で覚えたものはたやすくは忘れない。しかし、どんなに上手な人でも勘は衰える。プロ野球の選手でも引退すればちょっと上手なだけの人に戻る。 寒かったり、暑かったりすれば誰でも練習したくなくなる。しかし、最低限キャッチボールとトスバッティング程度は続けていないと勘が鈍る。 これ、ゆめゆめ忘れることなかれ。 (平成11年2月20日掲載) |
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