「草野球の窓」

第39章
「執着心」

 金持ちはお金に対して執着するし、技術者は技術に、商人は商品に執着する。野球をやる者は球および点に対して執着しなければならない。

 グラブの先をかすめる打球に対して、「抜ける」と思うとやはり抜けてしまうし、「取れる」と思えば自然に体が反応する。自然に体が反応することが球に対する執着心である。昔、長島が立教野球部時代、「月下の千本ノック」というのが話題になった。球が見えなくてもノックを受けることは、現代の常識からすれば余りにも非科学的である。しかし、この千本ノックは捕球の練習というより、体がフラフラになり、何も考えることが出来なくなっても、なお球を追い続けることによって球に対する執着心を養うという練習であった。

 投手が勝負球に投げる一球には、「これで打ち取る」という執着がある。球が指先を離れる瞬間まで投手の執着がある。だから、「生きた球」になる。投手が少々疲れていても、執着のある球がくれば、打者は打ちづらい。しかし、疲れがある限界を越えれば、体が、指先が反応しなくなる。こうなれば、投手は交代した方がよい。

 打者はただ漫然とバットを振っても、なかなかいい当たりは打てない。投手は、打者が考えている投球とは異なる球を投げようとするし、打者のタイミングをはずす工夫をするためだ。しかし、執着心を持って打席に立ちバットを振れば、例え遅れたとしても脇を締めて右方向に打つことができるし、変化球にタイミングをはずされてバットの先端で打とうとも、内野と外野の間に落とすことが出来る。決してクリーンヒットにはならないが、なんとかヒットにする。いわゆる好打者とはこうした執着心を持った打者をいう。

 球に対すると同様に、点に対しても執着心を持つと持たないとでは試合展開は大きく異なる。点に対する執着があれば、走者を置いて打席に立った時、例えヒットが打てなくても走者を進塁させる打撃をする。すなわち、ゴロを打つよう心掛けるし、それも出来そうになければサインが出ていなくてもバントして走者を進塁させたり、あわよくば敵失を誘うバッティングが可能だ。
 守っていても同じだ。点に対する執着心があれば、しつこく牽制して盗塁をさせないとか、バックホームで刺殺することができる。執着心を持ってバックホームする球と半分諦めながらバックホームする球は違うのだ。

 「一球入魂」という。いかにも精神主義的な言葉ではあるが、球に対して執着心を持とうという意味だ。
 執着心があれば、プレーに力が加わるのだ。

これ、ゆめゆめ忘れることなかれ。



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