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仕事日記
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ボリビア記
 
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風の街 ボリビア楽旅記
第四章 脱出
目覚め

さわさわと雨の音でうつつの世界に三分の一程引き戻される。ここはどこで昨日はどうやって眠りについたかを思い出すまで目を開けないのはいつもの習慣。虫の音と鳥の啼き声も聴こえる。とすると雨ではないのか。そうだ、眠りに就く時もせせらぎや生き物の声に耳を澄ませて、TVじゃなくて実際にこの環境でベッドに入る事もあるんだなと考えていた。この世じゃないみたいだと思いながら。あるいはこれこそこの世だと考えながら。
一番小さい飛行機

トリニダード(アマゾン上中流)に連れてもらう筈だったが飛行機が飛ばなくなったので急遽行先を変更。アマゾン川の始まる所ルレナバケのリゾートホテルに来ている。地元ではRの発音がナマって「ズエノバケ」に聞こえる。
風や天候で飛行中止はしょっ中あるらしい。実の所は客の集り具合の方が要因としては多いらしい。この度は我々だけで一ダース程も居るのでなんとか飛ばしたかったらしく、五時集合の六時から待機しているのに、一時間毎にあと一時間で決定すると言われ続けて十二時になる。
振り変えチケットをもらってもしょうがないし、キャッシュバックは会社がしぶるし、瀬木の絶え間ない交渉(彼は全く大したものだ。こちらへ来て二週間ずっと何かのネゴシエイションをしている)の結果、行先変更とはなった。
十二人乗りのプロペラ機でイリマニ山を越える。五八〇〇米。左にチチカカ湖を望みながらのさながら遊覧飛行を楽しんではいるのだが、観覧車にもおじけづく身としては手の平の冷たい汗ぐらいはしょうがない。
謎のヤンキー男

高度が下がって見渡すジャングルはベトナム映画を思い起こさせる。初めてのものをそのまま何故受け入れられないのだろう。必ず知ってる何かとの関連から物を見てしまう。感受性の乏しいことだ。感受性の乏しいことには感受性が働くのだから厄介なことだ。無駄なことだ。

湿気と砂埃など何でもない。空気が濃いのがここでも有難い。飛行場からバスで十分。ボートで十分アマゾン川を上ってコテージに着く。八十九段登ってエントランス。
低地とはいえ息は上る。
荷物をサロンに置いたまま日暮れまでに川上りをしようと経営者に誘われるまま、またおりる。今度は歩数を数えた。百九十二歩。
ドロップアウトしたヤンキーに見えるオーナーはそれでもボリビア人。生粋のラパスっ子だと言う。

嘘かもしれない。
アマゾン川上り

今夕は上りコース。夕暮れの風がなんとも気持ち良い。瀬木の言っていた通り、川に浮かんでいる分には虫も寄って来ない。ひたすらゆるやかに舟べりに当る波の音を聞く。山猫が森をよぎったらしいが見損ねる。一体動物達は姿を現さないものだそうだ。それでもカピバラの番(つがい)は皆で見れた。

雄大な景色の中、両岸にポツリポツリと釣りや洗濯をしている人々が見える。茶色いあぶくがそこら中に浮いているのは最近使うようになった洗剤の合成界面活性剤の影響だという。少々のがっかり気分とプチエコロジスト気分を味わう。でも、こちらの人にしてみたら今までに比べて魔法のように汚れが落ちればあれこれ考えずに使うのだろうな。
返り道即ち川下りは夕暮。白い小振りな鳥が群れを組んで上流へ飛んで行く。帰巣。チームの個体数はまちまちで六羽だったり二十程だったり。一度など百はゆうに超えたのもあった。
アマゾンフィッシング

川を下る。アマゾン川。瀬木がいつか下ったというトリニダードより可成り上流。彼の一ヶ月五千キロに及ぶべくもない四時間コース。とはいえ気分はすっかりアマゾンである。
十分程下った所の集落で釣り道具を仕入れる。竿はなく、テグスと牛肉。
そよそよと風は吹いているのか、舟の動きの相対であるか。いずれにせよ爽快である。いやなことは全部忘れる、と瀬木がいつも言っていた。いやな事もいい事も兎に角考え事等カケラも浮んで来ない。風を感じ音が聴こえ、ゆるやかに流れる岸の線を追うばかり。三十分過ぎたのか一時間経ったのかも解らぬ。
雨季に倒れたのだろう。川面から出ている枝が流れに責められて細かく動いている。
時に、対の枝が急わしなく上下しているのも何かユーモラス。だが、そういう早い動きも逆に悠長さを醸し出す役割をしている。スティービーのバラードのハイハットのように。

とある中洲に上がり込んで釣りを始めた。牛肉の切れ端をつけた結構太い針を重りにしてくるくる回してポーンと放り出す。四〜五人トライしたが誰も釣れない。決してサバイバル出来そうにない我々を尻目に永原が上半身裸になって乾いた流木を片手にはしゃぎまわっている。低地に来て高山病が去ったとか、そういう事柄ではないみたいだ。彼の場合。
大きい犬くらいの足跡がある。ワニの休息地だという事だが、それなら尾の痕跡もある筈だ、などと素人探検が楽しい。
帰り途、又はトラブルの前兆

どこといって目的地点のない川下り。いい時間になったから戻ろうという事でUターン。上りに転じた。上りは勿論下りに比べてパワーが要る。といっても勢いがなさ過ぎやしないかと言っている中にフラフラと右岸、左岸に行き当たっては引き戻す。どうやらエンジン内部に浸水したらしい。
十二時に宿に戻ってランチ。十三時に出発して十三時半の搭乗。その段取りがあやしくなった。十二時半でも半分位しか戻っていない。ここで飛行機に乗れないと今日中にラパスに戻れず、明朝一番に乗れず、マイアミに着けず日本に帰れない。ドミノ倒しである。瀬木任せとはいえ、皆の頭に不安が濃くなりだした頃に宿のオーナーが我々と同じ五米程のボートで迎えに来た。
人数を半々にして上るとそこそこスピードは出て、ちょっと安心。我々と入れ替りの米人客等も乗せつつ宿に一時過ぎに戻った。
即出発だ、と慌てている所へ件のオーナーが「電話してフライトは二時半にしておいたからゆっくりランチを食べていって下さい」。
いくら我々で満席とはいえ、一ホテルのオーナーが飛行機のフライトを自由にできるとは思えない。コースの最後の昼食まできっちり出して料金を取り損ねまいとするんだろう等と穿った考えはともかく、デザートを待たずに出発した。
ボートで道路のある所まで十分。車に乗って飛行場まで十分。滑走路に飛行機の影はない。一安心。
ルレナバケ空港にて

「ラパスを出発しているのだろうね、飛行機は」との瀬木の問いに、従業員は「ハァ…まァ…シー(イエス)」と心もとない。
実は飛んでいなかったのだが、不思議なのは何故誤摩化そうとしたり嘘を付くかという事だ。
「ラパスは強風で全ての便が待機している」とはそれから一時間後の談話だが、これも虚実混っていて、ジェットは飛ぶがプロペラは見合せているという所が実状らしい。ラパスの友人に直接電話して取得した情報。
勿論宿の主人の話は全くの嘘だったし、空港は十八時半に閉鎖する、そのことだけは動かせない本当の事だってえから不自由じゃねェか。とだんだんべらんめぇになって来る。
付近でネイチャーワールドのツアー写真を撮るのは、随行カメラマンがすっかり板についた丸山則子。下からのアングルで蹲居(そんきょ)したままウサギ跳びしながらパチパチ撮る。一行で一番丈夫な人だ。何でも小さい時からクラシックバレエとスキーで散々鍛えたそうだ。

両立しないと思うけど。

牛が放牧されている。これが本当の放牧で、放ったらかし。土の滑走路にも入って行ったのには驚いた。さすがにその時は係員が犬を使って追い出した。その一米位の黒毛の雑種犬は我々が到着してからずっと寝そべっていた。犬までラテンだなァと妙に感心していたのだが、仲々大したものだ。この時ばかりは敏凄に走り回って牛二頭を上手に追い立てて滑走路からあっという間に外へ追いやった。牧羊犬というのもこのようにするのだろか。見事な手腕だった。
などなどしているうちに我々の待っているのとは違う会社の飛行機が到着して十人程降りて来た。一時間後にコチャバンバへ飛ぶという。
コチャバンバへ出ればそこからラパス行きは二便程あるはずだというので、欠航(の可能性)のフォローをしてくれと掛け合うが、会社が違うので如何ともし難い。この「如何とも」というのは不可能なのではなく「金次第」なんですね。新たに十何人分かの切符を正規に購入すれば、ルレナバケ〜コチャバンバ〜ラパスと行ける。十八時にコチャバンバに着けば二十一時発につなげることが出来るというので、意を決した瀬木は千ドル近く払って安全を買った。結果的にはラパスからの本来の機は飛ばなかったので、この勇断がなかったら我々はアマゾンで路頭に迷っていたことだった。
段々大きくなる飛行機

二十二人乗りのプロペラ機を急遽満席にして西南のラパスならず、真南のコチャバンバに向かう。事件の後だし、次のつなぎの不安もありながらも、低空の山越えはやはり楽しい。
十二人乗りでアマゾンへ来、二十二人乗りでコチャバンバへ。次は百人乗りのジェットでラパス行きである。
ところが、コチャバンバに着いてゆっくりタラップを降りていると、先に歩いている瀬木が急げと手招き。二十一時の飛行機なんてものはなくて、十八時発だそうだ。チケットを売りたい一心で余裕のある乗り換えのような話をルレナバケの従業員がしたらしい。まったくもう。この分だと瀬木の払った金額もそのまま会社に入っているかどうかも怪しいものだ。
でも飛行機のような精密機械が空を飛んでるんだから全てがまったくのデタラメでもないはずである。解釈出来ない事が科学の神秘ならぬ、高々人間の社会の営みの中にいっぱいある。これは人生の喜びや発見のひとつだろうか。いやいや、とてもそんな風には思えない。
再び二八〇〇米へ一気に降ろされた(上げられた)きつい体と浅い呼吸で必死にゲートを抜けてシートに着く。
まだ続くトラブル

日付が変わろうとする頃に今は懐しい(それ程でもないのだが)グロリアホテルへ着いた。大きい荷物は預けっぱなしにしているので、新たな部屋は?とロビーで指示を待つ。

そうしたらなんと!

なんと!!

今日来た団体に部屋を充てがったらあなたたちの分が無くなった。ついては預かっている荷を持ってどこかへ行ってくれ。と言われた。

どうするんだろうと思う間もなく同程度のホテルが手配され再びタクシーへ。
市内の別の繁華街にあるホテルにチェックインして部屋に入る。暖房がゆるいし、お湯も出ないけど、もうへとへとだし、六時間弱眠るだけだからと、服を脱ぐ。廊下に何人かの話し声。何組かの部屋が前の人の使ったままだった。
すぐ掃除すると言われても気持ちのいいものではない。岡野、丸山の両夫婦だけでも、とまた新たな(今度は最高級)ホテルへ。
幸運なのか不運なのか。
まだまだ続くトラブル

朝六時の待ち合わせにロビーに降りるとザワザワしている。荷物が一つ、今度は多いのだそうだ。「MIYUKI」と書かれた空のトランクがポツリと残っていて、誰のだろうと皆で思案顔。昨日追い出されたほうのホテルの、僕達じゃない日本人客の物がドタバタ移動に混じったのだろうとは察しをつけたが、それにしても空っぽというのも腑に落ちぬ。後処理を現地スタッフに頼んで出発。

出国の荷物検査で爪切りがダメと言われ、預けましょうと素直に言うと、没収だという。それは困るからと、瀬木にかけ合ってもらったら一人の係官がOK、改めてゲートに行くと、やっぱり没収だと言われた。その係官が自分のものにしたかったんだろう。僕も負けじと奪い返してつかつかとまた見送りゲートに戻り、現地スタッフのジャケリーンに預けていると…。血相を変えた背広姿の役人がマシンガンを吊った兵隊二人と僕に詰め寄って来た。

「ここはボリビアだ。ボリビアの規則に従わないと逮捕するぞ」と脅していたらしい。

恐ろしい。

何とかなだめて飛行機に。飛行機の扉の寸前で僕だけ残された。

こわい。

入念なボディチェック。渡辺健が昔やられたという、素裸四ッン這いも頭を横切る。それどころか、調べるフリをして何かを僕のポケットから発見したような工作ぐらいは出来るだろう。映画ではお馴染みの手法だ。冷や汗が出て来た。皆さんさようなら、日本の人達には元気でこちらで暮らすと言っておいてください、などと心のなかでつぶやく。
さっきの背広が冷たい目と口元だけ微笑んで様子を見ている。
瀬木ももう入ってしまっている。大声を出しても無駄だろう。

「行ってよろしい」

よかった〜。どこかに爪切りを再び隠し持ったとでも思ったか。いややはりあれは一種の報復と恫喝だろう。この程度で済んでよかった。
日本へ

マイアミでトランジット。一泊したのでスタジアムへ。ポップコーン片手に野球を見学。七回裏には“Take Me To The Baseball”を歌った。地元のチームが勝った。平和な一日。
ホリデイインの部屋がデラックススイートに思える。
ゆっくり風呂につかり、バドワイザー片手に新聞を読んだりTVを観たり、あまり眠れなかったけどそんな事より暮しを取り戻した実感の時間が嬉しい。
ニューヨーク経由でハリーポッターを四回観ながら帰って来た。
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