生産資本循環の一般的定式は、つぎのように示される。
P…W'―G―W…P
第1章のさいごに確認された、産業資本循環の反復のなかで浮き上がってくる循環定式。G―Wが前提とし、それによって措定されているところの生産過程の更新。貨幣資本の循環定式では剰余価値の生産が示されたが、この生産資本の循環定式では、その周期的な再生産が示される。
言い換えれば価値増殖に関連する再生産過程としての生産資本の生産過程……。すなわち、単に剰余価値の生産ではなく、その周期的な再生産であり、生産的形態にある産業資本の……周期的に反復される機能……。[69]
マルクスはさきに、産業資本というカテゴリーについて、つぎのように定義していた。
上記の資本が資本主義的に経営されるどの生産部門をも包括する、という意味である。[56]
ここ第2章冒頭で、マルクスは、この資本主義的に経営される生産部門の一つとして農業をあげ、この資本主義的農業経営における生産資本循環のケースについて言及している。上記、一般的定式において、W'の一部分が、剰余生産物の部分として、資本家によって現物消費されるケースである。
W'の一部分が、資本主義的農業経営において、資本家によって現物消費されるのと同様に、W'の一部分が、「産業資本のある投下諸部門」、あるいは産業資本循環の同じ労働過程に直接、ふたたび生産手段としてはいり込むケースが指摘されている(具体的にどのような事例があるのか……?)。
これらのケースの場合、W'の一部分はG'の一部分への転化が省略され、流通にははいり込まず、生産過程にはいり込む。
その部分の価値の、現実貨幣または貨幣章標への転化が省略される……、言い換えれば、この転化が計算貨幣として自立的表現を受け取る……。[69]
「計算貨幣」
については、第1章のなかでもつぎのように述べてある箇所があった。
貨幣資本の循環は、その循環がつねに前貸価値の増殖を含んだいる限りでは、相変わらずつねに産業資本の一般的な表現である。P…Pにおいては、資本の貨幣表現は、生産諸要素の価格としてのみ、したがって計算貨幣で表わされた価値としてのみ現われてくるのであって、記帳ではこの形態で書き留められる。[65]
資本価値の貨幣形態がその循環の第一形態(貨幣資本の循環)でもつ自立性の外観は、この第二形態〔P…P〕では消えうせ、したがって第二形態は形態Tの批判をなし、形態Tを一つの単に特殊な形態に帰着させる。[78]