前の第2節のはじめに、
生産過程が拡大しうるための諸比率は、恣意的なものではなく、技術的に規定されている[82-83]
と指摘されていたが、この第3節で、拡大再生産のための追加資本がどのように規定されるかが具体的に分析されている。
例えば、ある事業を展開中の資本家が、その事業とは別の事業を新たに展開しようとする際、進行中の事業の継続によって生産される剰余価値gの大きさは、当初の事業の継続を可能とするものであるとともに、新たな事業をはじめるだけの大きさが必要になる。
新たな事業をはじめようとしなくても、現在の事業を拡張しようとすれば、生産手段と労働力を、拡張するに相応しい大きさで追加しなくてはならない。
したがって、積み立てられる剰余価値が事業拡張のために必要な大きさになるまで、資本の循環は反復されなければならない。
たとえば、紡績業者が自己の紡錘の数をふやすことは、このような事業拡張が必要とする綿花と労賃とのための支出の増加は別としても、同時にそれに照応する梳綿機と粗紡機を調達することなくしては、不可能である。したがって、この事業拡張を遂行するためには、剰余価値がすでにかなりの額に達していなければならない。(通例は紡錘の新規購入1錘につき1ポンド・スターリングと見積もられる)。gがこの最小限の大きさをもたないあいだは、資本の循環によって逐次生み出されるgの総額がGと一緒に――したがってG'―W'<Pm,Aにおいて――機能しうるにいたるまで、資本の循環は何度も反復されなければならない。[87-88]
ここで分析対象となっているのは、「貨幣形態で現存する剰余価値の蓄蔵貨幣状態」、資本蓄積のために機能することを前提とした貨幣蓄蔵であり、一般的な意味での蓄蔵貨幣形成のことではない。
"一般的な意味で"というのは、すなわち、
蓄蔵貨幣の形態は、流通のなかにない貨幣の形態、流通を中断されておりそれゆえ貨幣形態で保存される貨幣の形態でしかない。[88]
という意味において、ということであり、その限りでは、すべての商品生産に共通した形成過程をたどる([88])(第1部第3章貨幣または商品流通 第3節貨幣 a蓄蔵貨幣の形成 )し、「商品生産の未発展な前資本主義的諸形態においてのみそれは自己目的として一つの役割を演じる」ことができる[88]。
ここで分析されている貨幣蓄積とは、それが一定の大きさになり追加的貨幣資本として機能するに足る大きさになるまでは蓄蔵貨幣形態に止まらざるをえず、その大きさを超えてはじめて追加的貨幣資本として機能し得る、という意味で、「潜在的な」貨幣資本であると言える。
マルクスはさらに、この潜在的貨幣資本としての貨幣蓄積が、産業資本の循環過程のなかで、一時的にせよ、必ずたち現われてくる状態でることを指摘している。
gの積み立ては、g自身の機能ではなく、反復されるP…Pの結果である。g自身の機能は、gが、価値増殖循環の反復から、すなわち外部から、自己の能動的機能に必要な最小限の大きさ――すなわち、gがその大きさでのみ現実に、貨幣資本として、この場合では機能中の貨幣資本Gの蓄積部分として、貨幣資本Gの機能に一緒にはいり込むことができる、そのような大きさ――に達するほどの、十分な追加を受け取るまでは、貨幣状態にとどまり続けることである。その間の時期には、gは積み立てられて、形成過程にある増大中の蓄蔵貨幣の形態で実存するだけである。すなわち、ここでは貨幣蓄積、蓄蔵貨幣形成は、現実の蓄積に、産業資本が作用する規模の拡張に一時的にともなう過程として現われてくる。一時的というのは、蓄蔵貨幣がその蓄蔵貨幣状態にとどまっているあいだは、それは、資本として機能せず、価値増殖過程に参加せず、ある貨幣額――この貨幣額は、この貨幣額とは関係なく現存する貨幣が同じ金庫に投げ入れられるために、増大するにすぎない――にとどまるからである。[88]
蓄蔵貨幣の形態は、流通のなかにない貨幣の形態、流通を中断されておりそれゆえ貨幣形態で保存される貨幣の形態でしかない。蓄蔵貨幣を形成する過程そのものについて言えば、それはすべての商品生産に共通であり、商品生産の未発展な前資本主義的諸形態においてのみそれは自己目的として一つの役割を演じる。しかし、ここでは蓄蔵貨幣が貨幣資本の形態として現われ、また蓄蔵貨幣の形成が資本の蓄積に一時的にともなう過程として現われる。
貨幣はこのような自己の規定によって潜在的貨幣資本なのであり、それゆえまた、それが過程にはいるために到達していなければならない大きさも、生産資本のそのときどきの価値構成によって規定されている。しかし、貨幣が蓄蔵貨幣状態にとどまり続けるあいだは、それはまだ貨幣資本として機能せず、まだ遊休している貨幣資本である。以前のようにその機能を中断されている貨幣資本ではなく、まだその機能を果たす能力のない貨幣資本である。
われわれがここで取り上げているのは、現実の貨幣財宝としての、本来の実在的形態での貨幣積み立てである。貨幣積み立ては、W'を販売した資本家の単なる貸越金、債権の形態でも実存しうる。
[88-89]
潜在的貨幣資本が、〔貨幣資本に転化するまでの〕その間の時期に、貨幣を生む貨幣という姿態でさえ実存する他の諸形態――たとえば銀行にある利子つき預金として、手形またはなんらかの種類の有価証券で実存する諸形態――にかんしては、ここで論究すべきことではない。この場合には、貨幣に実現された剰余価値は、それを生じさせた産業資本の循環の外部で特殊な資本諸機能を果たす。これらの機能は、第一に、あの循環そのものとはなんの関係もないのであり、また第二に、産業資本の諸機能とは異なる資本諸機能を想定しているのであって、その資本諸機能はここではまだ展開されていない。[89]