人麻呂01

2019年4月

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04/01/月
定年カウントダウンが終わった。今月からはフリーだ。小説家は本来、フリーであるのが当たり前なのだが、8年前にM大学の専任になった。それまでもW大学で15年、その後の著作権のコマを入れると18年間、大学で教えてはいたし、W大学でも6年間は「専任扱い」ということで給料は人並みにいただいていたのだが、授業以外には義務のない客員だった。その仕事も終わって、年金も貰い始めた60歳を過ぎてから、最初は客員のお話をいただき、2年後に専任のお話をいただいて、深く考えずにお引き受けしたのだが、この専任はかなりの仕事量で、しかも専任の3年目からは「学部長」ということになったので、雑務をこなしながらの怒濤の6年間(専任になってからは8年間)だった。それもついに終わって、晴れて自由の身になった。とはいえ文藝家協会で著作権の仕事をしており、それに関連してSARTRASという新しい社団法人もスタートした。何やかやと仕事はあるだろうが、今月の予定表を見ても、文藝家協会とSARTRASの理事会があるだけで、あとは毎日が日曜日という状態だ。昨年はついに小説を書けなかった。『源氏物語を反体制文学として読んでみる』と『小説を深く読む』という本は出したが、小説はなかなか進まなかった。注文が来ないということもあるが、いままでもこちらから提案して作品を書いていた。小説が完成しなかったというのは、なかなかプランがまとまらないということで、それがいまの現状だ。定年退職したことでもあり、これからはじっくりと仕事をして、作品をほぼ完成してから、出版のプレゼンテーションに移りたいと考えている。というのも、気力体力がどこまで続くかわからないので、完成してからでないとプレゼンするのも憚られるからだ。とはいえ、『文芸思潮』の五十嵐さんから、連載の仕事を依頼されているので、高校時代の話を書こうと思っている。実は以前から、河出書房には簡単なプレゼンをしていて、壬申の乱、高校時代、紫式部という3つの案を出していたのだが、そのうち紫式部は『源氏物語を反体制文学として読んでみる』で書いてしまった。『文芸思潮』には高校時代の話を書くことにする。で、残ったのは壬申の乱で、これは河出書房で出した『聖徳太子』『白村江の戦い』に続く3部作の最後の作品だ。ぜひとも書かねばならぬテーマで、実は草稿はすでに書き始めている。最初は持統天皇を主人公にするつもりだったのだが、書いているうちに、柿本人麻呂を主人公にしたくなった。それで最初から少し書き換えたりもして、いま2章180枚のところまで書けている。全体は5章450枚と考えている。だが、人麻呂の晩年については資料はないし、どのように作品の決着をつけるか考えていない。ということは、この作品が完成するかどうかもわからない。実は去年の夏から『卑弥呼戦記』という作品も書き始めていて、これも半分くらいのところでストップしている。頓挫しているわけではない。これは新たな3部作になる作品なのだが、その先の方が見えてこないので、これだけ書いても仕方がないかなと、少しモチベーションがダウンしている。そういうことが続いていくと、出来損ないの作品ばかりが遺ってしまうことになるかもしれないが、まあ、それもいいだろうと思っている。未完になってしまうことを恐れずに、自分の晩年の可能性に挑戦したいというのがコンセプトだ。ということで、今月からのノートのタイトルを「人麻呂」ということにした。柿本人麻呂の話なのだが、作品の中では主人公は「人丸」と呼ばれている。兄が「猿丸」で二人は忍者だということになっている。梅原猛さんの『水底の歌』という名作では、人麻呂が猿丸と呼ばれるまでの経緯が語られ、井沢元彦さんの『猿丸幻視行』では、猿が人となる経緯が語られる。いずれも柿本人麻呂と猿丸大夫は同一人物という考え方だ。双方とも名作なので、人麻呂を書くとするとどうしてもこの二作の影響を受けてしまうのだが、ぼくのプランでは猿丸と人丸は兄弟で、二人とも忍びの武者ということにして、天武天皇の側近として生きた猿丸と、持統女帝の側近として歌詠みになった人丸の対照的な生き方に、策士の藤原不比等を絡ませるというのがいまの構想だ。これに美しい姫ぎみの姿を絡ませていく。2章まではうまくいっている。とりあえずはこの作品の完成に向けて日々努力を重ねていきたいが、締切のある仕事もあるので、随時そちらの方のことも考えないといけない。ということで、この人麻呂のノートはどこまで続くかわからない。あるいは2年くらい続くのかもしれない。まあ、晩年の作品だから、それくらいの年月をかけてもいいのかなと考えている。
ところで本日は月曜日だが、今週は仕事は何もない。土曜日に姉の芝居を見にいくことになっているのが唯一のスケジュールだ。自由はいい。ただ今日はまだカウントダウンの余韻が残っている。私学共済の健康保険証を大学に返却しないといけない。ぼくと妻の保険証のカードと高齢者医療のカードを、大学がくれた返信用の封筒に入れる。それから今月から入ることになった文芸美術国民健康保険の事務所に、大学がくれた私学共済の脱退証明書を郵送する。折り返し保険証が送られてくるので、住んでいる住居の向かいにある神田本局の前のポストまで入れにいく。徒歩で花見に行こうかと思っていたのだが、午後は雷雨という予報なので、郵便局から自宅の方に戻ったところにある桜を眺める。集合住宅のタワーとアネックスと呼ばれる別館の前が広場になっていて、そこに何本か桜が植えられている。もとは公園と小学校だった場所はそのまま芝生を貼った広場になっていて、その先にも大きな桜がある。その桜は小学校の校庭にあったものだというので古木だ。なかなかの眺めなのでしばらく見ている。ちょうど昼休みで、オフィスの人々も芝生の上で弁当を広げている。ということで、本日は最短距離の花見ということになった。
本日、新元号が決まった。発表のようすをテレビで見ていた。最初に「令和」という文字がテレビに映った時、何かしら違和感を覚えた。筆で書いてあるのに「令」の字の下の部分がカタカナの「マ」ではなく、明朝体の縦棒になっていたからだ。ワープロでも「マ」の字は打てない。画数が同じだと異字体の設定がないからで、今後も印刷では明朝体で表示されるだろうが、手書きで「令」の文字を書く時に、縦棒にするか「マ」にするか迷う人が出てくるのではないかと思われる。まあ、どうでもいいことだが。ちなみにぼくの名前は「誠広」だが、同世代の人の名前に「広」がついている場合は、「廣」になっているはずだ。ぼくは中学生の時に改名したので、「広」になっている。子どもの名前に「令」をつける人がこれから増えるだろうが、手書きで「マ」と書いても「令」になってしまうだろう。自分はこれから子どもができることはないし、孫も6人で打ち止めだろうから、ほんとうにどうでもいいことだが、何となく漢字というものにはこだわりをもっているので気になってしまう。

04/02/火
今週はすべて休み。これまでは自宅にいても、大学のメールを確認して、稟議書などに対応しなければならないかったが、自宅のパソコンから大学につながるアイコンを削除したのですっきりしている。ただ自分のメールは確認しないといけない。文藝家協会やSARTRASから頻繁にメールが来る。スケジュールもそのつど埋まっていく。毎日が日曜日になるわけではないようだ。本日は一人で散歩。5000歩。まあ、ちょうどいいくらいだろう。

04/03/水
「人麻呂」を先に進めている。新たな年号が万葉集から採られたので、万葉集が売れているようだ。大友旅人の序文から採られたようだが、旅人は明らかに左遷されていて、同じように左遷された小野老や山上憶良らとやけ酒を飲んだ宴席での詞書きだろう。宴席はいつも荒れ気味だったので、憶良のあの「早く家に帰りたい」という趣旨の歌ができたのだ。旅人や憶良は奈良時代の人で、人麻呂とは少し時代がずれているのだが、作品にも彩りとして旅人や憶良を登場させてもいいかなと考えている。集英社から『春のソナタ』の9版の見本が送られてきた。『いちご同盟』は59版まで行っているのだが、その次に書いたこの作品もなかなかの人気で、時々増刷がある。最近の三田の本はなかなか増刷されないので、昔の作品でも増刷の報せがあると少し嬉しくなる。気分転換にこのノートのバックの色を変えてみた。藤色にしたいと思ったのだがどうか。このノートはホームページビルダーなどのソフトを用いず、メモ帳だけで書いているので、色の指定は16進法の数字で表示している。ちなみにこの色はDDCCFFだ。

04/04/木
妻とお花見に行く。先週土曜日にぼくだけ参加したボートでのお花見で行った大横川。深川のあたりだ。妻は高齢者なので都営交通が無料のパスをもっているので、都営新宿線で森下乗り換え大江戸線で門前仲町へ。土曜日には大勢の人でにぎわっていたのだが、今日はウィークデーなので誰もいない。桜は満開。ここの桜は水面まで垂れ下がっているところが特徴だ。昔、三宿に住んでいたころはよく目黒川に行ったのだが、目黒川は水面がはるか下の方で、しかも水量がほとんどない。ここの川はたっぷりしていてしかも水面が近い。土曜日には船着場から手漕ぎの船が出ていた。今日はほとんど人のいない遊歩道から満開の桜を楽しんだ。ついでに富岡八幡宮と深川不動にお参りし、妻がネットで見つけたパン屋に寄って帰った。

04/05/金
昨日外出中に郵便局から書留が届いたようで不在通知が入っていた。神田本局まで受け取りに行く。住んでいる集合住宅の向かいが神田本局なので、通りを渡るだけ。三宿に住んでいた時は、三軒茶屋の先まで徒歩20分くらいかかった。本局が近いのは住んでから気づいたこと。メールの時代だから郵便局に行く機会も少ないのだが、たまに振り替えで送金することもある。届いていたのは健康保険証だった。大学を定年退職したので、私学共済から文芸美術の保険に切り替えた。以前にも入っていたことがある。早稲田で専任をしていたころは早稲田の保険に入っていた。まあ、何度か切り替えをした。その度に手続きをしたはずなのだが、やり方を忘れている。定年カウントダウンの多忙な時期に、必要な書類を揃えて切り換えをした。退職しても2年間はもとの保険に入れるのだが、2年後には出ないといけないので文芸美術に切り替えた。作家としての収入がないと入れないので、とりあえず手続きをした。とにかく保険証が届いたので何となく安心。それから自宅の不要な本をリュックに入れて書庫に運ぶ。少しずつ荷物を運んでいる。本棚を入れたいと思っているのだが、まだそこまで手が回らない。

04/06/土
妻とお台場に行く。先日、門前仲町に行った時、テレポート行のバスを見かけた。M大学の有明キャンパスのすぐ近くを通るようだ。実際に乗ってみたら、至近距離にバス停があった。大学院の入試など、有明キャンパスに行く機会はかなりあったのだが、バス路線には気づかなかった。まあ、時間はかなりかかるし、門前仲町から都営2本を乗り継ぐことになるのでメリットは少ないのだが、気分転換にはなる。ただ本日は土曜日で、お台場の人の多さに疲れてしまった。

04/07/日
妻は友人とお花見に出かけた。こちらはパソコンに向かってひたすら仕事。『人麻呂』は全体の半分のところまで来た。ただ、後半について具体的なことは何も考えていないし、とくにエンディングについてはアイデアがまったくない。完成する見透しも立っていない。とにかく手探りでプロットをつないでいくしかない。

04/08/月
4月の最初の週は、本当に毎日が日曜日だった。しかし本日からは文藝家協会関係の仕事が入っている。SARTRASの文芸部門だけの臨時の会議。具体的なことを煮詰める必要がある。場所は学著協。団体の存在は知っていたが、ここに行くのは初めて。乃木坂なので千代田線一本で行ける。昔、三宿に住んでいたころ、よくペンクラブの前の事務所に通っていた。猪瀬直樹さんが言論表現委員長をしていたころだ。ペンクラブが茅場町に引っ越したので、乃木坂の駅で下りることもなくなった。青山斎場とか、ミッドタウンとか、まあ、時にはこの駅に来ることもある。本日の仕事はそれだけ。明日は文藝家協会の理事会がある。忙しくなったようだが、今週の後半は何もスケジュールが入っていない。まあ、仕事に集中したいと思う。

04/09/火
文藝家協会理事会。本日は会議を短くして、隣の文春西館のギャラリーで田沼武能さんの写真展を理事全員で見に行く。御殿場にある「文学者の墓」に入っている「文豪」たちの写真を、富士霊園の「文学庵」に5月末から掲示するのだが、そのプレオープンで文春ギャラリーで展示することになった。田沼さんも来てくださって、乾杯などして、簡単な立食パーティーとなった。ギャラリーで酒を飲むのもいいものだ。昔の文豪はさすがにいい顔をしている。田沼さんの写真家としての技術もあるのだろうが、いい写真展になっている。

04/10/水
八王子では雪が降っているという突然の寒波。一日中冷たい雨が降っている。どこへも出かけず。とここまで書いて、それではいけないと思い直した。外出する用がなくてもどこかへ出かけないと体がなまる。とりあえず傘を持たずに外に出た。御茶ノ水の駅前ビルまでは傘なしで行ける。それだけでは500歩くらいなので、千代田線に乗って大手町へ。ここまで来ると傘なしでどこへでも行ける。とりあえず日比谷まで歩く。左折して銀座。アートブックフェスタというのをやっていた。興味はないがぐるっと一周する。あともなく歩いていると東銀座まで到達。歌舞伎座の売店に入ると弁当を売っていたので妻に電話。夕食の準備はできていると言われて手ぶらで帰途につく。同じ道を戻るのもおもしろくないので西銀座から有楽町をめざす。イトシアの地下から交通会館へ。それから国際フォーラムへ。昔、文藝家協会の総会を東京会館でやっていたころは、総会と懇親会の間のアキ時間にフォーラムのビュフェで生ビールをいっぱい呑んでいた。そのビュフェがなくなっていた。残念。地下道を丸ノ内まで来て、行幸通りを進んで二重橋前から千代田線に乗って戻った。9000歩。ふつうの散歩なら歩きながらいろいろ考え事をする。しかし地下道の散歩は景色が変わらないので考えることのバラエティーがない。まあ、とにかく体は元気になった。

04/11/木
本日は快晴。富士山がよく見える。昨日の雪でまっしろけになっている。とりあえず近くの医者に行く。いつもの薬をもらう。保険証が替わってから最初の診療だ。夕方、神保町あたりを散歩。

04/12/金
昨日は少し暖かい感じだったのだが、今日はまた何となく寒い。散歩のしすぎで少し疲れた感じだが、夕方、散歩に出る。自宅の窓から見えている工事中のビルがある。そいつのおかげていままで見えていた皇居の宮殿の半分くらいが見えなくなった。行ってみたら神田錦町二丁目プロジェクトというものだそうで、20階建てのオフィスビルになる。北千住へ移転した電機大学の跡地のようだ。昔、シンポジウムに呼ばれたことがある。終わったあとで近くの飲み屋で打ち上げがあり、酔ってふらふら歩いていたら新御茶ノ水の駅があった。まさかその近くに住むことになるとは思いもしなかった。3500歩。夜、スペインの長男から、長男のところの次女のチェロ教室の発表会の映像が届いたので、妻といっしょに見る。次女は中学3年生くらだろうか。教室では最年長になったようで、最後に演奏した。とても難しい曲を弾いていた。ドレミをやっと弾けるというくらいの幼児から始まったのだが、ピアノ伴奏はずっと長男が務めた。長男は姿勢がいい。演奏する姿を見ただけで長男だとわかる。小学生の高学年から大学まで習っていた先生に厳しく言われて、指の形と姿勢に気をつけるようになった。長男は明日から、アンドラのサキソフォンの国際コンクールの伴奏のために出かけるらしい。数年前からこの季節にアンドラに出向いている。アンドラはスペインとフランスの国境にある小国。消費税のない国なので長男も時々は車で買い物に行くことがあるようだ。東京から軽井沢へ行くよりは近いのではないか。

04/13/土
妻が出かけた。晩ご飯はないというので、自分の食べ物を買いに、上野広小路まで散歩。5500歩。いい散歩だ。買ったのは中華弁当。デパ地下があるので便利だ。

04/14/日
妻の運転で車を動かす。車検を受けてからの最初のドライブ。とくに何かをいじったわけではないが、トラブルが起こるとすれば最初のドライブだ。問題なし。何となく車検をやってくれた工場の方に進み、環七を進んでいると、以前三宿に住んでいた時によく通った代田橋、世田谷代田に来たので、三宿の昔住んでいたところに行ってみた。われわれは豪邸に住んでいて、その敷地にいまは建売住宅が5軒建っている。建坪率・容積率ぎりぎりの建物がぎっしり並んでいるが、その1つ1つはいまのわれわれの住居より広い。まあ、昔はピアニストを目指す息子がいて、グランドピアノが2台あったりした。母のための和室もあった。別棟に書庫があった。その書庫の本はほぼすべて棄ててしまった。そんなことを思うと哀しくなってきた。次男が通っていた小学校は建て替えられてきれいになっていた。夜中、マスターズの中継を見ていると、何かヘンな感じがした。アメリカの試合は決着がつくのは朝方だと思っていたのに進行が早い。今年から方式が変わって、予選ラウンドと同様、アウトスタートとインスタートに分けて、成績下位のプレーヤーは10番からプレーを始めるということになったらしい。ということで、優勝争いの最終組のプレーがもう始まっていて、タイガー・ウッズの14年ぶりの優勝シーンを見てしまった。いつも2時に寝るのだが、本日は夜更かしして3時すぎになってしまった。

04/15/月
何ごともなし。昨日夜中に、ゴルフ中継を見ている時に少しアイデアが閃いて、行き詰まっていた『人麻呂』を少し進めることができた。もう全体の半分を越えているのだが、ここから先は時間の密度を上げていかないといけない。今回は450枚というのを自分に課したリミットと考えている。長い小説は誰も読まない。夕方、不要な本をリュックにつめて書庫に運ぶ。リュックいっぱいの本を吐き出したが書庫にあった2冊を持って帰ってきた。まあ、こういう入れ替えがこれからも続くだろう。

04/16/火
朝のニュースでノートルダムの火災を知った。ノートルダムは何回か中に入ったことがあるし、パリを歩いていればどこからでも見える。パリ旧市街は建物の高さ制限があるし、街路が放射状なので、到るところでノートルダムの尖塔が見える。寺院のあるシテ島はパリの中心だ。あの尖塔が炎上して崩壊するさまは、パリ市民にとっては衝撃だろう。本日はマッサージの日。都営新宿線で小川町から新宿三丁目。首と肩が軽くなった。自分は肩こりくらいしか問題がないのだが、あと3人くらい一緒の部屋にいた人々は何かしら問題をかかえていた。スポーツ選手もよく来るところなので、痛みがあると選手生命にも関わる重大問題だ。こちらはもはや大学の先生もリタイアした身だが、体というのは最も重要な資本だから、大事にしなければならない。夕方、妻がiPadで、アンドラのサキソフォン国際コンクールの同時中継を見ていた。わが息子が伴奏しているのをリアルタイムで見ることができる。今年も元気で伴奏を務めている。昨日は審査員のプロ奏者のコンサートの伴奏も務めていた。まあ、異国の地で、仕事があって働けるというのはありがたいことだ。

04/17/水
妻といっしょに区議会議員の期日前投票に行く。当日だと住んでいる集合住宅と同じゾーンの高齢者施設が投票所なのだが、期日前の場合は秋葉原に区民会館になる。といっても秋葉原は毎日の散歩のコースなので、10分もあれば徒歩で行ける。集合住宅に隣接した公園に候補者の掲示板があるので、その前で妻とあれこれ考える。わたしも妻も反体制ということでは一致している。妻は穏健な市民だが、世代的に体制に疑問をもつのが当たり前という青春時代をすごしてきた。こういうふつうの人が反体制だというのが団塊世代のすごいことだと思っている。ぼく自身は反体制一辺倒ではない。あらゆるものに疑問を感じて考え続けることを使命と考えているので、野党の言っていることは形骸化していると感じる時もある。首相は見るからに嘘つきだし、官房長官は真面目そうに見えて腹黒い感じだし、幹事長はいい人に見えるけれども頭が悪そうなので、結局のところ自民党はダメだと思っているけれども、都政、区政のレベルではどうでもいいことで、熱意のある偏りのない人を選びたいと思っているのだが、そもそも区政に関心がないのでどんな人が立候補しているのかももわからない。昔住んでいた世田谷区だと、もう少し情報が得られたのだが。たとえば無農薬野菜を配布してもらっている生活クラブの関係者が立候補しているとか、次男が通っている同級生の酒屋の店主が立候補しているとか、そういう地縁みたいなものが関わるのが区議会とか市議会議員なのだが、この千代田区の集合住宅に転居してから6年、老夫婦だけの生活では、地元との関わりが一切ないので、見知らぬ土地に住んでいるような感じだ。とにかく、投票は済ませた。

04/18/木
このところ毎日が日曜日状態だが本日は公用あり。SARTRAS理事会。必要な発言はした。いつもの複製権センターの会議室。銀座線の外苑前の方が近いことがわかったので、本日は最初から銀座線に乗った。自宅から銀座線に乗るのは神田駅まで歩くのだが、須田町の交差点に入口がある。その昔、須田町は都電のターミナルだったので、こういう地下道が設置されたのだろう。ものすごく長い無駄な地下道だが、設置された時は都内で一番長い地下道だったらしい。どうせならここに駅を作ってほしかった。しかし当時は万世橋に駅があったということだ。その駅の痕跡は現在でも残っているとのこと。帰りは赤坂見附で銀座線に乗り換えた。今日初めて気づいたのだが、銀座線は混んでいる。外国人のツーリストも多い。浅草から上野、銀座、渋谷と、観光ポイントを結んでいるからだろう。丸ノ内線は官庁街やビジネス街を通っているので、ラッシュ時でなければ空いている。本日は『遠き春の日々』を最初から読み返す。まあ、いい感じになっている。三つの仕事を並行させているので時間の配分が難しい。Footballのドラフトが来週に迫っている。マレー、ハスキンスズ、ドリュー・ロック、ダニエル・ジョーンズというQBがどこに指名されるかで来シーズンのようすも変わってくる。去年のメイフィールド、昨年のマホームズ、一昨年のゴフの活躍を見れば、一人や二人のすごいQBは必ずいるはずだ。6番目の指名権をもつジャイアンツのところまでいいQBが残っていればいいのだが。

04/19/金
今日は三田和代さんの芝居を見に行く。本当は先々週の土曜に見に行くはずだったのだが、出演者の病気で休演になって、本日に振り替え。この日は昼の部は貸し切りで、夜は休みだったところに公演を組み込んだので、もとの切符の座席のままで観られるとのこと。「まほろば」という芝居。10年ほど前に初演があり、その時は姉は母親役をやったのだが、今回は祖母の役。女性6人だけの芝居で、10年前の記憶は失せているのだが、かなりシリアスなドラマだった気がしていた。今回はかなりドタバタ喜劇の演出になっていたが、この10年で世の中が進化しているので、シリアスにやってももたないということだろう。そのドタバタ感がなかなかよかった。芝居は楽しくないといけない。そうなると祖母の役は儲け役だ。存在自体がギャグみたいなもので、挙動のすべてが笑いを呼ぶ。なかなかいい舞台だった。明日から妻が実家に帰るので、しばし一人きりの自由時間となる。ちょっと嬉しい。

04/20/土
妻が実家に帰ったので、今日からしばしの独身生活。まずは床屋に行く。暑くなってきたので、短くしてもらう。1700円。床屋の前で店内を見ると、3人の待ち客が見えた。待っている順番にきっちり席に座るというルールになっている。座った途端に、4番目のお客さま、と呼ばれた。待ち時間ゼロだ。待っていた3人は何か特殊な技術の必要な客だったようだ。で、鏡の前に座ると、カットだけだと5分で終わってしまう。超スピーディーな床屋だ。洗髪や顔そりもあるので15分ほどで完了。この床屋のすぐ近くに借りた部屋がある。まだ本棚を入れていないので研究室から送った箱のままになっているのだが、少しずつ必要な本を探して、少しバラけた感じになっている。漱石のことを書く必要が生じたので、資料を探す。新潮日本文学アルバムというシリーズは全巻揃っていて、これは箱の中に入れてあった。箱の外側に「アルバム」と書いてあるのですぐわかった。作家に関する資料集なのだが、コンパクトな伝記と年表があるので、評論を書くのに重宝している。漱石のアルバムもすぐに見つかった。これをベストのポケットに入れて書庫を出る。早く本棚を入れたいと思う。エレベータに乗ると、ちょうど上の階から本棚を下ろしていた。引っ越しらしい。思わず、その本棚、棄てるの? と聞きたかったが、引っ越しだから必要なのだろう。今日は妻がいないので弁当を買って帰る。

04/21/日
スリランカで爆弾テロ。昔、スリランカに行ったことがある。40年前くらいか。作家になったばかりのころだ。大学の同級生の弁護士が禅宗寺院の敷地の借家に住んでいて、大家の住職がスリランカの僧侶をしばらく泊めてあげたら、ぜひスリランカに来てくれと言われて、ツアーを募集しているとのこと。10人集まると添乗員がつくということで、サラリーマンは急には参加できないだろうから、自分の同業者の弁護士を誘って、おまえもひまだろう、と言われた。当時のぼくは朝日新聞の連載をかかえていたのだけれども、一ヵ月先まで書き貯めがあったので参加することにした。他にはお寺関係者、お医者さんなどが参加して、とにかくスリランカに行った。住職の知り合いのスリランカの僧侶は実は偉い人だったようで、大統領との懇談を設定してくれていて驚いた。大統領と話したのはぼくの生涯でも一度きりのことだ。当時のスリランカは平和でのどかなところだった。その後の内戦や、津波の報道がある度に、心が動いた。一度でも行ったことのある土地というのは、街並などが記憶に残っているので気にかかる。インドと違って仏教がしっかり残っている国だ。さて、本日は日曜日。暑くなったので半袖になった。住んでいる集合住宅の地下にあるスーパーで買い物。地下にあるといっても別棟なので、1階の駐車場を横断して行く。6年前に引っ越した時は、あまり客がいなかったのだが、最近は客がたくさんいる。神保町から秋葉原にかけては、スーパーがないので、遠くから客が来るようになった。買ったのは酒とおつまみ。5月の連休には浜松の仕事場に行く予定なので、やや大目におつまみを買った。Footballのドラフトが迫って気にかかる。いちおうプロ野球の中継は見ている。仕事をしながらなので集中して見ているわけではないのだが、巨人阪神戦なので、まあ、巨人を応援する。阪神はどうしたのか。昨日も今日も、まったく点がとれない。観客席が画面をとらえると「暗黒時代」というプラカードを掲げた人がいた。

04/22/月
自宅の集合住宅の20階ロビーで担当編集者と打ち合わせ。『夏目漱石の青春小説』という本を書くことになった。新書だが入門書ではなく専門書に近いレベルの高いものを、という注文なので、文学的な作品となりそうだ。大学の授業で漱石については語ってきたので、あとは語り口の問題だ。テンポのよい語り口に、独断的な解釈を随時折り込みながら、読んでいて飽きない本にしたい。

04/23/火
半年に一度の眼科検診。高齢者なので定期的に検診を受けている。緑内障、白内障、黄斑変性など、早期発見なら対応できる病変がないか調べてもらったが、いまのところ大丈夫とのこと。血圧、血糖、コレステロールなどは、食べ過ぎ飲み過ぎなどが原因になるが、目の病変は、加齢によるものだから、防ぎようがない。外出およびパソコンで仕事をする時は、黄色いメガネをかけている。それではパソコン、iPad、テレビを見ている時間はかなり長い。目を酷使している気がする。さて、ようやく妻が帰ってきた。日常が戻る。

04/24/水
朝起きると妻がいる。ああ、この生活が始まったと思う。本日は公用がないので、ずっとパソコンに向かっていた。夕方、雨が止んでいるようなので神保町まで散歩。4000歩。70歳超の高齢者男性の1日の平均歩数は5000歩だという。定年退職で他にすることがないので1日1万歩以上歩く人が多いので、こんな数字になっているのだ。ぼくは忙しいので、まあ、5000歩でいいと思っているのだが、神保町ではダメみたいだ。九段下くらいまで行かないといけないのか。さて、明日は浜松に向かうので荷物の準備。とにかく必要なものはどんどんバッグの中に入れる。常備薬の類。漱石の作品は青空文庫で読めるので資料はアルバム1冊だけ。人麻呂の資料を何冊かもっていく。『遠き春の日』は高校時代の想い出なのでこれも資料は不要だ。ということは資料はあまりないので歌の本を2冊持っていこう。

04/25/木
妻の運転で浜松の仕事場へ。いきなり渋谷のあたりで渋滞。多摩川を越えるあたりで事故が発生したとのこと。新東名に入っても工事渋滞があって、6時間半もかかった。途中で4回休んだせいもあるが。とにかく仕事場に到着した。と思ったら、風呂の給湯器が作動しない。真夏のような暑さだったので風呂がないのは困る。妻がプロパンを届けてくれる米屋に電話すると、電気のコンセントを一度抜けば、というアドバイス。要するに、初期化すればよかったのだ。問題解決。ただ戸外にとりつけた給湯器なので、コンセントを抜くというのがけっこうたいへんだった。とにかく解決してよかった。

04/26/金
浜松三ヶ日でののんびりした生活が始まった。しかし本日はFootballのドラフトだ。日本のプロ野球のドラフトと違って、アメリカのFootballは昨シーズンの成績のビリから順番に指名していく。今年はディフェンス陣が豊作で、オハイオ大のニック・ボサの人気が高かったのだが、ビリで1番手のカーディナルズはQBのマレーを指名。ボサは2番手の49ナーズ。そこからはディフェンスばかりが指名されて6番手のジャイアンツはQBのハスキンズかと思われたのだが、同じQBのデューク大ダニエル・ジョーンズを指名した。ロングパサーではないがあのペイトン・マニングに似た頭の良いQBだと評判で、ジャイアンツには弟のイーライがいるので、イーライを通じてペイトンのアドバイスも受けられるのではないか。シーズンの中盤からでも出場できれば、何と言っても去年のドラフトで指名したRBのバークリーがいるので、今年は地区優勝も狙えるのではないか。なお、ハスキンズは同地区のレッドスキンズが指名した。そのうち新人対決が見られるだろう。ドラフトのコーフンがさめやらないうちに、妻の指示で庭の草取り。東京では高層マンションに暮らしているので庭がないのだが、この仕事場には庭がたっぷりある。浜名湖を見下ろせるすばらしいロケーションなので、庭は整備しなければならない。とりあえず体がくたくたになるまで草を引き抜いた。今回は2週間くらいいるつもりなので、明日、明後日も庭の整備に時間が費やすことになるだろう。

04/27/土
連休に突入。こちらは毎日が日曜日の状態だから、のんびりしている。すでに浜松の仕事場での生活を始めている。本日は都田テクノというところにあるカインズホームに行って、土や土留めとなるブロックを買ったりした。浜松は道路が整備されていて快適だ。浜名湖があり、三方原の台地があり、緑が多い。地面の上に家が建っているというのが快適で、車もすぐにスタートできる。御茶ノ水の自宅では、地下駐車場の電動カートをぐるぐる回して自分の車を引き出さないといけないので、よほどのモチベーションがないと車で移動する気にはならない。JRと地下鉄6路線が徒歩圏内という便利なところなので車の必要がない。結局、この浜松の仕事場に移動する時にだけ車が必要なのだが、ここに来れば車がないと身動きできないのだし、気軽にどこへでも行ける。店には必ず広い駐車場があるし、道路はすいている。まあ、これがふつうの生活なのだろうなと思う。しかしこの浜松は東京とは違った植物の分布があるようで、東京ではほぼ終わったはずの花粉が飛んでいるようだ。昨日、庭仕事をしたせいかもしれない。夜中に鼻の調子がわるくなって、睡眠不足だ。今日は用心してずっとマスクをつけていた。東京は天気がよくないみたいだが、浜松は快晴。ただ夜中には必ず雨が降る。木造の家なので屋根にあたる雨の音がうるさい。今夜は早く寝たい。『漱石』は第1章が終わった。第2章は漱石の大まかな生い立ちを書くだけなので、持参はた漱石アルバムを見ながら書き進んでいけばいいだろう。ただ自分らしさを出すために、随時、自分の解釈や感想をまじえ、つっこんでいかないといけない。

04/28/日
本日も寝不足。一昨日の庭仕事で花粉を大量に吸い込んだようだ。この仕事場を建ててくれた大工さん来る。しばらく雑談。この人が元気でないと建物の維持ができない。しかしどうもあまり元気でないようだ。夕方、少し庭仕事。メガネとマスクで防御する。昨夜は急速に冷え込んで、石油ストーブを焚き、寝室はエアコンで暖房した。本日はかなり蒸し暑い。この寒暖の差は高齢者にはこたえる。第2章は順調に進んでいる。夏目漱石の青春。けっこうおもしろい展開になりそうだ。

04/29/月
昨夜は何とか眠れたが、まだ体調は万全ではない。とにかく寒い。今夜も石油ストーブを点けた。もうすぐ五月だというのに、この寒さは何だ。午後は雨。まだここに来てから湖岸を散歩していない。ひたすら仕事をしていた。『漱石』の3章。文体の話になっているので、引用が多くなる。明治時代の他の作家の文体と漱石を比べたいと思う。青空文庫からコピペするだけなのだが、けっこう手間がかかる。引用を止めて自分の文章で展開した方がはかどるのかもしれないが、引用があった方が読者は飽きずに読めるだろうという配慮から、手間をかけて引用している。少し疲れてきた。早く各論に入りたい。

04/30/火
昨夜も激しく雨が降っていて、雨音で眠れなかった。それでも午後には雨がやんだので、湖岸を散歩した。この別荘地には、犬と散歩した想い出がしみついている。犬がいなくなって17年にもなるのだが、犬が生きていた15年の年月の重みがいまも心の中に、重石のようなものを残している。『漱石』は第4章に入った。ここからは各論だ。作品を詳細に検討しながら語っていけばいいので、楽な作業になっていくはずだ。平成最後の日ということで、テレビ番組は世界の終わりのような雰囲気になっている。天皇が亡くなったわけではないので、もっと楽しく時代の終わりを迎えればいいと思うのだが。
定年退職して最初の一ヵ月が終わった。まあ、のんびりして、いい感じで日々を過ごしている。自分の仕事はまだベストの状態ではないが、徐々にエンジンがかかり始めた感じだ。『人麻呂』は半分のところまで来ているが、じっくり時間をかけて先に進みたい。『遠き春の日々』は「文芸思潮」での連載が決まったので、きっちりと100枚を仕上げたい。もう一つ、『夏目漱石の青春小説』を書き始めた。スタートして一週間ほどだが、もう3章まで書けている。こればっかりに集中すれば今月中にもできそうだが、雑文の仕事もあるので、あまり急がずに一定のペースで進んでいく。とにかく一ヵ月が終わった。いい感じでのんびりしている。





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