小野老 おののおゆ 生年未詳〜天平九(?-737) 略伝

父母等は未詳。養老三年(719)、従五位下に叙され、その後右少弁を経て神亀五年(728)四月頃、少弐として大宰府に着任する。神亀六年(729)三月、従五位上に昇る。その後大宰大弐に進み、天平五年(733)、正五位上に昇進。天平六年正月、従四位下に至る。天平九年六月十一日、大宰大弐のまま卒した。万葉集に三首の歌を残す。

大宰少弐小野老朝臣の歌

青丹(あをに)よし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり(万3-328)

【通釈】奈良の都は、咲く花の照り映えるが如く、今真っ盛りです。

【語釈】◇青丹よし 「奈良」の枕詞。奈良は青土(顔料に用いる)の産地だったことから。

【補記】神亀五年頃、大宰府における小野老の着任を祝う宴で詠まれた歌。当時、都では聖武天皇光明皇后に初めての男子(基皇子)が生まれ、祝賀のムードに包まれていた。

【他出】綺語抄、五代集歌枕、歌枕名寄

冬十一月、大宰の官人等、香椎の廟を(をろが)み奉り、()へて退帰(まか)れる時、馬を香椎の浦に(とど)めて、(おのもおのも)(おもひ)を述べて作る歌

時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな(万6-958)

【通釈】海風が吹く頃合いになった。香椎潟の潮が引いたこの浦で、今のうちに海藻を刈ってしまおうよ。

【補記】神亀五年。大伴旅人の「いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ」の次に載る歌。

大宰帥大伴卿の宅に宴してよめる梅の花の歌

梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が()の園にありこせぬかも(万5-816)

【通釈】梅の花よ、今盛んに咲いているように散り過ぎることなく、我らの園にずっと咲いていて欲しい。

【参考歌】作者不明記「万葉集」巻十
吾妹子が楝の花は散り過ぎず今咲けるごと有りこせぬかも


最終更新日:平成15年10月09日