本名=成田有恒(なりた・ゆうこう)
大正10年10月6日—平成20年9月6日
享年86歳(天蓮社大僧正超誉上人英阿大吉有恒大和尚)
東京都世田谷区世田谷4丁目7―9 大吉寺(浄土宗)
小説家・僧侶。東京府生。生家の浄土宗大吉寺の住職を継ぐ。昭和32年司馬遼太郎らと同人誌「近代説話」を創刊。36年『はぐれ念仏』で直木賞受賞。ボクシング、プロレスなどの評論でも知られた。平成一三年増上寺法主。著書に『念仏ひじり三国志』『黒い旅路』などがある。
ぼくらは少し窓ぎわから身をひいた。
和尚は頰をこすりつけるようにして、秀蓮さんの耳もとに何かささやいている。
「馬鹿ねえ、今ごろそんなことを言いだしたりなんかして」
何を言ったのか。秀蓮さんは和尚の手を押しのけると、げたげたっと笑った。
客車がひとゆれした。
「じゃみんな、左様ならな」
和尚は窓から身を乗りだすと、合掌した手を強く上下に振った。
「パパもお元気でねえ」
秀蓮さんは、かつて呼びなれた愛称で叫んだ。だが、ふとみると、彼女の手も胸の前で合掌されていた。
尼僧からお妾の生涯へはぐれてきた秀蓮さん。
冬が来るという北の国へはぐれてゆく三来和尚。
いま彼らを結ぶものは、この合掌した仏弟子の手だけだったのかも知れない。
見送りをすませて、改札口の方へ歩きだしたとき、競馬気狂いの天正院はしみじみした調子で言った。
「元禄寺さんは、やっぱりトキノミノルだったなあ」 「うむ」
幻の書とかうたわれたトキノミノルのことを、ぼくはよく知らないけれど、ぼくはわが高僧伝に三来和尚をおとしてはなるまいと考えていた。
(はぐれ念仏)
旧制中学の頃はバスケットボールで東京大会優勝、インターハイでは準優勝するなどスポーツ青年であったが、大学に入ってすぐに結核に罹患。病床に就いたことが作家を目指すことになった。寺内大吉が大吉寺二十八世の父元成和尚から住職を継いだのは昭和19年春、23歳のとき、並行して小説の世界にも足を踏み入れ、『はぐれ念仏』で直木賞も受賞した。一方でスポーツ観戦に没頭、競馬、競輪などギャンブル人生が始まる。世間では「なまぐさ坊主作家」として知られた。平成3年、浄土宗宗務総長、13年には増上寺第八十七代法主となったが、平成20年9月6日午後5時12分心不全のため東京都文京区の病院で遷化。密葬は法主であった増上寺で執り行われた。
公の場所でのベレー帽がトレードマークであった寺内大吉は、大吉寺内 成田有恒様」と自分あてに届いた手紙を見て、文字をひっくり返しペンネームを「寺内大吉」に決めたという。酒、ばくち、女、仕事、病気すべてにおいて〈体験を肥やしにするためには、何事をするときでも、つねにしっかり踏み込まなければだめだ〉と寺内は言う。また死と向き合い〈孤独になって、自分の肝を試してみろ〉とも言った大和尚、大吉寺二十九世、大本山増上寺八十七世の墓が目の前にある。生家大吉寺本堂裏墓地に向う参道の正面にある宝篋印塔、基礎の部分に歴代和尚の名があり、寺内大吉の名に代えて「二九世超譽上人」と刻まれている。汗をかきながら手を合わせていると参道を吹き通った風が頬をなぜていった。
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