神西 清 じんざい・きよし(1903—1957)


 

本名=神西 清(じんざい・きよし)
明治36年11月15日—昭和32年3月11日 
享年53歳(徹心院文軒清章居士)
神奈川県鎌倉市山ノ内1367 東慶寺(臨済宗)



翻訳家・露文学者。東京府生。東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒。堀辰雄、竹山道雄らと同人誌『箒』を出して『鎌倉の女』などを発表。その後プルースト、ジッド、プーシキン、チェーホフ、ガルシンなどの翻訳・紹介をした。『ワーニャ伯父さん』の翻訳で芸術選奨文部大臣賞受賞。『雪の宿り』『灰色の眼の女』『少年』『春泥』『鸚鵡』『詩と小説のあひだ』『散文の運命』などがある。







 このごろは妙に詩に飢ゑてゐる。わたしはあまり都會へ出ない。昔は別荘地であったこの小さな町の奥に引込んでゐれば、燒跡の復興のさまも目にふれることがない。花木の多いこの庭には、緋桃や真白な梨の花の散ったあとに、そろそろ柴木蓮や牡丹が、支那風の美しい花鳥圖をくり展げようとしてゐる。去年の今ごろは、庭の面を泳ぐやうに流れ過ぎる、おびただしい野禽の群ばかり目について、花の色はつひぞ目に入らなかった。今年は、目にどうやら入りながら、それが心にまで沁みて来ない。やはり、心が荒廃してゐるのである。来年は果してどうであらうか。‥‥疑ひもなくわたしたちは、記念すべき過渡期に生きてゐるのだ。
                                                         
 (詩と小説のあひだ)



 

 昭和32年3月11日午前4時10分、鎌倉二階堂の自宅で舌がんのため死去した神西清には、完結を見ることができなかった二つの全集がある。その一つは『堀辰雄全集』、そしてあと一つは『チェーホフ全集』であった。
 昭和28年5月、第一高等学校以来の親友堀辰雄の死にあい、心身ともに疲労したのだったが、ただちに『堀辰雄全集』出版の準備をはじめた。全集は新潮社から29年3月に第一巻が刊行され、32年5月の第7巻をもって完結したが、その完結をみることはできなかった。また、『チェーホフ全集』全16巻は中央公論社から刊行され、三島由紀夫は〈翻訳というより結婚というべき営みである〉と賛辞を贈ったが、神西の死によって中断した作業は、露文学者の後輩たちによって完結をみたのだった。



 

 北鎌倉にある松ヶ岡東慶寺の奥まった山懐、大晦日の厳粛な気に包まれた閑静な墓地。回廊の山際にある神西清の墓は、水輪に自署で「神西」と刻まれた白御影の五輪塔であった。それを柘植垣が囲み、急な山の斜面から枯落ちた楓葉が、背後の垣根に散りかかっていた。
 思えば晩年は随分と慌ただしい日々であった。昭和30年12月、舌がんが発見され、大塚癌研究所附属病院に入院して手術、翌月に退院して一時は回復も見せた。舌がんの手術跡を包帯で巻きながら死の数か月前まで『堀辰雄全集』編纂のために鎌倉と軽井沢の堀邸を往復したものだった。完結を見ることはできなかったが、精一杯の尽力はした。堀辰雄も喜んでくれているにちがいない。もう、ゆっくり眠りたいものだ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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